2008年03月21日(金)  「321の会」@アスカフェ→タンタローバ

今井雅子ファン第一号の「岡山のTOM」さんから、「来年3月21日」の予定を尋ねるメールがあったのは、8か月前。映画『フラガール』に魅せられたTOMさんが作品のモデルとなった常磐ハワイアンセンターを訪ねる旅の途中で東京に立ち寄るので、その際にぜひ会いましょうとなった。『ジェニファ 涙石の恋』で今井雅子を知り、mixiにコミュニティを作ってくださった東京のナルセさんにも声をかけ、いまいまさこカフェ常連の双璧を成すお二人との会合が実現することになった。

わたしの家の近くがいいのではとナルセさんが提案してくれたのは、文京区小石川にあるアスカフェというお店。わたしが愛してやまないタンタローバから徒歩五分の距離で、そこまで来たならあのイタリアンを味わってほしい、と欲が出る。集合は19時、TOMさんが大井町のホテルにチェックインするのは23時。持ち時間3時間半で2軒をハシゴするよくばりプランとなった。

地元のおいしいものということで白山ベーグルでお土産ベーグルを買い、19時にアスカフェに着くと、TOMさんとナルセさんはすでにおそろい。『パコダテ人』東京公開の初日に駆けつけてくださったTOMさんとは6年ぶり、ナルセさんとは初対面。この二人が並んでいるだけでも「!」なのに、そこに自分まで居合わせて、「!」の二乗。

アスカフェは、サイトとmixiのコミュニティで予習してイメージをふくらませていた以上にわたし好みの居心地のいい空間。インテリアも出てくる食べ物もお店の人(姉妹で切り盛り。お姉さんのほうがナルセさんのお友達)の対応も、ほっと落ちつけて、余計な力がぬけていく感じ。お店の雰囲気も手伝い、6年ぶりの再会のブランクも初対面の緊張も感じさせることなく、321の会はなごやかにスタート。ナルセさんが連れてきたスペシャルゲストの女の子もほんわかした空気をプラス。おいしいものを食べるたびに「ばちが当たる〜」と幸せにふるえる彼女のことをわたしはすぐに好きになった。ベリーのスムージー、れんこんのフリット、温野菜のサラダ、クリームソースのニョッキ、どれも体にやさしく、おいしい。ピクルスやジャムも手作りで、制作に関わった本『手づくりの味噌・燻製を楽しむ』が出たばかり。最後に飲んだ手作りのレモン酒が効いて、ほろ酔いで店を出た。おかずたくさんのランチ目当てに、今度はおひさまが高いうちに来て、午後をまるまる使って読書なんかしてみたい。お得意のバナナのケーキも気になる。

21時前にタンタローバに場所を移し、後半戦。アスカフェでけっこうつまんできたのに、あのいいにおいをかいだ瞬間、食欲がそそられてしまった。前菜の盛り合わせは、肉たっぷりで、肉好きのTOMさんを喜ばせる。わたしをはじめ、皆さん「飲むよりも食べる」派のようで、アルコールは一杯にとどめ、食べることに専念。パスタはカモ肉のラグーソースのペンネ、メインはもち豚のソテーを分け合う。自分の好きな店に人を案内したとき、相手にも気に入ってもらえるかドキドキするものだけど、皆さん楽しんでくださった様子。自家製パンを2度おかわりしてソースまできれいに平らげ、デザートの盛り合わせまでハイペースで完走。TOMさんの門限を気にしつつ、食べる一方でおしゃべりもと口は大忙し。ハワイアンズの旅の土産話、わたしが関わった『子猫の涙』『犬と私の10の約束』やTOMさんとわたしが絶賛している『歓喜の歌』の話、昔はやったテレビドラマの話……。すきを見てわたしが愛娘の写真を見せて親バカぶりを披露。

