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2014年08月31日(日)
『東京バレエ団創立50周年記念 祝祭ガラ』

『東京バレエ団創立50周年記念 祝祭ガラ』@NHKホール

デング熱感染源で話題の代々木公園を横目に会場へ。このときはまだ判明した感染者が三人くらいだったし、殺虫剤散布直後だったのでそんなに怪しい雰囲気はなかった。晴天、夏休み最後の日曜日とあって賑やかでした。

飴屋法水、山川冬樹、さいたまゴールド・シアターの面々と、さまざまな身体を観てきた三日間の最後を飾るのは(?)東京バレエ団。お目当ては、ゲストであるシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。2005年に「最後」のツアーが行われたギエムの『ボレロ』ですが、モーリス・ベジャール追悼公演東日本大震災復興支援チャリティ・ガラ、そして今回と特別な折にはその封印を解いてくれました。しかし、もう次の「特別な折」を期待することは出来なくなってしまいました。8月14日に、彼女の引退が発表されたのです。

・シルヴィ・ギエム、来年12月引退。月末〈祝祭ガラ〉で特別に「ボレロ」上演!:NBS日本舞台芸術振興会

NHKの9時のニュースで一報を知り呆然とし(TVのニュースで報じられると言うその重大さにも改めて驚き)、Macを開けたらタさんからメールが来ていました。いつかは当然そうなるとは思ってはいても、実際それが起こると動揺する。

バレエ団50周年と言うことで会場のNHKホールはフルハウス、大入り袋も配られ(ロゴ入りミニライトが入っていました)華やかなお祝いムードでしたが、どこかに緊張感も漂っていたように思います。このあとツアーが続くと言うのにプログラムは完売。再販準備が出来たら送料無料で送ってくれるとのことで申し込んできましたが、送料だけでも相当な額になるよなあ。予想を大きく上回る売れ行きだったのでしょう。落ち着かず、開演前も二度の休憩もロビーをうろうろしてしまう。歴代公演のポスターが展示されており、眺め乍ら歩く。ああ、首藤さんの『ボレロ』や十市さんの『M』、また観たいなあ。これももう叶わないことだ。

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ミハイル・フォーキン振付『ペトルーシュカ』(ゲスト:ウラジーミル・マラーホフ)
ジョン・ノイマイヤー振付『スプリング・アンド・フォール』
ジョン・クランコ振付『オネーギン』より第3幕のパ・ドゥ・ドゥ(ゲスト:マニュエル・ルグリ)
ナタリア・マカロワ振付(マリウス・プティバ版による)『ラ・バヤデール』より“影の王国”
モーリス・ベジャール振付『ボレロ』(ゲスト:シルヴィ・ギエム)
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東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の生オケで、指揮はワレリー・オブジャコフ。

『ペトルーシュカ』は祝祭ガラの開幕にふさわしい華やかさ。ムーア人役の森川茉央さん素晴らしかったなー。近年メキメキ頭角を現してきた印象です。『オネーギン』、ルグリは登場した途端拍手がわきました。いやーん素敵。オネーギンの話自体はも〜、オネーギンうぜえ! 女々しい! とイライラするのですが(笑)バレエとなれば別ですよ! いやむしろ、踊りの端々に見られるオネーギンの女々しさ素晴らしい(笑)。部屋の奥からおずっと登場し、よよよとタチヤーナにすがりつき、手紙をビリーと破かれ、いやーん! と駆けて退場ですよ。そのよよよもいやーんももう素敵だ! ムカつく素敵さだ! そんなオネーギンの人物像はさておきルグリは素敵であった。や、オネーギンもいいとこの子だから素敵なのよね、性格以外はな! ため息も漏れると言うものです。プログラム的にはこれがいちばん面白かった“影の王国”は、ヴァリエーションも多く、終始ポーズを含めた女性ダンサーの群舞が観られるのがよかった。

そして『ボレロ』。2003年『奇跡の響宴』のときにも思ったが、生オケはホント難しい。twitterで指摘されてる方がいましたが全くの同感です。『ペトルーシュカ』でもTpがかなり危なかったんだよね…や、難しいのは判るが。判るが……。カーテンコールのとき、思わずオケピをのぞきこんでしまった(二階席で丁度見える位置だった)。Tbの方目の辺りをぬぐってらして…え、泣いてる? と思ったけど気のせいだったかな。タさん曰く「そんなことで泣いてたらプロはつとまらん」。確かにね…しかしああ〜やっちまった! と思っただろうなあ。客席が「……!!!」て声にならないガ〜ンて空気に満ちました。

それはともかく、この日のギエムのメロディはとても優雅だった。これ迄リズムを鼓舞するような力強さだったり、リズムに喰い尽くされる生贄のような艶やかさだったり、ギエムはさまざまなメロディを見せてくれた。ベジャールが亡くなったあとのメロディはここ迄動きを変えていいの? と驚く程自由だった。しかしどのメロディも、マシーンのように強靭だった。ポーズがぴたりと止まる。動きがブレない。サイボーグのようなダンサーと評されたこともある正確さだ。今回もやはり正確ではあったが、感じたのは強靭ではなく流麗だった。引退を発表してホッとしたところもあるのかも知れない。勿論それで踊りが緩むことはない。日々鍛錬するアスリートとしての肉体と、表現を磨くアーティストとしての信念。その身体でしか表現し得ない、ギエムだけの踊り。たったひとりのバレエダンサーが、来年舞台を降りる。

カーテンコールは騒然と言った感じで、悲鳴のような歓声もとんでいた。オケピのひとたちも立ち上がり拍手を贈る。ギエムは微笑んで声援に応えていた。

オープニングでは、東京バレエ団50年のあゆみを振り返る映像が上映されました。ジョルジュ・ドンの『ボレロ』もあった。このときのリズム、上半身も服を着てたのでこういうヴァージョンもあるのかと驚いた。1990年の公演だったとのことだが、近年服着てるの観たことないなあ。会場や演出によって厳密な指定ってあるのかな。



2014年08月30日(土)
『KOMA'』

さいたまゴールド・シアター×瀬山亜津咲『KOMA'』@彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

初日にタイトルが決定したようです。チラシにもチケットにも「新作」としか書かれていなかったもんね。日々変化する出演者たちの身体と向き合い、ギリギリ迄いろんなことにトライし、構成を変えていたのだと思う。昨年のワーク・イン・プログレス公開『ザ・ファクトリー3』(2013年観た舞台のなかでも五指に入る素晴らしさだった)を経て、満を持しての本公演です。会場も大練習室から小ホールへ。ヴッパタール舞踊団の瀬山亜津咲さんを演出・振付に迎えた、ゴールドシアターのタンツテアター。

まっさらの舞台、小道具も大道具もなく、劇場機構もむきだしのまま。舞台と客席のの段差はない。舞台奥の鉄扉から、ひとりの女性が出てくる。壁にしばらくの間寄りかかる。やがて回転し乍ら舞台のアウトラインを辿る。照明が落ち、かなり暗い。しかり身体がぐらつくことがない。あ、これが「KOMA'」(=独楽)かな? と思う。一周まわりきった彼女はまた壁に寄りかかる。観客に背を向けている。その背中には「ひとり」と言う重みが伸し掛かっているように見える。

やがて出演者全員が登場し、一列に並んでまっすぐ観客席へと歩いてくる。舞台と客席ギリギリのところ迄きて、まっすぐ前を見る。今回最前列ほぼ中央の席で観ていたので、少し動揺する。間の距離は1メートルもないくらいだ。どこを見よう、誰を見よう。自然と自分の正面にいた女性の顔を見る。一瞬目が合う。微笑まれたような気がする。

瀬山さんであろう声が、マイクを通して劇場のどこかから聴こえてくる。「きょうだいがいるひととひとりっこのひと」。ふたつのグループに分かれる。ひとりっこのひとはひとりだけだった。ああ、この世代では珍しいことなのだなと思う。「埼玉に住んでいるひと」「西武池袋線を使っているひと」と質問がいくつか続く。「ひとに言えない恋をしているひと」、誰も動かない。「ほんとに?」「ほんとにほんと?」微笑ましい問いつめに、出演者たちは笑って「ない、ない」と手を振る。

日常的な動作がダンスになる。スローモーションで動くふたりの女性の手に、他の出演者がかわるがわる日用品を持たせていく。この動きにまずはっとする、これは筋力がないと出来ない動きだ。開演前に見た、当日パンフレットに記載されていた演者たちの年齢を思い出す。あの年齢で? とその動きに驚き(いや真面目な話、私これ出来んかもしれん…て動きもあって……YABAI)、あのひととあのひとは年齢はほぼ同じだった筈だが、立ち姿や体型はかなり違うものだな、と思い、前回の公演よりあのひとは太ったな、痩せたな、などと思う。ゴールド・シアターの公演はここ数年ずっと観ているが、数ヶ月毎に会う彼らの変化はかなりハッキリ目に映る。それは衰弱でもあるし、回復でもある。体重の増減に変化があっても、猫背だった姿勢がシャンと伸びるようになっていたりする。

