2009年04月22日(水)  反抗期とぼやきのたま2歳8か月

2006年8月22日生まれの娘のたまは、今日で2歳8か月。保育園のお友だちやじいじばあばやテレビなど、あらゆるものを先生にぐんぐん吸収した日本語で、かなり高度なやりとりができるようになった。とくに切り返しがうまくなったというのが、この頃の進化。ギャフン(死語?)とわたしが言い負かされることがふえた。どこで覚えたのか、「やーだよー」と実にイヤ〜な感じで言うのが口癖になったので、「それやめようね。感じ悪いよ」と注意し続けてたら、「かんじわる〜い」が口癖に加わってしまった。

親に楯突く語彙が豊かになったのと同時に、微妙な「ぼやき」もうまくなった。たとえば、昨日の保育園からの帰り、大雨のなか無理矢理手を引きながら歩いていたときの会話。
わたし「ちゃんと歩きなさい。ほら、みんな歩いてるでしょ」
たま「あるいてないよ。じてんしゃだよ」
わたし「(うぐ!)……」
確かに、行き交う子供連れはレインコートにママチャリ。
たま「あーあ、たまちゃんもじてんしゃのりたいな」
わたし「……」
たま「ママとのれるやつ のりたいな。こどものかごがついたやつがいい。これはだめ」
などと歩道に停めてあるママチャリを見ながらブツブツ。さらに、
たま「どうして きょう たまちゃん ながぐつじゃないの?」
わたし「ごめんね。朝ニュースで天気予報見るの忘れたね」
たま「おかしいねえ。ちゅばさは みたのにね」
とイヤミが飛び出す。「つばさ」を見て天気予報をチェックしなかった母が悪うございました。

そして、帰宅してからの保育園ごっこでは、いつもは朝の登園の場面から始まるのに、「ニュースをみる」から始めるという念の入れよう。この先ずっとこの調子でやりこめられるのだろうか。知恵がつくというのは楽しみでもあり怖くもある。

「ペラペラとよくしゃべるのにまだおむつ」という子育て川柳を新聞で見たのは一年ほど前だったか。今はまさにそんな時期。保育園から持ち帰るおむつがゼロの日が続いた頃もあったのに、今は後退。でも、何度かに一度は事前にお知らせしてくれて、おむつの買い物は減った。トントン(おっぱい)は今月も卒業せず。無理にやめさせることもないかと思って気長につきあっているけれど、こんなに長くなるとは。ここまでわたしを必要としてくれるのは今だけかなあと思うと、親もなかなか卒乳できない。

あと4か月、8月22日で、たまは3歳。その誕生日と今井雅子の6本目の長編映画『ぼくとママの黄色い自転車』の公開日が重なった。作品もかわいいわが子、たいせつに育てていかないと。

今夜の子守話は、「あかくなった」シリーズ5連発。ピロートークというかわいい言葉を思い出し、子守話に「ピロピロ」とあだ名をつけた(小麦粉は「こなこな」、魚の骨は「ほねほね」などと繰り返すのがわが家流)。子守話だからピロートークではなくピローストーリー(pillow story)だろうか。たまは早速「ピロピロして」と使っている。先日の「あかいありんこ」の話が印象に残ったのか、「むしさん あかくなったのピロピロして」に始まり、いろんなものが赤くなるお話を次々とリクエストされた。

子守話60「むしさん あかくなったのおはなし」

あわてんぼの まっくろむしは ころんでばかり
すってんところんで ぬりたての あかいペンキのうえに ちゃくちした

まっかになった あわてんぼむしは
またまた すってんころりん ひっくりかえって
あかいせなかに くろいすなつぶひとつ ひっついた 

しばらくあるいて またまたすってんころりん
ころぶたびに せなかに くろいすなつぶが ひっついて
ななかいころんで あかいせなかに ななこのくろいてんてん
ななほしてんとうむしの できあがり

子守話61「ひよこさん あかくなったのおはなし」

たまちゃんが ケチャップのチューブをいきおいよくおしたら
ピュウッと ケチャップがとびだして
とんでいったさきは ひよこさんの きいろいはね。
ひゃ〜たすけて〜。
ひよこさんはびっくりして はねをバサバサ。
するとケチャップがとびちって からだじゅうがケチャップまみれ。
トマトのにおいの あかいひよこさんの できあがり。

子守話62「くまさん あかくなったのおはなし」

おおきなおおきななべで たまちゃんは
いちごジャムをぐつぐつと にました。
あまいものがだいすきなくまさんが 
いいにおいにさそわれて やってきて
たまちゃんがいなくなったところに こっそりつまみぐい。
あんまりおいしいので もうひとくち もうひとくちと
たべているうちに たいへん たまちゃんがもどってきました。
くまさんはあわててジャムのなべのなかにドボン!
なべをのぞきこんだたまちゃんは
「あれれ? ジャムがふえてる。おかしいな」
そのとき いきがくるしくなったくまさんが
ジャムのなかからかおをだし たまちゃんはびっくり。
「もう、くまさんあじのジャムなんか、たべられないよ!」
ジャムのあかいいろにそまったくまさんは 
たまちゃんにこっぴどくしかられました。そして おわびに 
あたらしいジャムをつくるいちごをつみにでかけました。
あかいろのくまさんは おおきなおばけいちごみたい。
みつばちがあつまってきて 
くまさんにくっついたジャムをたべようとするので
くまさんは からだじゅうを はちにさされてしまいました。
もうにどと つまみぐいはしないぞと 
くまさんはべそをかきながらちかいました。

子守話63「ちょうちょさん あかくなったのおはなし」

ちょうちょさんの しろいはねが あかくなったのはどうしてかな
あかいはなびらが しろいはねのうえに まいおりたからかな
それとも あかいはなのみつをのんで しろがあかにそまったのかな
それとも すてきなちょうちょにこいをして はじらったからかな

