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2014年07月27日(日)
『教室』

SNAC パフォーマンス・シリーズ 2014 vol.3『教室』@SNAC

昨年29qさんに「来たらいいのに」と言われていたのに行けなかったTACT/FESの『教室』が、「2014年・東京・清澄白河 SNAC」の『教室』、として再演。当日券は毎回出すそうですし、立ち見でも70分の上演時間なのでそんなにきつくはないと思います。気になってる方は諦めずに是非。

見たこと、を書く。そこから、自分がこの作品をどう観たか浮かび上がるだろうか。

深川資料館通り商店街を歩く。やがて人だかりが見えてくる。ああ、あそこがSNACかと思う。2010年、無人島プロダクションが高円寺からここに移転したと言うニュースは聴いていたが、実際行くのは初めてだ。『マームと誰かさん 飴屋法水さんとジプシー』は、チケットがとれなかった。

スペースは開放された状態。ドアや窓はない。普段は壁があるらしい。通り側にある舞台(と言っても段差等なく、小道具が置いてあるちいさなスペース)をコの字型に囲むように客席が設置されている。飴屋さんが通りに水をまいている。コロスケさんはやや緊張した面持ちで立ったり座ったり、友人?が来場すると表情が柔らかくなる。くるみちゃんはフロアにチョークで線を引いている。時折観客をぐるりと見渡す。スタッフにはチームサイコシスや、マームとジプシーのメンバーの顔。最後列中央の席に座ることが出来た。通りを眺める。商店街の通りが借景になっている。通りかかるひとが興味深そうに立ち止まったり、覗き込んだりしている。それは上演が始まってからも続く。お向かいのだんご屋さんのご主人らしき方は、随分長い間観ていらした。連日ご覧になっているのだろう。

通りに面した壁(入口の上)に時計がかかっている。なんとなく眺めて、上演中時間経過が見えるなあ、気になるだろうか、いや、開演すれば気にならなくなるだろうなどと思う。客席が埋まるなか、出演者やスタッフたちは黙々と準備をしている。開演の五分程前(時計を見ていた)、小道具の発泡スチロールで出来たブロックを積み重ね、その上に片足で乗っていた飴屋さんが、バランスを崩し転倒する。衝撃で時計が落ち、大きな音がする。蓋が外れて電池が散らばり、時計は停まってしまった。慌てる様子もなく立川さんがやってきて、時計の様子を見る。元の場所には戻さず、邪魔にならないところに置いていく。飴屋さんが上演中の諸注意についてアナウンス。エアコンは大きな音がしないよう弱めにします、上演時間は70分くらいなので我慢して頂ければ、冷たい飲み物も売っています。ちょっとしたスペースで、ビールとグレープフルーツサワーだったかな、が売られている。後方にある音響スペースに飴屋さんが移動する。舞台に出ていないときは飴屋さん、出ているときは恐らくCさんが音響オペレーター。蝉の声がずっと流れている。小駒さんのオペで照明の明度が一瞬変わるのを合図に開演。

戯曲のとおりに台詞が進む。ヘンな話だが、そのことに若干驚く。「蝉と同級生」のくるみちゃんは一学年進級しているが、そこに手は入れられていなかったように思う。八年地中にいる蝉もいるそうなので、別に問題はない。具体的に変わっていたのは、花瓶に挿された花がマーガレットからひまわりになっていたことくらいか。テキストを読んでいたときと印象が変わったのは、その静けさ。「!」が多用されていたので、もっとラウドなものを想像していた。実際飴屋さんがラウドに振る舞う場面はあるが、コロスケさんもくるみちゃんも、自分の部屋で話しているくらいのボリュームで台詞を口にする。激する飴屋さんと、それを静かに見ているコロスケさんとくるみちゃん。本来パフォーマーではないふたりをリードしカヴァーせねばと奮闘する飴屋さんと、対してしっかりと自分の足で立つコロスケさんとくるみちゃん、と言う光景にも見える。やがて台詞が台詞に聴こえなくなる。舞台にはひとつの家族がいる。

時折発生するくるみちゃんの予想外の反応が、お芝居と現実の境目を崩していく。具体的にひとつあげると、幼少時の自分の写真をスライド投影し「先生もこの頃はかわいかったんです」と言う飴屋さんに、「今もずっとかわいいよ」とくるみちゃんがぼそっと応えた場面。飴屋さんは一瞬言葉に詰まり、相好を崩す。しどろもどろになって「そ、そう、ありがとね」と応える。客席からは笑いが起こる。舞台上では予想外のことだろうが、くるみちゃんとしては素直な反応なのだろう。彼女は普段から、飴屋さんのことをそう思っているのだろう。

コロスケさんは、立ち止まり目が合った通行人に、「こんにちはー」と挨拶する。故郷である下関の光景、朝起きて登校する迄の様子が、彼女のモノローグによって瑞々しく描写される。娘を見守り、パートナーを見詰める表情は優しげだが、そこから真摯な光が消えることはない。終盤の飴屋さんとの対峙はとても厳しい場面だが、そこから生後三ヶ月の赤子の記憶―それはくるみちゃんのことでもあるし、コロスケさん自身のことでもあるように感じた―を語る彼女の声には、静かだが揺るぎない強さがあった。彼女の母親であり、彼のパートナーであり、そして何より、コロスケと言うひとりの人間の強さ。

三人とも素敵な声。と言うか、この人物にはこの声だ、としか言いようのない声。この声で、彼らはお互いの思いをやりとりしているのだ。耳に残る。

くるみちゃんが初めて喋った言葉は「あめ」だった、と言うエピソードがある。この日はそのシーンのあとざあっと通り雨が来た。SNACがあるのは東京都江東区三好。劇中に出てくるように、コロスケさんの名前は三好愛。飴屋さんのお父上の遺骨は『わたしのすがた』『武満徹トリビュート』を通し、きっと少しずつ減ってきている。終盤yanokamiの曲が流れた。FISHMANSの「SLOW DAYS」は戯曲に明記されているが、これにはふいを衝かれた。この日はハラカミくんの命日だった。ハラカミくんもさとしんくんも、今はここにはもういない。「ナイーブな気持ちなんかにゃならない 人生は大げさなもんじゃない」。

観たのはマチネだった。終演後しばらく雨宿りをして、近所の都現代美術館に行き、展示を観る。同じ道を帰ってきたら、SNACから飛び出してくる飴屋さんが遠くに見えた。ソワレが始まっているらしい。飴屋さんは電柱にしがみつき、ミーンミンミンミンと鳴く。ああ、あのシーンだ。静かな商店街に、その声が響き渡る。通りの向かい側、その光景を眺めて通り過ぎる。今度は自分が借景の一部だ。あちらからはどう見えたのだろう。

どこから演出か、どこからハプニングか。観客は判断出来ない。これが、「2014年・東京・清澄白河 SNAC」の『教室』。

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・特集 飴屋法水インタビュー|大阪国際児童青少年アートフェスティバル 2013 TACT/FEST『教室』- 演劇ポータルサイト/シアターガイド
初演時のインタヴュー。「演劇はどこまで行ってもドキュメンタリー性が残るものだと思っているんです、あえてドキュメンタリー演劇なんて言わなくてもね。」

