消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1909年03月31日(水)

何の意味もない言語を
操ってみたい気持ちにかられる
でもそんな知恵も特技もなく
思いつくのは kerokerokero
蛙みたいだけど蛙のつもりはない
ただ軽やかな音のつもりでkerokerokero

何言ってんのケロケロケロ
そんなこと当たり前ケロケロケロ
バカじゃないのケロケロケロ
自分にそんなふうに言ってみたい
少しは気持ちが軽くなるかもケロケロケロ
そんなこと考えてるわたしってばか


1909年03月30日(火)

ひとが有頂天にならぬように
神はコントロールする
楽しい想い出を辿っていたら
不意に忘れようとした思いに至る
もう封印したはずだった
ずっと開けずにこれたのに

またしばらくは残像となる
ずしりと重い足枷のように
解き放たれてはいけないのだと
言い聞かされるように


1909年03月29日(月)

小さな野鳥の群れに
ときおり包まれる散策のしあわせを
いつか知りたいです
愛らしい声や姿を目で追って
静かに動かず待っている
立ち止まることのしあわせを
想います


1909年03月28日(日)

小さな種を集める人がいて
集めては配る人がいて
もらっては育てる人がいて
種って 何かをさせたがるものなんだね
自然に広がるのを待つには
人はせっかちすぎるのでしょう
鳥や虫たちを邪魔者にしてまで


1909年03月27日(土)

キミたちはたぶん同一
一体で表裏
光と闇を装っても
芯のところはキミひとり
渦をまく音が聞こえる


1909年03月26日(金)

皆の仕事が各々スムーズに運ぶよう
整え準備するのが私の仕事
常に決まっている事もあれば
考えながら生み出してゆく事もある
オリジナルに新しい流れを作る
淀んでいては沈滞する
だから手足と頭は別々に動いていることが多い
別に上の空なわけではないんです


1909年03月25日(木)

悲しいことを思い出した

君に腹をを立てるばかりで
君の力になれなかった
きっと傷つけた
君は何も言わない
ごめんね
戻れないね

伝える言葉がない
涙があふれる

いつか力になりたい
いつもそう思ってます


1909年03月24日(水)

ワインで気持ちがハイになる
明日から変われそうな気がしてくる
行動を起こせそうな気がしてくる
やわらかな赤でした


1909年03月23日(火)

灰色の鳥が来て
モクレンの花をぱくぱくと食べている
花びらの先だけ啄ばんでいる
いくつか無残な姿
美味しいんだろうか
美味しいんだろうね
香りがあって厚みがあって
ちょっと食べてみたくなる
エディフル・フラワー になるかな


1909年03月22日(月)

ぽかりぽかりと浮かぶように
白木蓮のつぼみがほどけ始める
ほのかに根元がピンクがかって見える

低い枝の開きはじめのつぼみ
中をのぞいてみたら
本当に綺麗ないろのしべがあった
少しサーモンがかったやわらかなピンク
生まれたて っていう色だった
これが透けて映るのか
ドームの木蓮のランプを想う

もう少し開いたつぼみを見てみたら
もう色は褪せていた
ひとときの色らしい

今までは白一色と思っていた
中のしべは黄色と茶色と思っていた

木蓮のランプで思い出した
TVで見たドームのフロアランプ 
灯すと夕焼けの美しさだった
私も欲しかった


1909年03月21日(日)

殊勝という健気さと 
恥ずべきを恥じるはじらいは
白い花に生まれ
風にゆれ光にゆれ
風花となる


1909年03月20日(土)

その庭の大きな紅梅は
通りに面している
以前はその色がキライだった
紅色というような暗い色
嬉しくない花色と思っていた
ほとんど見上げず通り過ぎていた

今年 遠目に満開の花を見て
綺麗だと思った
いい色だと思った
和むというのでなく
気持ちの落ち着く色だと思った
おとなしい深い色
はしゃぐのでなく大人の色
今まで覚えなかった気持ち
私が変わったのだ
その花を愛しく思う


1909年03月19日(金)

