2009年09月01日(火)  防災ずきんを防空ずきんと呼んでしまう

9月1日は防災の日だということを娘のたまが保育園に通っているおかげで、ここ数年思い出させてもらっている。毎年この日には園で防災訓練があり、お迎えのときは父兄は引き渡し訓練をする。いつものお迎えと違うのは「すでに先生方が荷物をまとめてくださっている」ことと「父兄のフルネームを名乗る」ことと「3才未満の小さい子はおんぶして帰る」こと。

たまは3才になったのでおんぶの必要はないのだけど、おんぶして帰ることにすると、背負った途端、泣き出した。「あさも おんぶが よかったよー」。昨日はわたしの仕事が遅くなるのでじいじばあばの家にお泊まりしたのだが、ぐっと我慢していた淋しさが、おんぶされた安堵で一気に吐き出されたらしい。泣きじゃくるたまをおんぶであやしながら家路についた。

防災訓練では何をやっているのか、これまでわからなかったが、今年は「かじになると えんちょうせんせいが バケツもってきて くれるんだよ」などと報告してくれる。これは火事のときの消火訓練か? 家に帰ると、タオルや座布団を頭にかぶり、「ぼうさいずきーん」と遊び出したので、ずきんをかぶる練習をした様子。防災ずきんは今年から園に常備することになり、どこで売ってるんだ、と探し回った挙げ句、楽天にてメール便で送ってくれるものを見つけて購入した。「防災ずきん」という言葉がどうも使い慣れず、つい「防空ずきん」と言ってしまう。同年代の保育園の先生も「防空ずきん」とつられて、「世代かしら?」と笑い合う。防空ずきんもなじみがあるわけではないのだけど……。

2008年09月01日(月)  『ブタがいた教室』と『ヤング@ハート』
2007年09月01日(土)  第2回ユニバーサル映画祭
2004年09月01日(水)  年を取らない誕生日
2003年09月01日(月)  「うんざりがに」普及運動


2009年08月31日(月)  愛のないヤツとは仕事せえへん

撮影監督出身の津田豊滋監督に会ったのは、2004年、『丹下左膳 百万両の壺』で監督デビューされる少し前のことだった。前田哲監督の『パローレ』の試写を観終えて、前田さんとお茶をしに入った渋谷のセガフレードで、木下ほうかさんとお茶しているところに加わらせてもらった。大阪弁でよくしゃべる気さくな人柄に好印象を持った。去年、共通の知人の披露宴で再会したとき、ちゃんと覚えていてくれたのは、別な共通の知人がいたからで、その人からお互いのことは何となく耳に入れていた。

その津田監督と、出会ったセガフレードでまたお会いした。津田さんと十年来組んでいる映像技術車の鈴木康公さんを紹介され、三人で二時間ほどお茶したのだけど、これがとても楽しかった。母国語の大阪弁で話すと、言いたいことがちゃんと言葉になって伝わる感覚がある。津田監督とじっくり話してみると、生理的に好きなことと嫌いなことが近いこともわかった。作品の中で人を殺したくないとか血を見せたくないとか、ファンタジーや夢のある話が好きだとか。CMもたくさん手がけられているので、「CM一本の予算で映画作れちゃうんですよねえ」という話で盛り上がった。

『ぼくとママの黄色い自転車』主演の武井証君を『いま会いに行きます』より早く『丹下左膳』で起用した話、今まででいちばん楽しかったのは「世界の車窓から」の撮影、ロスで仕事していた頃もあってマイケル・ジャクソンの『BAD』も撮影したので、ちょっと前は追いかけられて大変だった話……「へー」「ほんまですかー」と身を乗り出しつつ、「そういえば」とわたしもボールを投げる。大阪弁の会話にありがちな、話題があっちゃこっちゃ行っては戻ってくるのが楽しい。鈴木さんも大阪弁だったからすっかり関西人かと思ったら、「つられているだけです」。

「俺は愛のないヤツとは仕事せえへん」という言葉が気に入った。

2008年08月31日(日)  マタニティオレンジ327 くるくる ぐるぐる 何度でも
2007年08月31日(金)  『怪談』より怖い話
2005年08月31日(水)  佳夏の誕生日
2004年08月31日(火)  東京ディズニーランド『ブレイジング・リズム』


