消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1904年12月31日(土)

中庸な色
曖昧な色
ナニといえない
決定できない
そういうのばかり

ココロに軟着陸する

海月のように


1904年12月30日(金)

人は人
わたしはわたし
でも
そのわたしだって 
人に感化されて変わってゆくのだから
定規を持ち出して
そんなに目くじら立てることない


1904年12月29日(木)

無口な
つんとすました
姿勢正しい
黙っている
お洒落

おしゃべりな 
はずんだ 
うたってる
おしゃれ

口笛とかハミングとか
たのしいおしゃれ


1904年12月28日(水)

幼稚園から聞こえるキーキー声
あの子はどうしてあんな声を出すんだろう
ヒステリックに何を思っているんだろう
誰に訴えているんだろう
頭が痛くなるほど甲高い声で叫んでいる
柵を越えて外に聞こえる
通るたびによく聞こえた
言葉のない猿のようだった
でも最近
高い音で囀る小鳥くらいになっているのに
気付いた


1904年12月27日(火)

わかったこと
「とりあえず」 というのを結論にできないひと ということ
だから時間がかかって 結局取りやめてしまう
もう少し 「とりあえず」 に寛容になろう

とりあえずバスケットに入れて 
止めないで 失敗を怖がらないで 
買ってみればいいのかも

結局失敗を怖れてるだけかもしれない
無駄買いだった という落胆も 前は一杯してた
いつからか臆病になった
無難にという金看板を見すぎて
個性的過ぎるだけのものを見すぎて

今自分を見失っている
自分の色がわからない
自分の香りがわからない

決断できない


1904年12月26日(月)

調和とか立場とか
周りから望まれることでなく
楽しんで着る服が一番似合うと思う
このところずっと似合わない服を着ていたかもしれない
それで気持ちが沈んできたかもしれない

前はもっと自由に着ていたのに
閃きで買えたのに
いつか周りを意識して
買いたいものにブレーキがかかって
選ばなくてはいけないもの を買ってきた気がする
それが今 気持ちを重くしているのかもしれない

今度 迷わずに買ってこよう
自分が楽しくなれる服
押し込め続けてきたかもしれない自分のカンカク
呼び戻そう
それがhappyのカギになるかもしれない


1904年12月25日(日)

この間 
それぞれの年代に応じて
それぞれのピンクを楽しんでいる人たちを見た
わたしもピンク系好きだけれど
あのピンクは選んだことなかった
憧れに近い色 
はっとした
選んでみればいいんだ
元気になるかもしれない
うきうきするかもしれない
ずいぶん自分の好みを抑えてきたかもしれない

何かココロの奥にぽっと灯った


1904年12月24日(土)

気に入る服が見つからない
欲しいものがない
探し疲れただけ
帰ってきて思ったのは
探すのも選ぶのも
落ち着いておだやかな
静かに癒す色で探してた
それで見つからなかった
それって何だろ
探し方を間違ってたかもしれない
本当の自分が欲しているのは別かもしれない
華のあるものかもしれない
元気をくれるものかもしれない
楽しくなるものかもしれない

クローゼットに同じような色ばかり残っている


1904年12月23日(金)

青の花はもういらない
菫色の夕暮も残らない

今 胸をしめつけるものがない
気づくのは香りだけ

好きな花は何ですか
イマ オモイツキマセン
好きな色は何色
イマ ワカリマセン

ココロの色が消えそう

ピンクのダイヤだけが優しい


1904年12月22日(木)

つまらない日だった
つまらなく時間が過ぎた
気に入る服を見つけられなかった
どれも似合わない気がした
靴だけ買った

好きな服がないと気分がさえない


1904年12月21日(水)

わかっているんです
あなたがいないということも
だれもいないということも
このじかん
わたしひとり もがいている
カーテンごしに ひざしのつよさにきづいても
まどをひらくゆうきをもてません
かぜがふきこむのがこわいのです


1904年12月20日(火)

公けへの発信を目的とする場所では
プライベートなことは書かない主義じゃなかったの?
くだらないお見舞いの挨拶メールがわんさと来るのを
一番嫌っていたのじゃなかったの?
まるで周りの反応をフルイにかけるように
個人情報を流すのは どうしたことでしょう
何か大きな心境の変化でしょうか
それとも貴方の目指すものが変わったのでしょうか


1904年12月19日(月)

独りずつぽつんと佇む
時おり会話がなされ また通り過ぎる
眺める景色もないそんな寂しいところ
訪れるに勇気のいる場所になってしまった


1904年12月18日(日)

庭がハニーサックルの香りに満ちている
アーチからたくさんの蔓が下がって
首飾りのように蕾が連なって
順々に色を変えながら開いている

花冠の
真下にいる


1904年12月17日(土)

ふと見かけた日記が気になって開いてみた
すっと納得できたのと
その人に対して 頑張ってねと思う気持ち とで
一気に全部(飛び飛び日記なのでそんなに多くない)
読ませてもらいました