・TACT/FEST 2013:ジャーナル『厳格な平等主義者の壮絶な授業。』
徳永京子さんによる初演レポート



2014年07月23日(水)
『怪しい彼女』

『怪しい彼女』@新宿武蔵野館 1

原題は『수상한 그녀』、英題は『Miss Granny』。2014年作品。

立ち見も出る盛況、知らない同士が集まって声出して笑ったりグスンと鼻をすすったり。映画館で観られてよかった!『ダンシング・クィーン』もそうだったけど、音楽劇のフォーマットを通して観客を巻き込む空間を作り上げる。上質のエンタテイメントコメディでした。そしてエンタメを通じて人生について考える。映画は人生を見せてくれる。

若くして夫に先立たれ、女手ひとつで息子を立派に育て上げたオ・マルスンばーちゃん。バイタリティ溢れエネルギッシュな彼女は、がんばって生き抜いてきた自負もあってか周囲にも厳しくちょう毒舌。シルバーカフェではトラブルを起こし、家では追いつめられた嫁がストレスのあまり倒れてしまう。施設に行ってもらおうかと相談する家族の話を聞いてしまいショックを受けたばーちゃんは、通りかかった“青春写真館”で遺影を撮ってもらうことにする。「五十歳若くしてあげますよ」と言う店主に撮影してもらい店を出ると……彼女はハタチの姿を取り戻していた! オードリー・ヘップバーンに憧れていた彼女は名をオ・ドゥリと変え、孫のバンドで唄うことにするのだが……。

姿はハタチ、中身は七十歳のオ・ドゥリを演じたシム・ウンギョンがすごいの! 実際に二十歳だそうなんですが(撮影時は十代?)、それでこのババア演技…仕草といい、口調といい、いやどんだけなまってるか私は理解出来ませんが、くっちゃべってるときの表情がすごいんですよ。鼻の穴を膨らませて唇をとがらせて歯を剥き出して、ホントいじわるばあさんのそれなの! バイタリティ溢れるその姿はマルスンばーちゃん生き写し。彼女の一挙手一投足から目が離せない、なんて魅力的! 少しでも自分をかわいく綺麗に見せたいと言う変な女優の自意識が全く感じられないところがすごいわー。なのにかわいいと言う…これはもう、生命力のチャームですね。

しっかしこれで二十歳って、北島マヤか。子役からのキャリアだそうです。吹き替えなしの歌も素晴らしい!70年代の歌謡曲を、それこそプロデューサー言うところの「ソウル」で唄い上げます。すごいなー(すごいばっかり言ってる)。

若返った直後は髪型も服装もマルスンのままだから「ブロッコリー」の頭にモンペっぽいパンツでそのギャップが衝撃的ですらある。かわいらしい服を買って着替えてもなんかガニ股で…もうおかしい! おかしい! なのにかわいい! そうそう衣裳がすごく素敵だったー。オードリーからイメージしたフィフテイーズなファッション、クラシカルなのにモダン。ワンピとかすごいかわいい…実際はこういう格好で今出歩いたら悪目立ちすると思うのね。映画ならではの素敵演出です。堪能。

しかしばーちゃんがばーちゃんのときの服もかわいかったよ…シャツと言うよりブラウスな感じとか。ばーちゃんになったらあんな服が着たーい。ブロッコリ頭にするのは微妙だけど(笑)。

それにしてもホンが面白かった〜。女性をボールに例えたオープニング、整形や若返り、パラサイトシングルへの皮肉、社会の先輩としての老人が受けている仕打ちを厳しく描きます。このあたり、前作が『トガニ 幼き瞳の告発』で韓国の司法を動かしたファン・ドンヒョク監督(脚色も手掛けています)の鋭さか。先日観た『おとこたち』を思い出しました。人間は必ず老いて死ぬのに、若いときは彼らを自分の未来として見ることが出来ない。とは言え、歳下だからとあしらわれたり、認めてもらえなかったりと、若いときには若いときの辛さやもどかしさがあるものだ。マルスンをずっと「お嬢さん」と慕い続けるパク氏の存在は、歳をとるってわるくないと思わせてくれる。そうやって、全ての人生に肯定を探していく。

マルスンも、やがて彼女を送ることになるであろう家族も、残り少ない時間(嫁が言うとおり、案外多いかも?)を笑顔で過ごすことが出来そうだ。その場面を見せてくれた監督に、人間への愛情を感じました。観ることが出来てよかった。そうそう、青春写真館は最後の最後にもう一度粋なことをしてくれます。この幕切れも素晴らしかった!

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よだん。

・大ヒット記念とのことで、本編上映前に孫役の子(多分有名な子なんだと思う…B1A4のジニョンくん)の御礼メッセージ映像が流れました。めでたい

・マルスンばーちゃんを演じたのは『ユア・マイ・サンシャイン』で息子ファン・ジョンミン(男優の方)に嫁が来て喜ぶ優しい姑役だったナ・ムニ。そんな彼女が今作では超毒舌姑になって嫁ファン・ジョンミン(女優の方)をいびり倒すと言う、本編とは関係ないところにもニヤニヤした(笑)

・しかしムニさん、お年寄りったってお肌すごい綺麗だったで。ツヤツヤのサラサラ。秘訣を伺いたい……

・そして『新しき世界』のアニョアニョ理事が魔法使いだったよ…! あのたぬきおやじが! ちゃんといいひとに見える!(笑)

・それにしてもヤクザどころかおばあちゃん迄ケーセッキとか言ってるの観ると「本国で普通に使われてるんじゃね…?」と勘違いしそうになる。絶対言ったらアカン

・プロデューサーの所属がちゃんとCJエンタテイメントってとこにウケた(今作の提供)。メタルバンドの描き方が容赦なくてオモロかった…いいとこついてる……

・それにしても、こういうコメディでも交通事故シーンはちょうリアルでおっかない迫力であった。韓国映画の特徴として憶えてしまうわ……

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メモ。

・ファン・ドンヒョク監督 インタビュー
・韓国映画特集『2014年上半期の韓国映画シーンと制作現場のウラ事情!社会学的に切り込む』-ORICON STYLE
ファン・ドンヒョク監督のインタヴュー頁含む韓国映画特集。とても読み応えがありました。新世界沼のことも書いてあってひいっとなった(ホントに「沼」と紹介されている)



2014年07月21日(月)
『七月大歌舞伎』昼の部

『七月大歌舞伎』昼の部@歌舞伎座

さて昼の部。市川右近さんと笑三郎さんの『正札附根元草摺』から。今回尾上右近さんと市川右近さん両方出演されてるので、「右近さんが…」と言うとどっちの右近さんか判らなくなるのねー。今回市川右近さんは昼も夜も踊りが中心、気になっていた故障も問題ないようでよかったよかった。

そして『通し狂言 夏祭浪花鑑』。なんだかんだで『夏祭浪花鑑』自体が初見だったのですが、今回通しで見せてもらえたので話が頭に入りやすかったです。終盤の大立ち回りに到る迄の登場人物の関係性や、心情の流れを理解するのに通しはいいですな。

しっかし、しっかし、猿弥さんの一寸徳兵衛が格好よすぎた。こんなに格好いい役を演じる猿弥さんを初めて観た…猿弥さんに関しては『黒塚』で演じたの強力のイメージがすっごい強いもんだからビックリした(笑)。あのーあれですよ、強力ってのは、岩手に見るなって言われてたのに閨の内覗いちゃってキャーッて大騒ぎしてごろごろ転がるひとですよ…夕鶴の与ひょうとか浦島太郎みたいなもんで、おまえが! 約束を守らないから! 余計なことするから! 妖怪だって妖怪のままで穏やかに暮らすことも出来た筈なのにー! おまえのせいで!!! ……はあはあはあ、思い出してまた強力にイライラしてきた(笑)それくらい刷り込みなんですよ!

