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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2004年02月27日(金) --

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☆『指輪物語』の中の「マクベス」

世の中の多くの物語の基礎を成しているシェイクスピア作品ですが、 以前、『マクベス』の話をしていた時、→マクベス(その1) 『指輪物語』の中にも『マクベス』由来のネタが入っているって 言いましたよね。映画を見て、気が付きました?

「うん、すぐ判った。マクベスの魔女の予言でしょ?」

マクベスは滅びはせぬ、あのバーナムの森が
ダンシネインの丘に攻め上ってくるまでは

「『二つの塔』の中で、森の木のおじいさん達が ずんずん進んで塔を攻めるところ」 木の牧人、エント達ですね。 樹木の姿をしているので、森の木が直接城を攻めに来たように見える。 トリックでもなんでもない、言葉通り森が攻めてくるのでありました。

もうひとつは、今回の映画『王の帰還』の中にありました。 「これは簡単だよ」

マクベスを倒せる者はおらぬ、
女の産み落とした者のなかには

「もっとシンプルになってたけど。翼龍に乗った幽鬼の王。 "no man can not kill me"と威張って、manでないものに退治された」 やっぱり英語のひっかけなので、日本語にするともたつきますね。

実はもう一つ、映画では登場しなかったマクベス的場面があります。

いずれも医術から見はなされた病、
それが御手をふれただけでたちまち癒えます

マクベスの画策を逃れ、亡命中のマクダフとマルコムが、 「王の病」を癒すイングランド王の噂を聞きます。 このくだりはシェイクスピアが王に劇をお目にかける際、サービスで 御先祖エドワード懺悔王を誉めた場面と言われていますが、 「王は病を癒す力を持っている」という英国伝説が登場する訳ですね。

さて、映像化されなかった『指輪物語』の『王の帰還』の中では、 秘かにミナス・ティリスの都に入ったアラゴルンが、 「王の葉」と呼ばれる薬草を用いて、手の施し様がなかった 重病人達の命を救う場面があります。 (爽やかなハーブの描写が、とても気に入っているシーンなのですが) この、病人を救った奇跡のせいで、「癒し手」である真の王が 都に戻られた、という噂が人々の間に広がるのでした。

私としてはこの場面が「王の帰還」というテーマを象徴していると 思ったのですが、映画では真正面から帰還しました。

そういえば、狂乱のデネソール公はリア王ですね。 とすれば可哀想なファラミア様はコーデリアか。

あと、最近のマクベスものといえばあれでしょう、 リメイクされたTVドラマ『白い巨塔』(笑)。 さすがに時代が変わったので社会派医療ドラマと呼ぶには かなり苦しいけれど、そのぶんマクベス的権力闘争と破滅のドラマ、 といった骨格のほうを今回はより強調した作りになっています。 この話もまた後日。(ナルシア)


『マクベス』 著者:ウィリアム・シェイクスピア / 訳:福田 恒存 / 出版社:新潮文庫
『マクベス』 著者:ウィリアム・シェイクスピア / 訳:木下順二 / 出版社:岩波文庫
『マクベス−シェイクスピア全集3』 著者:ウィリアム・シェイクスピア / 訳:松岡和子 / 出版社:ちくま文庫
『マクベス−シェイクスピアコレクション』 著者:ウィリアム・シェイクスピア / 訳:三神勲 / 出版社:角川文庫クラッシクス

・『新版指輪物語』全7巻  
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
・『新版指輪物語』文庫 全10巻(『王の帰還』上・下)
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社

2003年02月27日(木) 『C・S・ルイスの秘密の国』
2002年02月27日(水) 『こころの処方箋』
2001年02月27日(火) 『アマリリス』

お天気猫や

-- 2004年02月26日(木) --

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☆映画・オブ・ザ・リング『王の帰還』(その二)

映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は、 原作『指輪物語』の膨大な世界を抱え込んだまま、 主だった場面を可能な限り映像化してみせました。 原作を大切にするあまり、語られない奥行きがありすぎて、 予備知識なく独立した映画として見た時、 観客に不親切じゃないか?という気もするくらい。 みなさん、同じ事を思ったんでしょうね、 『指輪物語』を出版している評論社、 「残された謎は原作で」って新聞広告出してました。 映画を見終わった途端、私は連れから質問攻めにあいました。 いや。待ってました、何でも聞いて、って感じですけど。

「伯爵出てこなかったけど、どうなっちゃったの」 「そうそう、蜜の声が聞けなくて残念でした、伯爵‥‥ じゃなくて。もと白の魔法使い、裏切り者サルマン。 ずっとオルサンクの塔の中に閉じ込められていますよ。 後に脱出して小悪事を働くような話もありますが、 大勢に影響ないのでカットですね」

「あの剣の強いお姫様は自分の国に帰って王様になるの?」 「なりませんよ。セオデン王がエオウィン姫に城を護れ、と言ったのは 戦いに行かせないで彼女を生き長らえさせるためでしたから」 「聞いちゃいない(笑)」 「ちゃんと兄様が生き残ったので、ローハンの次の王はエオメル様です」 「兄さん?兄さんいたっけ?」 「‥‥二作目からずっと出てますけど。金の髪輝く、王族の騎士兄妹」 「そーいや‥‥いたよーな。」 影薄いですね、エオメル様。 「それじゃあ、妹は?」 「還ってきた王の戴冠式のシーンで、1カットだけヒントが」 「あ、わかった!ふーん。そうなんだ」 「え、気がついた?すごい」 知ってないと分からなそうですけどね。 「ちょっと意外」 長い話がありまして。

「あの、森の妖精の女王様いるでしょ、」 「上のエルフ、森の奥方ガラドリエル様。はい」 「あのひとの横に立ってる人、誰?」 「‥‥ロスロリアンの森の殿、ガラドリエル様の夫ケレボルン様」 「えっ、旦那!いたの?」 「一作目から出てますけど」 「影薄い‥‥」 確かに。ずっと立ってるだけだし。