子守話64 「ぞうさん あかくなったのおはなし」

いじわるなおうさまが おしろでかっている ぞうがいました。
おしろのにわは ひろびろとしていましたが
ぞうはなかまがいなくて ひとりぼっちで まいにち ないていました。
「おうさま どうか おしろのそとに だしてください」
ぞうは おうさまにおねがいしましたが
おうさまは おおきなぞうを おきゃくさんにじまんしたいので
ぞうを てばなしたくありませんでした。
「だめだ だめだ」
「どうしても だめでしょうか」
「そこまでいうなら おまえがあかいぞうになったら じゆうにしてやろう」
ぞうがあかくなるなんて ぜったいにむりだとおもって
おうさまは むりなちゅうもんをしたのです。ところが ぞうは
「じゃあ きょうのゆうがた もういちどおこしください
 あかいぞうに なってみせます」
ときっぱりと いってのけました。
そのひのゆうがた おうさまが にわにやってくると
そこには まっかなぞうがいました。
そのうしろには おおくて まっかな ゆうひがありました。
ぞうのからだは ゆうやけいろにそまって あかくなっていたのです。
おうさまは やくそくどおり ぞうをおしろのそとにだしてやりました。
ぞうはよどおしあるきつづけ あさがきて ひるになってもあるきつづけ
まるいちにちかかって なかまのぞうがいるのはらにたどりつきました。
ちょうど ゆうひがおちてくるじかんで
たくさんの あかいぞうが はなをふりまわして 
よくきたねと かんげいしてくれました。

2008年04月22日(火)  シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ! 
2007年04月22日(日)  植物は記憶のスイッチ
2002年04月22日(月)  ワープロ


2009年04月21日(火)  魔の二歳児の阿呆踊りと「アフォーダンス」

4月16日の読売夕刊で「アフォーダンス」という言葉を知った。乳幼児が周囲の環境を利用しながら成長する過程を環境の側からとらえる試みが紹介されていて、たとえば「赤ちゃんがタンスでつかまり立ちできるようになる」を、「タンスは赤ちゃんに対してどのような役割を果たしているか」と検証する。このとき、タンスにつかまることによって赤ちゃんが立てたことを、「タンスのアフォーダンス」と呼ぶ。

アフォーダンスは「〜するチカラがある」を意味するaffordから派生した言葉(綴りはaffordance?)で、「人間などの動物に、何らかの動作を可能にさせる環境的な要素のこと」と記事では定義されていたが、手頃なネーミングはないものか。ダンス(箪笥)に引っかけて、「動作引き出し」はどうだろう。

子育てにおいては見方を変えると気が楽になることが多いが、子どもの動きをモノ側からとらえてみるという発想の転換は、知的好奇心も刺激してくれる。もう少し早く知っていれば、寝返りやハイハイができるようになるまでを観察する楽しみがふえたのにと残念だけど、今からでもアフォーダンス的視点を取り入れてみよう。

わが家の魔の二歳児娘は、このところ床掃除用のコロコロローラーがお気に入りで、長い柄を如意棒のごとく振り回して物をなぎ倒したり、壁をドラムにしたり、注意した親にも襲いかかったりと、手のつけられない孫悟空になっている。ベッドの下に隠しても、いつの間にか見つけ出し、また振り回す。これもアフォーダンス的視点でとらえれば、柄つきローラーの存在が「握る」「振り回す」「叩く(奏でる?)」「攻撃する」「隠されたことに気づく」「探す」「ベッドの下をのぞきこむ」「手を伸ばす」「取り戻す」といった動作を引き出していることになる。「悪知恵を働かせる」という困った成長もアフォーダンスの賜物。そう考えると、迷惑千万な孫悟空阿呆ダンス(踊り)も少しはありがたくなる……気がする。

話はちょっとそれて、テレビのニュースや新聞でも騒がれている「一夜にして有名になった普通のおばさん」スーザン・ボイルさんの出演映像をYouTubeで観た。「垢抜けない」風貌であるという先入観以上の冴えないおばさん(第一印象はおじさんのようでもある)がタレント発掘番組に登場。見た目も受け答えもショービジネスの世界から最も遠いところにいるような彼女から放たれる天使のような歌声のギャップに、冷ややかだった観客や審査員が心底驚き、身を乗り出して行く。5分強の間に大どんでん返しを見せてくれるシンデレラストーリー。選んだ曲が「I DREAMED A DREAM」(夢破れて)というのも出来過ぎ。どんな名脚本と名女優の組み合わせも実話にはかなわないなあとしみじみ感心するとともに、歌のチカラも再確認。朝ドラ「だんだん」の「いのちの歌」も、「みんなのうた」の「あなたがすき」(大地真央さんの声がまた良い!)も、流れてくるだけで涙腺が緩む。年を取ると涙もろくなるというのはほんとで、心の共鳴装置のスイッチがすぐ入ってしまう。

2008年04月21日(月)  マタニティオレンジ271 本を破った。はじめてぶった。
2007年04月21日(土)  マタニティオレンジ109 ご近所仲間とたま8/12才
2002年04月21日(日)  貧しい昼食


2009年04月20日(月)  日本°語で言葉°遊ぴ

脚本デビュー映画『パコダテ人』に登場する「函館スクープ」の記事を公開しているページが「いまいまさこカフェ」サイト更新時のミスで隠れレページになっていた。早速リンクを貼り直し、ついでにページのデザインもリニューアル。〈トップページ〉→〈 words〉→ 〈函館スクープ〉へどうぞ。このところ玄関からカフェを訪問するお客さんが減っているので、その宣伝も兼ねて。

デビュー作に作者の色がよく現れるというのは確かにそう思う。脚本家デビューのきっかけをつかんだオーディオドラマ『雪だるまの詩』はわたしがずっと考えて来た「生きるって何?」の答えだし、映画デビュー作の『パコダテ人』は「個性って何?」というこれまた大きな関心を寄せるテーマに、大好きなファッションと言葉遊びを組み合わせた。ハヒフヘホ・バビブベボをパピプペポに変換するパコダテ語の力の抜けた字面と響きには、楽しいことはより楽しく、憂鬱や悩みは吹き飛ばす明るさと軽やかさがある。角度を表す「°」マークを漢字と組み合わせて、「母°の日°」「恥°ずかしい」などと遊んだのが懐かしい。「°」の有無で響きや意味や雰囲気ががらりと変わる日本語って、やっぱり遊びの天才だ。