2009年08月30日(日)  朝ドラ「つばさ」第23週は「旅立ちのうた」

25日の火曜日に開設された公式掲示板(公式サイトトップページからどうぞ。書き込みもぜひ!)でも賛否両論の「つばさ」。否定的意見もしっかり載せる潔さにもチャレンジを感じるが、わたしのまわりでも「ついていけない」派が少なからずいて、そんな人たちには、「観続けていたら、きっと面白くなるから!」と言い続けてきた。その甲斐あって、踏みとどまってくれた人や舞い戻って人たちが、今では「あと一か月で終わっちゃうの?」と淋しがってくれていたりする。

わが家にも脱落者が一人いて、放送開始時2才8か月だった娘のたまは、「ちゅばさ、きらい」「シーザーきらい」「いないいないばあ、みるー」とテレビの音量をかき消していた。それをあの手この手でなだめすかすこと数か月。7月に会った同い年のアオチンが主題歌を歌い「ゆうかちゃん、かわいい」などと言うのを見て、一気に歩み寄りを見せ、「きょうは ゆうかちゃん でないねー」「ラジオぽてと」などと口走るようになった。第22週で登場した「川越〜チャレンジ〜イエイ!」のジングルを気に入って口ずさんだかと思うと、「たけちゃん、ちゅばさのおとうさん」とまで言い出し、急成長。

3歳児にも毎日の視聴習慣が継続は力なりになることがわかったけれど、「つばさ」は第1週から巻いてきた伏線をどんどん刈り取っていくので、ずっと観ている人にとっては、「あれはこういう意味だったか!」と発見する楽しみがある。今後はさらに回収率が上がるので、乞うご期待。

ところで、昨日、浅草サンバカーニバルの打ち上げを抜け出したご近所仲間のミキ嬢からゴキゲンな電話があった。会社のサンバチームの応援に行っていたらしいが、「うちのチームの指導してるブラジル人ダンサーが、前に朝ドラで西城秀樹さんと共演したことがあるんだって。朝ドラつながりで今井さんに電話しちゃった」と言うので、「それって、つばさの第19週に出てたビバマリア役のアンドレアさんじゃない?」と言うと、「ええっ、前って言ってたけど、今の朝ドラ?」と電話の向こうで動揺するミキ嬢。「ごめん。その週観てない」と言い訳するので、「っていうか、西城さんが出てるといえば、つばさでしょう」と突っ込むと、「ぎゃーどうしよう。ほとんど観てないのバレちゃった」。うろたえる酔っぱらいミキ嬢に「つばさを観てたら、もっとテンション上がったのに、もったいない!」と言うと、「サンバだけでもすっごく感動したのに、もっと感動できたのかあー!」と酔いにまかせて悔しがっていた。

さて、西城さん演じる斎藤は、第22週でラジオぽてとが念願の広場になったのを見届け、明日からの第23週「旅立ちのうた」で川越を出て行くことに。回を追うごとにどんどんカッコ良くなるヒロリン。打ち上げで間近で拝見したご本人も、タダ者でない渋さで、スターの貫禄。ヒロリンファンの皆様にはたまらない週となるはず。しかし、旅立つのは、ヒロリンだけではなく……。

この週のあらすじを聞いて思い出したのは、はるか20年以上前、中学生だったか高校生だったかのときに観た『ファミリー』という洋画。母親の死期が迫った兄弟姉妹が次々と里親に引き取られていく話で、一人去るたびにハンカチ一枚分ほど号泣し、涙を拭く布がなくて困った記憶がある(調べてみると、1983年アメリカABCで放映。日本ヘラルドで配給)。ハンカチ四枚もしくはそれ以上をご用意して、どうぞ。演出は初登場の松川博敬さん。

続く第24週「あなたを守りたい」は再び今井雅子のクレジットが毎日出る増量週間。冨士眞奈美さん演じる城之内房子のラジオぽてとへの揺さぶりが激しさを増し、最終週へ向けて、ますます目が離せない展開に。どうぞ最後まで見届けてくださいませ。