「それで、結局他の指輪はどうなったの? もと人間の九人の王の分はきっと滅びたね」 「金属加工技術に長けているドワーフは自分達で処分しました。 三つのエルフの指輪は‥‥最後に『実は私達が持ってました〜』って みんなで見せてくれるシーンが絶対あると思ったけど、なかったですねえ。 指輪の力が消える、と言った時映ってはいましたけど」 「あ、じゃあ一つは森の女王様のか。あとは?エージェント・スミス?」 「その名を言わない。宵の明星アルウェン姫のおとーさん、エルロンドですよ」 「名前覚えられないもん。あと一つは、あ、旦那?」 「旦那ってなんです。はずれ。 実はね、第三のエルフの指輪を持っていたのは‥‥」

「えーっ!あの人ナニモノ?」 身近に解説してくれる人がいない時は、原作読んで下さいね。 (ナルシア)


・『新版指輪物語』全7巻  
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
・『新版指輪物語』文庫 全10巻(『王の帰還』上・下)
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社

・映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』
監督・脚本:ピーター・ジャクソン/提供:日本ヘラルド映画、松竹

2003年02月26日(水) 『京都猫町さがし』
2002年02月26日(火) 『幽霊たち』
2001年02月26日(月) 『地球の長い午後』

お天気猫や

-- 2004年02月25日(水) --

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☆映画・オブ・ザ・リング『王の帰還』(その一)

壮大なる三部作、ついに完結。 映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』。 見て来ましたよ、朝一番で。 映画館を出る頃には連れ共々へろへろになっていました。 衝撃の第一作目『ロード・オブ・ザ・リング』(旅の仲間)から、 もう二年も経ったのですね。 →☆映画・オブ・ザ・リング

「‥‥毎回言ってるけど、ここまで集中力の要る映画ってないよ」 「原作では何十ページにもわたっている描写を、 映画では1カットに凝縮して見せたりしてますからね」 原作を読んでない連れは映像から必死で膨大な情報を読み取り、 原作を呼んでいる私は文章と映像の表現を比較しながら見ていますから、 どちらも滅茶苦茶に疲れます。 「普通だったらもっと気が抜けるような、どーでもいい場面とかあるでしょ?」 「なにしろ原作の量が量なので。ピピンが子供と友達になる場面とか、 秘かに還って来た王がハーブで病人を治す場面とか、 和むところは全部カットでしたね」 「我ながらこんな体力のいる映画、三作通してよく見たもんだ」 「スタッフもこんな労力のいる映画、三作通してよく作ってくれました」 一度でも指輪を手にしたものは、 生涯指輪の魔力から逃れる事はできない。 私達のような読者も、満員の観客も、映画制作者達もみんな、 一つの指輪をその手のひらに眺めて魅入られてしまった、 哀れにして幸福な仲間達です。

文章で表現された世界を視覚表現に置き換える場合は、 一般の読者が一人で想像するイメージを更に超える映像を 作って見せれば、批判はそれほど出ないでしょう。 ただ、文章そのものの美しさというものは、 映像に変換する事は出来ません。 ピーター・ジャクソン監督の原作テキストそのものに寄せる愛情は、 映画『王の帰還』の中の小さな場面に潜んでいました。 映画の中盤で登場人物によって語られたある台詞は、 本来は『指輪物語』のラストシーンに書かれた、ほんの数行の、 けれど極めて印象深い文章でした。 この短く美しい文章は映画の中で、映像にはされないで、 文章のまま、言葉で語られたのです。 「え?だってあの場面でガンダルフが言ってたのは 『その場所』の事じゃなかったよ、あれは」 同じなんですよ。 少なくとも監督はそう解釈したのだし、私もそういう意味だと思います。

台詞と言えば、小説の中ではそれぞれの人物の状況立場心情を 事細かに地の文で説明した上で長々とかわされる会話を、 制限された映画の上映時間の中で再現する事は出来ません。 原作の中から百分の一の台詞を選びだすか、 意訳的な短い台詞を作って説明するか。 例えば、映画の中でひっかかったのが、ローハンの姫君が言われた一言。 あれ?アラゴルン、こんな事言ったっけ? 家で原作を探してみました。 ちゃんと、ありました。 でも、姫に直接言った台詞じゃなくて、 姫の兄にこっそり語ったホンネというか。 「えーっなにそれ、どういう意味よ!」 と、姫に代わって思った方は、原作本をどうぞ。

「ねえ、映画でわかんなかった所も本には全部書いてあるの?」 「ほとんどは」 「それじゃあさあ、あれどうなったのあれ、」

とにもかくにも、旅はようやく終わりを告げたのです。 誰もが恐れ、誰もが欲する重荷を背負い、 半世紀前に書かれた小説『指輪物語』に忠誠の全てを傾け、 辛く苦しい道のりを乗り越えた映画『ロード・オブ・ザ・リング』 製作スタッフの並々ならぬ勲は、永く讃えられるであろう。 その二に続く。(ナルシア)


・『新版指輪物語』全7巻  
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
・『新版指輪物語』文庫 全10巻(「王の帰還」上・下)
著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二 ・田中明子 / 出版社:評論社

・映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』
監督・脚本:ピーター・ジャクソン/提供:日本ヘラルド映画、松竹

2003年02月25日(火) 『末枯れの花守り』
2002年02月25日(月) 『スター☆ガール』

お天気猫や

-- 2004年02月24日(火) --

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『薔薇猫ちゃん』

猫やのお客さまにも教えてもらった、 猫好きなら、ういッとヒゲがさわぐ本。 いや、どうもこのごろ、口の横がヒゲっぽく動くもので。 (ただの引きつりでは)

