2009年03月26日(木)  朝ドラ「つばさ」宣伝デー

3月30日から始まる朝ドラ「つばさ」の案内メールを配信。その反響に、朝ドラってすごいんだなとあらためて驚かされた。これまでも作品が放送や公開されるたびにお知らせメールを出していたけれど、返信の数も内容の熱さもケタ違い。「脚本」ではなく「脚本協力」という形での参加(脚本は戸田山雅司さん)であることなどおかまいなしに、「朝ドラおめでとう!」の興奮が続々と返ってくる。8月22日公開の『ぼくとママの黄色い自転車』の案内も添えたのだけど、返信の文面は朝ドラ一色。劇場に足を運ぶ必要のないテレビはチャンネルを合わせれば見られるし、元々視聴習慣のある人も多い。バツグンの知名度と安心感も手伝って、「観ます」の返事をしやすいのもあるだろうけれど、ここまで威力があるとは……。朝ドラおそるべし、と感心していると、「高校野球みたいなもので、控え選手でも知り合いが甲子園行ったらうれしいのだ」と言う人があり、なるほど、うまいたとえだと思った。バツグンの知名度と長い歴史を誇る朝ドラは国民的なお祭りなんだなあ。

「朝ドラの時間は家にいません」という声も多く、「週間録画します」という返信がかなりあった。「ビデオが出たら観ます」の人もいたが、調べてみると、再放送を含め、一日に5回つかまえるチャンスがあり、土曜日には一週間分まとめての放送がある。

【放送】
総合・デジタル総合 (月)〜(土)8:15〜8:30
デジタル衛星ハイビジョン (月)〜(土)7:30〜7:45
衛星第2 (月)〜(土)7:45〜8:00

【再放送】
総合・デジタル総合 (月)〜(土)12:45〜13:00
衛星第2 (月)〜(土)19:30〜19:45 (土)9:30〜11:00(一週間分)


朝ドラは登場するキャストや関わるスタッフの数もハンパじゃないので、関係者に当たる確率も高い。メールに寄せられた返信からも「飲み仲間がノベライズ手がけました」「宇津木万里役の吉田桂子さんのブログをサポートしています」などなど、あちこちで関係者がつながっていることが判明。行きつけの整骨院では「つばさ」のマグネットを発見。患者さんがやっているPOP制作会社で作ったものだとか。院長が川越出身ということもあり、わたしが持ち込んだ宣伝はがきを合わせて「つばさコーナー」をこしらえてくれた。「長時間の打ち合わせに耐えられるのも、ここの整骨院のおかげ。お二人も『つばさ』を支えてます」と院長とウキちゃんにお礼を言った。疲れやストレスを食べてくれる家族(とくに娘)、その娘を見てくれる保育園やダンナの両親、声援を送ってくれる友人など、いろんな人に支えられ、チカラをもらっている。関係者それぞれのサポーターを合わせたら、すごい数になるだろうな。

2008年03月26日(水)  マタニティオレンジ257 クルマが好きな女の子
2007年03月26日(月)  マタニティオレンジ100 1%のブルー
2006年03月26日(日)  ヘレンウォッチャー【都電荒川線編】
2005年03月26日(土)  映画『いぬのえいが』→舞台『お父さんの恋』
2003年03月26日(水)  中国千二百公里的旅 移動編
2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)


2009年03月22日(日)  空気を読んで使い分ける、たま2歳7か月。

またまたあっという間にひと月経ち、娘のたまは2歳7か月。「いつの間にこんなことができるようになったんだ!」と驚いてしまうのは、週末も仕事でダンナやじいじばあばに見てもらうことが多いせいかもしれない。先月に続いて、なりきり芝居の腕を上げ、保育園に登園してからお散歩に出かけるまでの「ほいくえんごっこ」、交替で「ママ役」と「赤ちゃん役」を演じる「おやこごっこ」がお気に入り。

