2009年02月09日(月)  福福(200929)の日

39回目の誕生日がやってきた。2月9日で29歳を祝ったのが、つい数年前のことのように感じるけれど、あっという間に10年。「肉の日」と語呂が覚えやすいせいか、肉のアイコンつきのお祝いメールが携帯に次々と届く。「河豚の日」「服の日」でもある。

大阪出身でコピーライターで脚本家とわたしとは何かと共通点が多い友人の川上徹也さんからは「ブックの日」とお祝いメール。『仕事はストーリーで動かそう』など、このところ出版づいている川上さんは今日「ブックの日」関連イベントに出席するのだとか。肉、服、ブック。好きなものが語呂合わせになっているのはうれしい。そういえば、エッセー「出張いまいまさこカフェ」を連載している池袋シネマ振興会のフリーペーパーbukuは、毎月29日を「bukuの日」と呼んで映画の割引をやっている。

会社勤めしていた頃は、座席にプレゼントが届き、同僚がランチやディナーをごちそうしてくれ、一日中誕生日気分に浸れたけれど、フリーになると、いつもの日とあまり変わらない。朝、保育園に送る途中で娘のたまがハッピーバースデーを歌ってくれ(ちゃんと「ディアママ」になっていた)、その足で打ち合わせに向かい、打ち合わせを終えて帰宅すると、8時。急いでパスタをゆでると、ゆであがるのを待ち受けたかのように、「ウンチでた」。トイレへ連れて行くと、誕生以来最大と思われる規模の噴火の後で、どこから手をつけていいか途方に暮れる状態。ダンナと手分けしてトイレ掃除班と風呂で洗い流し班に分かれた。あたふたとトイレ掃除をしながら、ウンチパニックに見舞われる誕生日なんて今年限りかもしれないと思うと、楽しくなってきて、笑ってしまった。

とんだ誕生日プレゼントだったねと少々伸びたパスタを平らげ、「そうだ、冷蔵庫にいちごがあった」と取り出すと、「じゃあ、あれを出そうか」とダンナ。「たま、さっき練習したでしょ」とうながされて、冷蔵庫の奥に隠してあったケーキの箱を取り出し、たまに渡すと、「おたんじょうびおめでとう」と小さな手で差し出してくれた。思いがけないプレゼントにほろりとしていると、今度は奥の部屋に二人して引っ込み、オレンジの花束を持って戻ってきた。これまた贈呈の仕方を二人で示し合わせていたらしい。たまはサプライズのたくらみをちゃんと理解していて、そのときが来るまでナイショにしていた。2009年の誕生日は、「不(2)」意打ち「食(9)」らったの日となった。

mixiの2月9日生まれコミュニティをのぞくと、「2009年2月9日は福福の日」という書き込みがあった。2つのケーキを3人で分けて、台所にオレンジの花を活けて、福福。

2008年02月09日(土)  プレタポルテ#2『ちいさき神の、つくりし子ら』
2007年02月09日(金)  マタニティオレンジ76 母になってはじめての誕生日
2006年02月09日(木)  倉カルミネにて2006年の誕生日
2004年02月09日(月)  今年もハッピーバースデー
2003年02月09日(日)  何才になっても祝うのだ
2002年02月09日(土)  シモキタ(下北沢)


2009年02月08日(日)  もうひとつの人格? あかりちゃん登場

確定申告に一日費やす間、ダンナの実家で娘のたまを見てもらう。帰ってきて、夕食を食べるまでは「たまちゃん」だったのだが、お風呂を入る前に突然「わたし、あかりちゃんよ」と言い出した。「あかりちゃんて誰?」と聞いても、「わたし、あかりちゃんよ」。あかりちゃんなんてお友だちはいないし、読んでいる絵本にも登場しないのだけど、保育園の絵本に出てきたのだろうか。本人があかりちゃんだと言い張るので、こちらもつきあうしかない。

「じゃあ、あかりちゃん、たまちゃんのパパとお風呂入る?」とダンナがお風呂に入れた間も「あかりちゃん」になりきり、「あかりちゃんは、えらいね。たまちゃんはシャンプーいやがるんだよ」と言うと、いつもは抵抗するシャンプーにも耐えてみせた。なかなかの女優魂。

お風呂から出てからも、あかりちゃんごっこは続いた。間違って「たまちゃん」と呼ぶたびに、「あ、あかりちゃんだったね」と訂正していたが、時間が経つと本人も混乱してきて、自分のことを「たまちゃん」と呼んでしまい、元のたまちゃんに戻った。

あかりちゃんがどこから出て来たのはわからずじまい。「赤ちゃん」がなまったのだろうか。どうして突然別の女の子になったのだろう。わたしも小さい頃、「〜のつもり」と別人になりすます遊びをやったけれど、2歳の頃からやっていたのだろうか。もうひとつの人格とか乗り移りとか、怖いものじゃなければいいけど。

