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2010年11月06日(土)
『東京タクシー』『わたしのすがた』

アジア・シネマ・セレクション『東京タクシー ディレクターズ・カット版』@東京都庁都議会議事堂 都民ホール

『東京アジア月間』中のイヴェントで、バックホーン山田くんの主演映画『東京タクシー』のディレクターズ・カットが上映されました。もともとはM-ON! TV十周年記念のスペシャルドラマとしてオンエアされたものです。まさすの演技は初々しかったよ…(微笑)それにしても、何も喋らないときの表情のアップが画面に耐えきるひとだなー。やっぱり存在感があるわ…。

司会進行のプロデューサーの方が映画のストーリーを説明するとき「売れないロックバンドのメンバーがタクシーでソウルに行く話です。出演されている山田さんはバックホーンと言うバンドのヴォーカルで…バックホーンは有名なバンドですよ!売れてます!」とわざわざ言うのにウケた。上映前にキム・テシク監督と山崎一さんのトークセッションがあり、撮影裏話から文化、たべもの、ひとがら等日本と韓国の違いに関して面白い話が沢山聞けました。スケジュールや予算の都合で、カーチェイスのシーンも全部山崎さんがスタントやレッカーなしで運転したとのこと、シェー。キム監督と山崎さんが山田くんに対して持った印象も興味深いものでした。逆ヴァージョンの『ソウルタクシー』の企画も進めているとのこと。いつか観られたら嬉しいなあ。

韓国語の台詞のシーンには英語と日本語の字幕がついたのですが、釜山のひとたちの喋りが関西弁になってて面白かった…MIOさんによると釜山のなまりは独特で、この字幕はうまいとこついてるとのこと。

いやー貴重な機会だった。MIOさん知らせてくれてありがとー!

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フェスティバル/トーキョー 10『わたしのすがた』@にしすがも創造舎 他

最終便18時出発。夕暮れに暗闇が迫る中、4つの場所を訪問する。ひとりずつの出発で、受付で貰った地図を受け取り、ひとりでその場所へ歩いていく。道を間違えたりし乍ら(…)なんとか到着。途中の風景、すれ違ったひと、天気や気温も当日だけのもの。

そこには見知らぬひとの痕跡がある。そして自分の痕跡を残す。どちらも微かで小さなものだが、確かにそこに存在したもの。物量的にも時間の流れも。あちこちにテキストが貼られている。最後の場所でリーフレットを受け取り、飴屋さんのテキストを読む。

制作面についてから書く。これは相当な労力と時間と資金が必要だっただろうな…そんなこと考えるのは余計なお世話かも知れないけど。しかしこの企画を通した飴屋さん、それを受けてしっかり制作をサポートした相馬さんを始めとするフェスティバル/トーキョーのスタッフ、そして現場の制作スタッフには感服、尊敬と感謝。そしてあの場所たちが、にしすがも創造舎近辺に存在したことがすごい。探し当てたひとたちもすごい。最大限の努力の賜物だろうが、奇跡的なことでもある。と言うか、こういうの見ると努力って報われるねと思うなー。がんばればラッキーはやってくる、とちょっとだけ信じられるなー。そこにも感動。

同時にこれだけ都会に廃墟…うーんちょっと違うか?なんて言えばいいかな、“死んでいる空間”が残っていることについても考えさせられた。隙間と言う隙間を無駄なく使う都会は息が詰まることも多いので、考えようによってはホッとする。

以下内容についてネタバレあります。

貼られていたテキストは聖書等からの引用のようだった。しかしそこに宗教のうさんくささを感じるかと言えばそうでもない。3つ目のひとつの部屋では、あるカリスマが周囲から押し上げられて教祖のような存在になり、やがて失脚していく経緯が紹介されていた。どちらに転ぶかは当人にすら判らない。そしてその立場を降りたとしても、そのひとの人生は続く。前にも書いたことがあると思うが、飴屋さんにもそういうところがずっとある。彼の周りにはひとが集まってくる。彼を祭り上げるひともいるだろう。それに対して飴屋さんは自覚があって冷静だ。このバランスはギリギリなものだ。

無宗教、無神論者であっても信仰と言うものはあるし、そこにいない誰かの思いを感じることがあったり、その力を受け取ることが出来ると思えることがあったりする。うーん、説明が難しいな。オカルト的なことになっちゃうのかな。でも霊が!とかそういうのとはちょっと違うなあ。個人的にはよしもとばななさんの『幽霊の家』を思い出した。2つ目の外観から、岩倉くんが暮らしていた家を連想したこともあるのかも知れないが、それだけではないと思う。かつてそこにいたひとたちが、毎日を営み静かに暮らしていた痕跡は、大きな世界からすればとても些細なもので、いつかは消えていき、誰の記憶にも残らない。でも、確かに存在したのだ。後にそこを訪れたひとたちはそれを思い返す、もしくは想像することが出来る。きっと思い込みでもある。それでいいのかも知れない。

勿論演出はあるのだ。仕込まれた小道具もある。押し入れの扉を開けるとスピーカーが設置されており、サイン波やことば等、いろいろな音が流れている。時々他の鑑賞者と鉢合わせしたりして「このひと仕込みなのかな…役者さんなのかな……」なんて疑心暗鬼になったりもした(笑)。反面、最後の場所は使われなくなって十年程だと言うが、レントゲン現像液の匂いがまだ残っていた。それぞれの場所にあるものたちは、最初からあったものと後から仕込まれたものが混在している。これらは想像力を喚起させる装置のようなもので、それを通して自分に起こったこと、自分が感じたことは、自分にとっては本当だ。

そしてそんな想像力を使える余地があるからこそ人間は生きていけるのだと思う。

時間が許せばまた明るい時間帯に行ってみたい。もしくは、公演が終わった数年後訪れてみたい。勿論不法侵入とかはしませんよ。あの道を忘れないでいたい。

よだん:
・ひとりずつの出発のため、最初の地点は待合室みたいになってた(笑)
・道々にねこがいて、ねこ散策としても楽しみました。今ここにはいるけど、今度来た時にそこにいるかは分からない、生きているねこたち。数年後には死んで消えてしまうねこたち
・しかし夜の病院は楽しかった(笑)ちっちゃい頃近所に廃病院があって、しばらく封鎖されてなかったから何度か遊びに行ったりしてたんだよね…注射針とか持ち帰ったりして。今思うと怖いが
・しかもここ、ウチらが最終退出だった。残ったスタッフさんひとりだったけど怖くないかな…おつかれさまです……
・懺悔室は深刻なものから笑えるものまでさまざま。私も勿論書いてきたよ

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ピノキオのホットケーキやナポリタン、かるかやのうどん、Camo Caféのおやつ、越中富山のごはんもうまかったー。朝から動くとどこそこ行けて楽しいねえ。ポンチさんから『深夜食堂』も貸してもらって(ありがとー!)、食も充実した一日でした(笑)。