2008年10月14日(火)  このごろの、たま語

今月22日で2才2か月になる娘のたまの言葉を集めたたま語。最近の仕入れから。

犬が後ろ足上げてオシッコするのを見て、
「バレリーナしてるねー」

鏡に映った自分をじーっと見て、
「おめめ おおきいねー」

帰宅が遅いパパを待って、
「パパ さんぽながいね。こまったねー」

近所の大学のキャンパスを散歩していて帰りたがらないので、「ここに残って何するの?」と聞くと、
「べんきょう する」
でもその後で、「チッコ する(おしっこする)」。勉強とトイレが同じ次元に……。

パパが木を指差して「植物も、たまと同じで生きてるんだよ」と教えると、自動車を指差し、
「これも いきてる?」

まだ卒乳の気配なし。おっぱいへの呼びかけはさらにカジュアルに。
「トントン、はいってるか? はいってるよ。いってみよう」
(オリジナルは、「トントン、はいってますか? はいってますよ。いただきます」)

さらに、おっぱいの味を聞いたら、
「りんごのあじ」
先月は「にゅうにゅうのあじ」だったけど、秋の味覚に昇進?

玄関で靴べらを見つけて、
「もじ」(しゃもじ)

2004年10月14日(木)  PLAYMATE 第5弾!『SWAP 2004』
2002年10月14日(月)  四あわせの五円玉


2008年10月13日(月)  鎌倉山の陶芸教室と『静辰』

セピー君とお母さんの志雅子さん、わが家の三人、夕食だけのつもりが宿泊になったテスン君とユキコさん、朝7時に合流したダンナの妹ケイコちんとともに江の電に乗って、七里ケ浜へ。お目当ては、「世界一の朝食」と噂の『Bills』。『アテンションプリーズ スペシャル シドニー・オーストラリア編』の脚本執筆でシドニーのことを調べているときにこの店のことを知り、湘南にあるという海外1号店のことも気になっていた。昨日セピー君が「行こう」と言い出し、山積みパンケーキ状態の期待を抱えて乗り込んだのだけど、開店15分前にして一時間待ちの行列。

諦めて、徒歩5分ほどのファーストキッチンへ。世界一の朝食よりも海に近いテーブルで頬張るバーガーは、格別。数あるファーストキッチンの中では世界一の朝食と言えるかも。

テスン君、ユキコさんとは朝食の後に別れ、あとのメンバーはタクシーで鎌倉山へ。前日から鎌倉入りしたのは、ダンナの小学校時代の同級生で陶芸家のダンちゃんのkamakura山陶芸工房を訪ねるためだった。10時前に前を通り過ぎたタクシーの窓から見ると、Billsの行列は店内に納まっていた。

2歳児連れのわが家に配慮して、貸し切りで教室を開いてくれたダンちゃん先生。各自ろくろと手ふき布と粘土を配られ、まずは「作りたい物を言っていただけますか」と先生。セピー君は「邪視」という目玉みたいなものを入れる器、志雅子さんはキャンドルホルダー、ケイコちんはぐいのみ、ダンナは一輪挿し、わたしは「たまの手型を押した」お皿。「一輪挿しより器のほうが使えるよ」と言ったが聞き入れられず、「せめて取っ手がゾウの鼻になってるとか、面白いの作ってよ」と言うと、「それはどうでしょう」とダンちゃん先生に首を傾げられた。基本的には生徒のやりたいことを引き出すのが上手な先生で、「どうしたいですか?」と聞いた上で助け舟を出してくれる。師いわく、「実現したいという気持ちがあれば、方法は見つかる」。

土台を作り、ぐるりを積み上げてから形を整えて行く。娘の手型のついた皿にもてなし料理を盛って、「これ、たまの手なんです。合作」と言って話のタネにしようというのがわたしの目論みだったのだけど、粘土に手を押しつけようとしたところたまがぐずりだし、激しく抵抗。「お母さん、それぐらいで」とダンちゃん先生に止められ、手型を諦めることになった。