いまいまさこカフェの常連と「店」の外で会うのは不思議な感じだけれど、カフェでいつも話しているし、共通の話題には事欠かない。「オンラインカフェでの印象と実際に会ってみてのギャップ」について言うと、知的で物腰の柔らかなTOMさんはほぼイメージ通り。ナルセさんは、『ジェニファ』に肩入れしている稀少な方で、その上、映画とライブを合わせて年間365本以上見ていて(ということは毎日ハシゴ!)、「テレビなし、携帯なし、パスポートなし」というので、見た目もひと癖あるのかしらんと想像していたら、笑顔を絶やさないやわらかな印象の人だった。映画評ではバッサリ斬るような書き方をされることもあるのだけれど、話しぶりはとても穏やか。一歳違いに見えないほど若々しいのにも驚いた。「黒を着ていて長髪で、とくに前髪が長い人」をイメージしていたと告げると、ショックを受けていたようだけれど、わたしはなぜか高校時代に同じクラスだったコナカ君の顔を思い浮かべていた。口数は少ないんだけど、前髪に隠れた顔立ちはよく見ると整っていて、ひそかに人気のある男の子だった。TOMさんとナルセさんから見た印象は直接聞きそびれてしまったけれど、ナルセさんの日記には「思ったよりも美形」とあり、TOMさんは「(6年前より)若く見えた」といまいまさこカフェに書き込み。期待値と第一印象が低すぎたのか、はたまた出産による突然変異か!?

TOMさんも「パスポートなし、携帯を持ったのはつい最近(今回の旅行のため)」ということで、ナルセさんとの共通点が浮かび上がる。この二人が今井雅子を応援するようになったのも偶然ではないのかも。いまいまさこカフェを訪れる人が圧倒的な文章量と文章力に舌を巻き、「あの人は何者?」となるTOMさん。「お仕事は?」の質問は、最後まではぐらかされたままだった。お酒はあまり飲まないので、酔って口を軽くさせるわけにもいかない。お肉とアイスクリームが好物だとわかったので、次回は肉とアイスを増量して骨抜きにかかりたい。

2007年03月21日(水)  MCR LABO #2「無情」@下北沢駅前劇場
2005年03月21日(月)  弘前劇場+ROGO『FRAGMENT F.+2』
2004年03月21日(日)  アドフェスト4日目
2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画


2008年03月20日(木)  「冷や奴」のない豆腐屋さん

先日、はじめて買う豆腐屋の店先での出来事。ショーケースに並んでいるのが揚げ豆腐ばかりだったので、白い豆腐を求めて、「冷奴ありませんか」と尋ねたところ、「冷奴?」と店主が怪訝そうに聞き返した。豆腐屋なのに「冷奴」と聞いて意外がるとはこれいかに、とこちらも首を傾げた次の瞬間「絹ごし 木綿 百五十円」の札が目に飛び込んだ。あ、そうか、そういう呼び名があったと思いだし、「絹ごしありますか」と言い直したところ、店主はほっとした顔になり、店先を包んでいた険悪な空気は和らいだ。「冷奴」と言われては、「皿に盛って葱とおろし生姜と醤油を添えろというのか」と、そりゃあ困惑しますわな。

その豆腐屋の数軒先に、ダンナの幼馴染のテッチャン一家がやっている魚屋があり、立ち寄った。「このイカはどうやって食べるの?」とダンナが聞くと、「オニツケだね」とテッチャン。「鬼漬って漬物ですか」と聞くと、「煮付けだよ」とテッチャンに笑われた。イカ=沖漬から連想して、鬼漬なる珍味を生み出してしまったのだが、煮つけってめったに作らないし、わたしが作る煮つけには「お」はつかなそうだ。そんな危うい調理人にテッチャンは焼くだけでオッケーの銀だらの味噌漬をすすめ、「これ以上焦げ目つかせたくないってなったら、レンジ使ってもいいから」と丁寧にアドバイスしてくれた。

年とともにずいぶんしっかりしてきたと思っていたけど、まだまだだなあと痛感。昔から思い込みが激しいくせに、勘違いに気づくのは鈍感だった。「完璧」のペキの字の下が「玉」ではなく「土」だと思い込んだままコピーライターになってしまい、「誤植」が見つかって正しい字を知ったのだが、写植屋のミスではなくわたしの元原稿が間違っていたのだった。それまでの二十余年の間に気づくチャンスはいくらでもあったはずなのだが、一度も試験に出なかったのか、先生が間違って○をつけてしまったのか。おやつの「柿の種」が本物の種ではないと知ったのも大学生のときだった。「あの柿の種がこうなるのか」と感心して眺めながらボリボリ食べていると、弟のよっくんが「雅子、アホちゃう?」と突っ込み、「道理でおかきっぽいと思った」と合点した。整骨院のウキちゃんを笑ってばかりもいられない。