ただし、今は古書でしか手に入らないようだ。 読みたかったこの本を、やっと手にした。

童話かなと思っていたら、短い小説だった。 若い夫婦のもとにやってきた アビシニアンの仔猫、「薔薇猫ちゃん」。 プレゼントの薔薇の花を食べてしまったから、 奥さんがそう名付けた。

奥さんとご主人、そして薔薇猫ちゃんの、 みんなが少しずつ成長している暮らしのスケッチ。 ページのあいだにも、猫のスケッチがたくさん。 特に好きなのは、95ページの。 横たわってうっとり半目でながめる薔薇猫ちゃん。 左右の眼の大きさが、ちゃんとちがう。 うちの茶トラ猫も、同じようにする。 この手の格好も、そっくり。

ストーリー紹介は謎ときもあるので伏せておこう。 大人のためのおとぎ話でもある。

花や植物もあれこれ出てくる。 やっぱりルピナスを植えたいな。 学名はラテン語でオオカミの意味だとは。 でも、植えるならたくさん植えたい。 いつか、両側をルピナスに囲まれて歩きたい。

このお話は、ハッピーエンド。 薔薇猫ちゃん、ずっと、ずっと、 ふたりに季節を教えてあげて、幸せでいてね。 (マーズ)


『薔薇猫ちゃん』 著者:今江祥智 / 絵:宇野明喜良 / 出版社:原生林1990

2003年02月24日(月) 『めざめれば魔女』

お天気猫や

-- 2004年02月23日(月) --

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『アンデルセン童話集2』

アンデルセン(1805-1875)の創作童話集を あらためて読む機会があった。

3巻のシリーズで、第2巻は「人魚姫」や 「マッチ売りの少女」など、 12の短編が収められている。

アンデルセンは子どものころくり返し読んだ 童話全集のなかにもたくさん入っていて、 読んでいると、そのころの記憶や感覚がよみがえってくる。

タイトルはちがったけれど、 「野の白鳥」で、主人公のエリザ姫が、 継母に魔法で白鳥にされた11人の兄達を救うため、 命がけでもくもくとイラクサの上着を編む場面は、 かつて自分の指先で感じた棘の痛みすら、よみがえってくる。

私の読んでいた人魚姫はかなり割愛されていて、 姫の求めていたのは王子の愛だけではなく、 人間のように死んだ後も永遠に生きるための「魂」 だったことも、あらためて知った。

服が完成するまで口を聞いてはいけない、 というエリザへの交換条件と、 人魚姫が人間の足とひきかえに魔女に声を奪われることは、 同じように言葉のコミュニケーションを禁じられるという 意味で、興味深い。口がきけさえすれば、彼女たちの 困難は、ほとんど意味をなさないのだから。

「パンをふんだ娘」や「天使」、 「ある母親の物語」のように、 神と人間の関係を描いた説話的な悲しい話も、 アンデルセンの大きな特徴であることも、 あらためて思い知った。

「マッチ売りの少女」は本当に短く、 まさにマッチの燃え尽きるあいだに語られる かのような悲劇なのだった(救いでもあり)。

幸福だった雑草のヒナギクとヒバリの生き方と 願わざる死を描いた「ヒナギク」は、 いわゆるハッピーエンディングではないし、 お姫様も王子様も出てこないけれど、 作家の死生観がてらいなく映し出され、 ニューエイジ的ですらある。

「ヒナギク」は「すずの兵隊」(この巻には入っていない)で 描かれた死後の魂の救いには触れていないし、 むしろ唐突に訪れた悲劇で終っているかのようだが、 やはり二つの話には、救われるべき魂への想いが 横たわっているのだと思える。 (マーズ)


『アンデルセン童話集2』 著者:ハンス・クリスチャン・アンデルセン / 絵:初山滋 / 訳:大畑末吉 / 出版社:岩波少年文庫2000新版

2001年02月23日(金) ☆ 新本バーゲン

お天気猫や

-- 2004年02月19日(木) --

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『絵本のよろこび』

2003年にNHK人間講座で放送された 『絵本のよろこび』のテキストが、単行本に。

テキストのときはモノクロだったが、 いま、杉浦康平による装丁の大手術を経た本書は、 羽化した蝶を思わせるあでやかさだ。

著者は福音館の社長・会長を歴任した方、 というと私には遠い存在なのだが、 『こどものとも』を創刊し、 長新太を世に出したと聞けば、 急に近づいてくる。

『あおくんときいろちゃん』、
『ちいさいおうち』、
『おおきなかぶ』、
『もりのなか』
『おおかみと七ひきのこやぎ』、
『スーホの白い馬』・・

読み継がれてきた名作絵本の数々をとりあげ、 人間どうしのコミュニケーションをうながす 絵本と人生との関わりを読み解いてゆく。

名作といえば、私自身は子どものころ、レオ・レオニの 『あおくんときいろちゃん』に出会う幸運に恵まれなかった。 だから、甥が1歳になるかならぬのうちに、 さっそく(一方的に)プレゼントした。

そういえば感想を聞いていなかったので、 そろそろ読んだ?と聞いてみよう。 そしてこんどは、『スイミー』を送りたい。 『ちいさいおうち』も、もうそこに待っている。 (マーズ)


『絵本のよろこび』 著者:松居直 / 出版社:NHK出版2003

2003年02月19日(水) 『えんの松原』
2002年02月19日(火) 『ひと月の夏』
2001年02月19日(月) ☆植物たちの夢

お天気猫や

-- 2004年02月18日(水) --

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『ギリシア 風の島のカテリーナ』(世界の子どもたち14)

