2008年06月17日(火)  マタニティオレンジ301 苦心作のアルバムが届いて、「おひまい」

Macで苦労して作った「たまアルバム」が届く。表紙は一歳のバースデーケーキ。早速、「これ、なあに?」と興味津々のたま。「これはね、たまのお誕生日の絵本だよ」とページを開いて読み聞かせると、生まれたばかりの自分が体重計に乗せられている写真を指差し、「あま!」(たま)と興奮。ちゃんと自分だとわかっている。1/12才の誕生日。たまは小さかったね。2/12才の誕生日。たまはケーキの前ですやすや寝てたね……。途中までふむふむと見ていたたまは、半分ほどまで来たところで、「おひまい」(おしまい)とアルバムを閉じてしまった。わたしがつい見入ってしまって読み聞かせがお留守になり、つまらなくなったらしい。「たま、これからがいいとこなんだけど」「おひまい」。親の心、子知らず。

2005年06月17日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ地網走は歓迎ムード
2000年06月17日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月16日(月)  「SKIPシティ Dシネマ映画祭」で審査員やります

はじめて映画祭の審査員を務めることになった。『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんから「今井さんも一度会っているトヤマさんって男の人から連絡が行くから」と電話があり、トヤマさんからの電話で「知人がスタッフをやっている映画祭の審査員をお願いしたいとのことで、連絡先を伝えていいですか」と言われ、事務局の木村さんという女性にたどり着いて正式な依頼となった。木村さんとわたしが同い年であることが、二人とも生年月日を携帯メールアドレスにしていることから発覚。わたし以外に生年まで入れている人に初めて会った。同世代の親しみも加わり、初対面から話は弾んで、よろこんで受けさせていただいた。

映画祭の名はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭(7/19〜27)。不勉強で知らなかったのだが、SKIPシティとは埼玉県川口市の広大な土地を舞台に、埼玉県が中心になって進められている「中小企業の振興と次世代映像産業の導入・集積並びに国際競争力を備えた人材育成」の一大プロジェクト。映画祭もその一環として開催されているそう。

先週11日に都内で記者発表があり、わたしを含め長編コンペティション部門の5人の国際審査員が発表された。審査委員長はオーストリアのプロデューサー、審査委員は韓国の監督、アルゼンチンの撮影監督、日本のプロデューサー(甘本ノリオ氏)、日本の脚本家(わたし)という構成。長編国際コンペティション部門はグランプリの賞金が1000万円! 「長編映画制作3本以下 70分以上のデジタル作品」の募集に、今年は75以上の国と地域から693本の応募があり、12本のノミネート作品に絞られたという。一週間で12本の長編を見て審査をする、ずいぶんハードなスケジュールになりそうだけど、はじめての経験、どんな出会いが待ち受けているか楽しみ。会期中は足しげく埼玉に通うことになると思うので、映画祭を見に来る皆さん、見かけたら声をかけてくださいね。

2007年06月16日(土)  お宅の近くまでうかがいますの法則
2005年06月16日(木)  Hidden Detailのチョコ名刺
2002年06月16日(日)  一人暮らしをしていた町・鷺沼
2000年06月16日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月15日(日)  マタニティオレンジ300 3か月でこんなに変わる 

小石川植物園で保育園のクラス会。3月下旬に同じ場所で開いたのだけど、たった3か月でずいぶん変わるなあと驚いた。親べったり率がぐんと減って、子ども同士で走り回ったりボール遊びやしゃぼん玉遊びをしたり。転がっているボールを以前は独り占めしておしまいdったのが、誰かに投げたり転がしたりするようになっている。しゃぼん玉は一才児だけではうまく飛ばせないのだけど、お兄ちゃんお姉ちゃんに手伝ってもらってフーッと吹いている。きらきらのしゃぼん玉は、植物園の緑によく映えて、子どもも大人も見とれてしまう。「一緒にやる」ということを覚えてきたんだなあ。好奇心が旺盛で、人がやっていることを真似したい時期だから、輪の中に入っていこうとするのかもしれない。

人の真似といえば、ピクニックシートのまわりに脱ぎ置かれたパパやママの靴を履こうとする子が続出。ママのスニーカーよりパパの革靴が人気。アンディ・ウォーホルの絵にあるような格好で、足を引きずりながら歩くさまがおかしかった。