勇気のことが書いてあった
祈りや心理学系のことも

久しぶりに八木重吉の本を読むような気持ちになった

その人に少しでも身体の平安が訪れますように
研ぎ澄まされた神経に 安心の眠りがおりますように


でも感じ方は微妙に違う 
わたしは しあわせは 
身体のまわりにふわりとまとうAIRのような感じです
手に掴めるようなものじゃなくて
ずっと握り締めていられるようなものじゃなくて
掴まえるとか逃すとかでもなくて
ただ ふわりとおりてくるような
気持ちや体を軽くしてくれるように感じたりあたたかく感じたり
眩しかったりほんのり虹色だったり
清しく透明だったり
わたしの存在そのものをくるんでくれるような
きっと羽衣でつくった赤ちゃんのおくるみのような
生まれたときの命の喜びを
命を讃えられたときの喜びを
そのまま思い出させてくれるような
そんなものなんです
AIRのような BARRIERのような
いつもあるとは限らない
いつも感じるとは限らない
でも失うものでもない
どこからくるのかは 知らない


1904年12月16日(金)

クレマチスがいろいろ咲いている
色も形も大きさも混ぜこぜで咲いている
溢れんばかりの満開という咲き方ではないけれど
少しずつとりどりに次々咲いてうれしい
どれも可愛い
その辺りに夢が漂っているようです
はっきり咲ききって 
まだ鮮やかな花弁がはらりと落ちるのが
きれいだと思う


1904年12月15日(木)

道を切り開くひと
道を造るひと
道を選ぶひと
あぁ 私は
ただ目の前にある道をそのまま歩いてきた
選ぶ道もなく


1904年12月14日(水)

大きな箱の中で大切に育て上げられた繊細なフルーツではなく
新鮮な野生の果実でありたいの
光も風も雨もいっぱい浴びて 輝いていたいの
誰にでも惜しげなく食べられていいの
少しの傷も平気 美味しさの証し
そして遠くの知らない土地で
種は又芽を出すの
根をはるの
きれいな実をつけるの


1904年12月13日(火)

やっぱりね
そう来ましたか
何かくるとは思っていたけれど
いつもと同じ調子の言葉でしたね
色んな調子の言葉が飛び交う場所
どれとどれが波長が合うのか分からなくなった

きっとそういうのに嫌気がさしたのでしょうね 彼女も
疲れたと言ったのでしょうね

どこにいても当たり前のことなのに


1904年12月12日(月)

私は聖母でも観音でもない
慈悲深い心など持ち合わせない
気の毒にと共感したり かわいそうにと同情したり
そんな普通の人間チックな感情をもつだけです

だからアナタがかかげる ウツ という病名に対して寛大ではない

働き盛りの日本男児のおじさんたちの鬱には同情します
自分ではどうにもできない板ばさみに
逃げ道を作れずにいる人たち
本当に気の毒だと思う
独り身なら逃げ道もあるだろうに
家族という大きなものを守らなくてはならないと思っているから
でも実際は家族によって救われている面もあることに
気付いていない人たちもいるけれど

でも 働きもしない若い人たちが
医学的な言葉を振りかざして自己擁護することに
嫌悪する

アナタ死ぬほど働きましたか
誰かを護っていますか
親に甘えているだけなんでしょう
自分のことすらしないで

繊細でキズツキヤスイの だから誰かかばってください
中世のオヒメサマでもそんな台詞は吐かないと思う
男といっしょに女も働く
女も武器を持って立ち上がる
そういう何かを護りたい熱意が人間の情だと思う

思うようにいかなくて って どれだけチャレンジしたのでしょうか
少しばかりへこんだからって 生きることは挫折の繰り返し
毎日美味しいエサにありつけるわけじゃないのが 生き物
自分に対しての甘えでしかないと思う

挫折に対して 乗り越えるのも耐えるのもじっと待つのも
世の中の皆が いえ生き物皆がしていること
その忍耐が少し足らないくらいで
医者だ薬だと大騒ぎして それを競い合うみたいに
並べ立てる
ナニヤッテンダ と自分で気付かない

ひとりで命を繋いでごらんよ
ひとの世話の中に生きているだけなのに
悩めるワタシは他の人より繊細で傷つきやすい とかナントカ思ってる

自分の命を自分で養うことが まず大人の第一歩なのに
第一義にそれを通過しなくてはいけないのに
周囲に甘えてるだけの人に 真の友情も恋愛もないでしょう
真剣に生きない人には 真剣に生きない人が寄るでしょうから
相手を心底支える気持ちがなければ 友情も結婚も続かない
自分を支えてもらうことしか頭にないなら
世の中から何も得られない
アイアワレム にしかならない

自立して独り暮らしでもしてみればいい
自分の命を生かすということだけにでもどれだけの労力がいるのか
くだらないバーチャルしてるヒマなんかあるはずない
真剣に生き始めたら 世の中の人間を見る目が変わると思うよ

アナタにこころをぶつけてくれている人と
耳に心地よい言葉だけをおいてゆく人と
自分を甘やかさなくなったら 見えてくると思うよ
生きるということはサバイバル

いやなら 消えていい
人知れず舞台を降りるのは一向かまわない
大人の自由意志を誰も止めはしない
周りのせいにする甘えを取り除かなければ 
いいことは何も生まれてこないと思うよ