2008年08月30日(土)  インド三昧、のち、『ペガモ星人の襲来』
2007年08月30日(木)  マタニティオレンジ169 布おむつはエコかエゴか


2009年08月28日(金)  『映画とたべもの』と「レシピに著作権がない」問題

ご近所仲間で映画通のT氏に贈呈された『映画とたべもの』を読み始めた。映画評論家の渡辺祥子さんが『マチルダ』のパンケーキや『初恋のきた道』の水餃子やアメリの『クレーム・ブリュレ』など劇中に登場する食べものをキーワードに綴ったエッセイ。登場する食べものの数もさることながら、主演男優の好きな飲み物が紹介されていたり、同じ食べものが登場した他の映画の名前を挙げたり、内容ももりだくさんでおなかいっぱい楽しめる。

読んであらためて気づいたのは、わたしも映画を食べもので覚えていること。食いしんぼだから「おいしそう」と思いながら観てしまうのだろう。ストーリーは忘れてしまって食べものだけ覚えている作品もある。食べる場面を書くのも好きで、とくに映画ではよく食べる。映画における食事回数の平均値(そんな統計はあるのか?)は上回っていると思う。公開中の『ぼくとママの黄色い自転車』では主人公の少年が旅先で出会う人ごとに食事を共にしている。

知り合いの監督やプロデューサーには「食べものの映画、やりたいです」とアピールしている。脚本家じゃなくても試食家でもいいです、と。映画関係車の間でも話題の『南極料理人』(公開中)と『食堂かたつむり』(製作中?)は、すごく観たいし、関わっている人がすごく羨ましい。

何を食べるか、誰と食べるか、どんな風に食べるか。食事は食べる人の生活や人生を豊かに物語る。それを作る場合はなおさら。どんな材料をどれぐらいずつ、どんなスパイスや隠し味を使うのか、そこに料理人の好みや食べる人への思いは色濃く反映される。先日、東京カリ〜番長の調理担当で著書も多数ある水野仁輔君と話しているときに、「レシピには著作権がないんですよ」という話になった。オリジナルのレシピでも材料の「小さじ1」を「2」に替えられたら、真似されたとは言えなくなるとか。「だから、レシピにキャラクターをつけていかなきゃいけないんです」と水野君。簡単に真似されるレシピにオリジナリティをつけるのは、料理人の親しみやすさやユニークさなのだという。水野君の書くレシピには物語が宿っていて、それを読むと食べたくなり、作りたくなる。でも、レシピって本来、作り手のあたたかみを添えて伝えられるべきもの。分量だけを記した指示書みたいな顔つきをしていても、著作権は守られるべきなのではないかしら。

2008年08月28日(木)  3年ぶりの健康診断
2007年08月28日(火)  マタニティオレンジ167 ベビーシッター代ぐらいは稼がないと
2005年08月28日(日)  高円寺阿波踊り2日目
2004年08月28日(土)  『心は孤独なアトム』と谷川俊太郎


2009年08月27日(木)  応援団をやっていて良かったこと

今月初めに七大戦の演舞演奏会を観に行って以来、血中応援団濃度が幾分高まっているところに、親交のあった神戸大学応援団の同期より創立50周年記念誌への寄稿依頼があった。熱のほとばしるまま一気に書いた原稿のタイトルは、「脚本家になるには」。わたしが脚本家になれたのも、あり続けられるのも、応援団で身についた気力体力忍耐力交渉力感動力飲み会サバイバル術などの賜物。脚本家を目指す若者には、応援団に入ることをおすすめしたい。そうすれば、衰退しつつある応援団界も活気づくし、根性のある脚本家も育つ……といった内容。

別に応援団でなくてもいいのだけど、無駄だと思えるようなことに没頭したり、限界まで自分を追い詰めて、己の弱さと向き合う経験をした先にしか見えない風景があると思う。どちらかというとしんどいことや不条理なことが多い応援団という特殊な世界に身を置くうちに、「人生は、自分で何とかしていくしかない」という悟りのようなものと、それに必要なたくましさを得たとわたしは思っている。あれだけ辛い思いをしたのだから、その後何があっても耐えられるというのとは違う。苦労や努力を喜びや楽しみに転換して、自分の人生は自分で面白くしてやるという気構えのようなものができた。

