2009年01月26日(月)  わんわん電車 にゃんにゃん電車 ケーキ電車

きっかけは、ご近所仲間で鉄道ファンのT氏が関西土産に買って来てくれた雑誌『エルマガジン』に載っていた一枚の写真だった。昨年和歌山まで乗りに行った「おもちゃ電車」「いちご電車」の話題をはじめ関西鉄道色満載なその号を娘のたまは熱心に読み込み、駅弁や駅舎の研究にも余念がなかったのだが、ユニークな電車を紹介するページをとりわけ気に入り、車両そのものが犬の顔、猫の顔になった「わんわん電車」「にゃんにゃん電車」に異様な食いつきを見せた。「これ のる」と言い張るので、「今は無理だよ。今度大阪に帰ったときにね」と適当に返事していたら、大阪の実家に電話したときに「じいじ こんど わんわんでんしゃ のろうね」と約束を取りつけてしまった。

調べてみると、近鉄生駒鋼索線という名のケーブルカーで、始発の鳥居山駅は近鉄の生駒駅から直結している。生駒は、NHK奈良放送局の最寄り駅である近鉄奈良の手前なので、今回の仕事のついでに行くことにした。父と一緒に出かけて、帰りは生駒で別れて、たまを連れて帰ってもらうという計画。たまは一刻も早く乗りたくて、「わんわんでんしゃ まだ?」とせかすのだけど、「じいじ、おなかすいたわ。なんか食べてこ」と父がごねて難波の地下街を歩き回った挙げ句、ミンミンで餃子定食を食べて行く。たまは生駒へ向かう電車の中で力つきて寝てしまったが、絶妙な揺れ具合が眠気を誘う電車で、わたしたちの向かい側の乗客は、数えてみると20人連続うたた寝という集団催眠術にかかったような状態になっていた。

にゃんにゃん電車(「ミケ」の名前がついている)のケーブルカーに乗り込み、小学生の騒がしさにたまは目を覚ましたけれど、車内には猫デコレーションはなく、終点の宝山寺駅で下りてようやく「にゃんにゃん」だと喜んだ。にゃんにゃん電車は雑誌で見た以上に関西テイストのゴテゴテ感があり、インパクト大。関西人でもひるみそうな「どや!」という自己主張に恐れ入る。決してかわいくはないけれど、たまは「にゃーん」と満足げだった。

20分待って、さらに先へ乗り継ぐ。こんどのケーブルカーは「スイート号」という名前のデコレーションケーキをかたどった電車。こちらもコテコテのゴテゴテ。途中すれ違うのは音符満載の「ドレミ号」。

ブル(わんわん電車の愛称)とミケの看板が待ち受ける終点の生駒山上駅を出ると、生駒山上遊園地。冬の間は休業で誰もいないのだけど、門は空いていて、中を散歩できる。次に出る下りが30分後で、じっとしていては凍えてしまうので、歩き回るしかない。


寒空の下のひとけのない遊園地は淋しそうでもあり、凛とたたずんでいるようでもあり、なかなか絵になる。たまは「おやすみなの? みんなどうしたの?」と不満そうだった。


遊園地に住み着いているのか、野良猫が3匹固まっているところに近づくと、1匹はさっと逃げたけれど、あとの2匹はあまりの寒さにかじかんでいるのか背中を丸めてじっとしていた。その2匹に向かって、たまは「たまちゃんよ。こんにちは。よろしくね」としきりと話しかけたけれど、相手にされなかった。


途中駅でわんわん電車に乗り換え、麓まで下る。車内もホームも階段になっていて、ケーブルカーって走る階段なんだなあ。

シーズンオフだからお休みなのか、2台のケーブルカーは駅に停めたままになっていた。その2台には子どもが描いたと思われる夢のある絵が描かれていて、「ドリーム号」と名前がついていた。

念願かなって「わんわんでんしゃ」「にゃんにゃんでんしゃ」を制覇した上に「けーきでんしゃ」のおまけもついて、たまはご満悦。次代の鉄道ファンを育てたいというT氏の思惑(?)通り、またひとつ鉄道少女の階段を上ってしまった。