閑話休題。そんなおっちょこちょいな強力に代表される、愛嬌ある間の抜けた子の役がすごい似合う人情派なイメージが猿弥さんにはあったので、こんな直球で二枚目な役が! しかもそれがすごく似合う! で、人情派な面はしっかり活かしてて、任侠も見せてくれて…おえーい惚れなおした。衣裳も海老蔵さん演じる団七九郎兵衛と色違いの同じ柄だったりして、もうめっちゃ粋。海老蔵さんがの柿色の格子、猿弥さんがの藍色の格子で夏らしい涼しげな浴衣です。眼福。この柄、「団七縞/一寸縞)」と言うそうです。

・伝統芸能愛好家の日々
こちらに紹介と画像。猿弥さんが実際に着ていたのはもっと水色に近い鮮やかな藍色でした

・空いてる時間に,ABKAI 市川海老蔵オフィシャルブログ
丁度ツーショットがあった。海老蔵さんのブログ更新頻度すごいからあっと言う間に埋もれてしまって探すのたいへん(笑)

・絵本太功記・夏祭浪花鑑|文化デジタルライブラリー
文楽の衣裳も同様なんですね

終盤の屋根の上での大立ち回りも格好よかった、猿弥さん…傾斜あるし、以前菊五郎さんが「この屋根滑る、危ない」と言っていたのをTVで観たことがあるのでドキドキした……怪我なく千秋楽を迎えられますよう!

中車さんの三河屋義平次はも〜、現代劇でもそうですが香川さんてなんでこう、いや〜な役をやらせるとキラキラ光るのだろう(笑)ほんっと虫酸が走る程いやだったわ…歌舞伎なのに「毒親」って極めて現代的な言葉を思い出すくらいだったわ……。『法界坊』ばりの長い格闘の末、団七九郎兵衛に殺されるんですが、もーそのどろんこプロレスっぷりがすごかった。あの「きたない!」と評判になった龍馬伝の弥太郎ばりの汚さだった…どろどろ。近寄らないでええ! と叫びたくなるような。そんな様子で団七につかみかかるもんだから、前述の団七縞の浴衣を汚さないでえええ! とヒーッてなった。てかどろレス始める前からきったなくて、登場からウケていた。またうっざい芝居するのよ〜(笑)最高でしたわ。

で、『法界坊』が勘三郎さんを観た最後だったなあとふと気付いてしみじみした。

あと気のせいかもしれないけど今回附け打ちの音がすっごく大きく聴こえた。結構若い方が担当されていたように見えたので、その力具合があるのかな? 音が通る位置の座席だったのかも知れない。



2014年07月20日(日)
UNIT 10th ANNIVERSARY mouse on the keys『dirty realism』

UNIT 10th ANNIVERSARY mouse on the keys『dirty realism』@UNIT

いーやー久し振り、同じくUNITでの『machinic phylum』TOUR以来かな。楽しみ過ぎて数日前からそわそわしっぱなしでした。しかも今回初のグランドピアノでのライヴセットとアナウンスされていたものだからもー! 清田さんだけグランドピアノなのかな? それとも新留さんも? となるとグランドピアノ二台もUNITのステージに載るのかな? とワクワクして雨のなか代官山へ。てかむちゃ豪雨でしたよ…でもそんなことで心が折れることはない! 本当に楽しみだったんだもの!

入場してみれば「Kuniyuki impro live set終了後ステージを開放します」と張り紙が。えっひょっとしてひょっとして? フルハウスで様子がよく見えなかったのだが、既にフロアの真ん中に楽器がセッティングされているらしい。わあ嬉しい、センターステージのmotkって『irreversible』で観て以来憧れだったんだ、三人が向かい合って演奏するの観たかったんだ。グランドピアノは一台。ピアノとドラムの間はアクリル板で仕切られている。PA通すとは言えグランドピアノはアコースティックだし、そのうえ川崎さんのドラムは爆音ですからね。そして天井からは立体スクリーンがセッティング。うっわ嬉しい、やっと実物観られた!



立体スクリーン、これ↑の35秒くらいんとこで様子が判るかと。照明の役割も果たしており、暗闇のなか映像の光を受けてメンバーの姿が浮かび上がるさまは幻想的でした。

本来のステージが開放され、続々とひとがあがっていく。段差もあるし、視界はかなりよかっただろうなあ。そちらには行きそびれて、本来のフロアの段差あるところから観ました。清田さんの向かい。向かいなので当然手許が見えない。でも川崎さんも新留さんも、ネモジュンも見えたしいいのだ。佐々木さんだけが殆ど見えなかった。髪型変えたそうで、川崎さんが「KATSUMIみたい」と言うのであっはっはと笑ったら「KATSUMIって若いひと知らないかもね。こういう髪型のシンガーソングライターがいて…」と続けたもんだから恥ずかしかったよ! ああ知ってるよKATSUMI若くないから! 即アルファベットで名前浮かぶよ!

で、川崎さんのMCではっとしましたが、結成してもう八年なんですね。「『高校生のときから聴いてます!』ってさっき言われて…大人になってからの八年ってあっと言う間だけど、高校で聴いてて、ねえ、今も聴いててくれてるって…お、おう、と思いました。やっぱり嬉しいですね」と言っていた。「若いつもりでいるけど身体のなかはボロボロですよ」。短期間で大阪、金沢、東京へと移動する過酷なツアーの最終日、かなり疲れているようでした。演奏には全く影響なかったですけどね。「twitterで見たひともいると思うけど浜松SAで動けなくなって、あそこって何故かローランドのブースがあるんですよね。待ってる間そこでライヴしました」なんて言うので帰宅後あわてて検索したらネモジュンがその様子をレポしておりました。

・東名通行止のため浜松SAで待機…ローランドのブースがあると思い近づくと試奏楽器で練習しまくる3人が…なんとmouse on the keysの方達でした!サービスエリアで全力演奏してる様は怖いです!
・アプリによっては三枚見れない方もいるらしいので、接写版です。mouse on the keys ライブアット浜松SA!客は私だけ!音は聴こえない!

