消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1907年07月31日(水)

ぎゅっと握りしめるということがなくなった
それはきっと
しょっちゅう掌にのせて眺めているから
時間というものを妙に短く感じ始めたから

昔は 時間は永遠と思っていた
今は 明日を失っても平気かもしれない


1907年07月30日(火)

どこかで別れはあるでしょう
ずっと続くなんて ありえない
いつか消滅がある
自然か故意か
どちらからか

それだって 後になれば
大したことではないかもしれない


1907年07月29日(月)

カタコトと小さな音で
細々と始まった工事
大きな雨の合間に準備している
健やかな家が建つといいですね
晴れて明るい空にできあがるといいですね
元気な庭を造ってください
通りから花が見えますように


1907年07月28日(日)

あなたを気にはしているけれど
それはあなたを理解できないから

ほんとうはなじめない

だから私を無視して


1907年07月27日(土)

窓から眺める灰色の景色は
ときおり疑念というものをくれる
漠然とした真実を求め 
そんなもの無理と知っていて
そこに引っ掛かったまま
流れの中で動けないようなカンカクで
景色の中に君をさがしている


1907年07月26日(金)

この気持ちだけは
どこにも濁りがないまま持っている
だから誰にも邪魔されたくない
悪いけれどあなたにも


1907年07月25日(木)

いったい雲はどれだけの水を含むのだ
街ごと水柱に入ったかのように

AIRの中で生きるものの存在など
神に忘れられて 流されて

ノアのように待つだけ


1907年07月24日(水)

忘れ去ることなどできない
ひたすら秘めて墓場まで持ってゆく
わたしの罪だ
皆の大切なもの それぞれの想いを
自分勝手な一存で捨ててしまった

その時は罪の意識に欠けていた
配慮が足りなかった
誤魔化してしまった
馬鹿だった
でも大人になって気づいた
とんでもないことをしたのだと

皆には会うことはないだろう
あの世で探し当てたら
ひとりひとりに謝ります

ごめんなさい ほんとうに
謝っても償えない
いつもどうすることが償いになるか
ずっと考えている
きっと死ぬまで

悔い恥じ こころで謝りつづけるだけ


あの時 ただ一切を断ち切りたくて
そして捨ててしまった
人知れず灰になったと思う

誰にも何も残らなかった
あとのことなど頭になかった
今ならとても大切なものとわかるのに
大切に丁寧に皆のこころへ残すことができるのに

今ふと想う
あの少年もそうだったのかな と
捨てるということができなくて
すべて燃やして断ち切りたかったのかもしれない
ただ考えが及ばなかったのだ
わたしだって同じようなものだ


1907年07月23日(火)

ヒガイ ってなに?
良識ある人と認識されておれば 被らずにすむこともある
至らずにすむこともある
自ら防ぐ意識がなければ 防げぬこともある

年齢を偽り飲酒してご馳走になるだろうか
誘拐されたわけでなく どこまでついてゆくのだ
どこまで君の意思なのだ 
何を錯覚しているのだ

ねぇ君 自分の年齢を 自覚したまえ
良識を持てるはずだ

愚かな人間に誤解されぬよう


きつくて ごめん
でも 腹がたつんです
どうしてそんなことになるのか
自分を守るのは自分なんだよ


1907年07月22日(月)

苦しみに共感することは
自分の不幸への免疫力になります


新聞で見た 高齢の医師の言葉でした

そうなんです
言葉にできないけれど ずっとそう感じてた

世の中の多くの心の病も犯罪も
その不足からだと感じてた

不足する前に その力を育み高めるのは
小さな人たちへの大人の責任だと思う
その前に大人自身が 己にすべきこと

でも共感できるこころ状態をつくること が
大事で難しいのだと思う

子どものとき 哀しいおはなしを読んで
いっぱい泣いた そして今でも泣ける
ひとのために泣けることは捨てたものじゃない
そう思う
すぐ泣くからとて弱虫ではなく
耐える力はあるんだよ

涙もろい私より
壁をたてたようにクールな君を心配する


1907年07月21日(日)

嵐の夜

だれの声もなく ひとり思うだけ

激しい雨音が通り過ぎてゆくだけ


1907年07月20日(土)

旅の記憶を箱に閉じてはいけない
ていねいに壁にかけるのだ
そうだったね
わかっているけれど
ずいぶん昔のこと


1907年07月19日(金)

大きく開いたみどりの掌の
長い指がもげてしまった
嵐のせい? 虫?病気?
それとも自ら何かを護って?
あるいは私に落とされた 天の戒め?


1907年07月18日(木)

ことばは

野に放て 風に放て 水の流れに放てよ

自由かつ平易にあれ

金飾りの額に収めるな


1907年07月17日(水)

あじさいを 
香りのないことを讃えた文があった
雨の匂いを乱さない 
周りの調和を乱さない と

わたしは ずっと
香りの無い花はつまらないと思っていた
たとえ微かにでも何処からか漂う香りがすきだった
嫌いな香りもあるけれど


そういう花の在り方もあるのかな

ひとの在り方を考える


1907年07月16日(火)

疲れても取り敢えずすることがある
水に触れるしごとが好き
ジョウロで水をやること
ホースで水をまくこと
風呂のそうじ
皿や鍋を洗うこと 
テーブルやガス台をふくこと
ふきんをすすぐこと
何でも好き
手に触れる水から
命の力が流れ込んでくる気がする
するすると疲れがとれて
気分が軽くなってくる感じ
いつまでも
水遊びのように水にふれている


1907年07月15日(月)

陰ながらわたしにできることで
応援しておきました
うまくいけばよいなとおもいます
貴方の夢がひろがりますように
世に認められますように


1907年07月14日(日)