ちょうど4/19付けの読売夕刊に『あいうえおパラダイス「ら」 らったらった らくだのらっぱ』。という絵本が紹介されていた。ら行の言葉だけを使った物語シリーズの9巻目で、「あ」行編にはじまり「か」「さ」「た」「な」「は」「ま」「や」行編もあるらしい。調べてみると、それぞれ「ら」「り」「る」「れ」「ろ」がつく言葉で書かれた5つの話が納められているとのこと。こういうことを思いついて9巻も作ってしまった作者・二宮由紀子さんの発想とパワーに、本を手に取る前から拍手。評者ひこ・田中さんは「『無茶な展開するなあ』と笑いながら読んでみて。言葉が愛おしくなってきますよ」と紹介。不自由なルールを設けると、制約の中で自由自在に動けるしなやかさを見せ、「そんなこともできるのか」とアクロバティックな潜在能力を見せてくれる点でも日本語は天才。

わたしもならって、「あ」ではじまる言葉で今夜の子守話を作ってみようと思い立つ。すべての単語を「あ」はじまりにするのは難しく(「あまいわな」など)、「あ」ではじまる文節止まりとなった。「アラブ」と「あぶら」がきょうだいみたいに似た言葉なのが、子どもの頃から不思議だった。

子守話58 あかいろのありんこたち

あまいかおりの あかいあめだま
あれは あくまがしかけた あまいわな
あわてんぼの ありんこたちが あつまってきて
あやしむまもなく あめだまに ありついた

あれあれ あらら あわわ あーめん 
あわてて あわくって あばれて あきらめて
あっというまに ありんこたちは あくまになった

あめだまみたいな あかいろの ありんこたち
あわれ あくまになった ありんこたち

子守話59  アラブのあぶらうり

アラブのあぶらうりが 
あらしのうみこえ あらわれたのは あるいなかまち
あらあら あきれた あぶらうり 
あさからばんまで あっちこっちへ あそびあるいて
あれじゃあ あきない あがったり
あれがほんとの あぶらうり

2008年04月20日(日)  団体新婚旅行in熱海2日目
2007年04月20日(金)  マタニティオレンジ108 助産院で赤ちゃん同窓会 
2005年04月20日(水)  東京ハートブレイカーズ公演『黒くやれ』
2002年04月20日(土)  16年ぶりの再会


2009年04月19日(日)  お菓子なカップと「天使の卵」ネックレス

会ったことはないけれど、ダンナの知り合いという縁で福岡から応援してくださっているタケちゃんから楽しい贈りものをいただく。サイト「いまいまさこカフェ」にあまいもの好きで雑貨好きなわたしの好みが色濃く出ているせいか、初対面でも「こういうものお好きですよね?」と言い当てられることが多いのだけど、今回のタケちゃんセレクト雑貨は、「ケーキがマグカップになっている」という最強な組み合わせ。ひっくり返すとケーキの形だけど、飲むときはイチゴがカップの足になって立つというデザイン。

chocolat fraises(ネットで調べると「DECOLE chocolat fraises」と記されていることが多いのだけど、DECOLEのサイトには見当たらず)というシリーズのstrawberry cake mugcupという商品で、色違いのモカとストロベリー。さらにpudding cup&saucerもつけていただき、親子3人家族のティータイムに打ってつけ。わたし以上に興奮したのが2歳児娘のたまで、「すごーい。さかだちするとケーキだよ。たまちゃんはプリンね」と大喜び。

さらに、もうひとつ、「天使の卵」のネックレスをいただく。映画『天使の卵』の原作には同名のピアスが登場する。タケちゃんが店員さんに「『天使の卵』の脚本の人にあげるんです」と話したら、わたしの名前を知っていたそう。卵に羽根が生えたデザインで、朝ドラ「つばさ」を観てくれているタケちゃんは、「『つばさ』も生えていて、完璧ですね」。

【お知らせ】明日からの「つばさ」第4週は「つばさよ、あれが恋の灯だ」

周波数が見つかり、ラジオの仕事は開局に向けて加速。「川越演奏所」あらため真瀬が考えた新しい名前は「リトル・オールド・トーキョー・ウェーブ」。この名前を気に入って口ずさむ真瀬がキュート。この長ったらしい名前の反省が「ラジオぽてと」というシンプルなネーミングに落ち着くのは5週のこと。

そして、タイトルにもある翔太との「恋」も急進展。恋のときめきは隠せなくて、先っぽに出てしまうもの。この週を観れば、三十路終盤のわたしも二十歳の頃の恋を思い出し、「マスカラぐらいつけますから」(>>>2009年03月21日(土)の日記)な気分に。日本の先っぽキラキラ人口がふえますように。

今週の注目アイテムはイルミネーション。季節はクリスマス。恋の灯に彩られる川越は、ため息ものの美しさ。恋するつばさのうるうるの瞳には、ロマンティック度倍増といったところ。

1〜3週を演出したチーフディレクターの西谷真一さんに続いて、4週、5週は大橋守さんが演出。茶の間のテーブルの角度が変わったり、こだわるポイントに個性が見えたり、演出の違いを楽しむのも面白いかも。

連続テレビ小説「つばさ」(月)〜(土)放送中
【放 送】総合・デジタル総合 8:15〜8:30
     デジタル衛星ハイビジョン 7:30〜7:45
     衛星第2 7:45〜8:00
【再放送】総合・デジタル総合 12:45〜13:00
     衛星第2 19:30〜19:45 (土)9:30〜11:00(一週間分)


NHKさいたま放送局FM番組「さいたま情報ランチ」では毎週月曜「今週の『つばさ』〜ここでしか聞けない“見どころ紹介”〜」と「『つばさ』のまち便り」を発信。サイトでも聴けるのでぜひ。

2008年04月19日(土)  団体新婚旅行in熱海1日目
2007年04月19日(木)  焼きたてのパンのにおい
2005年04月19日(火)  ありがとうの映画『村の写真集』
2002年04月19日(金)  金一封ならぬ金1g


2009年04月18日(土)  親しき仲こそ言ってはいけないこと

何気ない一言で、すうっと気持ちの底が冷えて、目の前の相手が一気にすごく遠い人のように感じる瞬間がある。今日、ひさしぶりにそれを味わった。

長年つきあっている気の置けない相手に、機嫌良く鼻歌なのか冗談なのかを発声していたら、不意打ちのように「君は声が悪いね」と言われ、面食らった。喧嘩の勢いなら憎まれ口だとわかるし、冗談を言い合っていてつい口が滑ったとしても、まだ理解できる。「私、歌手になろうっかな」「無理だよ。声が悪いもん」なら悔しくても納得はできる。だけど、いきなり真顔で冷静に告げられると、聞き流せない重みを帯びてくる。