2007年03月20日(火)  マタニティオレンジ95 満を持して『はらぺこあおむし』
2004年03月20日(土)  アドフェスト3日目
2002年03月20日(水)  はなおとめの会


2008年03月19日(水)  整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?編

近所の整骨院の名物助手ウキちゃんの武勇伝第5弾。以前、「オーストラリアの首都はシドニー」と答えた院長に、「ちょっとー。シドニーはアメリカなんですけどー」と突っ込んだウキちゃん。「キャンベラ」という正解は知っていたけど、シドニーがオーストラリアの有名な都市だということは知らなかった。人が知らないことは知ってるのに、人が知っていることは知らないところがウキちゃんのウキちゃんたる所以。そんな「首都、得意なんです」なウキちゃんネタに続報が入った。

患者さんのいない昼下がり、「東京の首都って新宿ですかね?」と不意にウキちゃんが言いだし、院長が「はぁ?」と聞き返すと、「都庁があるから新宿が首都って話なんですけどー」と、なぜか口をとがらせるウキちゃん。自分が言っていることに自信があるときは攻撃的になる。「東京の首都、じゃなくて、東京が首都なんじゃないの?」と院長。「どこの?」「日本に決まってるだろ!」「ああ、日本か」という会話があった。その話を院長から報告され、「東京の首都って発想がウキちゃんだねえ」と笑いあったのだが、帰り道に「県庁所在地」という言葉を思い出した。「東京の県庁(都庁)所在地は新宿」なら正しいのではないか。

早速東京都のサイトを調べてみると、「(1)都道府県庁の位置は、条例でこれを定めるよう、地方自治法で定められている。 (2)東京都では『東京都庁の位置を定める条例』により、東京都新宿区西新宿二丁目と定めている」とはっきり書いてあるではないか。「都庁所在地」を「首都」と呼んだからおかしかったのだけど、都庁所在地は東京都の首都のようなものだから、ウキちゃん正解。無駄に大きな自信には根拠があったのだ。やっぱり首都が得意なウキちゃん。でも、「日本の首都は東京」というど真ん中の常識は抜けていて、すがすがしいほどスケールがでかい。

「東京の首都・新宿」を出発して「日本の首都・東京」の街を走り抜けた東京マラソン2008(10km一般女子の部)の記録証が届いた。記録は1:13:51で、スタート地点までの経過時間を引いたネットタイム(参考とカッコ書き)は、1:04:17。スタート時点まで14分以上かかっていたらまさかの50分台だったのだけど、思ったほど足踏みしていなかった。驚いたのは順位で、1302人中370位。自信のある人たちはフルマラソンの部に出ているからとはいえ、上位3分の1以内に入れたのは、なかなかの健闘。マラソンで全身を使ったせいか腰痛がやわらいだのはよかったけれど、整骨院に行く機会が減ってウキちゃんネタを仕入れられなくなったのは痛手。

2007年03月19日(月)  大木達哉さんを励ます会
2004年03月19日(金)  アドフェスト2日目
2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画


2008年03月18日(火)  『スパイダーマン』のプロデューサーの言葉

部屋を片付けていたら、余白にびっしりと走り書きをしたプリントが出てきた。昨年9月20日(木)に明治大学で行われたアヴィ・アラッド氏の講演のメモ。「日本のコンテンツ業界のグローバルな発展」をめざして開かれたCOFESTAというイベントの一環で、「日本コンテンツの魅力〜映画プロデューサーの視点から〜」と題し、『スパイダーマン』『X-MEN』などを手がけたプロデューサーが語るというもので、知り合いの映画関係者と誘いあって聞きに行った。

