消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1908年01月31日(金)

人形作家の本を見た
布で作られた綺麗な人形
たくさんたくさん見た
そのうちに数え方の「何体」が
怖くなって閉じた
美しすぎてただならぬ気配だった


1908年01月30日(木)

芸能人バイキングで
体操のお兄さんが頑張った

身体能力で  
特定の運動能力や部位を鍛えるのでなく
対応能力を伸ばすこと は大切だ

固定化された動きに優れるのでなく
頭の中でデータを集め修正を考え次の動きを決め
身体はそれを実行してゆくという連動
それを如何にスムーズにこなしてゆけるかという対応能力
それはベースになる身体能力だ
そして子どもの時に遊びの中で身につけられる要素だと思う

体操のお兄さんは それを伸ばす仕事
がんばってください


1908年01月29日(水)

和食はいい 小鉢がいい
少しずつ楽しみながら摂ることは
気持ちが軽快 だから今日は軽快
高窓から冷たい空気がおりてくる
部屋をすっと満たすのは
秋の味わい 里の味わい
実りという言葉の意味合いは
あたたかなやさしい心になれることだと思う
誰かと居ることがうれしい心に


1908年01月28日(火)

家具を移動する
書棚を整理する
PCの要らないテキスト類はもう処分しよう
古いバージョンの本がずいぶんある
いろいろお世話になりました
おかげでとても助かってます
基礎のおかげで何とかなってます
ケータイの方が目まぐるしくて嫌なんです
利用者のためというより
開発者の自己満足みたいな
なんか変だと思う
便利というのは多機能ってことでもないし
シンプル is 単機能ってことでもなくて
進化というのは カスタマイズが簡単 ってことだと思うけど
パーソナルなものほど必要なことだと思う

どんなに機械が賢くなっても
カスタマイズがマニアックじゃ意味ないよ
取説 分厚すぎ


1908年01月27日(月)

日の落ちるのが早くて
庭を歩く時間を逸する

いつのまにか終わってしまった花がたくさん
夏があんなに長かったから
今年の秋は短い
冬がすぐ来そう

なのに忙しくて
秋の花を楽しむゆとりがない
ごめんね


1908年01月26日(日)

秋祭りが近いのでしょうか
ときに どこからか
太鼓の音が流れてくるのです

雑貨やお菓子のお店に
ハロウィンのコーナーができているけれど

秋晴れに聞こえる太鼓の音と 
子供たちの夜の仮装は
まったく異質な文化だと感じる
そこで暮らした経験がないとなじめない


1908年01月25日(土)

PCもケータイも
なかなかメールを見ない人
まったく持ってる意味がない

なかなか捕まえられないのだから
たくさん送りましたよ
見てよ読んでよ
話が終わってしまうから


1908年01月24日(金)

がむしゃらに走った夏の疲れが残るのか
待つ間に何か別の準備をする ということもなく
ただ時間を空費している
頭の芯に鈍いものがある
目覚めも眠りもしないもの
お荷物だ

全て秋バージョンに模様替えすれば
何か新しくなるだろうか


1908年01月23日(木)

夢現の中へ
年頃の女の子が現れて
行ってきますと声がする
でも姿がよくわからない
誰なのだろう
どこへ発つのだろう
不可思議な怪訝な
目覚めても夢の中

御神籤より占いより
何かもっと違うカンカク


1908年01月22日(水)

少しずつ少しずつ
わたしが沈んでいったのか

ゆっくりしずかに
まわりの気配がのぼってゆく

地に立つはわたしひとり


1908年01月21日(火)

雨上がりのジンジャーは際立って美しい
その白は厚みをもって一点の汚れもなく
丁寧に花開く

二本目が咲き出した
花芽の少ない今年
あといくつ見られるだろうか


1908年01月20日(月)

あなたが何を捨てたのか
何を取り戻そうとしているのか
それを知りたくて

忘れるということはない
忘れ去れるものではない
そこに在るのは意思ですから

置き捨てられた其処にこそ
あなたの思いが残るのでしょうから


1908年01月19日(日)

