消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1910年05月31日(火)

Dr.コトー 初めて見た

歌を聴きたくて もう一度見た

人はもがきながら生きている
それでいいんだ
それで当たり前なんだ
そうなんだよね

生きていくということ自体が 
生きることなんだ って

そう思えた
もがいていいんだ って


1910年05月30日(月)

夕暮れる時
台風の端っこで虹を見た
 
駅から続く商店街の
アーケードの切れるところ
開けた空に 大きな薄い虹が現れていた

あ 虹だ と
久しぶりにうっとり見上げているのは
その辺りにわたしひとり

駅から歩いてきた人も
自転車を出し入れしている人も
果物店の前に立つ店主も客も
スーパーから出てきた人も
誰も気づかない
誰も空を見上げない

思わず前を歩いている小さな男の子に
声をかけたくなった
虹だよ って

でも母親は
荷物を一杯重そうに下げていて
子どもを急き立てて歩いていたので
声をかける勇気が出なかった

誰かと見上げたかった
虹は人をつなぐと思っている
居合わせたひとを

あ 虹・・
ほら

そう指さしてくれるだけでいい

誰かが教えてくれたら
私はにっこりするから


1910年05月29日(日)

キミがんばってるんだね
君 って言う方がいい?
あなた はなんとなく言いにくい

とにかく私もがんばろうと思います
ひとが頑張るのを見るのは気持ちいい
背筋が伸びる気がします

最近またストレッチも真面目に再開しました
秋を感じて

すると体のあちこちが動きたいと言い出した
泳ぎたい歩きたいドライブしたい
山へ行きたいね
少し準備が要るけれど


1910年05月28日(土)

そんなもの 逃げ出せばいいじゃないか
とにかく脱出すればいいじゃないか
現実ではそう思っていた

でも わかった
自分の置かれている状況が把握できない状態では
闇雲に動くことすら無理なのだと

現実には私には起こり得ないと思うけれど
妙にリアルな じわっと怖い夢の中で


1910年05月27日(金)

少し前から
夕方しずかな藍色の空になると
庭に秋の虫が鳴き出している
日中には蝉が最後の力で弱々しく鳴いている
秋は確実に傍へ寄ってきて
何かをささやくのだ

こんな猛暑でも
やっぱり律儀に来てくれるのだ
この国の民をほっとさせるのだ

ね、だから私たちやっていけるのだと思いませんか
少し気持ちを切り替えて
少し心をしずめて
あながち走るばかりが能じゃない と
深い思いを大切に出来るのじゃないですか

秋の夜半
月を見て思う


1910年05月26日(木)

思いやりを育てるとか
命の尊さを教えるとか
少年の事件が起こるたびに
そんな言葉があふれる

自暴自棄の子どもに
命の尊さとか他の命の尊さだとかを言葉で説いても
ムリというか意味無いというか
空回りにしか過ぎないと思う

自分の命を大切に思っていない人には
他の命なんて 知ったこっちゃないはずだ

一番大事なのは自分の命だ
人から大切に思われた体験だ
大切というより 生きてて嬉しいというありがたさだ感動だ

その上に立って 
誰にだってその人にとって大切な命があるんだ とわかること
それが他の命への思いやりになってゆくはずだ

自分が確立できていない人に
他をわかれなんて 無理な話だ

小さいときに自分を大切にされた経験が不足していて
自分のことを大切に思えなくて
だから人の大切さに気づけずにいる子どもに必要なのは

まずは その子の存在を大切にしてもらえること
それで自分を大切にできること
それから他者の大切さを認められるようになるのだと思う

口先で 命は尊い なんていくら話したって
空論を聞かされてるようなものと思う


1910年05月25日(水)

誰もいなくて独りの宴
珍しく高級ナントカ牛
箸でつまんで軽いと思って
口に入れてかたいと思ったら
噛むと無いようだった

やわらか〜い とよく聞く表現は
ぐにゃ〜としてるというのでなく
ぴんとしてるのに
すとんと噛めるということだったのかなぁ

あまり体験が無いので


1910年05月24日(火)

命が大切か
ならば死刑はどうなのだ
私は天罰なら賛成派だけれど

雑草として草を抜き
蚊をたたき
柵をして猿鹿猪熊を遠ざける
飢え死にか 隣の村へ散ればよいのか
エゴじゃないのか
それとも人は勝てない不明の病原菌に絶滅するのか
宇宙の摂理で宙の塵になるだけか

自然界の根底は弱肉強食か
それとも共存共栄か

人はなぜ 共存共栄を選べないのか
争いや戦いを選ぶのか

種の保存という生命の摂理は
より強い種を残したいのか

そういう自然の摂理に従うなら
やっぱり弱肉強食になるし
弱ければ滅びてゆく
絶えてゆく
命は短い
それで当たり前なのだと思う

寿命に逆らう延命って
何なのだろうと 最近思う


1910年05月23日(月)

人を簡単に殺してしまう恐ろしい犯罪ばかり
そんな心にどうして育ってしまうのだろう
貧困ですか 親に優しくされなかったからですか
それらは理由にしてはいけないでしょう
それを理由にする人間を増やさないために
どうすればいいのでしょう

