2007年03月13日(火)  マタニティオレンジ92 ダンナのおむつ替え確率

出産してからいっそう涙もろくなって、新聞を読んでいてもしょっちゅう視界が潤む。こども未来財団が募集した第10回こども未来賞で読売新聞社賞を受賞したエッセイにも泣かされた。式町直樹さんというアメリカ在住の高校教師の方が寄せたもので、タイトルは、「パパ、うんこ」。内容を要約すると……国際結婚をし、男の子が生まれたが、子どもにはほとんど話しかけなかった。日本語で話しかけても拙い英語で話しかけても子どもを混乱させるという遠慮と、仕事で帰宅が遅くなるというのが理由だった。だが、子どもの成長に参加していない、と反省する出来事があって以来、積極的に息子との時間を作るようになる。おむつも進んで替えるようになり、おむつを替えながら「うんこはくさいですね」などと日本語で話しかけた。息子は英語しか口にしなかったが、ある日、息子が泣いてママを呼び、ママではなくパパが駆けつけると、息子は一瞬戸惑った後に「パパ、うんこ」とはじめて日本語で叫んだ。その瞬間、父親であることを息子に認められた気がした……という内容だった。このパパと息子はどうなるのだろうと思いながらドキドキして読み、一生懸命日本語で話しかけるパパの姿を想像して切なくなり、「パパ、うんこ」のくだりで涙腺ダムが決壊した。

折りしもわが家では「ダンナよ、もっとおむつを替えてはどうだ」論争が起こっていた。最近では一週間に一枚替えるかどうか、百枚に一枚替えればいいほうで、百枚につき三枚だったのがいつの間に二枚になった年賀葉書の切手シートの当選確率にさえ負けている。ウンチのときは完全に腰が引けて、「ウンチは苦手だ」とのたまうが、わたしだって得意じゃなかった。だけど、場数を踏んで、少しずつ失敗を減らしてきたのだ。億劫がるダンナを説得するより自分で替えたほうが早いので、結局わたしがやってしまう。イヤイヤ替えても意味がない。ダンナのおむつ替え確率を上げるには、それが義務ではなくチャンスだという意識改革が必要だ。おっぱいが出ないダンナにとって、おむつ替えは絶好のスキンシップの機会なのだ。それをみすみす逃すなんて、もったいないと思うけれど、そのことに本人が気づかなくてはならない。このエッセイの作者のように。「おむつの数だけ絆が強まるよ」と言っても「おむつ以外で頑張る」と逃げ腰なわがダンナに「パパ、うんこ」を読ませたら、開眼するだろうか。

ところで、本格的に離乳食を始める前の赤ちゃんのウンチは、くさいというより酸っぱいにおいがするが、これが「玄米ガ炊けるときのにおい」によく似ている。うちで玄米を炊くたびに「もしや……」とたまのおむつに濡れ衣を着せてしまうほど。玄米を食べているお母さんたちに話すと、「わかるわかる」と盛り上がる(白米を食べているお母さんの場合でも、玄米のにおいがするらしい)。以前、『トリビアの泉』で「えのきの袋を開けたときのにおいが、いちごジャムに似ている」というトリビアが紹介されていたが、あれよりも「へぇ〜」を稼げるのではないかと思う。サンプルのウンチをどうやって調達するのか、ゲストにウンチのにおいをかがせるのはいかがなものか、という問題はあるけれど。

2006年03月13日(月)  ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
2005年03月13日(日)  宮崎美保子さんの四角い指輪


2007年03月12日(月)  マタニティオレンジ91 歴史は繰り返す

同じ年に留学して一緒に研修を受けたショウコに二人目の男の子が生まれ、同期のミカコ、ナオコとともに赤ちゃんを見に行く。ミカコは三人の女の子のお母さんで、翻訳の仕事をしながら、最近は手作りの焼き菓子を近所の喫茶店に卸している。お土産に持ってきてくれたそのお菓子は、素朴でとてもやさしい味がした。ナオコは2才の男の子を連れ、沖縄の医学部で勉強中。会社を辞めて医学部を受ける、と聞いたときもびっくりしたけれど、子育てしながら卒業までやり遂げるバイタリティには頭が下がる。いいお医者さんになって欲しい。ショウコはわんぱく盛りの2才の男の子と新生児の子育てで手一杯のはずなのに、自宅出産の様子をフォトアルバムにまとめ、手書きコメントをびっしり書き込んでいる。結婚式の写真の整理もまだ手つかずなわたしは反省。出会った16才の頃も「アメリカ行くぞー!」という勢いで元気いっぱい、目きらきらな人たちだったけれど、20年余り経って、しわが増えて口角が下がっても、開拓精神あふれる生き方は変わらない。