4年ぶりのラジオドラマ、放送まであと5日!
今井雅子・作『友子とモコ』
09/1/31(土)22:00〜50 NHK-FMにて全国放送

2008年01月26日(土)  マタニティオレンジ227 スプーンをお洗いします
2007年01月26日(金)  ひと月遅れのクリスマスプレゼント
2006年01月26日(木)  李秀賢君を偲ぶ会と映画『あなたを忘れない』
2002年01月26日(土)  オヨヨ城


2009年01月25日(日)  コート着て家の中で雪見

「今度帰ってくるとき寒いでえ。たまちゃん連れて来んとき」と母におどされていたけれど、せっかくなんだしと娘のたまとともに昨夜、大阪の実家に帰った。ドアを開けた瞬間、「ん? 室内だよね?」と不思議な感覚。壁に囲まれているのに外気の冷たさが家の中を満たしている、それが今井家。「家に入ったら一枚着込みや」と真顔で言う父は、頭から足まですっぽり覆うウィンドブレーカーを着てウロウロ。「お父さんと言うてるねん。老人二人凍死って新聞に出るかなあ」と母がうれしそうに言う。

いまだにエアコンがなく両親は暑さ寒さにも慣れっこになっているけれど、エアコンの快適さを知って軟弱になってしまった娘と孫のために石油ヒーターをガンガン焚いてくれた。それでも天井が高くて広々しているせいで部屋はなかなか暖まらず、たまとわたしはヒーターを抱きしめるような位置に陣取って暖を取ることに。

今日はとくに冷え込みがきつかったようで、午前中いっとき雪が舞った。この冬初めて見る雪にたまは大喜びで「ゆきやこんこ」を歌いながら窓の外を鑑賞。たまもじいじもコートをしっかり着込んで、街頭でショーウィンドウをのぞいているみたいだった。

2008年01月25日(金)  マタニティオレンジ226 子守話2「へんてこ」
2007年01月25日(木)  ラジオドラマを作りましょう
2004年01月25日(日)  サンタさん17年ぶりの入浴
2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統


2009年01月23日(金)  お菓子の国のおくりもの

ドイツのペンフレンド、アンネットからジンジャークッキーの詰め合わせが届く、彼女が住む街の近くにあるジンジャークッキーミュージアムへ一緒に訪れたこともあったのだけど、そこを運営しているお菓子会社が毎年凝ったパッケージの詰め合わせを発表していて、航空便のダンボールを開けた瞬間の対面を楽しみにしている。今年は、これまでになくメルヘンな絵本の世界を描いたような缶箱が現れた。

さらに、缶のフタを開けると、飛び出す絵本のように絵が立ち上がり、横からのぞきこんだ娘のたまとともに「わあ!」と歓声。この絵を舞台に子守話のひとつでもこしらえてみたいけれぢ、今日はその時間なし。
飛び出す絵の下には、ジンジャークッキーが各種。こちらの顔ぶれは例年通りで、ジンジャークッキーを食べつけないわたしは毎年、「これを誰に食べてもらおうか」と頭を悩ませる。どなたかジンジャークッキーに目がない方がいらしたら、ご連絡ください。ただ、今年は初めてカシューナッツとキャラメルのクッキーが同梱されていて、こちらは目を見張るおいしさ。もう一枚、もう一枚と手が伸びてしまい、それはそれで悩ましい。

2008年01月23日(水)  図書館の本についた謎の汚れ
2007年01月23日(火)  マタニティオレンジ63 晴れた日の小石川界隈散歩
2006年01月23日(月)  いまいまさこカフェブログOPEN
2005年01月23日(日)  中国禅密気功の師曰く
2004年01月23日(金)  今日はシナリオの日
2002年01月23日(水)  ラッキーピエロ


2009年01月22日(木)  「お世話」大好き、たま2才5か月。

2日続けて娘のたまをダンナの実家で見てもらったけれど、2才5か月の月誕生日の今日は打ち合わせもなく、一緒に夕食を食べられた。粉チーズをかけるのは自分でやりたがるくせに、「たべさせて」と甘えてくる。大人のやることは、変なことばかり真似して、パパが椅子の上であぐらをかくのを真似して「おんなじおんなじ」とうれしがる。