昔BOBAさんが出演と運転兼ねてた映画の仕事帰りに事故を起こしてしまい、「何のために車輌部があると思うんだ」とスタッフに諭されたって話を思い出した。疲労は恐ろしい。特に車の運転をするとなると。インディには車輛部はない。全部自分たちでやる。eyもアメリカツアー中に横転事故に遭ったし、DMBQもやはりアメリカツアー中の交通事故でチャイナさんが亡くなった。移動にはホント気を付けてほしいです。そしてゆっくり休んでほしい。

PAの方も寝ずのぶっとおしで仕事していたそうで拍手を贈る。しかしホント今回のPA素晴らしかった、めっちゃ音よかった。ピアノの音が埋もれなかったし、新留さんとのエレピとのバランスもよく、ドラムだけが突出してデカいとも感じなかった。いや、デカいんですけど、それでもピアノの音がクリアで綺麗に聴こえたんです。で、そのピアノの音。やっぱり厚い。「最後の晩餐」が顕著だったかな、単純に鍵盤が物理的に重いってところもあるし、鍵盤を叩いてから音が出る迄のコンマ何秒といったライムラグ、それらがすごく格好いい。初期のインタヴューで「レコーディングではグランドピアノを使っている」と言っていたので、その音をライヴで聴けたことも嬉しかったなあ。

新旧アルバムから万遍なく、新曲っぽいのもあったかな。ネモジュンと佐々木さんもいる編成でインプロパートもあり、ネモジュン作詞・歌唱の「カワハギのうた」もあり(笑・メロディは「the arctic fox」)。そして勿論? 川崎さんのゆったりもったりダイヴ(笑)もあり。ライヴの機会がなかなかないので渇望感が強いし、その少ないライヴのどれもが素晴らしいのですぐ次が観たくなる。でも自分たちのペースでやれるのがいちばんだよね。新譜の準備で曲作りも始めてるとのことで、楽しみにしつつ気長に待っています。

影響を受けてる、新譜でもきっと影響を受けた楽曲が入る、と川崎さんが紹介されていたKuniyukiさんにも拍手。インプロと言うと激しめな印象がありますが、とても静かで美しい音。手触りは滑らかなのにつくりは強靭。繭みたいだった。外の豪雨からUNITが守られてるみたいでした。

そうそうUNIT十周年だそうでおめでとうございます! えっもうそんな? て感じ。川崎さんのMCじゃないけど、ホント大人になってからの十年とかあっと言う間ですな。



2014年07月19日(土)
『太陽2068』

『太陽2068』@シアターコクーン

イキウメが2011年に上演した『太陽』の改訂版。登場人物が増え、構成も若干変更。特にラストは印象的な改訂になっていた。どちらのヴァージョンも傑作だと思うが、「あっちになかったものがこっちにある」「こっちにないものがあっちにはあった」と、それこそキュリオとノクスの関係を見るようでもあった。以下ネタバレあります。

何よりダイナミズムを獲得したことが大きな違い。青山劇場とシアターコクーンと言うキャパと劇場機構の違いは当然演出にも影響を与える。セットは『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』(12)からの「分断された世界」。アクリル状の透明な床を境に、地下には夜に生きるノクス、地上には太陽の恵みを享受するキュリオの日常を置く。キュリオの生活の場には『唐版 滝の白糸』で使われていた長屋。美術クレジットは朝倉摂、中越司。今年の春亡くなった朝倉さんへの思いもあるのだろう。その長屋で、卓袱台に置かれたスイカを食べるキュリオの家族。無機質な調度品が置かれたノクスの生活空間との対比が、ヴィジュアル的にも強度あるものになっている。

物語も、大きな視点からの強度がある。ゴールドシアターの面々演じる「村の住人」が実際に登場している。これはイキウメ版では出来なかったことだ。具体的に目の前に現れることで、ちいさな共同体の行く末―やがてそう遠くない未来、この集落は絶滅するだろう―をよりはっきりと予感させる。ノクスを差別し鉄彦と森繁を遠ざけ、村に災厄をもたらした克哉をリンチする彼らは、集団としての恐ろしさをより明確にした。後者は特に、初演では鉄彦と克哉の一騎打ち的な面が印象に残っていた(草一もいたが)のでより恐ろしかった。

結果この出来事と理想郷だと憧れていた四国の現状を知ったこと、拓海からレイプされ(そうになっ)たことが、結がノクスになろうと決意するきっかけになる。キュリオと言う種そのものに絶望し、ノクスになってキュリオたちを救済しようと決心するのだ。初演時では父子ゲンカをしたことが直接のきっかけになっていたような印象がある。父親と純子に幸せになってもらいたい、そのためには自分の存在は邪魔だと言う、結の優しさ。克哉が起こした出来事から村を出ることを自分に許さなかった純子もそうだが、イキウメ版は家族の結びつきが印象に残っている。そう、イキウメ版は、円形劇場と言う観客に囲まれたちいさな空間で寄り添って暮らす家族、ノクスとキュリオのぎこちなくも暖かい交流が繊細に描かれていた。

そしてラストの改訂。『獣の柱 まとめ*図書館的人生隋からの流れとも言える。初演では朝日を浴びたかどうか観客の判断に任されていた金田は、脱ぎ捨てた服を抱えて退場する。そして鉄彦と森繁は、与太話のように話していた共存の道を探す旅に、本当に出発するのだ。ラテン調の「ホテル・カリフォルニア」(恐らくGipsy Kingsの「Hotel Califórnia(Spanish Mix)」)をBGMに、希望に満ちた歓声をあげ、劇場の外へ、外の世界へと駆け出していくふたり。留まっていてはいけない、行動するのだ。行き着く先が理想郷とは限らない。苦難が続く道かも知れない。しかし、希望か絶望かどちらかしかなくても、それを何かに変貌させるには行動しかない。ノクスは金田が断言したように病気だが、扱いようによってそれは進化になるかも知れない。ノクスになった結の姿を見るのは辛かったが、ラストシーンの鉄彦と森繁が、そんな彼女の新しい道をも開いてくれたように思えた。

そう、「新しい道」を前川脚本と蜷川演出は見せてくれた。役者たちはそれに応えた。あれから三年経った2014年に、それを観ることが出来た。これは大きな収穫だった。初演を、そして今回の改訂版を両方観られてよかった。

綾野くんを舞台で観たのは初めてでしたがすごい熱い方なんですね。鉄彦がヤンキー造形でくるとは驚かされました。そのまっすぐさが強み。「なんだよそれ」「灰皿だよ!」は綾野くんのプランだと思うが(笑)その意欲も好印象。久々蜷川組参加の成宮くんは、面倒見のよいお兄さん的な立ち位置。綾野くんのプランを深い懐で受けとめている印象でした。時の流れにしみじみ。しかしふたり、同い歳なんですってね。前田さんはキュリオ期の焦燥感と、それらが霧散したノクス期の対比がよかったな。特に思春期特有な感情でもあろう、親や故郷へのもどかしさの表現がよかった。彼女の未来が明るいものであってほしいと祈らずにはいられない結でした。

個人的には初演で安井さんが演じた金田を大石さんが演じていたことが嬉しかったです。山崎さん演じる曽我もよかった。ふたりは差別や嫉妬の感情を抑えられないことに悩み、キュリオからノクスへの道を選んだことで悩む。その感情は極めてキュリオ的でもある。ここにも共存へのヒントがある。そして内田くんはイケニエ的な役が多いなあと思った…ヴィジュアルは作り込んでましたねー。拓海はあれからどうなったんだろう。結も鉄彦も村を出てしまったから、ただひとりの若者なんだよね……。

ひとつ気になったこと。ラストの演出、あれマチネとソワレじゃすっごい印象と言うか作品の解釈としても変わりそうだけど、マチネはどうやってるんだろう。マチネだと未来のふたりとしても見られるのかな。昼の世界でも生きられるようになり、キュリオと太陽の光を浴びるノクスの姿。