オリンピックにちなんで、というのでも ないけれど、ギリシアの資料を探していて 図書館で借りてきた。

他にギリシア神話や観光の本も借りたけど、 子どもの生活を写真で紹介しながら世界じゅうを旅する このシリーズは、群を抜いてインパクトがある。

ミコノス島に住む少女、カテリーナ。 あとがきによれば、著者は、この「典型的なギリシャ人の顔」をした、 活発で「勉強以外すべてベスト」と先生が太鼓判を押した カテリーナをみつけたとき、仕事の大半が終った ような気持ちになったという。

表紙には、笑顔のカテリーナ。 この一枚だけで、内容が推し量れるほど、 写真は雄弁に語っている。 家族と共に日々の幸せをつつましく生きる少女。 白亜の壁をつらねた家々が、 エーゲ海のブルーに映えるさま。 遠く、オリンポスの神々からつづいてきた きらめく光の名残。 それらすべてを、この写真は表しているのだった。

家での過ごし方や、学校での様子、 ともだち、ささやかな楽しみ、 季節をつげる行事、宗教。 幼い魂が一身に捧げる、ミコノス島への愛。

このシリーズを世界全部読んだら、 子どもたちがどんなに平和を求めているか、 何よりそのことがわかるのではないだろうか。

ギリシア共和国の人口は、約1000万人。 国土は日本の約3分の1。 歴史は7000年前にさかのぼる。

ミコノスは与論島と姉妹縁組をしているそうだ。 (マーズ)


『ギリシア 風の島のカテリーナ』(世界の子どもたち14) 著者・写真:広河隆一 / 出版社:偕成社1986

2003年02月18日(火) 『幸せなフランス雑貨』
2002年02月18日(月) 『ふしぎをのせたアリエル号』

お天気猫や

-- 2004年02月17日(火) --

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『人生の塩』

旅先で買った新刊本。 ここを読んでくださっている方は気づいているだろうが、 私は本当にめったなことでは新刊を買わない。

旅先だったから、そしてやはり私のポケットには 「ひとつかみの人生の塩」が必要だったから、 手にしたのだろう。

「死を恐れている人へ。」 「母親なしでは生きていけない人へ。」 さまざまな状況にある「創られし者」への 33通のメッセージとともに、 章の終わりには、花や植物のプレゼントがある。

たとえば、「幸せが怖い人」には、 最初に出くわした公園の、一本の年老いた オークの木の傍で座るようにすすめる。 少なくても一時間は、そうしているといい、と。

著者パオロ・モスカは、イタリアのベストセラー作家でジャーナリスト。 劇作家であり、詩集も手がけるという。 母テレーザは、息子に教えた。

「家の外でお前に起こるすべてのことに、 良いことにも悪いことにも、 この塩で味と風味をつけることができるんだよ」(引用)

そして、モスカは言う。 この秘密を知った私たちも、 モスカ家の五番目の娘であり息子となれるのだと。

ミラノに滞在する訳者は、 現地の書店でこの本を知ったそうだ。 こういう本が、日本へ旅をするにはもってこいの 出会いだったといえるだろう。 そこにもポケットのなかの『人生の塩』が 関係していたにちがいない。

なぜか、校正ミスという塩は多めだった。 だから、渡り鳥の落とした種から咲く花を、贈りたい。 一文字のなかにも深い意味を秘めた 文章であれば、なおさら。 (マーズ)


『人生の塩』 著者:パオロ・モスカ / 訳:島田船陛 / 出版社:ダイヤモンド社2003

2003年02月17日(月) 『ふくろう模様の皿』

お天気猫や

-- 2004年02月16日(月) --

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『坊ちゃんの時代』1-5

凛冽たり近代
なお生彩あり明治人
(引用)

ここに添えられた現代から明治への共感が、 ふと口をついて出る。 日本はこれからどこへ行こうとしているのか。 そこに意志はあるのか、それとも 逆らうことは許されない流れなのか。

各巻のタイトルを追ってみると、

1.坊ちゃんの時代
2.秋の舞姫
3.かの蒼空に
4.明治流星雨
5.不機嫌亭漱石

漱石に始まり漱石に終る明治終焉の群像漫画は、 これまで私のなかでぼやけきっていた霧のむこうの時代を、 この世とつながった時代のこととしてとらえさせてくれた。

主人公である漱石自身は、第二巻から四巻ではほとんど 出て来ず、始まりと終わりの幕を引く役どころ。 登場人物は豪華である。 森鴎外、石川啄木、幸徳秋水らを筆頭に、 幾多の文化人や体制側の人間(維新後命を温存しえた者たち)、 反体制側の人間(主義者)、 異邦人たちも加わって、 壮大なタペストリーが織り上げられてゆく。

第一巻を読みながら、このたび 新札に樋口一葉を起用することになった 発想のもとを見たようにも思った。

にもかかわらず、 通読すれば、かの文化人たちが、 女性と関わるコミュニケーション力において、 いかに非力で消極的だったかを、思い知らされた。 ここでは女性は「太陽」どころか、幻想にすぎない。

男性にとって、人生のパートナーとなる女性と 真剣に深く関われないということは、 時代が旧弊であったとしても、 人生そのものに深くかかわりたくないという 姿勢をあらわしていると言えないだろうか。

描き方次第でどうにもなるとはいえ、 漱石が胃と神経をわずらい、啄木が赤貧のうちに 果てたのは事実である。鴎外の舞姫一件がどこまでの 事実かは知らないが、強権な生家の環境は事実だろう。

ひいては己れの人生を他者に任せ愚弄することにもつながる、 不器用と呼ぶにはあまりに哀切に満ちた「自虐性」。 彼らのほぼ全員が、幼少時の環境から受けた傷をそのままに 抱え続け、もはや記憶の表にものぼらない原因による苦悶を耐え、 ある者は破滅していったのだ。啄木のように。

彼らは、アダルト・チルドレンのもつ苦しみと喜びを 身をもって世に問うている。芸術家のほとんどはそうだ、と 言われればそれまでだが。彼らにかの苦しみがなければ、 名作がいまに残ることはなかっただろう。 そしてまた、かの苦しみがなければ、世界に復讐する 独裁者も生まれなかっただろう。