「もう、たまが真似するからあぐらかかないでよ!」とダンナに注意すると(母親というのは、子どものために夫も叱るので、𠮟ってばっかりになってしまう……)、「片足だけだよ」とダンナは反論。片足だけ、といばる根拠はよくわからないけれど、たまを見ると、しっかり「片足あぐら」になっていた。子どもの観察力と模倣力はすごい! 「それ、なんのおくすり? かんぽう?」などと言ってくるので、「漢方なんて言葉、どこで覚えたの?」と聞くと、「おはなし きいてたから」と答える。もう下手なことは言えない。

この一か月も続々ふえるたま語に驚いたり笑ったりしたけれど、大賞をひとつ選ぶなら、ダンナの実家にお泊まりしたときの、この一言。「ばあば、おやすみ。だんなさんに よろしくね」。これには、じいじばあばはぶっ飛んだらしい。「ダンナさんによろしく」なんて、それこそいつ覚えたのだろう。わが家の会話に登場していたっけ。どういうルートで仕入れたのか、とても興味がある。

「ダンナさんによろしく」もそうだけど、女の子が言いそうなことをよく口にするようになったし、「たまちゃん おんなのこ」などと自分でも意識している。人形のおむつを替えたりお世話を焼いたりするのが大好きで、「よしよし」などとあやしている。この一か月の変化でいえば、わたしに「赤ちゃんやって」とせがむようになった。「バブーバブー」と赤ちゃんを演じると、喜んでお世話してくれる。

でも、現実的にお世話が必要になる頃には、興味は別のところに移ってしまっているんだろうなあ。

おむつ離れも卒乳もまだなさそうだけど、トイレの感覚はだいぶわかってきた様子。「おっぱい=とんとん」は日に日に親しみを増し、すっかり擬人化して、友だちになってしまっている。「とんとん、はいってるか?」と聞かれて、「初詣に出かけてます」と答えると、「ただいまー。あ、とんとんかえってきた」「ちゅうにゅう〜。まんた〜ん」などと反応する。「とんとんになまえつけようよ」と言い出したこともあり、すでに「とんとん」と呼んでいるのに一体どんな名前をつけるのかと思ったら、左に「とんとんです」、右に「みぎのとんとん」と名づけた。

そんなやりとりが、ふれあえる時間が限られている母娘にとっては、楽しく、いとおしく、急いで卒業することないか、と思ってしまう。

この一か月でいちばんはまったのは、お風呂で読めるアンパンマンの紙芝居。絵本はあいかわらず『やこうれっしゃ』。いたずらは手先の器用さに比例して進化し、わたしが手紙に添えて貼ろうと思っていたお菓子のシールをテーブルや椅子や新聞にベタベタ貼ってしまった。化粧水は空になり、チョコレートは勝手に開封され、油断も隙もない。

「パパのコロッケないよ。うりきれ」などと嘘の言い訳をしたり(本当は売り切れてない!)、知恵がついてきたのは面白いけれど、末恐ろしい。でも、まだ2才5か月。

2008年01月22日(火)  マタニティオレンジ224 たま17/12才
2007年01月22日(月)  「気持ちはわかる」間違い集
2006年01月22日(日)  センター入試・英語に挑戦
2005年01月22日(土)  変わらない毎日。変わらない大統領。
2002年01月22日(火)  夢


2009年01月21日(水)  キスかキフか? 非常時に強い女と自転車の会

年に数えるほどしか会えないけれど、気まぐれにかかってくる電話のせいか強烈なキャラクターのせいか印象が薄まることのない『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんから、昨年の暮れ、一晩に4件の留守番電話があった。かけ直すと、「自転車の映画って今井さん? さっきまで企画売り込んだっていう小豆島のオリーブオイル協会会長と会ってたのよ。こども映画祭をやりたくて、映画のことすごくほめてたよ。じゃあ今度紹介するわ」。省略・飛躍の多い魔女田語を長年のつきあいで使い込んだ翻訳機にかけると、「どうやら『ぼくとママの黄色い自転車』の成立に関わった小豆島のオリーブオイル協会会長さんと益田さんが知り合って、映画の話になり、わたしとつながったらしい。こども映画祭を企画されているその方は、『ぼくママ』の仕上がりを気に入ってくださっているらしい。詳しくは、お会いしたほうが早い」となった。

