消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1919年10月31日(金)

静けさを求めるなら

閉じこもるのでなく

木漏れ日の下で

葉擦れの音でも楽しめばいい

無音の世界など脳内雑音の世界でしかない


1919年10月30日(木)

その目録は私関連のものだった

でも私へのものではないのだから

私のものではないということ


1919年10月29日(水)

誰かが決めたポイントでのランクなんて
意味のないことだと

結局は実力の勝負
その時の対戦

フェデラーもナダルもやっぱり強い


1919年10月28日(火)

自分の言葉を使う
シンプルに気持ちを伝える
まったくそれでいいと思う
拍手です


舌を噛みそうな言葉を
教わって覚えねばならぬわけではないのだから


1919年10月27日(月)

長らくの?の解決は
道すじの過去の穴をふさいだような気持ちになる

それは頑丈になったようで
未来分が短くなったようにも感じる


1919年10月26日(日)

ほんとうに

今まで辿り着けなかったのは
何でだろうと思う

分からない言語 二つクリアできたけれど

本当に不思議でしかない

自分のスキルは変わらないと思うけれど

知らずにアップしてるのか

ノウハウの 勘 ってあるんだね


1919年10月25日(土)

わたしのみみもとに 

そのちいさなてをよせて

こけこっこー あさですよー


やさしいね


1919年10月24日(金)

know-how を なんとなく得たから

足りない所が分かった気がしたから

もう一つの?は

今度は自分で手繰れた

講習費でしたね あの余分は


1919年10月23日(木)

長らくの一つの?がやっととけた

教えてもらったからだけれど

自分で探し方が少し足らなかったかも

ほんのあと一歩だった

時間をかければ辿り着けたかもしれない

途中でちょっと急ぎました

少し余分に支払いました

でも ま いいです


1919年10月22日(水)

タカラモノだったのでしょうか


ただしまい込んだヒミツ


だったのかもしれません


1919年10月21日(火)

心待ちにするタイムカプセルに入った

未来の自分へのメッセージ ではなく

タカラモノ ではなく


その空間にあったものは

忘れ去った物

消えてしまった自分

思い返せない気持ち


1919年10月20日(月)

何、それは。

私のタカラモノだったもの
タカラモノにしていたもの
タカラモノと思っていたもの


でもそれは。

誰にも見せず
触れさせたくなかっただけの証し

ただ私がけちん坊だっただけの証し


その忘れ去られた空間に
自分が見えた



1919年10月19日(日)

一生懸命やるから楽しいと思っていた

そうしないと楽しくないと思っていた

あのこが言った「一生懸命さがいい」という言葉

それがすべてと思っていた

そうしない人がふしぎだった

そうしなくても楽しそうな人が不思議だった


でも今思う

それは暮らしのゆとりの違いなのかなと


貧しくはなくとも一種懸命生きている人たち

一生懸命さが暮らしを支え高めてきた人たちと

ゆとりあるくらしの人たちとの


ゆとりある人たちって

一生懸命に楽しまなくても

そこそこフツーに何でも楽しいのかな



ジブン大人感覚を身につけたのかも


1919年10月18日(土)

旧いからといって

黴臭い古いところへ納めるのでなく

新しく晴れやかな場所を用意すればいいのだ


さあ始めよ

こちらの気持ちも晴れやかに


1919年10月17日(金)

丁寧に字を書くことが

億劫になってきている

走り書きばかり


気持ちのよいペンをみつけて

よいペンケースを買った


落ち着いて手に取れるものは

手に馴染む


ゆったり書き物できるだろうか

キーではなくペンで


1919年10月16日(木)

野良の子猫は

潜むことを教えられる

逃げることを教えられる

じっと見ることを教えられる

じっと待つことを教えられる

小さく食べることを教えられる


元気に健気に愛らしく

着実に育っているのだね君は


野良として


1919年10月15日(水)

願う像を額に想い描けば

それはチャクラとなるのだろうか

なるやも知れぬ


1919年10月14日(火)

