2007年02月05日(月)  マタニティオレンジ72 出産ドキュメント

昨日のマタニティオレンジを書いて、五か月も前のことをよく覚えていることに驚いた。強烈な体験は、一瞬一瞬がストロボを焚いたように、心の印画紙に焼き付けられるのかもしれない。最近読んだ漫画家の桜沢エリカさんの妊娠出産ドキュメント『贅沢なお産』にも刺激を受けて、記憶が鮮明なうちに、あの日のことを書き留めておこうと思い立った。

予定日を一日過ぎた8月21日月曜日、生まれる気配はないけれど、家でじっと待っているのは落ち着かないので、マタニティビクスへ。ズンズンという刺激は天然の陣痛促進剤になるのだが、お盆休みで一週間レッスンが空いていた。19日が予定日のトモミさんも来ていて、「今日の刺激で陣痛が来るかも」と笑いあう。自宅まで一時間半の道のりを歩いて帰る途中、「しばらく外食もできないし」とヌーベルシノワの店でランチを取る。帰宅し、ご近所仲間のT氏に借りていた『加藤泰 映画を語る』を読み、喉が渇いたな、と台所へ立ち、オレンジにストンと包丁を入れた瞬間、バン!と破裂音。フローリングの床を見ると、足元に直径三十センチほどの白濁した水たまりができていた。

わ、破水だ、と口に出して言ったわたしは意外と冷静だった。時計を見ると、17時20分。エコー検査で「たっぷりあるわね」と助産師さんにほめられた羊水は自分の体温であたためられてあったかく、温泉湯元になった気分。と、感心している場合ではない。30週の妊婦検診で見つかったGBS(Group B Streptococcus B群溶血性レンサ球菌)が薬でも消えず、母子感染する可能性があった。羊水というバリアが取り払われると、胎児は菌に対して無防備になってしまうので、抗生物質の点滴を受けなくてはならない。助産院に電話をすると、「すごく急がなくてもいいけど、早く来なさい」と言われる。電話を切ると、オレンジを食べ、出発。陣痛でアイタタなおなかをかばいながらヘイ、タクシー!の予定が狂い、羊水を受け止める巨大紙おむつをあてて電車に乗り込む。

改札を通り過ぎたとき、下腹に痛みを感じた。「お、来たかも」。破水してから二十四時間以内に陣痛が来ないと助産院では対応できず、病院に搬送されるので、陣痛様歓迎なのだった。時間は17時50分。3つ先の駅で降りて助産院へ向かう途中に軽い痛み、3分後に初めてギューッと締めつけられるような痛みが来た。歩きながらレポート用紙をはさんだバインダーとペンを取り出し、記録開始(以下、緑字で再録)。18:09軽 12ギューッ。出産というまたとない体験をネタとして書き留めない手はない。19軽 24ギューッ 29軽。はっきり陣痛だとわかる痛みが、交互に緩急つけてやってくる。36ギューッ。腰痛い。

