消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1916年01月31日(月)

ニワウメ
昨日はまだまだ蕾だと思っていたのに
もう今日は咲き始めていた
シュンランも開き始めた
タチツボスミレもあちこちに群れて
花をたくさんあげて揺れている
ヤマブキは見事に黄金色に流れる

今年は春は来なかったかのような感覚になっていた

でも来ているんだね
着実に

戸惑い足踏みしているのはニンゲンだけ

すすめニンゲン
歩き出せ


1916年01月30日(日)

おもしろいと思って見れば
おもしろく思うし
おもしろくないと思って見れば
おもしろくなく思う
懐柔だろうか


1916年01月29日(土)

気づかぬうちに
イカリソウがたくさん咲いていた
薄紫の羽衣のような色
蕾もまだたくさんある
今年は花茎が多いみたい


1916年01月28日(金)

ソウ ソノトオリ
ソウイウコトデス

コラムに引かれた一節
「(3.11を)ただの悲劇や感動話や
健気な物語に貶オトシめてはいけない」

続けてコラムは
「饒舌」と「言葉の瓦礫」という言葉を使う



書いてはやめた「きのう」19160122の
躊躇い迷い逡巡削除の繰り返しは
すべてそこに根ざしていた19160123

結局書かずに留めたわけはそこに
書けなかったわけはそこに

なぜ書けないかを
言葉に出来ずやめたのだったけれど
その思いに根ざしていたのだ

多分 
書くほどに
饒舌に、言葉の瓦礫に なってゆくのを感じるから
書けなくなる 
言葉がなくなる 

そういうことだったのだ
自分の思いに納得できたコラムだった


1916年01月27日(木)

根くらべなら負けない


ソ レ ゴ ラ ン




1916年01月26日(水)

杏の花びらは重いのかもしれない
風にひらひら舞うというより
音が聞こえるほどにはらはらと落ちる
空を旅して遠くへ運ばれるというより
辺りの土に還ってゆく感じ


1916年01月25日(火)

水の途切れたその薔薇は
最後の水を吸い上げて
今日を終えた

少なくとも
しゃんと面をあげ
肩を張って

そして新たな水を得て
また咲き戻る
色褪せたアンティークのように


1916年01月24日(月)

その一言で
目が醒めた気がする

ジェットコースターで
声を出さない人はいないでしょう
きみがそれを嫌うなら
ひとり静かに居ればいい
わたしは自分の時間に戻るだけ

砕けたのでなく割れた
割れる時が来るかもと思った瞬間に落とした
好きな器であったけれど
残念というよりすっきりした
割れるという確証を得て

シャワーを浴び続けたけれど
思いは流せなかった
思いは変わらなかった


1916年01月23日(日)

書いてはやめ書いてはやめ
何度も繰り返している
言葉がフィットしない
とっかえひっかえ貼り付けては削除を
繰り返してばかりいる

書きたいことがあって 
でも書いてよいのか迷う
言葉を替えてみて 
でもそうではないと気づく
気持ちを伝えたい 
でも誤解をおそれる

書けることのうしろめたさ
書いていてよいのか逡巡する
書いてしまってよいのか迷う

言葉がみつからない

きのうの日付は止まったまま
中だけ変わってゆく


もう今日は
乗り越えようと思う
きのうはそのまま留めておこうと思う
いつかあるとき
ふとゆるせたら
そのとき戻って書き継げばよいのだと

前へすすもう
新たにこころを奮わせて
次の何かを確かめに

何かから 離れるために 
何かに 近づくために


1916年01月22日(土)

丁寧に手入れしたことを感じさせるのでなく
思い入れの強い凝った仕上がりでなく
ただそこに命があることにほっとする
そこだけはそんな空間にしたくて
安い花苗(定番丈夫カラフル元気)を
ばらばらと買ってきた
品種も色も株数もでたらめ
幼児のお絵描きのように植え込んだ

勝手に伸びよ 自由に広がれ 好きに咲け
ただ命を謳歌して育てばいい
小さな命が大きくなればいい
そんな思いで植え込んだ

以前なら
なんともいい加減な花壇 と思うだろう
でも今はそのゆるさにほっとする
あたたかさに安堵する


1916年01月21日(金)

その花の名前が浮かばなくて
indexにつけていた検索窓に
「ヒメ」と入れてみた

ヒメヒオウギ -19090907- だった
あちこちに増やしたので
種も沢山こぼれて
葉がたくさん揺れている
花がたのしみ

日記内検索窓 
あまり使ってないけれど役立ちました


1916年01月20日(木)