親子ごっこの赤ちゃん役は「バブ」しか口にしてはならず、「バブ」の微妙なニュアンスで喜怒哀楽を伝える高度な技術を要求される。応援団時代の「押忍(オス)五段活用」(=「応援団のリーダー部下級生が「押忍」だけで、ごっつぁんされる喜びや先輩に怒鳴られた落ち込みや反省や疑問を表現する宴会芸」を思い出しながら、「バブ? バブ〜。バブバブ?」などとやっているが、電車の中などで「あかちゃんになって」と言われると、かなり恥ずかしい。甘えたなくせに世話焼きで、人形たちだけでなく、親の世話も焼きたがる。お節介はたま語にも現れ、わたしが風呂上がりにおむつをはかせようとすると「ママ じぶんのパンツはきな」と人の心配をし、椅子にあぐらをかくダンナに「パパたいどわるいよ。おおかみくるよ」と注意する。

体を使った遊びも好きで、風呂上がりは「おすもうさんごっこ」や「おうまさんごっこ」で大はりきり。そこからが遊びの時間のはじまりよという感じで、あいかわらず寝かしつけるのに苦労する。今日の夜、テレビのニュースで大相撲の結果をやっているのを指差し、「あ、おすもうさんごっこしてる」。それは本物です。

お調子者なところは両親に似たのか、人を笑わせるのが好きで、「たまちゃん」と言えるようになったのに、いまだに「たべる」を「ばべる」と言い続けているのは、大人がウケるのが楽しいからではという気もする。そのくせ、失敗したのを笑われると、ひどく傷ついて泣き出したりするナイーブな一面も。わたしとダンナと味噌汁の具を相談していたら、「バナナがいいんじゃない? バナナたべるとつよくなるよ」と提案してくれたのを大笑いすると、へこんでしまった。恥をネタにできるたくましさが備わればと関西人のわたしは思うけれど、東京で生きて行くなら、かわいく恥じらっていればいいのかもしれない。

もともと場の空気を読む性質があったけれど、このひと月でそれがいっそう強くなった。わたしが出かけるときの持ち物や服装やダンナと交わす言葉で「仕事か、遊びか」がわかるらしく、「仕事だから、ごねても無駄」だとわかればおとなしく見送るが、「遊びだから、ごねれば何とかなる」と判断すると、泣いてすがる。その的中率の高さには驚かされる。子どもなりに気を遣っているんだなといじらしくもあり、空気を読む子の気持ちをできるだけ汲んでやりたいと思う。

娘と過ごせる限られた時間に家事をこなすための解決策で、「お手伝い」を「遊び」にして一緒にやるようにしている。魔法の粉(=重曹)で家の中を磨いたり、バナナパンの卵割りや粉ふるいや混ぜまぜをしたり。洗濯物を畳むのも覚えて、面白がってやってくれる(畳んだ後ですぐ広げて再びたたむので効率は良くない)。家事は面倒くさくなると負担だけれど、娘が「こんなたのしいあそびはないわ」と目を輝かせてやってくれると、こちらも楽しくなって、けっこうはかどる。『トムソーヤの冒険』のペンキ塗りのエピソードと同じこと。

トイレは前進したり後戻りしたり。保育園から持ち帰るおむつがゼロ(つまり、全部トイレで済ませている)の日もあれば4枚の日も。なぜか外出先での成功率が高く、駅の「だれでもトイレ」や店のトイレでうまく行く。いつもと違うトイレに入るのが探険気分で楽しいのかもしれない。

卒乳の気配はまだなく、とんとん(=おっぱい)はすっかりお友だちで、どこか出かけるときに「とんとんも一緒に行くの?」と言ったりする。「たま、いつまでとんとん飲む気?」と聞くと、「いつまでも」。

2008年03月22日(土)  マタニティオレンジ255 ゾゾもガオも自分もわかる、たま1歳7か月
2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転
2002年03月22日(金)  遺志


2009年03月21日(土)  マスカラぐらいは、つけますから。

昨日、会社時代の同期だったシモゾノ君の披露宴の後に打ち合わせが入り、着替える時間もないのでパーティ仕様のまま移動した。前日に「ドレスのまま派手なカッコでうかがうかもしれません」と予告していたのだけど、現れた姿を見て打ち合わせ相手は拍子抜けした顔で、「なんだ、いつもより地味じゃないですか」。確かにドレスは黒で色数過剰の普段着より落ち着いているけれど、美容院で作ってきた髪と顔はどうなのだろう。ほぼすっぴんで仕事に出かけるわたしとしては、別人に見えるぐらい変身しているつもりなのだけど……。これだけ作り込んで代わり映えしていないのだろうかと不安になった。