蜷川さんは希望を語らない。絶望の鏡としての希望を見せるだけなのだ。それがどんなに自分にとってだいじなことか再確認することが出来ました。感謝。



2014年07月17日(木)
『ビタジルダ』

サモ・アリナンズ プロデュース No.26『ビタジルダ』@駅前劇場

mashiraさんがツイートされてましたが、そうそう、私も当日パンフを見て開演前からジーンとなってた。座席はミッシリ、立ち見もいたかな? 皆待ってたんだなあ。

はじまってみればいつものサモアリ。笑って笑って笑い続けて頬骨が痛い。ゆるい。小松さんの言うとおり年齢層はちょっと高めだったかも知れないけど、それこそ会社帰りの管理職くらいのおっちゃんが駅前劇場の狭い客席にきゅう〜っとつまってる様子になんだかじんわり。それが皆でわっはわっはと笑い通しなのですよ。ストーリーの内容自体は一時間で済むものだったそうですが、そこはサモアリ印のグダグダっぷりで二時間に。もう、それが、楽しい! 舞台上の小松さんたちも楽しそう! むっちゃ楽しそう! こういう時間がまた持てたこと、本当に嬉しいな。

いちばん印象に残ったのは平田さんのドラえもんでした。ちょーかわいい。家に連れて帰りたい……。久ヶ沢さんは相変わらず男前で、その瞳には何も映ってない感じが素敵過ぎた。

そうそう、オクイさんと良々も、書き割り(お面)で出演していました(笑)。本人たちが希望したのかしら。あれは嬉しいサプライズだったなー、誰もそのことを指摘せず、そのままシーンが終わるってそっけなさもよかった(笑)。カーテンコールでも誰も指摘しなかった。あれうっかりしてると見逃すよね、ある意味太っ腹だわ。

アンケートで希望が沢山きたらまたやろうと思いまーすとユルい感じで小松さん挨拶してました。是非! 是非! 待ってる!



2014年07月13日(日)
『ハナガタミ』

尾上松也/新傾龍(ShinKaRon)Vol.1『ハナガタミ』〜能曲『花筐(はながたみ)』より〜@Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

構成・演出は鈴木勝秀、出演は尾上松也、新納慎也。世阿弥の能曲『花筐』をモチーフにしたふたり芝居です。スズカツさんのツイートによると、今回のテキストは『シスターズ』のニュアンスで書いたとのこと。個人的には、その手法でリライトした『NAKED』最新ヴァージョンと言う印象も受けました。そう、マサルくんとスグルくんの会話。

……これがまーッ! これがまーッ! 瑞々しい!!! ええっと失礼千万を承知で書きますが、ダイアログにおける情景描写がめっちゃ巧くなってないか!? 見えないものを見てきたかのように書く、それを観客の頭の中に映写する言葉の力。特に終盤の、学校へと続く坂道の描写が素晴らしかった。この坂道と言うモチーフはスズカツさんの作品にはよく出てくるものですが、今回の使い方にはグッときたなー。

いやースズカツさんが今青春小説書いたらすっごい素敵なものが出来そうな気がするわ…すずかつさんの中の少年と少女が時空を超えた恋をするのよ……! 何を言っているのか。

頭のおかしい感想はさておき、とてもヴィヴィッドなのに懐かしささえ感じるストーリー。今回松也さんと慎也さんと言う出演者から興味を持ったひと、歌舞伎ファン、ミュージカルファン、古典芸能好き等幅広い層のひとが観に来ていたと思いますが、そのあらゆる興味にコミットするものだったように思います。

能曲に即した入場の足さばきや舞と言った型を見せる場面と、ほぼフリー(アドリブ)と思われる台詞のやりとりがある場面の緩急。序破急の様式もさりげなく押さえていたように思います。不在の女性についてふたりの男が語る場面は夢幻能を想起させる。出演者ふたりのリズム感がとてもよく、ダイアログは勿論専門用語が多用されるモノローグもするする頭に入る。テルアキは「あっ寝ちゃいました」って言ってたけど(笑)そのややこしい話を切り上げるタイミングもよかった。稽古期間もそんなに長くなかったようだし、台詞量にふたりとも四苦八苦していたそうですが、決して発声しやすいとは思えないスズカツさんの言葉を乗りこなすロデオっぷり、その間に挟み込むユーモア。演者の実力をひしと感じました。見事。慎也さん初めて観たけどすごかったなー、『100歳の少年と12通の手紙』に出演されてたんですね。

メモしておくと、終盤朗読される詩はポール・エリュアール「自由」からの引用のようです。彼の活動内容やその時代背景は検索すると見付けることが出来ます。それを知るとああ、とまた得心するところがあります。劇中流れた「蘇州夜曲」の歌詞や坂本龍一の楽曲名、客入れの音楽にもさまざまな想像喚起力がありました。そこには具体的な言葉にしていない部分に描かれている思いが存在する。しかし、作品を介して反映される現在は、観る側の中にある。秘すれば花。

…なので、こういう引用元とかを書くのは野暮だってのは承知してるんですが……。でもねえ、前日『おとこたち』を観てしみじみ思ったのは、あのー私この日記書いてるのって、ボケたときに忘れたことを思い出すためなんですよ。ホント今でもどんどん忘れてってるからね! 許して!

それにしても沁み入る詩でした。朗読(と言っても諳んじている)した松也さんも感極まったようで、途中から涙声になっていましたね。図らずものことだったのかも知れませんが、その登場人物への移入には素直に感動。手応えある舞台だったのでしょう、カーテンコールでは慎也さんとがっしりハグ。ウィッグをとって坊主頭を披露し客席を沸かせてました。おわっ坊主になってるって知らなかった。これがまた結構似合ってました。

ちいさな世界。「部屋」から見える世界、アクセス出来る世界。そこから生まれた作品が劇場にかかり、集まったひとびとの思いとともに持ち帰られ、また違うところへと運ばれていく。観客はミツバチのようなものかも知れないし、そうでありたい。そうやって、広い世界を見ていくのだ。いい舞台でした。



2014年07月12日(土)
『おとこたち』

ハイバイ『おとこたち』@東京芸術劇場 シアターイースト

岸田戯曲賞受賞後初の新作と言うことで注目の公演だったようです。幕が開いてからの反応も、twitterを見る限りかなりのものだった。それもあってか、当日券の行列がすごいことになってました。キャンセル待ちのひとたち、皆入れたのかな。

いやあ、もう、すごかった……。

岩井さんのインタヴュー記事を読んでいると、前回の『ある女』(岩井さんver.菅原さんver.)から「取材」で書く、と言う作品作りをしているようなのだが、その取材対象への潜りっぷりが凄まじい。そしてその対象が直面している現実をあく迄対象として捉える冷徹さも凄まじい。冷徹であるからこそ、その現実への寛容がある。全ての人生に肯定を探す。幸福は線ではなく点に宿る。その温度を絶妙に汲んだ役者陣も素晴らしい。

