消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1918年06月30日(日)

己の不幸を認めることが
幸せのはじまりだと思う

道を探すだろう



認めることのできない人が

他の幸を妬み嫉み
他の不幸を願い画す

より不幸に陥ることに気づかずに

世に不幸をまき散らせば
己にもかかることに気づかずに

哀しく愚か


1918年06月29日(土)

露草に はっとしなかった
あぁ咲いているのだな 
そう思っただけ

高い山の花も遠くなった

小さなトマトの赤をいいなと思う

好きだった歌を口ずさまなくなって
哀しいメロディーを思い出している

何だろう

なにかが変わってゆく


1918年06月28日(金)

気持ちは 姿勢に表れるから
動作に表れるから

だから 姿勢を正すこと
だから 動きを軽快に

自分を引き締められるから

だれっとしてたらエンドレスだから


1918年06月27日(木)

いろんな理由をつけて
自分の仕事にだれてるひとだね

やらなくても給料が入る人がいる
やっても増えるわけじゃない
だからテキトーにやって
その分だけもらえばいい と

ふーん そうなんだ
自分の仕事に誇りをもってないんだ


人と比較しても意味ないと思う
自分ができると思っていることを
しっかりやり遂げればいい
それは自分の満足度
それが誇りだと思う
金銭的損得とは別だと思う

手抜きをしてだれてる自分に誇りをもてますか?
自分に胸を張っていない人が素敵ですか?

どんな些細な仕事でも
きっちり仕上げられているのは
誇っていいことだ

自分に胸をはって仕事をしている人は
姿勢がいいし 動きが軽快だ
それは信頼に足る

信頼を得る仕事をしている充足は
プロの誇りだと思う

自分の仕事で生活の糧を得るのは
プロです

プロとして恥じない態度で
仕事せよ


1918年06月26日(水)

音を出さないものも
音を出しているのだ

部屋のすべてのものは
音を出しているのだ

聞こえぬ音であっても
響いているのだ

それは時に美しい調べ
時に不協和音となって

街中の雑踏に似るときも
雑然とした騒音になるときも

密やかにふれた糸の音色も
清らかな音も 厳かな音も

静まり返った夜更けにも
きっと音はあふれているのだ
響き渡っているのだ
部屋中に家中に


だから
音を整える選び方を

そう思った


コンセプトはそういうことで

今日は部屋の もの片付けを しませう


1918年06月25日(火)

最後は惜しかったけれど

決勝戦にふさわしい

風格のあるゲームだった 


どちらも譲らないという空気に

ギャラリーは酔うのだ

主審もよかった


夢の記録は来年に持ち越された

シードがかわるだろうしドローもかわる

どんな楽しみになるのかな


男の子の双子ちゃんだって

それも含めて来年のカードが楽しみです


1918年06月24日(月)

彼が王者だと思っている

反射によるところだけではなく
常にボールをコントロールしたフォーム
力まず淡々と無駄のないフットワーク
彼が積み重ねてきたものがそこにある


力のサービスや
癖のあるリターンや
拾い続けて相手のミスを待つ
そういう単一なプレーではなく

どの場面を切り取っても美しいフォーム
瞬時に出される多彩なショット
それは修練の賜物

ギャラリーを感嘆させる
無言の華やかさがある


復活を期待している


1918年06月23日(日)

不思議

いつ頃からか感じていた耳の妙な閉塞感が 急に消えた



頭が一回りコンパクトになったような感覚

外界とのフィット感が増したような

小回りの利く車のような

きびきびしたカンジ


空気の厚みを感じないという不思議なカンカク


1918年06月22日(土)

たぶん戦争から一番遠い安全な部屋にいる人が
決めているんだよね

男の子たちを(女の子も含むかな)
将来人を殺せるように と
人に危害を加えることに平然と居られるように と

おかしくないか
おかしくないか

平和が来るはずないではないか

なんと弱い傍のものよ
歯止めをかける立場のはずが
さわやかな若者たちを育てていたはずが
それは将来の兵士なのか


1918年06月21日(金)

駅前のその場所をなんと呼ぶのだろう
おしゃれな屋根のバス発着所がある
シンボルツリーらしき植え込みもあって
ベンチがいくつかある
鳩がいつも遊んでいる
交番もある

広場というほど広くもないし
ロータリーでもない
バスはたまに停まっている

タイル敷きの広い場所を
好き勝手に人が通るだけ


今日はそこに
大きな風が渡っていた

自分が
空とつながっているように感じた
空の中にいる気がした

大きな風は 
吹くのでなく渡るのだ

空から そして空へと


1918年06月20日(木)

崩れることがいや

くずれ止めでがちがちに固めるのもいや

要は崩れない仕組み

のびやかな在りようでも倒れない形式

だからどこまでも自由であれるかたち


そういうカタチを目指す


1918年06月19日(水)

何度もやり直して

何度も微調整して

やっとすっきり決まった

もう違和感はない


終わったことは忘れてゆく

そこにずっと在ったように馴染むのだ

自然な形で残ることが

忘れ去られずに残ることだ

それが仕事だと思う


1918年06月18日(火)

荒ぶるのは たぶん「逃げ」


真正面の戦闘態勢をとる以前に

心静めてその時を待つことなく



荒ぶらず 静かに対峙するのだ

時を得るまで


1918年06月17日(月)

やり直さないひと
やり直す気のないひと
やり直すのが嫌いなひと

そのままでいいと思っているのだ
仕上げる気がないということだ

やり直さずそこで終われるひとを理解できない


1918年06月16日(日)