それにしても、子どもたちの身につけているものといい、持ち物といい、おもちゃといい、アンパンマンつき率の高いこと! これだけ子どもの心をとらえる秘密は何なのだろう。家では教えていないのに、たまもやっぱり「アンマン」が大好き。

2007年06月15日(金)  マタニティオレンジ131 映画『それでも生きる子どもたちへ』を観て
2005年06月15日(水)  『秘すれば花』『ストーリーテラーズ』
2002年06月15日(土)  『アクアリウムの夜』収録
2000年06月15日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月14日(土)  高校生だった三人が母になって

関西空港から東京へ帰る前に、高校時代の友人テルちゃんの家を訪ねる。わたしが留学して一年留年した後の学年の同級生で、同じクラスになったことはなかったけれど、体操部で一緒だった。『アテンションプリーズ スペシャル』放送の案内をメールしたとき、「今度大阪帰ってくるとき教えてね」と返信があり、「じゃあ6月に帰るから、そのときに会おう」となったのだった。体育祭の応援団で意気投合したユミちゃんにも声をかけ、5年前の高校卒業15周年の学年同窓会ぶりの再会となった。

テルちゃん、ユミちゃん、わたしを結びつけたのは、「おいしいもの好き」という共通点。応援団関係で仲良くなった食いしんぼの男の子四人を合わせた男女七人で、「グルメの会」というそのものずばりなネーミングの食べ歩き仲間を結成して、地元堺やちょっと足を伸ばしてミナミ(難波)のおいしいものを食べ歩いた。男の子も含めて全員が1リットルパフェを平らげられるほどの甘いもの好きでもあった。和菓子処の『かん袋』でしか食べられない「くるみ餅」のかき氷を食べに自転車を走らせたり、今はなくなってしまったレストラン『菊一堂』のコース料理を学校帰りに制服姿で食べたり、一年の半分ほどをイタリア旅行に費やす夫妻の手づくりピザの店を訪ねたり、『自由軒』のカレーの後に法善寺横町の『夫婦善哉』という「織田作之助」コースを楽しんだり。お小遣いの少ない高校生にしては、贅沢なことをしていた。7人のうち誰が抜けたのだったか、2チームに分かれて高校生クイズの予選に挑戦して、第一問で敗れたのもいい思い出。夏の暑い日に文化祭の演劇で使った衣装で仮装し、わたしは紫のロングドレスを着ていた。ユミちゃんとは3年のときに同じクラスになったのだけど、クラスでの出来事よりも、どこで何を食べたということばかり思い出してしまう。食べ物の記憶って、強い。

5年前の同窓会の前に3人が集まったのはユミちゃんの結婚式で、わたしは『ぱこだて人』の脚本の授賞式を終えて函館の映画祭から向かった。99年のことだから、9年前になる。同窓会は人がいっぱいだったし、結婚式は主役を独り占めできなかったし、3人でじっくりと話すのは、思い出せないぐらい久しぶりのことなのだった。5年会わないうちに、テルちゃんは二児の母になり、ユミちゃんとわたしも一児の母になり、第二世代の4人の娘が加わっての3人娘ミニ同窓会となった。3人集まると気分は高校生の頃に戻ってしまうのだけど、目の前には子どもたちがいて、なんだか不思議。思い出話と子育て話が混じり合い、ブランクはあっという間に埋まって、先週も会ってたような気持ちになる。

3人ともあいかわらずおいしいものが好きで、甘いものも大好きで、食べるとますますおしゃべりになるところも変わってない。テルちゃんのいとこがやっているという近所のパン屋さんのフィナンシェを夢中で頬張り、「このお店、今度連れて行って!」と話す。昨年末に建てたばかりという自慢の新居をくまなく案内してもらい、北欧インテリアが好きという共通点も見つかって、「わたしたちって、やっぱり気が合うんだ!」と再発見。離れていても、会えばあっという間にあの頃に戻れる同級生がいる幸せを味わい、娘たちもそんな友だちに恵まれるといいな、娘たち同士もいい友だちになれるといいなと思った。