セピー君は作るうちに「邪視そのもの」を粘土で作りはじめ、ケイコちんのぐいのみは巨大サイズのビールジョッキに化け、ダンナの一輪挿しは不器用さを物語る塊に仕上がって行った。志雅子さんの作るキャンドルホルダーだけは、最初からブレがなく、着々とイメージに近づいて行く。

結局、わたしが作ったのは、ハート型の大ぶりの器。サラダや煮物を入れるのによさそう。手型をつけられなかったかわりに、底にハートをくっつけた。セピー君から余り粘土を分けてもらい、ミルクピッチャーを作りかけたらうまくまとまらず、ハート型の小ぶりの器になった。姉妹みたいで、これはこれでいいかもしれない。表面を丁寧にならし、うわ薬を塗り、藁で飾り用のキズをつけて完成。乾燥した後ダンちゃんが焼き上げてくれる。出来上がりは、一か月後のお楽しみ。

せっかくだから教室の後に鎌倉らしいところで食事をということで案内されたのが、教室からすぐ近くの坂道をひょいと入ったところに建つ一軒家。『静辰(しずたつ)』という暖簾が下がり、軒先には大きなからすみを干している。お寿司やさん? 中に入ると、洋間と和室にテーブルが一つずつ。昼夜ともにひと組しか客を取らないのだという。

陶芸教室に出た後は、器を見る目もいつもより観察深くなる(器を勉強するために、「いいお店」を知っている陶芸家は多いのだとか)。陶器の平皿にパンが盛られているのが新鮮。このパンが外はカリッ、中はモチモチ、後に続く料理への期待を否応にも高めてくれる絶妙な味。

ひと皿目は、パンによく合うよう計算された塩加減のパテ。ターメリックで味つけしたタマネギと里芋を添えて。タマネギはあまりに美しく澄んだ黄色に染まり、これは何だろうかと一同で答えを出し合ったけれど、正解はいなかった。

ふた皿目は、魚介のカルパッチョ。たまがむさぼるように食べた。彩りも楽しい生野菜はシャキシャキとした歯ごたえで新鮮そのもの。

三皿目は、大きなほたて貝の殻を器にしたきのことほたてのグラタン。これまた、たまが半分以上食べてしまった。

四皿目は、イカスミのたきこみごはん。とっても辛い大根が添えられていて、ちょっとずつ混ぜて食べる。こんなもの、食べたことない。

そして、デザートは、ふわふわの雪玉のようなまあるいチーズケーキ。danchuに作り方を紹介されたときの記事が壁に貼ってある。シェフの川口氏の看板メニューの様子。たまの食いつきはすさまじく、皿に鼻をつけんばかりに身を乗り出し、「うめー」とうなりながらほとんど平らげてしまった。

厨房から出て来たシェフに、「おいしいです!」を連呼するたま。浴びるほど称賛を受けてきたと思われるシェフも、「子どもは正直ですよ」とうれしそう。たまは厨房まで追いかけ、なおも「おいしいです!」。一食でずいぶん舌が肥えてしまった気がする。椅子にじっとしていない子ども連れでコース料理を最後まで味わえるのは貸し切りだからこそ。ゲストブックに名前を求められたが、次回訪ねたときに今回と違うメニューを出すためなのだそう。

鎌倉山から鎌倉駅へ向かうバスが一時間に二、三本ほどしかないので、歩きながらバスを待つことに。あと少しでバス停というところで追い抜かされること二回。足が疲れてバス停で休んだら、今度は40分以上待たされた。でも、両側にこだわりの注文建築の家が並んでいたり、かわいいパン屋さんがあったり、歩いていて楽しい道だった。

2002年10月13日(日)  新宿のドトールにいませんでした?