わたしのこの痛みは
ひとの痛みがわかるようにと
天がさずけたのだと思い至る 
天からの授かりものなのだ

自分に痛みがなければ
ひとの痛みは想像でしかないのだ
わたしの可哀想とか気の毒とか思う気持ちは
同情でしかないのだ
わかっていないのだ

そして傲慢にならぬよう
怯えをさずかる
畏れは自分で持てるけれど
怯えは自分では持てないから

だからこの怯えは
天が授けた当然のことと思えた
ずっと持ち続けるべきものと思えた
ひょっとすると
小さな輝くものかもしれない


きみがその日行動を起こしたのは
きみが痛みと不安と怯えを
ずっと持ってきたから
だからひとの痛みをわかるんだね
そのことを理解できた


1916年01月19日(水)

うかつだった
たいへんなことをしてしまった
作業中 たいへんなものに触れてしまった
何十年か先に
わたしは病気になるかもしれない
怖いいやな気持ちに沈む

ちょっぴりだから大丈夫だよ 
ときみは言ってくれるけれど
何をどうすれば
心が晴れるというのだろう
忘れて置くしかないのか


1916年01月18日(火)

エラーが直ったのでまとめて記入した

所在地が記憶にあったので
エンピツのこと心配していた
最初は使えたので大丈夫だったと安堵していた
でも最近よくエラーにぶつかるので
計画停電でもあるのかと思っていた

もしダメージがあったのなら
エンピツ代金の振込先に
直接募金できるかなと思ったりもしていた

エンピツをこよなく愛していますから
ずっと続いてほしいですから
半永久の会員ですから

不調の理由わかってよかったです
エンピツサポートいつもながら有難うございます
この気持ち届かないけれどずっと思っています


1916年01月17日(月)

広告が自粛されて流れるACのCM
初めて知ったその詩人とその本
震災で出合ったことになる
雪柳の日のぬくもりで包む
エンピツエラーの続いた間 読んでいた

6年前のその日に
その詩人は亡くなっていた
ジングルベルの日本語訳を残したひと
たくさんの校歌を残した人でもあった

校歌というもの
キレイゴトの言葉でどれも似ていて胡散臭い
という人もあるけれど
わたしは
校歌大好き大好き大好き人間である

母校の校歌、応援歌
定期戦の相手校の校歌、応援歌
自分達で作るHomeRoomSong
市の歌 その他
習ったものはたいていを覚えている
言葉そのものが心に残っている

校歌は丁寧に編まれた美しい言葉だと思う
その地元の風土を愛し環境を慈しみ
人の心を包み励まし
目指すところを灯してくれるもの
そう思う

歌い始めると最後まで歌える
景色が見えてくる
心が和み奮う
伸び広まり鎮まる

著名な詩人に作ってもらった校歌は
巷にたくさんあるとよく聞いていたけれど
校歌を沢山作った詩人がいるとは知らなかった

そのひとのほかの本探してみようかと思っている


1916年01月16日(日)

ひと月前の花束の
他の花たちは終わって
白の金魚草だけになった
まだ元気
真っ白にふっくらと
先の蕾まで順々に咲いてゆく

こんなに量感のある花とは
今まで知らなかった
ピュアな白のイメージがなかったし
他の色のも好きな方でもなかった
買わないし植えないし

花オンチのあなたが教えてくれた
とても大きなことです

白の金魚草 
ほんとうにきれい
ストックのようにふんわりして
それ以上にやさしい
お気に入りに入りました


1916年01月15日(土)

雪柳がさらさらと
川のように流れる
高い位置に支えられた枝は
小さな滝になる
辺りは清らかな空気に澄む


1916年01月14日(金)

山吹の蕾が一斉に空を向く
小さな灯りのように
あたたかな黄色になって
行儀よく並んで天をさす
なにか明るいありがたい気持ちになってくる
良い方へ向かう気がする


1916年01月13日(木)

ふっくらまぶしくなってきたモクレン
あっという間にパクパク食べられている
ヒヨドリかな
おいしそうに見えるんだろうね
あれこれかじってある
赤茶けた傷跡だらけ
花はもう真白の美しい姿では咲けないだろう
でもどこか強そうだ
負けないそんなことぐらい平気
何事も無かったように
やっぱり堂々と咲くと思う


1916年01月12日(水)

慌ただしく時間が過ぎて
見逃した超満月のこと
失ったknitcapのこと
思いながらぼんやり庭を歩いていると

花たちは 
そんなこと関係なく
自分の時間を生きていた

スモモが咲いていた
ヤマブキも咲いていた
いろんなところに新しい枝が芽吹き
力強さに驚くばかり

落ち込むのは人間だけだった

ガンバレ ニンゲン!


