消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1908年12月31日(木)

流れる霧は弦の調べ
曲がりくねる径をぬけ
霧の奥の古い館に
雲に見え隠れする月明かり
潮騒を聞く美しい部屋の窓に

Rの部屋に黒服の女
炎の窓に立つ


1908年12月30日(水)

もう少し静かに
語り合いませんか
まくしたてないで

人の声を聞かぬ選挙演説のようです


1908年12月29日(火)

筋金入りのからだがほしいな
筋金入りの精神でなくていい
からだが丈夫なのがいい

子供の頃 健康優良児という人たちがいた
表彰されたと思う
大人はどうなんだろう
きちんと健康な大人こそ
ずっと健康を維持してきた大人こそ
表彰されて良いくらいだ
本当にどこも悪くない人は
社会にものすごく貢献していると思う
些細なことで病院通いしている人たちの
医療費って 無意味に無駄遣い


1908年12月28日(月)

建物の陰にすっぽり入ってしまったその樹たちは
来年もしっかり花をつけることができるのだろうか
樹はたくましいのかもしれないけれど
一生日陰のままだ
熱いエネルギーを受けることなく
その環境に耐えてゆくしかない
細々と喘ぎながら

人間がしているのは
こういうことの繰り返し
自分の居場所を快適に確保するために
この星を忘れる


1908年12月27日(日)

スジガネヲ クダサイ
ワタシノ カラダニ
ソウシテ アナタト 
ハシッテユク

ウツクシイ ユウヒノバショデ
ワタシハ ココロノ 
ネジヲ ユルメル
マキスギタネジヲ 
コワサヌヨウ


1908年12月26日(土)

あたたかな春の陽
人通り無く
その和やかさをどこに集めているんだろう
部屋にいるにはあまりに惜しいのに


1908年12月25日(金)

それは何だったのか
ひとのからだは
不要なものなら受け入れないのか
不要なものは捨て去るのか
ひとにとって
必要なものを見極めるのか
知らぬところで不思議な流れ


1908年12月24日(木)

何かを学び始めるのはよいことだ
昔興味を持ったが学ばなかったこと
学びの途で止めたこと
修練を放棄したこと
また新たに歩みはじめればよい
ゆったりとしたこころとからだで
しかりと歩みを刻んで
この手に握りしめたいものがある


1908年12月23日(水)

誰もいない午後すこし寂しくて
どこかの工事の音もすでに鳴り止んで
鳴きながら飛ぶ鳥の羽ばたきを見つめる窓辺
犬のあたたかさは かわらない

からだの芯がはずれているような
微妙な浮遊感
重心をとらえきれないでいる


1908年12月22日(火)

自分のからだなのに
どこからの信号なのか
わからずにいる
不思議なことだ
それでも何かの信号だから
神経を尖らせて
それで病に陥るのだ
知らぬが仏で過ぎることもあろうに


1908年12月21日(月)

体に異常を感じるとき
未知の病を懸念して悪寒する
思い浮かぶのは
荷物の整理

生きても死んでもかまわない
あとには何も残したくない

親孝行も親不孝も
ありがとう さようなら
ただそれだけだ

死ぬことばかり過ぎって
長く苦しい闘病という言葉を
ころりと忘れている


1908年12月20日(日)

あなたは面倒がるけれど
わたしは気になることは
ひとつずつ潰してゆく
それで気持ちが青空になる


1908年12月19日(土)

記すことは
決別だ
想いを開いて 
そこにとどめる


1908年12月18日(金)

そんなこと
ゲームにすぎない
もういい加減に
終わりにすれば?
ゲーム・オーバー 
ゲーム・セットに


1908年12月17日(木)

猫が二匹 道を横切って
空き地に忍び込んだ
あたたかな宵だ
どこかで菜の花が
ふくふくと笑っていそうな

ひとは春を
待ち遠しく待つ

梅も桃も菜の花も
ひとつひとつ愉しんで


1908年12月16日(水)

パステルなラナンキュラスが並んでいた
微妙な色合い 薔薇とは違う
羽二重とか そういう言葉を思い浮かべる

買おうと思って眺めていたら
思い出したくない人物とつながってやめた
卒業しないと花も買えない


1908年12月15日(火)

難しいらしい
でも そんな記憶がない

たぶん真実を知らない
たぶんイメージの一人歩き
漠然としたダイジェストだったり
おおまかな絵本だったり
本当に細部の真実を知らない

青い鳥を読み直そうと思う
きちんと翻訳されたもので


1908年12月14日(月)

湯もみという作業がある
草津温泉をよく聞く
湯もみ唄にあわせて
けっこう大変そうだ
湯気は熱いだろうし
力仕事みたい

TVで見ていて思った
もし私がウツになったら
これで治療できるかも

第一に水(湯)が好きだ
カタチのない水に触れていると
何かが自分から流れ出てゆく気がする
唄にあわせる リズムをとる
自分だって唄えばいいし
身体を動かすのが素晴らしい
単調な繰り返しは没頭してゆく
力がいるし暑いから汗も流れる
そして ひとのために役立つ