順調に昇進し家庭も安泰、いちばんの出世頭と言われていたソツのない鈴木。学生結婚した妻とバイト先の女の子との間でグズグズ状態のフリーター森田。子役から戦隊ものでプチブレイクした役者津川。なんとなく就職した先でなんとなく業務に励みなんとなく身体を壊し、なんとなく転職した先でなんとなく仕事が軌道に乗り、なんとなく定年迄勤める山田。幼なじみのおとこたち四人の、青年期から老年期。それぞれ楽しい時期もあり、苦しい時期もあり。不定期に集まり、近況を報告し合い、カラオケで騒ぐ。年を重ねるにつれ、人生の闇は色濃くなる。

段差で三分割された舞台は、出される小道具によってそれぞれの家や呑み屋になる。いちばん使われる正面エリアはカラオケルーム。おとこたちは好きな歌を熱唱し、マイクパフォーマンス(このナレーションにもなる手法、ハイバイの得意技でもあるがホント絶妙。また平原さんがウマい!)の体でお互いをおちょくったりしてはしゃぐ。場面は時系列に進まず、場面毎に後方の大きな壁に年齢を表示する。役者たちはその年齢の変化だけでなく、彼らをとりまく複数の人物を演じ分ける。衣裳替えが多少あっても、老けメイク等していない彼らの顔が、シーンによって幼児になったり老人になったりする。演者の的確な演技によるものであるが、あれは照明(松本大介)の力も大きいと思う。パンツの裾を何度か折ってクロップ丈にするだけで子供っぽくなると言う、衣裳(小松陽佳留)のアイディアにも唸る。

順調に見えた筈の人生はいつしか迷路になり、迷路のようだった人生はますます混沌としていく。家庭には秘密が増える。彼らの顔には死相が浮かび、そしてふたりが死ぬ。いや、いずれは皆死ぬのだが。

ひとりの死んだ男が次の場面で幼児の役を演じる。それは全く別の人物だ。しかし「おまえ…!」と指摘する登場人物をそこに置くことで笑いが生じる。生まれ変わりと言う有り得ない可能性をふいうちで想起させ、新しい命がそこにあるだけで笑顔になるひとを寄り添わせる。こういう歪な優しさが岩井さんにはある。

先日『関数ドミノ』の最後の暗転を観たとき『ある女』の最後の暗転のことを思い出した。近い種類の怖さなのだが、同じではない。そして時系列をシャッフルすると言う手法は、以前岩井さんが前川さんの作品を観て「情報を出す順序だけで面白くすることができるのか」と、『て』から取り入れた手法だ。お互いの作品の手触りは全く違う。それは前川さんと岩井さんの資質の違いなのだろう。

友情の物語でもある。つかずはなれず立ち入らず、しかしいざと言うときには力になる。その力はへなちょこでたよりない。ヤバい道へと進んでいる予感があり乍ら、見守ることしか出来ない。それでも、彼らはともだちだったのだ。淡々と活写される、これも歪な優しさ。

自分に縁のない娯楽―カラオケやゲーセンの様子を見られるのも、岩井作品の好きなところだったりもする。岩井さんとは、彼の書く作品以外で接点が見付かることはないように思う(笑)。でも、それが面白いのだ。ゲーセンにシルバー割引があることなんて知らなかったものなあ。あと肺水腫の話、ここにモチーフで出すかと思った(岩井さんが常日頃影響を受けた受けたと言ってるあのミュージシャンの死因ですね)…って、ここにあったわ! 私と岩井さんの接点!(笑)どう受け止めてるかは別として!

個人的には菅原さん演じる山田が自分のロールモデルなので(笑)いろいろ思うところがありました。流されるままの受け身人生なんだけど、案外悪くない。それがああいう老後だとしてもね。何かが決定的に欠けている。でも、そういうひとっているものだ。



2014年07月11日(金)
『渇き』

『渇き』(DVD)

時期的に今公開中の邦画と間違われそうですが「。」が付かない方です。原題は『박쥐(コウモリ)』、英題は『Thirst』。2009年作品(日本公開は2010年)。『爆烈野球団!』『観相師』とソン・ガンホ主演作を立て続けに観て、そういえばガンホさん出演作で気になっていた作品があったなあ…と思い出し。公開当時の広告ヴィジュアルがとても印象に残っていたのでした。扱っているテーマも好みそうだなと思いつつ観る機会を失っていたのでいいタイミング。

果たして確かに好みのテーマ。幕切れも好みでしたが、ホンがかなり混乱しているように見受けられ…これ、まず撮りたいシチュエーションと画があって、その撮りたいものに奉仕するためにストーリーが書かれたのではないかと言う印象を受けました。よって破綻していたり投げっぱなしのエピソードが多い。しかし、その「撮りたいシチュエーションと画」が悉く好み。個人的には憎めない…と言うよりむしろ愛せる作品でした。ひとには勧めにくいけどなあ。

憎めないのは、あらゆる人間は、それが信仰に生きる者であっても俗な生き物だと一刀両断しているから。志願した人体実験での輸血が原因でヴァンパイアになった主人公の神父は、その肉体の変化に伴いあらゆる欲望を感じるようになる…ようでいて、実は違う。彼はそうなる前からあらゆる欲望を抱えている。祈るだけで患者を救えないことへの無力感は自分の信仰の強さを認めてもらいたいが故だ。彼を諭す盲目の老神父も、海を見たいと言う欲望から主人公の血を求めようとする。主人公を奇跡の人物だと崇拝する信者たちも、「何かを(して)もらいたい」エゴから彼にすがる。これらが実に滑稽に描かれるのです。実際ちゃんと笑える演出になっていて、恋する人妻にヴァンパイアだと知られた主人公が「ヴァンパイアだから嫌なのか? 神父だからよかったのか? そういうの関係ないでしょう、神父は職業なんだから!」と迫ったり、意識不明の患者から血液をくすめとる際「彼はひとに食べ物を分け与えるのが好きだったから」と言い訳したりする。聖職者であるが故の苦悩はどこへやら。姦通も殺人も、もはや信仰から起こる罪悪感とは程遠い。

そんな神父が最後にとるふたつの行動。人妻のことを「たったひとりのともだち」と慕っていたフィリピン人の女性の命を奪わなかったこと。奇跡を待ってキャンプをしていた信者の女性を襲ったこと。前者は殺人を犯し続ける人妻を欺くためでもあり、後者は自分のことを奇跡の人物だと信じ込んでいるひとたちを幻滅させ、解放するため。ここで神父の局部を正面から晒したのは、強姦する意志がなかったことを強調するためだと解釈しました。ちなみにこのシーン、日本版にはボカシがかかっている。当時劇場で観た方が感想ブログで指摘されていましたが、ここをボカシてしまうと演出の狙いが伝わりませんね。

欲望の奴隷である人間がこういった行動をとるところに、私は希望を感じる。それが何の救済にならないとしても。「ずっと一緒に暮らしたかった」と言う神父の台詞も、願いや祈りの皮を被った欲望だ。それでもこの台詞には心が動く。愛しさを感じる。