あまりに淡々と続く話に
それはホントの話?
それは文芸?
目新しいネット小説を目指してるわけ?
と聞きたくなる
つまらない文章を読んでしまった と思う
ただ書きたくて っていうほとばしり感に
ぶつからないよ


1909年03月18日(木)

流れのまま生活が続くとき
一つの権利の期限が終わるのは
はっとする目新しさ
覚えのない時間の流れを自覚する

自動で更新されるのと違う
切れる というのがいい

立ち止まり ちょっと考え
次の一歩の向きを変えることが可能だ
ONでもOFFでもCHANGEでも
選択のチャンスはうれしい
小さなプレゼントを貰ったような
すこし気持ちがはずむような


1909年03月17日(水)

一人で夕食だったので軽めにした
後でたくさんお菓子を食べたので
風呂上り体重は測らないことにした

はかる気はない〜〜♪と ぼそぼそ歌って
横目で通り過ぎようとしたけれど
でもはかろ〜〜♪ と歌ってみた
驚くことに昨日より軽い
きっと明日に増えるのね


1909年03月16日(火)

何かをきっぱりさせると
違う香りをほしくなる
フレグランスを彷徨う


1909年03月15日(月)

髪を切ろうと思う
ヘアスタイルが変わるのは
変身を意味するのか
脱出を意味するのか
それともノスタルジアか放棄か
単純に結局のところ
今の自分を離れられないかもしれないし

どうだろう


1909年03月14日(日)

命を捨てるのと
生きることを捨てるのとは
違うと思う

掻き消えそうになった命でも
生きることを捨てない人もいるし
健康な身体をもちながら
生きることを投げ出している人もいる

生きようとして
でも生きることが立ちゆかなくなって
それでいのちを捨ててしまう人
誰かが支えてあげられたらよかった

私は家族に支えられている と思っている
あるいは私だって家族を支えている という思い込み
家族に対して義務や責任もあると思う
命を捨てることは申し訳なく
生きることを投げ出すわけにはいかない
ただそれだけだ

命を絶つのは たぶん
死んでお詫びしたいときです
それしかお詫びの方法が見つからないときです
他に方法がみつかれば その必要はないと思う

安楽を求めて命を捨てるつもりはない
その前に生き方をみつめようと思う

天涯孤独な身だから捨ててよい命と自分で言うのなら
他の天涯孤独な身に 寄り添ってあげてほしいと思う


1909年03月13日(土)

見せていくらのジャグリングのように
公衆の面前で披露する

お客との
打てば響くのやりとりを
巧みな言葉のやりとりを
ソツなくエレガントに
あくまでも紳士的に

それは言葉のジャグリングのようで
言葉は操れるってことかな
だからあなたの会話に飽きてしまった

ジャグラー って
ペテン師、詐欺師の意味もあるという


1909年03月12日(金)

函に封じてきた想い
その白さを確かめる
やわらかさあたたかさ
やさしさいとしさなつかしさ
そのまま手渡して
もう忘れよう
そのまま伝えて
もう終わろう


1909年03月11日(木)

自分の何かを
かえたい
かわりたい
かわらなきゃ
かわろう

そう思うとき
自分が行動を起こすしかない

なんであれ行動を起こさなければ
何も始まらない
行動せよ

動かずして何も変わらない


1909年03月10日(水)

軽くなった気がする
体がすっと

あたたかなものを見たから
それは目からはいって
こころに伝わる

私の掌に
なにかほわっとかるくてあたたかな
小さくてまるいものを
そっとのせてくれたような

掌の真ん中があたたかくて軽いような
そして肩がうんとかるくなったような
頭の芯がすっとぬけたような

アリガトウ


1909年03月09日(火)

今年はいろんな所で雛飾りフェアを目にした
そういう時期にそういう所をよく通った てことかな
どれもみな豪華
世の中ゴーカなんだ と錯覚していた

でも今日 
ある微笑ましい写真を見て嬉しくなった
世の中捨てたものじゃない
それ相応にちゃんとお祝いできるってこと

折りたたみテーブルを台にして
ガラスケースに入った三段位のお雛様
内裏雛と三人官女と菱餅や花やぼんぼり
そして何か別の飾りも一緒にケースの中に飾ってある
袋入りの雛あられもケースの前に飾ってある
小さなテーブルは満員状態
それが何とも楽しく愛らしく愉快になる
その前でにっこりポーズの女の子と
ママの手に支えられた赤ちゃん(妹)とが 二人写ってる
そして極めつけは
別に写されたかわいい雛寿司
きっとママのオリジナルアイデア
家庭のあたたかさが伝わってきます