現在のAC急増が第二次大戦と戦後のもたらした遺産だとすれば、 明治末の群像は、維新(ご一新であり瓦解でもある)の 混乱や日清日露の戦争が残した疵だったのだろうか。 江戸が終るまでの日本と、その後の日本。 そこにはどんな違いがあったのか。 時代が大きくゆらいだあと、世代が変ってから、 ACは増える。 平和な時代が長く続けば、不安の種は芽を出さずに 眠っていられるのだろうか。

現在と影のように重なる、よみがえった明治の群像とともに歩き、 あれこれ、そんなことを思い迷わずにはいられなかった。 すぐに結論の出ることもない問いかけだろうと知りながら。 (マーズ)


『坊ちゃんの時代』第1部-5部 作:関川夏央 / 絵:谷口ジロー / 出版社:双葉社アクションコミックス1987-1997

2001年02月16日(金) 『サンタをのせたクリスマス電車』

お天気猫や

-- 2004年02月13日(金) --

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『カリン島見聞記(上)』

あとがきに、こう書いている。

僕の作品は、ずいぶん前から、同じことばかり 言ってきたような気がする。 だからといって、昨日と違うことを言う街に 住みたいとは思わない。 たぶん、それが僕の歩き方なのだ。

たぶん、私たちがますむらひろしに求める ものは、マンネリを越えた永遠に不可侵の世界であり、 夏のプールのあとで耳から出る水みたいに、 じゅっとなるような感覚なのだろう。

右ページにはショートストーリーが、 左ページには一葉の漫画が描かれ、 ペンギンたちの島での体験がつづられる。

ここにはあの大猫は出てこないけれど、 やはり不思議は生え、そして降る。 80年代に描かれたという丸みのあるラインには アタゴオルとは少しちがう時間が流れているようだ。

とはいえ、後半の連続中編、キリコという水晶のペンギンが 登場する話は、どこかヒデヨシの子育てを思い出させる。 ペンギンの島のフランケンシュタインは、 やがて動きをとめるけれど、 最後に何かを約束してくれるようでもある。

降りることを忘れる闇月鉄道に乗ってしまったような ぐるぐるまわりの日々を送りながら、 これからもずっと、 ますむらひろしの本を開く楽しみを。

とりあえずは、下巻も読みたい。 (マーズ)


『カリン島見聞記(上)』 著者・絵:ますむらひろし / 出版社:ポプラ社2003

2003年02月13日(木) 『まいごになったおにんぎょう』
2002年02月13日(水) 『ミッドナイト・ブルー』
2001年02月13日(火) 『ファッションデザイナー』その(2)

お天気猫や

-- 2004年02月12日(木) --

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『ガラスのエレベーター宇宙にとびだす』

続編がつねにすばらしいものではないことを 私たちはよく知っている。
しかし。 『チョコレート工場の秘密』を知ってしまった あなたは、もう、ワンカ・ワールドを とことん冒険しつくすしかない。 そばにチョコレートの一箱もあれば、 悪酔いしないことうけあいかも。

舞台は宇宙、といっても地球の外まわり、 スペースシャトルが行けるくらいの宇宙だ。 チャーリー少年と、かの工場の生みの親であるワンカ氏、 チャーリーの祖父母4人と父母までが ガラスのエレベーター宇宙船の乗組員となる。

工場のなかであれほど私たちを魅了した 謎の紳士ワンカさんが、こんどは宇宙で突拍子もない冒険へ 連れていってくれるのだ。

しかも、さらに驚かされるのは、後半、チョコレート工場へ 無事に帰り着いてからの、生命と時間の神秘に満ちた どんでん返しのオンパレード。

貧しく、弱々しかったチャーリー少年は、 もうすっかり元気な普通の少年。 好奇心にあふれ、冒険の喜びにわくわくしている。 そして、相変わらずベッドに縛りついている祖父母 (ジョーじいさん以外の)たちが、 後半では問題多き主人公となっていた。

それにしても。 前半のストーリーって、いわゆるSFのジュブナイルと 呼んでもいいのだろうか? ガラスのエレベーター乗員たちが ホワイトハウスのアメリカ大統領一味とわたりあう場面では、 なかなかコショウが効いていた。 でも、後半だって、時間をテーマにしたSFでもある。 『チョコレート工場の秘密』がファンタジーならば、 続編は、どちらかというとマルクス兄弟みたいな SF版スラップスティック、かな? (マーズ)


『ガラスのエレベーター宇宙にとびだす』 著者:ロアルド・ダール / 絵:J・シンデルマン / 訳:田村隆一 / 出版社:評論社1978

2003年02月12日(水) 『だいすきよ、ブルーカンガルー!』
2002年02月12日(火) ☆街のワンダーランドにて。
2001年02月12日(月) ☆古いエイビーロード。

お天気猫や

-- 2004年02月10日(火) --

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☆1800年代の後半。

楽しみにしていた割には、ずっと後回しにしていた本を、 今、やっと開いている。 開いた途端に、 「エジプト、ナイル(1859年)」 という文字に目がとまり、はたと読書も止まっている。 『八月の博物館』(瀬名秀明 / 角川文庫)の1ページ目で。

そういえば、昨日読み終わった『半身』( サラ・ウォーターズ / 創元推理文庫)も1800年代で、同じ1800年代でも時代の空気というか、 物語のテイストが、当然ながら『十五少年漂流記』( J・ベルヌ / 講談社青い鳥文庫)とは、全然違うと、妙に感じ入ったこと である。

だからどうと言うこともないけれど、 ふっと、1800年代の後半というのは、割と最近のこと、 100年そこそこ前の、「実体」のある時代だなあと、 意外なくらい身近に感じたのだ。

