消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1902年05月31日(土)

カタツムリってどこにいるのでしょうね
最近見たことありません
アジサイもヤツデもあります
ウツギの洞も落ち葉のふかふかも
苔もある トカゲもいる
腐葉土からキノコも生えた
なのにどうしてでしょうね
昔は見た気がします
小さな生き物がこっそり動いているのが
好きなんですけどね
花だけきれいなのって 楽しくないです
小鳥がくれたひまわりが眩しすぎるのかも


1902年05月30日(金)

盆栽や樹を育てる人とちがって
花に恋する人たちはみな
花に対してワガママで移り気だと思うのです
環境云々いいながら
あっという間に植え替えちゃったり引っこ抜いてしまったり
すべて自分の都合です それで大満足
きっと花の気持ちは知らない
美しい花園ほど足がすくんでしまうのはなぜ
野原で踊りたいのに


1902年05月29日(木)

歩くことが人の気持ちを晴れさせる
じっと椅子にいないで足を動かせば
なぜか 新しい閃きがある
脳のどこかが開く
やっぱり酸素は必要だ
立って歩いて風をおこして
新しい空気を取り入れよ


1902年05月28日(水)

自分の気持ちを偽って無理をし続ける事が
体の不調をきたすのだと漸く分かってきたから
無口になりました
たくさん話そうとしていたけれど
誰のためにかわからなくなったので
やめました
静かなのが一番落ち着く環境かもしれないから


1902年05月27日(火)

流れるように生けられた利久草の
蔓先がUターンして上を向く
花も皆上を向き 
全てが光を指して伸びている
光が透けるような明るい緑
思いのほか硬い茎


1902年05月26日(月)

健やかである歓びは
充ちてくる力である
からだが働く歓びである

病めるものは癒せよ
健やかなるものは働けよ


1902年05月25日(日)

色々を手に入れようとして
色々を同時にしようとして
一斉に仕上げようとして
失敗したのだと思う
一つ一つ丁寧に向き合えばよかったのだ


1902年05月24日(土)

色々のものが視界から消えてゆくけれど
山のアジサイを見つけました
淡い色で目立たないようで
しっかり印象を残している
ささやかな健やかさ
清々しい姿です
雨の後は優しい風情でひっそりとしています
騒がしくしたりしない
遠くまで香りを放つものではないけれど
視界が開けたと感じる明るいものをくれる
ここまで来てよかったなと思えるものを


1902年05月23日(金)

痛みがとれるということ
自分ではどうすることもできない痛みから
解放されるということ
自ずと何かに感謝している
怠惰であった自分を悔いている
出来るということは喜びに満ちている
したいことがいっぱい 
すべきことがいっぱい
今ならなんと多くのことをできそうか
気持ちを区切るための作業をいくらでも
命の限り し続けられる気がする
いつ途切れてもよいように
残りの全て預けられるように


1902年05月22日(木)

風がわたり 空が開けてゆく
ほどなく初夏の午後になるのだろう
雲が流されてゆく

アイスティーがいいですか
アイスクリームにしますか

ゆっくりと胸のつかえを解かすものを
口に含んで時を過ごすのがいい


1902年05月21日(水)

最近 植物が一番偉いのかもしれないと思ったりする
千年も生きているものがざらにあるのだから
人はもっと植物から学ぶものがあるんじゃないだろうか
黙っているだけで辛抱強い植物たちが
私たちを笑っているかもしれないし
嘆いているかもしれない
地球をどんどん破壊しているのだから

月だ 火星だ って お笑いだと思う
いくつつぶせば気がすむのだろうね

大樹に耳を寄せるネイチャー運動を前に見たけれど
抱きかかえて耳を当てると本当に聞こえるらしい
一体となった気がするらしい
周りにぐるぐる風を感じて


1902年05月20日(火)