何十年も聞かせてきたこの声をそんな風に思ってたのかというショックを受け、昔は心地よかった声が今は不快になったのだろうかと訝り、それはわたしへの気持ちを反映させているのかと悲しくなり、いじけ、口をきく気がなくなってしまった。深い意味がないのだとしたら思いやりがなさすぎるけど、意図があるとしたら、もっと怖い。

以前にも耳を疑う言葉が飛んで来て、ひどく傷つけられたことがあり、気持ちを鎮めるために日記に書いた(>>>2007年06月12日(火) 想像力という酵母が働くとき)。今日の何倍も胸に刺さる言葉で、今でもその7文字を思い出すと苦しくなるが、そのときも「どうしてこんなこと言うの?」とは聞けなかった。

応援する気になれない芸能人のことを「あいつは声が悪い」と言うことはあっても、友人や同僚に面と向かっては言わないだろう。以前、職場の上司が部下の彼女の写真を見て、開口一番「鼻が大きいね」と言ってのけたとき、周囲は一同あ然としたけど、きっとそんな反応が返ってくるはずだ。関係を壊したくないというブレーキが働けばそういう不用意なことはしないはずだけど、何をやっても許されるとたかをくくっている相手にはやってしまえるということだろうか。気の置けない相手だからこそ言ってはいけないことがあるとわたしは思うし、恋人であれ親友であれ家族であれ一生つきあっていきたい相手であるほど、治しようのないものを悪く言わないように気をつけている。その人の一部であるものを否定するということは、一緒にいたくない意思表示に聞こえる危険がある。実際そんな風に今日は聞こえて、こたえた。

【お知らせ】『鴨川ホルモー』4/18公開

試写の感想を以前の日記で紹介(>>>2009年02月04日(水) 映画になった『鴨川ホルモー』)したけど、あらためて。今井雅子と何かとご縁のある映画『鴨川ホルモー』がいよいよ4/18公開。

監督は脚本協力した『犬と私の10の約束』の本木克英さん、松竹のプロデューサーは4本目の映画『子ぎつねヘレン』でお世話になった矢島孝さんと、企画開発で本作りをご一緒したことのある野地千秋さん。さらに主役の安倍明役は3本目の映画『ジェニファ 涙石の恋』主演・荒木隆志役の山田孝之さん。安倍とあやしげなサークル青竜会に同期入部する三好ブラザーズの兄役に初の連ドラ『快感職人』で橘隼人役だった斉藤祥太さん。5本目の映画『天使の卵』で美術教師役だった甲本雅裕さんも出演。さらに舞台はわたしが学生時代を過ごした京都で、原作(万城目学)も大好き……という贔屓を差し引いても、十分楽しめる痛快青春映画。ぜひ!

余談だけれど、マキメって珍しい名字だなあと思っていたら、今読んでいる『シネマ大吟醸』(太田和彦)に万城目正という名前を発見、佐々木康監督の『純情二重奏』の作曲、同監督の『蛍の光』の作曲指導とある。「リンゴの唄」「東京キッド」もこの人が作曲。こちらは「マンジョウメ」と読むらしい。

2008年04月18日(金)  マタニティオレンジ270 おやつでごきげん延長保育
2007年04月18日(水)  マタニティオレンジ107 子どもの世界の中心でいられる時間 
2005年04月18日(月)  日比谷界隈お散歩コース


2009年04月17日(金)  2歳児の「ない」という感覚

昨日の夜、娘のたまが突然「かえる」と言い出した。「どこに帰るの?」と聞くと、「しゅがも」と言う。巣鴨のじいじばあばの家が、たまにとっては帰る先らしい。早速電話して報告したら、「まあうれしいわね」とダンナ母は大喜び。ぐずってだだをこねた勢いではなく、落ち着いているときの発言で、母としてはフクザツではあるが、それだけじいじばあばになついてくれているのはありがたい。

二つの家を持つたまは「これはしゅがもにもあるよ」「これはしゅがもにはないよ」とうちと実家(?)を比べる。少し前までは「おんなじおんなじ」を見つけて喜んでいたが、そこから少し進歩して、「ある・ない」の比較をするようになった。先月までは「たまちゃんおちんちんあるよ」と言っていたが、今は「ない」とわかっている。今週は保育園の先生に「たまちゃん おっぱいないよ。おまめなの」と言ったとか。迷言連発でたま語収穫も大忙し。

たまの「ない」発言にヒントを得て、子守話を二つ。

ひとつめは、「ゆきねずみがいない」話。先日、カレンダーのイラストの雪だるまを二人で見ていたら、「ゆききりんがいるんだよ」とたまが言い出し、「ゆきことりもゆきしまうまもゆきうさぎもゆきらいおんもいるの」と続けた。「じゃあ雪ねずみはいるの?」と聞いたら、「ゆきねずみはいないの」ときっぱり言う。どうしてなのかは教えてくれないけれど、何が何でもいないらしい。なので、ゆきねずみがいない理由を考えてみた。
子守話56 きえたゆきねずみ

ゆきがたくさんふって つもった そのよるのこと。
のはらのまんなかに どうぶつたちがあつまりました。
おおきなからだの ゆききりん ゆきらいおん ゆきしまうま。
ちいさなからだの ゆきうさぎ ゆきねずみ ゆきことり。
こどもたちが ゆきをかためてつくったどうぶつたちが
こどもたちが ねしずまったあとに うごきだしたのです。

どうぶつたちは おいかけっこをしたり かくれんぼをしたり
おもいっきり からだをうごかして あそびました。
よるがあけて おひさまがのぼってきました。
「ひかげにかくれないと ゆきがとけて からだがなくなってしまうよ」
とあたまのいい ゆきうさぎがいいました。
「それはたいへん。いそいでひかげにいこう」とゆききりん。
「さあ ちいさなみなさんは ぼくたちのせなかにのりなさい」とゆきらいおん。
そこで ゆきうさぎは ゆきらいおんのせなかに
ゆきことりは ゆききりんのせなかに ちょこんとのっかりました。
「さあさあ はやく ゆきねずみさんも」とゆきしまうまがいいましたが
「いやだ。もうすこしあそんでいく」とゆきねずみ。
「そんなことしたら とけてしまうよ。
 ひかげでやすんで よるになったらまたあそべばいいじゃないか」
とゆきうさぎがいいましたが、ゆきねずみは
「たいようなんか こわくないよ」といって、うごこうとしません。
しかたがないので ゆきねずみをのこして みんなはひかげににげていきました。