応援団の四年間に何の意味があるかなんて、中にいるときにはわからない。社会に出て、壁にごんごんぶつかり、乗り越えるたびに、案外図太い自分の土台があの四年間に作られていたことに少しずつ気づく。会社員のコピーライターを経てフリーの脚本家という自力本願度の高い立場になって、なおさら応援団で授かった基礎体力ならぬ基礎生き抜き力に気づかされる毎日だ。その反動で、「脚本家になるにはどうしたらいいですか。ヒマなときにでも教えてください」「今の会社がつまらないので脚本家にでもなりたいと思いますが、ぶっちゃけ、食べていけますか」なんてメールを送ってくる他力本願な志願者には喝を入れたくなってしまう。デビューできるかどうか、食えるかどうか、自分の才能を宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのも、あなた次第なんですよと。

応援団の経験のもたらすうまみは年を経るごとに熟成され、脚本業だけでなく子育てにも役立つことを日々実感している。思うようにならない育児もまた気力体力忍耐力勝負であり、開き直りや面白がり精神に助けられる。先日は上野動物園で娘のたまを肩車していたおかげで友人のダンナさんに見つけていただいたが、「母親が肩車しているのは珍しいので、つい顔を見た」ところわたしだったのだそう。チアリーダー時代は同じぐらいの体重の部員を担ぎ合っていたので、十数キロの娘を肩に乗せるのは、だっこよりもラクに感じる。

先日、たまが人形を縦に二つ重ねているのを見て、ふと「ショルダースタンドもできるのではないか」と好奇心にかられた。試しに肩の上に立たせてみたら、意外なほどの安定感。しっかりと足をロック(力を入れて固めること)していて、びくともしない。その姿勢でポーズを取らせ、調子に乗って、たまを乗っけたまま360度回ってみた。これは客人が来たときの座興に使えるのではないか、などと考えてしまうのも応援団出身の性かもしれない。宴会芸もまた応援合戦だった。

2008年08月27日(水)  『トウキョウソナタ』『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』
2007年08月27日(月)  ひさびさのおきらくレシピ「野菜いろいろジュレ」
2005年08月27日(土)  高円寺阿波踊り1日目
2004年08月27日(金)  汐汲坂(しおくみざか)ガーデン
2002年08月27日(火)  虹の向こう


2009年08月26日(水)  エンドロールまで感服『グラン・トリノ』

「今年のナンバーワンだ」「イーストウッド監督作品でベストだ」などと会う人ごとに絶賛し、「まだ観てないの? 観たほうがいいよ」と強烈におすすめされていた『グラン・トリノ』。映画製作に関わる一人として、これぐらい圧倒的に支持される作品を作ってみたいものだわと羨望を覚えつつ、『築城せよ!』や『スラムドッグ$ミリオネア』や神保町シアターの成瀬巳喜男特集を優先させるうちにロングランのロードショーは終わってしまい、待つことひと月。三軒茶屋シネマで一週間上映される情報を得て、つかまえに行った。

広告会社のひとつ上のアートディレクターで、一週間に20回食事を共にするほど仲良くなったタカマツミキが住んでいたのが三軒茶屋で、沿線の鷺沼に住んでいたわたしは、週に何度か途中下車して、会社帰りにご飯を食べていた。三茶に来ると、20代の頃の自分やミキのことを思い出されて、照れくさいような懐かしさが込み上げる。

ミキと映画を観るのは必ず渋谷で、三茶に二つある映画館で彼女と観た記憶はない。見逃した作品を追いかけて、別の人と何度か観に行ったことはあり、沖縄サミットに情熱を燃やしていた小渕恵三元首相が熱烈に薦めていたという噂を聞きつけて観た『ナビイの恋』を観たのも三茶だったと思う。その三軒茶屋中央劇場の手前にあるビルの二階が、三軒茶屋シネマだった。狭い入口から小さな劇場を想像したら、予想外に大きく、二階席まである。いつもの映画館の感覚で座席に腰を下ろすと、座椅子が跳ね上がった。年季が入ってバネが利かなくなっているらしい。椅子を変えても同じことで、座り心地には贅沢は言えないけれど、これもまた味。川越キネマも長い歴史に幕を下ろす前は、こういうガタガタ椅子だったのだろう。