世界に名だたるプロデューサーはどんなカリスマ性を持った人物かと期待し、勝手に恰幅の良い押しの強い大柄男を思い描いたのだけど、壇上に立ったアヴィ氏は拍子抜けするほど腰が低く穏やかに話す人だった。ハリウッドのプロデューサーといえば、さぞかしプレゼン上手だろうという予想も裏切られ、抑揚をつけない淡々とした話しぶりはノートを読み上げる教授のような印象を受けた。この調子でどうやって企画を成立させているんだろうと不思議に思ったほどで、「交渉の場ではすご腕なのかも」と想像したり、「裏表のなさそうな人の好さが武器なのかもしれない」と推理したりした。

あえて言えば、真っすぐで純粋で誠意の感じられる人物だった。映画好きのシャイな少年がそのまま大人になって、自分がやっている仕事の大きさにも気づかず、ただ好きなことを夢中になっていて、人前で話をと言われても、芝居がかったことはできず、目の前の一人に話すように話してしまう、そんな印象を受けた。

講演のときは、作品の派手さとプロデューサーの地味さのギャップに気を取られてしまったけれど、見つけたメモを読み返すと、面白い。「スパイダーマンは最初なかなか企画が売れなかったが、原作を読んでいないソニーピクチャーズの会長が脚本を気に入ってリスクを負った」「ジェームス・キャメロンが監督候補だったのに降りたのは、ずっとやりたかったのに待ちくたびれたのだろう。ようやくいいよと言われて冷めたのだ」といった『スパイダーマン』の製作秘話は興味深い。

「映画はsoulを持つこと、希望を与えることが大事」「映画の中で起きていることが自分にも起こりうる共感をかきたてる」「どんな映画にも見たことがないものがある、この映画で観客が見たことのない何を見せられるかを考える」という映画論。「映画作りにおいて、誰かが将軍でなければならない」「プロデューサーは唯一すべてを確かめ、方向を見定める存在。一つの映画に関わり続けるモチベーションが求められる」というプロデューサー論。「病気やケガは映らないが存在する」「映画はDNAテストするわけにいかないし、誰が父親かあいまいになっている」「よっぽど夢を持っていないと監督はできない」という言葉も味がある。「映画を作るのは、細かい砂を積み上げて、砂が山になるような作業である」という謙虚な言葉に人柄がうかがえる。

質疑応答で「どうやって制作資金を集めるのか」と問われた浴アヴィ氏は、「小さな映画は身近な家族や友人から始まる。パイロット版を作り、お金を集め、大きくしていく」と答えた。ハリウッドの大作を手掛けているからといって資金集めの苦労がないわけではない。作品への愛を持ってコツコツと説得の砂を積み上げているのだろう。日本のコンテンツの可能性を問いかけた質問には、「どのコンテンツがどの国のものかわからない。世界は小さくなっている」という答えだった。

2007年03月18日(日)  DVD6作品目の『天使の卵』
2006年03月18日(土)  ヘレンウオッチャー【公開初日編】
2005年03月18日(金)  あなたのペンが「愛・地球博」にそびえます。
2004年03月18日(木)  アドフェスト1日目
2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光


2008年03月17日(月)  マタニティオレンジ254 仕事友 ママ友

出産前に仕事でご一緒した女性ディレクターさんとランチ。当時、大きなおなかで打ち合わせの席に現われては、「大丈夫ですか」だの「いつ産まれるんですか」だの「大変なときにわざわざ」だの人ぞれぞれの言葉をかけられていたが、はじめて会ったときの彼女の一言は、「ベビーベッドいらない?」。一歳半になる男の子を育てながら演出の仕事を続けているたくましい人だった。お言葉に甘えてベビーベッドとスイングを頂戴し、ついでに水筒やら食器やら母乳保存グッズやらもいただき、以来、交わすメールは「そっちの子育てはどう?」となった。

そのママ友ディレクターが、今度は第二子出産。ベビーベッドは間に合っているがスイングが必要というので、わが家から元同僚の実家に渡ったスイングを取りに行くことに。ちょうどわたしが愛してやまないイタリアンのタンタローバの近所なので、ついでにママトークランチをすることになった。

予定日まで一か月を切った臨月ディレクターは自分で車を運転して、颯爽と登場。「昨日まで編集やってました」と涼しい顔。彼女が最近手がけたドラマの話や今あたためている企画の話をする合間に子どもの話が顔を出し、「妊娠中、カレーと揚げ物がやたら食べたくなって」「わたしも!」と妊婦話で盛り上がり、具だくさんのサンドイッチのような会話になる。仕事相手がママ友になるってなかなかレアなケースだと思うけれど、「子育て」と「作品づくり」には「育てる」という共通項があり、二つの話題が混じって飛び交っても違和感はない。ママ友コンビでなんか一緒に作れたら面白いなあと思った。