2008年10月12日(日)  鎌倉で語り明かす

三連休の二日目。仕事を夕方で切り上げ、由比ケ浜の海沿いのレストランで、先に鎌倉のセピー君のセカンドハウスに遊びに行っていたダンナと娘のたまと合流する。テーブルを囲んだのは、セピー君と、はじめましてのお母様の志雅子さんと、来月に挙式を控えたテスン君とユキコさん。前々からやりましょうと言っていた婚約祝いの会を、わたしたちが鎌倉に泊まる日に合わせて急遽開催することになった。

テスン君とユキコさんは翌日に式の打ち合わせがあるため、今夜中に東京に帰ることに。夕食が終わって、もう一杯だけ飲みましょうとなり、海沿いの道をぶらぶら歩いてセピー君のセカンドハウスへ。一杯が二杯になり三杯になり、「終電で帰るか泊まるか」の時間になり、結局二人は泊まることに。これまでに何度も繰り返されている歴史。このメンバーが集まると、話が尽きない。テスン君のお兄さんとセピー君とダンナが学生時代に同じ寮に住んでいたという縁で、共通の知人友人も多い。元首相から「あなたとは違うんです」発言を引き出した記者のD君もその一人。去年わが家で集まったときもD君は皆を質問攻めにしていた、なんて思い出話で盛り上がる。

今宵は志雅子さんという強力なスパイスも加わり、いつも以上にテーブルが熱くなった。イラン人との国際結婚をユーモラスに綴った著書『『そこは、イラン―私が愛してやまない国』』を読ませていただいて以来、会える日を楽しみにしていた志雅子さんは、着ているものといい物腰といい、どこか日本人離れした雰囲気。年齢も不詳で、オバサンじみたところがまるでなく、チャーミングな女性だった。

傑作だったのは、ウンチをしたかもしれないたまのおむつに鼻を近づけ、わたしとダンナが「チョスったかな?」「チョスったかも」と話していたときのこと。「チョス」はウンチの愛称「ウンチョス」をさらに略したわが家語なのだけど、「チョスはペルシャ語で、とても臭いおならという意味です」と志雅子さんが言い、一同大爆笑。「ペルシャ語と日本語は結構つながっているんですよ。チャランポランは、ペルシャ語でも、チャラン(グ)ポラン(グ)、地面はザメンと言います」と志雅子さん。

テスン君は漫画の編集者だけど、これまで仕事の話をしたことがなかった。今夜、どういう流れからか、「いつでも企画を求めている」という話になり、「こんな話があるんだけど」とあたためている企画を話すと、「それ面白いじゃないですか」と乗って来て、「僕だったら、ラストはもっと身につまされる形にしますね」とアイデアも飛び出し、テスン君の勢いは止まらなくなった。わたしもうれしくなって打ち返し、突如始まった一騎打ちブレストをセピー君たちは面白がって眺めていた。他にどんな企画があったっけなと思いめぐらせ、「どんな企画が欲しい?」と聞いたところ、テスン君は急に熱が冷めたような顔つきになり、「相手の要望を聞いて企画出してちゃダメですよ。どうしてもこれがやりたいんだ、これを形にしたいんだ。そういうものじゃなきゃ、こっちも乗れません」。まったく、その通り。お酒より何よりしびれる言葉だった。

要所要所に古今東西の名言を引用し、会話に知的な彩りを添えてくれるセピー君が、「タゴールの詩にこんなのがあってね」。この妻と子さえいなければ自分は神になれたのに、と思って家を出た男を神がつかまえて、「なぜあなたは、あなたのそばにいる神を捨てたのか」と問う、そんな内容。幸せは自分のすぐそばにあるのに、それに気づけないことが不幸なことだとわたしは常々思っているので、「わたしが考えていることと同じ!」と反応したら、「タゴールと肩を並べるなんて、図々しいにもほどがある」とダンナは呆れ顔。彼は目の前の神に気づいていない。

2007年10月12日(金)  マタニティオレンジ191  「働きマン」と「子育てマン」
2006年10月12日(木)  マタニティオレンジ18 デニーズにデビュー
2005年10月12日(水)  シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2003年10月12日(日)  脚本家・勝目貴久氏を悼む
2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』


2008年10月11日(土)  2回目の運動会

娘のたまの保育園の運動会。「うんどうかい くる?」と何週間も前から楽しみにしていたくせに、昨夜はぐずってなかなか寝つかず、寝ぼけ顔で開会式を迎えた。父兄による紙のトーチの聖火リレーで、開会。今年の競技はほぼすべてが親子参加型で、まずは全クラスの親子で『崖の上のポニョ』に合わせて準備体操。続いて、競技。たまがいる2歳児クラスは「親子かけっこ」「アンパンマン体操とバイキンマン撃退ボールなげ」「おいしいものさがし(パン食い競走のおせんべい版)「アンパンマン障害物走」。たまは最後まで眠たそうでエンジンがかからず、障害物走で鉄棒にぶら下がるときも、足は地面についたままだった。

