2010年09月28日(火)
きえることなく(釜の火が)


[SSS]

 君愛SSその3

 え?今更(笑)
 詳細は中で!




 やっぱり書くことが楽しいし、書けることが嬉しいです。






2010年09月26日(日)
今の心境を聞きたいかと思いまして……


 千秋楽から二週間が過ぎました。


 って、まだそれだけなのって気分で一杯です。
 その間のゆらぎ(!)とか今更ながらのデレとか(!!)もうついったーでさらしている通りなんですが……。


 えー、だってー、退団したからって話をしちゃいけないって、ないじゃんねー(何口調)(笑)。


 ひとことで言ってしまえばさびしいのだと思います(告白)。
 でもつらいかと聞かれればそうではないし、むしろ思い返す度にぎゅっとするけど幸せにもなれる。
 相変わらずヅカでバカ話も妄想もできるし、ついったSSも書いているし花組さんもすでに初見を終えていますし(これはあとで改めます)。

 けれどもこの自分の中にすうっと膜がはったような、さびしいきもち。ぽかり、と大きな穴ではなく、細かいメッシュで穴があいたかのよう。だから大きな喪失感もないけれど、じんわりとくるような……ええ、痛い子ですね。
 でも、それだけのものを受け取っていたしなぁと本気で思うし、そうやって細かいメッシュで取り除けなくて共存していくような、でもそれも悪くないなと思っています。

 あとねー、やっぱりトップさんだったって事が大きいね!(声でかいよ)
 あれだけの露出があったから、「いなくなった」って感じる露出も多いのです、よ。大真くんの時は見送った後、さびしさを持て余しながら、その存在をどこか遠くの事のように思っていたけれど、ナツキさんとはもう少し近いところにその存在がとどまったな、と。
 でもそれも悪くないと思っています。






 千秋楽近辺のレポを残そうと思っていたのですが、ちょっと無理そうです。なんというか、あの日一日が大きなかたまりとして自分の中に残って、細かい描写も何もなく、ただ「しあわせだったなぁ」という風に思っているのです(そう思うと、もりもりメモを残したムラ楽とは、まあ当たり前なんだけど、心持ちが違ったのだな、と)。
 それでも何かを残したい気持ちもあるのです。
 決して消えないものだとわかっていても。

 なので、そんな悪あがきの千秋楽スケッチ。レポでもメモでもありません、スケッチ、いっそスクラッチ?ひっかき傷のように、私が感じた断片を残しておこうと思います。



[ナツキノート:千秋楽スケッチ]


 今回、本当にありがたく恵まれていたのは友人各位の尽力のおかげで、東宝千秋楽を当ててもらえたこと(しかも自分的にありえないぐらい良席で)。これはもうほんと感謝をしてもしきれなくて。当ててくれた友達の友達、だけじゃなくて、いろんな人に協力していただけて、皆さんの力で運を引き寄せたのだなあと思っています。
 もちろんチケット面だけじゃなくても、私を気遣ってくれたお友達、ここやついったを通して「想い」を寄せてくれた方々、本当に「出会ってくれた」すべての人に感謝を。
 スピリチュアルな話をするつもりはないのですが、本当に多くの人の力を借りることができて、こうやってお見送りできたのだと、すごくすごく実感しています。



※以下、本当に順不同です。時系列がごちゃごちゃ。前楽〜大楽まで感じたことを。



・ありがたいことに、ムラ東宝で前楽・大楽を見ることが叶ったのですが、ムラの前楽が一番芝居が「走って」た印象で、後はナツキさんの言う「平常心」だったんじゃないかな、と。

・そしてこれもありがたいことに、さよならショーをコンプリートできた訳ですが、観る度に自分の印象が変わっていって。「これは再演?」と少し微妙に思ったムラ前楽から、東宝大楽では、本当にミズナツキの完成形だなぁと。同じ役をもう一度やることが当たり前だけど当時の再現ではなくて、今のミズナツキが演じる最大限、それを目の当たりにできて、そのことに震えました。

・だから当時を思い出してという感傷より、ただただ圧倒されていました。特に大楽はオペラなしで観ることができる位置で、その姿をまざまざと焼き付けることができて。

・少しだけ当時を思い出したのが、ソロモンの「風の葬列」。あの作品が、東宝で一番通った作品でした(最後の一ヶ月半公演だったしね)。その同じ劇場で、同じもの(でも違うもの)を観ているという不思議な感覚。

・ムラの初見の時は、なんだかすごく寂しいさよならショーだな、と思っていたんですね。最後、組子に見送られることもなく、ひとりせりあがっていくナツキさんを観ているのがつらかった。でも最後にはそれでよかったなぁとすごく思えて(そもそも最後はひとりでせり上がり!がナツキさんのリクエストであったと知ったからもあるのだけど)。

・ムラ初見の時に寂しくてそしてつらいな、とおもったのがやっぱり「灰の水曜日」だったこと。……あの公演は、誰もが辛かったものだと思うのです(もちろん一番辛かったのは渦中にいたかたであることは重々承知です)ただ、誰が誰よりという比較の前に、大なり小なり、みんな痛みを感じていたと私は思っています。(もちろんそれを上回る楽しさも幸せもあったのですが)。

・だから最後が「灰の水曜日」、私はそれに最初はちくりと胸が痛んだのですが。でもあの歌詞はあの時もそして今も、ただ優しく慰めてくれているのだなぁと。当時あの歌詞は、ユミコ氏メイトを慰めると同時に、私たちを、そしてナツキさんを慰めているのだと思っていました。そしてそれが最後に、ナツキさんからまた私たちに送られたのだな、と。それは確かにあのとき、雪組にかかわった全員が共有した「痛み」と「癒し」だと思ったので。

 朽ちることなく 色あせもせず 輝き続け 消えることなく

 最後の最後に、一番の癒しだと思ったのです。最後の最後に、すべてへのメッセージだったのかな、と。





(すみません、スケッチのはずが漏れました)
(言葉は十分に選びましたがお気に触ったら許してください……)



 気を取り直して!て!


・前楽メモ。最後にカーテンコールで並んだ退団者。前楽仕様なので衣装はさよならショーのまま。隣に立つみなこが微妙に距離をとっているのに「なに離れてるの」とつっこむナツキさん、しばらくして、自分の衣装の雉羽がみなこにささっていることに「あ、」と気づくナツキさん。それムラ楽のシンビジウム花束刺さってたのと一緒(笑)。みなこが雉羽よけながらナツキさんに近づこうとしていたのがかわいかったです。

・あと前楽もカーテンコールが何度が続いて、それでもう前楽で言っていた「日本各地、世界各国からロックオン」ではなくて普通に「見守っていてください」になっていたのが、なんか印象に残ってて(ああもうネタをする余裕はないわよね)(そんな印象?)