植え込みの柵にからまって
夕顔の若い種がなっているのを見つけた
花は見ていないのに

去年そこにあったのは赤花の種類
こぼれ種から芽生えて
夜にひっそり咲いていたのでしょうね
大きくなった浜木綿に隠れて気づかなかった


1908年01月18日(土)

馬のことはあまり知らない
走る馬のこともわからない
でも思わず がんばれがんばれと言った
だだだと3頭ゴールした
走りきって清々しい顔に見えた
賢い馬はきっといつもそうなんだろうね
いつも力一杯走って それが仕事なんだ
悔しいとか失敗とか関係ないんだ
そういうのは人間の浅はかかもしれない


1908年01月17日(金)

お店の 他の子犬や子猫たちは
タオルにじゃれたりすやすや眠っていたり
元気そのものなのに

自分のケージの隅っこで
こちらを向いてじっと動かない子犬がいた
座っているけれど固まっていた
視線が泳いでいた

あらら どうしたの と思わず言ってしまう

今日来たばかり と店の人が言う

連れて帰りたかったよ


1908年01月16日(木)

ちょっとした不便を入れて 
暮らしに時間をかけてみる
時間を生み出すための便利なものを使わずに

置かない買わない排除する のではなく
あるけれど持っているけれど
今日は使わないという贅沢時間
何かを感じながらゆっくり動く時間

便利なものが生み出す真っ白の時間ではなく
暮らしの作業の彩りのある時間を味わってみる


1908年01月15日(水)

金木犀はいつからだろう
よそではもう始まっているのだろうか
この木は春に刈られて
たぶん花芽はないだろう
この秋は咲かないだろう
一粒でもあればうれしいと思う


1908年01月14日(火)

ことばはなくとも
無言でいても
わたしは此処に座っている
ただ居るだけ


1908年01月13日(月)

あなたが遺してくれるなら
わたしにください
生命と屍とエネルギーを封じ込めた
その透明な石を
あなたの生きた証として

かわりにわたしは
琥珀色の樹液を
探してあげる


1908年01月12日(日)

昨日夕方 細い月を見た
低く 既に建物の合間に入っていた

西に細く見える月は
あっという間に見えなくなる
気づかなければ何日か出会えない
ほんとうは昼間白々と青空にあるはずだけれど
細い月は太陽の近くではわからない

ただ 細い月は好きなのです
きっと きりりとしっかり輝くから
そしてすぐ見えなくなってしまうから
そのことを予期して眺めているから
別れを惜しみながら見ているから
望月の上る夕とは 気持ちがまったく違う


1908年01月11日(土)

仲間と楽しくやっていた趣味も
ボランティアだったことが実益になると
色んな考えがもたげてくるのでしょうね
やっぱりひとは お金が絡むと
どこか微妙に考え方が変わってゆく気がする

自覚して自分で切り替えるならよいけれど
本人的にはウダウダ言っている

でもね 
自分の心に忠実に進路をはっきり見据えないと
よいものは生み出せないと思うよ
中途半端な作品からは人は離れてゆくと思うよ

無関係な話だけれど
リサーチによって生み出され続ける売れ筋邦画
観客動員数が多いからって
わたしは名画とは思っていないけれど・・
キミはどう思いますか


1908年01月10日(金)

静かな工事が続いている
穏やかな作業が続いている
重そうな資材を吊り上げている大きなクレーン
オペレーターが上手いのでしょうね
淡々と運び上げ 
静かにきっちり適所に置かれてゆく
他の作業員も持ち場を黙々とこなしている
しずかだ 大声の指図などもない
こういう現場というのは 騒音の中と思っていた
案外、作業者の心の在りようなのかな
パワフルなクレーンというのは 実は静かなのかな
究極の操作は 静か なのかな


1908年01月09日(木)

難儀な人だ
脇目も振らず突っ走っていた時は
貪欲にナンデモアリだったのに
少し立場がよくなると
体裁を気にして 
まわりへ後ろめたさなどという

目標は何だったのですか
達成されたのですか

それなら全てをスマートに立て直せばいい
安っぽい飾りを剥ぎ取って小奇麗に
欲張らず慎ましやかに

今それができるなら
本当に達成されたのだと思います
できないのなら ただコトバだけと思います


1908年01月08日(水)