助産院に着き、体重を計り(56.5キロ)、採尿。出産用の前開きガウン状パジャマに着替える。45ギューッ。48ギューッ。かなり腰痛い。50注射 注射と書いたのはGBSをおさえる抗生物質の点滴のこと。入院は自分が生まれたとき以来だが、点滴も初めて。効果は6時間。それまでに生まれなければ追加で打つ。「生まれていることはまずありえないわね」と助産師さん。初産なので目標は明日のお昼と言われ、「そんなに持ちません!」と悲鳴。いやいや、大変なのはこれからよと笑われる。話している間に、55ギューッ
19:00軽 05かなり 11かなり しんどくなってきて、「痛い」を省略。
20最大 22弱め 腰骨に指をめりこませるようにするとラク 
25いたい 30いたい 34歩くがしゃがみこむいたさ
 「痛い」が漢字で書けずひらがなになる。ここで、それまでいた診察室を出て、入院室に案内された。ベッドとテーブルと洗面台のある個室。
36痛い 犬のポーズやると楽 40呼吸吐くのを意識するとラク。犬のとき腕のほうにぐっと力いれる。44 かなり痛 47 鈍痛 50 かなり痛 ベッドに移動
漢字を書けているということは比較的余裕があったのか。
52〃 56〃 59〃 「かなり痛」と書く体力がなく、簡略化。
20:01最大 03〃 06〃
10 12 14 16 20 22 25 〃を振る気力もなく、数字を記すのが精一杯。
余白にウィダーインゼリー1本と走り書きがある。それまで買ったことはなかったが、助産師さんの指名で、ダンナに買ってきてもらった。結局、液体より固体よりこれがいちばん口に入りやすく、役に立った。大好きなペルティエのパンは長期戦に備えて二千円分買い込んでもらったが、ひとつも喉を通らなかったし、バナナも半分でギブアップ。ダンナはこの頃に駆けつけたと思われる。何度「立ち会って」と頼んでも「約束できない」とはぐらかされてきたが、いざとなるとちゃんと来てくれた。
27おにぎりおかか 体力つけなきゃと無理やり食べた記憶がある。
30最大 35うんち? 実際は便意ではない。赤ちゃんが降りてきている証拠。 
37限界 38 40最大 トイレ行く いきみのがし押してもらうと楽
21:00移動
 ここで分娩室に移動。といっても分娩台はなく、和室に布団が敷かれた部屋。抱きかかえて苦痛を和らげるビーズクッションがでん、と置いてあった。
21:10フーウン これを最後に絶筆。「フーウン」というのは呼吸法。

そこから先のことは記録には残せなかったけれど、手当たり次第にシャッターを押して撮った写真のように記憶に残っている。廊下の壁、トイレの壁、本棚の上、ソファ……オリエンテーリングのポイントを回るようにあちこちに手をつきながら陣痛をやり過ごしたこと。ダンナに頭をなでられたのがすごく安心できて、ふわふわといい気持ちになったのに、次の瞬間、「触らないで!」と手を払いのけ、そんな自分を「逆毛を立てて威嚇する妊娠猫みたい」と思ったこと。ダンナがいったん仕事に戻り、助産師さんがトイレで離れた五分間が永遠のように長かったこと(病院での分娩ではぎりぎりまで放っておかれることが多いらしいが、わたしが産んだ助産院では基本的につきっきりだった)……。順不同で、時系列に並べ替えるのは難しいけれど、画像は鮮明で、そのときの音やにおいや手触りも一緒に保存されている。

極限状況に陥ると、人は正気を保つために気を紛らわせる努力をする。「笑う出産」「歌う出産」「踊る出産」「祈る出産」など様々なスタイルがあるようだが、わたしの場合は「しゃべる出産」だった。「今どうなってますか」「なんでこんな痛いんですか」「あと何時間ですか」と助産師さんを質問攻めにし、「マタニティヨガで習ったんですけど、このポーズ楽です」「ああ、いま束の間の休息です」「この呼吸法、母親学級でやりました」などと実況し、合間に「年間何人ぐらい取り上げているんですか」と取材したりした。「あなたは最後まで冷静だったわ」と後で助産師さんに言われたが、言葉を発散することで、ばらばらになりそうな気もちをつなぎとめていた気がする。

先に破水した分、クッションがなくて衝撃がもろに伝わるので、陣痛がきつかったらしいが、そのおかげでお産が早く進み、初産にしては特急スピードの四時間で「子宮口全開」と言われるステージまで来た。ここまで来たら、あとは出すだけ、の段階。その時点で23時頃だっただろうか。助産師さんも「もしかしたら日付が変わる前に生まれるかも」と言い出した。当初の見通しより12時間繰り上げとなる。ところがそこから先が難航。これで最後と思って踏ん張るのに、出そうで出ない、その状態が二時間以上続き、気力体力ともに限界。24時、二度目の点滴の後、鼻に酸素吸入のチューブが差し込まれた。