今回サポート的な若手は出てこなかった。ねじを落としたと床を探しまわるスタッフらしきひと、マイクスタンドの高さを変えるひとが出てきただけだ。彼はゴールドシアターの面々に手を貸さない。出演者には杖をついている方もいるが(男性最高齢者の盒鏡兇気鵑澄法近くにいるメンバーが彼の手をとる。盒兇気鵑蓮▲錙璽・イン・プログレスの幕切れに「まあね、ルーツなんて、たいしたものじゃないんですよ」と言い放った方だ。前日観た『グランギニョル未来』から、身体に宿る思考について考える。身体には刻まれた個人の歴史がある。彼らはどうやって今迄過ごしてきたのか。どんな暮らしをしているのか。その記憶も、脳と言う身体の器官が司っているものだ。出演者ひとりひとりの「ひとり」を思う。

序盤の恋の質問は、色っぽい男女のダンスパートで観客の想像力を刺激する。男性同士の相撲は、男の子のじゃれあいにも、大人の闘争にも思える。マイクパフォーマンスでは、こちらがヒヤリとするような言動があったりする。

再びひとりの女性。舞台を歩きまわる。とぼとぼと歩いているようにも見えるし、何かの拍子に立ちすくんでしまいそうな、寂しげな様子にも見える。するとひとりの女性が出てきて、彼女と並んで歩き出す。その数は増えていく。笑顔で、肩を組んだり腕をとったり、歩を進める毎にその人数は増えていく。ひとりがひとりひとり、歩みをともにする。それぞれの人生を、孤独を抱えて歩く。ひとはひとりで生まれてくるし、ひとりで死んでいく。そのひとりひとりが集まる場所が、ここにはある。「ケ・セラ・セラ」のメロディが流れる。孤独を知っているひとたちのその歩みはとても力強く、同時に軽やかだった。

クールダウンのストレッチをして終演。稽古の様子を収めた映像が流れる。出演者と一緒にその映像を観る。ワーク・イン・プログレスに出演していた何人かが今回出ていないことに気付く。客席にいたメンバーもいらした。構成によるものか、出演者の体調によるものか気にかかる。逆に、前回出ていなかったひとが見付かるとホッとする。そうやってこの集団を見続けていく。



2014年08月29日(金)
『グランギニョル未来』

『グランギニョル未来』@ヨコハマ創造都市センター(YCC)

帰宅後『墜落の夏』『死は「終り」ではない』(山川千秋氏の著書)を急ぎ再読。何故「富士山」が「国会議事堂」になったのだろう。そして思えば山川さんのお母さまは元CAだった。

椹木野衣による脚本を飴屋法水が演出する。当日パンフレットの椹木さんのテキストによると「東日本震災後、初の大規模な発表となった『じ め ん』(2011年)に始まり、『わたしのすがた』(2012年)(注:2012年と書かれているが、実際に開催されたのは2010年だ。私が観たときの感想はこちら→1回目2回目)、『いりくちでくち』(2012年)を経て、第58回岸田國士戯曲賞を受賞した『ブルーシート』(2013年)に至る劇作家としての飴屋の近年の活動を、批評家として、もういちど捉え直す必要を感じ」たとある。飴屋さんの活動は「物質とのせめぎあいのなかで身体を酷使する残酷劇であると仮定し、この芸術家が最初に主宰した劇団『東京グランギニョル』以来、一貫してグランギニョル劇であり続ける」。そして「東京グランギニョルをめぐって、しばしば話題にのぼる」「世紀末的な少年愛による退廃的な美の世界」は「創作家としての飴屋本来の資質によるものではない」。これにはピンとくる。

YCCにはどんなひとたちがやって来たのだろう。東京グランギニョル復活を期待してきたひと? “伝説”の東京グランギニョルに興味を持ったひと? 古屋兎丸版『ライチ☆光クラブ』から東京グランギニョルを知ったひと? 岸田戯曲賞を受賞した飴屋法水が、新作を上演すると言うので観にきたひと? 椹木さんが書いた脚本には、飴屋さん自身が書いた作品からの引用もあり、モチーフも多岐にわたる。そこへ日本航空123便墜落事故や足尾銅山の歴史が絡んでくる。今回の上演は単作では捉えきれない多様な検証に満ちていて、当事者以外が全体像を見渡すのは非常に難しい。

しかし、飴屋法水と言う身体、山川冬樹と言う身体を通した剥き身のグランギニョル(残酷劇)として観ることが出来る。ふたりの出会いは、お互いの創作にとって、そして人生にとってもかなりおおきなできごとだったのだろう。身体を追いつめ、そこで何が起こるかを見詰める。それが作品になる。ふたりをヤマカワ(山川)、アメタニ(雨谷?∽飴屋=アメヤ)と対立した存在で描き、山、川、雨、谷の自然のなか、ヤマカワはそこに生きる狼としてアメタニとこどもたちに吠える。日本語、英語(航空用語としての)と言った言語と動物の咆哮。現われる秩父前衛派、ササクボさんが語る、秩父で起こったとある不思議な出来事、演奏されるフォルクローレ。スピリチュアルな要素もあるが、それをスピリチュアルと言う名前で片付けることはしない。宗教と言う名前を持たない信仰、生きることの前提としてある身体。人間と言う生き物、容れ物を通し、「君は人間か?」と問う。

山川さんはなにごとにも全身全霊だ。日常を知ることはないが、作品を発表しているときの彼はいつもそうだ。距離をとって観ているのに気圧される。恐怖を感じる。消耗も相当激しいと思う。三公演と言う数に納得し、追加で一公演増えたことに不安を感じる。全ての公演が無事終わりますようにと祈る。

驚いたのは、そんな彼に対峙するくるみちゃんだ。落ち着いて彼に言葉を返す。自分が七歳のとき、こんな行動が出来ただろうか? いつもは優しく接してくれる(であろう)ともだちの山川さんが、暗闇で髪を振り乱し、もはや人間の姿ではないような形相で迫るのだ。思わず後ずさってしまいそうだ。しかし、彼女は凛とその場に立っていた。山川さんが今生きる姿に、しっかりと向き合っているように見えた。そして『教室』で明かされていたが、彼女が初めて話した言葉は「あめ」だったのだ。アメ、アメタニ、雨、谷、アメヤ。

飴屋さんの活動を網羅出来てはいないが、個人的に『グランギニョル未来』は『バ  ング  ント展』からの九年間、について思いを巡らせる作品だった。あの日のことは今でもよく憶えている。P-HOUSE迄の強い日差し、じりじりと肌が灼ける感触、セミの声。真っ白な会場と箱、箱のなかから発せられているけはい、箱の壁面をだいじそうになでるコロスケさん。まだくるみちゃんはこの世にいなかった。

『グランギニョル未来』にも登場し、アメタニはここで死んだと言われた白い箱。そこから出てきた飴屋さんは演劇活動を再開する。『転校生』(初演再演)、『3人いる!』(1回目2回目)、『4.48サイコシス』。振り返ると『転校生』の演出を依頼した方(追記:SPACの宮城聰さんだったろうか?…と自分の日記を読み返してみて、宮城さんだったと思い出す・恥。twitterでご指摘くださった@ne65wさん、有難うございます)と、Festival/Tokyo(F/T)09〜13のプログラム・ディレクターを務めた相馬千秋氏の慧眼に瞠目する。『ソコバケツノソコ』にバケツが登場し、『BLANK MUSEUM LOOKING FOR THE SHEEP day1』の「馬」から戦争を、『302号室より』から航空機事故を思い出させる。断片が繋がっていく。飴屋法水と言うひとりの人間、その家族と呼ばれる存在。この九年間で、家族は増え、そして減った。次々と起こる災害と、これから起こりうることへの不安を抱え、家族は集まり、やがては散っていく。椹木さんは、飴屋さんの個人史をひとつの作品にまとめたとも言える。これからも更新されていく個人史を。そして、彼の周りの共同体を。ほんの些細な行き違いや、事故によって瞬時に失われる共同体。一緒に過ごした時間は、記憶に留められるのみだ。

飴屋さんも山川さんもそうだが、Phewさん、zAkさんと言ったひとたちが扱う「音」は記憶への定着力がとても強い。出演者にクレジットされていた(当日知った)、ホンマタカシさんがシャッターを切る音も記憶に残る。フラッシュの光に視界が覆われ、被写体の顔が白飛びする。『バ  ング  ント展』にもあった、顔のない肖像写真。写真のなかの家族の肖像は、どこの家族か判らない。そこに自分がいるかも知れない。共同体が過ごした夏は、光とともに記憶に焼き付けられていく。

