消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1910年10月31日(月)

アイロンをあてていると
家族というものを思う
家庭の安らぎを思う
丁寧な生活を思う


1910年10月30日(日)

途絶えたもの それは何だったのだろう

自分の感性を忠実に伝えたかった

それでいいのだ

どう受け取られたとしても

悲しむことはない

嘘の自分をそこへ飾るより


1910年10月29日(土)

流星を見ようと思った
空が明るかった
透き通るような藍色
星明りだった
くっきりと星が見えた
瞬きもせず


1910年10月28日(金)

空を見上げよう
それが一番だ

寂しさは流れるものだ
哀しみも流れるものだ

空へ あずければいい
一時預かりでいいから


1910年10月27日(木)

決心して メールを書いた
途中で 失くした
出すな ということなんだろうね


1910年10月26日(水)

ランダムに始まり
ランダムに終わる
すべてランダムですか?
それでいいのですか?


1910年10月25日(火)

すべて消えてしまった

罰なんだろうな
ひとに対して腹立ててばかりで
自分を振り返っていないから

師走に入る前にケリつけないとね
自分の中の認めたくないことを
認めることから始まるんだよね


1910年10月24日(月)

ずっとともに生きていたんだよね

だからこそなおのこと
意識して
共に生きてゆかねばならないんだよね

そのことを大切にする素直な気持ちが
だいじなんだよね


1910年10月23日(日)

世の中は結局 
野望の強い人が勝つようだ
勝つという言い方がよくなければ
生き残るようだ

野望はとどまるところを知らなくて
変わってゆく人たちをみていると怖くなる
ねぇ 前はそんなじゃなかったよ?

ある種の生き方を得た人たちは
何かを置き去りにしていった
気づかずに か 
捨てたのかは わからないけれど

ただ
気炎をあげて猛スピードで突っ走っているような
そんな存在になってしまった

あそこのブログは 使っちゃいけなかったんだよ
そこですでにズレてるよ
言葉は丁寧でも 最早優しさが無くなった

昨日 
野望に満ちた人たちに押しのけられた優しい人の 
哀しい言葉を 見た
あなた方のことを知る由もないけれど


1910年10月22日(土)

トラブルはないけれど
楽しくもない毎日を送っている

出口は自分でみつけるしかない
そうわかっているけれど

光のさす方へ
そうわかっているけれど

眼を閉じているのは
ジブン


1910年10月21日(金)

来し方をじっと見る
行く末を考える
切り替えるには
諦めも大事ってことかな

諦めないより
諦める方が難しいことだって多い


1910年10月20日(木)

ひとりでやるのが楽と思っていたけれど
なーんかね やっぱり つまらないかな
仲間がいるのがいいかな
ごたごたしても 複数でやるのもいい
気持ちの変化かな
前はあんなに嫌だったのにね
ひとりでできることは限られてくるし
複数だとそれだけ大きくやれる
何にしても経験


1910年10月19日(水)

ユウが並んでいる
売り場に積まれている
その辺りは香りに包まれている
収穫の季節
ユウの里って いい香りなんでしょうね


1910年10月18日(火)

二人の誕生日を知っているのに
同じ月生まれという認識をしていなかった
星座が違うからね

でも誕生月は同じだから
いろんな占いが同じに出る

複雑な気持ち
私にとっては二人は 似ている点が無いから
不思議です


1910年10月17日(月)

音すら鈍く広がる
春のようにくぐもった空に
時おり澄んだ愛らしい囀りをきく
メジロかな

よその咲き出した柊を見て思い出した
庭の隅の方なので見忘れていた
柊がぜんぜん花をつけていない
ふくらんだ蕾もない
終わった様子もない
葉もやられていない
剪定時期が悪かったのでしょうか
一粒も無いのが不思議です


1910年10月16日(日)

マダムなリンクだ
そよそよと甘い薔薇の香りとか小さな花たちとか
午後のお茶をして およーふくはナントカさんで
とても教育的な話題はゲージュツのことなど
そういうお集まり

以前なら うっとりサーフィンしただろう
今は受けつけない
農家の土っぽいサイトが気に入ったりする


1910年10月15日(土)

わくわくする繫がりが途絶えて
静かに冬に入る

ひとの心にあたたかい陽のさす日を
思い出そうとするのだけれど
記憶はかすか
ぬくもりはほのか

とても遠い


1910年10月14日(金)

いつまでも拘るのを止めて
自分のために貯蓄をしよう
許す気持ち

あなた方を許せない気持ちをいつまでも育てないで
自分の未来のために
許す気持ちを貯蓄してゆこう

あなた方への笑顔なのではなくて
自分への笑顔と思おう
いつか大きな貯蓄になるよう
蓄えてゆこう


1910年10月13日(木)

アリガトウをばらまく人
それが世界を潤すと信じて止まない人
でもなぜか疎ましく感じた
それがなぜだったのか わかった

そのアリガトウは
ちいさな嬉しいことへのアリガトウで
あなたに言われなくても
誰もがアリガトウと思えることで
やたら水をまかれてどろどろの地面のようだ

そのアリガトウに真実味を感じないのは
カモフラージュだからだ
深く大きな許す心を秘めていないからだ
オモテだけだからだ


1910年10月12日(水)