さて、お待ちかねの本編。同じくイーストウッド監督作品の『チェンジリング』にも言えることだけど、扱われるエピソードが劇的でショッキングである分、演出は抑制がきいていて、観客を目撃者の目にさせるところがある。その結果、すごいことが起こってるぞと見せつけられるよりも、むしろ画面に引き込まれ、息を呑んで見守ることになる。そして、「物語を転がす事件のために事件を起こす」ような無理やこじつけを感じさせず、映画の中で起きている出来事が真実味を帯びてくる。ともすれば嘘っぽくなりそうな題材をそれっぽく描く。その違いは、細やかな心配りの積み重ねだろうか。根性焼きやリンチの生々しさ。パンク娘や新米神父や街のゴロつき、隣家に集うモン族の一人一人に至るまでがまとう、いかにもな雰囲気。そして、もちろん、主演のイーストウッド演じる偏屈者の元軍人のもっともらしさ。キャラクターから傷までが映画の時間を生きている。タイトルにもなっている自慢の名車グラン・トリノもまた、主人公に永年寄り添ってきた確かな存在として息づいている。God is in the details(神は細部に宿る).「作り込む」というのは凝りまくることではなく、細部まで目を配り気を抜かないこと、「作り抜く」ことなのだと作品のあちこちに宿る神たちが語っている。

わかりやすいメッセージを連呼するのではなく、どうする、どうすると観客に投げかけ続ける。答えを提示するのではなく、観客に答えを考えさせ、求めさせる。息抜きの場面に見えた何気ない台詞やエピソードが後で重い意味を持つ伏線になっていたりして、高度だなあ、上質だなあと感心する。憎まれ口をたたきあう悪友の理髪師にヒゲを剃らせる場面で主人公の決意の固さを感じさせるとは。心を開き合った隣人のモン族青年をギャングの従兄たちの攻撃から守るために彼が考え、実行した解決策は悲劇ではあるけれど、考えうる最良の方法だと思わせる説得力があった。

エンドロールのバックは、グラン・トリノが走り抜けた海沿いの道をカメラを据えたまま延々と流し続ける。次々と走り去る車が、さまざまな人生を運んで行く。わたしだったら、ついグラン・トリノを追いかけたくなるところだけれど、それは主題歌に任せたイーストウッド監督。諸行無常を感じさせ、流れる人生について立ち止まって考えさせるような深みのあるタイトルバックに唸った。

2008年08月26日(火)  ゴ○○リから「テン」を取って「マル」をつけたら
2007年08月26日(日)  マタニティオレンジ166 お風呂で初U  
2005年08月26日(金)  『道成寺一幕』→『螢光 TOKYO』
2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る
2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2009年08月25日(火)  7か月ぶりに髪を切って

忙しくなると真っ先に削ってしまうのが、美容院へ行く時間。3月に元同僚の披露宴があったときにヘアメイクをお願いしたけれど、最後に髪を切ったのはその2か月前、1月のことだった。「つばさ」の脚本開発は一段落したし、伸びきった髪をバッサリ切ることに。毎朝セットをする手間ひまを惜しむために、パーマとセットで考えていたのだけれど、美容院へ行った先週水曜日は、お盆明けの定休日翌日ということで混み合い、カットだけになった。長さは肩よりちょっと短いぐらい。ブローしてもらったときは、うまくまとまって、大人のボブというたたずまいになったけれど、それ以降は髪が外向いたり内向いたりで、中学生のおかっぱみたいになっている。こういう髪型の男性経済評論家もいたような……。保育園へ行くと、切りっぱなしのおかっぱ頭の女の子たちが、「おんなじ、おんなじ」「たまちゃんのママ、おそろいねー」と駆け寄ってくる。

毎回の雑誌占い、今回はFIGAROの読書特集。どういう雑誌を持って来られるかで、自分がどういう趣味の人間に見られているのかを占えるわけだけど、ちょうど読みたいものが運ばれてきた。前にもFIGAROを読みふけった気がするから、カルテに「FIGARO好き」とメモされているのかもしれない。雑誌はそもそも買わない上に病院や銀行で待つこともないから、美容院ぐらいでしか読まない。こんなにむさぼるように読む人って、いないだろうなと思う。話しかける隙がないのか、担当のスタイリストさんは必要最小限のことしか声をかけてこないけれど、話したことは何か月経っていてもよく覚えている。ほどよい距離感が好ましくて、いつもその人を指名する。