たわわに実る熟した果実を
木から自由にもいで食べて育った子どもは
きっと素晴らしい大人になると 私は思っている

熟した果実は多くのことを教えるだろう
味わいは人生の支えになるだろう


1902年05月19日(月)

同じ事を繰り返す
どうしてだか
もう終わったと思っているのに
また戻ってしまう
置き忘れた何かを取りに戻るような
でも手にとったものは
自分の探し物ではなかったと気づくような
探しても見つからないものを探しているのだろうか
もうとうに消滅してしまったものだろうか

とめどなく人が行き来しざわめきのある町
そこに変わらぬものを求めているのだろうか

窓からは 何も変わらない風景が見える


1902年05月18日(日)

花屋に並ぶパフみたいなあでやかな紫陽花たち
そうじゃなくて
山に生えてるような
ちょっと入った所にありそうな
はっとするような
静かな紫陽花 欲しいです

庭の隅でひっそり健やかに雨を喜んでいるような
そんな肩の細いのがいい
日本手ぬぐいのような って 変な発想だけれど


1902年05月17日(土)

誰かから教わろうとばかりして
誰かの書いた文章が好きで
でもクリスチャンとわかったら
なぜか私は白んでしまう
どうだっていいのに

私はあなたの言葉を聞きたかったの
あなたが教えてくれる神様の言葉じゃなく

私は神というもの信じている
でも宗教の神や特定の人や星空の神じゃなくて
その上のもっと大きなものの存在を思っている
といって 信じるのはヤオヨロズかもしれないのだけれど


1902年05月16日(金)

どこに梯をかけたらよいのか迷い続け
あちらに架け こちらに架け

探しているのは 何?

揺れない木?
見晴らしのよい木?
風通しのよい木?
香りのよい花の木?
瑞々しい果実の木?

壁に暫く持たせたまま
仕舞うことなく宙ぶらりんなツール


1902年05月15日(木)

背中を痛めています 息が出来ません
思う瞬間に思うことをできないと
だんだん消極的になる
何も出来ない日
何もしなくていい日
何もしたくない日

そう思うと
ふいに向こうの通りの子どもの声が聞こえたりする
外は元気な音に満ちているんだね


1902年05月14日(水)

激しい雨のあと 
大揺れに揺れた花が茎ごと倒れている
庭の花なら助けてもらうのでしょうね
遊歩道の斜面の草たちはねているまま
きっと土が乾いて体がしゃんとしてきたら
身の振り方をそれぞれに考えるのでしょうね
起き上がろうか そのまま咲こうか


1902年05月13日(火)

片時も離さなかったものって ありますか
小さいときならタオルのはしっこ
ぬいぐるみの犬
でも大きくなって いつかは放す
ふいに置かれたままになる
それが普通なんだと思う

大人はどうなんでしょうね
放さないものが多すぎるのでは
不意にくるその時を 拒絶しているのかもしれません
それは罪でも何でもないことなのに


1902年05月12日(月)

風が訪れる
家々の窓をすり抜け
屋根を吹き上がってくる

ね、何処を通ってきたのか教えて
何を見て何を聞いてきたのか

私はここを動かない
窓を開いて待つだけで
新しい風を招き入れるだけで

遠くの屋根のまだもっと向こうの梢を見ている
少し揺れているね
今日の風は何かを払う風
雲が流されている


1902年05月11日(日)

好きな花は?と聞かれて
すらっと言う男の人って素敵だと思う
私はたぶんそれで信頼してしまう
たいてい あまり詳しくないから とか応える
或いは 言わないのはまずいか と思って
小学生の理科の本みたいな名前を出す
何となくつまらない人だなと思う
薀蓄を語られるのも困るけれど

綺麗だなと思って花を眺めたことないのかな
それは道端にあって誰も名前を知らなかったから?
花屋の店先で聞くのに気が引けたから?
だから今まで名前を知らない?