・前楽カーテンコールの最後に幕前に出てきてくれて、ここでも「今の心境を聞きたいかと思いまして」とムラ前楽と一緒のことを(笑)。何度も何度も言っている、本当の千秋楽を平常心で過ごすために、今までの千秋楽を過ごしてきた、だから「明日、その成果が出ます」。成果って(笑)。

・大楽。入りから言ってきました。本気白装束の35歳(笑)。半笑いがとまらない、誰かつっこんでーと日比谷にむかったらまんまとオトモダチに会って、勝負服を見せられて、満足。

・ちょうど79期のみなさんが楽屋入りするのが見えたのですが、しぃちゃんにひとり「47!47!」と盛り上がり(こういう人が会活動をしてはいけないと思うの)。

・ムラの楽入りに「だってみんな白なんだもん」と黒で来たナツキさん、東宝も大方の予想通り(笑)「黒」でした(黒のジャケット、パンツ、インナーが白)。っていうかあんまりにも普通に自然に車がすーっと入ってきたのでえ?え?とびっくり。もうちょっと溜めようよ(笑)。

・ひととおりお手降りで回って、劇場入り口前に戻って、指一本たてて「あと一回」を表して、ちいさくガッツポーズをして「がんばります」のジェスチャー。前の日の出でも同じジェスチャーをしていて、なんか、妙にぐっときてしまったり。

・入り口の白い花のアーチに思わず「おお」と素で見上げていたのがかわいかったです。

・劇場ロビーでは組子たちが階段に並んで卒業唱歌「ありがとう・さようなら」の替え歌合唱。なんか雨女、とかは聞こえてきたよ(笑)。歌詞の全貌は「ラストデイ」DVDを買ってね、てことですね。キャトルで予約するとナツキさんがふたつ折れになっているクリアファイル(@ムラ千秋楽入りwithみなこ)がついてくるよ!(宣伝か)

・聞くところによるとナツキさん号泣してたって……全貌は「ラストデイ」DVDを買っ(以下略)

・不思議な空間だったなぁ。あの瞬間、劇場前がしぃんと静かになって、きれいなコーラスが聞こえてきて、みんなが耳をかたむけていたあの空間。でもすごくきれいな空間だと思いました。余談ながら「ありがとう・さようなら」は一番好きな卒業ソングなので、それにもぐっときてしまいました。

・大楽本番。比較的近くで見たせいか、最後の「ロジェ」はまた違って見えたなぁと。と同時に正塚芝居はやっぱり小劇場だなとも感じました。オペラで見る劇場には向いていない……。
(おかげで最後にいろいろ気づくことがありました。これはまた改めて整理したいとこです)

・ずっとずっとひっかかっていた、最後の銀橋。私は逆に「ロジェ」だと思いました。大楽にして、ようやくレアとロジェの間に一本線が見えたというか。それが「交わす想いは自分なりの愛」にみえたというか。これもまたちゃんと文章にしたいなぁ。
(本当はさよならを重ねるのが正解だとは想うんですけれどねー)(笑)

・本当にオペラナシで肉眼で水夏希の全身を観られたことが大きくて。銀橋で観た黒燕尾の全身、そして落ちる汗、その光景が妙に印象に残っています。

・ペンライト、ムラの楽は青でしたが、東宝楽は白でした。やっぱり白の方が発色がいいから、明るくて。ムラは落ち着いたきれいなブルーが広がってそれもきれいだったけれど、白いライトがともる客席は、あかるくて、白は浄化の色でもあるなあと思って、振り返って眺めてしまいました(また「たいていの人が白を着ている」だから、光が反射していたのもあるのだと思う)(白ってすごくひかりを拡散するので)きれいでした。

・ナガさんの生徒紹介は、基本ムラと同じだったと思います。ムラの時から、何度聞いてもぐっときたのは「ミズはピラミッドの頂点ではなく、みんなと手をつなぐ仲間であり、みんなを導くリーダーであった」との話。そして「組替えごとに自分の居場所を探して、自分の道をみつけた」的な話をしているとき、幕前に映し出された映像がデュナンさんが旗を掲げて歩いているところで。なんかそうやって道を「まっすぐにあるいてきた」のと重なっちゃってね。けれどもそこに至るまでの道は決して楽な道ではなかったのだよね、とも感じてしまって……

・東宝楽の退団者紹介が終わった後、まだ準備が終わってなくて、「えー」と素であわててつつもトークをつなぐナガさん。10人の退団者で、体の一部がなくなるような気分で。でも退団者はそれぞれ、とてもすっきりした気分だという「私にはまだそれは(その退団者の気持ちは)わかりません」と苦笑まじりに言っていたのが、なんだか非常にほっこりして。

・下級生順に挨拶する度に、うんうんと見守っていたナガさんを見てしまって、そのあったかさもなんかだすごく印象に残っています。

・キムが持っていた花束が見事なカラーで。それを見た瞬間に、あ、こっちも黒燕尾で階段降りだな、と思いました。

・同期からの花はハマコ先生。そのハマコ先生が、ナツキさんに両腕を広げて、さあ、とハグしたとき、なんか本当にすべてが終わったなぁと思った、な…。

・ナツキさんの挨拶はスカステや他の方に譲ります。一番印象に残っているのは、何度目か忘れましたが幕が上がって一人で舞台に立っていたとき。今回の公演が本当にハードでやりとげられるか不安だった、と言った時に揺れた声と目。ずっとパブリックな存在で、きっともう本名の自分と境目がないぐらい「ミズナツキ」がいて、でもその「素」が垣間見えたような。本当に本当に、「命を削って」この人は舞台をつとめてきたのだなぁと。

・トップさんが最後にどんどんやせていくのはわかっていたのですが、入り出で「あばら」が浮いてるのを見てしまった時には心底びっくりしました(……)。本人も何かのインタビューで「今、女性としてありえないぐらいやせちゃって」ってゆってたもんなぁ。本当に「削った」と思うのです。

・みなこの挨拶の話は、13日の日記でも触れた通りなのですが、もうひとつ印象的だったのが、もうナツキさんばかりを見ていてねー。ナツキさんのカーテンコールトークショー(笑)をずっと隣でナツキさんを見ていて、途中で気づいて正面を向く、っていうのが何度かあって。ああもう本当にみずみな万歳!!

