消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1918年12月31日(火)

いろんな気持ちが錯綜する

どれをつかまえて主軸にすえるかで

人生の傾きが決まる


1918年12月30日(月)

大きな風をつくる

かけめぐる風をつくる

ふきわたる風をつくる

ざわざわと椰子の葉を揺らすような風を

部屋いっぱいに


微風にはない爽快感


1918年12月29日(日)

面倒だと思っていたのでしょう

いかにもな逃げ口上を用意して

抜けようとしたのでしょう

だからきっと

別の難を与えられたのでしょう

神は公平

あなたのずるさをきちんと見抜いて


しまった と後悔したでしょうか


1918年12月28日(土)

ほんのちょっとのミス

そこで気が抜けていた証拠

慌てていたのかもしれない

いつもはしないミス

でも やっぱり迂闊なミス

回避できたはずだから


1918年12月27日(金)

静かに流れて行ったようだから

そっとそっとそっとしておこう

掘り返すのはやめよう

静かにどこかへ消えてゆけばいい

もう人の目に映らぬところへ


1918年12月26日(木)

決着は自分で

ピリオドは自分で

後始末は自分で

それがセオリーでしょ


でも早計ということもある

結果オーライにならないこともある

後悔に終わるだけもある


1918年12月25日(水)

小さなことでも
礼を尽くせば 
 (礼儀を果たすというカンカクに近いけれど)
時間をとられたとしてもすっきりする
この晴れ晴れ感が満足感で
意味はないけど幸せ感


1918年12月24日(火)

欲しいものか 必要なものか


必要なものか 必要でないものか



見極める目と 決断できるこころを


1918年12月23日(月)

空白のまま流れ去った時を追い求める


何を見たのだろう

何を思い何をしたのだろう

いったい 

生きていたのだろうか



眠っていたのでもよい

死んでいたとしてもかまわない


目覚めは来たのだ


ここちよい風と鳥の声

復活という言葉で


1918年12月22日(日)

いちめんの が好きだった

丘やのはら に惹かれた


でも今きみを見て

また  いちりんに立ち返る


1918年12月21日(土)

目を閉じて雑に生きるしかなかった数か月を

そうせざるを得なかった日々を

そんな生き方を始めたことを


吹き飛ばしてくれる青空に遇った


1918年12月20日(金)

代償として

大きな空を手にするだろう

遮るもののない宙をみるだろう


それだけで

全てを許せる


1918年12月19日(木)

自分の域ではないといってボイコットしても

無意味なのだ

ただ汚されてゆくだけ



大人であろうとすることだ

マイガーデン マイテリトリー とすることだ

さあパトロールに出かけよう


1918年12月18日(水)

動く庭 にしたくなった


古城のホールに立つ甲冑や

壁にある歴代の肖像画のように

光の移ろいはあっても動かぬもの というのでなく


生きている力を感じる動く庭へ シフトしたい


さしあたり

球根類の扱いを

まったく変えてみたいかな



樹木は別として

いつも変わらず同じ所に同じものがあることの安らぎを

これまで選んでいたけれど



驚きもほしいかな


1918年12月17日(火)

穏やかな気持ちでなければ

幸せな気持ちにはなれないのだと思う


イラッとする自分に嫌になるから

穏やかではいられない


案外 100%憎しみや怒りに駆られている人のほうが

自分を肯定していて幸せなのかもしれない




許せる それがポイントになるのだと思う

許せるとき 平らかなこころになれるのだと思う


1918年12月16日(月)

行動に移すのが早くなってる気がする

逡巡しなくなった

迂闊で早計になったということか



見逃し見過ごしがふえてる気がする

不安から時間に焦っているということか



何をどう意識すればいいのかなぁ


1918年12月15日(日)

何でもぎゅうぎゅうに詰め込み過ぎかも


余白があって 

あそびがあって

ムダがあることが 


ゆとりになる



詰め込まない という贅沢をしようか


1918年12月14日(土)

たのしむ

それが一番大事なのだ


満ち足りた平和な気持ちが

おのずと笑みを生むのだ

笑みが心を軽くするのだ


1918年12月13日(金)