2008年02月08日(金)  整骨院のウキちゃん3 となりのトトロ編
2007年02月08日(木)  マタニティオレンジ75 授乳しながらランチ&シネマ
2006年02月08日(水)  クリピロ様セネガル行ってらっしゃい会
2005年02月08日(火)  映画『不良少年の夢』試写会
2004年02月08日(日)  FRIDAYの亀ちゃん
2002年02月08日(金)  フライングワイン


2009年02月07日(土)  『パパ ママ バイバイ』と講談「哀しみの母子像」

朝刊2紙と夕刊1紙。あっという間に古新聞になってたまるそれを何日かに一度、バサバサとまとめて目を通し、目に留めた記事を切り抜く。ひとつの見出しに立ち止まる時間は数秒だけど、アンテナを張っている記事とは目が合う。「32年前 横浜の米軍機墜落事故知ってますか 母子の無念講談に」という東京版の見出し(2月1日朝日)が目に飛び込んだ瞬間、もしかして、と思い出したのは、子どもの頃に繰り返し読んだ絵本だった。

米軍機が民家に突っ込み、幼い兄弟が亡くなるが、重症を負った母親は子どもたちの無事を信じ、もう一度会えることを励みに苦しい治療に耐える。1歳だった弟の康弘君が息を引き取ったときの言葉がタイトルになった『パパ ママ バイバイ』。同じ著者・早乙女勝元さんがベトナム戦争で孤児になった女の子を描いた『ベトナムのダーちゃん』とともに、幼なじみのヨシカと何度も読んでは、「ひどい話やなあ」「かわいそうやなあ」と嘆きあった。

調べてみると、『パパママバイバイ』の刊行は1979年3月。わたしが9歳のときだ。本を読んだのは小学校3、4年の頃だった記憶があるから、本が出てすぐに読んだのだろう。本はわが家にあったものなのか、ヨシカの家にあったものなのか。米軍機墜落が77年9月27日で、兄弟の母親・和枝さんが亡くなったのが事故の4年後。絵本の中では、和枝さんは生きる力を振り絞っていた。けれど、和枝さんが亡くなった日のことは記憶に残っている。「宮崎緑さんが泣きながらニュースで言うてた」と知らせてくれたのもヨシカだった。

そんな記憶のかけらを拾い集めながら新聞記事を読んだ。和枝さんの父・土志田勇さんと講談師の神田香織が知り合い、「事故のことを講談にしてもらえたら」と頼まれてから3年。その間に土志田さんは亡くなってしまったが、約束の講談がついに完成し、7日に初披露するという。主催は憲法行脚の会で、土井たか子さんのトークもあると書かれているのを見て、これは行けということだと縁を感じた。土井さんとは5年前にお会いする機会があり(2004年8月26日(木) 土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る)、それ以来ご無沙汰していた。

そして、当日の今日。講談が始まるぎりぎりに会場に着くと、ほぼ満席。講談は横浜の海の見える丘公園に立つ「愛の母子像」の風景で始まり、回想を経て現在に終わる。もう一度わが子を抱きたいという願いを形にした母子像と、それがかなわなかった現実の対比が哀しい。平和な暮らしを一瞬で奪った墜落事故。自衛隊のヘリコプターが軽症のアメリカ兵だけを救助して現場から去ったこと。全身を焼かれるような治療の苦しみ。多くの人から善意を差し出されての皮膚移植。事故から1年4か月経って子どもたちの死を知らされたこと。それでも生きる希望を奮い立たせ、子どもたちの分も生きようとしたこと。絵本の記憶をたどりながら聞いたが、絵本が刊行されてから亡くなるまでの間に、さらに辛い出来事があったことを講談で知った。心理療法がうまくいかず、最後は精神病患者扱いされ、呼吸困難のために喉に差し込まれた器具で会話もままならず、心の叫びを聞き届けられない形で和枝さんは亡くなっていた。この世の中に、これほどの無念があるのかと打ちのめされ、呆然となった。

休憩を挟んで、神田さん、土井さん、漫画家の石坂啓さんのトークとなった。和枝さんたちが犠牲となった事故では9人が死傷、他にも市民が犠牲になった米軍機墜落事故があるという。だから米軍基地や安保条約や自衛隊はけしからん、と頭ごなしに否定する論調には飛躍を感じてしまったが、和枝さんたちの死から何を学べばいいのか、平和な暮らしを守るとはどういうことか、考える機会をもらった。わたしの中でも風化していた事故に、親になった今再会したのも、何かの縁かもしれない。娘のたまは2歳で、3歳と1歳で亡くなった兄弟の間の年齢。かわいい盛りの子ども二人を奪われ、幸せな暮らしを奪われ、未来を奪われた和枝さんの絶望を想像すると、やりきれない。何の罪もない市民がなぜこんな目に遭わなくてはならないのか、その無念と怒りを忘れないでいたい。わたしの座席の足元で昼寝の寝息を立てるたまを見ながら、そう思った。