台詞そのものは聴き取り難い箇所が多く、戯曲(『新潮』2014年10月号に掲載)が待ち遠しいところ。この作品のことは、考え続けていくと思います。



2014年08月24日(日)
『八月納涼歌舞伎』第三部

『八月納涼歌舞伎』第三部@歌舞伎座

納涼歌舞伎でございま〜す。二十六年目なんですって。三部制だから入場も慌ただしいよ! 開場から開演迄二十分! 場内清掃や案内の方たちの仕事っぷり素晴らしい。

・『勢獅子』
彌十郎さんが格好よくて釘付けでしたよね…はあ〜立ってるだけでも座ってるだけでもお素敵だわ。姿勢からしてもう優雅で! おどりもありましたし! 屋号もとびましたし! わたくしはもううっとりです! 新悟くんもお素敵。しかしふたりとも長身なもんでやっぱ目立つね。勘九郎さん巳之助さんの獅子舞もかわいかった〜。獅子頭の耳とか動くのちょーかわいい。あと児太郎くんがシュッとなっててあのコロコロした子が…! と驚く(『徹子の部屋』に出たときので記憶が止まってた)。三津五郎さん橋之助さんの男前っぷりも堪能しました。

・訪米歌舞伎凱旋記念 三世實川延若より直伝されたる 十八世中村勘三郎から習い覚えし 三遊亭円朝 口演『怪談乳房榎』中村勘九郎三段早替りにて相勤め申し候
長いあれこれが付いてますがそうです平成中村座凱旋です。twitterでまわってきたNY公演の劇評ぽつぽつ見てまわりましたが評判よかったようですねー。北丸雄二さんのツイートにもじんわりきました。
しっかし早替りすごいね〜。NYでもかなり驚かれていたところのようですが。あまりの早さに歓声よりも「えぇえ?」て素の声が漏れる客席でしたよ。ここでもうひとりと入れ替わってるんだな、ここはこういう仕掛けだな、と気付いてもやっぱり早いし、何箇所かはホントにどうやってるか判らなかった。
勘九郎さんが三役早替り(+最後の円朝入れると四役)するんですが、衣裳やらなんやらだけでなくほら、役柄も変わるわけで(あたりまえ)、声色から仕草からの演じ分けが見事。下男正助の声が勘三郎さんにそっくりだったのにギョッとする。今迄そんなに気にしたことなかったんだけど…声色の使い方とか、言いまわしの妙なんだろうなあ。
まあそうは言ってもこれは勘九郎さんの『怪談乳房榎』です。いずれは七緒八くんが「勘九郎さん(その頃にはもう勘三郎さんかな)にそっくり!」と言われるときが来るのでしょう。
そして幕切れの書き割り見てたらジワジワ涙が……ホントアホみたいな書き割りなんだけど。英語と漢字でいろいろ書いてあって、自由の女神のイラストとか入ってる素っ頓狂なやつ。最初はアホだな〜と笑ってたんだけど、「I Love New York(はあと)」なんてイラスト見てるうちにだんだん「勘三郎さんこういうばからしいの大好きだったなあ」なんて思い始めて。はー、書き割りを見て泣くとは思わなかった。
あーそれにしても磯貝浪江マジむかつく〜獅童さんの声がまたすんごいイラッとする〜(役がですよ!)。赤んぼのキューキュー声がかわいかった。鳴物で出してるんだけどこれがせつない!
そして竹本六太夫さんの浄瑠璃が素晴らしかった。「おそろしや!」てとこのあまりの迫力にビクーッ!!! てなりました。
先週九十四歳の誕生日を迎えた小山三さんも溌剌とご出演。「いつまでもお若くて」って言われてた。まだまだお元気でね。

ああそれにしても「恐怖時代」の評判聴けば聴く程やっぱ観ればよかったと…次にやるのまた四十年後とかだったりするのか……。蜷川演出版について『Note 1969‐1988』(現在は増補版『Note 1969‐2001』も出ています)で読んで気になってた作品だったんだよ、タイトルからしてもう魅力的やん。つうか蜷川さんが再演してくれんか。



2014年08月23日(土)
『Lost Memory Theatre』

『Lost Memory Theatre』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール

開館三年目の劇場に、この作品の記憶が刻まれる。そこに居合わせることが出来た幸運を嬉しく思う。三宅純『Stolen from strangers』『Lost Memory Theatre - act1 -』『Lost Memory Theatre - act2 -』からの楽曲で構成された舞台。従来の舞台作品と異質なのは、まず音楽ありき、なところ。既に発表されている作品(『Lost Memory Theatre - act2 -』は公演初日の前日にリリースされた)のイメージを劇場に滞在させる。テキスト、役者、ダンサーがその空間に招喚される。

当方三宅さんの音楽には数年ブランクがある。そもそもは窪田晴男絡みで聴くようになったのだが(つくづく私の音楽観は窪田さんから構成されてるな)、1990年代前半に南青山のCAYで開催されていたシリーズライヴ『常夏乃憂ヒ』(このライヴ盤は1995年録音)の衝撃が忘れられない。刷り込みされていると言ってもいい。サイバーパンクキャバレーからモンド/エキゾチカへ。デヴィッド・リンチの映画に出てくる、幻の楽団のようだった。現在モンドな空気は薄れ、とてもゴージャスになった。

しかしこの日、暗闇からゆらりと現れたオルケスタは、やはりリンチな妖しい空気をまとっていた。赤が基調の客席と、紅いカーテンの向こう側。劇場を出たら二度と会えない、幻の楽団。

前方席は数列潰されており、客席と舞台はほぼ地続きになっている。楽屋にあるような照明付きの鏡が四台(五台だったかもしれない)と、さまざまな調度品が配置されている。どれも時間に取り残され、捨て置かれたかのよう。奥にはプロセニアム・アーチと巨大なカーテン。暗転するとノイズが聴こえてくる。一瞬それが意図的なものか、機材トラブルによるものか迷う。続いて聴こえてくるチューニング音と開幕曲。舞台に現れた女優が唄う。しかしその歌声は彼女自身のものではない。音楽の在処を探す。歌手は、演奏者はどこにいるのだろう? やがてカーテンが開き、プロセニアムの奥から平台に載ったオルケスタがゆっくりと現れる。KAATホールと言う劇場とその機構を強烈に印象付ける。二村周作の美術、伊藤佐智子の衣裳も素晴らしい。

失われた記憶、その取り立て人。記憶を買い求める人物。他人の記憶が自分のものとなり困惑する人物。老女優の記憶、ダンサーを目指した少女の記憶。少女と老女が並んで映画を観る暗闇。地上で暮らしていた頃の記憶を懐かしく思い返す青年。あらゆる空間を行き来し、調度品とともにその場所に棲みつくダンサーとバレリーナたち。

ステージにおける音楽の無敵ぶりと、音楽そのものを言葉に翻訳しようと奮闘するテキスト。それを身体に落とし込む役者とダンサー。コラボレーションの難しさも感じた。しかし、音楽に視覚的な顔を、身体を、つまりある姿を映し出すと言う試みは非常にエキサイティングなもの。美波さんのシャープな顔つきとよく通る声、山本さんの立ち姿と歌声。江波さんの声は登場人物たちの記憶を観客の眼前に浮かび上がらせ、森山さんはそれらの記憶をその膂力で繋ぎ止める。四人のバレリーナは声なきコロスのように、存在感を際立たせる。白井さんは狂言まわしよろしく舞台と客席と行き来する。一幕終盤を二階の客席から観ていた山本さんと、舞台上にいた白井さんは観客と同じ通路から退場する。舞台と客席、役者と観客の境界が滲む。休憩時間、ロビーのベンチに座り談笑しているふたりは作品中の登場人物か? 役者と演出家か? どちらも彼らの日常か。

山本さんはその声で音楽に迫っていた。ハンドマイクは必要ないとばかりに口許から遠く離し、歌声を劇場に響かせた。自分の行動を制限するマイクが邪魔になったかのようだった。音響と生の声との境界に、森山さん言うところの(パンフレット参照)「無くした記憶を掻き集める」ではなく「空白の記憶を体験」する。

全公演ステージに立つ三宅さんを筆頭に、ミュージシャンたちの演奏は毎回変化する。音楽が聴く度姿を変えるのと同じように。終幕、オルケスタが客席から遠ざかっていく。また暗闇へと還っていく。演奏していた音とともに、ミュージシャンが舞台から去っていく。全員が退場したあとも音楽は響き、やがては消えていく。生演奏と音響の挟間、役者がひとり取り残される。全ての公演が幻になる。あの舞台にいたひとたちにはもう二度と会えない。さびしい。でもそれが舞台であり、劇場の記憶になるものなのだ。

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構成・演出:白井晃
原案・音楽:三宅純
テキスト:谷賢一
振付:森山開次
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キャスト&ダンサー:
山本耕史
美波
森山開次
白井晃
江波杏子
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伊藤さよ子、後藤いずみ、高瀬瑶子、中嶋野々子
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シンガー&ミュージシャン:
三宅純(Piano、Fender Rhodes、Flugelhorn)
宮本大路(Reeds、Flutes、Drums)
伊丹雅博(Guitar、Mandolin、Oud)
(8/30〜9/7は今堀恒雄)
渡辺等(Bass)
ヤヒロトモヒロ(Percussion)
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Lisa Papineao(Vocal)
勝沼恭子(Vocal)
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noattachstrings by Tomoko Akboshi[弦楽四重奏]
赤星友子(Violin)
青山英里香(Violin)
吉田篤貴(Viola)
関口将史(Cello)
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メモ。