のこったゆきねずみはどうなったかって?
あくるよる ゆきうさぎたちがのはらにやってくると
まっくろなこいしがふたつ おちていました。
ゆきがとけて ゆきねずみのめだまだけがのこっていたのでした。

二つめは、「9がない」話。たまが「1、2、3、4、5、6、7、8、10」と「9」を飛ばしたのを聞いて、「あれ、9がないよ」と言うと、「いいの。9はないの」とこれまた言い張った(強情なところはわたしに似ている)。「9がないと困るんじゃないの? だってたまの好きなアレがなくなっちゃうよ」というところから子守話が生まれた。
子守話57 9のないせかい

あるひ こわいまじょが そらとぶほうきにのってとんできて 
たまちゃんにいいました。
「0から9のあいだで ひとつだけすうじをもらっていく。
 どのすうじにしようかね?」
たまちゃんは うーんとかんがえました。
できればひとつもなくなってほしくありませんが
どうしてもひとつだけというなら 
なくなっても いちばんこまらないすうじにしよう。

たまちゃんは2さい。
0さいのときのおもいでも 1さいのときのおもいでもたいせつなので
0から2のすうじがなくなっては こまります。
3じのおやつがなくなるのも こまります。
たまちゃんのおうちは4かいだから
4がなくなっても こまります。
たまちゃんがすんでいるのは5ちょうめだから
5がなくなっても こまります。
7はママのすきなすうじなので 
なくなるとママのきげんがわるくなって こまります。
たまちゃんは8がつうまれなので 8がなくなるのもこまります。
のこったのは 6と9です。
たまちゃんは あと4ねんで6さいになるので
6か9なら 9がなくなったほうが こまらなさそうです。

「どうしても ひとつだけ すうじをもらっていくんだったら
 9にしてください」
とたまちゃんは まじょにいいました。
「9をもらっていいのかい? あたしのだいすきなすうじだよ。
 だって あたしのながいまがったはなに よくにたかたちだからね」
まじょはおおよろこびして
「ほんとうにいいんだね」とねんをおしました。
たまちゃんは「はい。しかたないです」といいました。

まじょがおまじないをとなえ そらとぶほうきをひとふりすると
せかいから すうじの9がきえました。
とけいから9じがきえ カレンダーから9がつがきえ
エレベーターから9かいがきえました。
9のないせかいは やっぱりへんでした。
9がつうまれのおともだちや 9かいにすんでいるおともだちに
わるいことしちゃったなと たまちゃんはおもいました。
もしかしたら「どんなすうじもあげない」といいはれば
まじょはあきらめてくれたかもしれません。

そして もっとこまったことになりました。
たまちゃんがだいすきなおみせ「ショップ99」もきえてしまったのです。
「ああ 6にしとけばよかった」とたまちゃんはためいきをつきました。

2008年04月17日(木)  『パコダテ人』の縁でバンタンと再会 
2007年04月17日(火)  作詞をしませんか
2005年04月17日(日)  ティッシュちりぢり映画『コーラス』


2009年04月16日(木)  ニュープリントで『むかしの歌』(1939年製作)

一昨日『絹代の初戀』を観た「昭和の原風景」特集を上映中の神保町シアターへ再び足を運び、石田民三監督の『むかしの歌』を観る。映画と鉄道を愛するご近所仲間のT氏がこの映画特集のチラシを送ってくれたのだが、添えられたポストイットに「なんと、あの『むかしの歌』を観られる! しかもニュープリントで!」という興奮した走り書きがあった。あの『むかしの歌』と言われましても……と同じくT氏より課題図書として進呈された『シネマ大吟醸』(「魅惑のニッポン古典映画たち」と副題)を紐解く。著者の太田和彦氏が紹介作品のおすすめ度を銚子2本の「大吟醸」、1本の「吟醸」、無印の3段階で表しているのだが、『むかしの歌』には銚子2本のお墨付き。「これほど深々と日本的情感を端麗に描いた映画はなかった」と大絶賛。ならばいただいちゃいましょう、大吟醸。

さすがニュープリント! 一昨日の雨ザーザー(>>>2009年04月14日(火) シネマ大吟醸!神保町シアターで『絹代の初戀』)とは大違いの美しさ。ところでニュープリントとは、映画のネガフィルムから新たに上映用フィルムを現像すること。焼き直しというとリメイクみたいなので焼き増しといったほうがいいだろうか。半年ほど前、松竹のプロデューサーの榎望氏に「映画の0号、初号ってどういうことか、ちゃんと教えてください」と問い合わせ、「そんなことも知らなかったの?」と呆れられながら説明してもらったのだが、「完成して、このネガでいいねってのを焼いたのが初号」「初号に至る前にいったん焼いたのを手直しするので、それが0号と呼ばれる」ことを知った。「じゃあ2号、3号……と何号まであるんですか?」と聞いたら、「初号からさらに直したら2号になる」「オッケーとなった初号の原板をもとに上映用のフィルムを焼く。写真の現像と同じ。子ぎつねヘレンみたいに250館なら250本焼くけど、それをいちいち250号のようには呼ばない」とのことだった。というわけで、時が経って上映用フィルムが劣化した作品をニュープリントで観られるのは、映画におけるアンチエイジングのようなもの? でも、ネガフィルムは時を経ても劣化しないのだろうか。

『むかしの歌』は1939年制作。オープニングで年号が出なかった気がする。ちなみに一昨日『絹代の戀』(1940年製作)でわたしが観たと記憶した「1947」は見間違いではなく、昨日観に行ったT氏が確認。「戦後再上映したときの年号では」とのこと。スタッフロールでは「監督」ではなく「演出 石田民三」。「演出助手」に市川崑の名があるが、今なら「助監督」なのだろう。キャストは「配役」。『絹代の戀』の「役と人」のほうが古風な表現に感じる。