2007年06月14日(木)  『坊ちゃん』衝撃の結末
2002年06月14日(金)  タクシー


2008年06月13日(金)  マタニティオレンジ299 おもちゃ電車→たま駅長→いちご電車


数週間前、「いちご電車」というタイトルの浮かれたメールが届いた。ご近所仲間で鉄道ファンのT氏がはるばる和歌山に出かけ、いちご尽くしの電車に乗っている実況を四十代とは思えない無邪気さで送ってきてくれたのだった。さらに一時間後には「おもちゃ電車」というメールが画像つきで届いた。「いちご電車」「おもちゃ電車」はJR和歌山駅から延びている和歌山電鉄貴志川線という私鉄ローカル線の車両で、終点の貴志駅にはニュースですっかりなじみになった猫の「たま駅長」がいるというではないか。たま駅長のことは気になっていて、わが娘・たまと会わせたいと思っていた。ちょうど関西行きを控えていたので、T氏からのメールが後押しとなって「わたしも行こう!」と決めたのだった。

たまと父イマセンとともに阪和線紀州路快速で終点和歌山へ向かい、T氏のアドバイス通り一日乗車券(650円)を買って乗り込んだのは、おもちゃ電車(愛称OMODEN)。おもちゃが並ぶ棚にはアンパンマン! たまは早速駆け寄り、興味しんしん。木のつり革も積み木みたいで愛らしい。


10台あるガチャガチャは本物。たまはお金を入れずにハンドルをガチャガチャ。


床は木で、座席にはチェックの座布団。あたたかみがあって、絵本に出てくる子ども部屋みたい。ねずみ(MOUSE)、うさぎ(RABBIT)、犬(DOG)の形の背もたれには、さりげなく「M」「R」「D」とイニシャルがあしらわれている。「おもちゃ電車」という名前からデパートの屋上のようなにぎにぎしさを想像したのだけど、甘くなりすぎない大人っぽいテイストに感心。中吊りなどの印刷物のデザインも洒落ていて、アイデアだけでなくクリエイティブのセンスも光っている。

終点の貴志駅で降りると、駅長帽をかぶったたま駅長がお出迎え。駅長室には、もう2匹の猫がいて、こちらは「助役」とのこと。人間の駅員はおらず、猫のみという無人・有猫駅。たま駅長、帽子が重いのか、すぐに落としてしまうのだけど、帽子がないとただの猫になってしまう。うちのたまとの対面は、お互い関心なさそうで、そっぽを向いたツーショットしか撮れなかった。

駅舎にはつばめの巣があり、親鳥がかいがいしく子どもたちに餌を運ぶ姿が乗客を和ませていたのだが、その巣の真下で、父はいつの間にか買ってきたたこ焼きを一人で頬張っていた。ほんと、この人の頭の中は食べることでいっぱいで、ある意味1才児のたま以上に子どもっぽい。

帰りは普通車両で大山遊園駅まで行き、下車して散歩。本当は交通公園まで行きたかったのだけど、たまが両替機で遊びたがり、百円玉を二枚両替したところで「他の人の分がなくなるからやめようね」と言った途端に床に転がって泣き出したので、手前で降りた。池をのぞむ広々した公園(これが遊園?)があり、そこのすべり台で遊ぶうちに機嫌は直った。


大山遊園からでいちご電車を待ち受け、乗り込む。保育園でいちご組のたまは、「ご!」を連発しながら車両のあちこちに配されたいちごを指差し、おもちゃ電車以上に興奮。


座席と座布団は、どこか懐かしさを感じさせるいちご柄生地。小さなテーブルもあり、地元の高校生がお昼ごはんを頬張っていた。「何もないのが魅力です」とT氏は語っていたけれど、窓の外ののどかな風景がかわいい電車とよく合っていた。乗り物の形の色とりどりの遊具がひしめく交通公園で下車してたまを遊ばせたかったけれど、「和歌山まで行ってお昼食べよう」と父が言うので、終点和歌山まで乗り続けるうちに、たまは眠りに落ちた。

2007年06月13日(水)  「事実は小説より奇なり」な映画『主人公は僕だった』
2005年06月13日(月)  『猟奇的な彼女』と『ペイ・フォワード』
2004年06月13日(日)  映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』