・隣席二席が空席だったんだけど、途中白井さんがそこに座ったもんでひいっとなったよね……どんな様子でいるのか観たかったけどそんなねえ、ガッツリ横向いて見られませんよ(笑)。ああいうときの演出家兼役者って、役のままでいるのか演出家として舞台を見ているのか気になるところです

・そうそう、白井さん、パンフレットに青山(円形)劇場のこと書いてた。名前は出していなかったけど。あの劇場の記憶はどこに行くのかなって

・アルバムではデヴィッド・バーンのヴォーカルが聴ける「A Dream Is A Wish Your Heart Makes」で、チュチュを着けた白井さんが踊る場面。パンフレットの白井×三宅対談でも言及されていますが、そのバーンのコスチュームは、2009年の『songs of david byrne and brian eno』来日公演でも観ることが出来ました。日本公演のじゃないけど同ツアーの動画を張っておく

-『David Byrne, Burning Down The House, Royal Festival Hall, Londonia, 12 April 2009』


-『 David Byrne -burning down the house- live in Cagliari 2009 [HQ] 』

(全体のフォーメーションはこっちのが見やすいか)

・三宅さんとバーンの接点を、白井さんの身体を通して観られるとは! 個人的にはこれにいちばん驚いたし、とても嬉しくなった

・ちなみにこのバーンのツアーで披露されたダンスは『茶の味』『ナイスの森』に影響されたものだった。そこで踊っていたのは森山さん。いろいろ繋がる

-『Cha no aji odotteru otoko』


-『ナイスの森』2005「タケフミの夢」【fullx3】

(わー五年前探して見付からなかった動画!)

・twitterにつらつら書いたことにつらつら追記して置いておく
-『常夏乃憂ヒ』の頃のオルケスタって、エレクトリックマイルスな時期でもあったから、常夏〜南米ときて自分のなかではPTAとイメージが繋がる。楽器編成も、Whachoさん、ヤヒロさんと大儀見さんと言うパーカッションの名手がいることも
(追記:常夏〜のPercはWhachoさんが主でしたね。失礼しました!)
- サイバーパンクキャバレーから出発して片や南米〜NYでヘルソニックバレエ、片やフランスに渡りピナ・バウシュ/ヴッパタール舞踊団、と生き別れの双子みたいになってるイメージでもある
- で、三宅さんのフェンダーローズ使いは、菊地さんに坪口さんと言う相棒がいることでですね…ってそうなると東京ザヴィヌルバッハ、DCPRG迄繋がってしまいきりがないのでもうやめる
- そしてこの辺りの、DrmsとPercで複合リズムを…てのも窪田さん絡みだわ
- 窪田さん、初ソロアルバム出したときDrmsなしPercのみでリズム作るってライヴもやったよね。あーあれ今すごく聴きたい!



2014年08月19日(火)
『朝日のような夕日をつれて2014』

KOKAMI@network.vol.13 紀伊國屋ホール開場50年記念公演『朝日のような夕日をつれて2014』@紀伊國屋ホール

また『朝日〜』が観られるなんて思ってなかった。そして、大高さんが言っているとおり、これが「(大高さんたちが出る)最後の朝日になるのだろうな」と思った。ヘンな話だが、「早く観たい」と言うはやる気持ちではなく「演者の体力的に」前半のチケットをとっておいた方がいいだろうか、と迄思っていた。実際観てみれば、そういうことにはあまり意味がなかった。ラストシーンの八百屋舞台があまりにも急勾配に見えて、「滑ったりしないかな、怪我しませんように!」なんて思ったくらいか。そう思う年齢になったと言うことでもあり、そのことが嬉しくもあった。

『朝日のような夕日をつれて』は作品として残るだろうか。多くのひとたちの心に残ると思う。今後、鴻上さん以外の演出家が手を出すだろうか。これ程手強い作品はないだろう。第三舞台、鴻上さん以外の演出で上演された記録はあるが、それはいったいどんなものだったのだろう。

時代とともにアップデートされる内容。役者たちの成り立ちから創り出されるシーン。唯一無二の場を、それぞれの時代に立ち上げることの困難さ。それを目撃することが出来る幸運。今となっては『ゴドーを待ちながら』を観た回数の方が多くなっている。そのイメージから、今回の出演者が決まったとき「玉置さんは少年役だろうな、なんて贅沢な。彼はゴドー1、2も出来るポテンシャルだろう」なんて思ったものだった。そして舞台を観て思い出した。少年はとても重要な役で、高いポテンシャルが求められるものだった。あたりまえだ、『朝日〜』は『ゴドー〜』であって『ゴドー〜』ではないのだ。少年は孤独が怖くて、仲間に入れてもらいたくて、ハジけにハジけまくる寂しい人物だった。ゴドーはやってくるし、ウラジミールではなくウラヤマ、エストラゴンではなくエスカワだ。観ない時間は作品のだいじな部分を忘れさせてしまう。

しかしその「観ない時間」は、この作品の新しい魅力を知るのに必要な時間をくれる。いろんな演出の(鴻上さん本人が演出したものも含む)『ゴドー〜』を観たこと、昨年『ゴドーは待たれながら』を観たこと。そして、第三舞台名義ではなくこの作品が上演されるときがきた。小須田さんが、彼らしい言葉で「(自分たちは)鴻上尚史に調教されてきた役者」と言っていたが、そうではない役者がこの作品に出演するときがきた。「ミュージカル病」をネタにしていた作品に、ミュージカルで鳴らした役者が出る。日本の喜劇を代表する事務所の役者が出る。伊礼さんも藤井さんも、出演者皆が持ちうる能力を惜しげもなくオープンにし、その地力を見せる。そして、彼らは「何者にも似ていない」『朝日のような夕日をつれて』を魅せてくれる。「第三舞台は何者にも似ていない」ように。

同じ時代に生まれてよかったと思う。そしてどの時代にも、誰にでもそう思うものがある。どの時代にも、どの場所にも、そんなものはある。それが「何者にも似ていない」と言うことなのだ。そのことを認識させてくれたのも第三舞台だった。そして、この作品だった。観られたことに感謝します。



2014年08月17日(日)
『パール兄弟セッションズ vol.1 featuring バカボン鈴木』

『パール兄弟セッションズ vol.1 featuring バカボン鈴木』@Show Boat

盆暮れ正月のパールですよー。

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1部:スズキレボリューショングランドオーケストラ44マグナム(バカボン鈴木)
2部:パール兄弟
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となっており、バカボンのバンド出るの? セッションて言うくらいだからバカボンのゴリッゴリのインプロベースが聴けるの? と出掛けてみれば、スズキレボリューショングランドオーケストラ44マグナムはバカボンのギター弾き語りのコーナーでした(笑)いや、これはこれですごく面白かったんでいいんです。

バカボンが言うには「バンド名を先に考えて、Tシャツも作ってメンバー募集してるんだけど誰も応募してこない」「なのでひとりでやります」「ギターも歌も本職じゃないし、呑み屋で唄ってるようなもん。そんな真剣に聴いたり拍手したりするもんじゃないんですよ」「でもそんなことはどうでもいいんだ。俺には歌しかないんだ」←本日の決まり文句。と言う訳でゆる〜い感じでしたがいやいやこれがよくてですね。正統派フォークから子守唄、ポップスナンバーと洋邦織り交ぜの全曲カヴァー。なかでも「柳ヶ瀬ブルース」(美川憲一だったのねこれ。今検索して知る)をボサノヴァアレンジでやったのがちょう格好よかった!

曲間のお話もゆる〜く。バカボンの説法ですよ、お盆だけに。バカボンが喋れば全て説法なんですよ、坊主だけに。昔どんだけ大食漢だったかって話からメトロファルスの思い出話が面白かった。

初めて地方にツアーに行ったとき、静岡では客がひとりも来なかった。店長が知り合い集めてきてくれてライヴをした。東京ではそれなりに集客あったので、あ〜地方ではまだまだ知られてないんだな…と思いつつ、機材車で神戸へ。神戸の会場はチキンジョージ。メトロとあとふたつ、3バンドが出演した。リハやサウンドチェックを追えて楽屋に行くと、まかないが出た。洋食屋さんにある、大きな銀のお皿にチキンライスが山盛り。他のメンバーは今お腹空いてないからとか言うので、俺とドラムのやつで全部喰った。その後その一皿は、3バンド分のまかないだと知った(爆笑)。他のバンドのひとがきて、あ〜…ってなって……。

当時は一回の食事でラーメン丼四杯分のごはん食べてたんですって、それを一日三食。会場どよめいてました。この身体のなかのどこにこれだけの米が入るんだろうと思った…と言ってました。ヒー。今もだけど、メトロの頃もバカボンてそんな太ってないしねえ。

そんなこんなでパール兄弟です。隣のひとが「サエキさん今日コミケにサークルで出てるんだってよ」と話していてええっとなる。だから二部制にしたの? 真相は判らず。出てきたサエキさんは声嗄れ気味でした(笑)でも歌には支障なかったな。