会場は、三田駅からすぐの「女性と仕事の未来館」。初めて訪れたけれど、木をたくさん使ったあたたかみのあるインテリアの明るい雰囲気が気に入った。2階にあるカフェの店員さんに聞くと、厚生労働省の建物なのだそう。「Makiba Style」という店名は、お役所センスなのか。好きなデザートを3種類選んだ盛り合わせが499円。ケーキセットにすると、ドリンクが199円でつけられる。食事メニューも充実していて、ここは穴場。おむつ替え台と子どもトイレがそろった広々トイレもあり、たまは大喜びだった。

2008年02月07日(木)  映画『歓喜の歌』に感きわまる
2007年02月07日(水)  マタニティオレンジ74 子育て中の美容院とエステ
2004年02月07日(土)  二人芝居『動物園物語』


2009年02月06日(金)  倍速カレンダー

シモの話で恐縮だが、ひと月前、正月明け早々に近所の婦人科に駆け込み、「不正出血です!」と訴えた。その朝に出血に気づき、悪い病気だったらどうしよう、仕事はキャンセルかなどと考えていたら目の前の仕事も手につかず、ネットで調べてみても安心材料は見つからず、「医者に診てもらうのがいちばん」と家を飛び出したのだった。

診察の結果は、「月のものです」。拍子抜けしたわたしに、「前回はいつだったんですか?」とお医者様。「よく覚えていませんが、ついこないだだった気がします」と答えると、「ちゃんとつけといたほうがいいですよ」と基礎体温表を渡され、ストレスや疲れで生理不順が起きているのかもしれませんから経過を見てくださいねと送り出された。安心を手に入れると、数千円の検査費は高くついたなとケチくさいことを思ったりした。

そして、再び「月のもの」がやってきた。基礎体温表はほったらかしだったけれど、不正出血騒動が記憶に刻まれているので、前回がいつだったかは覚えている。「ついこないだ」と思っている間に、きちんと4週間の時が流れていて、おかしいのはわたしの体ではなくて時間感覚だったことがはっきりした。カレンダーが倍速で過ぎていっているような感じで、1月中に書くはずだった年賀状を、今頃になって書き始めている。

時間に流されていると、日々刻々と変わる娘の成長も倍速で飛ばして見ることになりかねない。娘のたまと向き合う時間は大切にしなくてはと思う。このところ、たまのお気に入りは「パパのおるすばん」の話。パパが一人で留守番してカレーを作っているところに、お土産を持ってママとたまが帰宅するという展開。日によってお土産がコロッケだったり豆腐だったりみかんだったりするので、コロッケカレーにしたり、豆腐をカレーにまぜたり、カレーの後にみかんになったり。ママとたまが時間差で帰宅するパターンもある。

子守話41 パパのおるすばん

パパがおうちにかえると ママもたまちゃんもいませんでした。
パパはひとりでおるすばん。
ばんごはん なにたべようかなと れいぞうこをあけると
おにくがちょっぴりと いろんなやさいがちょっとずつ。
そうだ カレーをつくろう。
おにくをいためて やさいをいためて ぐつぐつにこんでいると、 
ピンポーン。ママとたまちゃんが おかいものからかえってきました。
うわあ おへやのなかが とってもいいにおい。
きょうのばんごはんは カレーだよ。
たまちゃんのおみやげは コロッケだよ。
パパとママとたまちゃんは おいしいコロッケカレーをたべました。

2008年02月06日(水)  『看護』4月号に「玉稿」掲載
2007年02月06日(火)  マタニティオレンジ73 ひろくてやわらかい床を求めて
2004年02月06日(金)  ミニ同期会
2002年02月06日(水)  電車にピップエレキバン


2009年02月05日(木)  焼き鳥屋で会社の同窓会

広告会社のコピーライターをやめて、3年半。会社を辞めていちばん淋しいのは、飲み会が減ったこと。残業が毎日のことだったから、晩ご飯は大抵同僚と食べていた。残業中の残メシのこともあれば、仕事が終わってからの帰りメシのこともあり、何日かに一度はお酒が入り、仕事の打ち上げやら歓送迎会やら飲み会はちょくちょくあった。会社をやめてフリーになったとき、そういうつきあいがバサッ、ドサッとなくなってしまった。

だから、保険会社や冷凍食品協会の仕事で組んでいたアートディレクターのフジモトさんから飲み会の誘いが来て、飛びついた。恵比寿にある牛タンと焼き鳥のお店『りん』に集まったのは、フジモトさんとわたしの他に、オオツカ君、オバタさん、イシワリ君とフジモトさんの5人。オバタさんとわたしが女性、オオツカ君とわたしがコピー出身で、あとの3人はアート。同じ頃に会社にいたけれど、今は全員辞めて、あちこちに散っている。