2007年03月17日(土)  『散歩の達人』大塚 駒込 巣鴨
2006年03月17日(金)  弘前劇場公演2006『職員室の午後』
2002年03月17日(日)  『風の絨毯』高山ロケ2日目 イラン式撮影現場


2008年03月16日(日)  マタニティオレンジ253 はじめて叱られて、すねる

来週開かれる保育園のクラス会の下見を兼ねて、娘のたまとダンナとともに小石川植物園へ。ビニールシート代わりに春色のチェックのマルチカバーを広げ、魔法瓶の紅茶をおともに途中で買ってきたベーグルサンドを頬張ると、気分はセントラルパークのピクニック。たまは芝生を走り回って上機嫌だったが、カロリーを消費しすぎたのは計算外。持参した食事では足りず、草をむしって食べはじめたのでベビーカーに乗せた矢先、事件が起こった。

月齢が数か月ほど下と思われる男の子が芝生をハイハイして近づいてきたのを見て、「かわいい」と歓声が上がったのだが、その瞬間、たまがライバルを見る目つきで男の子を見た。「かわいいという言葉は自分のためにある」と思っているふしがあり、その言葉が自分ではなく彼に向けられたことが不満な様子。そして、男の子が親しげにベビーカーに近づき、ハンドルにつけた虫のアクセサリーに手を伸ばすと、その手を払いのけた。男の子は一瞬ひるんだもののもう一度手をのばしてきたが、たまは「イヤヤ、バイバイ」と手を振り回して暴れ、必死に男の子を振り払う。男の子は愛くるしい笑顔のまま、残念そうにママに連れられて去って行き、せっかく仲良くなろうとして近づいてくれたのに、と申し訳なくなった。

独占欲、縄張り意識も成長の表れなのだろうけれど、たまはとくに強いように思う。先日は自分と同じベビーカーに乗っている子を見つけて駆け寄り、引きずり降ろそうとした。ひとり占めするより分かち合うほうが楽しいことを教えてあげたいけれど、その前には「これ、わたしの!」という時期が必要なのかもしれない。まず、「自分にとって大事なもの」という感覚を知ってこそ、「他人にとって大事なもの」を理解できるのかもしれない。とは思うものの、あの態度はいただけないなあ、とわが子ながらもどかしくなった。

ダンナも同じ思いだったのか、たまの目を見て「ダメだよ。友達とは仲良くしなきゃ」と諭した。きつい言い方ではなかったのだけど、たまは「はじめてパパに叱られた」とショックだったよう。その後、たまは徹底的に「パパを無視」した。話しかけるとそっぽを向き、手を差し出すと引っ込め、笑いかけると睨みつける。帰り道に買ったノーニャというロシア料理屋のピロシキ(ひき肉、かぼちゃ、栗の三種類を買い、この順番に分けあった)をパパの手で食べさせるまでの一時間、精一杯の抵抗が続いた。食べ物の誘惑には屈したものの、見上げた反抗心。「一時間前も根に持つなんて、大した記憶力と忍耐力だ」とわたしは感心したけれど、ダンナは「性格に問題があるんじゃないか」と心配。愛娘の手痛いしっぺ返しがこたえたらしい。これから魔の二歳児。親も叱り上手にならなくては。

2007年03月16日(金)  幻の魚・たかべとダンナ母語録
2005年03月16日(水)  春はお茶が飲みたくなる季節
2003年03月16日(日)  Q.生まれ変わったら何になりたい?
2002年03月16日(土)  『風の絨毯』高山ロケ1日目


2008年03月15日(土)  前田組「豚のPちゃん」に会いに行く

パコダテ人』の前田哲監督の最新作『ブタがいた教室』の撮影を見に、ロケ地となっている小学校の廃校へ行く。監督は撮影に入るたびに「現場に遊びにきてくださいな」メールをくれるので、今回も前原星良ちゃん&せらママをはじめ、パコダテ人の撮影で仲良くなったメンバーと出かけることに。娘のたまに「豚を見せてやりたい」とダンナが言いだしたので、たまと子守役のダンナも加わり、ぞろぞろと遠足のようになった。