それにしても毎度のこと乍らばかうまで腰が抜ける。夏と言うことで夏っぽいレア曲を中心にと言ってましたがまー! わたくしパール兄弟四半世紀は聴いてますがライヴで「SMELL」を聴いたのは初めてでしたよ! 音源もデモしかないし! いやあもういい冥土の土産に…盆だけに……ぎ で よ が っ だ 。他にも「涙のサスピション」とか! ちなみに窪田さん「もうたいへんですよ(ギターでいっぱいいっぱい)」と言うことでサエキさんvo.でした。今回サエキさんのブームは「ですよね〜」でした。ああうざい(笑)。

そんなサエキさんの話を聴いているようで聴いていない、聴いていないようで聴いている窪田さんが絶妙のタイミングで「はい、(次の曲を)やりますよ」と言ったりしてフロアは大ウケでした。他でも前後がとっちかったサエキさんのMCを窪田さんが翻訳したり。「電話掛けてきておかしなこと言うひとがいて、病院に連絡したら人助けになったんですよ!」と言うので「ストーカーみたいなファンでも来たのかな」と思っていたら「脳血栓だったんだって」と窪田さん。電話してるとき相手の呂律がまわらなくなっておかしい、と思ってと言う。そういうことかよ! このふたり長年見ていてなんで一緒にバンドやってるんだろう…と思うこともありましたが、こういうやりとり見るとああ…と納得したりもする(笑)。しかしこの手の話題多かったわー(「この曲で踊ったら三十年後も足腰シャッキリしてます!」とか)。皆さんお元気でね…自分もな……。

圧巻は「How to X」。サエキさん曰く「ここのリズムセクションは世界一」、これがあながち大げさでなんですよねいやホントに。バカボンも松永さんも、手数が多いだけでなく間合いの詰め方が絶妙と言おうか、変な例えだけど居合が音になってるかのよう。ゴリッゴリです。ちょっとでも噛み合なかったら大怪我しそうな程の緊張感。そこに窪田さんのギターが載り、矢代さんのシンセが載り。矢代さん「僕ははとこくらいのつもりなんで」と言っていたけど何を仰るですよ……。

あと窪田さんがRS-850使ってるの観たのも久々でした。兄弟(一時)勘当後初めてだったかも…あの音! あの音! カッティングのキラキラっぷりが際立つあの音! うえーい行ってよかった…めいどのみやげ……。RS-850についてはこちらのブログが詳しいです。

・『ARIA RS-600』- MOTOR&MUSIC JUNKY -

張ってある動画の窪田さん美しいー! ほそー!(…)そしてしみじみしたが、窪田さんはちゃんとスタイリスト+メイクがつかないとホント自由…と言うか形容し難い風貌になりますよね…宝の持ち腐れと言うか(笑)今回はヘアバンドしてらっしゃいました。デビュー前後の頃よくしてたあれだよ! 途中ズレてきてなおしていた…下手するとヘアバンドそのものも当時のものなんじゃないかと言う……それはないと思いたいが。そんなとこも含め? 孤高のギター職人っぷりでした。あとメガネは老眼かな(微笑)。

ノルマとして? 発表される毎度の新曲は「仁義」でした。「ミポリンじゃありませんよ〜」とサエキさん。サエキさんのこういうとこほんっと(略)もはや芸風。そういう前振りはともかく、正にパール! てな格好いい楽曲でした。予定曲全部やってもアンコールがやまず、最後はこれをもう一度演奏してました(笑)。



2014年08月16日(土)
『君となら』

『君となら』@PARCO劇場

観るのは1995年の初演以来。あたりまえと言えばあたりまえだが、時代設定を変えないまま上演している。これが二十年弱のことであっても「ああ、(ちょっと)昔の話だ」と感じることにちょっと驚く。暑さをしのぐには扇風機で充分。ポケベルが鳴り、電話を返す。電話を借りた代金として十円払う。「いや、ポケベル」と言う台詞がある迄、一瞬「ん、この一連の作業って何だっけ?」と戸惑う。

ケニーが口にする「震災」を、いつの震災? と一瞬考えてしまう。初演は阪神淡路大震災があった年だが、このときはあまりにも時期が近かったせいか、作品中の台詞とは繋がらなかった。そして今回この台詞が東日本大震災と(自分のなかで)繋がったと言うことは、自分は東日本大震災を過去のことだと感じはじめていると言うことだ。これはいかん、事実過去のことだとしても、忘れてはいかん、と思ったりもする。

思えば二十年ってちょっとじゃないわ、結構な年数だ。当時は現代劇だった作品を、今回は「昔の話」として、失われた日本の夏の風景を懐かしむように観たことに驚き、そして再演をこうして観るようになるくらい、自分も歳をとったのだなあと思う。いやいや、これが案外悪くないのだ。そして昔の話でも、娘の彼氏と初対面する親のあたふたっぷりや、歳の離れた彼氏についてごまかし続ける娘の姑息さは、やっぱり今でも変わらずに笑えるものなのだ。面白さのキモは変わらない。時を経ての再演って面白いなあ、と改めて思う。そしてホンの堅牢さに感心する。

三谷さんが連載エッセイで書いた効果もあるかも知れないが、草刈さんが「草刈正雄」と言う台詞を言うのを観客がワクワクして待っている感じもした。実際それが口にされたときには、弾けるような笑いとともに、どよめきと拍手が起こった。あと次女の「お父さんはもう帰って!」と言う台詞にも同様の「待機」を感じ、その台詞になったときにはドカンとした笑いが起こった。これねー、ウチでもことあるごとに言ってるもん「お父さんはもう帰って!」(笑)。二十年ずっと笑えるキラーラインです。

初演の出演者は、既にふたりが故人だ。佐藤慶さんと伊藤俊人さん。舞台の上の彼らを思い出す。しかし小林勝也さんよかったなあ、鯱張ったケニー。若ぶるケニー、人生の機微に富んだ台詞のあとにちっちゃな嘘がバレるケニー。かわいい! 前回観たのが『ビッグ・フェラー』のあの役だったから尚更そのギャップにビビる。竹内さんとイモトさんのコンビネーションの良さも見事。長野さんはあれ、初演も出てなかったっけ、当て書きなんじゃないの? と思う程のハマりよう。木津さんは登場場面からしてもうおかしい、愛嬌ある和田くん。長谷川さんもエセ二枚目振りが板についてたなあ(笑)。二日前に観た『炎立つ』に出ていた益岡さんが初演のゲニーだったなあなんて思い出してニッコリ。どちらも二枚目だけど、どっか抜けててひとがよい。

そして草刈さん! 草刈さん! 他に演じるひとがイメージ出来ないくらい、角野さんのお父さん役は素晴らしかったし今思い出しても腹筋がブルブルするんですが、草刈さんが演じることでこうなったか! と感慨しきり。思えば草刈さんて、理容院に張ってある髪型見本のモデルのような典型的ハンサムですやん…あんなハンサム理容師、いたら素敵やん……。本編ずーっとパジャマだったけど(このひとのパジャマ姿を見られるってのがそもそも貴重)、白衣着てる姿がくっきりイメージ出来るわ〜。ニヒルでものぐさなハンサム。ああまごうことなきハンサム。そして面白い草刈さんと言えば『ズンドコベロンチョ』って名作があったわ。彼がコメディでこれだけ光るのは当然のことなのであった。十分ちょっとの作品なので気になる方はどうぞ↓。

・世にも奇妙な物語 #078 『ズンドコベロンチョ』


あと面白かったことと言えば、流しそうめんの装置がすっごい豪華になってて天井を突き抜ける規模のものだったこと。長谷川さんが「天井はどうなってるのかなあ!」と言って場内大ウケ。考えてみれば、初演の演出は山田和也さんでしたね。今回は三谷さんご本人が手掛けておりました。

懐かしい夏の光景、となると自転車キンクリートの『蠅取り紙』も観たくなる。再演の機会があるといいな。



2014年08月14日(木)
『炎立つ』

『炎立つ』@シアターコクーン

原作未読、大河ドラマも観ておりませんが、タイトルとストーリーは有名ですよね。あの長い物語を舞台で、二時間半でどう上演するのだろう? と言う興味もありました。全五巻中『巻の四』が今回の舞台。木内宏昌さんが脚本を起こしたものだそうです。『カルテット』『おそるべき親たち』等、近年の注目作を手掛けている方ですが、青空美人の方だったのね!