2008年06月12日(木)  中田金太さんの置き土産『玉虫厨子』と対面

映画を見るとロケ地を訪れたくなる。千三百年前の飛鳥の時代に造られた法隆寺の国宝「玉虫厨子」に平成の職人たちが挑むドキュメンタリー映画『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』(>>>2008年03月27日(木)の日記)に酔ったわたしとアサミちゃんは、「実物の玉虫厨子を見ねば!」となった。中田金太さんが私財を投じて平成職人に腕をふるわせて再現された「玉虫厨子」と、さらに遊び心を加えた「平成版・玉虫厨子」が6月いっぱいまで法隆寺の秘宝展で公開されているという。再現版は法隆寺に奉納されたのだけど、平成版は秘宝展が終わると高山のまつりミュージアムで展示されることになっている。二台を並べて見られるのは最初で最後のチャンスかもしれない。先週アサミちゃんはダンナさんとともに奈良を訪ね、「見て来たよ〜。良かったぁ」と伝えてきた。ちょうど大阪に帰省する機会を得たわたしも今日、奈良へ向かった。

JRの法隆寺駅から法隆寺まで歩いて20分。拝観券売り場を求めて広い境内をさ迷い、秘宝展が行われている秘宝殿へ直接行けば良いと教えられ、たどり着くまでにさらに10分。駆け足での鑑賞となり、飛鳥時代版の本家(こちらも並べて展示されているのを期待していたら、本堂に置かれているとのこと)を拝む時間はなかったけれど、金太さんの置き土産二台に対面することができた。

ちょうど小学校の遠足の団体と鉢合わせ、「これやこれ! 玉虫!」と担任らしき女の先生が興奮した声で指差すと、「どれどれ?」と元気のいい小学生がガラスケースの前に集まってきた。これがこないだやってた玉虫のん?」と先生に聞いている。授業で取り上げたのだろうか。映画に出ていた金太さんや職人の話も紹介されたのだろうか。再現版よりも色鮮やかな平成版に人気は集中し、「これ、玉虫の羽なん?」「すげー」「すごすぎ」と心からの感嘆の声が上がる。この光景、金太さんに見せたかった。「造るより遺すことのほうが難しい」と話していた金太さん。あなたが遺してくれたものは、平成の子どもたちに、この国の美しく力強い財産をしっかり伝えていますよ。

玉虫厨子と背中合わせに置かれているのは釈迦如来像。「仏さん、皿乗ってんで」「食べられるん?」「かもな」と子どもたち。玉虫厨子の蒔絵の原案になったお釈迦様の絵を前にした女の子は、「虎のこどもがおなか空かせてて、身投げして食べさせたってんて」「私やったらせえへんなあ」などと話している。 近頃の子どもたちはゲームばっかりして感動したり感激したりする力が弱っているのではと心配していたのだけど、展示物を見て感じたことを口にする子どもたちの言葉は生き生きとしていて、好もしかった。

NHK奈良の「万葉ラブストーリー募集」が縁で、子ども時代に親しんだ奈良にまた足を運ぶ機会ができたのだけど、京都とはまた違った古都の魅力があって、小旅行気分を楽しんでいる。奈良公園には鹿がわがもの顔で歩いていて、『鹿男あおによし』を思い出した。明日香村も訪ねたいし、古い町並みが残っているという「今井町」も気になる。

近鉄奈良近くの商店街を歩いていて、奈良遷都キャラクターの「まんとくん」「せんとくん」が並んでいるシャッターを発見。公式キャラの「せんとくん」が発表された後に自主提案の形で開発され、ネット投票で選ばれたのが「まんとくん」という経緯を新聞記事で読んだばかり。強烈キャラの兄と愛されキャラの弟という感じであまりにキャラが違うので、こんな風に並んで「どっちが好き?」と話題を提供するのもいいかもしれない。

2007年06月12日(火)  想像力という酵母が働くとき
2005年06月12日(日)  惜しい映画『フォーガットン』


2008年06月11日(水)  大学ノート80冊分の日記

関西での仕事のため、娘を連れて大阪へ。実家に帰ったら、やりたいことがあった。子どもの頃に書いた小説を発掘して、パソコンに打ち込もうという計画。そのノートを求めて「雅子」と書かれた段ボールを開けたら、大学ノートがどっさり出て来た。小学校から高校時代にかけて書きまくった日記と交換日記。数えてみると、80冊を超えている。

交換日記は相手と二人がかりでノートを埋めるから半分で計算しなきゃと思いきや、「かわりばんこにノートを買い、買ったほうが書き終えたノートを引き取る」仕組みになっていた。ということは、これだけの分量のノートを自分の文字で埋めたことになる。しばしあっけに取られた後、一冊ずつ中身を確かめて、「日記」「交 のんのん」などと日付を添えてマジックで書きつつ分類する作業に取りかかった。懐かしさについページをめくってしまい、作業は止まってばかり。結局夜中までかかった。

