消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1905年04月30日(日)

おぼつかない足取りで
それでも子猫は母にすり寄って
もぐり込んでお乳をもらって
よじ登って舐めてもらって
母の背で眠ってしまう
それだけの毎日
ただそれだけの繰り返し
いつか母が子別れするまで


1905年04月29日(土)

野良の子は哀しい
どんなに大粒の雨でも
壁に身を寄せるしかない
母猫が戻るまで


1905年04月28日(金)

大きすぎて
お化けみたい
本当はそうじゃないのに
写真家がいろいろ遊ぶとき
花は溜息している


1905年04月27日(木)

ミツカラナイ サガシモノモ
ミオトシタ ヒロイモノモ
ミノガシテ ステタモノモ
ソレモ ウンメイ


1905年04月26日(水)

あぁいいなぁ うらやましいなぁ と
前は心から思えたのに
いつから 妬ましいという言葉がよぎるようになったのだろう
その先は反社会的な気持ちになるんだろうか

やわらかな気持ちのひとになりたい


1905年04月25日(火)

捨ててしまったもの
捨てようとしているもの
拾って来なければいけないだろうか
このまま捨ててはいけないだろうか
捨てさせて欲しいと誰に願いたいわけでもないのだが


1905年04月24日(月)

驚きや夢を 高鳴るときめきを
丹念に拾って届けてくれると思ってた

今は違うのですね
君臨しようとするようで

目指すところがかわりましたか

傘の下での獲物探しはつまらない
空を見上げることがない

見えぬ崖下まで
鳥が雲に消えるまで
わたしは見たいのです


1905年04月23日(日)

哀しみなどは無いのです
流れは変わってゆくものだから

淀みにはいられないのです
流されてゆくものだから

空へはもうとびたてない花片
綺麗に流れてゆけばいいのです


1905年04月22日(土)

昨日 ケニアの牛角ネックレスを
お洒落だけれど偉そうに感じたのはなぜだろう
湖水真珠の色合いのほうが優しいと思ったのはなぜだろう

今日は 牛角が素朴で力強く思える
湖水真珠のとりどりの色を甘ったるく感じる

夜が明けてゆくサバンナの写真を見たからか
大地から始まる輝きに
一本の樹とほっそりしたキリンのシルエットを
とてつもなく美しいと感じたからか

タンザナイトより深い力強い青だった
その写真家は南極洋上で亡くなった


1905年04月21日(金)

拘らずに生きてみようとしてきたけれど
また拘って生きてみようかと思う
手仕事に拘ってみたいと思う


1905年04月20日(木)

労働の報酬は
旨い酒と美味い食べ物
楽しい語らい

友あるは
よきこと


1905年04月19日(水)

蒸しあがる暑い雨は嫌いなので
細く冷たい霧のような雨がすきなので
寂しく美しい雨がよいので

ただ激しい雨は嫌いなので
静かにまっすぐ絹のような雨が好きなので
麻糸のような雨はきらいなので

それだけの理由です


1905年04月18日(火)

その樹が何か知らない
黒々と動かぬ影を落とす樹ではなく
すらりとした枝を伸ばし
さやさやと緑の葉をひろげ
手をのべて手招きするように揺れる
風の通る涼やかな木陰をつくる

思い出し笑いのように
時おりリズムを持ってゆれる影は
うれしいものです


1905年04月17日(月)

お散歩デビューの子犬があふれてる
誇らしげに尻尾を振りながら よちよち歩いてるのや
好奇心のやんちゃ犬やおっとりのや
愛らしいのや怖がりのや

この子たちも数年で老いてゆき
今度は町にシニア犬があふれるでしょう
成熟した犬ときちんと生活する
その暮らしぶりが街の品格になってゆく

高価な人気犬種たちが
美しく気品ある老犬となって
主とゆったり散歩する姿を願っています
街から姿の減ることのなきように


1905年04月16日(日)

貴女のことも私のことも
それはきっと神の意思

思い切ってしたことが
よき流れに沿うならば
神の手は添えられる


1905年04月15日(土)

清しい風の中 
抱えて帰りたい
真っ白のカラー

角張った重いカットガラスの花瓶
茎の緑が幾本も
揺れて交差するのが好き


1905年04月14日(金)

あなたは偶然と言うけれど
わたしには必然
道をひいたのはあなた
道標をたてたのはあなた
ハンミョウのように
毒をもって


1905年04月13日(木)

風の通る思い切りアジアンな服で
竹かごをさげて歩けば
無駄な物を買わない暮らしをできそうだ

髪を短くした


1905年04月12日(水)