出会ったときから二倍以上の年齢になって子連れで会っているというのは、なんとも不思議な感じ。子どもだった自分たちがいつの間にか大人になって、また子どもを抱いている。そのうち子どもが「留学したい」と言い出したりするのかもしれない。親の立場になってみると、一年も親元を離れて海外にやるなんて、心配が尽きない。「自分たちの親はよく行かせてくれたよね」などと話す。

帰り道、電車の中でぐずりだした娘のたまに、ナオコが歌を歌ってくれた。「かえるの歌が聞こえてくるよ」「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」。ナオコの息子のマコト君も一緒に歌ってくれ、たまは機嫌を持ち直した。子どもの頃に親と歌った歌を、今度は子どもに歌い聞かせたり、子どもと歌ったりする。

2005年03月12日(土)  しみじみ映画『きみに読む物語』
2004年03月12日(金)  『ジェニファ』マスコミ試写開始
2002年03月12日(火)  FOODEX


2007年03月11日(日)  『のど自慢』チャンピオン大会

昨日ダンナの実家でダンナ母の誕生日を祝っていたとき、ニュースを観たままつけっぱなしになっていたNHKで『のど自慢』チャンピオン大会がはじまった。最初はなんとなく観ていたのだが、だんだんテレビに向き直り、最後には正座して拝聴、というぐらい見入ってしまった。各地の大会で優勝したチャンピオンの中から選りすぐりの15人が出場し、真のチャンピオンを決める。それだけの番組なのに、なぜこうも惹きつけられてしまったのか。観ているときも観終わったときも感じたのは、「世の中にはいろんな人がいるなあ」「どの人にもドラマがあるなあ」という驚きだった。

のど自慢の地区大会で優勝すること自体普通ではないしドラマチックだけれど、優勝者一人ひとりが生きている日常がこれまたドラマチック。それは彼ら一人のキャラクターが魅力的である証拠で、一人につき一本の映画を作れと発注されたら、するすると脚本を書けそうである。歌のうまい下手は生まれ持った声や発声法などの技術ももちろんだけど、歌に込める想いの重さで決まるのかもしれない。人の心を動かす歌を歌える人は、自分の心がまずたっぷりとしっかりと動いているのだろう。映画『のど自慢』は大好きな作品のひとつだけど、登場人物の心情に十分乗っかったところでクライマックスの大会での歌唱シーンが来るから、気持ちが入って泣けるのだ。のど自慢チャンピオン大会は、こころ自慢チャンピオン大会でもあるのだなあと思った。

2005年03月11日(金)  絶対王様公演『やわらかい脚立』
2004年03月11日(木)  岩村匠さんと再会
2002年03月11日(月)  漫画『軍鶏』


2007年03月10日(土)  マタニティオレンジ90 存在することがプレゼント

三種混合の2回目の予防接種の6・7か月検診を一度に済ませようと小児科で順番を待っていたら、ママ仲間のトモミさんより「たまちゃん今日で200日目よ」とメールが届いた。トモミさんちのミューちゃんは一日違いの8月23日生まれで明日200日目を迎えるという。わたしも母親200日目かあとしみじみ。6・7か月検診では、身長、体重、頭囲、腹囲を測る。7375グラム、63センチのたまは、「体重は標準以上だけど身長が伸び悩んでますね」とのこと。親に似てチビっこ街道を進むのかもしれない。おすわりは上手にできたけれど、「仰向けになり、顔の上に置かれたティッシュを手でどける」がなかなかできず、これではまるでご臨終。「うーん、取りませんね」とお医者様が唸ったら、手ではなく口を動かし、もぐもぐとティッシュを食べてしまった。前世はヤギか。