優しくされて(甘やかされてではない)育った子どもは
ひとに優しく出来るでしょう
優しくされずに育った子どもが優しさを覚えられないのは
その子の責任ではないでしょう
社会がその子をまっずぐに育てる責任があったのだと思う
その子が悪い道に迷い込まないようにしてあげるのは
世の中の責任だと思う

偉い人たちは会議で
命の尊さを教える教育だとか大袈裟な表現をするけれど
いきつくところ 必要なのは
誰かのお母さんになる という経験をさせることではないかと思う

対象は
子犬であれ 子猫であれ
小鳥でも金魚でもバッタでも
花でも野菜でも 命あるもの
何かのお母さんとなって 育み をするということ
一身に面倒をみて一喜一憂を重ねるということ
失敗に終わり命を失くして落胆することもあるだろうし
愛情を返してもらうこともある

命あるものに愛情を注ぐ経験をし
結果を受け入れる積み重ね
それでこそ命の尊さを教えられるのではないかと思う

オトナがお話でいくら説明したとて
わかってはもらえないでしょう
救えなかった命に涙する経験がなければわからないと思う


1910年05月22日(日)

一日のうち
何時間ちゃんと生活できたろうか

時間の経つのがわからないくらい
ずっと脱力していた数日
心配事というより
不安というものにつぶされて

自分のことでないから
どうすることもできないし
なるようになってゆくと分かっているけれど
ただ戸惑う

何を考えるわけでもなく
ぼんやりとしてしまう
どうなってゆくのだろう

今日で決まることだ
後先なく終わることだ
ケジメというものだ
先を見るしかしかたないことだ
道は前にしかない

違う生活を始めよ と
疲れた私に神が時間をくれたのかもしれない

そうだ
新しい道を前にして
ひるむな 笑顔で踏み出せよ
笑顔で進めよ
雲の流れに目をやって
花の群れに手を伸べて
一茎手折って友としよう
歌いながら胸張って

そのイメージをつかめたら
きっと元気にやってゆける

誰かにお礼を言わなけりゃね
そんな気持ちになったら
遠くで囀る揚げ雲雀に告げる
すいと追い越す燕に告げる
高く輪を描く鳶に告げる

私は元気に歩けそうよ
ありがとう と


1910年05月21日(土)

境内を通り抜け出来るけれど
普段は入らない神社
お正月以外 お賽銭を入れたことがない

でも今日はゆっくり奥まで行ってきた
誰もいなくて雨上がりの樹の匂いがした

お賽銭箱があんなに古いとは
お正月には混んでいて気づかなかった
明日からのことを拝んできた


1910年05月20日(金)

自分の道を自分で決めてゆく君の傍で
私は喪失感を感じた
なぜだろうわからない

でもそもそも
私は夢を持っていたか
私の夢は何だったか
それもわからない

もう一度
自分の夢を辿ってみようと思う
失ったなら新たにもとう

夢を叶えたくて
人は希望を持って生きるのだと思うから


1910年05月19日(木)

3000m障害というのを
世界陸上で始めて知った
今まで知らなかった

陸上にあまり興味無かったけれど
この種目 ハマります

ダイナミックだ ワイルドだ
ルールで締め付けられたスポーツという感じでなく
あくまで力を競う という感じがいい

幼い頃から野山で走り回り
土も風も友達という生活
そういう世界の名残を感じる

野を越え山越え
ひたすら走る若者を彷彿させる

見るものの内に
熱い血を感じさせる

今回の収穫です


1910年05月18日(水)

ひとの生き方の美しさも強さも
目の輝き
それだけだと思う

だからどんなに美形でも
目の輝きのないひとは
死んで見える
ウツクシクナイ

目の輝いてる人はきれいに見える
自分を鍛えている人たちの
緊張の解けた瞬間の笑顔は
ほんとうにきれいだ


1910年05月17日(火)

ぐだぐだ言っても
結局は自分の殻は内から破るしかない
脱皮って そういうものだ
あんな小さなアゲハの卵も
何度も脱皮して大きくなってゆく
蝉だって最後は力をふりしぼって羽化する
自分の殻は 自分で破れ
そういうこと


1910年05月16日(月)

心の内で泣きつかれたので
もう疲れ果てたので
あとは
少しずつ満ちてくるのを待つ
心の奥の涸れた泉に
新しいきれいな水の湧くのを待つ

ぶどうを食べた
巨砲がすき
疲れた気持ちの回復に
くだものの即効があるとすれば
巨砲が一番と思う
不思議に疲れたときだけ欲しくなる
瞬間に元気になる気がする
なぜだろう


1910年05月15日(日)

カタチにこだわらなくなった
ビジュアルに惹かれなくなった
前なら色や形式にとくに惹かれたのに
美しく創りこまれたサイトをマークしたのに

そうなんだ
カタチでなく
ただ言葉だけを拾っている
いえコトバでなく
空気をひろってゆく

風になって抜けながら
こころにしみこんでくる清々しい匂いを
ひろっているのかもしれない
たゆたうものに惹かれるから


1910年05月14日(土)

