消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1919年04月30日(水)

ぴっかーん

すべて 腹を立てるからだめなんだ

腹を立てるからうまくいかないんだ



気持ちを静めるために

宗教や信仰があるのだろうか


1919年04月29日(火)

激昂ではないけれど

興奮しやすいのだね

きっと すぐ いろいろと



そしてそれを抑えようとは思っていないのだね


1919年04月28日(月)

そうだ

バカミ(馬鹿見)もあるよね


それと

バカグイ(馬鹿食い)もあったね


1919年04月27日(日)

腹を立てるから

優しくできなくなったから

広い気持ちを持てなくなったから

だから罰を受けているのかもしれない


1919年04月26日(土)

なんかミスったかなぁ

途中で引き返すことも止めることもできたのに

突っ込んでしまった気がする


1919年04月25日(金)

その人の浅ましさがいやなのです

浅ましいという言葉を今まで思い出せなかった

形容する言葉を思いつかなかった

浅ましいというのは こちらの上から目線なのか

でもやっぱりそう感じる

苦境でも浅ましくならないのが

凛とするということではないだろうか

凛としているものは美しいと思う


1919年04月24日(木)

バクガイ(爆買い)ではない

バカガイ(馬鹿買い)のあとの

バカオキ(馬鹿置き)がたくさん

ほんと馬鹿とわかる

かなり反省材料なり


自分のまわりは馬鹿でないもので固めたいね

でないと変われない


1919年04月23日(水)

庭の石を動かして

大改造を思い立った

まるきり違う趣に造園する


改園って言葉あるならそれ


自分も変えたくて


1919年04月22日(火)

死刑
廃止の国は多い
反対の人も多い
でも私は反対ではない
方法は考えないとならないけれど
法に照らして執行されればよいと思う

冤罪がある 間違いがある
間違った審判もある
それもわかるけれど
明白なものもある

人の一つしかないものを奪っても
奪ったものが一つなら刑が軽くなるって
おかしいよね

償うなら
死刑で妥当と思う

遺族が許さない限り
誰に許されるというのだろう
臓器提供よろしく
生前に死刑を求めません宣言でもしますか
それだって死刑廃止論者ですら
その時には翻るかもしれない
自分が殺される時に
その殺人犯を許して死にゆく人がいるだろうか

盗んでも壊しても弁償するけれど
いのちを償う方法は無いのだから

そう思っていても
もし陪審員とかに選ばれたら
どんな判断ができるだろう
怖いだろう震えると思う
考えられないかも

故意にひとの命を奪えば命で償う
その大原則を守るに徹するだけだ
そしてすべての財産を国に没収
被害者への何かに使う
さっさと執行してほしい

裁判官というのは大変な仕事だと思う
そして大臣は逃げてはいけない
逃げたい人はなってはいけない

こんなこと前にも書いたけれど
時を経て落ち着いたら削除した気もする
書いていいのかどうかわからなくなって

恐ろしい事件の度に
死刑のことを考えてしまう


1919年04月21日(月)

どんどん調べて 

がんがん決めていく

はかどってる

頭が冴えて 気持ちが軽くなる

何年越しの懸案事項だろう

やっと腰を上げた感じ


1919年04月20日(日)

ぴっかーん

真結びって ちょうちょ結びの抜けた形だ


今頃になってわかった


1919年04月19日(土)

無念  ただその言葉だけ

口惜しいでもなく

腹立たしいも違う

羨みも恨みも違う

憎いでもない

妬みも違う

辛い悲しいみな違う

ただ無念 その言葉だけ

言葉にして吐露できない気持ち

口を結びのみ込んで

胸の奥底へ沈ませる


1919年04月18日(金)

片づけをたくさんして

荷造りをたくさんして

結び方がうまくなった

今まで行き当たりばったりの

とんちんかんだったからね


1919年04月17日(木)

見守り に転じよう

マリア像も 観音像も

きっとそうだ


1919年04月16日(水)