自分では濃過ぎると思っていても、案外これぐらいが普通なのかもしれない。せめてマスカラぐらいは習慣にしようと思い立つ。朝ドラ「つばさ」(3/30スタートまであと9日!)の第4週に「恋は先っぽに出る」という台詞が出てくる。まつげ、髪の毛先、爪。そんなところに恋のときめきは宿る。その逆に、先っぽをないがしろにすると恋は遠のく。毛先からキューティクルが失われるように、手抜きした先っぽからときめきが逃げて行く。そんな気がする。

コピーライター時代にランコムを担当していた頃は、マスカラを欠かさず、実際につけてみた実感をコピーに表していたのだけど、担当を外れると、つける回数が減り、会社を辞めてからは、ほとんどつけることがなくなった。いくつになっても先っぽに気持ちを配る余裕を持たなくては、と何年かぶりにマスカラを買う。「つけまつ毛のような仕上がり」という商品コピーを読んで「マスカラぐらいはつけますから」などとダジャレを思いついている時点で、恋するオトメではなくオヤジになっているのが悲しい。先っぽキラリンで、オッサン化炭素(CO3)を削減しなくては。

2008年03月21日(金)  「321の会」@アスカフェ→タンタローバ
2007年03月21日(水)  MCR LABO #2「無情」@下北沢駅前劇場
2005年03月21日(月)  弘前劇場+ROGO『FRAGMENT F.+2』
2004年03月21日(日)  アドフェスト4日目
2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画


2009年03月19日(木)  米アカデミー賞オスカー像は小柄で重かった

最近映画関係者と話すと、必ずと言っていいほど米アカデミー賞の話が出る。昨日は『つみきのいえ』で短編アニメーション賞を受賞した制作会社ROBOT(ロボット)で打ち合わせ。授賞式に出向いた阿部社長も同席して、話題は自然と受賞の話になった。DVD絵本がなかなか手に入らず、いくつもお店を回ってやっと手に入れた人の話。あちこちから押し寄せるように花が届いた話。おめでたい話は、聞いているほうもウキウキする。「オスカーって重いんですか?」と何気なく尋ねたら、「受付に置いてありますよ」と社長。「ああいうのは、こうするもんじゃないでしょ」と抱き込む仕草をして、「みんなに喜んでもらわないと」。

帰りに受付を見てみたら、見過ごしそうなほどさりげなく、訪問カードを記帳するカウンターにオスカー像が佇んでいた。こんなに小さいんだ、というのが第一印象。ワインのハーフボトルより少し大きいぐらい。フルボトルを痩せさせたような感じと言おうか。囲いも何もないので、訪問者が自由に手に取り、写真を撮っている。わたしも触らせてもらった。持ってみると、思いがけない重みに腕が驚く。新生児ぐらいはありそうな……と言うと大げさだけど、2キロぐらいあるように感じた。見た目からの予測重量とのギャップが重さを際立たせるのだろうか。受賞した本人には、ことさらずしりと響くだろうなと想像する。

撮った写真を日記にのっけようかと思ったら、「オスカー像の肖像権は米アカデミー賞協会にあり、厳重に管理されている」とのこと。オスカーさんの写真を載っけるには、許可がいるということらしい。そんなところにも重みを感じる。

2008年03月19日(水)  整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?編
2007年03月19日(月)  大木達哉さんを励ます会
2004年03月19日(金)  アドフェスト2日目
2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画


2009年03月18日(水)  「いかにもがさつな感じの水」という詩

「コップちょうだい」とダンナが手を伸ばしてきたので、ささっと洗ったコップを手渡すと、「水が残ってる!」と騒がれた。わたしがきちんと水を切っていなかったせいだけど、そこまで目くじら立てなくても……と思うわたし。だが、ダンナは「いかにもがさつな感じの水が残っている」とのたまい、「今のって詩みたい」と付け足したので、のけぞった。

「いかにもがさつな感じの水」が詩なのか? この人にとっての詩の基準って、詩のイメージって、どうなっているんだろう。レストランで海老が出たと言い、「海老がどうなってたの?」と調理法を聞いたら、「死んでた」と答えるような人である。「ごはん、どうしよう」と聞くと、「簡単でいいよ」「僕が作る」「外で食べよう」「カレーを食べたい」といった想定内の回答をなぎ倒して、「食べる」と即答されたのにも絶句した。「食べる」「食べない」の二択ではなく、その先を聞きたかったのだけど……。ある意味非凡な言語感覚の持ち主なのかもしれないが、詩人とは違う気がする。