・恒例の退団者一言コメント(笑)。今回は最後に「卒業おめでとう」で締めくくっていて。その日のワンモアタイムの「先生はうれしい!」もそうだったけど、本当に「ナツキ先生」だなぁと思いました。先輩でも部長でもなく、先生。

・だからあの「ありがとう・さようなら」がすごく響くのです。歌詞に出てくる「ありがとう・さようなら」「友達」「先生」「教室」、「先生」の章では「しかられたことさえ、あたたかい」

・まあそうは言っても東宝大楽も泣き笑いですよ。黒燕尾で今日はキムを0番に立たせようとした、の話(ナツキさんが後ろから手をキムの胸に当てるところでわざと自分の立ち位置をずらしてキムを0番にしようとしてキムが焦ったという話)の時、その話題を切り出す時に、それまでの話題をぶったぎったり。

・幕前に退団者と出て様々なコールがかかる中「あの、話していいですか」と切り出したり(なんでそこだけひょっと冷静になるの、貴方)(笑)。

・入り出にたくさんの人が集まるのを「夏祭りか!?」とつっこみ、「あ、あたしか?(あたしの為に集っているのか)」と。

・最後の最後もちゃんと劇場に来てない人にも想いを馳せて(中継先にもアピール)、「皆さんそれぞれのスタイルで、スタンスで」と言って様々な立場の人にも想いを馳せて、それこそがミズスタイルだなぁと思ったり。

・出のガードで何度となく空を見上げてました。風が気持ちよかったのを覚えています。

・ナツキさんが出てから、後ろの他会の方たちが泣いていたのがすごく印象に残っています。もちろん様々なお気持ちがあったかと思うのですが、私たちの為にずっと外で待っていてくれて。で、我々が合流してから、楽の様子を話したり、聞かれたり……私は会活動をしながらあまり他人と交流を持たなかった人間なのですが(だって怖かったんだもん)(笑)、そして会活動にはどっちかと言えばナシ派だったのですが、それでもあの日あの場所にあった多くの想いとか、注いでくれていた想いとか、それは決して嘘じゃないというか、あったかくて、なんだかすごく印象に残っています。

・最初にも言ったように、今回は本当に多くの方の気持ちを受け取ってて。それをどうにかして返せないかな、と思っていました。直接返せなかったとしても、そしたらその想いを今度は私が誰かにわたせばいいんじゃないかな、とも。そうやって想いはめぐる「ソロモンの指輪なんですよ!」(ミズナツキ語録)と。

(すごく自分よがりではありますが、茶会レポとかアドリブツイートとか、そういう物が「想いを返す」に繋がればいいなぁと思っていました)



・タカラヅカをずっと好きで、それでナツキさんを好きになって、ナツキさんから1対1で通い合う想いというものを受け取って、そしてこうやって退団に際して巡る想いをいうものを感じて。
 ともすればこの「想い」が無視されてしまうことの多い世の中で、どんなに「想い」をかけていても、その行き場見失ってしまう世の中で、確かにここには想いが通い、巡るのだなぁと。最後にそんなことを感じました。






 わあ、ぜんぜんスケッチじゃない!軽くない!重い!(笑)。

 でも書きはじめてからぼろぼろ言葉があふれて(ちょっとあふれすぎもしましたが)、びっくりしました、と同時に、やっぱりあの人は私の最大のインプットだったのだなぁと。ヅカファンとしてもヅカオタとしても、ザラメとしても(笑)。


 そしてどんなに言葉や想いや金平糖をつくしても、やっぱり最後にはこの言葉に集約されてしまうのです。
 大好きです。




 だいぶすっきりしました(笑)。本当に私にとっては言葉に残すことが最大の癒しなのかもしれません。
 まだしばらくだらだら語るかもしれません。
 

 朽ちることなく 色あせもせず 輝き続け 消えることなく




2010年09月14日(火)
朽ちることなく、消えることなく


 とりあえず思いついたことから書いていきます。リハビリリハビリ。


[ナツキノート:ベルばらの申し子]

 いやこのタイミングで退団レポでもなんでもないんですが(笑)。退団期に思った事ってことで。
 ナツキさんが思い出の作品に自分が宝塚を目指すきっかけにもなって、出演もたくさんした「ベルばら」を挙げているのを聞いて、ナツキさんが平成ベルばらを観て入団した最後の世代になるのかなと、ぼんやりと思いました。
 確か「ベルばらはスターを作る」っていう話があったかと思うのですが、それが、ベルばらの上演そのものと、ベルばらを見て次世代のスターが入ってくる、っていう意味でもあったかと。そう思うとナツキさんは正にその文脈にあてはまるかと。
 そうすると次の世代は「21世紀ベルばら」(20世紀梨みたいだ)になるかと思うのですが、ただ2001年以降、ベルばらは濫発されているので(2005年星全ツ・韓国、2006年星雪本公演・雪全ツ、2008年外伝全ツ、2009年宙中日、2009年花本公演)、そういう「世代感」は薄くなるかな、と思ったりもしました(実際に2001年ベルばら以降もベルばらを観て入った子はいるかもしれないけれど、その世代が縦伸びしている分、明確な世代感が薄れているというか)(わかりがたい)。あと濫発して価値が下落しているのは確かとは思うし……。
 あとやっぱり平成ベルばらの頃にはエリザもスカピンもなかったしね。比肩するものがなかったから、それゆえあの頃の「世代感」もまた違ってくるのかなぁと。
 何度となくナツキさんがベルばらに肯定的なのを(「やっぱりベルばらは奥が深い!」)聞いて、ピンとこなかった私は、その世代感が残っていた平成ベルばらを知らない世代だからかなぁとぼんやりと思いました。いや、ベルばらはベルばらで好きなんですけれど。
 で、そうやってベルばらを肯定するナツキさんだったからこそ、「現代的なものを取り入れつつ伝統を失わなかった」と称されていたのかな、と、これまたぼんやりと思った次第です。


 ぼんやりしすぎやん。








 


2010年09月13日(月)
夏の終わりに


 終わりました。
 ムラの楽の時もそうでしたが、ナツキさんの事だけを考えればいい三日間(今日のおやすみも含めて)(笑)でした。


 ナツキさんからも私をとりまく周りの人からもいろんなものを受け取りました。それを言葉にしたい欲がふつふつと沸いているのですが、なんだかからまわりしています(笑)。


 でもこれだけははっきりと言えます。ただ幸せでした。出会えたことも見送れたことも、ここに至るまでの道のりにちりばめられた「好き」とか「萌え」とか(それも含めるの?)(もち)、全部全部ひっくるめて、私も1ミリたりとも後悔はないです。


 しあわせだったなぁ。という多幸感に包まれて、今日いちにちをのんびりしていました。意外に元気だったんですが、そこはミドサーですから、明日にどかんとくるんだろうな、と思っていたら、夕方に電池切れ(笑)。
 夜、関東は突然の雷雨があちこちを襲ったようで。それが楽に降らせなかった代わりのようで、ニヤニヤしてしまったり(ついったー上でもつっこまれまくってた)。それを見ながら一杯やったり。その嵐がまるで夏の終わりを知らせるようで、それを見ながらやっぱりしあわせだなぁ、と思ったり。


 まとまらないねぇ(笑)。



 とりあえずは、ここを通して見守ってくださった方、ありがとうございました。
 思い返して書き残していけたらいいなと思っていますし、完結してない企画もあるし(エロ本と47はちゃんと終わらせますよ!)、冬に向けてまたガリガリ書いていきたいし、もちろんその間にもタカラヅカは観ますし……ええっと、これからもナパームスクエアを六実をよろしくお願い致します。