フジモトさんとわたしは誕生日がひと月違いで、10歳違い。2月9日にわたしが29歳になった翌月の3月9日にフジモトさんが39歳になった年、保険会社の仕事でロサンゼルスへロケに行った。「空でスカイ?」「雪でスノー」「砂糖でシュガー」などと英語ダジャレを言い合って、笑ってばかりの毎日だった。10年も前のことなのに、昨日のことのような気がする。わたしのダンナが年下だと思い込んで「フジモトくん」と呼んだほど見た目は若々しいくせに、オッサン化炭素(CO3)の放出量は半端ではなく、「地下一階は近いかい?」「墓地にぼちぼち行くか」などとぼやいては、周囲をオッサン化炭素中毒に陥らせていた。

フジモトさんとは、冷凍食品協会の仕事で中国の冷凍食品工場をマイクロバスで訪ねて回ったこともあった。当時はほうれん草の残留農薬問題で大騒ぎになっていたけど、去年の餃子事件に比べたら、まだ警戒レベルは低かった。工場を案内してくれた人たち、皆さんどうしているだろう。

同窓会をするたび、自分の昔を知っている人は、脳みその出張所だなあと思ってしまう。本人が覚えてないことを覚えていてくれ、何年も忘れていた名前を思い出させてくれる人たち。脳みその奥深くに沈殿していた記憶がかき回され、ゆっくりと浮き上がってくるのが面白い。

元同僚との同窓会で盛り上がるのは、思い出話ともうひとつ、今の会社の噂。広告業界はかなり厳しい時代になっていて、われらが古巣も例年になく苦労を強いられている様子。脚本家でなくなって、もう一度会社員になるとしたら、またあそこで働きたいと思うぐらい好きな会社なので、頑張って欲しい。

フジモトさんが年末に行ったコスタリカのリゾートの写真を見せてもらったり、「確定申告は青色と白色とどっちでやるべき?」話をしたりするうち、5時間が過ぎて、終電の時間になった。5人の中で、いちばん最近会社を辞めたのがオバタさんで、「話し相手がいなくて、毎日淋しいのよ〜。また相手にしてよ」と言うのを聞いて、わたしも辞めたとき、そうでしたと話す。一日に使い切るべき言葉が使い切れなくて、生ゴミみたいに腐ってガスがたまっていく感じ。時間が経つと慣れるけれど(言葉分泌量が減るのか?)、やっぱり飲み会でワイワイやるのは楽しい。

【今日のおやつ】古賀音だんご みたらし

いただきもののみたらし団子。幡ヶ谷にあるふるや古賀音庵というお店の名物「古賀音だんご」のみたらし味。説明書きに「たった一日しかもちません(中略)本物が持つ美味しさは一日のはかなさのなさに、と拘り続けてまいりました」とある。その姿勢にほれぼれし、昨日いただいたのだから、急いで食べなくては、とまず3本。止まらず、ひと箱5本ぺろりと平らげる。だんごもたれも上品でやさしくて、これは危険。ブレーキがかかりません。

2008年02月05日(火)  マタニティオレンジ234 牛乳を飲みたい
2007年02月05日(月)  マタニティオレンジ72 出産ドキュメント
2002年02月05日(火)  3つの日記がつながった


2009年02月04日(水)  映画になった『鴨川ホルモー』

2007年に読んだ約100冊のなかで、5本の指に入る面白さだった『鴨川ホルモー』が、ついに映画化。読んだときは、「映像化は難しいかなあ」と思ったけれど、同じ筆者・万城目学さんの『鹿男あおによし』がドラマ化されたのを観て、ホルモーもひょっとしたらと思ったら、暮れに映画館で予告に遭遇。映画化されるんだったら、脚本やりたかったなあと悔しがりつつ、原作ファンとしては早く観たくてウズウズする気持ちでマスコミ試写に駆けつけた。

原作を知ってから映画を観ると、「あの人物が、あの場面が、形になってる、動いてる」という嬉しさと同時に、「想像したよりよかった」「想像してたほうがよかった」と一喜一憂してしまい、純粋にストーリーを楽しむことより、そちらの答え合わせに忙しくなってしまう。この作品の場合、役者さんがかなりイメージに合っていたことで、すんなりと物語の世界に入っていけた。舞台である大学は母校であり、ロケも大学やその近辺で行われているので、これもイメージ通りだったのだけど、懐かしさをかき立てられて、学生時代の思い出がやたらと蘇り、そちらのほうで頭が忙しくなってしまった。どこからかトランペットの音がいつも聞こえているボックス(部室)。立て看板に囲まれたキャンパス。住人が仙人に見える百万遍寮(ロケ地は吉田寮)。生活力のなさを物語る男の下宿も、服装も髪型も会話も自転車の乗り方もコンパのノリも、こんな感じだったなあとうなずきながら観てしまった。三十路近い役者さんが学生役を演じても不自然にならず、むしろリアリティを感じさせる。荒川良々さん演じるような年齢不詳、時代も超越しているような先輩は確かにいた。