せっかくのニュープリントだというのにメガネを忘れてきたので、ただでさえ暗い白黒の画面がぼんやりとにじんで水墨画のよう。アップでないと表情がわからないという困った事態になったが、それも慣れてくると空白を埋めながら観るようになった。

舞台も1939年頃だと思って観ていたら「西郷さん」が出て来たりして面食らう。設定は明治10年。こうなると、映る町の風景はノスタルジーを感じるよりも時代劇となるが、大阪弁の軽妙なやりとりは古さを感じさせず、むしろ70年前とは思えないほど新鮮。原作・脚本の森本薫氏について調べてみると、『女の一生』『華々しき一族』(※『華麗なる一族』とは別物)などの代表作がある劇作家、演出家、翻訳家。京都帝国大学文学部を1937年に卒業する前から作品を発表しており、早くから才能を花開かせたが、肺結核のため34歳で亡くなっている。

親が言い出した許嫁という勝ち気な船問屋の娘・お澪(花井蘭子)と油問屋の珊次(藤尾純)の関係が面白い。お澪に振り回され、困った顔しながらもうれしそうな珊次。だけどなぜか情けないヤツに見えない。下着は自分で洗うような一本筋の通ったところがあるせいか。あるいは、お澪をありのままに受け入れている懐の大きさのせいか。自分が何を言っても耳を貸さず、一人で決めてしまうお澪の性格をわかって見守っている。手を離したら飛んで行きそうな風船の紐の端を握ってやり、お澪を安心して飛び回らせているようなところ(女にとっては、これはラク!)が、好ましい。

お澪と珊次が行きがかり上拾ったお篠(山根寿子)をお澪は妹のように可愛がるが、実は彼女は生き別れた生みの母の娘で、本当の姉妹だった。それを知ったお澪はお篠を遠ざけて棚次のところに預かってもらう。その後船問屋が没落、お澪は珊次との縁談を諦め、芸者の道を選ぶ。引き止めようとする珊次の前で精一杯強がるお澪がいじらしい。

お澪と産みの母は映画の中で二度対面する。一度目は棚次に「会わせたい人がいる」と案内され、家を訪ねたとき。二度目はお澪が芸者になるために家を出て行くとき。どちらも言葉を交わさず、交わす目線だけで母娘の心の揺れが表現されるのだけど、二つの場面の緊張感を焼き付けたところに、わたしはこの作品の価値を感じた。

90席の客席はほぼ満席。上映後、観客の一人から拍手が起こり、他に応じる人がいなくて尻すぼみになってしまったが、いいもの見たという満足感が劇場内に満ち、初老の女性二人連れが「女優さんたちがほんとおきれいでしたね」と心から惚れ惚れと言いながら出口へ向かっていた。着物の似合う細面の日本美人はわたしの好みの顔ではないけれど、昔の映画にはしっくりなじむ。

『むかしの歌』は4月17日(金)17:15がラスト上映。「昭和の原風景」特集上映は5月8日(金)まで。4月18日(土)〜24日(金)の一週間は「はたらく人たち」と題して、以下の7本を上映。
『おかあさん』と『小原庄助さん』は是非観てみたい。いずれも銚子2本の「大吟醸」。

「はたらく一家」 監督:成瀬巳喜男 昭和14年 東宝東京/白黒
「秀子の車掌さん」 監督:成瀬巳喜男 昭和16年 南旺映画/白黒
「おかあさん」 監督:成瀬巳喜男 昭和27年 新東宝/白黒
「蜂の巣の子供たち」 監督:清水宏 昭和23年 蜂の巣映画部/白黒
「小原庄助さん」 監督:清水宏 昭和24年 新東宝/白黒 16mm
「花籠の歌」 監督:五所平之助 昭和12年 松竹大船/白黒
「恋化粧」 監督:本多猪四郎 昭和30年 東宝/白黒

2008年04月16日(水)  マタニティオレンジ269 『およげ! たいやきくん』作曲家が贈る新しい童謡
2007年04月16日(月)  祖師ヶ谷大蔵で小さな旅
2005年04月16日(土)  オーディオドラマ『アクアリウムの夜』再放送中
2002年04月16日(火)  イカすでしょ。『パコダテ人』英語字幕


2009年04月15日(水)  カラーコーンで「なーになに」ごっこ

娘のたまが通う保育園までは大人の足で歩いて7分。いつもぎりぎりのお迎えで、走ると5分。ところが娘を連れて歩くと、15分でもきかない。なるべく自分の足で歩かせたいのだけど、定番の「だっこ」「おんぶ」「ベビーカーのる」に加えて、「じてんしゃのりたいよう」とだだをこねるようになった。道の真ん中で立ち止まったり、引き返したり、横道に入って行ったり、それをなだめては歩かせるの繰り返し。だっこしたほうが早いとは思うけれど、13キロの重さを持ち上げるよりは、なだめすかそうと思ってしまう。

先日、苦し紛れに前方を指差し、「あれ何だろ? 見に行こっか? なーになに?」と手を引くと、2歳児の無邪気な好奇心ですっかり乗せられて、「なーになに」と駆け出してくれ、大成功。そこにあるのは、ただの電柱だったり鉢植えだったりするのだが、「おや、たばこに足が生えて歩いてるね。歩きたばこ禁止だって」とステッカーを絵本風に読み解いたり、「たまちゃんのお花どれ? ママはこれにしよう」と品定めしたりして、遊びに持ち込む。いちばん喜んだのは、通行止めに使うとんがり帽子みたいなもの。たしか映画『トイストーリー2』で、逃げたおもちゃたちがこれをかぶって道路を渡っているお茶目なシーンがあった。「これはなにかな? アイスクリームかな?」「ぼうしだよ」「ツノかもしれないよ」と二人で首を傾げあい、笑いあった。

アンテナを張っていると引っかかるもので、同じものが保育園の庭にもあることを発見。色が黄色で、「これはバナナかな?」と保育士さん。さらに、買い物袋に入れて歩いている人を発見。お店で買えるという発想はなかった。その人が出て来た日曜大工店に入り、商品として積み重ねられているのを確認。「カラーコーン 498円」と札があった。color cone=色円錐?