心に留まったものをそのままにしておけるのが
私には不思議です
自分の心にぴんときたものを 特別扱いしないまま
過ごしてゆけるのが不思議です
きれいだなあと心和むのは同じだと思っているから

それともやっぱり花に目が向かないのかな


1902年05月10日(土)

いろんなCMにアジア系の人たちが出ていて
本当にしなやかで綺麗な動きだと思う

しなやかさ 大事だと思う
心にも思考にも行動にも

しなやかさがあれば 
大事に至る前に解決できること
たくさんあると思う

しなやかさを身に付けたいと願っています
エレガンスにも通じます


1902年05月09日(金)

効率を求め続けて止まない国
もちろん世界中がその恩恵も受けている
でも効率だけを最重視して突き進み続けて来た国は
何かを失っている

手っ取り早く善悪を決めて決着をつけようなんて
神でさえしないのに

その国の 心ある人たちの心はどこへ行ったのでしょうね
古きよき時代 なんて自分達で懐かしんで
捨てているのは自分達

正義といって息子たちに人殺しをさせに行かせる
人を殺すことが平気な人が大勢いる国なんて

相手の「正義」で 息子たちも裁かれるでしょう
親は息子の死など見たくないのに

あぁ でも昔この国にもありましたね
無念の親の仇を討つというの
スケダチイタス という人も傍らにいて
母と幼い子が剣をもって

でも それは 白い装束だったと思います


1902年05月08日(木)

レモンの花の香りが好きです

レモンのふるさとはインド、ヒマラヤって
えっ ??
知りませんでした
そう聞くと レモンの雫も香気も
とても神聖な高貴な輝きを放っているように見えます

シチリアやカリフォルニアの
陽気な太陽の光ばかり思っていました


1902年05月07日(水)

開けねば見えぬ天窓を
開いて入れる雨の匂い
どこも煙ってはっきりしない
ただ新しい空気は確実に
わたしの部屋をかけめぐる


1902年05月06日(火)

私を誰かと人違いしたらしい人に
親しげに話しかけられて少し戸惑う
??
多分その人のこと私は知らないと思う
よくわからないうちに別れた

でも考えてみれば
私が知らないだけかも
忘れ去ってしまっているのかも

急に不安が押し寄せ自信をゆるがす


1902年05月05日(月)

私がふわふわしているといって責めないで
私の天分なのだもの 私は型にはめられない
自由にさせてくれる人のもとで本領を発揮する
型の中で安心しているタイプではない
いつもどこかからすり抜けようとする
漂って立ち昇る 流れてふくらむ
香りも色もとけこんで 違う形になる
どうなるかわからない紫陽花の色
あなた次第


1902年05月04日(日)

青ばと豆腐 というのを食べてみたい
テレビで見ました
こういう番組は好きなのです
福島のお豆腐屋さんです

青ばと という名前にすごく惹かれた
なんて綺麗な名前なんでしょうね
青い枝豆をそう呼んでいた土地の
昔のひとの優しさを思います
優しい色できっと優しい味でしょうね
通販もしているのですね
でも旅して味わいたいです
湧き出る水を見て空気を吸って 一匙ずつ


1902年05月03日(土)

拠り所のないのは少し悲しい
何かに少しだけつかまって
どこかに少し繋がって
ちょっとだけ支えをほしい
ほんの少しの間でいい
こころを旅させたい


1902年05月02日(金)

日暮が近づいてやっと心が動き出す日
一日薄暗い日は耐えられない
窓辺にいて激しい雨音もなく光も差さない日は
時計が進んでいくだけの 無いに等しいような時間
そうやって人生の幾日も幾月も無駄にしたばか者


1902年05月01日(木)

天気に支配される脳ミソなんて
聡明じゃないね

聡明な女性 という言葉に憧れがある
エレガンスを感じるから

エレガンスを感じさせない人は
そう見えても本当の聡明ではないと思っている

それは立居振舞というより寧ろ心の有りよう 
自分への他者への世の中への 
少し離れた寛大さかもしれない  と思うこの頃




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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