「ホルモー」という音ありきで原作が生まれたという話を聞いたことがある。この響き、よほどキャッチーなのか、2歳半の娘が試写状を見て、「これなに?」と聞くので、「ホルモーだよ」と答えると、それ以来「ほるもぉ〜〜〜〜」と連発している。伸ばして、繰り返したくなる中毒性があるらしい。「ホルモー」ありきで生まれた謎のサークルが闘う競技のルールも彼らが執り行う儀式もすべて架空のもの。だけど、新歓で誘われた新入生たちは怪しみつつも入ってしまい、抜けられなくなり、時が経つと、次の獲物を狙って新歓の歴史を繰り返す。活動内容は違えど、わたしが4年間をどっぷり過ごした応援団にも似たところがあった。ビールを真っ先に飲んだ一人だけが先輩の名刺を頂けるとか、灯油のポンプで酒を飲まされる(北のSS=サッポロソフトと南のSS=薩摩白波という二大アルコールが君臨していた)とか、酒の飲み方は常識離れしていたし、関係者にしかわからない歌や挨拶や儀式があった。「普通の大学生活を送りたい」と言って去っていく仲間も多かったけれど、「どうせ4年しかいられないんだし、この状況を楽しもう」という人や、抜けることも面倒になった人は残った。大学のクラブ活動という閉じた世界だけに通用する価値観って確かにあったなあと振り返り、不思議でへんてこだったけど、あんな4年間は二度と体験出来ないなあと感傷に浸った。

現実にはありえなくても、あの気分はすごくわかる。それが『ホルモー』。原作を読んでなくても、京都で大学生活を送ってなくても、学生時代特有の「あれは何だったんだろう」的没頭や熱中や迷走を体験したことがある人は、『ホルモー』に昔の自分を重ねられると思う。大人になれば壁でないものが学生時代は壁である(その逆もしかり)。登場人物たちを動かす理由や感情のひとつひとつに、受験から解放されて就職活動はまだというモラトリアムな学生らしさがよく出ていた。

監督は『犬と私の10の約束』の本木克英さん、松竹のプロデューサーは『子ぎつねヘレン』でお世話になった矢島孝さんと、企画開発で本作りをご一緒したことのある野地千秋さん。さらに主役の安倍明役は『ジェニファ 涙石の恋』主演・荒木隆志役の山田孝之さん。安倍とあやしげなサークル青竜会に同期入部する三好ブラザーズの兄役に『快感職人』で橘隼人役だった斉藤祥太さん。さらに『天使の卵』で美術教師役だった甲本雅裕さんも出演……という贔屓を差し引いても、十分楽しめる作品。でも、原作を読んでから観ると、より楽しめると思う。

【今日のおやつ】クリスピー・クリーム・ドーナツ

東銀座にある松竹の試写室からの帰り、有楽町イトシア地下のクリスピー・クリーム・ドーナツで、行列初体験。一時期のような長蛇にはなっていないものの平日の昼でも25分待ち。一個だけ買おうと思っていたら、並んでいる途中でオリジナル・グレーズドが一人一個配られた。できたてのおいしさは、格別。それですっかり満足してしまったものの、行列から抜けては食い逃げになるので、2個買って、カロリー増強。

2008年02月04日(月)  マタニティオレンジ233 子守話5「こんにちは さようなら 雪だるま」
2007年02月04日(日)  マタニティオレンジ71 「鼻からスイカ」伝説
2002年02月04日(月)  福は内


2009年02月03日(火)  嫉妬しました『60歳のラブレター』

いいらしいよと前評判を聞いていた『60歳のラブレター』を観る。撮影は芦澤明子さん。お会いしたことはないのだけど、昨年公開された『しあわせのかおり』の中華料理を実においしそうに撮った人。その香り立つ湯気に感心して、今年審査を務めた毎日映画コンクールのスタッフ部門の撮影賞にこの人を推した。同じく昨年公開の『トウキョウソナタ』の撮影もこの人。なんでもない家の中や道が持っている張りつめた感じやさびしげな感じをうまくとらえていて、空気を切り取るのがうまいなと感じた。毎日映画コンクールでの貴重な体験以来、監督や脚本以外のスタッフにも注目するようになり、映画を観るときの楽しみが増えた。

プロデューサーは、わたしの映画デビュー作『パコダテ人』を送り出し、『しあわせのかおり』でも芦澤さんと組んでいるビデオプランニングの三木和史さん。『村の写真集』『しあわせのかおり』とハートウォーミングな作品が続いている。今回はタイトルからして、わたし好み。観る前から「これ、書きたかったなあ」と思っていたけれど、観てみると、『三丁目の夕日』や『キサラギ』の古沢良太さんの脚本が実によくできていて、「かなわないなあ」と出来映えに嫉妬した。3組のカップルを描き分けつつ絡めて、それぞれに感情移入させ、見せ場を作り、伏線を回収しながら盛り上げていく。これだけの短時間にこれだけのエピソードと感動をまとめたのはお見事。脚本の古沢さんは73年生まれだけど、監督の深川栄洋さんはさらに若くて76年生まれ。その世代が60歳の映画を作ったことも興味深い。