そして、ひと月たった頃、再び魔女田コールがあり、「21日あけといて。例のオリーブオイルさんと会うから。東映の人も来るって。名前、聞いたけど忘れた」と告げられた。東映の人の名前は「2階にメモがあるから後でメールする」と言われたけれど、案の定メールは来ず、当日電話したときも、「わかんない」という返事で、やはり「行ったほうが早い」と思いながら、指定されたシーボニアメンズクラブへ向かった。

シーボニア〜は、お目にかかるだけで心躍る素敵な素敵な田邊のおじさま、田邊勉社長のお店。仕事で30分ほど遅れて到着すると、わたし以外の皆さんはそろわれていて、「席をあたためていました」と田邊のおじさまがにこやかに立ち上がられた。挨拶を済ませておじさまは立ち去られ、まずは、「木村さんだったんですか」と東映の木村立哉さんに再会。『ぼくとママの黄色い自転車』は東映制作ではないのだけど、木村さんはプロデューサーとして参加されていて、一緒に脚本を作っていた。それから、「オリーブオイル協会会長」は、小豆島ヘルシーランド株式会社の柳生好彦社長。「協会会長」も兼ねているのか、魔女田語録お得意の勘違いなのかは確認しそびれた。新堂冬樹さんの原作『僕の行く道』を読んで、舞台が小豆島ということもあり、ぜひ映画化したい、となったところ、すでに映画化の話が進んでいることを知り、木村さんに連絡を取って映画への協力を申し出てくださったそう。その柳生さんとクレジットロールで相合い傘のように仲良く並んでいる高山里美さんも紹介される。音楽関係のプロデュースを手がける株式会社ソフトウェア・ジャパンの女社長さん。さだまさしさんの主題歌は、この方がつなげてくださって実現したそう。魔女田さんと柳生さんは「こども映画祭」つながりで知り合い、魔女田さん以外の4人は『ぼくママ』つながりで、わたしと魔女田さんは『風じゅー』以来のくされ縁。そんな5人が集まって、話題の尽きない夕食となった。

『ぼくママ』の初号試写でオヤジたちがこぞって涙していた話にはじまり、高知を舞台にした映画『はりまや橋』のこと、柳生さんがあたためているこども映画祭構想、四国といえば先日『子ぎつねヘレン』が上映されたさぬき映画祭のこと。さらに、神戸にある全室スイートルームのラ・スイートというホテルが素敵よと教えてくれた高山さんが「アマゾンで一生分の虫を見てから虫嫌いを克服(超越?)」した話や「布団持ってキャンプに行く」話をし、夏になったら小豆島にみんなで遊びに行きましょう計画が飛び出した。再び話題は映画に戻り、「どんな話を映画にしたら面白いか」「この人の人生はどう?」などと話すうち、高山さんが猛烈に働いて巨額の借金を返した身の上話に。「その話がいちばん映画向き!」と盛り上がる。「あのね、女は非常時に強いのよ」と魔女田さん。今年6月公開予定の劇場版『築城せよ!』では700社からお金を集めたというから、集金力はさらに増強されているよう。「50億持ってる人と知り合って、映画作りたがってるのよ」などとあっけらかんと言うのだけど、どうやってそういう人と次々知り合うの?? 「最近ね、お金出してくださいってお願いしに行くときに、キスがいい? 寄付がいい? って聞くの。そしたら、みんなあわてて寄付にしますって言うのよ〜。中には両方って人もいるけど」と魔女田さん。『キスかキフか』、これ、次の魔女田本のタイトルにどうでしょう。キスカキフカ、お金が集まるおまじないみたい。

2008年01月21日(月)  マタニティオレンジ223 3日ぶりの母娘再会
2007年01月21日(日)  マタニティオレンジ62 母の誕生日を祝う娘
2006年01月21日(土)  ご近所仲間新年会
2005年01月21日(金)  1人1ピッチャー!? 体育会飲み会
2002年01月21日(月)  祭り


