消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1920年11月30日(火)

外の文化に触れて
どんどんお金に傾倒してゆく部族の人たち
とにかくお金をふっかける
でもその行動は眉を顰められることでなく
素直な学習だと思う

何でもお金にできて
お金は何でも買える という文化を
外の者が持ち込んだのだから

自給自足が物々交換になって
外の物資に触れて
そこにお金が介在して
お金の便利さを知った

バランスのとれた適切な価値観を
これから学んでゆくのだと思う
もう戻れない文化

お金があれば外の物資は何でも手に入るのだから


1920年11月29日(月)

人生終わった と思ったけれど

小さな灯をみつけて

また何とかなるものだと思う

たのしみを持てれば

生きてゆける


1920年11月28日(日)

早起きして片づけして

さっぱりして

かろやかにかろやかに

人生そういきたい


1920年11月27日(土)

ずっと考えていたプラン変更をした
何のコトはないのに
忙しさを理由に放っていた

正しくはオプション追加になるけれど
道が広くなって先まで伸びる感じ
制約が外れる感じ

大げさには
生き方も変わる気がする


1920年11月26日(金)

あんなに眺めた景色なのに
遠くなってゆく

もう眺めることもないのに
薄らいでゆく

はっきりと刻んでおきたいのに
写真さえ淡い


1920年11月25日(木)

片付かないね
何か雑然として

入れるべき場所がなく
捨てるべきものがない

そんなのうそ
頭の中で何かが空回りしているだけ

歯車をきっちり合わせて
カチカチと動かせ


1920年11月24日(水)

タダイマ

モッカ

マダ

モサクチュウ 

チャレンジチュウ

オタメシチュウ


1920年11月23日(火)

洞窟の長い闇を見る

細かな雨を見る

灯を見る

傍らを歩くという絆


1920年11月22日(月)

がまん という文字に立ち止まった

最近使ってない気がした

どちらかと言えば

「耐える」を使っている気がした

なんでかなぁ


1920年11月21日(日)

暮らし方が見える
そうでなければHOMEではないと思う
生活感のないモデルハウスみたいな家が
おしゃれとされるけれど
もっと気配のあるのがいい
その家族の暮らし方が見えるのがいい
誰かが何かを営んで
動いた空気に熱が残っているのがいい


生活感という言葉に
ふと昔のかかりつけ医を思う
古い住宅地で自宅続きの離れに医院があった
手入れされた前庭の木陰を
夏は涼しい風が通っていた
亡くなって閉じられてマンションになったけれど

子ども心に 病院の真っ白な部屋より
お医者さんというイメージがあった
具合が悪くなったら診てもらう所
冬は小さな手元のストーブに手をかざしてから
おなかや胸の触診だった
おじいさんだけどやわらかな
大きなあたたかい手だった

なぜかその部屋を思い出した
子どもには不可思議な
いろんなガラス棚や道具のある
先生の動作とあたたかみを思い出した

そして時おり後ろのドアから
奥さんのおばあさん看護婦さんが
お薬を持って出入りしていた

そこは仕事場というより
先生夫婦のHOMEだった気がする


1920年11月20日(土)

変更されたか されなかったか
更新したか しなかったか
登録済ませたか 済ませてないか

そんなこと もうどうでもいい
もう何もかわらない
今あることがすべて


1920年11月19日(金)

映画しかなかった時代の
昔の女優さんというのは
笑い方に品があったのだと思う
憧れる存在で

今はだれでも出られて
普通の感じがよくて

でも品のよい笑い方の女性は
年配の方だけ

そういう女優さんに憧れるのだけれど
若い女優さんでは無理なのかな


1920年11月18日(木)

そらいろ と みずいろ
どうちがうの?

水面を見て水色
遠くをながめて空色
そう口にするだけ?