2008年08月25日(月)  新藤兼人監督最新作『石内尋常高等小學校 花は散れども』
2007年08月25日(土)  マタニティオレンジ165 誕生日の記念写真
2005年08月25日(木)  『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)
2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子
2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2009年08月24日(月)  電車の中で膝パソコン

電車の座席で膝にパソコンを広げてカチャカチャ打つ人と立て続けに隣り合わせた。以前、新幹線で隣に座った女性が東京から大阪まで打ち続けていて、とても落ち着かなかった覚えがある。それは五年以上前のことで、膝パソコンしながら移動する人を初めて見たわたしは、「よっぽど仕事に追われているんだなあ」と思いつつ、自分も追い立てられているようで落ち着かなかった。

カチャカチャというキーボードを打つ音が平穏を邪魔するのは、音が耳障りというのとは少し違う。自分が打つ耳慣れたリズムとの微妙なズレが生む違和感が、すり傷のように引っかかってくる。音自体はさほど大きなものではないけれど、空気が乱されるような居心地の悪さが生じる。最近はずいぶん減ったけれど、携帯電話のキー操作音をオンにしたまま隣の席でメールを打たれると、ピ、ピ、ピ、ピという不規則な機械音のリズムにムズムズして、なんとも困った。

キー操作音をオフにするのがマナーの常識になったのと入れ替わるように、膝パソコンが台頭してきた気がする。締切に追われている同業者なのか、これから出る打ち合わせの資料を確認しているのか、移動中もネットサーフィンを続けているのか。見ている内容は携帯電話とさほど変わらないのかもしれない。わたしも携帯でパソコンのメールや自分のサイトをチェックする。でも、携帯電話だと気にならないのにパソコンだと耳だけではなく目にも障ってしまうのは、なぜなのだろう。

携帯電話の風景に慣れてしまったというのもあるのだろうけれど、パソコンを打つというのはわたしにとって「人に見られたくない行為」だから気になるのではと思い至る。誰もいないダイニングテーブルで日々キーをたたいているわたしの姿は、とても人にお見せできるものではない。極度の近視だけど眼鏡をかけると目が疲れるので、かけているのはピンホール眼鏡。傍目にはアイマスクをしているように見えるはずだ。肩こり防止のため、足は現代版青竹踏みのような健康グッズに乗せ、締切に向かってダダダダダと打ちまくる。うちに泊まった友人が翌日もわが家でくつろぎながら「わたしのことは気にしないで仕事して」と言ったりするけれど、そういうわけにはいかない。

身を削って書く様は昔話の『鶴の恩返し』のつる、翻案された『夕鶴』のつうのようだと思うことがよくあるけれど、「わたしが機を織っているところを決して見てはいけません」と鶴やつうが言ったように、パソコン作業中のわたしの姿は門外不出のものだ。あまりに時間がなくて、打ち合わせにパソコンを持ち込み、話しながら脚本を手直しするということをときどきやるけれど、背に腹は代えられん、の捨て身の覚悟で衆人環視の中パソコンを打つ。だから、電車で膝パソコンは、わたしにとっては電車で着替えぐらい勇気のいることで、「よくやるなあ」という目で見てしまう。その色眼鏡があるから、音も気に障るのかもしれない。

電車の中もオフィスになるこの光景にもそのうち慣れて、わたしも膝パソコンをするようになるのだろうか。

【お知らせ】『ぼくとママの黄色い自転車』公開3日目

見てくださった方、ありがとうございます。レビューいろいろ書き込んでいただけるとうれしいです。(レビューサイト、拾いきれてないものがありましたらお知らせください)

>>>yahoo映画
>>>moviewalker
>>>@nifty映画
>>>eiga.com
>>>cinematopics
>>>映画生活
>>>シネママガジン
>>>シネマトゥデイ
>>>goo映画
>>>TSUTAYA
>>>レッツエンジョイ東京
>>>mixiレビュー(ページを見るには会員登録が必要です)