登場人物の平均年齢の高さや抱えているものの重さの割に軽やかさを感じさせるのは、作り手の若さのせいなのかもしれない。日本映画が中高年の恋を描くと野暮ったくなりがちなのだけど、この作品は洋画のような憧れを味わわせてくれる。原田美枝子さん演じる地味な専業主婦があか抜けていく様はハリウッド映画のシンデレラストーリー風でもあり、実際彼女は美しく輝いていて、観ていてワクワクした。年を取っても、ネズミ色なんか着ないで、カンヌのビーチを散歩してたフランスのおばあちゃんみたいに花柄のワンピースをフリフリさせた下から原色のタイツをのぞかせて颯爽と歩くんだ、とわたしは勝手に自分の未来を思い描いているけれど、この映画を観て、日本の中高年がAラインのワンピースをこぞって着るようになったら楽しいなと思う。

中村雅俊さん演じる定年サラリーマンも、イッセー尾形さんと綾戸智恵さん演じる魚屋夫婦も、戸田恵子さん演じる翻訳家も、井上順さん演じる不器用な医師も、こんな人いそうだなあと思わせて、それぞれの恋の描き方もとても自然だった。イッセーさんの味のある言い回しに、『つばさ』での語りと謎の「ラジオの男」役がますます楽しみになった。

観終わってから、三木さんに「よかったですよ」と電話し、「三木さんのキャラであんな素敵な作品を作るなんてねー」とからかうと、「何言うてんですか。僕はロマンティストですよ。ガハハハ」と笑っていた。ガハハハという感じではないけれど、アハハ、クスッと笑えるところもたくさんあって、老若男女に愛される作品になる予感。5月ロードショーとのこと。

今日は節分。わたしは祖母の誕生日の2月4日を節分だと記憶していたし、子どもの頃は4日に恵方巻を食べていた記憶があるのだけど、いつの間にか3日が節分になっている。近所にある大阪鮨の恵方巻とさぼ天の「えびカツ恵方巻」を家族3人でかぶりながら、60歳はまだまだ先だなあと思った。

2008年02月03日(日)  雪の日の恵方巻
2007年02月03日(土)  映画『それでもボクはやってない』と監督インタビュー
2004年02月03日(火)  東北東に向かって食らえ!
2003年02月03日(月)  納豆汁・檜風呂・山葡萄ジュース・きりたんぽ
2002年02月03日(日)  教科書


2009年02月02日(月)  川端康成の『片腕』風子守話

娘のたまとお風呂に入っていたら、「これ ケェコのあんよ。たまちゃんのあんよ こうえんいってるの」と言い出した。言葉が達者になってくると、言うことも文学的になってくる。足だけ切り離して遊びに行くとは川端康成の怪談『片腕』のよう。今日の子守話は、たまを置いて公園へ行った足の話。ビジュアル的にグロテスクな気がして、帽子をかぶせてみた。下半身だけの人物が登場する話を以前『世にも奇妙な物語』の企画に出したけれど、ワイセツな感じがしたらしく、却下された。わたしが書けばイヤラシくならないと思うのだけど、映像にするとやっぱり怖いだろうか。

子守話40 たまちゃんのあし

たまちゃんがおひるねしているあいだに
みぎあしとひだりあしが こっそりふとんをでて 
くつをはいて そとにでかけました。
あしだけがあるいていると みんながびっくりしてしまうので
あしのうえに むぎわらぼうしをかぶりました。 

ぼうしをかぶったあしとすれちがっても
ふりかえるひとはいません。
ぼうしのしたからあしがのびているなんて だれもおもわないのです。

たまちゃんのあしは こうえんへむかいました。
いつも もっとあそびたいのに パパやママが
おうちにかえるじかんですよといって 
たまちゃんをつれてかえってしまうのです。

けれど あしだけであそぶのは たいへんでした。
ブランコは ぐらぐらして うまくのれません。
てがないと くさりをつかめないのです。
すべりだいのとちゅうでとまっても てでこげないので 
しゃくとりむしのようにくねくねとすすむしかありません。
やきゅうのボールがとんできて なげられないので 
けりかえすと いやなかおをされてしまいました。

やっぱり あしだけであそびにきても つまんないや。
みぎあしとひだりあしは たまちゃんのうえはんぶんが
ねむっているおふとんへ かえっていきました。
すっかりくたびれて へとへとだったのに
みぎあしとひだりあしが もとどおりにくっついたとたん 
たまちゃんはめをさまして げんきよく おきあがってしまいました。

おひるねがおわって たまちゃんはこうえんにあそびにいきました。
ブランコもすべりだいも じょうずにできましたが
みぎあしとひだりあしは ねむくてしかたありません。
こんなひにかぎって たまちゃんのパパとママは
なかなかむかえにきてくれないのでした。

2008年02月02日(土)  マタニティオレンジ232 ごちそうを人一倍楽しむ方法
2007年02月02日(金)  マタニティオレンジ70 子連れで江戸東京博物館
2005年02月02日(水)  しましま映画『レーシング・ストライプス』
2003年02月02日(日)  十文字西中学校映画祭
2002年02月02日(土)  歩くとわかること


2009年02月01日(日)  『指人形 笑吉』はすごかった!