『半身』は、1874年、ロンドンのミルバンク監獄をある貴婦人が 慰問したことから謎に満ちた物語が始まる。

『十五少年漂流記』は、1860年15人の少年を乗せた船が遭難し、 無人島に流れ着き、そこからサバイバルの日々が始まる。

『八月の博物館』は、まだ読み始めで、全然ストーリーを 知らないのだけれど、 あらすじ紹介によれば、小説の意味を問い続ける作家、 小学校最後の夏休みを駆け抜ける少年、 エジプトに魅せられた19世紀の考古学者による、 三つの物語が展開するようで、何はともあれ、冒頭は、 1859年のエジプト。

全くの偶然だけれど、立て続けに、 19世紀後半の小説を読んでいると、そのころの世界は どんなだったろうと、 ちょっと興味が湧いてきた。

お隣の中国では、 1840年から1860年まで、 アヘン戦争、アロー号戦争、太平天国の乱と、 激動の時代である。 ロシアはクリミア戦争(1853〜56)で英仏に敗北し、 ドイツ・ビスマルクのベルリン会議(1878年)もあれば、 フランスは、二月革命やらパリ・コミューンやら。 イギリスは、ヴィクトリア女王の時代で、 セポイの反乱後、イギリス領インド帝国が成立したり。

まさに、19世紀から20世紀へ、時代が大きくうねり変動している。

で、日本はどうかというと、 現在の大河ドラマ(『新撰組!』)の頃である。 幕末から明治への時代の転換期。 1867年の大政奉還で江戸幕府がたおれ、 王政復古の大号令により、翌1868年から明治が始まる。

15人の少年たちが遭難し、サバイバル生活を余儀なくされていた頃、 新撰組が京を闊歩していた。 ミルバンク監獄を舞台にしたある貴婦人と霊媒の娘の奇妙な交流が 行われていた頃、戊辰戦争が終わり、明治の中央集権制が 整備されている。

ところで。 19世紀後半の日本を舞台にした小説は何があるだろうかと 首を傾けたけれど、ほとんど翻訳物しか読まない私には なかなか思いつかない。

1850年代くらいだと、  
『竜馬がゆく(1)〜(8)』(司馬遼太郎 / 文春文庫)  
1860年代だと、  
『和宮様御留』(有吉佐和子 / 講談社文庫)  
『新選組血風録』(司馬遼太郎 / 角川文庫)

もちろん、面白くて優れた歴史小説・時代小説はもっともっと あるだろうけど。

ジャンルや舞台は違っても、 同時代の本を続けて読むことで、 時代を横断して、ちょっと世界を俯瞰した気分になっている。 (シィアル)

2003年02月10日(月) 『ひかりの国のタッシンダ』
2001年02月10日(土) 『夏草の記憶』

お天気猫や

-- 2004年02月09日(月) --

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『トキオ』

過去と現在の関係は、そして未来は。

親子の確執と共感を、タイム・パラドックスと ハードボイルドアクションの両輪でドライブする。

1979年、浅草で、二人は出会う。 目的を見つけられず、定職にも就かず毎日を浪費していた 宮本拓実は、トキオと名乗る青年に出会ったのだ。 千鶴子というしっかりものの彼女もいるが、いつも がっかりさせてばかりの拓実。 そんな拓実の生い立ちや、誰も知らないような事情を知っている くせに、時代から取り残されたようなトキオ。 彼と時を過ごすにつれ、 拓実のなかで、変化が起こる。

トキオと拓実は、突然消えた千鶴子を探し、 千鶴子の持つ情報目当ての追手をかわしながら、 名古屋、大阪へと向かう。 ちりばめられた当時の世相や流行に、私たちは、 ときどき、ページをめくる手にブレーキをかける。 20年前。 それは、そんなに遠い過去ではない。 ここに登場するあれこれは、今も記憶に鮮明だ。 その当時はわからなかったけれど、今となってみれば、 20年など、何ほどのものだろう。 遠くはないけれど、決してもう手のとどかない過去。 拓実と同じように、目的も何もなかった日々。

闇の世界とわたりあう命をかけたレースに、 人生を遠ざけていた拓実は、真剣にのめり込んでゆく。

この姿には、なつかしさがある。 そうだ、これは彼だ。 ハイタカであり、ゲドとなったあの若者。 若い日に自ら招いた災厄がもたらした魂の試練を経て、 傲慢さをぬぐい去った、後の大賢人にして大魔法使い。 ゲドの姿が拓実に重なったことで、シンパシィが増した。

私たちは、読みながらずっと考えている。 トキオが姿を消すのはいつなのだろう。 いったい、ほんとうのトキオは何者なのだろう。 未来から来た青年が、目的を果たして いなくなるときを、思い描く。 でもやがて、どうしようもなく、そのときは来る。 私たちすべてに死が訪れるように、確実に。

未来を思い煩うよりも、過去と向き合って いまを生きること。 私たちにできることは、それだけなのかもしれない。 (マーズ)


『トキオ』 著者:東野圭吾 / 出版社:講談社2002

2001年02月09日(金) 『Feng Shui for Cats』

お天気猫や

-- 2004年02月06日(金) --

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『中原淳一の幸せな食卓―昭和を彩る料理と歳時記』

☆幸せって、何だろうか。

昭和という時代は、生活の中に「四季」があった時代だと、 今、ふっと、思った。 四季折々の衣・食・住。 季節感。 現在は、季節感が失われた奇妙な時代だ。 一年で一番寒い二月、如月。 あまりの寒さに、衣服を重ねて着ようと思うけれど、 店頭はとうに、春の服一色だ。 文句を言いつつも、 暖房の利いた部屋で、Tシャツでアイスクリームをなめたりしている。