平安時代の設定ですが、衣裳や美術は時代を感じさせないものになっていました。言葉―台詞、あるいは歌詞によって、舞台上の時間、場所、関係性が伝わるようになっています。固有名詞も頻出するので多少の予備知識は必要かもしれませんが、これが見事に役者の言葉だけで「伝わる」ように感じました。予習しなければならない作品だと言うことではありません。解らなければ、終演後調べればいい。それだけの興味も喚起すると思います。

あのー、字面だけを発声している役者の台詞ってひらがなだけで聴こえるような気がしませんか。でも、言葉を意味や解釈も含めて自分の身体に浸透させ、発声している役者の台詞は漢字に変換されて聴こえる。この芝居に出てきた台詞じゃないけど例を出すと「しじ」が「指示」と聴こえるか「私事」と聴こえるかと言うようなものです。前後の言葉とちゃんと繋がって聴こえるかどうか、意味が含まれているかどうか。数万の兵士の闘いや、籠城、兵糧攻めによる悲惨な飢餓感も具象としては現れません。メイクと衣裳による身体的な変化と、そしてやはり言葉で魅せる。言葉の力を強く感じさせる舞台でした。キヨヒラの心情モノローグが説明的になっていた箇所がちょっとだけ気になったけど(特にヨシイエに対してのもの)、これはこの舞台、時間の制限のなかでは必要だったのかもなあ。

愛之助さんを筆頭に、益岡さん、平さん、三田さん。そして歌い手の新妻さん。声に力のあるキャストは耳に楽しい。その音そのものを聴けると言う楽しさと、言葉の意味を伝えてくれる楽しさ。

災害や争いが絶えることはない。キヨヒラ、イエヒラとアラハバキの契約は表裏一体。どちらの願いも聞き入れられ、そしてどちらの願いも永遠には続かない。神と呼ばれる存在は、何かを起こすのではなく、何かが起こるのをただ見詰めるだけだ。コロスの嘆きが止むことはない。静かに消えいくカサラの歌声は、最後はとてもちいさなものになる。だが、耳を澄ませばそれは確かに聴こえる。耳を澄まし、ちいさな声に気付き続けることが、平安へ繋がると思いたい。

声に力があると言えば、三宅くんも個性的な声の持ち主。とても悲しい役でした。心に訴えかけてくる芝居をするひとなので、こういう役やられると観ている側も引っ張られる。愛に飢えている一方、終盤は身体的にも飢えていく役柄なので観ていてゾッとする程。身体の軽さやキレを見せる場面もあり、見応えありました。刀を振るスピードが速いのなんの。愛之助さんとの殺陣を観たかったなあと言う欲求もあったり。しかし新境地と言うか、こういう役を演じるのって珍しいですよね。これからもいろんな役で観ていきたい役者さんです。



2014年08月13日(水)
おしらせ

昨日(8月12日)、エンピツのフォームメールから小林建樹さんのライヴについてメールをくださったhotmailの方。お返事を送りたいのですがエラーでメールが返ってきてしまいます。お手数ですがご連絡先を教えて頂ければ嬉しいです。宜しくお願い致します。

(8月20日追記)連絡頂けました!有難うございました!



2014年08月12日(火)
『ロミオとジュリエット』

『ロミオとジュリエット』@彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

『NINAGAWA×SHAKESPEARE LEGEND I』。蜷川さんが手掛けたシェイクスピア作品を新演出で再演していく新シリーズです。1974年、つまり四十年前に蜷川さんが初めて演出したシェイクスピア作品がこの『ロミオとジュリエット』。その都度キャスト、演出を変え、今回は四度目の新演出版。過去自分が観たのは2004年版のみです。以下ネタバレあります。

ほぼ裸舞台。街なか、教会、野外と言った場面転換は音響と照明で表現。さい芸小劇場の舞台機構を活かし、装置は殆どありません。高い階段と踊り場を使ったバルコニーのシーンはこの劇場、この空間ならでは。転換毎に運び込まれるテーブルやベッド、草むらの塊、天井からおろされるシャンデリアと、使われる道具は人力で持ち運べる程度のもの。客席との境界がないオープンステージで、若い出演者たちはエネルギッシュに叫ぶ、走る。階段を駆け上り、客席上部の通路で対話する。劇場のあらゆる場所が、彼らの躍動の場になる。

この「言葉」と「疾走」の質量と速度が『ロミオとジュリエット』のキモでもある。16歳くらいと14歳くらいのふたりが出会い、一週間(舞踏会場で出会ってからは四日)で恋と人生を終える。短い時間のなかで言葉を尽くし、次々と襲いかかる災いから逃げる、立ち向かう。瞬発力を体現出来る演者が必要になる。意欲に溢れる若者たちはときに空回りを見せ、幾人かは声が嗄れかけていた。それでもあの、頼れる装置がないまっさらの舞台で場が“保つ”。前回観たのが日生劇場だったこともあり、間近で繰り広げられる役者のぶつかりあいは迫力があった。殺陣のシーンは怖いくらいだった。剣がぶつかる音に重量感があり、剣そのものの重さも感じられる。

舞台上の激しさにつられてこちらも心のなかで力の限り叫ぶ。「キャピュレットのばーかばーか!」「ティボルトのばーかばーか!」。ここらへん2004年に観たときと同じだ(笑)。しかし今観るとジュリエットの父ちゃんは毒親でティボルトはハーブでらりってるとしか思えんな…池袋のバブル地主とその甥っ子みたいな。両家の諍いはチーマーの縄張り争いかみたいな。それにしても今回ほんっとキャピュレットが憎たらしかった。自分の命令に従わなければ家から出てけ、財産もやらんとか…生活力のない娘に対して……そんな時代だったとか言われても知らんわ! て言うかそういう家族って今もあるんだよ絶対! も〜観ててはらわた煮えくり返ったわ、間宮啓行さん名演。乳母役の岡田正さんにもときどきイラっとさせられたわー(笑)もう日和る日和る。こういうところ、戯曲の普遍性を感じますわ。人間進歩ない。

そして観る度思うが、モンタギュー家のマイナス面が見付からない。毎回キャピュレット家の方からつっかかってってるように思える。そうそう、今回衣裳からしてモンタギュー=黒基調の洗練されたもの、キャピュレット=白Tシャツにブルージーンズの粗野って感じではっきり区別つけてて面白かったな。あっ、そういうモンタギューんちのスカした感じがキャピュレットんちは気に入らないのかなー。

ちなみにマキューシオの衣裳は裸サスペンダー。これ2004年の高橋洋さんのときもそうだったんだけど、矢野聖人さんが当時の映像を観て参考にしたのか、蜷川さんの好みなのかどちらなんだろう。ちなみに2004年の衣裳は小峰リリーさん、今回は宮本宣子さんです。個人的にもこのマキューシオと言う人物には惹かれている…と言うか、この作品中いちばん気になる人物なので注目しがちです。と言えば今回ベンヴォーリオもすごく気になった。『ハムレット』におけるホレイシオ的な立ち位置だったかと気付かされた。これは演じた若葉竜也さんに因るところが大きい。

菅田将暉さん、感情の振り幅が大きいロミオがしっくりきていた。ひとなつこい感じが好印象、あんな子だったらロレンス神父も面倒見てあげたくなるわ。膨大な台詞を激昂口調で続けなければならないうえに始終走ったり転げ回ったりしているので、身体の負担はかなりのものだと思う。怪我なく千秋楽を迎えられますように。直情的な姉妹や女ともだちの横に控え、そのクールさとニヒルさで観客を虜にする人物を演じる印象が強い月川悠貴さんは、表に激しさが出てこないジュリエット。泣き、嘆くときも静かだが、心のうちには青白い炎が揺れているよう。新鮮なジュリエット像でした。そしてこのひとはとにかく口跡が美しい。翻訳調の台詞がするりと頭に入る。二度ある「帰ってきた」と言う台詞の響きにはっとする。ロミオの返事を持ってきた乳母に対する、期待と不安の入り交じったひとりごと。

今回、2001年以降の蜷川版『ハムレット』や『真情あふるる軽薄さ』に連なる、戯曲にはないラストが用意されていた。開幕から印象に残る、痩躯で青白い顔をしたひとりの青年。何度か出てくる若者たちの戯れのシーンで、毎回虐げられている。佐藤匠さん演じるこの人物は、終幕ふらりと現れて、ロミオとジュリエットの死を嘆き和解しようとするひとびとを客席から見詰める。しばらくして彼は立ち上がり、手にしたマシンガンで広場の全員を殲滅する。死体の山を通り過ぎ、扉の向こうへと消えていく。

悔い改めても遅い。失われた命は戻らない。一度始まった殺戮は蜷川版『ハムレット』におけるホレイシオ同様、必死に和解の道を探っていたベンヴォーリオやロレンス神父をも巻き込んでいく。この演出、個人的には『ハムレット』のときよりもストンと腑に落ちました。

ちなみに今回オールメールキャストでした。なんかもうそういうこと忘れるくらい作品自体が面白かった。



2014年08月10日(日)
DE DE MOUSE in Planetarium 2014『planet to planet』

DE DE MOUSE in Planetarium 2014『planet to planet』@日本科学未来館 ドームシアターガイア

北とぴあから未来館に会場が移りました。北とぴあのプラネタリウムなくなっちゃったんだよね(現在は多目的ホールとして使われているとのこと)。あのちょっと前時代な雰囲気、好きだったなあ。素敵な時間を有難うございました。