 最後になりましたが、ミズナツキさん、卒業おめでとうございます。
 最後に言う言葉はずっと前から決めていました。
 「ありがとうございました」
 そして最後でも言いたい言葉は
 「好き、大好き」







 さて、私の方はとりあえず仕事仕事。いよいよ本番稼動ですよ。


 少し話はそれますが、みなこの退団挨拶がすごく感動的でした。
「人は自分をみつめ、自分の道を見つけ、前を向いて歩いていく事に意味があるのだと」
 そしてみなこがナツキさんに言われたという「目指すははるかかなた天上である」。その言葉を胸にみなこは前に進めたと言っていて。
 (スカステ確認してないので、大意です)
 その言葉がすごく響いたのです。そしてそれが響く私は、きっとまだ途上なのだな、と思いました。ナツキさんは卒業という節目に到達したけれど、私はまだまだ途上で、もっともっと、と前に向かって歩いていくんだろうな、と。「いかなきゃ」じゃなくて「いく」。そんな事をぼんやりと思いました。
 もちろん節目に到達したナツキさんも「人生の通過点」と言っていた通り、またすぐに歩き始めるんだろうな、と。

 依存ではなかったと思います。同調でも混同でも投影でもなく、やっぱり「対比」であったと思っています。それができるのは、「今」共に生きているからだろうなぁと。
 その「今」を共有できた最高で最強の三時間半はもう終わってしまったけれど、けれどもまた未来にそんな「今」を共有できるときが来たらいいな、と思っているし、その日までまた、私は私の「今」を前を向いて進んでいければいいなと思っています。


 ほんと、まとまらないねぇ(笑)。



 夏が終わりました。文字通り「夏祭り」でした。
  


2010年09月12日(日)
夜明けのように


ロジェSSその4


 所謂一つの千秋楽更新です(笑)。






2010年09月10日(金)
Run


 この一週間(厳密には5日間)、ずっと何ができるかなぁ、何をしたいかなぁ、と考えているうちに終わったきがします。
 結局何もしなかった。けれどもそれはそれで今の私のお見送りの形のような気がしています。


 つれづれなるままに散文を。


 大真くんの退団の時、それまでのマシンガンの大真トークを抽出して再編成するという大真クロニクルと言う企画をやっています。たとえば今回もそういう事をやろうかとちらりと思ったのですが、やらなかった。今にして思うと、あの企画はあの学年ゆえに実に揺れた大真くんの軌跡(そして私自身の気持ちも実に揺れた)を追うために(そして再検証する為に)必要な企画であった訳で。それじゃあそれと同じ事をナツキさんにできたかというと、やっぱり必要なかったよな、と。だってあのひとはぶれなかったもの。そして私の気持ちもぶれなかったから、だから必要なかったな、と、今日唐突に思い出して納得。

 大真くんの退団の時、退団発表の日のマシンガンに「自分にできることは書くこと」と明言していて、実際その言葉通りになったことが私の中でのお見送りの形だったのですが、同じ文脈がナツキさんに適応されるかというとそうじゃない。ナツキさんの退団発表の時にはそう思わなかった。だからそんなに文章を残すことに躍起にならなくてもいいんじゃないかな、と思ったり。


 不思議なもので、一つ前のお見送りというのをまるで合わせ鏡のように合わせてしまうようです(笑)。実際、大真くんの時も夢輝さんの時のを照らし合わせていました。なんとも単純な私ですが、でもそうやって照らし合わせて思うのは、当たり前なんだけど、何一つ同じものはなくて、ちゃんとちゃんと、その時一番大好きなその人のためのお見送りをしてきたんじゃないのかな、と。好きになった経緯も過程も違うし、何よりも、おおげさに言うならば「時代」が違う。あの人と共有した「今」は、あの人とのものだけだもの。


 いつもいつも、お見送りの時に思ってしまうのは「これでさいご」という期限を前にして「あとで後悔しないかしら」「やりのこしたことはないかしら」というもの。そして、期限が数値で測れるように、いろいろな事を数値で測って「後悔しないかしら」「やりのこしてないかしら」と焦る。無理してももっと観るべきなんじゃないかとか、無理してももっと遠征すべきだったんじゃないかとか、私の場合は、もっともっと言葉を残すべきじゃないか、とか。だってこれで最後なんだよ、無理しなくちゃ、がんばらなくちゃ、もっともっと。そんな風に苛まれた事がこのお見送り期間に私にもありました。みっともない大人でほんとすみません(笑)。

 でもね。昨日ふと、自分がここまでやってきたことを思い出して並べてみたら、なんかもう後悔もやりのこしも全くないなと思えたんですね。もっと具体的に言うと、入り出で作ってきたポストカードをサムネイルでずらりと並べて見ていたら、数値でなんか測れない、本当に全力で愛してきたんだなぁと、いや本当にくさいけれどそう思えて(そして泣いた)。もちろんその数は本気で会活動しているおねえさんたちには全然及ばないけれど、でも何度も言うけれどそんな数値じゃなくて、私にとってはそれですべてという値でしかない。

 さらりと告白していますが(笑)、実は自分なりに会活動をしていました。退団期にありがちな(笑)イキオイ余って!ではなくて、マリポーサの時からそれなりに自分なりに。これを聞いて「ええ?」と思うか「へー」と思うかであなたのナパームスクエア度が測れるのですが(笑)、少なくともヨゴをはじめリアル友人たちはびっくりしてたし、「六実」の私を知らないリアルヅカ友達も「むっさん(仮名)そういうキャラじゃないですよね?」言っていたし、何よりも私自身がそういうことをどちらかと言えば嫌っていたので一番びっくりしていたというか。
 あまりこういう話は出さないのが普通なんでしょうが、敢えて言うのは、それが私が「ここまでやってきたこと」としてものすごく大きな意味を持つのです。好きになる→スクワットをする、という文脈をもつ人から見れば「ふーん」ぐらいでしょうが、私にとっては大事件で、しかもそれを抵抗なく始めてしまった事が、私の「ここまでやってきたこと」の一つなのです。だから敢えて書いておきたかったのです。

 そしてそれだけじゃなくて、この三年間、たくさんのミズナツキをオンもオフもみつめてきて、ネットの上で愛を叫び(叫びすぎた)、マシンガンを書いて、SS書いて、同人誌まで出して、と。いやこれ後悔するとこないでしょ?ちょっと心配になるほど頑張りすぎでしょ、だからやりこのこしたこと全然ないでしょ、と(笑)。

 本当に、好きで好きで仕方なくて、ただそれだけで夢中になってきたなぁと。


 だから、この一週間何かをしようとしても何もしなかったのかな、と、そう思ったんです。
 それでよかったんだな、と思えたんです。



 というわけで、ナツキノートが完全に途中で止まっていますがそれでもいいんです!!!!(ええ?ここまでそのための言い訳だったの?)(笑)

 実はちゃんと構成を考えていて、5章からなるノートだったのですが(うわ)、なんか今は、過去の話をするより、「今」を見つめていたいと思ったのです。


 君と僕の「今の」話をしよう



 そんな気持ちでラストランを迎えようとしています。
 なにもしなかった5日間、そしてただ、走り抜けるための2日間。


 それができる「今」に、感謝したいと思います。






 じゃ、いってきます。






2010年09月07日(火)
「会えて嬉しかったと、それだけ」


 9月に入ってからおろおろするだろうなぁと思っていたらまんまとそれでした(笑)。
平日チケを追加して、まんまと行けなくなったりとか、朝からうっとおしいツイートを披露したりとか……まあ、風物詩とか歳時記みたいなものと思っていただければ(えー?)