「詩っていうんだったら、『君がこれまでに流した涙ぐらいの水』ぐらいのことを言えないのか」と反論すると、「君は、涙は流さない。汗なら流すけど」と言い返された。ムッとなったけど、さんずい偏の感じが4つ並んだこっちのほうがまだ詩らしさがある。でも、妻の涙を汗と並べる感性は、やっぱり詩人じゃない。

2008年03月18日(火)  『スパイダーマン』のプロデューサーの言葉
2007年03月18日(日)  DVD6作品目の『天使の卵』
2006年03月18日(土)  ヘレンウオッチャー【公開初日編】
2005年03月18日(金)  あなたのペンが「愛・地球博」にそびえます。
2004年03月18日(木)  アドフェスト1日目
2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光


2009年03月17日(火)  「つばさ」ドラマ・ガイドと宣伝はがき

朝ドラ「つばさ」のガイドブック(「NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 つばさ」が正式名称?)と宣伝用のはがきが刷り上がり、打ち合わせのときにいただく。映画の場合はチラシやグッズが公開前に作られるけれど、テレビでこういう盛り上がり方をするものは初めての体験で、ワクワクする。

ドラマガイドはインタビュー、ロケ日記、10週までのあらすじ、観光案内などなど盛りだくさんな内容。カラー写真もふんだんに使われていて、読み応え、見応え十分。もう少ししたら書店に並ぶ予定。白を活かしたすっきりしたデザインが店頭に映えそう。

はがきはスタッフ名が14段にわたって印刷されたバージョンがあり(数えてないけど、百人は超えてる感じ)、その中から「脚本協力/今井雅子」の名前を見つけて、このドラマのスタッフの一人なんだなあとあらためてしみじみとうれしくなった。観るものだった朝ドラに参加できたことは、ほんとに幸運だと思う。「幸運だった」と過去形にならないのは、放送が始まっても制作は続くから。スタッフもドラマの中身もノリノリな「つばさ」だけど、世間の評判が聞こえてこないときに作るのと、聞こえてきてから作るのは、また変わってくるんだろなと思う。

放送開始まであと13日!

2008年03月17日(月)  マタニティオレンジ254 仕事友 ママ友
2007年03月17日(土)  『散歩の達人』大塚 駒込 巣鴨
2006年03月17日(金)  弘前劇場公演2006『職員室の午後』
2002年03月17日(日)  『風の絨毯』高山ロケ2日目 イラン式撮影現場


2009年03月16日(月)  子ども靴もネットで

娘のたまの新しい靴が必要になった。これまでは、お祝いとおさがりで間に合わせ、普段履きの靴を買ったのは、麻布十番の商店街の靴屋で見かけて買ったカレーパンマン靴の一足だけ。その辺の店に売っているだろうと軽く考え、先週末に子守をしてくれたダンナ父に「お散歩がてら、いい靴があったら」と買い物をお願いした。ところが、土日をかけて探し回ったものの、デパートでは高級過ぎ、下町の店では靴下しかなく、そのうち「キティちゃん!」とたまが主張し始めたが、スーパーの靴売り場にはアンパンマンしかなく、手ぶらで終わってしまった。

これでは子ども靴が見つかる前に大人の靴がすり減ってしまう。どこでキティちゃんの靴を買えるのかをネットで調べようとして、「そうか、ネットで靴を買えばいいんだ」と思い至った。試着したほうがいいのだろうけど、これまでだっていただいた靴ばかり履いてきたのだ。ヤフオクで「子ども靴」を検索すると、これでもかの品揃え。「14cm」に絞り込んだ中から「新品」で即決価格が手頃なものを探してみると、わたし好みのオレンジと水玉の組み合わせを発見。一目惚れした瞬間、キティちゃんのことを忘れ、即決価格で落札する。送料(390円)とカード決済手数料(105円)を足しても市販価格よりおトク。出品者の「お子ちゃま倶楽部」さんは個人ではなくオークションストア。北海道から発送された商品が数日後に届き、箱を開けてみると、画像で見た以上にかわいい色合い。たまとのお見合いも成功し、早速家の中で履いて、キティちゃんのキの字も出さずにうれしがって歩き回っている。