圧巻だったのは父兄と先生方による椅子取りゲームならぬフラフープ取りゲーム。大小さまざまなフラフープのまわりを音楽にあわせてぐるぐる回り、音がストップしたら輪の中へ。両足が入ればオッケーで、ひとつのフラフープに飛び込んだ大人たちがしがみつきあっている様が笑いを誘った。一回ごとにフラフープの数が減らされ、最後は小さなフラフープひとつに。圧倒的な強さを見せた同じクラスのママが優勝した。

去年とはまったく違うプログラムで、競技に使う道具や飾りを一から手づくりしたのかと思うと、頭が下がる。先生方、おつかれさまでした。

2007年10月11日(木)  Sky fish公演 Vol.6『二神(ふたかみ)』
2006年10月11日(水)  マタニティオレンジ17 再開&再会
2005年10月11日(火)  ユーロスペースで映画ハシゴ
2003年10月11日(土)  わたしを刺激してください


2008年10月10日(金)  おなかの中にいたときから友だち

マタニティビクス仲間のトモミさんが娘のミューちゃんと一緒に遊びに来てくれる。ミューちゃんとわが娘たまは誕生日が一日違いで、背格好もよく似ていて、姉妹を見ているような感じ。おなかの中にいた頃から近くにいたせいか、久しぶりに会ってもなんとなくなじんでいる。

わたしが超手抜き晩ご飯を用意する間、トモミさんが子どもたちと遊んでくれた。誕生日祝いにもらったカップ入りの24色粘土「ねんDo」を開けるのが怖くて、わが家では未だに封印して積み木として遊んでいるのだけど、トモミさんは「これと同じ色を探してみよっか」と絵本『大きなかぶ』のページを開いて色探しごっこを始めた。粘土と同じ色を見つけたミューちゃんとたまが「あった」とうれしそうに指差す。この遊び、先日トモミさんが母娘で参加した泊まりがけの自然教室で教わったそう。指導員さんが「これと同じ色の葉っぱを探してこよう」と落ち葉を見せ、母子は拾った葉っぱを見本と照らし合わせては「もう少し赤いね」「近いね」などと話し、自然が作る微妙な色の濃淡を学んだという。

子どもの数だけ子育てはあって、他のお母さんと話していると、こんな教室があるんだ、こんな便利なものがあるんだ、こんな考えがあるんだ、などと発見がある。娘を保育園に預けて働いていると、ママ仲間と交流する機会があまりないので、トモミさんが運んでくる情報はとても新鮮。ママ同士のおつきあいは、いい刺激を受けられる反面、互いの子育てを尊重することには気を遣うそう。

ミューちゃんとたまは「またきてね」「またくるね」と再会を約束。おなかの中で一緒に踊っていた二人が言葉を交わすようになったことに、時の流れを感じた。

2007年10月10日(水)  マタニティオレンジ190 3人娘1歳合同誕生会
2004年10月10日(日)  爆笑!『イラン・ジョーク集〜笑いは世界をつなぐ』


2008年10月08日(水)  願えば never ever

友人の男性二人と、共通の友人であるプレイボーイ(死語?)の噂をしていたときのこと。一緒に飲みに行ったとき、彼は我々そっちのけで女の子を口説いていた。
「で、ジョウジュしたのかね?」と友人1が言った。
「ジョウジュ?」と友人2が聞く。
「つまり、小さいユを抜いて……」
「情事」を遠回しに言って「成就」とは、なかなか奥ゆかしい。高校生の頃だったか、『危険な情事』という映画に誘われて、ジョージという暴れ者が活躍するアドベンチャーだと誤解して観に行ったらドロドロの不倫ホラーで困ってしまったことも思い出した。