 人間、成功体験には頼りたいもので(笑)、大真くんの退団の時の事ばかりを思い出します。あの時、六実史上最大のしごとまつりだったのですが、退団前一週間がぽかりと仕事が空いて、それで一週間かけて大真くんへのうっとおしいテキストを書いたのですが、あれが後々すごく自分を慰めたというか、指標になったというか(ちょっとした自慰行為だな)。
 だから今回もあの調子で、何かテキストを残せたらいいなぁと、思っていたのですが、意外に仕事がそこそこ忙しくて、かつ自分の中の文章もまとまらず。……焦っているつもりはないんですが、残りの時間、どうすごせばいいのかなぁと日々考える今日このごろ。
 その反面、好きになった経緯も過程も違うのだから、別に過去の成功体験にたよることはないよな、と。これはこれで私なりのお見送りだよな、とも思ったり。

 で、そうやって悶々と考えている中に、「全力で公演を観にいく」っていうのがないのと(まあこれは物理的立場的に無理ってのもあるんですが)、「全力で本人に想いをぶつける」っていうのがないところが、また自分らしいなぁと思っています(私がガチでもマジになれない所以でもあり)。
 最後にもう一回、ちゃんと手紙を書きたいと思っているんですが。言葉に出さないと伝わらないもんね。



 そんな感じの日々です。



















 やっぱり、やるか(笑)。ナツキノート(※)。


 ※ナツキノートはナツキさんにハマった当初の、マシンガン内での独自タグ(違)です。
 ※ゆるゆるだらだらむせきにんにそうまとめてきなことをします。






[ナツキノート深夜便:三人の賢者のお言葉]


 昔からナパームスクエアをご存知の方には伝わると思うのですが、私がミズナツキさんにハマったという事は空前絶後びっくりドンキー(北関東ローカル?)ってなもんで、昔からのロムっ娘ちゃんやリアル友人知人を驚かせたわけです。

 ましてやちょうどその頃麻尋ご贔屓宣言したばかりだったしね……うん、まあオンでもオフでもちょっとちくりと言われましてね……自分が好きなものを否定されてしまう寂しさとか、自分が好きな事を認めてもらえない(ナツキさんに対しても麻尋に対しても)寂しさとか、なかなかそれが拭えませんでした(当時の文章にもよく表れている)(笑)。
 「でもそれでも好きなんだもん><」
 っていう自分のパワーもまたすごかった、いやキモかった。改めて当時の皆様にお詫びしておこうと思います。

 そんなこんなで両極端な感情(きゃっきゃしつつ煩悶しつつ)を持て余していたナツキ担前期、妙に心に残った三人の賢者(違)のお言葉がありました。いや賢者っていうかリアル友人達だったのですが。その言葉で気づくことがあったり、慰められたりもしたという。
 きっと言った本人は覚えてないと思うのですが、私は結構それが嬉しかったので、それをちょっと書いておこうと思います。



★賢者1のお言葉
 「好きだ好きだって言っているうちに、好きになっちゃってんじゃないの?」

 ……た、確かに(笑)。言霊ってやつですかね?
 ハマった当時の私はほんと惜しげもなくスキスキゆってましたね!いやもうほんと改めて(略)。
 でも実は私はあまり贔屓に対して「好き」って素直にいえなかった人間でして。実は未だにタカラヅカの生徒さんにハマってきゃっきゃすることにどこか「意味のない罪悪感」を感じてしまっているんですよね……この辺は私のジェンダー的なトラウマ的なものがあるので詳細はすこんと省きまして、で、そんな私が贔屓に対してまっすぐに「好き」って言えたのが大真くんの退団期だったんです。
(いやむっさんユメキさんの時もさんざんスキスキゆってたよ、と思われるかもしれませんが、あの時は「好き」という言葉で退団を相殺しようと必死だったのです、よ……)
 担デレ(べっ、別にあんたに会いに大劇場来たんじゃないんだからね!たこやき食べにきただけなんだからねっ!)という言葉を生み出すほどに(笑)、素直になれなかったわたくし六実。茶会で当人に告るなんて死んでもできないと思っていた私が、ようやく素直に「好き」と言わせてくれた退団期の大真くんはほんといいスケコマシでした!(誉め言葉)。
 だからナツキさんをスキスキ言っていた頃の私は、そうやって大真くんをスキスキ言って見送って浄化された気持ちがそのまま繋がっていたのだと思っています。言ってみれば成仏したあとの心境が繋がっていったわけです、そんなん、最強じゃないですか(笑)。あの大真くんのお見送りで感じたふわんとした暖かい気持ちが、そのまま繋がっていったのです。
 そうやってスキスキいえるスキル(……)を大真くんは残していってくれたんだと思っています。大真→水、と全く繋がっていないのですが(たまにダンサー繋がりと言われますが、それはまったくないのです)、私の内面世界(…………)では繋がっていたのです、よ。

 ナツキノートなのに大真くんの話か!(笑)


 そんな事に気付かせてくれた賢者1のお言葉でした。


★賢者2のお言葉
「人間、その人の素に近いところが一番その人の魅力なんだからさ、だからむっさんはナツキさんの一番の魅力に惹かれたんだよ」

 まあ、本当に、周囲のリアル友人達には正直ドン引きされていたのですが、その中でちょっと嬉しかった言葉。
 で、この一番素に近い、ってのは当時の我々の間の共通認識「ミズナツキさんトップになってからカミングアウトしたよね!」って所に起因します。「まんまオネエじゃないですか!」と(笑)。確かに前からその兆候はあったものの、トップになってからのミズナツキさんは、明らかにそんな風に「変わった」と(我々の間では)言われてたんですね(笑)そして皆一様に「昔の方がよかったのにね…」とも言う……(笑)、でも私にとってはその時の「今」のナツキさんが全てで、そして文字通りかわいくてオネエなミズナツキさんにハマったという自覚もあったので、またしても煩悶を……(笑)