「谷中でそっくり指人形作ってくれるとこがあるらしいよ。しかも、その人形で人形劇やってくれるんだって」とダンナが谷中に住む知人から聞きつけ、娘のたまのそっくり人形が人形劇を演じる光景を想像し、「そこ行こう!」と話している矢先、朝のテレビでその『指人形 笑吉』が取り上げられた。おじいちゃんの顔した人形の体当たりのギャグにたまは釘づけになり、「ここ いく!」。一家の思惑が一致し、谷中へ向かうことになった。

団子坂の交差点から谷中に向かって坂を上り、左手のせんべい屋で醤油せんべいを買って、すぐ先の角を左に曲がって、看板を目印にすぐ右へ。細い路地の奥にある一軒家に着くと、表で一服していたおじさんが「ちょうど今からやりますよ」。3人以上そろったら約30分の演目を上演。お代は一人五百円。小学生以下無料。途中からの人は心付けでとなっている。親指と中指で操る指人形のパントマイムに合わせて、先ほどのおじさんがちょこっと味のある解説をつけ加える。登場人物はほぼすべて笑吉じいちゃんだけど、演目によって人形を使い分けている。それぞれにふさわしい顔つき、手つきがあるのだ。「笑い上戸」「酔っぱらい」「朝帰り」に続いて、3匹の魚を釣り上げてカゴに納める「魚釣り」、瓦せんべいを空手で割る「瓦割り」(割ったせんべいは観客にふるまわれた)。しわくちゃの足が見え隠れする「ウォーターボーイズ」は「生涯現役」の横断幕でしめくくる。一瞬の早業の「剣玉」、頭の上で棒をぐるぐる回す「曲芸」、ラストの「五十年後の冬のソナタ」では頭にカゴをかぶせあい、実に自由自在に動く。芸達者なコメディアンぶりに、人形であることを忘れてしまうほど。

たまは最後までおとなしく見ていたけれど、ぽかんと口を開けてあっけに取られ、笑うにはまだ早かった様子。予想以上の面白さに感心しきりで拍手をしたら、驚きには続きがあり、千円で描いてくれる似顔絵の素早さとうまさに目を見張った。彩色もお見事で、これはもう名人芸。合間に額の汗をぬぐったりして、どこまでもお茶目な笑吉画伯だった。

人形劇が演じられる雛壇には歴代首相や芸能人のそっくりさんを始め、指人形がずらり。こちらを使った演目も見てみたい。そっくり指人形は人気殺到で、6年分注文がたまっていて新規の受注は止めているとか。6年経てば、たまの顔も変わってしまっている。次回は似顔絵目当てに来てみよう。

帰りは5分ほど歩いて谷中の商店街で谷中メンチ(メンチカツ)を買って食べ、バスに5分揺られて上野動物園へ。北風が吹きすさぶ動物園、暖房の効いた屋内展示が大人気だった。

今日の子守話は、動物園で会えなかったきりんの話。「きりんさんがそらとぶはなし」は、たまからのリクエストだけど、今日きりんがいなかった理由については、「キリンさんころんじゃったの。バラバラになったの」と物騒な推理をしていた。

子守話39 そらをとんだ きりんさん

そらをとびたいようと きりんさんがためいきをつきました。
たまちゃんは きりんさんにはねをつけてあげましたが
からだがおおきすぎて うまくとべません。

おかしいな。あんなにおおきいひこうきは そらをとべるのに。
たまちゃんは きりんさんをひこうきにのせてあげようとおもいつきました。
けれど きりんさんのきっぷは うっていませんでした。

たまちゃんは がっかりしているきりんさんの えをかいてあげました。
とてもじょうずにかけたので そのえを コンクールにだしました。
それは ひこうきのかいしゃがひらいたコンクールでした。
いっとうしょうになったえを ひこうきにかいてくれるのです。

たまちゃんがかいた きりんさんのえが いっとうしょうになって
きりんもようのひこうきが そらをとぶことになりました。

きりんひこうきが はじめてそらをとんだひ。
たまちゃんときりんさんは くさのうえから みあげました。
きりんさんは ながいくびをぐーんとのばして みていました。
とんだ とんだ とんだ。
まるでじぶんがそらをとんだように きりんさんはおおよろこびしました。


【今日のおやつ】イルホウレンソウの「黒糖のドライフルーツケーキ

2008年に出会ってはまったお取り寄せイタリアンのイルホウレンソウは、パスタはもちろんスイーツも優秀。ガトーショコラがとてもおいしかったので、ドライフルーツケーキも取り寄せてみたところ、洋酒にしっかり漬け込んだ木の実がどっさり。1000日漬け込んでいるそうで、いい仕事してます。生クリームを添えてどうぞと説明書きにあったけれど、ハーゲンダッツのバニラを合わせてみたら相性バッチリ。2歳児の娘も「うめ〜」ともりもり食べていたけど、かなりお酒が効いているので、大人の味。イルホウレンソウ、初めて購入の方には割引があるのでお見逃しなく。