2009年01月17日(土)  押井守ワールド炸裂!舞台『鉄人28号』

天王洲の銀河劇場(旧アートスフィア)にて、舞台版『鉄人28号』を観る。プロデューサーの久保淳さん、アシスタントプロデューサーの黒田仁子さんとは、舞台『恋愛戯曲』の映画化や3Dアニメの企画をご一緒したことがあり、もともとは『パコダテ人』の前田哲監督の紹介で知り合った。会場受付で、ブタのPちゃん撮影以来の前田監督と、さらに久しぶりの木下ほうかさんに再会する。

『鉄人28号』は漫画もアニメも知らず、知っているのは冨樫森監督の映画版だけ。その前知識で観ると、鉄人28号と少年と博士が出て来るほかはまったく接点がなく、がらりと違う世界。原作のエピソードの幅が広いのか、監督/演出の味つけの差なのか。

押井守作品は不勉強であまり観ていないのだけど、歌で幕が開け、のっけからギャグの応酬で、こういう作風だったっけと面食らう。圧倒されて体が後ろのめりになり、やや引き気味の姿勢で観始めたのだが、なんなのだこれは、押井守ワールドなのだと納得して、不思議な世界を味わうことにした。

オリンピック前の野良犬狩りで最後に捕らえられる孤高の犬と孤独な女立喰師を重ねて描いていたのが面白い。押井氏は無類の犬好きだと聞くが、野良犬狩りのエピソードは原作にあったものなのか、オリジナルなのか。立喰師については著書も映画もあるので、押井氏のこだわりの持ちネタなのだろうとうかがえる。昨年だったか一昨年だったか、見逃したのだけど「真・女立喰師列伝という映画が公開され、食い逃げのプロに目をつけたのは面白いと思ったのだが、「食い逃げ」というアクションと「おんなたちぐいし」という響きの物悲しさの動と静の落差にも惹かれるものがあった。今日の舞台では、女立喰師の背負っている淋しさややるせなさがしみじみと語られていて、そこに押井監督のこだわりを見た。

南果歩さんが女立喰師と正太郎少年の一人二役を演じていたことに、目が悪いせいで、終わったときまでわからなかった。生命力できらきらしている15歳の少年と、人生に疲れきった中年女。まとう空気まで別人だった。テロリストを演じたダイヤモンド☆ユカイさんが歌、演技ともに存在感を放っていた。

2008年01月17日(木)  マタニティオレンジ221 薬を飲ませるべきか
2007年01月17日(水)  夢のお告げ!? 小さな鳥の物語
2003年01月17日(金)  Lunettes du juraの眼鏡
2002年01月17日(木)  HAPPY


2009年01月16日(金)  一人でパズル作ったりお話作ったり

一年前に保育園の進級記念でもらった10ピースの動物パズルを、娘のたまはいつの間にか一人で完成できるようになった。できるときはてきぱきと仕上げるのに、1ピース目で「できない」と投げ出すこともあって、気分にむらがあるのが面白い。完成するなりゴニョゴニョ言って、すぐに崩してしまうのだけど、そのゴニョゴニョが「たいしたことないからね」と言っているように聞こえる。謙遜しているつもりなのだろうか。

「このパズルに出てくる動物でお話作ってよ」と言うと、「ゾウさんとエレベーターにのったの。ゾウさんころんじゃったの。おんぶしてかいだんのぼってベビーカーにのっけたの。ウサギさんとキリンさんとシマウマさんとライオンさんもみんなでベビーカーにのったの。アンパンマンのおみせにいったら、まあっていって、アンパンマンもドキンちゃんもカレーパンマンもみんなであそんだの」。アンパンマンがゲストで登場したり、ベビーカーに箱乗りしたりという発想が新鮮。そのベビーカーは誰が押して、どこへ向かったのかなと想像して、今日の子守話が生まれた。

子守話38 ベビーカーのエレベーター

たまちゃんをベビーカーにのせて おさんぽしていた
ぞうさんがころんで けがをしました。
ぞうさんがあるけなくなったので
たまちゃんは ぞうさんを ベビーカーにのせてあげました。
とおりがかった きりんさんが ベビーカーをおしてくれました。

するとこんどは きりんさんがころんで けがをしました。
たまちゃんは きりんさんも ベビーカーにのせてあげました。
とおりがかった しまうまさんが ベビーカーをおしてくれました。