日本語を絶賛吸収中の娘のたまが話す「たま語」も、似ている言葉に気づかせてくれる。保育園の帰りに買うコロッケを食べるとき、「はんぶんこ!」というところを「じゅんばんこ!」と言う。そのたびに「じゅんばんこじゃなくて、はんぶんこよ」と教えると「はんぶんこ!」と言い直すのだけど、翌日になるとまた戻る。「ん」と「ん」と「こ」が同じ場所に入っていて、たしかに似ている。

魚を食べていて、「たね」と言い、ブドウを食べていて、「ほね」と言う。「ほね」と「たね」、「ね」で終わる二文字の邪魔者同士。絵本のネタにもなりそうだ。

「かまくら」と「キャバクラ」が似ていることはオヤジギャグでも言い古されているけれど、「かまくら」と「かまきり」のほうがもっと似ていることも、オヤジよりぐぐっと目線を下げた子ども感覚での発見。KAMAKURAとKAMAKIRI、ローマ字にするとかなり紛らわしい。紛らわしいローマ字といえば、「CHIBA」あてのエアメールが「CHINA」に回されて、ずいぶん遠回りして着いたという笑い話が新聞の投書欄にあった。

そういえば、田園都市線で通勤していた頃、「次は〜宮前〜平〜」という車内アナウンスに突っ込みを入れるようにランドセルを背負った男の子が「見覚え〜ないか〜」と呟いたのを聞いて、ハッとしたことがあった。「ミヤマエ〜ダイラ〜」と「ミオボエ〜ナイカ〜」が似ていると、彼はいつ気づいたのだろう。

そんなことを考えていたせいか、ストリートライブがひしめく代々木公園脇の歩道を通りがかったとき、「願えば never ever」とラップバンドが歌うのが耳に飛び込んできた。「ネガエバ」と「ネバエバ」はたしかによく似ているけれど、「願えば きっと」とは真逆な意味になる「願えば never ever」はどういう文脈で使われているのか。「never ever諦めない」のように、後にネガティブな言葉を打ち消す歌詞が続いていたのか、気になる。


2008年10月07日(火)  朝からベランダで野良仕事

「ベランダの防水工事をするので5日中にベランダのものを撤去してください」という通達がポストに投げ込まれていたのが4日。他のお宅も驚いたと思うけれど、うちは青ざめた。家の中が散らかっていてベランダだけは片付いているなんてことはありえない。お客さんが立ち入らないのをいいことに、荒れ放題ぶりは室内の比ではなく、捨てられない症候群のツケが山となって積まれている。

会社で捨てられていたのを持ち帰ったものの置き場所がなく追いやられた木の机。何年も使っていないけれど捨てるにはもったいないダンナのゴルフバッグ。枝が立ち枯れたままの植木鉢が点々と十あまり。さらにビニールの苗木用ポットが出てくる出てくる。その数、五十は下らない。先月大阪に帰省中にアイビーが枯れ果てたのを最後にわがベランダに生息していた植物は絶滅してしまったのだけど、ビニールポットを数えながら、こんなに枯らしちゃったのかと申し訳なくなる。ポットの分だけ土が持ち込まれたわけで、雨ざらしで朽ちかけたすのこ8枚をめくった下は、鉢からこぼれた土に覆われてコンクリートが隠れていた。

防水工事ってどういう工事なんだろ。コンクリートにコーティング剤みたいなものを重ねるのだろうか。業者さんはどうやってベランダに立ち入るのだろう。片付けなさいの警告チラシには工期しか書かれていなかった。不親切なと文句のひとつも言いたい気分になるけれど、締切に迫られないと重い腰を上げないわたしへのありがたい強制力だと思うことにする。

机とゴルフバックと植木鉢とすのこは玄関に避難。大量のビニールポットと枯れ枝も拾い、後には落ち葉まじりの土が残った。そういうわけで、今日は朝から左手にビニール袋、右手にスコップとほうきを代わる代わる握って、土さらい。これ、どこまでどけたら「撤去」になるんだろう。うっすら土をかぶったコンクリートに防水加工は施せるのだろうか。土ぼこりの中で、謎は渦巻くばかり。

