消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1910年06月30日(木)

子どもの頃は
散々遊んでそれから宿題をしてた派
提出前の泥縄でした
後がない所に追い詰められてのスパート派だった

でも仕事を始めたら 責任があるから
したいことはやることを終えてから 
というおあずけ派になった

でも どっちがいいんだろ
おあずけしても 長引いてるだけみたいな気がする
今日も終わらないからおあずけ みたいな

先にさっさと遊んじゃった方が
結局スパートできるかな
お尻に火がつかなきゃダメ派だから
そうしてみようかな
後ろめたさも不安も取っ払って
したいことを先にしてみようかな
・・・ で 
途中で終われない熱中派だから
困るんだね

あす どっちにしようか 迷い中
朝決めよう


1910年06月29日(水)

買いかぶりだったか
承知していたか
予測はついたか
ふわふわの毛をまとった爬虫類でした

やっぱりね
そうくると思った
そんな予感でした
だからとくに何も感じない
あぁやっぱりそうなんだな って
それだけです


1910年06月28日(火)

大きく風が吹き込んでくる
砂丘をぬけたように
どこかに少し熱を帯びている
かわいた匂いがする
ざらついた音がする
大海の音さえ聞こえる気がする
しめやかな秋はまだだ

夕暮れはすとんと落ちてきて
アラビアンジャスミンが香るのに


1910年06月27日(月)

待つのやめようかな と思う
待つ意味はあるんだろうか
何を待っているというのだ
結果を知って何になるのだ
次の一手を決めているわけでなし

疫病神になってみるって
結構楽しいかも
エネルギーを使える


1910年06月26日(日)

好きなものとだけ生きてゆく
キライなものには触れない
あぁ心地よくてしあわせ  って ?

そう暮らせるならしあわせなんでしょう
でもそれは結局傲慢だと思う
それをしあわせだとは思えない
ひとは喜怒哀楽あってこそだと思うから
負の感情を除外していって
しあわせを語ってもうそっぽい
なぜかリキミやイビツを感じてしまうのは
私が意固地なんだろうか

取り敢えずは おしあわせに としか言えないけれど


1910年06月25日(土)

手紙を書いた
届いたかどうかわからない
というか
読まれたかどうかわからない
あとは あなた次第です
あなたの度量を芯のところで確かめている


1910年06月24日(金)

HPや日記サイトから
ブログに流れる多くの人の夢に
ブロガーの出版があるのですね
読者が増えて本を容易く出せる みたいな・・
あなたもそうみたい
なるほどね
それで少し変わったんだ
印刷物になるためのテイサイというものがあるらしい
でも
読者に受けるための言葉を選ぶひとの本に
興味はないよ


1910年06月23日(木)

懸命に修復しようとし過ぎて
私が壊したのかもしれなかった
もう直らないのかもしれない
やるだけのことをして応急処置で諦めた
私が悪い
迂闊なムリをしたから
強引に直そうとしたから

でも二晩たって 良くなっていると分かった
少しだけれど前よりよくなっている
自分のしたことのほんの少ししか
成果にならなかったけれど
壊したわけではなくなって
本当によかった


1910年06月22日(水)

ハンディーがあることを どう見えるか  って?
ひとりでは生きられないという実感をもっている ように見える
絶えず人の手を借りているという意識がついてる ように見える
だからいつも
人に何かを返すことに躍起になっている ように見える
そして内輪(仲間)意識がすごく強いと思う

いいよ そんなに意識しないで
みな同じ 
孤島にひとり取り残されて
或いはひとり残った戦禍の街で
生きてゆける人は少ないと思う
みな 誰かとともに生きているのだと思う
だからもっと普通に生きればいいのにと思う


1910年06月21日(火)

他者の
悲しみに寄り添うことはやさしい 
寂しさをわかることはむずかしい


1910年06月20日(月)

オトナなら
嘘っぽい なんてコトバ
使っちゃいけないんだろうね
私はよく使うけれど

アヤシゲ とか
胡散臭い とか
なんかあるんでしょうね

でもやっぱりダイレクトに
うそっぽい と言いたい時があります


1910年06月19日(日)

いつ また 虹に会えるだろう
雪と違って 予感がないから

でも予測はイケナインダよ
虹は出会いだ


1910年06月18日(土)

人は不幸せになったとき
意味を考える
意味があると考える
意味をつけるために考える
考え始める

だって
やってられないよ
意味が無くては 
苦しさに耐えてゆけないよ

だから不幸な人から 
意味が考え出される
ただそれだけのこと
大げさなことではない
自分のジンセイの意味なんて


1910年06月17日(金)

あなたに向かって
たくさん毒を吐いた
ことごとく吐いた

身を軽くした


1910年06月16日(木)

逃げ出すことはないのでしょうか
逃げ込むことはないのでしょうか

アナタハ ヒルミマセンカ

ふしぎです


1910年06月15日(水)

大志ではなくあなたの野心と気づいたとき
積まれた石はみな ただの石ころになった


1910年06月14日(火)