タンザナイトのような
淡いすみれ色の夕空もきれい

ラムネ色 というのもあるし

ラムネって色のない飲み物と思うのに
ラムネ色って 
なぜ うすい紫色っぽく思うんだろう


1920年11月17日(水)

いろんなものを排除した
そして
わたしも排除されたい

自分の支離滅裂さに
疲れたので

何が好きなのか
分からなくなったので


1920年11月16日(火)

記憶を美化してはいけない

過去を美化してはいけない

ひとを美化してはいけない


辿ってゆけば

そのマリアは

別のマリアだった


1920年11月15日(月)

対面Kは 笑顔でいられるひとのもの

たとえ 作りものであっても



歯を食いしばって耐えるひとには向かない

背を見せる方がいい


1920年11月14日(日)

1st をみた
過去ログをみた
ずいぶんふえた *
通し番号としての日付だから 
いつのことでも構わない
暮らしは小さなことの連なり
消えてしまいそうな自分の痕跡

それでも時おり
自分の言葉に
ひかるもの


1920年11月13日(土)

がらがらと音たてて

心のうちに崩れ落ちたもの

淡々と時は流れ

そのまま固まってゆく

記憶の中の形は移ろい

いびつな足元にかわる


1920年11月12日(金)

すみれのイヤリング

小さいピンクと大きめの白

軽い素材の昔のもの


からからと

味気ない音をたてる


1920年11月11日(木)

モデルさんが その服やアクセを
仕事でなく楽しんでいるように見えて
わすれていたことを思い出した
着る楽しみ おしゃれの楽しみ
それは本来自分のためだったと

だから無人島でも 独りぼっちでも
おしゃれはきっと楽しい

その大きめのブローチに一目惚れ
でも画像のようにコートの襟という発想はなく
なぜか布製のハンドメイドのバッグを思った

あったかストールをほしいと思った
ふんわりマフラーをしたいと思った
そして大きなブローチをざっくりとめてみたいと

なんとなくこの冬ブローチにはまりそう


1920年11月10日(水)

大きな梢が邪魔して

半分も見えないけれど

きれいな花火があがった

可愛い色がはじけて

クリスマスツリーのように

樹のシルエットのなかに


1920年11月09日(火)

わすれていた 完全に失念

この夏 一月ずれている


花火の音を聞いて

星と月を見ていて

こよみを開いて

思い出したよ


バカだよね

失ってばかり


月 火星 土星 木星 金星

ゆるやかに並んだ


1920年11月08日(月)

届いた二つの箱 中はわからない


さきに開いた方は黒だった

失くしたものたちの影のはずだった

でも輝きをはなっていた

輝く闇もあるやもしれぬ


あとのはひかり

おのれを映す鏡として

おのれを覗く窓として


1920年11月07日(日)

ちょっとよさげな方法を思いついただけで

ものすごく明るい未来 になった気がした


1920年11月06日(土)

歩をとめると
流れは止まる
淀みを作るのは自分

言葉は風になる
ちいさな風を生め
つらなる風をおこせ

そらへ放て
天窓より


1920年11月05日(金)

色々済ませて
少し元気が戻った気がしたけれど
また中ダレでストップ
というかカラ元気もない

疲れていると公言したら
疲れを隠す必要がなくなった
元気を装う必要もなくなった
もう何もする気がしない


1920年11月04日(木)

俳句番組で
柴田理恵さんの句が好き
今までで2句大好き

風の盆の句が好き
もてなしの豆腐ぶら下げ風の盆 だったかな
一発で惚れ惚れ いいよなぁ と思う

今回は 夜のしじまと あいの風が いいよなぁ
降り立ちて夜のしじまにあいの風 だったかな

いつもさらっと無駄なくそして情緒があると思う
気負わず 奇をてらわず 言葉を選び
さりげなく静かな品があると思う

風を感じる句だと思う
それは足の動きを感じるからと思う
風と足さばきのうまい人だと思う

ひとは風をおこして動いている
そんなことを思った


1920年11月03日(水)

不運が続いても

不幸せな人生とはちがう


だから

不幸せだと思う前に

不運だったと思えばいい

次はラッキーが来るかもと


1920年11月02日(火)

すべてが混ざって黒になる

しずかに溜まって黒になる

結局 黒は淀みなのかな

浄化ではないのかな


今ミス変換で苦労が出た

なるほどね

苦労にも通じるかも

苦労の果ては黒なのかも


それは静寂なのかな


1920年11月01日(月)

流れないということは

流れがないということで


定まったのではなく

淀んでいるのだ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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