身につけるものをネットで買うといえば、返品OKの通販サイトで目に留まったものをまとめて買い、とっかえひっかえ試着した上で気に入ったもの以外を返品するという達人ワザもあるらしい。今のわたしが何よりも欲しいものは時間で、店まで出向かずに買い物ができるのはありがたいのだけれど、人と会わないでモノを手に入れる便利さに慣れてしまうと、店員さんとのやりとりが億劫になりそうな気がする。面と向かって言うストレスを避けてメールで済ませるように、自分も世の中もどんどん対面指数の低い方向へ流されていくのではないか、とふと不安になる。

2008年03月16日(日)  マタニティオレンジ253 はじめて叱られて、すねる
2007年03月16日(金)  幻の魚・たかべとダンナ母語録
2005年03月16日(水)  春はお茶が飲みたくなる季節
2003年03月16日(日)  Q.生まれ変わったら何になりたい?
2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目


2009年03月15日(日)  大麦工房のダクワーズ

わが家に届いた危険物、それは栃木の大麦工房のダクワーズ。以前購入したことから定期的に商品案内が届くのだけど、「非売品のいちごのダクワーズ」プレゼント企画に飛びつき、ひさしぶりに購入した。外はさくさく中はふわふわの皮でアーモンドクリームをはさんだダックワーズ(小さい「ツ」が入るほうがおいしそう)は好物で、あちこちのお店のものを食べたけれど、大麦工房のものが圧倒的においしい、と食べてみてあらためて思う。ブランド名にもある「大麦」の粉の香ばしさと甘さが何とも言えない。最近オーブンを新調したそうで、言われてみれば確かにいちだんとおいしく焼き上がっている気がする。4個入りの一袋が525円。税抜き125円で買える最高の幸せだと思う。

わたしに似て甘いものに目がない娘のたまに与えるのは危険だと思いつつ、喜ぶ顔も見てみたくて、ひとつあげてみると、「こんれ、おんいしいね〜」と目を見張って頬張り、瞬く間に平らげ、「もっとばべる〜」。ひとつだけよと諭すと泣き出したので、もうひとつを半分こする。泣くほどおいしいというのは、すごいこと。

プレゼントのいちごのダクワーズは、アーモンドクリームの代わりにいちごクリームがサンドされたもの。2歳児にはこちらのほうが好みのよう。「いちごダクダク」とあだ名をつけ、「いちごダクダクまたばべようね」とせがんでくる。プレゼントキャンペーンは4月末までで、3500円以上のお買い上げで一袋ついてくる。大麦工房のサイトで買うと5%引きで、はじめての人には試食セットも。大麦のチョコレートやゴーフレットやラスクもおいしい。サイトや商品案内からは、お菓子作りにかける情熱や大麦が育つ健康な大地を守ろうという企業姿勢が伝わってきて、それも応援したくなる理由。

2008年03月15日(土)  前田組「豚のPちゃん」に会いに行く
2007年03月15日(木)  マタニティオレンジ94 0歳児は病気との戦い 
2005年03月15日(火)  チラシ大好き
2002年03月15日(金)  月刊公募ガイド


2009年03月14日(土)  はずむ春!保育園のお祝い会

娘のたまが通う保育園のお祝い会に参加する。進級祝いと3歳児クラスの卒園祝いを兼ねた発表会で、入園2年目のたまは2回目。半年がかりの改修工事が終わってすっかり新しくなった園舎のお祝いも兼ねて、うれしいこと尽くしのお祝い会となった。

1歳児クラスの出し物は「ホットケーキできたかな」。園児は3グループに分かれて登場。バスの車掌さんになるグループ。マイクを手に歌うグループ。ホットケーキの材料を買いに行くグループ。最後は全員でホットケーキを食べる。歌うグループのたまは、「おおがたバスにのってます。きっぷをじゅんにわたしてね〜」の歌を一人で披露。観客を前に緊張したのか声はか細く消え入りそうで、ついには歌の途中で消えてしまったけれど、昨年は終始指をくわえていたのに比べれば目を見張る進歩(でも,家に帰って「うまくいかなかった。しっぱいした」と反省していた。上がり症だけど負けず嫌いらしい)。布のホットケーキを食べる仕草に個性が現れて、本物のように上手に食べる子もいれば、持っているだけの子もいる。たまが受け取った瞬間に投げたのには驚いた。すぐに拾ったけれど、「本物じゃなきゃイヤ」という食い意地が見えた気がした。