今日のグーグルロゴ すごい

大好きなテルミンの動画になってる

ずいぶん遊べた

音色もいい

小さい玩具レベルのは持ってるけれど

画像があると本物の奏者になった気分

こんな人が素敵なコンサートを開いて

客席を魅了していたんだね


1919年04月15日(火)

話はカンタン

嫌いになればいい

焦がれる気持ちをなくせばいい

手離せばいい


1919年04月14日(月)

ずっと訝しく不安に思っていた

でも

蹴散らす という手もありなのだ

こちらから


1919年04月13日(日)

整理が悪く捨てきれない
だから片付かない と思っている

それで片づけるというと
隠すにつながる


そこが悪いのだね

究極の片づけ法は
見せること さらすこと と得た

そしてそれは
飾ること に繋がるから
くだらないものは 買わない
馬鹿買いはしない
場所がある時だけ買える


1919年04月12日(土)

私はバッジを掲げません
そのきらびやかなバッジは
自慢げに飾るものではない
プレッシャーでしかない
そう思うから
やさしい花は胸深くそっと抱いていたいから


1919年04月11日(金)

推論して仮定して検証して
決定したことが正解ならば
それでいいことだ

結果 流れが変化したとて
それは正しい流れだ

根幹の変化はないのだから
ブレはない


1919年04月10日(木)

手に入れるという衝動と

手放すという衝動が

交互に寄せてくる

ただ何かの虚を埋めるだけのように


1919年04月09日(水)

今日は ほんとうに春が来た と感じた

陽ざしも風も風の音もやわらかだった

土手を歩いてみたいと思った

土筆が出てるかも

そんなのんびりした嬉しさだった

はるだなぁ  やっと


1919年04月08日(火)

立ち止まることを知らぬ馬鹿は私だ
忍耐のない我慢の足りない馬鹿だ

なぜそこで突き進む

脳裏をかすめる失敗に 
手を止めることもせず
やっぱり と事後納得して

いつからこんな馬鹿になった

いつも他人事だったのに



と書いてから

違うよね これは と気づく


いつからこんなに馬鹿になった は傲慢

やっと自分の馬鹿に気づいた なのにね

自分の馬鹿をしっかり見る ということです

気づけば少しはまともになれる です


1919年04月07日(月)

自分の気持ちを
強く大きくしっかり伝えるように 
そういう教育を受けてきたと思う

でもそうだろうか
今は思う

自分の気持ちを伝えるのは
小さく でもいいのではないか
そっと でもいいのではないか

プチで生きたい
いろんなことをプチサイズで

デッカイことを思わなくてもいい

プチフラワーを束ねても
けっこう素敵なブーケになる気がする


1919年04月06日(日)

堂々巡りの その結果

辿り着いた答えは



その時はその時



口惜しいけれど誰かの口癖


1919年04月05日(土)

ここでぐずぐずしている

ここにいると落ち着くから

ここで気持ちがまとまるまで

ここから天を仰いでいる

小さな窓辺の夜更けまで


1919年04月04日(金)

春の音をきいて
春の色を見つけて
動き出そう 外に出よう

部屋で沈んでいてもしょうがない
何かを変えたいなら
少し大きく動き出そう

大石でもひっくり返してみようか
大穴を掘り返してみようか
鋸引きでもしてみようか


1919年04月03日(木)

世の中には本当にいろんな人がいるもので
突然思い起こしたように
昔の縁をひきつれてやってくる人

もう新しく人と交わらないと思っていたのに
また新しく縁が結ばれる


1919年04月02日(水)

春のこえを聴きとるように
しばらく静かに生きてみよう
まだ少し寒くて暗いから

春の光にあふれたなら
ゆっくり庭を歩いてみよう
それまで静かにしていよう


1919年04月01日(火)

コロンボが長い鉛筆でメモしているのを見て

そんな時代なのかと思った

そして長い鉛筆というものがなんか懐かしく

紙と鉛筆で書き付けをしていた頃を思う

今は何でもデジタルで

そして久々にノートと鉛筆を持ちたくなって

気づいたの

落ち着く愛するここはエンピツだった

いいネーミングです




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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