2007年06月11日(月)  茨木のり子さんの言葉の力

茨木のり子という詩人の名前を意識するようになったのは、昨年二月に彼女が亡くなったときの追悼記事ではなかったかと記憶している。できあいの思想にも宗教にも学問にもいかなる権威にも倚りかかりたくない、と言い切った上で「倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と締めくくる『倚りかからず』や「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と突き放す『自分の感受性くらい』、「わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた」と戦争時代にあった青春を語り、「だから決めた できれば長生きすることに」と告げる『わたしが一番きれいだったとき』など、紹介されている詩がどれも強烈な引力を放っていた。詩集を読んでみたい、と思ったまま手に取る機会を逃していたら、先日、図書館で「茨木のり子」の背表紙が目に飛び込んできた。あなた、忘れてるでしょ、と言わんばかりに。

出会ったのは、『茨木のり子集 言の葉3』という本。ひとつひとつの詩が、わたしが思っているけれど言葉に出来なかったことをぴしゃりと言い当てていて、うなずき、膝を打ち、舌を巻きながら読む。たとえば、「ええと」という題の作品は、「『あの人は世に出た』私はこの言いかたが気に入らない」とはじまり、「フギャア! と一声泣いたとき 人はみな この世に出たと思うのだ」と続く。「ええと」は「あのう」に近い物申すニュアンスなのだろう。とても強気な口調なのに、品を感じる。背筋を伸ばして書いたような凛とした緊張感がある。

「ある工場」という作品は、「地の下にはとても大きな匂いの工場が 在ると 思うな」という書き出しに引き込まれる。「世界中の花々に 漏れなく 遅配なく 馥郁の香気を送る」その工場では「年老いた技師や背高のっぽの研究生ら」が働いている。「小瓶に詰めず定価も貼らず惜しげなく ただ 春の大気に放散する 彼らの仕事の すがすがしさ」と作者はたたえる。春には春の花の香りがすることから地下の工場を思い浮かべる、そのたくましい想像力。年譜によると茨木さんは薬学の勉強をされていたそうで、そんな背景から工場や白衣の研究者のイメージが自然に湧いたのかもしれない。

「夏の空に」という作品は、星座の物語と重ねて夏の夜空に輝く星々を描写する前半も素晴しいが、「屑の星 粒の星 名のない星々 うつくしい者たちよ わたくしが地上の宝石を欲しがらないのは すでに あなた達を視てしまったからなのだ」という最後の五行に打ちのめされた。「こどもたちは こんがり焼けた プチ・パンになって 熱い竈をとびだしてゆく」に続けて「思えば幼い頃の宿題はやさしかった 人生の宿題の 重たさにくらべたら」と締めくくる「九月のうた」にも、なんてうまく言葉にするんだろうと感心させられた。

この詩集でいちばん心を揺さぶられたのは、「足跡」という作品。「青森県六ヶ所村出土 縄文時代後期」の「博物館のガラス越しに見る 粘土に押しつけられた小さな足形」を見て、「子どもはギャアと泣いたかしら にこにこ笑っていたかしら」と当時に思いを馳せ、「むかしむかしの親たちも 愛らしい子の足形をとっておきたかったのだ」と思いを寄せる。自分が親になった今だから、いっそう感じ入ってしまうのかもしれないが、そのとき博物館にいた茨木さんも「なぜかじわりと濡れてくる まぶたの裏」となった。ちょうど気持ちが落ち込んでいたときの訪問だったが、「小さな足はポンと蹴ってくれた わたしのなかの硬くしこったものを」。写真で見たこともない茨木さんの沈んだ表情と晴れた表情のビフォアアフターまで目に浮かびそうな描写に唸った。そして、詩は「それにしても おまえは何処へ行ってしまったのだろう 三千年前の足跡を ついきのうのことのように 残して」と結ばれる。足跡ひとつからこれだけの物語を膨らませてしまう表現力に、嫉妬と羨望を覚える。

心に刺さった言葉を書き出していくと、丸写しになってしまいそうだけど、自作の詩のほかに、韓国の詩人の作品を翻訳したものとエッセイが納められていて、エッセイもまた写経したくなるほど名言の宝庫。一語一語が的確に選ばれ、配置されているような美しく整った文章の中に、思いがしっかりと込められている。読めば読むほど、この人と会ってお話ししたい、という気持ちになる。声が聴きたくなる。それが叶わないのが惜しまれる。

2005年06月11日(土)  東京大学奇術愛好会のマジックショー
2002年06月11日(火)  『風の絨毯』同窓会
2000年06月11日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)

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