書き込みと言えば、朝ドラ「つばさ」公式掲示板、8月25日午後5時オープン。公式サイトトップページからどうぞ。見どころ盛りだくさんのサイト、わたしのお気に入りはスタジオ捜索隊のコーナー。ホーロー看板、あまたま君&ぽてと君、らくらくおそうじセンジュ君など「つばさ」ワールドを彩る小道具などを紹介。第9週に登場した『おはなしの木』も読めます。

2008年08月24日(日)  マタニティオレンジ326 あかちゃんとポポちゃん
2007年08月24日(金)  半年ぶりに髪を切る
2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 
2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング


2009年08月23日(日)  朝ドラ「つばさ」第22週は「信じる力」

今井雅子脚本の6本目の映画『ぼくとママの黄色い自転車』公開2日目。初日に観に行ってくれた方から感想が続々。ありがとうございます。あわせて、「つばさ」への感想も。2週にわたってお届けした玉木家の父、竹雄の物語に「ずっしりと重いテーマで見応えがあった」「この週のための中村梅雀さんの起用だったんですね」といったお褒めの言葉に交じって、「つばさはこのままシリアス路線になっちゃうの?」と第1週からのパワー爆発な弾けっぷりを惜しむ声も。ご心配なく、「つばさ」の明るいノリは健在。雨降って地固まるの玉木家では、第22週から「新生・玉木家」モードに突入。部屋割り、席順、それぞれの甘玉堂との向き合い方など、家の中のさまざまなところに明るく前向きな変化が。力を抜いて観られるコミカルな場面もふえるので、ひき続きお楽しみに。

「力を抜く」ことも22週のテーマ。頑張りすぎて失敗を招いたり、よかれと思ってやったことが迷惑がられたり。力を入れることが逆効果になることも。つばさの幼なじみ、お隣の万里(吉田桂子)がぶつかっているのは、新米社員の力みの壁。「お前にあるのは独走性と強調性だ!」と上司に叱られたわたしにも苦い思い出が……。力を入れ過ぎるがゆえに空回りし、つばさとも衝突した万里が、ラジオぽてとの新企画「川越チャレンジ」での挑戦を通して、どう成長するかの一週間。

タイトルは「信じる力」。完成台本では「元気をあげる」となっていて、メルマガ「いまいまさこカフェ通信」でも旧い名前でお知らせしてしまいました。申し訳ありません。「元気をあげる」つもりで応援していたら逆に元気をもらったりするし、応援の本質は「信じる」ことだったりするから、より意味深いタイトルとなった。つばさと万里を信じて見守る家族の姿に、家族が何よりの応援団だなと気づかされる。

演出は、8、9、15、17週の福井充広さん。「脚本協力 今井雅子」のクレジットが毎日出る増量週間なので、オープニングもどうぞお楽しみに。第22週のキーワードでもある「チャレンジ」は、英語でchallenge。この単語の中にchangeとcanが入っていて、しかも、changeはchanceに手を伸ばした形みたいだ、と気づいて、『チャンス!チャレンジ!チェンジ!』というエッセイを月刊ドラマに寄せたことがある>>>こちらのいちばん下のコラム)。チャレンジ精神にあふれた「つばさ」の脚本開発に関われたことは、今井雅子にとっても、『チャンス!チャレンジ!チェンジ!』だったと思っている。あと5週間、最終週まで「つばさ」をお楽しみください。

2008年08月23日(土)  マタニティオレンジ325 じいじばあばあの二度目の子育て
2007年08月23日(木)  マタニティオレンジ164 ついに布おむつの出番
2005年08月23日(火)  たっぷり3時間『もとの黙阿弥』
2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展


2009年08月22日(土)  『ぼくとママの黄色い自転車』公開初日+たま3歳

娘のたまの3歳の誕生日と3年ぶりの映画公開が重なった今日、朝から「誕生日おめでとう」と「映画初日おめでとう」のメールが続々舞い込む。半数ほどが「誕生日&初日おめでとう」メール。誕生日ガール本人の希望を聞き入れ、デニーズ(「おむつやさんのうえのレストラン」と呼ぶ)で朝ご飯を食べてから、『ぼくとママの黄色い自転車』一回目の舞台挨拶目当てに新宿バルト9へ。子どもは置いていくつもりだったのだけど、「たまちゃんも、ぼくとママときいろいじてんしゃみたいよう」とせがむので、連れて行くことに。タイトルを覚えて応援してくれているのはうれしいけど、「ぼくとママの」が何度直しても「ぼくとママと」になる。