本当に決めたなら確実な方法を選びなさいね
自殺騒ぎを繰り返す人は
単純に 甘えでしかないと思う
ひとの注目を集めたいだけ
周りの反応を確かめたいだけ
ちやほやしてもらいたいだけ
自分は周りに対して何も働きかけずにいて

辛いことの無い人なんていないのに
自分だけみたいに騒ぐのやめて
エレガントじゃありません


1904年12月11日(日)

指導者に必要とされるのは
知識でしょうか技術でしょうか体力でしょうか

コドモはエネルギーの塊だから
そのエネルギーに振り回されないだけの
知識や技術や体力を必要とする ように言われるけれど

私は 大切なのは「的」(マト)を示す力だと思う
大人以上の好奇心の塊である子どもは
熱中できる「的」を得さえすれば
黙々と集中してエネルギーを注ぎ込む

指導者に必要なのは その的を
子どもそれぞれに応じた的を示してやれることである
そしてその熱中に寄り添ってやれることである
そして熱中には必ず卒業の日がくることを
体験させてやれることである

いろんな熱中と卒業をたくさん経験して
子どもは人の気持ちが分かるようになるのだと思う

すべてのこどもを同じコトに熱中させようと
大人が企み そうできるのが指導者の力量と誤解し
互いに無意味なことを無理強いして破滅している

もっと子どもをよく見てください
子どもの話に耳を向けてみてください
子どもが的を欲しているのを読み取ってください
そして子どもそれぞれに的を示してください

熱中できる的を示し続けてくれた先生は
子どもの心にずっと輝いて生き続けているのを知ってください


1904年12月10日(土)

助言なら
的確な言葉を提して

言葉がみつからないなら
体温の伝わる傍にいて

あるいは遠く目に入る景色の中で
黙々と土に鍬をふるい
切り株を払い根をとり小石を除き続けて


1904年12月09日(金)

窓辺に座るのが怖くて
漠然と時が流れるのが不安で
ただ動き回っている

部屋の中を片付けてみたり
外を片付けてみたり
そこに意味はなく
ただ動き回っている

時間が止まるのが怖い
一心に見つめてしまうことが怖い
自分の価値を 意味を 見失うのが怖い
何もいらない と決断してしまうことが怖い

忙しそうにしている人を見るのが怖い


1904年12月08日(木)

お金の問題ではない という言葉があるけれど
お金によって綺麗に解決できる ことも多いと思う
正しく十二分な対価としてお金があるなら
それはきれいな形で消却していける場合もあると思う

お金の問題ではない という言葉の陰に
正しく十二分な という点での解決がなされていないだけだ
納得を得られる以上の対価 というものを 忘れているだけだ


1904年12月07日(水)

捨てたいものを捨てきれずに もがいているのです
自分の中に捨てたいものがある
そのことは分かっているのです
でもどれなのか何なのか何処にあるのか
分からなくて もがいているのです

分からないままでも 
忘れてしまう日がくればそれでいいのでしょうか
そんなことはない
消却処理が必要です


1904年12月06日(火)

レースのカーテンをふわりと押し上げて
滑り込んでくる優しい風
久しぶりに会えた気がする

本当は待っていたのに
待っていることを忘れていた
あなたの存在を忘れかけていた

口をへの字に結んで
窓を固く閉ざして
何を受け容れる気持ちにもならなかった

理由は聞かずただ優しく傍にいてくれるのに
ずっとあなたを遠ざけていた

ずい分長い間 
あなたとお茶を飲むのを忘れていたと
わかりました

よい季節が始まる気がする


1904年12月05日(月)

青の花
ありがとう ずっと私をささえてくれて
でももう卒業する
あなたなしでも大丈夫だと思えたから
頼らなくても 季節を迎えられると思うから
長い間ありがとう 
地面を新たにしようと思う
何日かかるかわからないけれど


1904年12月04日(日)

ごまかさないで
突然の連絡だなどと
何日か前から ちゃんと用意していたじゃないですか
人の行動には訳があるのだから
行動を見ていれば理由はわかるのに
言葉で誤魔化せると思わないでください


1904年12月03日(土)

何事も上手くいかない日というのがある
全て空回りで徒労で 占いが当たりすぎ

この前からよく当たる占いだと思っていたけれど
その占い師の店がとても近くにあるということを知って
占いというのは 地理的なパワーってあるのかもしれない
近くでやってる人のが一番当たるのではないかと思った次第


1904年12月02日(金)

人を許すことのできない苛立ちを
許そうと思えないことの苛立ちを
いつまで持たねばならないだろう
そう思いながらも許す気持ちにはなれなくて
誰の眼にもふれたくないと思う


1904年12月01日(木)

今日は寒いね といえない犬は
少し背中に雨粒をのせながら
寒そうに震えて
それでもいつもの場所に伏せようとする

ね 雨のかからない小屋へ戻ればいいのに




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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