ミヤマカタバミ?と思ったら

白のスミレだった

クリスマスローズのダブルもまた花をあげていた

黄色のイカリソウが咲き始めた

今日はレアばかり目についた

軽くするというのは

好きなものを残せばいいということなのだ

そう結論した

ずっと窮屈に生きていたのは

きっと好きでないものに囲まれていたからだ


1918年12月12日(木)

からだで春だとわかった

やっと春だとわかった

からだの中まであたたかい

ネックウォーマーもニット帽もいらない

フリースを一枚脱いだ


素直に春はいいなと思っていた頃の

その感じを思い出した


樹下に薄紫のイカリソウがそよそよ群れているのに気づいた

昨日は気づかなかったのにね

そのことがうれしくて仰いだら

空が青くて自然に笑顔になった


笑えたことがうれしかった

人に向ける笑顔でなく

自分で笑顔でいられることがしあわせ


そうして庭をまわったら

蕾だったヒヤシンスはレモンイエローだった

塀越しに公園の桜が満開に見えた

ルリハコベがあちこちに咲き出していた


ルンルンという弾む気持ちではないけれど

ただあたたかな満ち足りた気持ち

今年は春の兆しをとらえて喜ぶことができなかったけれど

真っ只中の春をよろこべた

それでいいのだと思う

それで普通の暮らしなのだと思う


気取らず走らずゆっくりでいい後からでもいい

大きな荷を背負い始めたのだから


暮らし方をかえればいいのだ

そう思ったら軽くなった


1918年12月11日(水)

今日はかりんの湯だった
ほのかに甘い香り
懐かしい気もちがした
スキーの温泉宿を思い出した

リゾートホテルでなく
スキーロッジでもなく
スキー場の温泉宿
湯殿の空気のやわらかさ

そんなお風呂だった
なんか気持ちが和らいだ


1918年12月10日(火)

今年の山吹はほんとうにきれい

剪定の高さがよかったのか

アジサイをのんで一面に

地面から枝先まで たくさんの黄色の花がゆれる

少し不思議な森に迷い込んだような

幻想的な空間になっている

一重だからなお軽やかで優しい

この高さ覚えておこう


1918年12月09日(月)

手をかけなくても

時は自然に流れている

小さな花たちが樹下でしっかり咲いている

樹々は形よく新芽を出し 樹形を展開している

人の手なんて及ばないのだ

内から漲るエネルギーを放出しているのだ


1918年12月08日(日)

不明というのは

まだ決定していないことだ

決まっていないことを

憂慮する必要はない

立ち止まらず進めていけばいい


1918年12月07日(土)

一斉に花開く

あんずも山吹も木蓮も

スミレもあちこちに


1918年12月06日(金)

私に喧嘩を吹っかけているのかしら

いいわよ 受けるわ

私の戦法は 戦わないということ

非戦です

まるっきり無視です

どうぞ勝手にご自由に

私はそこへは立ち入らないから


1918年12月05日(木)

良しとしよう

良しとしよう

それで良しとしよう



決定打など無いのだ

絶えず変更すればいいのだ


1918年12月04日(水)

癒しじゃなくて 
潤いでしょう

本当に必要なのは


疲れは癒されるかもしれないけれど
渇きは満たされない

渇きがものをこわすのだ
潤いがそれを防ぐのだ

壊れてゆくものをつないでいるのは
潤いなのだと思う


潤いを もっていたい


1918年12月03日(火)

遠野リサ という人物が実在するように思えてくる

その人の本が存在するような錯覚

その小説を読んでみたいと思えてくる

文字がちらついて離れない

声が耳に響く



不思議なドラマだった

どこに着地するのかと思っていた



ふわりと降り立った安全地帯

それぞれが苦渋を抜けた顔になっていた

自分を認め受けいれて

落ち着いた安堵の眼差しになっていた


1918年12月02日(月)

一つ花が終わった

一つ花が開き始めた

一つ蕾がほころんだ

ずっとにぎやかに愛らしいブーケ

ありがとう


1918年12月01日(日)

することはしている

そう思いたい



それは貸しなのだ

そう思いたい



いつか取り立てるから

そう思いたい




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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