ぞうさんのおうちのいりぐちまできて
こんどはしまうまさんがころんで けがをしました。
たまちゃんは しまうまさんも ベビーカーにのせてあげました。
でも だれもベビーカーをおしてくれないので 
たまちゃんと ぞうさんと きりんさんと しまうまさんをのせた
ベビーカーは とまったままでした。

こまっていたら うえから ぞうさんのおかあさんのこえがしました。
まっててね いま むかえにいってあげますよ。
ぞうさんのおかあさんは 2かいのまどから するすると 
ながいはなをのばすと ベビーカーのハンドルをつかみました。
そして みんなをのせたベビーカーを2かいまでもちあげました。

ぞうさんのおかあさんが けがのてあてもしてくれたので
ぞうさんも きりんさんも しまうまさんも あるけるようになりました。
かえりは きりんさんと しまうまさんが 
たまちゃんのベビーカーをおしてくれました。
こんどは きをつけたので だれもころびませんでした。

2006年01月16日(月)  mixiに「脚本家 今井雅子」コミュニティ
2005年01月16日(日)  サイレント映画『A Clever Dummy』『The Cheat』
2004年01月16日(金)  尽在不言中〜言葉にならない〜
2003年01月16日(木)  ど忘れの言い訳


2009年01月15日(木)  身長5ミリで体重500グラム増

体重が55キロになる夢を見た。わたしは夢を見ながら夢を分析する癖があって、「このところ甘いもの食べ過ぎてるからなあ」と反省しつつ、「この夢の出所は、あれだな」と目星をつけていた。あれというのは、保育園の月に一度の身体測定の結果。娘のたまは、この一か月で「身長5ミリ、体重500グラム」増えた。1ミリにつき100グラム。10倍すると、1センチにつき1キロ。このペースで増え続けると、とんでもない肥満児になってしまう。大人並みの食欲で絶賛拡大中のわが子を見ながら、たのもしさを感じるとともに不安を覚えたのが早速夢に現れたらしい。

食べることへの飽くなき好奇心と意欲は、わたし譲りだと思われる。目の前においしいものがあればとことん向き合い、胃袋に納めてしまう。アメリカ留学中の一年間で20キロの増量に成功し、前年比150%の重量で帰国したわたしを見て、母は「打ち上げられたマグロ」と称した。縦ではなく横へ成長するわたしに、ホストマザーは「マサコはgrow upではなくgrow outしている」と絶妙な表現で警鐘を鳴らしてくれたのだけど。歴史は繰り返され、娘は今、まさにgrow out中。そんな娘につられて、わたしも増量傾向にあるのを、最近きつくなってきたジーンズが教えてくれている。家に体重計がないので正確な数字はわからないけれど、気を抜くと、ひと月で500グラムどころか2キロ3キロあっさり身につけてしまう。そういえば、妊娠中に「赤ちゃんは1ミリしか大きくなってないのに、あなたが1キロも増えてどうするの」と助産師さんに叱られたっけ。

太り過ぎて体が重くなると、動くのが億劫になってますます溜め込み型体質になってしまうことは、自身の体で実証済み。けれど、娘からもわたしからも食べる楽しみを奪いたくはない。となれば、食べた分を動いて消化するしかない。悪夢が正夢にならないよう、今年の目標に「階段を使う」を加える。

2008年01月15日(火)  マタニティオレンジ220 わんわん
2007年01月15日(月)  マタニティオレンジ59 人間ドライヤー
2005年01月15日(土)  ノンストップ『Mr.インクレディブル』
2004年01月15日(木)  谷川俊太郎さんと賢作さんの「朝のリレー」
2003年01月15日(水)  ひつじの国 ひつじの年
2002年01月15日(火)  ノベライズ


2009年01月14日(水)  ねんどせんせい、器を届けに来る。

ダンナの小学校時代の同級生で陶芸家のダンちゃんこと檀上尚亮さんが、京王百貨店での個展を終え、搬出を終えた帰りにわが家に立ち寄ってくれた。一昨日、個展を訪ねた折りに買い求めた器を、届けてくれたのだ。青いボウルは大ぶりのご飯茶碗として使うつもりだったのだけど、わが家の古株の丼たちと比べてみると、大きさも格も一段上で、上品な味つけの煮物を盛るのが似合うかしらんと考えが変わる。関西風の澄んだお出汁のうどんならいいけれど、カレーうどんは遠慮したほうがいい。ご飯を盛るとしても、山盛りではなく、内側の肌が見える程度のゆとりが欲しい。