1916年01月11日(火)

自分に苛立っている
時間が足りないから
否 足りないのでなく
時間以上のことを抱え過ぎて

山積の懸案事項
堂々巡りの試行錯誤中のこと
きっかけをつかめぬ暗中模索中のもの
何もかも動かないように見える

自分のことなら
山を登って越えるように
遮二無二登ればなんとかなるだろうけれど
皆が通れるように
岩を崩してトンネルを掘るようなこと

でも させられているのではない
自分で抱え込んだこと
自分の意思は意欲だし望みだし

少しでも進むことから
手をつければいいのだと
思ってみても苛立っている


1916年01月10日(月)

次々の急激な変化に対応できずに
ひょっとすると
今の自分を嫌いなのかも

時間というものに向かい合えなくて
早く流そうとしているのかも
それで暮らしぶりが乱暴になるのかも


丁寧に暮らすということは
自分に向き合い 
自分を好きでいられることだ
そしてそれは幸せなこと
そうわかる


丁寧でなくとも
せめて乱暴でない暮らしに


1916年01月09日(日)

訝しく思いながらも
とくに原因を確かめず
今までどおりにしていた

知らぬ間についた習慣って怖い
自分の健康のことなのに
良くないやり方と気づいてなかった

即改めてみた
良くなればバンザイ


1916年01月08日(土)

じゅくじゅくと
聞きなれぬ囀りに見回すと
立ち枯れの樹のてっぺんに
シジュウカラが来ていた
ふだんと違う囀り方

白樺へ移り小枝をつついて
オオヤマレンゲにあそび
ブロック塀をちょんちょんしてから
すいっと舞い降りて
クリスマスローズの杭で囀り
大鉢を渡り歩いて
私のすぐ傍に暫く居た

驚かさないように
ギンモクセイの陰で
息を止めて固まっていた
明日も来てくれたらいいな

と もう一羽現れて
順々に飛び立っていった


1916年01月07日(金)

杏の下で思った
花を見上げて思った
江のようだと思った

歴史は苦手だけれど
ドラマで見る姫たち姉妹を思った
一の姫は白梅 
ニの姫は桜
末の姫江は杏


1916年01月06日(木)

杏が開き始めていた

その辺りに寄ると
明るくあたたかな気持ちに包まれる
大らかで健康的な気持ちになる
凛とした梅とも そよとした桜とも違う
大丈夫元気に頑張ってゆこう
そんな歌が聞こえるような
赤ちゃんの重みとぬくもりを
そのまま預かるような気持ち

雪柳はさわやかに咲き零れていた
まだこんもりとはしていない


1916年01月05日(水)

その日届いた薔薇たちは
その朝採られてすぐの薔薇
開き始めのその薔薇は
淡いグリーンの縁取りの初めて見るピンク系と
まさしくのローズ色
ぱっと華やか活き活きしている

農園直送のしっかり見極められた花束
案外いいものだね
今まで不安を持っていたけれど
ちょっと見直した


華やかな日は無残になった
けれどまだ元気


1916年01月04日(火)

とりたてて
活動の物音がなくとも
ひっそりと
生きていける
それでいい
平穏という暮らし


1916年01月03日(月)

天然系不思議系癒し系と云えど
小さなヒスやパニックに耐え
昂ぶりを抑える心は要るでしょう
無ければただの鈍系


1916年01月02日(日)

小金をケチって大金を失う
つまらぬ人だ
自分を大きく見せようと
ほらを吹いてる
馬鹿なひとだ
相手を落胆させても
自惚れている
そういうひとだ


1916年01月01日(土)

水の力は海の力
海の力は地球の力
地球の力は宇宙の力
どうやっても逆らえない

人の力はなんてちっぽけ
あたたかく集めて
やっと大きくなれる力でしかない

何を威張って生きているんだろう
何もかもを抑えつけようとして




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

* * * * * * * * * * * *        
* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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