ホントウハ ヒトノ ハナシヲ
ヨク キカネバナラヌノニ
キケバ リカイガ アルノニ

ヨイココロノ ヒトハ 
キット ヨイミミヲ モツノダロウ

ミミヲ フサイデイル ワタシハ
バカモノ


1907年07月13日(土)

テンションの合わない会食だった
何を食べたのかわからない
味もわからない
天ぷらだけで もうお腹一杯
他のものを覚えていない
お酒も飲まなかった
誰が何を話すのも聞いてなかった
窮屈な時間だった

涼しい高原のソフトクリームを食べたい
風にゆれる花を見ながら
遠くの牛を見ながら
青空の果てを確かめながら
おしゃべりしながら

涼しいところへ行きたい
もう少しの辛抱かな


1907年07月12日(金)

少しずつ蝉が鳴き出した

犬と散歩しているおばさんが 
今日暑かったですね 
蝉が鳴いてましたね
暑くなり出すと蝉が出てきますね と言ってた

この前 一匹だけ鳴いていた蝉は
誰とも出会わずに一生を終わったんだね
一人ぼっちのまま


1907年07月11日(木)

いろんな場所に新築工事が始まっている
世代交替なんでしょうか
まだまだJAPANはユウフクだ
それともこれから先 云十年
お金に縛られて生きるのか
しあわせって なんなのか

四季のある国だから
あの窓からきっといい景色が見えるでしょうね
折々の風が入るでしょうね


1907年07月10日(水)

暑さの中で 
聞こえてくる甲高い声が薄らいだ気がする
幼稚園は夏休みになってるのか 短縮ってあるのか
それとも冷房の効いたお部屋遊びなのか
子どもたちのわぁわぁした声は夏のパワーと感じるのに
通りはなんか大人の夏になっている
梅雨のさなかのプール遊びは はじけてたのに


1907年07月09日(火)

小さい人たちだって たいへんだ
この頃そう思う

辛い大人は 愉しかった子ども時代を抱きしめる
子どもは屈託無く笑顔のものだと思っているから
でもそれは大人の思い込みかもしれない

子どもはしかめっ面であたり前
大人より できないことが多すぎる
好奇心で動いても失敗ばかり
毎日たくさんの困ることに出会う
不安がいっぱい心配がいっぱい
イライラもする不機嫌にだってなる
ぶつけたい気持ちをいっぱい抱えている
笑顔でずっといられるはずがない



奈良美智の絵を知った頃
自分は子どもではなく大人でもなくて
すんなりと受け取れなかった
その絵をかわいいと思えなかった
かける言葉がみつからなかった

今はその絵のまなざしを受け止めることができる
愛しさをもつ
その子の傍に腰掛けて ぽそぽそと何か言葉をかわせると思う
そのまなざしはわたしの中にもあったことに気づいたから


1907年07月08日(月)

小さなみどりの指が樹木にはじけた
ありったけの力をこめて起きようとして
樹の中で爆発した

逆周りする時計の針のように
其処だけ異なる時が刻まれてゆく

目覚めれば故郷を思い出すだろうか
高い梢を覚えているだろうか


1907年07月07日(日)

Yes でもなく No でもなく
○でも ×でもない

△というものが 世の中にはいっぱいあることを
だから 人は しあわせに生きてゆけることを

ほんとうは学校で学べるはず


1907年07月06日(土)

この静かな眩(まばゆ)さこそ 月の証し
望月は 太陽とは違う

ひとそれぞれに
キミの生き方も輝き方も

おめでとう


1907年07月05日(金)

灯りを消しても部屋が明るい
窓辺に立つと床にわたしの影がのびるほど

薄雲の中におぼろなのに
(まばゆ)く煌々と明るい

迎えの使者とともに天に昇る姫を
月に帰るまで見守れるほど

竹の中から光り輝くかぐや姫の眩さ
ああこれだとわかった


1907年07月04日(木)

そのシャンプーは
クリームソーダ の香りがした

というより
クリームソーダあじ の香りだった

ソーダフロート の感じではなく


1907年07月03日(水)

ばったりと 
なつかしい笑顔にあった

なつかしい人に会ったあとは
気持ちがほころんで
やさしい気持ちになる


1907年07月02日(火)

蘇る という言葉をふと思い出した
それこそ その言葉自体が蘇ったようなカンカクで

力が蘇る 命が蘇る 想い出が蘇る 記憶が蘇る
色がよみがえる やわらかさが蘇る

いろいろ考えていた
いい言葉だ
鮮やかさとスピード感がいい
辛い記憶だけは嫌だけれど

ヨミガエル の英語は何だろうと辞書を見た
場面ごとにいろんな熟語がある
ひとつひとつ丁寧に言葉を使い分けるというのか
具体的でないと通じないというのか

言葉のもつ意味の広さは 
使う側に依るということか

一文字で多くを含み抱え広がりをもつ漢字は
奥深いものだと思った
重宝さと曖昧さは裏表であるけれど
ときに誤解も生まれるはするけれど

何もない空間に何かをみる感性と
無いものは無い 在るものを見る とみる感性は
合わさることは難しいと思う

国と国の付き合いは国民性のぶつかり合い
使い続ける言葉の違いは大きいと思う
一つの言語が世界中を巻き込んでゆくのが怖い


1907年07月01日(月)

明日もたぶん雨なのでしょうね
天のおはなしも
笹のかざりも
ずいぶん遠くなりました

涼しげなデザートを
楽しむだけです

どこでも星は見えるのに
この日だけは
どこかいい場所で見たいと想う




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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