学校で豚を飼い、食べることは命をもらうことだと身をもって教えた大阪の小学校での実話(原作『豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日』)の映画化。この日はクライマックスの大事なシーンの撮影ということで、カメラやマイクから離れた陰からそっと見学。台詞は聞こえなかったけれど、先生役の妻夫木聡さんと32人の六年生たちの真剣な議論の緊張感は伝わってきた。

『陽気なギャングが地球を回す』の現場見学では豪華なセットに目を見張ったけど、今回のお目当ては「豚のPちゃん」。廃校の裏庭に建てた豚小屋が、Pちゃんたちの控室。チビちゃんからまるまる太ったのまで4サイズの11匹が出迎えてくれた。きれいなピンク色で、愛くるしい顔をしていて、人なつっこくすり寄ってきて、なんともかわいい。外国の絵本に出てくる豚さんってこんな感じ。「いつも(おかずで)お世話になってまーす」とせらママ。ナマ豚にたまもさぞかし喜ぶかと思いきや、「イヤヤ、バイバイ」を連発。小屋に入って記念撮影を試みたところ、わたしの履いていた革のブーツに豚さんたちは異様に興奮。ぶひぶひと鼻息荒く寄ってきて体当たりを繰り返すので、わたしに抱かれたたまはますます怖がって号泣。ブーツは豚革だったのか、それとも他の動物のにおいに「敵」だと認識されたのか。


廃校に寝泊りしてPちゃんたちの世話をしているのは、『パコダテ人』で制作進行だったタージンこと田嶋啓次さん。「純粋種のかけあわせじゃないと、まだらピンクになってしまうんですよ」などとすっかり豚博士になっていた。撮影は『パコダテ人』と『子ぎつねヘレン』で撮影の浜田毅さんについていた葛西誉仁さん、さらに高校生オーディションで宮崎あおいちゃん演じる主人公ひかるの友人役を射止めた澤村奈都美ちゃんが現場スタッフとして関わっていて、パコダテ人関係者が関わるパコ度数はかなり高し。前田監督はその昔「あなたは動物映画で成功します」と占い師に告げられたという。きつねのしっぽが出てくる『パコダテ人』とイルカの『ドルフィンブルー』に続いて、『ブタがいた教室』も愛すべき作品になりそうな予感。今秋公開予定とのこと。

2007年03月15日(木)  マタニティオレンジ94 0歳児は病気との戦い 
2005年03月15日(火)  チラシ大好き
2002年03月15日(金)  月刊公募ガイド


2008年03月14日(金)  MCR第27回本公演『シナトラと猫』

下北沢・駅前劇場にてMCR公演『シナトラと猫』を観る。MCRが昨年実験的に行ったMCR-LABOという公演に招待され、そこでMCRという劇団を知ったのだが、これまでに観たどの劇団とも似ていない独特の空気とあまりに面白さに、一緒に観に行った観劇仲間のアサミちゃんと「今度は本公演を観に行こうね」と話していた。本公演も実験的で、同じ設定の物語の主人公を「椎名」「虎雄」「猫」と変えた3バージョンを一公演でやってのける。わたしたちが観た今宵は「椎名」の回。

MCR-LABO同様、役名は役者名をそのまま使っていて、ミカは黒岩三佳、ヒサヨは吉田久代。主人公の幼馴染の「虎雄」は根津茂尚、空地の「猫」は関村俊介で、こちらは『シナトラと猫』というタイトルを優先。役名は衣装である白いTシャツのおなか側にプリントされていて、背中側には主人公との関係が明記されている。「ヒサヨ・母」「ヒロ・父」「渡辺・先生」「江見・友人」といった具合。主人公のミカ本人は前が名字で「椎名・ミカ」。相関図の中心が変わる「虎雄」バージョン、「猫」バージョンでは、背中のプリントも変わるのだろう。