想像力を使う遊びは大人も子どもも一緒に楽しめるのがいい。子どもに合わせて手加減する必要もなく、むしろ打ち負かされたりして痛快。たまは好物のせんべいをかじりながら、刻々と変化する形に「チューリップ」などと的確なネーミングをする。チューリップがおむつになり、おむつのゴムがゆるゆるビヨーンになり、おほしさまになり、最後はなくなる。

目に入るものすべてが遊びの対象になる「なーになに」ごっこをしていて、コピーライターとして最初に配属されたクリエイティブチームで同じ遊びが流行っていたことを思い出した。ハンガーやら肩もみ棒を手渡された人が瞬間芸で使い方を披露するというもの。ハンガーを投げる真似して「ブーメラン」、肩もみ棒(釣り針みたいな形のもの)を股にはさんで「Tバック」とか。打ち合わせ中に先輩や上司が夢中になってやっていて、入社したばかりのわたしは、仕事と遊びの境目がない職場の雰囲気にびっくりしつつもすぐに好きになった。映画やドラマの打ち合わせも雑談から入るし、「遊びのなかに発見、ひらめきがある」ということを日々感じる。アイデアの花が開くためには豊かな遊びの土壌が必要で、子どもの頃から家族や友だちとたくさん遊んで、会社員時代も遊んだことがわたしの栄養源になっている気がする。だから、自分の娘にも、何かを与えるよりも一緒に遊ぶことを大切にしたいと思う。

子守話55 なーになに

なーになに 
みちばたに あかいのっぽの さんかく

だれかのとんがりぼうしかな
うさぎさんのぼうしだったら おおきすぎる
ぞうさんのぼうしだったら ちいさすぎる
うまさんのぼうしだったら ちょうどいいかな

それともこれは アイスクリームのいれものかな
こんなにおおきなアイスクリームをたべるのは ぞうさんかな

それともこれは ゆびわをたてるものかな
こんなにおおきなゆびわをするのは だれかな
てんしのわっかかもしれないね

それともこれは つのかな
いっかくじゅうのおとしものか おにのつののかたっぽか
あかおにさんは つのまで あかいのかな

つのじゃなくて きばかもしれない
おにか おばけか きょうりゅうか
きばをおとしたら こわくなくなっているかな

なーになに
みちばたに あかいのっぽの さんかく

2008年04月15日(火)  焼きたてのバナナマフィン
2007年04月15日(日)  鎌倉で大人の休日
2005年04月15日(金)  トンマズィーノでアウグーリ!
2002年04月15日(月)  イタリアンランチ


2009年04月14日(火)  シネマ大吟醸!神保町シアターで『絹代の初戀』(1940年製作)

先日のご近所仲間の会で映画と鉄道をこよなく愛するT氏に贈呈された『シネマ大吟醸』(「魅惑のニッポン古典映画たち」と副題)を朝から読む。T氏は「今井さん、もっと昔の映画を観て勉強してください」とばかりに名画特集の案内や参考図書をせっせと寄越してくれるのだが、著者の太田和彦氏セレクトによる「昭和の原風景」と題した映画特集のチラシも先に届いていた。

「シネマ大吟醸」という面白く味のある言葉の精神は、本文の『大学の若旦那』のページを締めくくる「映画は作られた当時よりも、時を経て良くなる。それがビンテージ、大吟醸シネマである」というくだりがうまく説明している。あとがきには「ウイスキーやワイン(洋画)もいいけど、日本酒(邦画)もいいぞ、その大吟醸だ」とある。太田氏には『完本・居酒屋大全』『居酒屋かもめ唄』『東海道居酒屋五十三次』といった著書もあり、酒を語る語彙が実に豊か。酒にたとえての映画紹介は、名調子で気持ちよく酔わせてくれ、わたしも一杯という気分にさせてしまう。

そんなわけで「昭和の原風景」を上映中の神保町シアターを初めて訪ねる。こんなに立派で快適なミニシアターを本の街に作った小学館さんはエラい!と興奮するような環境(雰囲気よし、椅子よし、設備よし)で、紹介を読んだばかりの『絹代の初戀』(「恋」ではなく、糸ふたつに言がはさまれた「戀」というのがいい)をフィルム(16mm)上映でつかまえる。「姉であり母」という田中絹代演じるヒロインの設定が朝ドラ「つばさ」に重なる気がして、興味を持った。

昭和15年(1940)年、松竹大船の制作。松竹のロゴは富士山ではなくダイヤモンドみたいな形。「1947」と数字が入っていた気がするが、見間違いだったか。冒頭のキャストクレジット(エンドロールはなく、最後はプツンと終わった)は「キャスト」ではなく「役と人」。その縦書きの名前が無数の細かい線で分断される。フィルムの劣化で、外の雨がスクリーンになだれ込んだかのように画面も音もザーザー。ときどきびっくりするような破裂音も混じり、「これがずっと続くのか」と最初は戸惑うが、映画の世界に入っていくと次第に雨が気にならなくなる。雨は同じように降り続けているのに、見たいものを見、聞きたいものが聞こえるようになるのが面白い。

野村浩将監督は松竹のホームドラマを多く手がけた人のようで、とても見やすくわかりやすく作られている。家からお弁当を持って行ったことがきっかけでヒロインの妹(これがデビュー作の河野敏子)は社長の御曹司(『シネマ大吟醸』に何度も登場する佐分利信。色気のあるイイ男。ダメ息子がはまっている)の目に留まり、結婚話に発展するが、彼はヒロインが一目惚れした初恋の相手だったという話。脚本(池田忠雄)の力なのか、台詞がチャーミング。弁当のおかずを御曹司が尋ね、妹がつっけんどんにあしらうところも、弁当が縁結びとは「安上がり」だと姉妹の父親が感心するところも、生活感があってよかった。妹の母親役として自分の恋を封じ、御曹司に恥じない女性として妹を嫁がせようとするヒロインの親心が切ない。