せっかく来てもらったので一緒に夕食をとなり、豚肉鍋に加わってもらう。身近に陶芸家がいないので、「陶器を焼く窯で釜焼きピザは作れるか?(電気釜だと焦げ目がつかないのが致命的だそう)」などの話を興味深く聞く。ダンちゃんは陶芸家が登場するドラマの監修を務めた経験もあり、わたしの仕事にも興味と敬意を持って話題を振ってくれるので、話が弾んだ。職種は違うけれど、ひとつひとつ作品を重ねてその道を究めようとしている途中の者同士という親近感を抱いてしまう。

娘のたまは、昨年秋にダンちゃんの工房での陶芸教室に一家で参加したことを覚えていて、ダンちゃんのことを「ねんどせんせい」と呼んでいる。真剣に粘土をこねる大人たちを指導していた姿が印象に残っているよう様子。小学生の女の子がいるダンちゃんは子育ての先輩でもあり、たまの相手もお手のもの。すっかりなついたたまは、ダンちゃんが帰った後、「ねんどせんせい どこ?」と淋しそうだった。

2008年01月14日(月)  出前のちお取り寄せイタリアン
2007年01月14日(日)  innerchild vol.12『アメノクニ/フルコトフミ』
2004年01月14日(水)  泣けました、「半落ち」(横山秀夫)
2002年01月14日(月)  災い転じて


2009年01月12日(月)  陶芸家・檀上尚亮さんの個展

ダンナの小学校時代の同級生で陶芸家のダンちゃんこと檀上尚亮さんが京王百貨店の美術工芸サロンで個展をやるというので、一家ででかけることに。昨年ダンナが焼き鳥屋のカウンターで偶然の再会を果たして以来、鎌倉にあるダンちゃんの工房で体験陶芸教室を受けたりして、おつきあいが続いている。

一緒に陶芸教室を体験したセピー君にも声をかけて、現地で合流しようと話していたら、ご近所さんのK家から昼食のお誘い。ちょうどセピー君を引き合わせたいと思っていたので、これはいい機会。いつ行ってもおいしさとリーズナブルさと商売っ気のなさで驚かせてくれる飯田橋の中国料理『馥』で落ち合う。セピー君とK氏は予想通り意気投合し、経済や歴史の話に花を咲かせた。わたしとK夫人は、椅子にじっとしていない娘たちの散歩に付き合いながら、近況報告。店が入っている日中友好会館は、広々としたロビーと廊下と階段があり、休日はあまり人がいないので、子どもを遊ばせるには打ってつけ。

K家とは店で別れて、京王百貨店へ。陶芸家の個展には縁がなく、壺が並んでいる光景を想像していたら、普段使いにも良さそうな食器もあり、ちょうど欲しかった深めのボウルとミルクピッチャーに使えそうなソース入れを買い求める。ガラスを組み合わせた花器は、ほぼ完売。「チューリップを活けたらきれいかな」などと使い方を思い描いていると、「僕だったら、この器の美しさをどう活かすか、まわりの空間を考えますね」とセピー君。何を活けるかと考える実用派と、どう活かすかと考える芸術派の違いが見えて、おかしかった。

京王百貨店でのダンちゃんの個展は、売り込みで始まって、今回で10回目。売り上げが悪いと次はないそうだけど、毎回声をかけてもらっているとのこと。来年、さ来年もお邪魔して、少しずつ買いそろえていけたらいいなと思う。知っている人の作った器が生活にあるのはうれしいし、「これ、知り合いの陶芸家が作ったの」とテーブルの話題のきっかけができるのも楽しい。友人ミヤケマイの作品のように、あれよあれよと人気が出て、そのうち手が出ない高嶺の花になるかもしれないけれど、それはそれで楽しみ。

2008年01月12日(土)  boofoowooの服
2007年01月12日(金)  『半島を出よ』(村上龍)
2002年01月12日(土)  アボルファズル・ジャリリ 

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