「椎名・ミカ」が「バブー」とのたまう赤ちゃん時代から数年刻みで成長していくごとにシーンが刻まれ、短い場面転換がある。コントのようなシーンをつなげて一本の芝居に仕立てるスタイルがLABOのときも新鮮だった。ありえない状況なのにリアルなセリフ、重いテーマなのに軽やか、そのギャップを自在に飛び越える構成とセリフのうまさに感心しながら観た。笑いながら考えさせられる作・演出の櫻井智也さんの匙加減はアッパレ。映像ならどんな表現をするのか興味がある。それで今井雅子に来る脚本の仕事が減ってしまうことになるとしても、観てみたい。

上演後は、MCR主宰でもある櫻井智也さん、創設時からのメンバーの北島広貴さん、プロデューサーの八田雄一郎さんによるアフタートーク。進行は杉浦理史さん。マッシュルームカットの風貌のこの人が舞台にいるのを見ると、なぜかうれしくなってしまう。こんな形でお目にかかれるとはトクした気分。櫻井さんはパチンコに明け暮れていた二十歳のときに「これじゃいかん」と思い立ってバンドを組もうとするが楽器ができず、書くことならできるので劇団を立ち上げたという。演劇のことが何もわからず、「動線」を「天井からぶら下がっている銅線」だと勘違いしたとか。MCRは現在14年目で、そのうち「苦節12年」。観客が一人ということもあったそうだが、今日は満員御礼。北島さんは台詞をしゃべっているときとは別人のようにガチガチ、カミカミになってしまい、八田プロデューサーの滑舌の良い軽やかなトークが際立った。劇団の資金繰りは映画制作以上に大変だろうと想像するが、このプロデューサーの口にかかれば、お金も人も集まりそう。

招待されることに慣れてしまうと、お金を払って観にいくことが億劫になってしまうのだけれど、気に入った劇団はチケットを買って応援していきたいと思う。MCRはまさにそんな劇団。

2007年03月14日(水)  マタニティオレンジ93 マタニティビクスの恩師・菊地先生
2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表


2008年03月13日(木)  マタニティオレンジ252 「自由になる時間」はプライスレス

晴海トリトンの中にある豆腐料理の『梅の花』にてマタニティビクスの同期ママ三人とランチ。みなさん子ども(全員娘!)を連れて来るというので、わたしも娘のたまを午前保育にして連れ出す。一歳を過ぎて動き回る子連れでの食事となると、畳の個室が必須。新規開拓しようと思いつつ、おなじみの梅の花になった。丸の内オアゾ内にある『えん』が良いと友人からすすめられたのだけど、こちらは大人5名からということで、今回は断念。

通されたのは大人十人ほどが悠々と座れる広々とした個室で、座席は掘りごたつ式。大きな窓からは水上バスが行きかう川が見下ろせる。川べりの並木が桜だとしたら、数週間後は花見も楽しめる。四人の娘たちも窓際に並んで珍しそうに外を眺めてごきげん。たまがおとなしくしていると思ったら、盆栽の苔をつかんで、ニマリ。あわてて引き離した。梅の花のいいところは、子どもが食べられるものがたくさんあること。豆腐サラダ、豆腐しゅうまい、豆腐とじゃがいものしんじょうなどを夢中で食べてくれた。娘たちの口にはスプーンを、自分の口には箸を運びつつ、母たちは「そっちの子育てはどう?」話に花を咲かせる。おなかが大きい時代からの同志なので、中にいた子が出てきて、しかもこんなに大きくなって天ぷらまで食べてる、一緒に遊んでる、と不思議な気持ちになる。

今日のランチ会はわたしが企画。三人のママ友に脚本のネタでお世話になったので、お礼に食事をと声をかけた。わたしがよく知らない業界の話が舞い込んで、さあ何から手をつけようかというとき、ビクス仲間の彼女たちの職業を思い出した。「教えて!」とメールを送ったところ、メールやら電話やらで自分の体験談や見聞きした話を教えてくれた。そのいくつかは脚本に採用され、業界の空気やノリをナマの声から感じ取ることもできた。いちばん連絡を取り合ったDさんとは、プロデューサーとの一回目の打ち合わせの前に会って取材させてもらったのだが、おかげで「手ぶら」で打ち合わせの席に着かずに済んだ。Dさんには何度も電話し、夕食前や夜遅くにつかまえては「こういうときはどう言うの? どうやるの?」と根掘り葉掘り聞き、電話口でセリフの実演までしてもらった。