蟲師を読み耽っていて
やっと途切れた
ふっと目が覚めたような気がする
深い夢の底にいるような気持ちがしていた
すぐ傍にいるようでいない人たち
四次元のような感覚
私のイマとだぶって
ときおり気配を感じるような
そんな感覚

漫画はとうに卒業しているけれど
ふとしたことでギンコの本を買い込んだ
見かけたポスターの蟲という字が気になって

私の中にひとつのワールドが増えた
そんな気がします
大仰に言ってしまえば
世界観がかわった
人生観かもしれない
作者にとっては単なる一漫画
でも時に読者それぞれに感銘がある
複雑な接点になる
読めたこととてもうれしいです
きっかけに感謝してます
世間的には 今頃こんな話で
私ずれてるんだろうけれど
自分のペースで生きてます

ギンコさんloveなのではない
敬愛でも崇拝でもない
作家ファンでもない
アニメも邦画も見ない
ただ原作のその世界に惹きこまれたという感じ
だからタイトル名も人の名も覚えていない
ただただ淡々とギンコのあとを旅している
蟲の世界を垣間見ている
そんな感じだった
名前があろうとなかろうと
その世界の存在を信じてしまった
そんな感じ


1910年10月11日(火)

こらえておくれ
親が子にそう伝える場面がある
もう他に策も手立てもなくて
そう言うしかなくて

子に伝わるのは
親が子以上に辛いのだということ
振り絞った言葉だと

子はわがままを言えたりしない

親子の情愛というものが哀しくて
胸が一杯になる

この話のこの言葉に胸打たれる


1910年10月10日(月)

理由はわからない
でも途絶えてしまった
もう繋がらないのだろうね
エニシというのは そういうものだろうね
ふと繋がってふと消えている
ひとの心がゆらゆらと微妙に漂うから
でも大泣きはしなくなった
静かに受け容れてゆける

蟲というものをわたしは信じたから

創作の世界なのか 伝承の世界なのか
関係ない 
わたしは信じたから


1910年10月09日(日)

ギンコを読んでいて
穏やかな気持ちになるのは 何故なんだろう
哀しい話が多いけれど
しずかに哀しい
耐えてゆける
それが定めと自然に思える

ブラックジャックは 
追いかける追い詰める 感じ
それは心躍るけれど
しずまらない

ギンコは 待つ感じ
静かに相手に合わせて待つ感じ
自然の中に潜むものたちを
その流れの中で
私もいっしょになって静かに待っている


1910年10月08日(土)

自分の生活にはない言葉
記憶から消えていた
青春だったときは 憧れていたかもしれない

歌詞に出てきて 鮮烈だった

さすらう という言葉

男の言葉と思ってた

でもイマの世の中なら
女でもできそう

何かに固執していないで
若者よ 旅に出よ
さすらいの旅に出よ

誰か私に言ってくれればよかったのに
安定を望むな と


1910年10月07日(金)

ひとに元気をあたえる元気一杯の顔でなくてよい
ただ慈悲のある顔であれたら と思う

ひとのしあわせのベースは
許せることかな と思う
攻め続けても 得るもの残るものは少ないのだ と気づく


1910年10月06日(木)

蟲師ギンコを読んでいると
心が静かになるのはなぜだろう

空気も時間も静かに流れてゆくように感じる
私も蟲かもしれないと思ったり
蟲を見える類かもしれないと思ったり
厭な気持ちでなく 至極自然なこととして思う


1910年10月05日(水)

TVドラマの中で
日光東照宮 魔よけ の逆柱さかさばしら の話が出た
1本の柱の模様が逆向きになっている

完全なるものは 神のみ
人が完全なものをつくってはいけない と
わざとひとつ模様を逆にしてある らしい
初めて知る



“完璧は魔がさす”そうな

きのう 
自分も周りも完璧でないものどうしなのだから
寄り合って許して認めないといけない 
と思ったばかりだったから
タイミングよさにびっくりで印象深い話だった

そうだ ひとは 神じゃない
自分をパーフェクトと思う驕りが
歪みを生むことになるのだ


1910年10月04日(火)

固まったイメージを持たない
いつもいい意味で大きく驚かせてくれる
篠原涼子さんがとても好き

固定したイメージを売る役者がほとんどだけれど
つかみきれないそのひとに 惹かれ続ける

カタにはまった人間はつまらないと思っている
生きものは変化するもの
生きるってことは 変わってゆくこと
そのことをいつも鮮やかに見せてくれるから
私もしっかり変化して生きてゆこうと思えるから
ますます好きになる


1910年10月03日(月)

己を見つめれば
完全でもない 優れてもいないのに
相手に求めることがおかしい

完璧でも優秀でもない者どうしなのだから
寄り合って生きるしかない
許すしかない

そうなんだよね

許す気持ちを持てることが
生き方なんだよね


1910年10月02日(日)

自分を高めようとも努力しない人
高まろうとも思わない人
つまらないです

高くも深くも広くもなくて
熱くもない人の話はつまらない

ワルが魅力だなんて思い違いだ
弱さだけの裏返し
愚かさだけの芯なし

ぐらぐらの樹に
誰も寄らない


1910年10月01日(土)

私が考えを言っても
彼らなりに考えてるのだろうから と
貴方は遮る

ならば 私はもう何も言いませんから
そのかわり
私に下請けを回さないでくださいね
消火活動は引き受けません




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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