消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1910年02月28日(月)

沈んだ気持ちのときは
面倒で残していた仕事をこなせる

テンションの高いときは
前向きで成果の上がる華々しいことに目がいくけれど

黙々とちまちまと
意味なく進むような仕事をできる

だから そういう日もあっていい


1910年02月27日(日)

君は 本当によく頑張るひとだね
敬服します
努力で次々に難関を突破していくね
本当に努力の人だと思う
それも厭々ダークにやってるのでなく
心底目標に向かって積み上げているから偉い
際限の無いことに向かって
決められた課題でなく
自分でするというのはとても大変だと思う
それをこなしていく君の姿に頭がさがります
そしてそれを公表したり偉そうに吹いたりしないで
とても静かにさりげなくやってる
そういう美学をもってるひと
美しいと思う


1910年02月26日(土)

細道を自転車で通る
いい香りがすると押して行く
大輪の梔子をみつけた
なつかしい香り
知っていると思う香り

イエローのエンゼルストランペットをみつけた
初め正体がわからなかった
こんなに香ると知らなかったから
それも白でなく

この巨大さを嫌っていたけれど
こんな香りなら欲しいかな


1910年02月25日(金)

ものぐさ人間です
でも律儀人間です

自分のことは後回しでも
ひとのことは自分のこと以上に丁寧にする

だからなお自分のことができない

でも自分のことを出来ていないと
あなたに言われる筋合いはない
貴方は何でもテキトーに済ませる主義なだけ
頼まれ事に手間をかけない主義なだけ
他人事にイイモノを残さないだけ


1910年02月24日(木)

腹立ちにまかせて自分を失ってはいけない
気をつけないと自分を失う
見失う のではなく 失う

どんな人になりたかったのか
今の自分は そうあるのか 
願ったことに近づいているのか

ふと自分を見えたとき
怒りは鎮められる
もうどうでもよいことに思える
些細なことだ
ひとのことなど
そんなことに怒ることもないのだと


1910年02月23日(水)

疲れて
昔の自分を振り返ってみて
自分の言葉に自分をみつける
真実の言葉に真実をみる
見失っていた自分を見つける
やっぱり言葉は宝だ
真実の言葉は真珠だ
天窓より放ったことば
涼しい夜に流れ込む
月の風は静か
星の瞬き
アラビアンジャスミンが香る


1910年02月22日(火)

青い花が一つ咲いた
やっとその時期になる
でも今年は澄んだ空の色に見えず
沈んだ気持ちのままの色
じっと潜んでいる


1910年02月21日(月)

自己保身で
取り繕う人間
隠し事する人間
誤魔化す人間
嘘をつく人間
欺く人間
アゲゾコ人間

そういうの一番嫌いなんで
援助する気はないよ

信頼関係を築けないんで


1910年02月20日(日)

最近 食パンをちぎってトーストするのにハマっている

いつもはサンドイッチ用耳つき10枚切りに
スライスチーズをのせて焼くのが好きなのだけれど

10枚切りは冷凍しても手でちぎれることを発見
6P形チーズをアルミホイルにおいてサルサソースをかけて
冷凍食パンはちぎって並べて
トーストする

ちぎったところが適度にカリカリ感が増して
それに適度に三角なので 
チーズやサルサをのせて食べやすい
けっこう楽しい

四角を焼いてちぎって食べるより
ちぎってから焼くと なぜか楽しい
お皿に一枚のったパンより
ちょっと盛り上げたいびつなパンたち
アバウトでアウトドアな感じ

こんなに感じが違うのが不思議です
平日と休日みたいな感じ


1910年02月19日(土)

梅雨の合間
あがった雨に大急ぎで出掛けようと外に出てすぐ
雲行きを仰いだ
重い雲が向こうに垂れ込めていたけれど
この辺は少し明るく短時間なら大丈夫かな
見上げてそう思ったとき
真上を鳥がゆっくり横切った
小さな鳥です
そんな高くない所 2階の窓くらい
翼を広げた形は エレガントな扇のようにきれいで
光を透いたように明るい白っぽいグレーに見えた
そして一枚ずつの羽根の形がはっきり見えた

羽ばたくというより
翼をひろげ ゆっくり滑空みたいに飛んでいった

えっ? スズメだよね?
スズメがあんなに綺麗な形に羽を広げたのを
ましてや真下から 見たことなかった

いろいろ調べたけれど
スズメが翼を広げた真下からの写真を探すことはできなかった

スズメは茶色 という思い込みだったけれど
下からの敵をかわすのは
空に同化する色の方がいいわけで
おなかだって白いわけだから
翼の内側も白いのだろうね

でもスズメ君 ほんとにきれいだったよ


1910年02月18日(金)

調べ事をしていて小さな記事に出合った
それはブログの一記事で
どんどん元をたどってゆくと
とある個人HPのコンテンツのひとつ
けっこう力あるサイトだった
興味深くいろいろ読んで
ふとプロフィールを開いたとき
あっ と思った

書きっぷりが貴方と似てる
ちょっと自分を大きく見せようとして

そんな書き方しなくても
内容自体で十分に力はわかるのに

興醒めで残念でした


1910年02月17日(木)

応援すると言ったのに
疲れて息切れしてしまった
ごめんね

でも応援しているから


1910年02月16日(水)