私は強くない 揺れてばかりだ
自分で分かっている
だから ひとの支えになどなれないのだ

でもね それでも
包むことは出来ると思う
寄り添うことはできると思う
力弱くてもそっとできると思う

そうだね
私はそうやっていこう
包めて寄り添えて

そうできれば
少し力になれる

キミの力になれたらと思っている


1910年05月13日(金)

あまりに強いひとのHPは疲れる
そんなに毎日感動で生きているのですか
そんなに日々を大切にして
まわりの人や家族を愛して
自分の仕事をこなし
目標をもって努力を怠りなく
頑張っていることを
毎日記録してあるページ

ふう とため息が出ます
憧れよりも自分に諦める
私はそんなふうに生きられない

迷ってばかりいる
揺れてばかりいる

そうだ そうなのだ
ブレの無い芯 揺れない人に驚くのだ
私には脅威だ

私は絶対にそうなれないから
ついてゆけそうにない
読むのをやめた


1910年05月12日(木)

無漂白のコットン?の風合い
つまり生成りというのか
そういうTシャツ似合うひと
素敵だなと思う
今一番似合うと思っているのは
蒼井優さん

本当のシンプルなものの似合うひとって
優しいひとだと思う

その実手の込んだものだったりするモノは
欺きだと思っているから

重い絹での豪華なウエディングドレスは
誰でも似合うと思うけれど
naturalなコットンレースでなら
気持ちの軽やかな清々しいひとしか
似合わないと思う

今一番似合いそうなひと と思っている
かなりファンかも
ほっとする


1910年05月11日(水)

皆それぞれに頑張っているのに
私だけ力が出ないでいる
空気が足りない
酸素が無い
そう叫んでしまいそうに
どんよりと眠いような頭が重い


1910年05月10日(火)

やるせない
自分のことではないのに
何から整理してゆけばよいのか
わからない
リミットはあと3日
そのあと どうなるのだろう
なるようになる
なるようにしかならない
わかっているけれどね
はやく切り替えないとね
けれど力が出ないのです


1910年05月09日(月)

ひまわりをこよなく愛す人って多いけれど
私は苦手です
元祖的なあの木のようなつくりの茎や花に
どうしても馴染めない
最近は小ぶりのまるでマリーゴールドのようなのもあったりで
それは部屋に飾ったりするけれど
だから広大なひまわり畑というものを知らない
そこに身を置けば
ひょっとして何かを感じるのかもしれないけれど
がーがー話しかけてくるような気がして怖いのです

夏休み絵日記の定番だけれど
私は描いていたのかなぁ

ちょっと惹かれたブログに
でかいひまわりの夏写真があったりすると
引けてしまうのです
軟弱モノです


1910年05月08日(日)

その影を私がじっと見ているから
隙を見せぬように
襤褸を出さぬように
カモフラージュしようとして
あなたは突拍子もないことを言うのね


1910年05月07日(土)

無性にナシゴレンを食べたくなって
無印のレトルトソースで作った
取り敢えず満足
こういう便利さはうれしいです
現地のホンモノでなくても一向に平気
感謝しています


1910年05月06日(金)

3号室はだめだった
見晴らしいいところを狙ったのだけれど
先客も同じ考えかも


1910年05月05日(木)

おとなばかりでも
家族の笑顔は
やっぱり気持ちがほころぶ
厳めしい顔ばかり見てたのじゃ
つまらない
おとなだって楽しいのだ


1910年05月04日(水)

たぶんあなたはわたしよりわかいのですね
あおいのですねかたいのですね
だからりそうのじぶんをかかげて
そのようになりたいといきている
それがすなおなじぶんとしんじて

それがぼんさいづくりときづかずに
おおきくのびる樹になれないでいる

じゆうにのびる樹こそ
ほんとうにじぶんにすなおなのだときづかずにいる

りそうのじぶんなどわすれてしまえ

たっぷりの水をすいあげ
たっぷりの光をもとめよ
そうすればおのずと天をめざしてのびているから


1910年05月03日(火)

悠長に構えてるふうで
トロいだけじゃないんですか
もう少しテキパキと手順を決められませんか
出遅れてばかりいるんじゃないですか
何でもぎりぎりにしないで
ユトリを持って指示できませんか
小間使いされる方はやりきれない
意欲的に動けるように
早めに展望できませんか
視野を広くとって
力の配分というものができるように

あなたが全てのことを独りでこなすなら別ですが
人の力を当てにするなら
頼み方も 頼む段取りも
communication力だと思う


1910年05月02日(月)

ある年配の女優さんの対談を読みました
電車で見かけた美人のひとが
なぜかきれいに見えないのが不思議で
ずっとワケを考えていて感じたのは
その人の口元が文句を言っていた とありました

私は 目が文句を言っているかもしれません
ツンケン腹を立てているかも知れません

心が出る ってそういうこと


1910年05月01日(日)

残暑 晩夏 
そんな言葉がくるくると
めまぐるしく渦巻く
もうすぐ秋だ
あと少しだ
高い空と一吹きの涼しい風を
待っている

すべて忘れてひとを許すときのように
他には何もいらないと思うこころで




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

* * * * * * * * * * * *        
* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


 *