25時頃、助産師さんが応援をお願いしたベテラン助産師さんが到着。白衣に白髪、深夜に駆けつけたにも関わらず、きちんと化粧を施された顔はおしろいで白く、その中でピンクの口紅を塗った唇だけが色を放っている。ベテランの余裕と貫禄を登場の一瞬で感じさせた。「さあ、ここからが正念場だよ」。すでにさんざん正念場だったのだけど……。「もうダメです!」と弱音を吐くと、「赤ちゃんはもっと苦しい!」と激が飛ぶ。火事場の馬鹿力でいきむと、「上手、上手」と助産師さんが二人がかりで褒めてくれる。「だいぶ進んだよ」「ほら頭が見えた」「鏡で見る?」「手を伸ばしたら、頭触れるよ」。そう言われても、「そんな余裕ないです!」と叫ぶ。「痛い、痛い」「どこが?」「股!」「そりゃ股は痛いわ」と助産師さんが吹き出す。やはり直径的に無理がある、と鼻からスイカ伝説を思い出すが、ここまで来たら出すしかない。

「ヒ、フー」だった呼吸はついに「ハ、ハ、ハ、ハ、ハ!」と舌を出す犬状態に。あとはもう無我夢中。ゴールテープが見えたマラソンランナーの心境。出産の瞬間はえもいわれぬ爽快感がある、と誰かが語っていた。「十か月の宿便」は言い得て妙なのかもしれない。めったに味わえない感覚だから、それをしっかり味わおう。楽しみができると、雲間に射し込む光のように、マッシロな頭に余裕が生まれた。出産中は麻薬物質のようなものが出て、痛みに鈍くなるという話も聞くから、そのときのわたしは恍惚状態に入っていたのかもしれない。

「さあ、行きますよ」。助産師さんの声にもラストスパートの力がこもる。次の瞬間、おなかの上に確かな重みがのっかった。小さな体を震わせ、泣いている生き物、これがわが子なのだとすぐには実感が湧かない。母親学級で見せられた出産ビデオでは、無事出産のこの場面でどばっと涙が出た。自分のときは号泣するんじゃないかと思ったら、安堵感のほうが大きくて放心状態になっていた。修羅場の喧騒がしずまると、CDから流れるオーボエの穏やかな音色が部屋に満ち、なぜかフランダースの犬の最終回、教会の冷たい床で抱き合うネロとパトラッシュの姿が頭に浮かんだ。

「8月22日午前2時28分」。助産師さんが壁の時計を読み上げながら素早くメモする。上から読んでも下から読んでも822228、回文だ。このとき、産んでみてのお楽しみだった性別を知る。男の子だと勝手に思い込んでいたので、女の子だとわかってびっくり。出産の間、わたしが「たまー、がんばれー」と呼びかけていたので、産まれた途端、助産師さんも「たまちゃん、よかったねー」と呼んでくれたのだが、「名前じゃなくて、卵のたまです」と言うと、不思議な顔をされた。ダンナの手にハサミが渡され、テープカットならぬへその緒カット。健康なへその緒は太くて弾力がある。ゴムチューブのような手ごたえで、なかなか切れなかった。

やっと出産が終わったら、まだ胎盤が残っている。後産というらしい。ゴールテープを切った後にもう一周と言われるような気分。胎児に比べるとずっと小さいのだけど、モチベーションが低い分、しんどい。これが赤ちゃんの入っていた袋、胎嚢。破水のとき、ここが破れたのよ。これが胎盤。レバーみたい? などと助産師さんが丁寧にレクチャーしてくれる。胎盤を食べたという知人がいて、わさび醤油がいけると話していたが、わたしは食欲が湧かなかった。

たまはいったん診察室に連れて行かれ、身長と体重を計られる。50センチ、3238グラム。小さく産むはずだったのに、大きく産んでしまった。初めてのおっぱいを含ませながら、「3000切ってたら、もう少しラクだったんですかねえ」と言うと、「生まれるタイミングは赤ちゃんが決めるから」と助産師さん。今日出てきたい、とたまが思ったのだから、それでいい。

羊水を体じゅうにつけたままおむつだけ着けた生後一時間のたまとわたしとダンナを和室に残し、「今夜はここでゆっくり休んで」と助産師さん二人は去って行った。「産んだ直後は何ともいえないほど幸せ」と先に出産した友人たちに聞いていたが、疲れているはずなのに興奮して寝つけない。うとうとしてはすぐ覚め、隣で寝息を立てているたまを確かめて、「完璧だ」とつぶやいたり、子宮に比べたらこの部屋は宇宙ぐらい広いだろうなあと想像したりした。

2002年02月05日(火)  3つの日記がつながった

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