窓から眺める前の通りはいつも同じ
何も変わらず静かで 人もいない
通る人がめっきり減った
大きな日傘も見かけない


1905年04月11日(火)

夜たくさん降りましたね
音がすごかったですね

地面はたっぷり濡れている
水気の多い空気
目覚めれば別世界のようだった

今日はうんと働こうと思う
髪を切ろうか
それが自然のように思える

明日は何が咲くだろう


1905年04月10日(月)

向上心は人生のハリのひとつだと思う
テストで認定するというものではなく
他人と比べるものでなく
自分の中のもの
より高くとかより広くとか
より深くとかより丁寧にとかより固くとか
というような今の自分を越えようとする気持ち
それは自分自身を認める為のもの
大きな目標をかかげることよりも
ちょっとした弱さを乗り越えたりというようなこと

正当な評価をされないと嘆く人がよくいる
そうかもしれない
でもそういう評価をする人もあるという事実であって
そのことで恨んだりひがんだりいじけたり
そうなる自分を評価するのは神である

もちろんハリがなくとも
楽しく生きてゆけるのかもしれない


1905年04月09日(日)

イテモタッテモイラレナクテ 
なのでしょうね
嘗て私がそうであったように

そしてそうやって自分を確認できるひとは
しあわせなんです

今の私は待つだけです
何を待っているのかもわからぬまま
ただ待っている
それはしあわせではないのです
たとえじっと座していられるとしても


1905年04月08日(土)

新しく知り合った人たちに
在りのままの自分でありたいと思う
素直に自分を開きたいと思う
けれど失礼にならないようにとドギマギして
結局失敗ばかりしている
ちがうんだってば コレが私じゃないんです
そういう思いにかられて
また弁解がましい気持ちになってしまう
本当はこういう風に思ってのことなのに
うまく表現できなかった 
言葉足らずだった
アーアきっとこんなひとと思われてる
そう悲観的な気持ちになる

でも そんなに焦ることないよ そう思おう
これからもっともっと長く付き合うのだから
そのうちに分かってもらえる
誤解されずにいようと思うのは
結局よく見せようと思ってるのと同じこと 
だから失敗になる
ひとは誤解から始まって それが解けるときに
本当に心から繋がる
誤解を解く努力が 礼節になる
最悪の自分を見てもらったと思えば気が楽
あとはイイコトばかりになればいい

電話で話すのは苦手です
きっと 自分の未熟さをナマで伝えてしまうから


1905年04月07日(金)

何かに憑かれたように
部屋をどんどん片付ける
イラナイ イラナイ モウイラナイ
モウ コレマデ 
イツマデモ オカナイ
わたしは いったいどこへ行くのだろう
わたしの中 何が新しく始まるのだろう
心のどこかで
あなたとわたしの違い
確かめたいと思っている


1905年04月06日(木)

体の力は甦る 
蜜蜂に 木の実に ありがとう

大きく窓を開け放ち
身を乗り出してのぞきたい
どこかに向かって胸を張りたい
わたしはここよ
ここにわたしはいるからね と


1905年04月05日(水)

和らいでいる自分を発見する
考えてみたけれど思い当たることがなかった
少したって思い出した
今朝 電話口に思いもかけずあなたの声を聞きました
なぜかほっとする
挨拶と少しの伝言少しのお詫び
談笑ともいえぬ 数秒数分それだけのこと
忘れてしまうような日常の当たり前の通信
でも何か灯がのこる
それがあなたの柔らかさなんですね


1905年04月04日(火)

あちこち窓を開け放って寝てみる
涼しい風が抜けてゆく
閉ざされた部屋でなく
野の真ん中で寝ているような
岩棚の上に寝ているような
すぐ傍に天があると感じる

とても靜かな夜 もう深夜 いえそれ以降
朝は未だ 世界は寝静まっている
どこからも何の音も聞こえない
気配もない

四肢を放り出して眼を閉じる
死体になるってどんなだろう
浮遊感というけれど
地の底へ引き込まれるのかもしれない


1905年04月03日(月)

コノ セキヲ トメテクダサイ
コノ イノチ トメテクダサイ
ソウ ネガッテミタイキモスル


1905年04月02日(日)

白く優しげでも
鳥の羽毛は 天使の羽にはならない
儚さをもたないから


1905年04月01日(土)

HOTMAIL 
知らないわけではないでしょう
忘れたわけではないでしょう
決意の問題でしょう




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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