2007年01月25日(木)  ラジオドラマを作りましょう

自分のサイト(いまいまさこカフェ)を持っていて便利だなあと思うのは、わたしのことを見つけてもらいやすいこと。何年も連絡の取れなかった同級生、名刺交換したきりの映画関係者、パーティで盛り上がったきりの人などが名前で検索して探し出してくれる。会ったことない人のアンテナに引っかかって声をかけてもらうこともある。

昨年末、静岡の上村さんという方からメールをもらった。一時期わたしと同じ広告会社で働いていたことがあるが、面識はないという。会社にいたのもわたしが脚本家デビューする前だけど、宣伝会議賞という広告コピーの賞を取ったことを覚えていて、その後『ブレーン・ストーミング・ティーン』も読んでいる。さらに、今の会社でラジオ局に交通事故撲滅の標語を提案しようと思ってネット検索をしたら、はるか昔、学生時代のわたしが書いて入賞した標語(交通事故多発のため涙が不足しております。涙の節約にご協力してください)を見つけた。そういうわけで、今回ラジオ局にミニ枠ドラマを売り込もうと思い立ったときに「そういえば」と再度思い出し、連絡をくれたという次第だった。こういう「縁がありますねえ」という出会いは、いい形で作品につながる予感を秘めている。直接話したほうがいいですから東京へ行きますよと言ってくれ、今日会うことになった。

昨日はプロフィールをまとめたり、これまで手がけたラジオドラマをダビングしたり。こういうことやるのもひさぶりだなあと新鮮な気持ちになりながら、ちゃんと録音できているか確認しつつ、何年も前に書いた作品を聴く。じっと耳を傾けなくては取り残されてしまうラジオの時間は濃密で深く、ひとつひとつの言葉の浸透度が高い。ラジオに耳を澄ますことは心を澄ますことだと思う。脚本家デビューのきっかけになった『雪だるまの詩』を書いたのは98年だったっけ。主人公は三十才手前の若い夫婦で、夫は医療ミスによる後遺症で記憶の蓄積ができない。生まれた子どもの顔も覚えられないわけだから、夫は子どもを持つことを恐れる。この作品を書いたとき、わたしは結婚もしていなかったのだけど、夫もいて、子どもまでいる今あらためて聴くと、気丈に夫を支える妻の痛みがひりひりと伝わって、放送当時よりも涙を誘われた。「最初に書くものが、いちばん訴えたいもの」と言われたりするが、「生きるとは、出会った人の中に思い出を残すこと」というメッセージは、今もわたしが強く感じていることだ。

「昨日聴き返して、ラジオ書きたい気分が高まっているんですよ」「じゃあぜひやりましょう」と上村さんとの顔合わせは、アイデア出しに発展し、早速企画書をまとめて提案しましょうとなる。ラジオはNHKしかやったことがないけれど、民放の場合はスポンサーを探さなくてはならない。先は長いけれど、最初の一歩はいい感じ。こんな風に真っ白な状態で企画について好き勝手に言っているときは、いちばん気楽で楽しい。打ち合わせ場所は丸の内丸善のビルOAZO1階のタント・マリー。カマンベールチーズケーキ人気の火付け役になった店らしい。「フルムタンベール」というブルーチーズのチーズケーキを初めて食べたのだけど、これまた前途を祝福するような絶品だった。

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