前進するというのは

何かを破壊しながら ということ

ヤブコギと同じ

そうじだって そう

だから 壊したって平気

使い捨てて 可

置いておいてもしょうがない

使えばいい

それですてればいい

ためらわないで


1919年10月13日(月)

ぷれぜんとの

あたらしいなまえのいちご

どうでした

ちいさなひとたちは

いちごだいすきですね

きゅうにげんきにおりこうさんになりますね


1919年10月12日(日)

いろいろと入れ代わり立ち代わり

みなさんお誘いすみません


でもだめなんですごめんなさい

気持ちがついていかなくて

にぎやかな気持ちになれなくて

それで出席は迷惑でしょう

楽しみな人に悪いでしょう

だからお返事できません


どうしてみんな急に思いつくのでしょう

忘れてしまってほしいのに


1919年10月11日(土)

離れたまちで

貴女が手を合わせてくれたのでしょうか

その小さな古い観音に

ふと救いの手があるという像に

白い花と月の証しを添えて



だから突然軽くなったのでしょうか

自分ではどうにもならない重さを

むやみに強引に動かそうとしていたのを

何かが動かしてくれたのです

不思議の中にいました

きっとそうだと感じました

感謝しています


1919年10月10日(金)

小指の力を 侮っていた
というより意識なかった

本にあったように
小指に力を意識して
ストレッチの感覚がよみがえった

何時から忘れていたのか
スリッパを替えてからか

阿波踊りの連に興味を持ったのは
そういう動きを体が欲していたのかも
動きたい筋肉が反応したのかも


1919年10月09日(木)

一番は☆給食がよかった
穏やかに楽しめたドラマ

ふと思い至ったのは
人という字は支え合ってるカタチ と
よく例えられるけれど

誰に支えられるとか 誰を支えるとか
そういう具体的なのは
家族や友人や知っている間柄で

そうではなくて

人は知らないうちに
誰かに支えられていて
というか 支えを得ていて
自分も誰かを支えていて
というか 支えになっていて

言動存在が無関係に無意識に
そうなっているんじゃないかと

それが多種多様なたくさんの人が
世界に生きている意味かなぁと

生きているからこそ
どこかの誰かの力になったかもしれない
それが生かされている意味かなと
神の力かなと


1919年10月08日(水)

自分磨き とか 自分発見 とか

そういう言葉が流行って

旅に出かけたり習い事したりがよく特集されるけれど

そんな時間とれっこないほど忙しすぎる人もいる


別の時間に別のことしても磨けるし発見があるし

気持ちが落ち着くということを

エンピツに向かっていてわかる

ここは自分にとってかけがえのない窓


1919年10月07日(火)

時間がとれて磨き作業をした

台所のステンレス系をピカピカにできた

くすみを取るって気持ちいい

磨くって面倒だけれど気持ちいい

無心になれる大切な作業と思う

土を耕すのと同じような

水を撒くのと同じような

時間を忘れる


1919年10月06日(月)

がっかりした買い物は

きっと使わないままになる

要らないものになってゆく

だから決断すれば?

どうするのがいいか


1919年10月05日(日)

しずしずと歩けば自分らしく生きられる気がする

人のことで走り回されることなく

自分のことなら走り回らない

しずかに考えながら生きられる

しずしず歩くのがいい


1919年10月04日(土)

使わなかった使えなかったではなく

使えばいいのだ

使い切ればいいのだ

使いこなせばいいのだ

物も道具も人も


1919年10月03日(金)

使わなかったのか 
使えなかったのか

要不要が問題ではなく
決行するか否かだ

決断がなければ
振り返りながらの前進は
スピードが出ない


1919年10月02日(木)

白いものを 

白いまま残したい

そのための努力


1919年10月01日(水)

過去を振り返れば

その時には見えなかったことが

今は見えたりする

気づかずにいただけだ



はじめ懐かしく思っていたものが

目障りなものになってきた




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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