 でもこの「変わった」って言うのは、やっぱり外野からの意見だったのかな。
 ありがたいことに、ここにきてついったー等で縁あって昔からナツキさんを好きだった人をお話する機会があって、その度に「中の人は同じ」という思いを強くしています。私が惹かれたその魅力は、ちゃんと昔からあったものなんだなぁと。
(それがトップで増えた露出に合せて、表に一般的に見えるようになってきた、と)
 それに気づかなかった事を別に後悔はしないのですが(タカラヅカを観ていながらミズナツキさんを観ていなかった時期を悔いていないのと同じように)、もし「中の人」をもっと早くに知ったら、ちょっとまた違った好きになり方をしていたのかな、とも。
 でも逆に「中の人」が昔も私の好きな魅力を持っていたのだと思うと、それがまた嬉しかったりします。そして「今」それに出会えて好きになれたことが、やっぱり意味があって意義があることだなぁと思うのです。

 要約すると「キモいナツキ担な私を肯定してもらえて嬉しかった!」です(うわあ)。


 そんな風に嬉しかった賢者2のお言葉でした。




☆小休止
 (なんかネガな話ばかりしていますが、多分私も過剰に自虐だったのですよ……)(笑)
 (だって自分でもありえないと思っていたもん、あんなに好きになったことが説明つかなかったもん)(もん、言うな)




★賢者3のお言葉
「むっさんはナツキさんに働く女子としてのシンパシーを感じているんじゃないの?」

 ちなみに賢者は「なんでむっさんがナツキさんにハマったかさっぱりわかんなかったからこの結論になった」と言っておりました(笑)。ほんとそんな風に考えさせるほど文脈違うハマリかたしてすまん…(笑)
 当時私はこれに「ノン!」と答えています(笑)。
 それに異論反論はあるでしょうが、私は余り生徒さんを「はたらくじょし」とは見てなかったんですよね。あの世界は自分の世界とは違うと思っていたし。
あと「同世代の女子が頑張って働いている」って言う気持ちも余りなくて。だって、あれは彼女らの仕事なんだから、がんばるのは当たり前でしょ?仕事だったら私だってがんばってるよ!いや君そこ張り合うところじゃないから(笑)
逆にそこを重ねちゃうと、しんどいじゃないですか。そういう仕事とか頑張るとかリアル感を抜いた上で、あの世界を楽しみに行っている訳だし。もっとやらしく言うと、私はタカラヅカ歌劇団に対する一消費者である、という思いがあったわけです。

 すごく誤解をされそうですが、頑張っている人を否定するとか応援しないとかそういう意味じゃないですから!
少なくとも私はそこを混同させたくないなぁと思っていたのです。線を引きたいなぁと思っていたのです。

 ただ、ちょうどこの頃(2008年夏頃)に出だAERAで、正にトップスターを「はたらくじょし」として特集した号が出たんですね(で、このあたりからジェンヌの「はたらくじょし」売り込みが盛んになったような……と、これはいずれまた)。そんな風に斜に構えていた私ですが、この特集はほんと骨身に染みたというか(外部の媒体ってのも大きかったのかも)、今でもすごく印象に残っています。今思えば当時の私はランクアップした自分の立場に必死になっていた頃でした。だから結局、賢者のお言葉は当たっていたという訳です。

 ただ、これは何度も言っていることなんですが、私はずっと「ナツキさんも頑張っているから私もがんばる」とは言わない(思わないように)してきたんですね。私が頑張るのは自分の為。これもどこかで言ったかな?マリポーサの時ナツキさんが言っていた「ネロががんばるから私もがんばる」、それに「ネロががんばるからナツキさんもがんばるから私もがんばる」て続けてみて、なんか違うなぁと思ったのです。

 そんな風に「はたらくじょし」として、混同も同調も依存もしたくないと思っていたのです。けれどもどこかで「対比」はしていたのかもしれません、つか、「ナツキさんはナツキさんでがんばる」「わたしはわたしでがんばる」ってそういう「対比」以外のなにものでもないか(笑)。それは私の二本柱「しごととヅカ」(ほんと二本しかない)の象徴だったのかな、とも思いました。

 しかし、こういう私の「しごと」への入れ込みかたってほんと妄執……。
 けれどもそこから私に力が生まれた事も確かなのです。


 そんな事を考えさせてくれた賢者3のお言葉でした。











 う、うざい。
 な、長い。




 次回はそんな風に「はたらくじょし」として見ていなかった私が、「はたらくじょし以上だ」と思うようになったきっかけの話をします(続くの?)(さあ?)



2010年09月01日(水)
「The last dream to the next」茶会メモ


 ラスト茶会メモです。
 もういつもいつものいいわけになりますが、記録媒体はいっさい使っていません。私の脳内記憶と妄想だけです(だから妄想いらないから)。網羅性もありません、すべてニュアンスでくみ取ってください。
 ラストワン、雰囲気とか少しでも伝わればうれしいです。



[ラストナツキ茶メモ]

★前説

・茶会当日の夜公演が、舞台機構調整で上演時間延びた為、いつもより遅れての茶会開始でした。それでも握手会(正味1時間)があったんですよ。すごいなぁ。

・いつものあてにならないいでたちメモ。
 白のジャケット白のシャツに、ブルーグリーンの大きなコサージュ。黒のパンツに、白いベルト、バックルが額縁のようでした(やっぱり)(笑)。髪をちょっと外ハネにさせていて、すんごくかわいかったです。


★公演話

・ロジェのスーツコレクションという話から「退団するときには好きな衣装を一着もらえるという噂があったのですが」もらえなかったそう。どこの都市伝説だそれ。そして自分でも「もらってどうする」と。

・ちなみにお気に入りはレアとのデュエットで着ている黒スーツ×白シャツ。

・ムラ→東宝での役作りの変更点で、ムラでは復讐を抱きつつも24年間日常を過ごしてきた、とい点を意識してきたけれど、もうちょっとその復讐とか憎しみとかを(日常に埋もれさせず)全面に出していいのではないかと。

・この前後で、司会の方から「東宝ではマキシムへの態度が冷たくなったと言われていますが」と言われ「ええ?」と(笑)。まあ↑のような変更点があったから冷たく見えているのかも、と。

・茶会日の夜公演で、舞台機構の点検による公演中断があった話。ここで「私たちの不始末で」的なことを言っていて、そのトラブルを自分を主語に話したことに、密かに反応していました(細かい)。