季節を愛でることができる、豊かさのあった時代が それが昭和だったのじゃないかと、今、思う。 家族で食卓を囲み、四季それぞれの旬を味わう。 当時は、普通のことだったけれど、 今や「中食(なかしょく)」の全盛時代で、 食卓を家族で囲むことはあっても、 食卓の主役は出来合いのお弁当やお総菜だったり。

そんなことを思いながら、開く『幸せな食卓』。 歳時記ものや、暮らしのスタイルを取り上げたものが大好きな私は、 一も二もなく、買ったのだった。 それに、中原淳一さんの本は、高価なものが多いので、 文庫で手にとれるのは、嬉しかった。 1月から12月まで、イラストで綴られた 季節のメニューや暮らしのヒント、 そこからは「時代」の匂いが感じられる。 几帳面できまじめな時代。 昭和20年代や40年代にかかれた雑誌の連載が ここにまとめられているのだが、 中原さん個人の価値観だけでなく、 「当時」がどのような時代であったか、察せられる。

決して豊かではない時代に、 贅沢を求めるのではなく、 暮らしの中で、いかに豊かさを失わないでいるか。 たとえ現実的でなくても、 豊かさを夢見ることも、 日々の暮らしの中の大切な潤いであったろう。 昭和20年代のレシピの文言を見つつ、 そんなことを思った。 戦争があった時代の、 少女が憧れた華やかな食卓のメニューは、 庶民の暮らしとは無縁であったろうけれど、 夢を、明日の希望を、形にしたものだと思う。

戦争が終わった直後の昭和22年、23年のレシピには、 入手困難だった砂糖の代わりにサッカリンやズルチンが使用されている。 24年のレシピには、「お砂糖の配給がありましたから」と、 お砂糖を使ったスポンジケーキのレシピが。 食べていくこと、そのものが難しかった時代で、 戦争はまだ、身近にあり、昭和25年には朝鮮戦争が勃発した。

とても可愛らしいイラストブックだが、 行間からかいま見られる「時代」を思うと、 「幸せな食卓」というものは、 まずはとりあえず、「平和」の食卓であろうと、 そんなことをついつい、考えてしまった。(シィアル)

※ 本自体は、乙女度の高い、ほんとうに可愛い本です。

ひな祭のお客のために(3月)  乙女のパーティーのために(4月)  苺のお菓子と苺のジャムと夏蜜柑のマーマレード(5月)  歴史を映すクリスマスケーキ(12月)  食卓は招く人の心のあらわれ e.t.c.


『中原淳一の幸せな食卓―昭和を彩る料理と歳時記』 著者:中原淳一 / 出版社:集英社be文庫2003

2003年02月06日(木) 『ロザムンドおばさんのお茶の時間』
2002年02月06日(水) ☆すき間読書、じっくり読書。
2001年02月06日(火) 『巫子』

お天気猫や

-- 2004年02月05日(木) --

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『ミナを着て旅に出よう』

ミナの服をつくっているデザイナー、 ミナをつくったデザイナー。

ミナというブランド名は、皆川さんの名前から とったものだと単純に思っていた。

『ミナ』とは、フィンランド語で『自分』を 意味する言葉なのだと知った。 皆川さんが、フィンランドへの旅を 大切に思っていることも。 フィンランドだけでなく、旅することで 未知の自分に出会うことを希求していることも。 皆川さんが100年以上つづく『ミナ』を想っていること、 それは知っていたような気がする。

この薄い手帳のような本は、 カウブックスの松浦さんによって聞き書きで まとめられたもの、らしい。 道をさがす誰かのために、皆川さんが 直接語りかけてくるような、 クローズドな関係を感じさせる本。 最後にはふたりの対談も収録されている。

自分の歩いてゆく道に『落ちている』ものを 拾ってゆくのだ、という経験からの言葉に、私も微笑む。 近くにないものをやみくもに探すことより、 いま歩いている周りを、ちらちらと観察すること。 私たちの前にあらわれるものにはすべて、 意味がひそんでいると、だんだんわかってくる。

私は本物のミナの服を見たことがない。 白金にあるミナ・ペルフォネンにも行ったことはないし、 テレビのドキュメンタリーで、ファブリックを作って 服にする皆川さんとスタッフを見ただけだ。

私がいままでに好きで買っていた最高に高い服は、 powderの服たち。でも今は限られた場所でしか手に入らない。 というより、ほとんど手に入らない。 ミナはたぶん、もう少し高いと思う。 内と外のギャップがある人に、ミナを着てもらえると うれしい、と皆川さんはいう。 それはまさに私のことかも、と すみっこでつぶやいてみる。 せめていまは、こころにミナを着ていよう。 (マーズ)


『ミナを着て旅に出よう』 著者:皆川明(監修:松浦弥太郎) / 出版社:DAI-X出版2003

2003年02月05日(水) 『山びこのメルヘン』
2002年02月05日(火) 『アラバマ物語』
2001年02月05日(月) 『私家版』

お天気猫や

-- 2004年02月04日(水) --

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『あのころはフリードリヒがいた』

☆文学というものの力。

原題は『あのころは、それがフリードリヒだった(DAMALS WAR ES FRIEDRICH)』。 私は、どちらかというと、森よりも木を見るタイプ。 森よりも、木が気になってしまう。 だから、物語そのものにも大きなショックを受けたけれど、 物語の中のフレーズやセンテンスに、動揺してしまった。

物語を読み終わり、解説に目を通す。 原題は、『あのころは、それがフリードリヒだった』 日本語としては、分かりづらいけれど、 そのひっかかりがよけいに、読後の思いを深くしていく。 著者は、このタイトルにどういう思いを込めたのだろうと。

ナチス独裁政権下のドイツ。 ヒトラーの反ユダヤ主義の下、ユダヤ人は国家的な迫害に苦しみ、 人々も日ごとに人間性を失っていく。 ドイツ人少年の「ぼく」とユダヤ人少年フリードリヒも時代の 狂気の中に、否応なく巻き込まれていく。 両親の愛に包まれ裕福で幸せに暮らしていたフリードリヒが 家族を失い、惨い死に連れ去られるまでが「ぼく」の目で 描かれている。