そのDさんに事前のメールで「おごりとか、なしね」と遠慮されたので、何と言ってお礼を受け取ってもらおうかと考えた。幼い子どもを持つ母親にとって、「自由になる時間」は値千金、プライスレス。その時間を惜しみなく差し出してくれたことお礼はランチじゃ利かないぐらい。パソコンに向かう時間を確保するのもひと苦労なのは、たまを保育園に預ける前の半年間で痛感した。自分のために使うだけでも足りないその貴重な時間をめいっぱい使って、彼女たちは心のこもった長いメールを綴ってくれた。やることが山積みなのに、子どもを膝に抱いてあやしながら長電話につきあってくれた。メールの最後に添えられた励ましの言葉や電話のあたたかい声に、どれだけ力づけられたか、助けられたか。出産というゴールに向けて励ましあいながら踊った仲間ならではの力強いエールだった。決定稿(「けっていこう」で変換すると「蹴って以降」と出た。実際には、原稿を蹴られて、蹴られて、決定稿に至る)までの長い道のりは、まさに生みの苦しみ。その陣痛を乗り越える力をもらった。「ゴールまで走り切れたのは、みんなのおかげ。だから、一緒に分かち合いたいの!」……という感謝の言葉を用意していたのだけれど、気持ちよく御馳走させてもらえたので、演説の必要はなくなり、あらたまってお礼を言う機会を逸してしまった。

2007年03月13日(火)  マタニティオレンジ92 ダンナのおむつ替え確率
2006年03月13日(月)  ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
2005年03月13日(日)  宮崎美保子さんの四角い指輪


2008年03月12日(水)  豚とクローバーとオレンジのトイレットペーパー

先日、表参道をぶらぶらしていて、青山通り沿いの文房具屋のショーウィンドウに積まれたトイレットペーパーと目が合った。店に入り、「これ、トイレットペーパーなんですか?」と尋ねると、「ええ、大ヒット中です」。値札を見ると、1ロール800円。おしりに使うにはもったいないお値段。「キッチンペーパーとしても使えます。切れ目がついているので紙ナプキンにも」という店員さんのひと押しで、豚模様とクローバー模様の2ロールをお買い上げ。〆て1600円也。ドイツのpaper+design社の、これはもう作品。トイレットペーパーのページの楽しいこと!

ネットで安く買えたりしないかしらん、と検索してみたけれど、やはり1ロール800円。調べるうちに「まっオレンジ」のトイレットペーパーがあることを知る。ポルトガルのRenova(レノヴァ)社のもので、他にブラック、グリーン(黄緑に近い)、レッドがあり、どれもトイレットペーパーでは見かけない色。mj YOKOHAMAというお店がいちばんお買い得だったので(6ロール入りが税込1890円→1100円)、2パック購入。わが家のオレンジのトイレットペーパーホルダーに負けない、目の覚めるような発色。エンボスの模様がついて、香りもついて、高級感が漂っているのも魅力。お客様が来たときに使ってみよう。

トイレットペーパーと言えば、アメリカに留学した二十年前、「TP」という動詞をよく聞いた。「I TPd him(彼にトイレットペーパーを巻いた)」「I will TP you(トイレットペーパー巻いちゃうぞ)」のように使う。誕生日の主役をTPしたり、パーティーの受け狙いでTPしたり、何かとTPの現場に出くわす機会があり、そのたびに「紙がもったいない」と思い、「この浪費はアメリカだなあ」と感心したものだ。生徒会役員の立候補者の演説ビデオ(事前収録したものを各教室で流していた)で、真面目くさって抱負を語る立候補者を二人がかりでTPしていた光景は忘れられない。長いものがあると巻きたくなるのか、日本にふんどし文化あり、アメリカにTP文化あり。

2007年03月12日(月)  マタニティオレンジ91 歴史は繰り返す
2005年03月12日(土)  しみじみ映画『きみに読む物語』
2004年03月12日(金)  『ジェニファ』マスコミ試写開始
2002年03月12日(火)  FOODEX

<<<前の日記  次の日記>>>