今日は奇しくもダンナ母の誕生日。一年前は節目の70歳ということで中華料理屋で食事をし、デザートのタイミングで「実は8月に出産します」と打ち明けたら、予期せぬ報告にダンナ母と父が涙ぐみ、ダンナ妹もつられ、わたしももらい泣きしてしまった。結婚当初から孫、孫とことこあるごとにせっついていたダンナ母は、わたしとダンナが旅行に出かけるときには「お土産はいいから収穫を」と名台詞を吐いた。適当に聞き流したりネタ帳に書き留めたりしていなければ、プレッシャー負けするような勢いだったけれど、あるときからぱたりと子どもの催促をやめた。出してはならない話題ではと勝手に悟って自粛に踏み切ったようだった。わたしとダンナはただ長すぎるモラトリアムにはまっていたのだけど。それでも言いたい気持ちを必死に抑えていたダンナ母の歓迎ぶりはただごとではなかった。

そして今日、たまを連れて夜に外食するのはあんまり好ましくないし、おかあさんに夕食を作らせるのは悪いし、明るい時間に行ってお茶だけしよう、と花と誕生日ケーキを用意してダンナの実家を訪ねた。突然行って驚かせようと思ったら、ダンナ母は外出中で帰宅したのは夜。ごはん作るわ、と言い出したので、寿司の出前を取ることに。出前ってこういうときありがたいものだ。ケーキは「日本一のショートケーキ」と名高いフレンチパウンドハウスの苺ショート。でも、おかあさんにとって何よりのごちそうは、孫の顔を見れたこと。「今日会えるとは思わなかったわ」と二年続けてのサプライズを喜んでくれた。孫は存在する(present)だけでプレゼントになってしまう。

2005年03月10日(木)  おうちでDVDレンタル『TSUTAYA DISCAS』
2002年03月10日(日)  循環


2007年03月09日(金)  マタニティオレンジ89 4月から0歳児保育

助産院を退院する前日、子育ての先輩である友人二人が見舞いに来てくれ、「保育園はどうするの?」と聞かれた。「まだ産んだばっかりだし、そんな先のことは考えていない」と答えると、「0歳から預けるなら、申込みは年明けだから、けっこうすぐだよ」「フリーは就労証明がもらえないから、0歳から預けたほうが入りやすいよ」などとアドバイスしてくれ、二人で口をそろえて「わたしたち、預けてよかったって思ってる」と力強く言った。それまで、保育園には「本当は預けたくないけど、仕事するためにはしょうがない」という後ろ向きなイメージを持っていたわたしは、積極的に預けたい場所なんだ、と驚いた。彼女たちの二人合わせて五人の子どもたちは、お手本にしたいぐらい個性と好奇心を上手に伸ばして育っているから、彼女たちの太鼓判には説得力があった。こうして出産五日目に「4月から0歳児保育」計画が急浮上したのだった。

12月下旬から近所の保育園を三つ見学。実際に目にした保育園は、わたしの想像よりもはるかにいい環境だった。日当たりのいい広々とした部屋。思いきり遊べる園庭。三輪車で元気よく駆け回る園児たちも、彼らを追いかけて走り回る保育士さんたちも、とてもいい顔をしている。夏は毎日水遊びをして、卒園時にはみんな泳げるようになるという。0歳児クラスは10人を4人の保育士で見てくれ、週に一回、小児科医の診察もある。正直、ここまで至れり尽くせりだとは思って居なかったので、安心を通り越して喜んで預けたい、という気持ちになった。