迷って
考えて
案を練って
策をひねって

止めよう と判断するのも

よい結論だと思う
それが今日の結果だ
明日また始めればよいことだ


1910年02月15日(火)

仕事は 趣味とは違う
自己満足ではなく
評価を得てこそ
成したといえる


1910年02月14日(月)

藤色の小さな花が
時を終えてはらはらとこぼれている
雨にうたれた地面に
紗の敷物をおいたように涼やか


1910年02月13日(日)

色分けてぎっしりと植え込まれた花壇が嫌いだった
それぞれの花の顔も見えず
その中の一つでしかない花をかわいそうと思っていた

でも考えてみれば
青一色のユニホームで踊るサポーターも
その集団意識の中で
それぞれに歓喜しているのだね

花もきっとそれぞれ懸命に咲き誇っているのだね
すまなかったね


1910年02月12日(土)

色んな言い方をしても
嘘も方便とか言っても
結局は 欺きだと思う

どんな場合も
真実から目をそらしてはいけないと思う
そこから始まるのだと思う
虚の上に次を積むことはできないと思う

進みたいなら真実を知るべきだし
欺きはそこにとどまらせるだけだ


1910年02月11日(金)

思春期に
違った自分を発見して
大いにはしゃぐけれど

大人になれば
小さな違和感を感じて
本来の自分に落ち着く

それが精神の安定だと思う

はしゃぎ続けるのは疲れると思うよ
キミはどうですか
本当の自分を隠してませんか
自分が隠そうとするから
自分が悲しいんだよ


1910年02月10日(木)

ナンプレは 
池のアヒルに 
池の鯉
三色だんごに
物々交換 
袋小路の行き止まり
ちいさな箱に答えあり


1910年02月09日(水)

ほらねやっぱりそうなんだ
きっとそうなると思ってた
もったいつけると思ってた
そうやって自分を上位に見せたい
どこか違うと思うけど
人が人を崇めるのはそういうことじゃない
頭が下がるのはもっと純粋なこと
真心にふれたときなんですけど
誠実という言葉を感じたときなんですけど


1910年02月08日(火)

大人が子どもを
幻滅させる 
落胆させる
がっかりさせる

国は大人の集合体
小さなひとたちが未来に夢をもてるのか

大人は子どもの眼を意識するべき
子どもの眼を感じない大人は
所詮 子どもだと思う


1910年02月07日(月)

うっかり見てイヤになった
懸命に生きている人を馬鹿にしている
と感じるくだらない番組だった
よその国に行ってまで
恥をさらしてこないでほしい
日本の国の人が皆こんなに能天気でジコチューと
思われたくないです

自分の世界にだけしか生きていないような人に
カッコつけた大きなコメントを求めるな
そういう人たちはスタジオに集めて
お涙頂戴のやらせのテープに泣かせておけばいい

何も勉強しないで行って
くだらない自己基準を押し付けるな
あなたは何の支えをしてあげたのか
どういう励ましをあげたのか
興味本位の物見遊山にするな

言葉が通じないとタカをくくって
本人には言えないということを
平然と本人の前で喋る人間にレポーターをさせるな
言葉は通じなくとも潜む感情は通じるということを
分からぬ俳優など 役者として最低だと思う
人間として思いやりのカケラもない非人情

世の中を自分の基準でしか判断できない人間に
真剣な人間のレポートをさせるな
くだらない失礼なコメントをさせるな
交通事故にあって母を失くした子猿たちです
まあかわいそう 程度をさせておけばいいんだ

と思ったけれど
過酷な環境に懸命に生きている子どもは
彼女たちよりずっと大人だ
何処の国にだってくだらないことしか言えない大人は
山ほどいるんだな 自分でしっかり生きて行くぞ 
と再認識させたかも知れない なら少しは救われる

でも単に不必要な迷いを与え 
今どうにもならない状況に耐えているのに
苦しみを増加させただけなら
本当に許されない行為だと思う
そこに終わらず行動を起こせよ貴方たち

オードリーやテツコさんの崇高さに継ぐものを
どうして作れないのだろう
所詮 視聴率稼ぎのスポンサー企画なんだろうな
何の進展もないのに最後だけいやに明るく〆て
余計虚しさを感じた
途中でもう止めた


1910年02月06日(日)

気になっても 
気にしないことだ

介入は
自己満足のお節介になるだけだ


1910年02月05日(土)

ひとの言う通りにばかりは
していられない

思い切ったよ
これから どんどん思い切ってゆく
今年はそういう年にする
がらりと変えてみようと思う
変わってみようと思う
拘りがなくなった
楽になった

髪を切った


1910年02月04日(金)

ひどく頭痛がするとき
朝シャンでなおる
ぬるま湯だけをかけ続ける
人の源は水だとわかる
水にpowerがある

修験者の滝修行って
案外気持ちいいのかも
陶酔と錯乱に入らぬように
唱え続けるのかも
そんな気がした
冷たさは苦行だろうけれど


1910年02月03日(木)

ねむ
ふと思い立つ ねむ
突然に思い起こす風
そこに見るのは ねむ
それは原点で
それは源流で
奥底に潜む涙
だから ねむ


1910年02月02日(水)

子どものとき大人だった
大人になって子どもになった
かなしいことだ

こどもはこどもで
おとなはおとな
そんな当たり前な暮らしが
幸せと平和の意味


1910年02月01日(火)

暮れぬ先の提灯  と 出た

なるほど そうかも




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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