・で、公演中断中はなにをしていたかというと「下級生にマッサージしてもらったり」。肩つかれたなぁとぐるぐるしていたら、すぐに下級生が二人きてもんでくれた、と。

・あとひろみが来て写真とってた、と(ひーたんw)。普段早変わりで一緒にならないみなこもやってきて記念撮影、と思い思いの時間を過ごしていた模様。

・「でもこのままいったら(再開しなかったら)キタさん出番なくなっちゃうし!」

・そんなリラックスして過ごしても、舞台にでるときは「バチっと切り替えていきます」と。

・診療所で、バシュレが倒れて一端捌ける場面、セット裏では10人がひしめいている。セットの関係で(上から見えちゃうから)狭いスペースにみしっと(笑)。ナツキさんはキタさんにうちわで扇いでもらってるとか。

・診療所で「こういう時は一人でいない方がいい」とレアが来る場面。ナツキさんだったらこんな時どうしますか?と。自分だったらやっぱりそっとしておこうと思う、と。でもそこは男女の違いのようで、なぜか三木先生とこの話をした時に三木先生は「こういう時にはそばにいてほしい派」だとか(笑)。ちなみに正塚先生とはそういう話はしてない、と(笑)。

・オペラ座の場面の後ろ髪長いですかヅラ(なんて昭和なネタ)(いいのチカたんには通じるからいいの!)、はナツキさん的には「ナシ」だとか。「だって、ありえないですよね?」あれ、どうなってるんですかね、オフロとか入ったら(全部下ろしたら)「おかっぱ?」いやおかっぱにはならないよ(笑)

・月の王は「ミズナツキのパーソナリティを出している場面でもあるのだから(!)(ちょっときた)」地毛を予定していたけれど(!!)(さらにきた)、舞台稽古でやっぱり舞台映え的にも急遽ヅラに変更。私も最初はあのヅラは……と思ってたんですが、今はかえってヅラでよかったな、と。もしあそこが地毛だったら、もっとリアルというかもっともっと胸にせまっちゃう場面になったんじゃないかなぁ。ヅラである程度絵空事色が出せるというか。あの歌詞をさして「パーソナリティ」って意味だったかもしれないけれど、私はあの「もっともっと」と羽ばたくあの場面が「ミズナツキのパーソナリティ」だと、思う、の(はいはい君の解釈はいいからね)。

・今回の羽が今まで一番大きいかもと。羽自体の長さは変わってないが、背中に背負っている部分の羽をつけるベースのところがいつもより円周が大きくなっている。ああ、確かに背中から見えるその部分に羽をあしらってかくしているものなぁ、と納得(なんか背中のとこふわふわしててカワイイよね)(笑)


★ムラ千秋楽の話

・ムラ千秋楽の前夜は、やっぱり緊張していたのか眠れなくて、月光浴をしながら寝た。とカーテンをあけて、満月で(実際は満月の前日でした)。あー、このまま月を眺めながら寝ればいい、と。
(なんかエロいと思ったのは私だけだったようです)

・楽屋入りの時は黒を着ていて。別に白っていう決まりはなくて、ナガさんに聞いても「昔は白って訳じゃなかった」と。それがいつのまにか……ということだとか。「別に白じゃなくてもいいじゃん、学ランだって黒だし!」かしこまったりきっちりしたいときには黒を着るじゃないですか、と。つまりは「フォーマルブラック」ってことか!(笑)

・楽屋入りイベント。自分も今まで何度もやってきて送ってきて、それじゃあ自分の時にはなにをしてくれるのかなぁと思ったら、てるてる坊主に「そうきたか」と爆笑。うまくやったなーと感心すらするナツキさん。

・キムが着せてくれたファー付きのコートはナツキさん付きのお衣装部さん謹製。退団挨拶の大階段を降りる練習するときの楽屋着もそのお衣装部さんが作ってくれた。後ろにひらひらしたものがついていて「花組さんのエキサイターみたいな衣装だった!」と。東宝に向けても準備してくれているようなので、届くのが楽しみですと。

・退団者おそろいパーカーの話を聞かれて「T9(ティーナイン)?」。Tは退団者のT。番号の意味を問われて、退団者で集合することも多く、人数も多いので、その時に番号ふってあれば「○番いるー?」と点呼がとりやすい、と。最後までなんて効率的!!

・大楽は本当に大劇場を狭く感じた、と。宝塚大劇場は本当に「他に類を見ない」大きな劇場で、それを狭く感じたと。

・最後を意識したところはありますか?と聞かれ「いつだって大楽と思ってやってきた」と。

・ペンライトは伊織さんのサヨナラショーの時がすごく印象的で、うっかり泣いてしまって、自分の時は「ペンライトとかいいから!(泣くから!)」と言ってたのだけれど、実際に見ると青くて海みたいで、振る方向も揃っていて、すごくきれいだった、と。

・退団者で大階段を降りるまでの間が、退団者も多かったので結構時間があった。黒燕尾は「着慣れているので1分で着られる」のであっちをふらふら、こっちをふらふら(笑)。

・退団に際してかなった夢は黒燕尾で大階段を下りたこと。タカラジェンヌの制服は緑の袴だけど、あれは素化粧で着ることも多いし、やっぱり男役の制服は黒燕尾だと。

・花束はシンビジウム。「黒燕尾というとたいてい白薔薇か赤薔薇なんだもん」と。色は白と決めていて、カラーとかカサブランカとか候補はあったけれど、最終的にシンビジウムで。花束の形も気に入っている「でもみなこに(花束の先が刺さって)ごめんごめん、てなってたけど」と(笑)。

・花束贈呈で、同期のえりちあきさんがコサージュをつけてくれて。これがすごく緊張してたらしく、楽屋で何度も練習「大丈夫だって」「ちょちょ、ちょっともう一回やらせて」と(笑)。本番はつけてから「よくできたと思う」と自己評価。そんなこと言ってたのか(笑)

・そんなえりちあきちゃんも今回退団。彼女の退団になにもできないことを悔やんだナツキさん、せめても、と楽屋前が白くなる日にティッシュで白い花を作って「ほんの気持ちです」と写メを送ったとか(笑)

・パレードは、不思議と落ち着いていて。花道を造ってくれているファンの人は見慣れた顔で、特別という気がしなくて。そこにある想いも空気もいつも通り、と。

・車のことを問われて「だってみんなオープンカーなんだもん」と(笑)。いつも通りでいいんです、と。

・本人も天の邪鬼なんで、と言ってたけどほんと
「だってみんな白なんだもん><」
「だってみんな白薔薇か赤薔薇なんだもん><」
「だってみんなオープンカーなんだもん><」
 って感じだなぁ(笑)。

・暑い日だったので、待っているみなさんがほんと倒れないかどうか心配だったナツキさん。

・本当はそのまま花の道を歩いて帰りたかったナツキさん(笑)「まあいろいろ事情がありまして……」でしょうね(笑)。

・「なにかやりのこしたことはありますか?」的な事を聴かれて、「退団挨拶聴きました?(心底憤慨しているように)もう一ミリたりとも後悔はありません」と。

・辞めるのを辞めたいと思った事はありません、とも。


★その他

・握手会が終わってから「今度女子になるので(握手しながら)皆さんのファッションをチェックしていました」ちょっっw

・(そしていやそもそも女子ですから!と客席全員がつっこんだに違いない)

・抽選会、当選者数がひとりのを引くとき時とか、いちいち「えいっ!」って感じて気合いをいれいてるのがかわいかった(はいはい)。

・ナツキさんへのプレゼントは燕尾風の革ジャン。こういうのが似合う女子になりたいと……「こんな女子でもいいですか?」……すごくいい!