私が怒っているのを
貴方は気づかないのでしょう
私が遠ざかっている理由を
貴方は分からないのでしょう

秋の始まりには
ときに小さな冬が混ざる
ふと翳る気持ち
春には程遠い


1908年01月07日(火)

少し期待はずれ
骨組みのはずなのに 妙にばらばら感
幹があるようで無いような

まとまりが見えてこない
結局は個人プレイの集まり

常ながら国家を担う場
痛みの分からない人たちで
責任を持たされると保守保身に回る人たちで
何かを変えることができるのだろうか
単におぼっちゃま組織なだけか


1908年01月06日(月)

私に仕事を押し付けて
私の時間を奪うだろうことに
腹立たしかった。
理由に納得できないから。
なぜ私?

でも考え方変えました
あなたが寄って来るのなら
私はあなたの時間をもらうことにする
後悔しても知らない
私の時間はあげない
そう決めました


1908年01月05日(日)

い・や・だーー それ やりたくなーいーー
ねーー?(他の子に同意を求めているらしい)
園児の大きな声が 通りまで聞こえた

何についての見解を表明しているのかは不明
その後の展開も不明

集団生活では 個別対応というのは色々難しい
でも プログラムは複数用意されるべき
準備は複数されるべき なのだと理解した
主体的に選んだと思えてこそ意欲が湧く
たとえ敷かれたレールだとしても

彼(たぶん)がその後 意気揚々と何かに取り組んでいることを願う
ふてくされて作業していたり
部屋の隅でひとり遊んでいたりしないことを

センセ がんばってね
声のかけ方ひとつでしょうね
元気なクラスでやりがいありますね
幼稚園から聞こえる声はおもしろい


1908年01月04日(土)

いろいろのこと腹立たしく考えていた
次々にいくらでも思い浮かぶ
苦々しい気持ちで一杯になって
辛いばかりだった

そうしているうちに ふと
でも本人はいたって優しいのだと
幼い時からずっと淋しかった人かも知れない
それでも周りに優しいのだと 思えた

だからもう腹を立てるのはやめようと思えた
そう思えて楽になった
暗闇にひとすじ道が見えた気がした
許せる気持ちは 自分を安らかにする


1908年01月03日(金)

焦ってはだめ
ひとつの峠を越えたのだから
落ち着いて先の方針を立てよう

次の頂までまた黙々と行くのですか
ずっと続く一本の道
ごろごろだけどひたすら歩けば着くでしょう

でも違うルートはどうですか
風にのってパラグライダーでふわりと着地
そんなのどうですか

苦行が目的ではない
楽しみをみつけて進めばよい


1908年01月02日(木)

地球に優しく とか 
自然を大切に とか
それは誰のために言ってるんだろう?
未来の人類のためにでしょうね
一瞬にして全てを消滅させる愚かな子孫たちかも知れぬのに
 
ホンライの自然のリズムを大切にし
その営みを尊重するならば
一番の自然破壊は生命力の操作ではないのでしょうか

死なない病人をたくさん作り出し
福祉に喘ぐ国家って 本当に健全なのでしょうか
私はすなおな寿命で尽きたいと思っている
それはいったい何十年後かわからない

争いで命を縮めるのはいけないけれど
自らは不健全な生活をする人間が
医学や科学や福祉に頼っている

生きるというのは過酷なことで
生き残るためには体も精神も命そのものも
鍛えることから始まる と
人は悟らなければいけない
それが本来の自然の姿と思う

不自然な延命こそ地球を破壊していくと思う
人は死をもっと素直に受け止めるべきなのだと思う


1908年01月01日(水)

深い湯がすき ぬるい半身浴は好まない 
夜おそく たっぷりの湯に深々と沈みこんで
小窓から降りてくる夜気の冷たさを感じる
透明な気持ち 静かに満ちた気持ち
湯の恋しい季節になった
いっぱいまで湯を入れて眼を閉じていたら
眠くてほんとうに沈みそうになった




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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