それにしてもいちばん雨風が酷い時間に東京テレポート駅から未来館迄歩くことになったのは苦行であった。べしょべしょじゃ。到着すると、これから入場を開始しますと丁度スタッフがアナウンスしているところでした。通常の開館時間のあとの催しなので、ライヴに来たひとは外に並んで待っていたんですね。屋根があるところとは言え、激しい雨風のなか待たせっぱなしのは申し訳ない…と言うことで、早めに開場してくれたそうです。ご配慮有難や。しんとした館内に入り、七階のドームシアターガイア迄エレベーターで移動。こういう、閉館後の美術館とかホールに入るのって探検みたいでワクワクします。

しばらくホール周辺を散歩したあと3Dメガネを受け取り入場すると、スタッフの方の説明が始まっていました。途中からだったので詳細を把握出来なかったのですが、プラネタリウムの3Dプログラムを投影してライヴをする予定が、そのプログラムに音を足したり引いたりするのは契約上出来ないと言われたってことだったのかな? なのでまず3Dプログラムのみを観て、その後2Dプログラムをともにライヴをする、と言う二本立てになったようです。デデくんも出てきて「ここでやるのは夢だったので、実現して本当に嬉しい」「僕のライヴは3Dプログラムじゃ出来なくなったけど、ほら、僕自身が3Dですから(笑)肉眼で見ても3Dだし、メガネで見ればもっと、ほら、3Dに…それはないか」とご挨拶。和む。

と言う訳でまずは3Dプログラムから。星の動きが立体的なので、星が自分に向かってきたり、遠ざかっていく様子の臨場感がすごい。無重力に放り出されたみたい。視覚の錯覚だけで身体が浮いた気分になるんだなあ。台風による気圧変化のせいか体調がイマイチで、画面酔いしそうになる。やばいと思って意識的に目のピントを合わせたり緩めたりしてしまった。いやーしかしすごかった。コンディションのいいときにまた観たいです。

続いてライヴプログラム。「もし自分が蒸発してしまったらどうなるだろう?」「ライヴの時間になっても会場に来ない、電話を掛けても出ない、DE DE MOUSEはどこに行ってしまったのか」……演奏前、デデくんがちょっと話したコンセプト。機関車の汽笛の音が鳴り響く。お、銀河鉄道に乗ったのかな。夜空のなかへと旅に出ます。映像の精密さに演奏がピタリと合った感じでした。星空(の映像)を見乍ら聴く雨音(の演奏)。夜空の向こうから聴こえるお囃子、こどもたちの声。虫の羽音。言葉の判らない歌声。地上は見えない。地球も見えない。見渡す限り星の海、あの音楽は何光年も前の場所から届いたのかも知れない。それは旅情か郷愁か、懐かしくも未知な曲の数々。まさに夏の夜の夢にふさわしいひととき。

北とぴあで何度か観たプラネタリウムライヴはアンビエント色豊かな曲調がメインでしたが、今回はダンサブルなナンバーもあり、ときどき椅子から腰が浮きかけた(笑)アガるわー。木管楽器のサンプリング音が新鮮でした。

客電がつき退場。序盤は「きれい!」「何あれ?」と無邪気に声をあげていたこどもたちがぐっすり眠っておりました。起こすのが可哀相なのか、親御さんたちが困っていた(笑)。いやー、デデくん本人も言ってたけどこれは寝てしまうよね、あまりに気持ちよくて。自分も何箇所か意識飛んだ気がする。数秒だか数分だか時間の感覚も判らなくなるな。プログラムは一時間くらいだったそうだけど、長くも短くも感じたなあ。とにかく気持ちよかった。びっしょり濡れた服も乾いておりました。納涼〜。

ツアーが進む毎に楽曲が追加されていくUSBカードアルバムを購入。ダウンロードしてみると1、4、7、10のトラックが入っていました。トラックが追加される毎にお知らせがもらえるよう設定。旅が進むにつれ、曲も増えていく。楽しみ。



2014年08月08日(金)
『向日葵のころ 間に合うか?小林建樹、多分レコ発ライブ』

8月12日、エンピツのフォームメールからこの日のライヴについてメールをくださったhotmailの方。お返事を送りたいのですがエラーでメールが返ってきてしまいます。お手数ですがご連絡先を教えて頂ければ嬉しいです。宜しくお願い致します。

(8月20日追記)連絡頂けました!有難うございました!

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『向日葵のころ 間に合うか?小林建樹、多分レコ発ライブ』@Koenji HIGH

小林建樹、青山陽一、エガワヒロシのスリーマン。「巨人動く!」とエガワさんが仰ってましたが、小林さんのレコ発ライヴでもありました。タイトルがタイトルだったものでドキドキしていたのだが、先月中旬新譜『Emotion』が無事完成、予約開始と公式サイトからアナウンス。安心して会場へ向かった次第(笑)。

トップバッターエガワさんはギターデュオ編成。これ迄バンド編成で聴いてきた楽曲をアコースティックな演奏で初めて聴いたのですが、歌の切実さが際立ってすごかった。真顔で聴いてもうた。エガワさんてトークが面白いんだけど、なんて言うかそのトークもどこか切実さを感じるんですよね…照れ隠しにも思えるところがあって。今回もトークでは面白いことばっか言ってましたが、歌いはじめるとうあー、音楽に取り憑かれてるひとだなあと思ってしまった。以前エガワさん、小林さんのことを「僕は音楽なくても生きていけるけど彼は音楽がないと死んじゃうと思う」と言っていたけど、その言葉は自分にも当てはまるのではないのかなと思いましたよ。

それは続く青山さんも同様で、お話はゆる〜いんですよ。「チューニングしてると話出来なくなっちゃうんでご歓談ください」とか言っちゃって。そもそも数十分の持ち時間で変則チューニング(しかも一曲毎に変える)の選曲をするところが流石です。セッティングに集中しちゃってMCが留守になってしまう…ソロでエレキの弾き語りなので、自分が喋らないとシーンとしちゃう(笑)。しかし演奏が始まると場の空気がガラリと変わり、あっと言う間に観客を惹き付ける。

この「のんびりニコニコ聴く筈が、あまりにも演奏と歌が凄まじくて気付けば真顔で聴いている」と言うのは今回の出演者全員に共通することです。「音楽に取り憑かれてる」音楽家の姿。ご本人は至ってリラックスしているようにお見受けしますが、その狭間にギョッとするような凄まじい表情を見せ、観客がいることを忘れているのではとすら感じさせる振る舞いを見せる。機を織る鶴の姿を見てしまったかのような気分になる。そうするうちに、彼らにしか立ち上げることの出来ない世界が眼前に現れる。

さて小林さんです、ソロ。ステージにギターがセッティングされているのを見てわーいとなる。ギター聴くのすごい久し振りー! 先月のライヴはサモアリと被ってしまって行けず、後日ご本人がこの日はギターでやったと日記に書かれていたのでガーンとなっていたのでした。ピアノマンの印象が強い方ですが、このひとのギターホント独特で格好よいんですよね。そのギター弾き語りで間髪入れずの冒頭三曲。ぶっとばされる。このリズムのなまり! また違う次元に行っとる!

カッティングのストロークと、ギターのボディを叩いて鳴らす音から編み上がるリズムのなまりがすごいんです。音を鳴らしてない間のリズムもちゃんとそこにあるんですよ。なんか頭のおかしいこと書いてるな…説明が難しい……あのーなんて言えばいいんだ、演奏者の頭の中には複数のリズムが鳴っていて、アウトプットしているのはギター弾いてるコードのパートとボディを叩いて作るパートのふたつ分なんだけど、あといくつかのリズムが同時に流れているの。その発音されないリズムは間として現れるの。その間と実際に出ている音のリズムでなまり…グルーヴが生じるの。これいつ頃からだったか…ピアノでも顕著になってたんだけど、十本の指で和音と単音を駆使するピアノではそこ迄間はクッキリ表に出て来ない感じだった。パーカッシヴギターだと音数自体が少なくなるからその辺りがすごくクッキリした。

いやもうこれには真顔どころか真剣に聴き過ぎて頭が痛くなりそうだった(バカ)。このひとり脳内ポリリズムたるや…この! これが! 音楽家の頭のなかで鳴ってる音をお裾分けしてもらっているこの有難さよー!!! それがここ迄ポップな音で響くことよー!!!