1月上旬に区役所に申込みの書類を提出すると、下旬に区の職員さんの家庭訪問があり、「保育の必要度」を尋ねられた。わたしが住む文京区では、保育の必要度を点数化し、点数の高い人から希望の園へ割り振られる。就労証明もなく勤務時間も不規則なフリーランスは、順位が低くなりやすいのだが、ちゃんと「いかに保育に欠ける状況であるか」をアピールできる機会を設けてくれているのはありがたい。これまでの作品歴、昨年一年の仕事の実績などを本やDVDの画像も入れ込んでまとめたプレゼン資料を用意し、執筆は自宅だが打ち合わせや取材で外に出ることが多いこと、体を空けておくのも仕事であること、などを切々と訴えた。職員さんが『子ぎつねヘレン』を知っていてくれたら話が早いなあと思ったのだが、「知りません」と言われて、がっくり。この訪問の際に、「あなたが希望されている園の倍率はこうなっています」ということを教えてくれる。わたしは第2、第3希望の園に行くにつれ競争率が高くなっているので、「倍率の低い園に変更したほうが、確実に入れると思います」とアドバイスされた。早速その日、家からは少し遠くなるけれど倍率が比較的低いという園を見学し、第3希望を差し替えた。

第一希望の園は難しいだろうなあと覚悟していたのだが、2月下旬に郵送で届いた内定通知を開くと、そこには第一希望の園の名が記されていた。この年になって内定にバンザイすることになるとは。通知が着いた二日後に健康診断があり、内定は正式決定に。その際にもらった「準備するものリスト」を見ると、買い物をしなくてはならないし、大量の名前づけ作業をこなさなくてはならない。ひさしぶりに苦手な裁縫と格闘である。入れてからは楽になるのだろうが、仕事がふえて三月は大忙しだ。入園まで、あと一か月足らず。ママの宿題は間に合うのだろうか。

2006年03月09日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編】
2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』


2007年03月08日(木)  身につまされた映画『ドリームガールズ』

観たい観たいと思っていた『ドリームガールズ』がママズクラブシアターでかかり、早起きして9時20分の回をキャッチ。ミュージカルは舞台も映画も大好きだが、とりわけ好きな『シカゴ』のスタッフが多数参加し、しかも『シカゴ』の脚本を書いたビル・コンドンの監督作品とあって、期待は高まるばかり。

冒頭のアマチュアコンクールの場面、無名三人娘のドリーメッツが舞台に登場し、リードボーカルのエフィーの歌声が弾ける。スクリーン越しに観ているのを忘れ、コンクール会場の客席にいるような迫力。エフィーを演じたジェニファー・ハドソンは役作りのために体重をふやしたと聞くが、人よりも多くついた脂肪も肉も体重もあの歌声の栄養源なのではと思えるほど。監督が演技を評して「ショーストッパー」と絶賛したという新聞記事を読んだが、あまりの拍手でショーが中断するほどの熱演、という褒め言葉は決して大げさではない。アカデミー賞助演女優賞を受賞したのも納得だけど、助演ではなくて主演ではないのかというぐらい、わたしは完全にエフィーに乗っかって観た。

エフィーが主役を食ってしまったのは、ジェニファー・ハドソンの演技の存在感なのか、それともわたしが感情移入しすぎたせいなのか。歌うことが好きで好きでたまらないという空気を全身から発散させている姿には、踊っているだけで幸せだった学生時代の自分を重ねた。大学を出たわたしは、自分が踊るのではなく、言葉を躍らせる道を選んだけれど、エフィーにとっての「歌う」をわたしにとっての「書く」に置き換えて、観た。好きなことをしてお金をもらえて名前も売れるショービジネスの世界。レコードの売り上げやリクエスト数がランキングを駆け上る高揚感は麻薬のように人を夢中にさせ、惑わせ、運命を狂わせる。誰かが成功する陰で誰かが傷つき、誰かが乾杯する陰で誰かがヤケ酒をあおり、誰かが頂点を極める陰で誰かがどん底を味わう。栄光の光が眩しすぎる分、そこに生まれる影も大きい。ドリーメッツがドリームガールズの名でメジャーデビューすることが決まったとき、エフィーはテレビ的に見映えのいいビヨンセ演じるディーナにリードボーカルの座を譲ることになる。脚本の世界でいえば、プロデューサーとあたためてきた企画に出資者が現れて実現することになったものの、脚本家は別の人でと告げられたような状況だろうか。好きなことを仕事にしているからといって、好きなようにできるわけではない。どこかで夢と現実の折り合いをつけなくてはならない。だけど、夢を売る仕事であっても、自分の夢を安売りしたくはない。グループとしての夢が叶った代償に一人の歌い手としての挫折と屈辱を味わうエフィーの葛藤が痛いほど伝わってきて、わたしの胸まで引き裂かれそうだった。