今の中学生にはケータイという便利なものがあって、気になる子とはあっという間にメル友になっちゃうのだろうけれど、わたしが中学生の頃は、男女が交換日記をするというのは「つきあう」と同義語で事件だった。交換日記をはじめたカップルのノートを買いにいくのにクラスメートが集団でつきあったり、「彼氏が他の女の子と交換日記してる」ことが大問題になって揉めたり。微笑ましいというか歯がゆいというか、信じられないほどウブだった。「『スピード』でストレス発散」とあるスピードは、ヤバいクスリではなくトランプだし、友人がわたしのファッションを見て褒めた言葉は「ナウい」だし、中学卒業のときに髪を切った美容院の名前は『チャーミング』。十年ひと昔というけれど、四半世紀以上前だと日記もすでに古典。

自分では忘れていたこともたくさん出て来た。PL学園で活躍していたナマの桑田選手と清原選手を目当てに甲子園まで行ったこと。嘉門達夫の番組にハガキ書いていたこと。金沢嘉一さんという作家に手紙を書いて返事をもらったこと。三年前に小中学校時代の同窓会をやったとき、「この子、亡くなったんだっけ」と同級生と話した子のことも日記には書かれていた。入退院を繰り返していた彼女は白血病で亡くなったのだった。友人たちと線香を上げに行ったけれど、家の人には会えなかった。その帰り道、「生きる期間に差があるなんて、おかしい」と話し、「私が死んだら、一時はワーッとないてほしいけど、いつまでもしずまないでほしい。いつも、私のことを思い出したり話したりして、ぜったいに忘れないでほしい」と日記に遺言していた。

日記を読み返すと、「変わってないなあ」と思う部分もあれば、「同じ自分が書いたのか」と驚く部分もある。小学校のときから「私は私」と主張し、「人生を面白くするのは自分次第」なんてことを言ってる。負けず嫌いなのも感動体質なのも変わっていない。へこんでいる友人を励ます言葉はやたら熱くて、「どんなクラスにいようと同じように好きにならないと。もどれない所にもどろうとするとよけいくるしいでしょ」「希望を信じたければ、現実を半分だけ信じとけばいい」などと芝居がかっている。

意志の強さは昔からだけど、今よりもずっと頑固で融通がきかなくて、あきれるほど正義感が強くて、毎日のように日記で怒っている。掃除をさぼる男子に怒り、点字ブロックが市役所の手前で切れていることに怒り、友人を嘘つき呼ばわりしたクラスメートに怒り……読んでいて疲れるほど怒っている。中学一年の最初の頃に担任の吉田恵子先生に日記を見せていたけれど、そのノートの角で頭をコツンとされた(たぶん先生は親しみを込めてふざけたのだと思う)ことに怒って、日記を見せるのをやめてしまった。

クラスの女子がみんな泣く場面では意地でも泣かないくせに、学習教材のセールスマンが置いていったアンケートをなくして平然としている妹と、それに対して「別にええやん」と言った母には涙の抗議。われながらついて行けない感情の起伏の持ち主だったくせに、自分のことを「さめた少女」と分析していたりして、昔のわたしは相当屈折していたのだろうか。

吉田先生が中学一年生の終わりにわたしに贈った言葉も出て来た。「今井はよい意味でかわってるよ。あまりお目にはかからないタイプですね。底抜けに明るくて活発ですごく大胆で、そのくせデリケートで傷つきやすかったり…。そして何よりも温かい心の持ち主で…。どんな大人になっていくのかとても楽しみです。教師になりませんか?」とある。

先生は、わたしが日記を見せなくなったことをずっと気にかけていてくださった。つまらない意地を張った中学一年生の自分には、今とは違うプライドがあったのだろう。吉田先生に見せなくなった日記に、わたしは先生のことを「あのせんせー、わりとよくやすむなぁー。強がる人って案外よわいんだ。私も人のこといえないけど」と書いている。似た者同士だったのかもしれない。