いいなと思う
家庭の行事ってこういうのがいい
ヨソサマと同じ暮らしでなく
子どものために両親がありったけのアイデアを出してする
我が家の楽しみ方が一番だと思う


1909年03月08日(月)

ちゃんとしたHPを開いていた人たちが
それを封じてブログだけに転身してゆく
疲れたのもあるけれど
便利らしい

でもブログ系を見るのは好まない
道端でやってる感じが好きじゃない
周りにやたらモノが並べ立てられて
ごちゃっとうるさい感じがして
どこかフリマ的ストリート的に思う
建物にある公共掲示板的な感じがする
それ以上のことは書いてないように思える
それだけのための存在に見える
丁寧にしつらえた部屋へ招かれたのではない気がする
所詮便利手帳でしかないでしょ?
か出版目指して ナニカを意識した文

でもその便利さフリマさって
友は友を呼んで 案外いいいのかも
自然に誰かと誰かが繋がってゆくような

何かを求めて止まないキミには
とてもあっているように思います
ガンバレ キミ


1909年03月07日(日)

花粉薬で昼間眠いから
仕事が長引いて
完全に夜型になってる
生活リズムを変えないといけない

そう思うけれど
啓蟄といっても
今日はまた思いっきり冬だ

本当は外の仕事をすれば
体が春を思い出すのに
土にふれればよいだけなのに
ためらっている

やっぱりどこか 
まだ冬だ


1909年03月06日(土)

それはダミーかもしれない
やっと気づいた
私はばかだ
廃墟ではなく
存在任務があるのだ
カモフラージュってことですね


1909年03月05日(金)

それってあなたの素なのかなぁ
それとも手なのかなぁ と考える
初対面の人にすんなりとダメさ加減をさらけること

たぶん誤解されて期待されることが
勝手に良く思われることが
つまり過大評価されることが
面倒なだけかもしれない
期待されて失望されることを警戒するから
だから先に予防線張っている
僕はそれほどじゃない と

前にそんなハナシしてたね

でも あなたの誠実さと思ったのは
自尊心の隠れる謙遜のポーズだっただけかもしれない


1909年03月04日(木)

このからだの重さは何だろう
気持ちの重さが体にかかるのだ
逆はある意味成り立たない
気持ちのハイはからだを軽くするから

昨日見つけた白の沈丁花も
木蓮のつぼみが皆天に向いている姿も
雨があがって一斉に膨らみ始めたのも
明日はきっと樹が真っ白に覆われるだろうことも
思い描いても心にはずまない
どうしちゃったのかな

たった二つほどの
気掛かり事くらいで


1909年03月03日(水)

なんかツカレル
待っているのに返事をくれない人
関係ないのに何か言ってくる人
そんなこと 些細なことなのに
他に忙しいこと山ほどあるのに
でも頭の芯が重くなる
貴重な休みを無駄にしてしまう


1909年03月02日(火)

今日みたいな出掛け方をした日は
とても疲れる
もう日曜の晩になってしまったような
休みを全て費やしてしまったような
そんな徒労感
たぶん半分ギリがかむから
というか
仕事ではないけれど行事消化でしかないから
楽しくも何ともない 疲れるだけ


明日満月らしい
昨日ずい分大きな月だったけれど
明日らしい
絶対忘れずに見よう
春の満月は美しいと思う
ゆったりとしていると思う
そして沈丁花を探そうと思っている
木蓮はまだだ


1909年03月01日(月)

明るい色の春カーテンに替える準備は
とっくにできている
あとはタイミングだけだ
射し込む光のきらめきを計っている
もう少しだ
風の冷たさなんて平気だ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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