ヒロインが御曹司に一目惚れする歌舞伎座前の場面、打ち合わせで通い慣れた松竹界隈の70年前の風景にハッとなり、胸を打たれた。現在松竹本社が入っている東劇は当時すでにあったのだろうか。一瞬映った歌舞伎座から東劇を望むアングルの引き絵は、様変わりしたようで今に通じる風景だった。これなら画面の中に迷い込んでも方向を見失わずに歩けそうだ。歌舞伎座の雰囲気は今と変わらないように見え、少し前に新聞で見てげんなりとなった高層ビルの「新・歌舞伎座」の完成イメージ図を思い出し、あれはイカンとあらためて思った。家に戻って調べてみると、歌舞伎座は過去にも大改築や漏電による焼失があり、現在の建物の原形である奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂が落成したのは大正13(1924)年12月のこと。それも昭和20年の空襲で焼失したが、昭和26年に復興し現在に続く建物の外観は大正版を受け継いでいる。ならば、今回の改築でも守り伝えて来た形に敬意を表すべきなのではと思ってしまう。今の最先端はどっちみちすぐに古くなるのだから、中途半端に新しくして伝統を断ち切る必要はない。映画人でもある石原都知事に『絹代の初戀』のこの場面を観て考え直していただけないものか。

『シネマ大吟醸』のなかにある「失われた風景を見るには映画が最適だ。しかも記録映画と違い作家の感性が入っているから、映画こそがその時代の最も美しい記録となる」にしみじみと同意しつつ、日本は失うスピードが早すぎるのではないかと思ってしまった。

『絹代の初戀』は4月15日(水)16:55、4月16日(木)13:45、4月17日(金)19:00にも上映あり。他にも味わい様々な大吟醸をそろえた「昭和の原風景」は5/8まで。『シネマ大吟醸』あとがきいわく、「日本映画は大まかに、映画誕生からサイレント期までを『大トロ』、以降戦前の作品を『中トロ』、戦後の白黒作品をまでを『レトロ』と分けられ(笑)、狙い目は昭和10〜20年の中トロだ」。その中トロ中心のラインナップ。それにしても酒にたとえたり、肴にたとえたり、太田氏は相当食べることが好きな人のよう。この人と日本酒飲みながら映画の話をしたら楽しいだろうなと想像するが、「今みたいなお粗末な勉強量では話についていけませんよ」とT氏にしかられそうだ。

2008年04月14日(月)  マタニティオレンジ268 三浦太郎の絵本で所有格の「の!」
2007年04月14日(土)  京都の青春
2005年04月14日(木)  マシュー・ボーンの『白鳥の湖』
2002年04月14日(日)  おさかな天国


2009年04月13日(月)  子どもそっちのけで親が夢中に!アイビーズ

昨日ご近所仲間の会の会場を提供してくれたK家夫人のキョウコちゃんにプレゼントしてもらって、「アイビーズ」というものの存在を知った。極細極短(直径1ミリ長さ3ミリのような小ささ!)のストロー状ビーズを突起のついた台に点描の要領で並べて行き(中が空洞なので、点描ではなく丸描?)、仕上げにアイロンをかけると、あら不思議、ビーズが溶けてくっつきあい、板状のオブジェが完成する。アイビーズはアイロンビーズの略だろうか。

面白そうだけど、この細かいビーズが床にちらばったら片付けが大変だと敬遠して、2歳児娘のたまの目につかないところに置いたのだが、めざとく見つけた上に、「これ、かたまるの?」と聞いてきた。どうやらキョウコちゃんから使い方を説明されたときにわたしが「へーえ、固まるの?」と驚いたのをばっちり覚えていた様子。たまの目は「やってみたい」の好奇心でらんらんと輝き、箱を開けるしかなくなった。

対象年齢は6歳以上で、たまはビーズをつかむことはできるが、台に立てる器用さはない。ところが、大人の無骨な指だと小回りがきかず、ビーズを立ててはなぎ倒すの繰り返しで、もどかしいほどはかどらない。顔つきが険しくなるのを自分でも感じながらムキになっていると、母親をビーズにとられて面白くないたまがちょっかいをかけてきて、振り出しに戻る。「もう、ママがやってるのに!」と思わず声を荒げ、たまは泣き出す始末。ううむ、おもちゃに親が夢中になって子を泣かせてしまうとは。昔リリアン、今アイビーズ?

キャラクターを作れるセットになっていて、図柄見本が同封されているのだけど、デザインは自由自在。たまのリクエストに応えて「おうち」と「ハート」を作り、最後にネームプレート代わりに「タマ」を作った。ほどよくビーズ感を残して固めるアイロンがけの塩梅が難しく、くっつきが足りないとビーズがバラバラになってしまうし、溶けすぎるとのっぺりする。3作目がいちばんうまくできた。熱で変質するといえば、子どもの頃プラバン(=プラスチック板)に油性マジックで絵を描き、オーブンで焼いてアクセサリーを大量生産したけれど、あの感覚にも似ている。あとひとつぐらい作れそうな量のビーズが残ったが、つきあいきれないたまが「ねる」とぐずり、おもちゃをしまった。

最近の子守話は、たまが主人公の「ニュースたま」。テレビのヘッドラインニュースの口調を真似て今日の出来事を報道し、「♪ニュ〜スたま」とジングルをはさむと、たまはご満悦で「おもしろい」と相づちを打つ。自分が世界の中心になっていないとつまらないという性格は困ったもので、朝ドラ「つばさ」は「たまちゃんでてないから、おしまい」となる。でも、今日は初めて「あした、つばさみようね」と歩み寄りを見せてくれた。

子守話54 ニュースたま

きょうもたまちゃんはほいくえんでたくさんあそんだもようです。トイレもしっかりできて、おむつは1まいですみました。
♪ニュ〜スたま

たまちゃんはばんごはんのおでんのウィンナーひとりで3ぼんもたべました。おデブよほう、いちだんとよこにおおきくなるでしょう。
♪ニュ〜スたま

たまちゃんとママはビーズのおもちゃであそびはじめましたが、ママのほうがむちゅうになって、たいくつしてしまいました。
♪ニュ〜スたま

たまちゃんはまちくたびれて、はやくねようよとなきました。ねむかったのでおふろもはみがききもやめました。
♪ニュ〜スたま

それでは きょうはここまで。たまちゃんはたのしいゆめをみて、あしたのあさはママと「つばさ」をみるよていです。
♪ニュ〜スたま

2008年04月13日(日)  マタニティオレンジ267 子どもは遊びの天才
2007年04月13日(金)  マタニティオレンジ106 慣らし保育完了 
2006年04月13日(木)  ヘレンウォッチャー【「子ぎつねヘレン」の夕べ編】
2005年04月13日(水)  お風呂で血まみれ事件
2002年04月13日(土)  パーティー

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