肝心の小説も見つかった。鏡の国に迷い込む少女の話で、中学一年のときに書いたものだとわかった。わたしはそれが最初の小説だと思っていたのだけれど、それよりも前、小学時代に書いた小説らしいものもいくつか出て来た。それより驚いたのは、小学6年のときの交換日記に書いてあった『ブランコ』というラジオドラマ。ラジオで聞いて感動したストーリーを紹介しているのだけれど、台詞やト書きが再現されていて、ほぼ脚本の形になっている。

やっぱりこの80冊の延長線上にわたしはいるんだなあと感じた。

2007年06月11日(月)  茨木のり子さんの言葉の力
2005年06月11日(土)  東京大学奇術愛好会のマジックショー
2002年06月11日(火)  『風の絨毯』同窓会
2000年06月11日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月08日(日)  マタニティオレンジ298 「m」とフライング父の日

娘のたまが「m」を覚えた。わが家のあちこちに飾ってあるm&mコレクションを指差して「これ、なあに?」と聞くので、「mだよ」と教え、ついでに両手でハートを描くようにして頭のてっぺんで指先を合流させる仕草で「m」を表現すると、「エム!」と瞬時に会得。お猿さん風のポーズが何とも言えずおかしい。いつもは「もっぺん」とせがまれる側のわたしとダンナが「もういっぺんやって」を連発し、たまは「エム!」を繰り返した。

お猿さんといえば、午後から雨が上がって、遊びに来たダンナ父と近所の神社に出かけたら、ちょうど猿回しが来ていて、生のお猿さんを目の前で見たたまは大興奮だったという。「お猿さん何やってたの?」と聞くと、たまはおじぎを再現。短い足でガニ股気味のおじぎは猿感がよく出ていて、木戸銭を投げたくなる。「おじぎしかしてなかったの?」と聞くと、「ちょうど終わったとこだったんだ」とダンナ父。

ダンナ母も加わり、父の日祝いのケーキを分けた。じいじばあばの前でも、たまは「エム!」を披露。孫と過ごす時間が何よりのプレゼントだろう。ところが、後になって、父の日が一週間後であることに気づいた。ダンナ母は「今日父の日なの? うっかりして忘れてた」と言っていたのだけど、うっかりしていたのは、こちらのほうだった。ダンナに「今日が父の日じゃなかったって知ってた?」と聞くと、「君が言うからそうなのかなと思ったけど、どこにも出てないから、ひっそりやってるんだなあと思ってた」という返事。プレートを書いたケーキ屋さんからも突っ込みはなかった。来週祝えない事情があると思われたのだろうか。

お祝いのケーキをもうひとつ。友人のげっしー&いとう夫妻のところのちいたまちゃんが1才になり、同じ月生まれのお友だちと合同誕生会を開催。子どもたちの名前が並んだプレートがかわいい。「子どもたちはこの日のことを覚えてなくても、記念日を刻むことは親が前へ進むパワーをくれる」とげっしー。

2007年06月08日(金)  マタニティオレンジ128 モラルない親
2005年06月08日(水)  歩いた、遊んだ、愛知万博の12時間
2002年06月08日(土)  P地下
2000年06月08日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月07日(土)  高島屋ミヤケマイ個展『ココでないドコか』で乾杯

昨日の日記で同タイトルの作品集を紹介したミヤケマイ個展『ココでないドコか』目当てに新宿高島屋画廊へ。5時からのオープニングに間に合うように到着し、ミヤケマイに挨拶すると、乾杯の音頭をお願いされる。突然のことで何をしゃべろうかと迷ったけれど「今井ちゃんが寄稿してくれた作品集の宣伝をしてくれればいいから」と言われ、「作品集も作品展も人気が出ますように」といったことをつっかえつっかえ話し、「皆さん一人一人の心にある『ココでないドコか』を思い浮かべてグラスを掲げていただきたく思います」に続けて「乾杯」と締めた。

『ココでないドコか』を『ココにないドコか』と言ってしまった気もするし、「個展」と呼ぶべきところを作品展」と呼んでいた。「昔はミヤケマイで検索すると、わたしのサイトが上位にヒットしたけれど、今はたくさんの人がミヤケマイのことを書いていて、わたしのサイトが埋もれるようになり、人気が出たことを感じる」という話もした。ミヤケマイの反応は「ひととおり網羅してたよ」。