そして私がこの作品を愛する強力な要因、「撮りたいシチュエーションと画」と思われるシーン…いや、もはやこれ、私が観たかったシチュエーションと画ですわ。祭服姿のガンホさん! 長身だから似ー合ーうー! 脚の長さが際立つー! しかも神父役ってんで痩せてるしー! 神父が人妻をお姫様抱っこして夜空を飛びまわるシーンの、キム・オクビンの表情! オクビンさんホント素晴らしかったなー。義母と夫に「犬のように」扱われた年月を語るくすんだ表情から、神父と出会ったことで官能を知り、ヴァンパイアになることで生命力を得た表情へ。命の美しさを映像に焼き付けるかのようでした。終盤、その命を懸けてふたりが争う場面の演出も心に残った。全くの台詞なしで、結構長い時間。最終的に神父と同じ道を選ぼうと腹を決める迄の彼女の葛藤、そこにあの「靴」が出てくるところがせつない。あの靴を履かせるシーンも観たかった画だったわ……。手を使って履かせるんじゃなくて、抱き上げて置いた靴に足を入れさせるあの構図ね。台詞がなくて長いと言えば、ふたりが病院で初めてセックスするシーンも素敵だった。あのシーツでくるんで抱きしめるところ、監督の指示なのかガンホさんの判断なのか知りたいところです。そして糸切り鋏で血を吸う傷口をつくるアイディアには唸った、なんてチャーミング! って。この作品のヴァンパイアには牙が生えないようでした。これらが観られただけでもう幸せ。あとバイオレンス描写ね。血の量も好み。

神父が麻雀やってたりするのも面白かった。クリスチャンの多い、アジアの国でしか見られないであろう光景。パク・チャヌク作品お初だったんですが、いろんな意味で「これがあの……!」と言う印象でした。これから他の監督作品も観ていく予定。

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メモ。

・Heavy Sweet Heaven『渇き』
神父が信者の女性を強姦するつもりはなかった、と言う根拠。この説明がいちばん納得出来ました



2014年07月10日(木)
『攻殻機動隊 ARISE border:3「Ghost Tears」』

『攻殻機動隊 ARISE border:3「Ghost Tears」』@新宿バルト9 シアター5

なんか絵の質感が違う? と思ったらCG少なめと言うことでした。ちょっとなつかしい感じも。しかしそれとは別に、草薙の顔がなんか〜その〜。プロポーションも〜その〜。せっかく色っぽいシーンがあるのに! 素敵なドレスを着るシーンもあるのに! つーかそのときのメイクとかもセンス悪…いや待てよ? 単に草薙がパーティ+化粧慣れしてないからかも知れないって設定を考慮に入れておく必要があるのか? しかし…しかし……! そもそも頻繁に義体乗り換えをしてきた草薙が何故その顔、身体を選んだんじゃよーてとこ迄気になってしまうがな。

同じシリーズでも監督、作画監督によって変わるものだなあ。しかし草薙の脚を見せたい、描きたいと言う監督のフェティシズムが活きてたかと言うと…うう〜む。ストーリーと作画に乖離があったように思いました。このストーリーなら尚更1、2の画で観たかった…です……。大変なのは判るけどせめて作画はシリーズ統一してほしいですよよよ。1のとき、観たい画で観られた! と思っただけにしょんぼりも大きい。

今回は草薙のラブロマンスと言う要素が前面に出ており、彼女の甘さや青さが印象的でもあった。ああ、こんな時期もあったんだなあと思えてせつなくなったりもする反面、イライラもした(笑)。だってさートグサ(キター!)へのあの態度! あんなこと言う子だと思わなかったわーッキーッ!!! ラストシーンに代表される、草薙とトグサの対照的な面が押し出してあったところは面白かったな…て言うかそりゃそうか、あの部隊に義体化してない人物をスカウトするきっかけになるストーリーなんだもの。今の六人で完璧と言っていた草薙があらゆる人材を集めるべきだと助言され、トグサと言う生身の人間が持つ能力を認める。欲を言えばそこをもっと突っ込んで展開してほしかったが、そうなると制作側のプランと違うものをこっちが求めてたってことになるのかしら…今回草薙ラブ☆だから。こういうストーリーに、水と兵器ビジネスのラインを絡ませてくるところが面白い。ダム好きとしてはもっとダムのシーンが観たかったわー。

そんな訳で草薙とホセのいちゃいちゃは半笑いで観ましたが、まああれだ、ホセの顔がええなんで!? てくらいないかにもイケメンで、こういう顔あんたたち好きでしょ? て作り手側の意図が透けて見える感じがしたのにもイラッとしたわ(笑)パンフ読んだらホセの顔のモデルはイルハン(・マンスズ)ですと書かれててウケたけど。確かに似てたわ! イルハンのことは嫌いじゃないよ! でもなんでイルハン…このプランいつから動いてたんだろう……や、サッカーではなくフィギュアを観てモデルにしたのかも知れないが。

2のアフレコ後亡くなったイシカワ役の檀臣幸さんに替わり、咲野俊介さん。それとは別に声優が交替していた役もあった。なんでだろう。主題歌はコーネリアス+ショーン レノン(ナカグロじゃなくて半角スペース空きでクレジットなのは拘りがあるのかな)でした。おお、この人脈で来たか。

いよいよ揃った七人。次回で終わるこのシリーズ、どんな展開になるのか楽しみです。



2014年07月05日(土)
『七月大歌舞伎』夜の部

『七月大歌舞伎』夜の部@歌舞伎座

図らずも初日。やっぱり独特な雰囲気がありました。『悪太郎』『修善寺物語』『天守物語』。全て初見。

狂言をベースにした猿翁十種の内『悪太郎』、市川右近さんが先月怪我をしたとのことで心配していましたが、舞台で観る限り影響は全くなし。智蓮坊の猿弥さんとのかけあいも楽しくてアガるー。華やか!

一転『修善寺物語』はあれですよ、芸術家の業とはみたいな話で…芥川龍之介の『地獄編』を思い出した。調べてみたら岡本綺堂の『修善寺物語』は比較的新しい作品で、1911年に発表されたもの。『地獄編』は1918年発表。なんらかの影響はあったのではないでしょうか。面作師夜叉王は死を前にした娘桂の顔を写生する。娘桂も覚悟を決めており、後悔はしていないと言い切る。屏風絵を完成させるため、焼かれる娘を描いた『地獄編』の絵師良秀は、絵を完成させた後自殺しますが、夜叉王はどうなったのかなあなんて思い、アガっていた気分が落ちる(…)。

夜叉王を演じたのは中車さん。登場から客席を沸かせておりました。桂は笑三郎さん、その妹楓は春猿さん。そーなんですよ今月の歌舞伎座には猿之助一門がぞぞっと出揃ってるんですよ! 猿之助さん以外!(笑)猿之助さん、いつ迄出ないつもりなのだろうか。なんかもー面白がってるでしょもはやって思いたくもなる。ここんとこ猿之助一門のことは北大門組(『新しき世界』参照)と呼んでいますが(私だけがな…通じるひとがおらん……)こういう存在に肩入れしてしまうのは個人の嗜好か。いやでも本音を言えば歌舞伎座で猿之助さん観たいよ……。

『天守物語』はなんだかんだで舞台は初。文章で読んでるときと手ざわりが違って大層愉快な話だった…それって自分の想像力が足りないってことか。や、でも、演出的にも面白かったんだよ! あの映像使ったとことか結構ウケてたよね…天空エレベーターみたいな。ロープウェイか? ここ笑っていいのかな的なクスクスがあちこちから漏れていたよ……。富姫と亀姫とのキャッキャ具合にはもう素直な笑いで場も和んでいた。なんかもー女子会みたいなんだもの。「こんないいおみやげ貰っちゃったら私のなんてつまらないものだわ…!」とか、かわいい……。まあそのおみやげってのがお殿様の生首だったりするんですが。