お湯に入る客ではなく
湯もみ体験でなく
こころのリハビリとして
湯もみってよいかもと思う


1908年12月13日(日)

訪れた貴女は
少女時代のわたしたち

あなたに見せるつもりだったものを
戸棚から出してきて
何か話をしようとしたのに
そこで目が覚めた

何を出してきたのか
何を話すつもりだったのか
思い出せないままいる


1908年12月12日(土)

メジロがあっという間に
黄実の千両を平らげてしまった
小さな体に大きな口をあけていた
つつくというのでなく
ぱくぱくと飲み込んだ


1908年12月11日(金)

冬うらら
庭木の手入れ
外の仕事をたっぷりしたのは久しぶり

汗ばむほどに風は無く
かいがいしく働いて
体がなまっているような
少し嬉しいような

一日ずっと蝋梅の香りの中にいた


1908年12月10日(木)

童謡の赤い靴のモデルになった女の子の像に
赤いマフラーがかけられている写真
その像が建ってから足元に置かれたお金
初め18円 次々に置かれて募金にされて寄付されて
去年で一千万円を越えたという新聞記事(17年間くらいで)

読んだ瞬間に涙が出た
そういう寄付金ってあるんだね
イベントやチャリティーしてかき集めるのでなく
人々の小さな善意のあつまり
哀しそうに遠くを見ている女の子に


1908年12月09日(水)

予定の買い物はなく
時間がゆったりしていた
前から気になってたほのかな食器を見た
手ひねりの器
手描きのクラフト
釉薬で鈍く光る四つ葉がどれも違って
気に入ったのをふた組
時間をかけて選んだ


1908年12月08日(火)

空は朝から重くて
雪が降りました
やっぱり2月です
寒いです凍えます
あたたかな部屋から出たくありません
春なんてまだ遠いんだ
休みに水仙か梅を見に行きたかったけれど
寒すぎるね
月は冴え冴えしています
満月です


1908年12月07日(月)

差別的な言葉を含むということで
サカナの呼び方(和名)を変えるという記事

差別的ってナンデショウ
具体的に身体的なことを指して
蔑称として使われたりしている言葉を
今もサカナの名前の一部についているかららしい
それはわかるんだけれど

バカナントカというさかながあったけど
馬鹿って言葉 差別的な言葉だとは
あまり感じてなかった
悪く使う時には
相手をけなしたりはするだろうけれど
差別というより侮蔑用語というか
口げんか用語みたいに思ってた

何馬鹿っていうのもよく使われてる(釣りバカとか)
何オタクっていう意味合いか
何キチガイっていう意味合いか
どれも やっぱりいけないのか
秀でてる意味合いも含むのだろうけれど
なら逆に 何オンチもダメなんだろうね

なんと言えばいいのだ
愚かな行いをバカモノと叱ってはいけないのか
それはいいはずだ と思うけど
馬鹿じゃないのにバカと呼ばれるサカナが
カワイソー ってことか
やっぱりバカという言葉が
馬にも鹿にも悪いってことか

ナンカ 気にしすぎと思う
馬鹿という言葉自体は悪いことはないと思うのだけれど

それなら「いじめ」あらため「いじわる」としてほしい
「いじめ」って言葉は他人事すぎる
言ってる人の意思や判断が入らない
「意地悪」にすれば 社会一般の良心を
含めて伝えられるはず 意識できるはず
いじめがありました でなくて 
意地悪がありました
いじめをした人 というのでなく
意地悪をしている人 という方が
悪い と はっきり伝えられる


1908年12月06日(日)

手仕事を4つ終えて
晴れやかな気持ち
エプロンを買うのは楽しい
羊毛手芸というのに興味アリ
実物を見てみたい
ハマルかもしれない


1908年12月05日(土)

かわいい割ぽう着やエプロンを
数枚買った 春もの

どれもシンプルで機能的なデザイン
さりげなく布やディテールに凝ってる
小さくてかわいいモチーフ使い
値段は高くない

セーターやTシャツの上に着る
気分がハイになる
動くって楽しい そう思える
汚れる仕事のときは着ません
別のを着る


1908年12月04日(金)

ゴーカにまみれるのでなく
ユーガをもとめるのでなく
品格のある暮らし
品位を保つ暮らし
それは姿勢のある暮らし
気配の美しい暮らし


1908年12月03日(木)

私が今挑戦すべきは何だろう
したいことできることの範疇のチャレンジでなく

人は何かに挑み続けるべき と思う


1908年12月02日(水)

冷え込んできましたね
二月ですものね
明るくて新しくてきらきらしている
・・・ なんか デジャビュな

一月からそのまま直ぐに三月だと
三月の三月らしさを忘れる
二月って三月の前にあって
素晴らしく透明だと思う
三月は二月のあとでうれしい
あともう少しで三月だバンザイ


1908年12月01日(火)

寒がりなものだから
早くからコートだの着始める
いつまでも着ている

でも今年はなぜかあまりに明るくて
春の足音がはやい
少し気取って先取りしてみようかと思う

春の服を着るのは
少しくらい寒くても楽しいはず




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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