2006年10月07日(土)  マタニティオレンジ16 おっぱい出張所
2005年10月07日(金)  国民行事アンケート「国勢調査」の行方


2008年10月06日(月)  『食いタン妻』と『百均探偵』

友人からの食事の誘いに「食いしんぼの妻も喜びます」とメールを返信したダンナが、「食いしんぼ妻って、なんかドラマにならない?」と言い出した。制作とは畑違いの人だけれど、わたしの企画を聞かされるうちに「これぐらいなら自分にも思いつく」と妙な自信をつけたようで、ときどき思いつきを投げかけてくる。「食いしんぼ妻って、どういう話よ?」と突っ込むと、「君みたいな食い意地の張った妻が人が困っているところに現れて、そこの家にあるもの遠慮なしにむしゃむしゃ食べて、悩み聞いたりして解決する話」と言う。がめつい食いしんぼ妻のキャラクター設定を聞いていると、わたしはこんな風にダンナから見られているのか、とガックリするのだけど、わが妻をモデルにしたドラマで視聴率を稼げると思っているのか? 

ダンナ「いかにもおいしそうに食べるところが共感を呼ぶんだよ。
    毎回おいしそうなものを出してさ。
    その食べものが問題解決とつながってたりするんだな」
わたし「ただ悩み聞くより、事件もののほうが面白くない?」
ダンナ「いいねっ。食べたらひらめく食いしんぼ妻」
わたし「それって『食いタン』の探偵が人妻になっただけじゃないの?」
ダンナ「あ……」

こうしてダンナのひらめきは膨らませる前にしぼんだ。
企画会議でもよく話題になるけれど、いいこと考えた!と膝を打っても、突き詰めていくと、どこかで聞いたことある話になることは多い。パクリとか真似とかいう以前に、人が考えることって自然に似てしまう。見たことない話を考えるのって大変だ。

妻ものでいえば、以前『白鳥の湖』を観に行った後に、並び席で鑑賞していた「かよちゃんのお姉さん」が、「私、勘が強いの」と言い出した。「一目見て、浮気しているとか見抜いちゃう」と言う。「そういう主婦が主人公の話ってどう、今井ちゃん?」と聞かれて、昔書いた企画『百均探偵』を思い出した。身の回りのものはすべて百円均一ショップでそろえ、それらをアレンジして素敵に暮らすやりくり上手主婦が、百均グッズを手がかりに主婦的ひらめきを発揮して事件を解決するというもの。探偵ドラマのネタを求められて何本か書いたなかで、これがいちばん好感触だった。というか、これ以外は「目新しくない」という理由でまったく引っかからなかった。他には『ガーデニング探偵』や『ペット探偵』といった案を出した覚えがある。『ペット探偵』は迷子のペット探しをするペット探偵が事件も解決する話なので、正しくは『「ペット探偵」探偵』か!? 

『百均探偵』もそれ以上は進まず、デビューしたばかりだったわたしは「二時間ドラマのネタじゃないかぁ」とあっさり引き下がった。転んでもタダでは起きない今だったら、「30分のシリーズ、いや10分とか短いシリーズならどうだ? そのほうが、かえって百均らしいお手軽感が出るかも」と気を取り直してプロットを書き直し、プロデューサーを追っかけるのだけど、今度は書く時間がない。でも、3分クッキングみたいな超ミニ枠だったら……。日常に潜む素朴な謎を解く一発芸。ヒマを見つけてネタを書きためてみようか。かよちゃんのお姉ちゃんをブレーンにして。『食いタン妻』よりは、きっと新しい。

2007年10月06日(土)  マタニティオレンジ188 フミキリン
2006年10月06日(金)  マタニティオレンジ15 がんばれ母乳部
2005年10月06日(木)  行動する芸術家・林世宝さん
2004年10月06日(水)  ローマの一番よい三流のホテル
2002年10月06日(日)  餃子スタジアム