愉快だわーと思ったのは、人間てほんっと愚かよねえってのを臆面もなく描いてるところ。異形の者たちからの視点だから尚更容赦がない。泉鏡花のこういうところ、憎しみでもなく皮肉に徹しているのとも違う、ああ仕方がないいきものがいるーてなほぼ諦めの感情には惹かれるものがある。『夜叉ヶ池』もそう。『夜叉ヶ池』は1913年発表で、『天守物語』は1917年発表。この頃になってくると、もはや人間たちの末路は描かれない。だから一瞬後味いいな、と思うんだけど、あとになって考えるとああ人間は見捨てられたんだな、と気付きます。もうあんなやつらは放っておこう、あんなやつらには関わらず、静かに暮らそう。むしろ図書之助あっちに行けてよかったねとか思っちゃうよね〜(厭世観)。それにしても洪水好きよね…日本での自然災害の歴史を見るようでもある。

玉三郎さんの富姫、海老蔵さんの図書之助は眼服でございました。ふたりが舞台に揃うと同時にほわ〜んとしたため息があちこちから。うーつーくーしーいー。舞台写真が入った筋書がほしいので、後日買うことにしました。あとなんてえの、これ完全に個人的な思いもあるんですけど、海老蔵さんの台詞を初めて対話として聴けた。なんでしょこのひとの語りや謡いって、相手がいようがいまいがって印象が凄く強かったんですね。これは相手が玉三郎さんだからだろうか。もっと言えば、海老蔵さんが演じたものでこれがいちばん好きな役かも知れない。



2014年07月03日(木)
『観相師』

『観相師』@シネマート新宿 スクリーン1

『爆烈野球団!』を観たあと調べた科挙制度が出てきた。こうやって知識がちょっとずつ増えていくのは楽しいなあ。十五世紀中期、朝鮮王朝で実際に起きたクーデター『癸酉靖難』に想を得た、歴史には残らないひとびとの話。

顔相からそのひとの過去、未来、寿命迄見通せる力を持つネギョンは、その才を見込まれ上京することになる。酒も女も好き、お金はないよりあった方がいい。偉いひととのコネも作りたいし、出世も出来るんならしたい。これらにいやな感じがしないんですよね。あざとさもなくて、素直な欲。ネギョンと義弟ペンホンの軽妙なやりとりも相俟って、前半はほのぼの進みます。音楽もコメディ映画みたい。

ところがそんな呑気な日々は長く続きません。宮中の要職に就き、トラの左議政、オオカミの首陽大君と出会ったことでネギョンの運命は大きく変わる。義弟と息子にいい暮らしをさせてやりたいと言う素朴な思いとは裏腹に、彼は覇権争いの波に呑み込まれていく。逆賊の相を首陽大君に読み取ったネギョンは、若き王を守るためにとある細工を施す。

この細工と言うのが「あーそれやったらアカン」的なことなんですよね…と言うか、私はそう思った。そのちょっと前にネギョンは、科挙試験で首席の成績を収めた息子ジニョンの面接官を務め、彼を採用するんですね。官吏になると不幸になると言う父の言葉に抗い、自ら道を切り開いた息子の夢を見守ることにする。顔はそのひとの歩む人生によって変化する、それによって運命も変わっていくといちばん理解しているのはネギョンなのです。相は接する相手によっても変わります。首陽大君は即位前の幼い王をかわいがっていた。その暗殺には逡巡を見せていた。そんな首陽大君の顔を知らないまま、ネギョンは彼の相に手を加え、クーデターの芽を事前に摘もうとしてしまう。このパラドックスは、国家とともにネギョンとその家族の運命を大きく変える。いや、変えなかったとも言える。

息子と義弟は、ネギョンが見立てた通りの運命を歩む。首陽大君は「彼にはこの未来が見えなかったのか? 私には見えなかった」、ネギョンは「私は波を観ることは出来たが、風を観ることが出来なかった。風によって波は姿を変えるのに」と語ります。決まっている運命、変えられる運命。観相師の力は本物だった。歴史に残らず消えていったひとりの男の人生を、見事に描いた映画でした。

いーやーそれにしても首陽大君を演じたイ・ジョンジェがわるかったー! て言うかすんばらしい色悪でしたね、彼の演じる民谷伊右衛門観たいとか思ったくらいですよ。あの魅力には抗えん! 登場迄一時間、悪い悪い恐ろしいと散々言われ、満を持して姿を現したそのシーン! こっれっはっシビれた!!! ここは撮る方も拘ったところでしょう。スローモーションで現われる黒に染まった集団、その足元から上がっていくカメラ。インサートされる凶暴な犬。そして遂に焦点が合う首陽大君の顔…イ・ジョンジェの不敵な表情。出色のシーンでした。ジョンジェさん、他の作品で観たときと発声も全く違っててすごかった。

彼を筆頭に役者の面構えが揃いも揃って素晴らしい。観相師ネギョンを演じたソン・ガンホ、その息子ジニョン役のイ・ジョンソク、義弟ペンホン役のチョ・ジョンソク。左議政ジョンソを演じたペク・ユンシクが、『地球を守れ!』でワンピ着て暴れてたスキンヘッドのおっちゃんと知ってひっくり返った…面構え全然違うがな! キム・ヘス演じる、ネギョンの才を見出だした芸妓ヨノンの人物造形が素敵だった。彼女は波ではなく風を観ることが出来たひとなんじゃないかな…首陽大君の顔に手を加えるシーンの度胸も格好いい。“同業者”ネギョンとの同志的な関係もよかった。これら魅力溢れる顔、顔、顔をクローズアップで堪能出来る、これぞ映画の魅力。朝鮮時代劇は初めて観ましたが、その衣裳や美術を満喫出来たのも嬉しかったです。烏帽子(紗帽と言うらしい)の形も気になるのね…『爆烈野球団!』で主人公のお父さんが被ってたの、左議政と同じものだったと思うんだけど、位や役職によって変わるんだろうなあ。これちょっと調べてみたい。

しっかし仔犬とごろごろするガンホさんとジョンソクくん(義弟の方)とか、小菊を沢山摘んできたガンホさんとかかわいすぎるがな。なんだこれサービスか! ジョンジェさんのお着替えシーンもサービスだよね! 流石元祖モムチャン俳優(最近知った)、いい身体です。個人的にツボったのは義弟であった…ああいう役に弱い。よかれと思ってやったことが悉く裏目に出る…義兄と甥っ子を幸せにしたいだけだったのにね! あーもうかわいい、可哀相、かわいいそう! ちなみにチョ・ジョンソクくんはミュージカル出身者で、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』で人気を博した実力派だそうです(じんたさんに動画教えて頂きました。有難うございます!)。

・Korea hedwig-Angry inch(Jo jeong-seok 조정석)


どうぶつが沢山出てくる映画としても楽しかった…仔犬、怖い犬、虎、馬。よよよ。

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メモ。

・「ぐるくん」のひとりごと『朝鮮の帽子  
・ぐるくんのむだばなし『朝鮮時代の被り物  
はあ〜すごく勉強になる〜。左議政が被ってたの、多分ここに書かれている三段(三層冠)だと思うの