持ち歌が盗まれたり、金の力でつぶされたり、というエピソードも他人事とは思えなかった。歌であれ映画であれ、ソフトが商品になるとき、その市場価値を生み出すのはプロデューサーの腕の見せどころ。さらに言えば才能という原石を宝石に化けさせるか石ころのまま埋もれさせるかもプロデューサーの腕次第だ。自分には夢をつかむだけの才能があると信じる者は、自分を売り出してくれる手腕とコネを持つ者に出会い、自分を信じるようにその人を信じ、運命を託す。けれど、売り出す立場の人間にもまた夢があり、野望がある。故意であってもなくても、悪意があってもなくても、利用された、裏切られたという悲劇は起こる。ここにも光と影がある。

『月刊シナリオ』を読んでいると、ときどき、名指しでプロデューサーを糾弾する脚本家の手記に遭遇する。脚本を送って打ち返しの返事を待っている間に、いつの間にか勝手に内容が変えられていたり、脚本家が替えられていたりする。糾弾された側の言い分も掲載しないと欠席裁判になるのではという気もするが、叫ばずにはいられない心情も理解できる。お金の問題でもなければ、ただ感情的になっているわけでもない。その作品に懸けていたからこそ悔しい、腹立たしい、やりきれない。夢と期待で膨らみきった風船は、割れたときの衝撃も大きい。だけどその痛みは、光と影がセットであるように、夢を仕事にする幸福につきまとう副産物なのかもしれない。エフィーのように仕事に逃げられ、信頼していた仲間に背を向けられたら、わたしだって何も信じられなくなるだろう。だけど、何もかも失っても「自分にはこれしかない」と歌い続けたエフィーのように、自分に正直に生きたいと思う。夢を追い求める魂だけは誰にも盗めないし、売り渡してはならない。夢を打ち砕かれることがあっても、そのかけらを拾い合わせて、つなぎ合わせて、大切に持ち続けたい。そんなことを大真面目に考えた。

努力すれば、力を合わせれば、夢は叶う、と夢みたいなことを信じているわたしは今でもドリームガール。あれ、ドリームガールは夢のような女の子という意味だろうか、夢見る女の子だとドリーミングガールになるのか。劇中歌はどれもメロディ歌詞ともにすばらしいし、あの時代の空気感みたいなものまで見事に表現されていて、音楽を聴いているだけでも存分に楽しめた。機会があればぜひ舞台版も観てみたい。『アニー』『ムーランルージュ』『オペラ座の怪人』『シカゴ』に、またひとつ、お気に入りのミュージカル映画が加わった。

2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2004年03月08日(月)  勝地涼君初舞台『渋谷から遠く離れて』
2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。


2007年03月07日(水)  マタニティオレンジ88 笑いの効能

マタニティオレンジ81に書いた「母になっても女心はある」(>>>2007年2月22日の日記)には、母たちだけなく妻たちからも反響があった。妻という字に女が入っているのは一目瞭然だけど、「出産して乳母」となる前に「結婚して家政婦」となってしまったことを嘆く女性はけっこう多い。「女性は女である自分に妻や母をトッピングできるし、恋人である男に夫や父をトッピングすることもできるけれど、男性の場合は結婚した途端に恋人は妻になっちゃうし、出産した途端に妻は母になっちゃうし、とトコロテン式に押し出されるのね」「人間の器というのは、女性は子宮のように伸縮自在だけど、男性は形も大きさも決まっていて融通がきかないのかも」などと女同士で分析しあったりして、うちだけじゃないんだ、と安心した。