2008年10月04日(土)  「集中力」と「気晴らし力」

娘のたまをダンナの実家に預けて朝からパソコンに向かう。夜中までかかることを覚悟していたら、思いのほか早く夕飯前に仕事が片付いた。娘は泊まりだし、解放感もあってダンナと外で食べようということに。ご近所仲間のT氏を誘うと、ちょうど空いていて、三人で名古屋コーチンのお店へ。居酒屋で飲みながら食事をするのはひさしぶり。ミモザを飲んで焼き鳥をつまみながら共通の友人の話に花を咲かせていると、頭の凝りもほぐれる。ほろ酔いで夜道を散歩しながらなおも話し続け、よく笑った。体の中に風が吹き抜けたようなさっぱりした気分になり、明日からまた書けそうな気力が湧いてくる。仕事には「集中力」と「気晴らし力」の両方が必要で、その気晴らしにつきあってくれる家族や友人がいるのはありがたい、と感じた夜だった。

2002年10月04日(金)  平日の休日
2000年10月04日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/03)


2008年10月03日(金)  シナトレ11 台詞の前後を考える

「ちひろって名前もね、パパとママがいちばんいいと思ってつけたんだから」
自転車がわたしの脇を通り抜けた一瞬、聞き取れたのはその台詞だけだった。5才ぐらいの女の子を乗せたママチャリが去って行くのが見えた。言葉が途切れがちに聞こえたのは、ペダルを漕ぎながらだったからだ。母親の言葉の前に、女の子は何と言ったのだろう。その答えになるような母親の言葉に、女の子は何と反応したのだろう。「ねえママ、どうしてあたし、ちひろって名前なの? 同じ組のちひろ君と同じで、けっこんしたら同せい同名だってみんなからかうんだよ」とすねて見せたのを母親が諭したのか、「あの犬、タマって変な名前だね。ネコみたい」と笑ったのを母親がたしなめたのか。台詞の前後に思いを馳せると、それを口にした人物の人となり(キャラクター)が見えてくる。「生きた人物」が発した「生きた台詞」を手がかりに前後のやりとりを考えてみるのは、「生きたキャラクター」作りのいい練習になる。それをシーンとして書き起こす余力があれば、なおいい。

わたしの場合、夢想癖のある子ども時代から想像スイッチが入りやすい体質ではあったけれど、「人の台詞」を聞き取ることを意識するようになったのは、「頭のテープレコーダーを回せ」(この表現に時代を感じる。今ならICレコーダーかも)とコピーライターの先輩に言われてから。そして、その台詞の背景(どんな人がどんな気持ちで言ったのか)に思いを馳せ、台詞の前後を想像するクセがついたのは、脚本を書き始めてからのように思う。

以前、ある売れっ子CMプランナーが創作の極意を聞かれて、「とくに何もしてませんが、感情を突き詰めて考えるようにしてます」といったことを語っているインタビュー記事を読んだことがあった。悔しいとき、悲しいとき、うれしいとき、面白いと思ったとき、なんでそんな気持ちになったのかを突き詰めて考える。泣いている人、怒っている人を見たら、何があったのか想像してみる。なぜ人は心を動かされるかが見えてくると、15秒、30秒という短い時間で人の心を動かすCMにつながる……。記事を読んだ当時はピンと来なかったのだけど、脚本と広告の二足のわらじを履くようになってからコピーを書きやすくなったのは、「台詞の背景」を掘り下げるという脚本作りでの作業が反映されたから。そこからの逆算でいえば、心を動かされるCMにはドラマの核があるわけで、そこからストーリーを膨らませるという勉強法も考えられる。今受けてるCMの台詞の前後を考える修行を積めば、今の時代感覚も自然と身につくかもしれない。

2008年5月7日(水) シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2008年04月27日(日) シナトレ9 ストーリーをおいしくする5つのコツ
2008年04月22日(火) シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ!
2007年10月27日(土) シナトレ7 紙コップの使い方100案
2006年11月07日(火) シナトレ6 『原作もの』の脚本レシピ
2006年03月02日(木) シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年11月01日(火) シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2005年10月12日(水) シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年07月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年09月06日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2006年10月03日(火)  マタニティオレンジ14 ヘンなのは自分だけじゃない
2005年10月03日(月)  Paulina Plizgaの着るアート
2000年10月03日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/12/02)

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