子どもの頃から「百貨店といえば高島屋」で、5才まで暮らした家は堺高島屋、高校生まで過ごした街は泉北高島屋のお膝元だった。高校時代は難波高島屋、大学時代は京都高島屋、就職して上京してからは玉川高島屋を贔屓にしてきたのだけど、高島屋でマイクを握る日が来るとは思っていなかった。皆さんの手にグラスがそろうまでの間にそんな話もしたら、乾杯の後に新宿高島屋の支店長さんが声をかけてくださり、名刺をいただいた。個展と作品集、二つの『ココでないドコか』がたくさんの人に届きますように。

肝心の個展はじっくり見る時間がなかったので後日出直すつもり。幸い期間はたっぷり。皆さんもぜひ。
ミヤケマイ個展「ココでないドコか」高島屋 2008
◆6月4日(水)〜6月17日(火)高島屋新宿店10階美術画廊
◆6月25日(水)〜7月1日(火)高島屋東京店6階美術画廊
◆7月9日(水)〜7月15日(火)高島屋京都店6階美術画廊
◆8月13日(水)〜8月19日(火)高島屋横浜店7階美術画廊

2007年06月07日(木)  誰かにしゃべりたくなる映画『しゃべれどもしゃべれども』
2005年06月07日(火)  友を訪ねて名古屋へ
2004年06月07日(月)  絨毯ひろげて岐阜県人会
2002年06月07日(金)  ドキドキの顔合わせ


2008年06月06日(金)  ミヤケマイ作品集『ココでないドコか』に寄稿

友人の絵師(イラストレーターというよりこっちの表現のほうがしっくりくる)ミヤケマイの作品集第2弾『ココでないドコか-forget me not-』が届く。最初の作品集は購入したのだけど、今回はコメントを寄せたので一冊贈呈してもらえることになった。わたしが以前ミヤケマイのサイトに寄せた文章を本人が気に入ってくれ、「ぜひ書いてぇ」と指名してくれたのだが、ご一緒させてもらえる機会はあるのかしらんと活躍を眩しく眺めていたミヤケマイの作品集にのっかれるなんてと一も二もなく引き受けた。レイアウトを手がけたのはミヤケマイとの共通の友人、名久井直子で、これまたうれしい顔合わせ。

わたしが寄せたコメント(タイトルは『マイルーム願望』)には英訳がつき、見開きで掲載。そうそうたる顔ぶれの寄稿者の中に作家の角田光代さんがいて、目次ではわたしの名前と並ぶ形になっているのがこれまたうれしい。角田さんの小説を映画化するという企画に関わって以来ファンになって、ミヤケマイが表紙を手がけた対談集『酔って言いたい夜もある』も自分がその場にいるみたいに楽しく読んだ。映画は残念ながら成立しなかったけれど、こんなところで遭遇できた。もちろん角田さんのコメントは真っ先に読んだ。ミヤケマイの作品をよく知る人が読めば、こんな例え方があったのかと新鮮に映り、まだ知らない人が読めば、知りたくてたまらなくなる。そんな力を持ったコメントに、さすがと唸った。

作品集は4日から新宿高島屋を皮切りに4つの高島屋をめぐる同タイトルのミヤケマイ個展にあわせて発売(税込み8888円)。もちろん個展会場でも買い求められる。さらに、付録つきもあって、こちらは16800円。2倍近くするだけあって、付録は豪華3点。『異界万華鏡』『困ったときの紙だのみ』(カードが運勢を決めてくれる代物らしい)『錦小風呂敷』といかにもミヤケマイらしいセンスの名前がついている。額入りのミヤケマイ作品にはなかなか手が出ないという人にも、おすすめ。こちらは今月下旬発売(ただいま予約受付中)とのことで、わたしもまだ実物を見ていないのだけど、作品展会場で見本が展示されるとのこと。

ミヤケマイ個展「ココでないドコか」高島屋 2008
◆6月4日(水)〜6月17日(火)高島屋新宿店10階美術画廊
◆6月25日(水)〜7月1日(火)高島屋東京店6階美術画廊
◆7月9日(水)〜7月15日(火)高島屋京都店6階美術画廊
◆8月13日(水)〜8月19日(火)高島屋横浜店7階美術画廊

2007年06月06日(水)  わたし好みだらけの『そのときは彼によろしく』
2005年06月06日(月)  ニューオーガニックレストラン『orto』
2004年06月06日(日)  レーガン元大統領、逝去。
2002年06月06日(木)  同窓会の縁

<<<前の日記  次の日記>>>