その連呼は 
暗示かもしれない
呪文かもしれない

おすそ分けは
イラナイ


1910年06月13日(月)

店内は 室内ではない
自分のために集めたものを部屋に並べるのと
売るために並べた店内とは
全く別の次元のはずだ


1910年06月12日(日)

葛藤ののち
やさしい言葉で
返信できたこと

よかった

せめてもの救い
私にとって


1910年06月11日(土)

やはり気持ちは 待っている
結果を知りたい
あなたの心の辿った途は
何処へ行きついたのかを

しあわせの連呼が虚しく聞こえる
その訳を知りたい

わたしが しあわせでないからですか
そうでしょうか

少なくとも私は涙の重みを
今も忘れず知っている

あなたは もう忘れたかもしれませんね
いえ もう思い出そうとしないのかも


1910年06月10日(金)

文章をその通り使えば盗作だ
メロディーだってそのまま入れればややこしい問題になる

では 雰囲気というのはどうなのだ?
タッチというもの らしさというもの 流リュウというもの
感覚のことだから具体的に指摘できずとも
感じるひとには 分かるものだ

流派を継ぐという芸術なら
弟子が師から学ぶのは
技術とともに正にそれだろうけれど

フツーの者にとっては
多くのものに傾倒できることは幸せで
身にあふれ染まり血肉にもなるかも知れないけれど
周囲がそれと感じる言葉遣いは
あるいは誰かを髣髴させる文体は
結局オリジナルではないと思う
個人の楽しみレベルではよいけれど
生業とするには未熟でしょ?と思ってしまう
貴女の文章に 貴女は見えなくて
あれやこれや あの人やこの人や
著名なひとたちや文体が思い浮かんでしまうのが 皮肉だ
もっと融合させて もっと熟成させて
そこから醸し出す貴女の言葉を掬ってほしい
貴女を思い浮かべる文体で勝負してほしいと思う


1910年06月09日(木)

ありがとう と即座に言われることより

嬉しい と言って
ぱっと輝く目に
ほころぶ口もとに
よかった とこちらも嬉しくなる

有難うのコトバを期待しているのではない
嬉しい顔を期待しているのだから
喜んでもらえたと 感じたいのだから

だから私も
ありがとうより先に
うれしいを伝える
感謝より先に 喜びを伝える
本来それが先だと思う


1910年06月08日(水)

今まさに開こうとして香る花
辺りにその力が満ちてくるのです
内からのエネルギーです
他者が介入できるものではない


1910年06月07日(火)

疫病神かもしれない
いずれわかること
あなたの真髄も
どう対処するのか


1910年06月06日(月)

本当に小さなことです
些細なことかもしれない
でもひっかかるのです

自分の力を
小さくいい
弱くいい
非力にいい
疎いといい
つつましくいい
そうやって助力を得る

同じ言葉の繰り返しに
辟易する

あまりにくどく続くと
謙遜とか謙虚をこえて
なんか策という感じで
イヤなのですけど
嘘っぽくて

ささやかといいつつ
大きな野望が見え隠れしているのですから


1910年06月05日(日)

虹 夢 その言葉 嫌なものになった
すきなのに一瞬キライになった 
あなたのせいだ
あなたの面影のせいだ
暫くは思い起こしたくない

どうしてそこにいるの
なぜそんなところにいるの
どうしてまた出会ってしまったのだろう
もうクロスしないでいればよかった

いつまでもそこにいないで
何処かへ行っててほしかった

あなたの神と私の神はリンクしないのだと思う


1910年06月04日(土)

ひとつまた開きました
部屋に香りが満ちてくる
気持ちのはなやぐ香りです
うつむき加減の気持ちを
はじけさせてくれる目映い香りです

やっぱり一番好きな花かもしれない
本当にこの時期しか会えないから
花屋にも売っていないから


1910年06月03日(金)

暗くなり始めたのに
庭の作業に思いのほか時間がかかった
へばっていたとき
よい香りが満ちてきた
漂ったというより はっきり満ちてきた
知っている懐かしいでも思い出せない
辺りを見ていると葉裏のジンジャーリリーが飛び込んできた
ひっそり咲き始めたんだ
強烈に香りを出してアピールしてきた
お疲れさん と私を労うようだった
氷の白でなく雪の白だと思う
ジンジャーリリーの故郷には雪はないだろうけれど

一面のジンジャーリリー
そんな場所を歩いてみたい

一本切ってきて部屋においた
ほんとうに疲れがとびます

天国はこんな香りに満ちているのだろうね
天女の羽衣がひらりと前を通れば
辺りに甘く香るのだろうね
そんなことを思ってみていた


1910年06月02日(木)

地味でも 
目立たなくても
そこにほのかな温かみを残す存在でありたい


1910年06月01日(水)

昔見たひとを
再び見かけるのはうれしい
復活というわけでもないけれど
長くあいていても
消えなかったひとはうれしい




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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