・(あとから一緒に行ったオトモダチにむっさんあの瞬間すごくきらきらしてたよ?と言われる)(自覚ナシ)(「か、釜が回る音は?」「それはしてない」)(笑)。





 最後の言葉は、すごく私の感情を織り交ぜて話すので、それゆえに意訳しまくりになるのですこし下げておきます。









★ラスト

・最後の挨拶で「私はファン生活をしたことないのですが」とファンをねぎらう話から。いつものように遠方からくる方も、毎日来てくださる方もと、いろいろな立場の人に思いを入れて、同じように。

・私も忙しかったけれど、「皆さんの方がもっと忙しかったと思います!」自分は遅い時間に楽屋出をして、翌朝ノーメイクで今起きたような顔をしてきてるのに、皆さんはあの時間からおうちに帰って、でも朝はメイクをちゃんとして(そこなんだやっぱり)(笑)待っていてくださる、と。

・「この関係をなんと言うんでしょうね……友達、ではないし、でもすごく信頼関係があって、不思議な関係ですよね、お手紙とかで、きっと私にしか言っていないようなことを書いてくださる方もいて…」
 
・「そういう皆さんがいてくれたから、私は自分を見つめ、自分を磨き、自分を支えることができた」と。この自分を見つめて、磨いて、というのがすごくナツキさんらしくて。

・で、これは後でTLで某あびたしおんさんがゆってて、膝を打ったのですが、「皆さんに支えられて、じゃなくて、皆さんがいて、自分で自分を支える」っていうのがナツキさんらしい、と……ああ、それすごい共感する!(勝手引用ごめんね)

・ここから私トークなのですが。何度か私が言っていた、「私はナツキさんの為にがんばる、って言いたくない。だってナツキさんはナツキさんでがんばって、私は私の為にがんばるから、でもそうやってがんばった私がナツキさんと会っているあの3時間がとてもいとおしい」……なんか、それを、すごく思ったんですね。

・ナツキさんの話に戻って、そうやって不思議な関係でこうやってご縁があって…ムラ茶の時も言ったけれど「ほんとうに、これで終わるの、か?」と(笑)。
今ここで出会えた事は偶然ではなくて、昔から応援してくださる方も、トップになってからファンになった方も、あるいはこの公演から出会えた方も、そうやって出会えたことに意味があって、そしてまだこれから時間を共有できるんです、と。この出会いとこの共有は「9/13以降に宝塚を観た人は味わえないものなんですよ!」と。確かに。

・で、これも私的にがんがん響いてしまって。私もずっと「今」って事を考えていたので。だって昔の私はぜんぜんミズナツキに反応していなくて、それがある時突然こうなって(笑)。でも昔を惜しむ気持ちはなくて、「今の」私だからこそ、「今の」ナツキさんを好きになったという気持ちがすごく強かったんですね……なんであのタイミングだったんだろう、なんで好きになったんだろう、その答えはずっと出てないのですが、けれどもたしかにあの時の「今」があったからこそ、ここに繋がっている。

・本当に自己満足曲解で申し訳ないのですが、そうやって、どんな風に応援してくれるひとも等しく思ってくれるナツキさんに、自分のこの中途半端な応援の仕方が届いたと思ったし、「自分を支える」というナツキさんだったからこそ、私も「私は私のためにがんばる」と思えたし、あの時の「今」に出会えたことが偶然でないと。
 すごく思いこみなんですが、想いは一緒だったのだな、と思えたのです。少なくとも私にはそれがとてもうれしかったのです。

・お茶会後のついったーのTLを見ていて、ナツキ担の皆さんがこの最後の言葉に、皆さんいろんな事を感じていて、それが皆さんがそれぞれ応援してきた道のりとか想いとか、ほんとうにそれぞれの受け止め方であの言葉を受け止めたのだなぁと。

・ナツキさんはあの言葉だけで、ちゃんとそれぞれの心に届く言葉を贈ってくれたんだなと。それぞれのタカラヅカと同様に、それぞれのミズナツキがいて……この末端にいる私ですらちゃんと、その言葉を受け取ったわけで。
 あの言葉は嘘じゃない「1×2500じゃなくて、1×1を2500」。
 本当に、本当に、誠実で、すごい人。

・千秋楽を観られない方もいらっしゃると思いますが、毎日が大楽と思ってやっていますから、と。

・泣かないでくださいとは言いません、でも悲しまないでください、と。そして「涙でお顔が見えませぬ」にならないでください、と(笑)(このネタも今楽屋では通じないけどここでなら通じるからうれしい、とも言ってました)。

・そこから話が飛んで、先日、知人が見に来ていたとき、黒燕尾の最後の場面で「わっ」と泣いてうつむいてしまった方がいて「ちょっと、それ見てないでしょ!」ちゃんと見てーと言わんばかりでのイキオイで、舞台上からツッコむナツキさん(笑)(ツッコむな)。

・泣いていて見なかったってならないように
 「穴があくほど見てください!!」





 いつも通りでした。泣きながら笑いながら、本当に何一つ嘘がない人だと思いました。ちゃんと、ちゃんと伝わってきました。しあわせな、しあわせなお茶会でした。


 終わってから、何度もはねず君に「いいのよ、泣いていいのよ」と言われたけれど(ありがとうね)、泣きたいような泣きたくないような、不思議な気持ちでした。悲しい、寂しい、というより、感無量。男泣き(笑)。

 私の胸はいつもナツキさんへの思いであふれていたのだけれど(……)そこに私から生まれたものだけじゃなくて、そこの半分はナツキさんからもらったものがあるのだなとか。


(この人は、ハズカシィネェー!!)(せしる口調)





 というわけで、最後の茶会メモでした。俺がんばった!!
 もちろん自分の為の記録であり、あるいは自分の変な意地の為の記録ではあったのですが、それを読んでくれる方に受け止めてもらって共有できたのがうれしかったです。ナツキさんの口調が伝わる、と言われたこともうれしかったです。
 おつきあいいただきありがとうございました。


 がんばった自分を誉めるために(笑)。またあーかいぶとしてはっておきます。

君愛東宝1
マリポサ大劇場
マリポサ東宝1
カラマACT
ゾロ大劇場
ゾロ東宝
ロシブル大劇場1
ロシブル東宝
赤十字ムラ1 
赤十字東宝
ロジェムラ1 



BACK  INDEX   NEXT