川越で「ちゅばさ」を見つけるときと同様、『ぼくママ』センサーを働かせるたま。バルト9へ向かう一階エレベーターフロアの壁に備え付けのフライヤーボックスを指差すと、そこにはリーフレットが。9階ロビーでは、小豆島へ行こう!!キャンペーンをめざとく発見。「ぼくとママの黄色い○○○」の○を埋めるオープン懸賞で小豆島への旅や地元の名産品などが当たるというもので、せっせと応募用紙に書き込む人の姿が見られた。たまの写真を撮っているところに、小豆島から上京されたオリーブランドの柳生好彦さんとお嬢さんが現れ、一緒にスクリーン9へ移動。

受付前では、今井雅子コミュニティ管理人であるナルセさんと一年半ぶり、2度目の対面。たまへの誕生日プレゼントにキャロル・リングが歌う「リアリー・ロージー」というテレビ番組のサントラをいただいた。音楽通のナルセさんらしいセレクト。

舞台挨拶は、新堂冬樹さん、阿部サダヲさん、武井証くん、鈴木京香さん、河野圭太監督が登壇。新堂さんの隣に立った阿部さんが 「日焼けってあんまりしたことないんで、びっくりしてます」と言い、 笑いを誘った。 京香さんも、新堂さんのことを「夏って感じの人」と評し、客席も皆さんも新堂さんの日焼けっぷりに驚かれていた様子。

武井くんのはきはきとした受け答えに、今日も大人たちはタジタジ。「どんな役者になりたいですか?」と司会の方に聞かれて、「また一緒にやりたいと言われるような役者になりたいです」。 「武井君の後だと、コメントがしょぼくなる」とぼやいて笑いを取っていた阿部さんは、「ぼくも、またやりたいって言われるように頑張ります」。河野監督は武井くんを「いちばん信頼している役者」と言い、その理由として、勘の良さを挙げた。新堂さんは、自分の作品が映像化されることには不安があるものだけど、この映画は自分の書いた小説以上に感動したと語り、「正直、2度の試写で2度とも号泣しました」と告白。あたたかな笑いと拍手に包まれた和やかな舞台挨拶となった。

この舞台挨拶をダンナとたまとともに一家で舞台袖から立ち見する予定だったのだけど、「たまちゃん、すわりたい」とぐずりだし、これは舞台挨拶の邪魔になると判断して、ダンナに「外に連れ出して」と頼んだところ、「ウワーン」と泣き出した。「ママがいいよう〜」と泣き叫びながら連れ去られる娘を「ごめんね」と見送りながら、引き裂かれる母と子というこの状況は映画の設定とかぶる、と思ってしまった。

どうやら、たまは、ぼくママを観に行くと聞いて、映画館の椅子に座って鑑賞すると思っていたらしい。わが家に届くチラシやポスターやうちわを目にするうちに「ママがつくったえいが」なんだと認識し、興味を持つようになり、今朝になって「いっしょにいく」と言い出した。そして、ロビーで流れる予告編を見て、期待を膨らませていた様子。『崖の上のポニョ』も『旭山動物園物語』も劇場で観たので、今日も当然そういう流れを想像していたのだろう。だから、舞台袖からのぞくという事態に「はなしがちがーう」と困惑し、涙の抗議をしたのだった。さすがに、3歳児に「舞台挨拶 関係者立ち会い」と言っても通じない。

夜、ダンナの実家で誕生日祝いの晩ご飯を食べているときにも、わたしが舞台挨拶の話をダンナの両親にしているのを聞いて、悔しさを思い出し、また泣いた。「そんなに観たかったのか!!」と一同いじらしくなり、「よし、今度、ママと一緒に行こっか」「いや、じいじが連れて行ってあげるよ」と競い合って慰めた。

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