さて、わたしに「ダンナは女心がわかっていない」と嘆かせた予約の取れないレストランに、ダンナが仕事先の人と行ってきた。「すごくよかったよ」と興奮気味に言うのを聞いて、「どんな感じ?」と自然に聞けた。よかった、わたしはもうすねてない、いじけてない。
わたし「何食べたの?」
ダンナ「前菜が2つとパスタが2つと……」
わたし「お皿の数じゃなくて」
ダンナ「海老とか魚とか肉とか」
わたし「それだけじゃわかんないよ。海老がどうなってたの?」
ダンナ「海老が……死んでた」
次の瞬間、わたしは思いっきり吹き出し、しばらく笑いが止まらなかった。娘のたまが「ママこわれちゃったの?」という目でわたしを見、ダンナも呆気に取られていた。いやぁ、こんないい台詞、頭を捻っても書けない。料理の海老の説明がこの調子なんだもの、女心を理解して気のきいたことを言ってと要求するのは無茶だ。しみじみと納得しながら、こないだもこれぐらい面白いこと言ってくれれば、その場でくさくさした気分を笑い飛ばせたのに、と思ったりする。

わたしは自分でもびっくりするぐらい笑い、笑った後で「うわあ、なんかすっきり」と爽快感にこれまた驚いた。自分では溜め込んでいないつもりでも、毎日少しずつガスは溜まっていたらしく、それが一気に発散された様子。わたしがあんまり笑うので、ダンナもつられて笑いだし、たまも一緒にニコニコしていた。笑いは家族円満に何より効く。常備薬にしておかないと。

2006年03月07日(火)  ヘレンウォッチャー【全国からありがとう編】
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会


2007年03月06日(火)  『ゲゲゲの鬼太郎』×『子ぎつねヘレン』

ゲゲゲの鬼太郎』のマスコミ試写を観るため、ひさしぶりに東銀座の松竹へ。子どもの頃、何度言っても「ゲゲゲのゲ太郎」と言い間違えてしまったが、あのアニメの世界がどんな風に実写になっているのか、まさに「怖いもの見たさ」で客席に着く。結果から言うと、すごくよくできている。この妖怪にはこの人しかありえない、というような絶妙なキャスティング(川村恵)と、完成度の高い衣装デザイン(ひびのこづえ)と特殊メイク(江川悦子)の合わせワザで生まれた妖怪たちは実にチャーミングで、見ているだけでうれしくなる。ウエンツ瑛士の鬼太郎、田中麗奈の猫娘、室井滋の砂かけ婆、間寛平の子なき爺、どのキャラも見事にはまっていたが、妖怪度私的ベスト3を挙げるなら、西田敏行の輪入道(画面いっぱいの顔面の迫力に目が釘付け!)、YOUのろくろ首(こんなに長首が似合ってかわいい人はなかなかいない)、大泉洋のねずみ小僧(あまりに素顔となじみすぎて、演じていることを忘れさせるなりきりぶり)。役者さんたちが皆ノリノリで演じている雰囲気が伝わってくる。撮影現場はどんなことになっていたんだろう。見たかった。

妖怪狐のリーダー格、空狐を演じていた妙に存在感のある役者さんは橋本さとしさん。以前、舞台『シンデレラストーリー』で宮廷大臣ピエールを演じていた人(>>>2005年5月27日の日記)。「この人は誰!」と二度驚いたから、もう忘れない。いちばんわたしの心をとらえたキャラクターは、目玉おやじ(声はアニメと同じく田の中勇)。画面に出てくるたびに何をしでかしてくれるか、目が離せなかった。小さな手足を懸命に動かして感情を訴えるしぐさが、何とも言えず愛らしい。持ち帰ってお椀のお風呂に入れたい! とにかく、妖怪の豪華大競演だけでも一見の価値あり。子どもは無邪気に面白がるだろうし、大人には芸の細かさを観察する楽しみがある。

脚本は羽原大介さんと本木克英監督。わたしが勝手に実証している「ハバラダイスケ作品にハズレなし」の法則は『フラガール』に続いてまたしても記録更新。突然の悲劇に見舞われる父子家庭の姉弟(井上真央・内田流果)を救おうとする鬼太郎が妖怪の反発を招いて窮地に陥るというストーリー展開で、アクションをふんだんに取り入れつつ、要所要所でしっかり笑いを取り、最後には人情をにじませ、なんとも贅沢なエンターテイメントに仕上がっている。