2008年02月01日(金)  マタニティオレンジ231 たま、ネスカフェの景品に!
2007年02月01日(木)  マタニティオレンジ69 女性は子どもを産むキカイ?
2004年02月01日(日)  東海テレビ『とうちゃんはエジソン』
2002年02月01日(金)  「なつかしの20世紀」タイムスリップグリコ


2009年01月31日(土)  1月31日に『友子とモコ』を放送する意味

今日は、2005年3月に放送された『昭和八十年のラヂオ少年』以来、4年ぶりのラジオドラマ『友子とモコ』がNHK-FM放送される日。放送数時間前、ダンナとの間で、こんな会話が交わされた。

わたし「1月31日は何の日でしょう?」
ダンナ「意味なしの日?」
わたし「意味なしだったら、1月30日でしょ。ヒント、1をアイと読みます」
ダンナ「アイ、ミイ?」
わたし「アイマイミー(I my me)のできそこないじゃないんだから」
ダンナ「わからん」
わたし「愛妻の日」
ダンナ「ふーん」

それこそ「意味ない」という反応をされてしまったのだけど、今日この日に『友子とモコ』を放送することには意味がある。再び時間をさかのぼり、昨年9月末。「札幌放送局でもう一度ラジオドラマを作りませんか」と直筆の熱い手紙で口説いてくれた若手ディレクターの家富未央と半年間のメールのやりとりの末、初めて会った日のこと。それまで「夕張を舞台にしたい」というわたしの意向を受けて家富嬢が取材を重ねいた。彼女が取材で出会った元助産婦さんと現役の女性救急隊員さんからイメージをふくらませ、、炭鉱で栄えていた頃と現在の異なる時代を生きる二人の女性をヒロインにしようという話が進んでいた。そして、過去で描くのは昭和35年の2月1日未明に北炭夕張炭鉱で起きた事故の前後にしようかと検討していたのだけど、実際に企画が通るのかどうかもまだ決まっていない状態で、家富嬢に会うことになったのだった。

会うなり家富嬢は「やります」と言い、続けて「来年1月31日オンエアです」と言った。真っ先に頭をよぎったのは「時間がない!」ということ。放送一か月前に収録するとして、3か月。他の仕事と掛け持ちしながらオリジナルで一から起こすには、ぎりぎり。だけど、ほぼ同時に感じたのは、「なんというめぐりあわせ!」だった。2月1日未明ということは1月31日の深夜でもあり、放送日が偶然この日に決まったのは、このドラマを作りなさいという啓示のように思えた。わたしの経験では、こういう運命を感じる企画はうまくいく。その直感を励みに本直しを重ね、何とかクリスマス時期の収録に間に合った。

初めて組んだ家富嬢についてはハプニングがありすぎて書ききれないけれど、一言で言うと、新人コピーライター時代のわたしによく似ていた。実際見た目も似ているらしく、渋谷のNHKで一緒いいるところを見かけたラジオドラマ班の方々に「マナカナみたいにそっくり」とまで言われた。ひとまわり以上年上のわたしとひとくくりにされては可哀想だけど、自分の処理能力以上の仕事と格闘し、失敗したり空回りしては上司に怒鳴られる姿は、まさに20代の頃のわたしであり、ドラマのヒロイン、5年目だけどまだまだ半人前扱いされている救急隊員のモコと重なった。叱られるとへこむけれど、倍のパワーで跳ね返してくるところが彼女のいちばんの魅力で、いいところを伸ばして、一人前のディレクターに育ってくれたらと思う。個人的には、ドラマの中のモコの成長以上に、舞台裏での家冨嬢の奮闘ぶりが面白く、忘れられない仕事となった。

ドラマのほうは、収録に立ち会っていたので台詞は聴いていたけれど、現場の音が足されると、救命活動や炭鉱の描写もぐぐっと立体的になり、化けたな、と思った。わたしがこだわっていたラストの台詞は削られてすっきりした形になってしまい、最初は残念な思いがしたけれど、時間が経ち、いろんな人から寄せられる感想を聞いていると、そちらのほうがメッセージが届いたのかもしれないと思えてきた。何より、4年ぶりのラジオドラマを、デビュー作『タカラジマ』と第2作『雪だるまの詩』を作った札幌から送り出せた感激が大きく、次々と届く感想に返事を打ちながら余韻に浸るうちに日付が変わった。

感想を送ってくれた一人のメッセージに「この作品はダンナさんへのプレゼント?」とあった。愛妻の日の翌日、2月1日はダンナの誕生日。

2008年01月31日(木)  たまった宿題を片づける
2007年01月31日(水)  マタニティオレンジ68 左手に赤ちゃん右手にナン
2005年01月31日(月)  婦人公論『あなたに親友はいますか』
2003年01月31日(金)  トップのシャツ着て職場の洗濯
2002年01月31日(木)  2002年1月のおきらくレシピ

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