戦争の残酷さや不合理、怒りや悲しみを描いた作品は多々ある。 素晴らしい文学作品はもちろん、たくさんあり、 この物語もその中の一つだ。

ドイツ人少年「ぼく」の目を通して残忍なヒトラーの ユダヤ人迫害が、語られる。 街が、人が、変貌していく。 ユダヤ人が職場から、街から、やがてその住まいからも追い出され、 不条理な暴力にさらされる。 そのユダヤ人が、「ぼく」の大切な人たち。 「ぼく」のとまどいや痛みが、 淡々とした物語から、静かに、そしてその分だけ深く伝わってくる。 無力な「ぼく」のとまどいは、善良なるが故に弱者たる 普通の人々、そして私自身の、思いそのものである。 その優しく弱い少年をも全体主義の暴力は絡め取っていく。 私たちは何ができるのだろうと、 私は何をすべきなのだろうと、 本を読みながら考えるけれど、 恐怖に立ちすくむ自分の姿しか、私には見えない。

物語は、フリードリヒの死で終わる。 唐突に、終わる。 その死に対して、何も語られず、ぷつりと。 だから、私は、語られなかった、「ぼく」の悲しみを思い、 悲しみを言い表す言葉を探し、 言葉では足りない悲しみに打ちひしがれ、 悲しみの向こうに続くだろう、「ぼく」の日常にまで、 なにがしかの意味を探そうとする。 深く心を揺さぶる、文学の力をしみじみと感じている。

この物語の「ぼく」とフリードリヒは1925年生まれで、 それは、著者のハンス・ペーター・リヒターの生まれた年でもある。 『あのころは、それがフリードリヒだった』 無惨に踏みにじられたフリードリヒの命。 数え切れないほどの、フリードリヒがいたのだ。 「ぼく」であるハンス少年は、 それから、目をそらすことが許されなかったのだ。 どんなにつらく、瞼を閉じたくても。 (シィアル)


『あのころはフリードリヒがいた』 著者:ハンス・ペーター・リヒター / 訳:上田真而子 / 出版社:岩波少年文庫2000

2003年02月04日(火) 『光をはこぶ娘』
2002年02月04日(月) ☆最近読んでいる本

お天気猫や

-- 2004年02月03日(火) --

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『文房具を買いに』

この人、あの片岡義男よね、と言い合いながら 友人に借りてきた本。

ヴェランダが春の陽ざしを受けている。 これがデフレ・スパイラルをも同時に照らしているとは とても思えない、穏やかに充実した感触のある、 晴天の直射光だ。 そのなかにテーブルを置き、黒いバックグラウンドを作り、 そこにクレール・フォンテーヌのノートブックを 何冊か配置する。(引用)

著者自ら撮影した文房具の写真とエッセイが、見開きで 交互にページをつくってゆく。 文房具好きというよりも、写真撮影の薀蓄や 写真対象としての文房具へのこだわりを「執拗に」書いているので、 カメラの知識があるほうが楽しめるかと思う。

その執拗さは、やはり作家ならではのもので、 何かを一心不乱に、天啓のごとく追究する姿勢でもって これが単なるオシャレな文房具ガイドとは 一線を画していることを、私たちはすぐに悟る。

実際に使ったことのある文房具もあれば、 存在すら知らなかったものもある。 私にとってもなつかしい銀座の文房具屋を思い出させてくれる かずかずの知的作業の僕(しもべ)たち。 僕(しもべ)たちのポートレイト。 カメラを通して心象を映し込んだ、 本物の質感とは違うはずの画像。

黄色い表紙のメモ帳を積み上げた 「ロディアの塔」をながめながら、あなたは ただものではない、と思えるだろうか。 (マーズ)


『文房具を買いに』 著者・写真:片岡義男 / 出版社:東京書籍2003

2003年02月03日(月) 『黒ねこのおきゃくさま』

お天気猫や

-- 2004年02月02日(月) --

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『春になったら苺を摘みに』

いつもより少し、異邦人としての梨木香歩が、 真剣なエッセイのなかにたたずんでいる。

イギリス留学時代からずっと続く、 ホームステイ先の女主人、ウェスト夫人とのつきあい。 そして、彼女のまわりにはりめぐらされた、 人たちとのつきあい。

しがらみと呼ぶには、あまりにも繊細な異邦の交流。 けれど、透明に近くなったお互いの距離が、 どこかでふっとくもってしまう。 「人を愛することは誰にでもできる平凡なことだが、 理解することは誰にでも許されることではない」 と言ったL・M・モンゴメリを思い出す。

読んでいて、はっとした。 「夜行列車」というタイトルの一篇は、 そのモンゴメリにちなんだ大陸横断鉄道の旅だった。 梨木香歩がモンゴメリの世界にどれほど潜って いるのかがわかる、ほとんど説明のいらない「意思」。 作品だけでなく、モンゴメリの人生の暗い面にも シンパシィを感じとっている人から発せられた、 いく条かの光線に触れた。

列車の中でのできごと。 人生の瞬間瞬間のすべてに意味があるのだとすれば、 「ここはあなたの席ではない」といわれる悲しみは、 モンゴメリが少女時代、この道をたどった帰り道での 心境にも通じるものがあった、のかもしれず。

つい先日、『裏庭』を読み返したばかりで、 あの世界と『からくりからくさ』の空気のあいだを 風船のようにただよっている私には、この本で 着地する場所を見つけたような思いがした。 (マーズ)


『春になったら苺を摘みに』 著者:梨木香歩 / 出版社:新潮社2002

2001年02月02日(金) ☆新美南吉(1)

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