お祝い会の出し物を見ると、「たまがうちでやっていたあれは、これだったのか」と謎が解ける場面がいくつかあり、意味不明の歌の全貌が見えたり、ダンスの出どころがわかったりした。「キュッキュー(=ショップ99)でこむみこ(=小麦粉)買うの」と最近しきりに言っていたのは、ホットケーキの粉を買い物する場面があったからだった。

来賓を代表して近所の小学校の校長先生から祝辞。これが見事で、大人も子どもも虜にするスピーチのお手本のようだった。「おじさん、食いしんぼだからね、あれ、ぜんぶ食べたかったな」などと演目に登場したものを引き合いに出しながら全部のクラスを褒め、最後に「来年からは小学校でも英語をやります。そこで、今日はひとつだけ英語を教えます」とSPRINGを紹介。「春という意味の他に、ジャンプするという意味があります」と飛び上がってみせた。

2008年03月14日(金)  MCR第27回本公演『シナトラと猫』
2007年03月14日(水)  マタニティオレンジ93 マタニティビクスの恩師・菊地先生
2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表


2009年03月13日(金)  「過去を脚色するクセ」は職業病?

昨日観た『チェンジリング』の「子どものために戦う母親」からの連想で、わたしが小学生の頃に母が関わっていた運動のことを思い出した。当時、大阪の堺市の大半の小学校にはプールがなかった。その建設の陳情のために市役所を訪ねたりビラを配ったり署名を集めたりする活動に母は関わっていた。わたしは小学校中学年から高学年だっただろうか。チラシのなかに、ため池で溺れた子どものことが載っていたのをよく覚えている。小学校にプールがあり、水泳の授業で泳げるようになっていたら、溺死の悲劇は避けられたのではないかとビラは訴えていて、それを読んでわたしは「なぜプールが必要なのか」を納得した記憶がある。

わたしの中では、ため池に落ちた子どもを喪った母親が「悲劇を繰り返さないために」と立ち上がり、運動が広がった、というストーリーができていた。そのことを昨夜母に電話して確かめたところ、「ため池の話? なんやそれ?」という反応で、母の記憶からは抜け落ちていた。プールの必要性を説くために引用された事故なのではと母は推察し、「臨海が埋め立てられ、それまでプール代わりだった海で泳げなくなり、学校にプールが必要になった」ことが運動の始まりだったと教えてくれた。記憶を脚色してしまうのは脚本家の職業病なのかもしれない。

これは母には電話で話さなかったけれど、運動に関わっていた母をわたしはかっこいいと思っていた。母が一度だけ、「いろいろ言う人おるけどな、お母さんはこれが正しいと思ってるねん」と唐突に語ったことがあった。たぶん、誰かに何かを言われた直後だったのだろう。わたしが卒業して何年か経って、わが小学校にもプールが作られた。

きっかけが何であれ、何かを変えるための運動にはエネルギーが要る。昨日の『チェンジリング』からもアメリカの大統領選からも感じたのは、チェンジの起爆剤となるエネルギーを個人が発揮する光景が日本からは急速に失われているということ。その理由のひとつに「あきらめムード」があるような気がする。やっても何も変わらないから最初からやめておこうという気分が省エネにつながっている。わたしもその一人で、「関心を寄せる」という最小限のエネルギー消費さえ惜しんで政治や社会の混迷を眺めていたりする。忙しい、余裕がない、面倒くさい……言い訳はいろいろ思いつくけれど、自分がやらなくてはという気持ちが希薄なのだ。だから、使命感と信念を持って壁に立ち向かう人を見ると、眩しさと頼もしさを感じる。『チェンジリング』を近くで見ていた観客の女性が連れの女性に「泣き寝入りした人も大勢いたでしょうに」と話しているのを聞いて、「立ち上がるの反対語は泣き寝入りする」で、その中間に「傍観する」があるのではと思った。

2008年03月13日(木)  マタニティオレンジ252 「自由になる時間」はプライスレス
2007年03月13日(火)  マタニティオレンジ92 ダンナのおむつ替え確率
2006年03月13日(月)  ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
2005年03月13日(日)  宮崎美保子さんの四角い指輪

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