言葉を尽くすことは カタルシスだ

狂いなくぶれなく尽くせるなら


1918年06月15日(土)

展開が読めなくて
そう来るか と思う連続だったけれど

深い悲しみ怒り憎しみは
ぶつけるだけでは救われないのだね
ぶつけても消えることはないのだね
連鎖があり増幅がある
自分を救うのは自分しかない のだろうか
ひとは誰かに救われる のだろうか


予想できない最終回だったけれど
あの言葉がリピートされた

底にあるものが変わったけれど

   どんなことがあっても
   お前を責めたり
   嫌いになったり
   しないからな



どんなときも
辛さを断ち切るのは自分なんだね
誰に助けられたとしても
どんなに支えられたとしても
最後の一歩は
自分が踏み出さないと終わらないんだね
そしてそれは 始まりの一歩になるんだね
乗り越えるための


1918年06月14日(金)

私を


決めつけられることがいやだ

定義づけされることは苦しい

分類されると抜けたくなる

誰だって

絶えず変化するでしょう?

常に違うでしょう?

流されるのでなく 

流れているでしょう?

巡っているでしょう?

生きることは

自分の旅だから


走ることも 立ち止まることも

屈み込むことも 蹲ることも

そこに佇むことも


ナンデモアリダカラ


1918年06月13日(木)

予定と天気が合わなくて
今年はほたるの夕べに行けなかった

少し残念

昔見たあの乱舞には

もう二度と出会えないだろうけれど

ひっそりと少しだけでもまた見続けたいです


1918年06月12日(水)

一仕事終えて どころか
四仕事ぐらい終えた

内での下準備と外での作業
交互にずっと

自分で決めたスケジュールだから
投げ出さずに終えたけれど

少々ハードでした

でも できたというスッキリ感

うんと脱力

お風呂が気持ちいい


1918年06月11日(火)

ドクダミの白さにはっとする季節になった

樹下に群れながら

独立している白さが好き

まろさと厚みが好き


1918年06月10日(月)

バラバラになった暮らしを
ひとのせいにしないで 
整えたいと思う

整えるというのは
美しくすることだと思う

美しい方を選ぶことだと思う


1918年06月09日(日)

ドラマ アリス〜 で反応した

どんなことがあっても
お前を責めたり
嫌いになったり
しないからな

父親の代わりとして
娘を思う言葉

子を思う親の気持ちを
受けいれる気持ちを
待つ気持ちを
支える気持ちを
伝えたい言葉


親というものは
そうかもしれないしそうでないかもしれない
そうなのかそうでないのかわからないし
そうでないといけないのかどうかわからない

家族でも親子でも
家族だから親子だから
相手を責めたり嫌ったりもあるだろうと思う

味方だよ という言葉より
嫌いになったりしないから という言葉の方が
安らぐ気がした


1918年06月08日(土)

気づかぬことも映り込む

自己管理の不足

己を恥じた



己をみつめ 恥を知れ


1918年06月07日(金)

たくさんの買い物をした
自分のものばかりではない
次々に購入した
そういう病気の人の気持ちがわかる気がした

でも私は病気ではない
終わりはある

今回はただ
買わなかった後悔と買った後悔の
選択を変えてみただけ

抱える重いものを
少し軽くしてみたかっただけ


1918年06月06日(木)

かるくなりたいと思う
身も 心も


癒しだリラクゼーションだといって
どこかの王様みたいに
寝そべって竪琴の調べを耳にしながら
熟れた果物を口にする のとは違う

体を動かすのがいい といっても
何かに挑むようなスポーツより
いちばんはハタラクこと
勤労ではなくハタラク

働くというのは はたを楽にしてやることだ
路傍の石だったと思う
子供心にもずっと残る言葉だった

無心にハタライタあとは
身も心も軽くなっている気がするから

熟れた果物の香に浸り続けていると
それは 醸され そのうち腐敗に進む気がする


1918年06月05日(水)

断って吹っ切れた

もう継続しない

やっと終了



フリーという軽さ

自分の足で歩くこと

自分で歩調を決めること

わくわくする時間


プロジェクト終了


1918年06月04日(火)

根っこは

豪胆かもしれない

でも行動の大胆さに欠ける

小心ではないと思っているけれど

何かが気になるタチ


1918年06月03日(月)

いろいろあちこち見聞きして

振れ幅が大きくなっても

それでもたいてい収束してゆく

まっすぐ芯ができてゆく

結局それがその人の 人となり


1918年06月02日(日)

新聞の相談コーナーで
いつも小気味よい回答をしている人なので
手の内を明かすのか と思ったり
それもまた技巧なのかと思ったり

何か少し書き留めたかった
正しく切り取りたかった
でも散漫な引用になりそうで
止まっていた

時間がくれた解決は 

おおよそにするということ

違わず書き留める必要はない ということ
文責などないのだから

感性が受けとめたこと 
それだけでいいのだ

おおよそ残ったことは
上から目線でお説教をしたくなる人は
正しい上から目線で というカンジ

どんなに本当の思いを言葉にしても
相手に上から目線と思われると
何も受け入れてもらえないから
伝わるようにするための技巧がいる 
伝えたいことを伝えるためには
正しい上から目線で というカンジ


そうか 反応したのは
「正しい」がつく上から目線

伝わる伝え方を練ることが
正しい上のありかた と 受けとめた


1918年06月01日(土)

久々に反応した記事が3つあって
3つ目をまだ書けないでいる
どうしたものか迷っている

基本的に自分に大きなことで

ある意味
消えてゆく小さなこと に
してしまってはいけない気がして

深く植え込まないといけない気がして

迷っている




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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