はああ、自分の文章力のなさがいやになるねー! 以下おぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません。

・『Emotion』からの楽曲中心。ここ数年のライヴで演奏されたものが多く、演奏もこなれている…ふりをして、その場その場で新しいアイディアを組み込んでいるのでどんどんグレードが上がっている感じ
・なので、聴く度に楽曲の新しい顔が見える。本人もお披露目か練習かって意識の境目はあるのかないのか…間違えるとごまかすことなく弾きなおしたりするし、同じフレーズを繰り返して曲の前後を行ったり来たりするところもあるのだが、それ全部がもう作品になってるんですよね…はー……

・よく「アイディアはどんどん出てくるんだけど弾くのが難しい」って仰ってますよね。頭のなかの音に手が追いつかない感じ
・この日も「『光秀の定理』(だったかな?)を読んだりして明智光秀のことがすごく気になってて、そうなると大河ドラマ『明智光秀』の音楽とかどんどん浮かんで」「演奏が難しくて弾けないので今日はやらない(笑)」つってました。ちょ、いつか聴かせて!
・恐ろしいのはその手がライヴやる毎に追いついてってることではないか。本人そこ迄行ったときにはまたもう次の山に頭が行ってるんだろうけど

・「今回のアルバムは作曲もー、演奏もー、ミックスもマスタリングも全部自分でやりました。袋詰めもやったしい(笑)」「でもそういうの、なんかいいなあと思ったんですよね」
・「前作『Rope』はあらかじめあった曲を選んで並べた感じだったけど、新譜はアルバム全体の構成を練って練って、レコーディングするときにはもう方向性もしっかり決まっていた」「だから、レコーディングは標識通りに道を作っていく感覚だった」
・「だから一枚通して聴いてほしい」「近頃は配信とかあるし、アルバムを通しで聴くとかもうないと思うんですよね。自分もそうだし」「でも、そういうアルバムを作ってしまったんですねー(笑)」
・「でも、飽きひんように、飽きられないように、興味を持ってもらえるようにと言うのは常に考えて作ってる」
・「興味と言う山にしがみついてる。落ちると死ぬからね」
・「発表してない楽曲もまだある、発表しないまま死んじゃったりすることがあるかも知れないので車の運転とかすごく気を付けてる」
・死んじゃうとか言わないでー(泣)ことだまことだま。しかしいつでもそういう気持ちで作ってるってことですよね…音楽に取り憑かれてる……そりゃあの窪田晴男も脱帽する(ust参照)……

・「アルバムの曲はバンド(Drs:宮川剛、B:千ヶ崎学)編成とソロと、交互に配置してます」「今日は全部ひとりでやるけど」
・「『フリージャズ』は今日はひとりでやりますが、ホントはひととやった方がいい曲です(笑)音源を聴けば判ります」
・「YouTubeにMVもあげていこうと思います…今はMVて言うんですよね、昔はPVて言ってた。エガワくんにどうやって撮影して編集するのかとか教えてもらった」

・「『Rope』の売り上げを入れてる口座があって、それを新譜作る資金にしました」「なので『Emotion』の売り上げで、また新しい作品出せたらいいなって」「お金の話ばっかしてますがー、お金大好きですから(笑)お金、だいじですよね」
・「新譜が出たって拡散してください(笑)最近拡散してって言うの好きなんです」「新譜が出来て、宣伝しなきゃ! て電話をかけ始めたんだけど、三人目くらいでもうイライラしてきてやめた」「今日は呼んでくれて有難うございますー、呼ばれなかったらいつ迄経っても出来上がらなかったと思う(笑)」
・エガワさんはじめいろんなひとが「ライヴやらないし作品出ないし、こんだけの才能持ってるひとがなんでって!」と言ってましたがホントよね…でも自分のペースでやれるのがいちばんですけどね……
・こちらも小林さんの作る音楽には取り憑かれてるんで待ちますしね。だから死ぬとか言わないでー!

・本編最後は出演者三人でTHE BEATLESの「All You Need Is Love」をセッション
・全員出て来たときは「久し振りだね」とか、世代、事務所が一緒でとか言う話、老眼の話(笑)なんかしてたんだけど、何故セッションにこの曲を選んだかと言うところからシリアスな話を小林さんが始める
・「ブライアン・イーノがデヴィッド・バーンに送った手紙ってのを読んで、うー、となって」「難しいことはよく判らないしどちらがいいとかも言えないんだけど、でも…その手紙で、死んだこどもを棺に、いや棺なんてものでもない、容れものに入れて持ってる親の話が…ぎいい、ってなって」「ジョン・レノンって本当にすごいなと思って」
・祈りのような演奏でした。聴けてよかった。この場にいられてよかった
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- David Byrne - Gaza and the Loss of Civilization
- 邦訳『ブライアン・イーノ デヴィッド・バーンへの書簡でガザ虐殺を激しく非難』|Fuck The Fuckin' Fucker !
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・演奏後、エガワさんがジョン・レノンの遠〜〜〜〜〜い親戚と言う話が出てどよめきが
・青山さんが「間に結婚が入ってるってことは血は繋がってないんだね」と冷静なツッコミをしてた(笑)
・「ジョンの魂を継承していきたいと思ってますよ! ハウスハズバンドもやってますし!」とエガワさん。また和ませてくれましたよ……感謝

にゃむじさんとも久々に会えたし、行ってよかったなあ。『Emotion』の販売はこちらから。是非聴いてみてください。

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セットリスト

01. 告白
02. 絵になる大人
03. 満月
(以上Ag、以下Key)
04. few(Instrumental)
05. 果実
06. フリージャズ
07. マリオネット(新曲/Instrumental)
(07のアウトロと08のイントロがインプロで繋がってました。このインプロがまたもうねえ)
08. Spider
09. 禁園
10. 夜行虫
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11. All You Need Is Love(THE BEATLES' cover、w/青山、エガワ)
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encore
12. ブレス

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2014年08月02日(土)
『ラストフラワーズ』

大人の新感線『ラストフラワーズ』@赤坂ACTシアター

松尾さんはとても怖がりなひとで、彼の書く作品はそのときいちばん自分が恐れているものについて、と言う印象がある。作家としての繊細さだと言えるが、このひとのすごいところは、怖がり乍らもその先に何があるのか見ようとし、書こうとするところだと思う。今回は、おおきなふたつのモチーフがある。ひとつは戦争。もうひとつは家族と言う集団。どちらも松尾作品によく出てくるモチーフだ。しかし今回、いつもとは違う感触があった。ひとつの結末にはやはり、と暗澹たる気分にさせられ、もうひとつには素直に驚かされた。松尾作品の登場人物がああいう選択をしたことに驚かされたのだが、それはその人物を演じたのが古田さんだったからなのではないだろうか。一種の当て書きだ。古田さんが演じるから、松尾さんはああ書いた。大人計画と新感線がタッグを組んだ収穫にも思えた。

松尾作品がいのうえ演出にかかるとこうなるのか、と興味津々で観た。キャノン砲が両袖にあったのでいつ発射するんだビックリしないようにしようと身構えていたらカーテンコールだけで使われた(笑)。1000以上の客席最後列迄芝居を見せる、と言う空間の扱いは流石いのうえさん。演出における音楽の重要さにも気付かされた。スカパラの音楽で立ち回りと言えば蜷川さんの『四谷怪談』があった。アクションものにとても合う。しかしいのうえ演出としては新鮮。メタルじゃないと、あのシーンこのシーンがこう映るんだ! と言う驚きもあった。

実は今回、松尾さんといのうえさん!? と反射でチケットをとりその後の情報を全くチェックしていなかったので、誰が出るかもよく知らないままだった。そうだよな大人の新感線と言うくらいだから、出演者も両劇団員だよな…劇場に着いて配役表を見て「あっそうか古田さんと阿部さんの対峙が観られるんだ!」となったアホです。そしてスカパラは生演奏で出演すると思っていた。フェスシーズンなのにスケジュール大丈夫なのかしらと思っていた。アホだ……(再)。そんな状態だったので、一幕はストーリーの行方とともにえっあっクドカン出てたんだ高田さんもじゅんさんも! なんていちいちオロオロしていた。バカだ。

それにしても古田さんと高田さんのぶっちゅ〜とか、なかなか貴重ではなかろうか。や、新感線の舞台欠かさず観ている訳ではないので知らないだけかもしれないが、そうそうないですよねこれ? 大人計画の劇団員同士ってのだと別に珍しくもないのだが(笑)。反面「ノ〜ベル♪」とか「扇町ミュージアムスクエア」「南河内万歳一座」辺りはいのうえ演出へのプレゼントかなとニヤニヤした。あっあと欲を言えば古田さんと阿部さんの殺陣をもっと沢山観たかったかな。そもそも松尾作品にアクション的な要素はあまりないけれど、実は阿部さんアクションすごくデキるひとだもんね。デキると言えば小池さん、ホント舞台映えする。歌に若干緊張が見られたがこれは日を追う毎に馴染んでくると思う。

星野くんを復帰後舞台で観るのは初めてだった。彼が出てきたとき、一瞬客席の空気が変わったのは気のせいではないと思う。その彼が終盤聴かせる歌は、この作品のおおきな見せ場になっていた。聴かせどころとも言える。邪推かも知れないが、これは松尾さんから星野くんへのはなむけにも思えた。サントラ出してほしいなあ。この曲だけの配信でもいいから。そして紙ちゃんのタンバリンとダンス! いやーこれには持っていかれた…格好よかった……。伊賀さんによる衣裳もすごく素敵だった。

『ヘブンズサイン』に『ふくすけ』に。うーむ、こうやってみると、松尾さん寄りで観ていたって感じだな自分。個人的にはいつか河原演出で松尾作品を観てみたいなと思った。クドカン作品ではもはやお馴染みだけど、『TEXAS』の河原演出には本当にヤラれたので。あの毒ね。