エグゼクティブプロデューサーの榎望さん、プロデューサーの石塚慶生さんは『子ぎつねヘレン』のプロデューサー。狐の妖怪が大暴れするのはそのせいではないと思うけれど、思わぬ場面で、ヘレンとのコラボレーションを発見。お、こんなところに……! 子ぎつねヘレンを観た人なら、見つけてうれしくなってしまうはず。そのヘレンが今月、地上波に登場するそう。21日(水・祝)の21時よりテレビ東京にて放映。普段は水曜ミステリー9の枠。祝日なので家族揃って観てもらえるとうれしい。話題がそれてしまったけれど、ゲゲゲの鬼太郎は4月28日公開。

2006年03月06日(月)  ヘレンウォッチャー
2005年03月06日(日)  傑作韓国映画『大統領の理髪師』
2002年03月06日(水)  家族


2007年03月05日(月)  マタニティオレンジ87 プレ離乳食

生後4か月頃から「そろそろ離乳食」の声が聞かれる。わたしが住む文京区では、「5か月中には始めましょう」と指導しているが、出産した助産院では「赤ちゃんの胃腸は1才頃まで機能が未完成なので、なるべくスタートは遅らせて」という方針。「6か月までは、なるべく母乳とミルク以外与えないで」と言われた。「離乳食は3才からでいい」という大胆な説を唱える小児科医もいるとかで、焦ってはじめる必要はなさそう。ただ、あまりのんびりしていると、母乳やミルクしか受け付けない偏食をする子になるとか、母乳やミルクだけでは栄養が偏るという話も聞く。何事もバランスが大事。「食べることを楽しめる子」に育てるのは、わたしの子育ての大きな目標のひとつ。食事は楽しい、待ち遠しい、その感覚だけは間違いなく身につけさせたい。

そういうわけで、12分の6才を祝った週末が開けた2月26日の月曜日から、ぼちぼち離乳食への助走を始めることに。おかゆやマッシュド野菜に進む前の、いわゆるプレ離乳食。まずは胃腸に負担をかけないサラサラのもので、スプーン慣らしをする。最初に覚えさせるのは日本の繊細なだしの味と決めていた。といっても素材に湯通しするだけの手抜き調理。月火水で鰹だし、木金土で昆布だし、そして昨日から三日間かけて煮干だし。同じものを続けて与えると、少しずつその味に慣れていく様子が観察できて面白い。はじめて出会う味には何とも微妙な表情を見せ、警戒しながらおそるおそる舌を出して味見をするが、三日目になるとゴクゴク飲み込む。未知との遭遇。パックの鰹節でこんなにドキドキを味わえるとは。煮干だしを征服したら、野菜のうまみだけでだしを取った野菜スープに挑戦する予定。

2005年03月05日(土)  Uzさんの新ユニット『croon』
2002年03月05日(火)  情熱


2007年03月04日(日)  マタニティオレンジ86 初節句

最後に雛祭りを祝ったのはいつだったか。とっくの昔に雛ではなくなり、雛祭りと縁遠くなって久しいが、親鳥になって再び雛祭りが身近なものになった。3月2日の金曜日から三日続けて雛祭り。お祭り好きのわたしにとっては、行事がふえるのは大歓迎である。

まず2日は、昨年同時期に女の子を授かった上野のユキさんに声をかけてもらい、ユキさんを紹介してくれたビクス仲間のトモミさんとともにお宅にお邪魔する。築40年の古家をリフォームした家は吹き抜けの高い天井が気持ちよく、観葉植物に囲まれて温室にいるよう。海の底の竜宮城に負けない居心地のよさで、気がつけば6時間。料理上手なユキさんのダンナ様が腕をふるったちらし寿司とはまぐりのお吸い物、トモミさんが手作りした道明寺桜餅が雛祭り気分を盛り上げてくれた。傍らに寝転がした雛たちを愛でながら、話題は子どもたちのことと自分たちのことを行ったり来たり。最後はナマ雛三人を60度ずつずらして絨毯に寝かせ、その間に雛壇から出張させた雛人形たちを挟んで記念撮影。

3日はダンナが仕事でお世話になっているお客様がわが家へ。皆に交代でだっこされ、わが家の雛はごきげん。洋服やおもちゃもプレゼントされ、雛祭りにクリスマスがくっついたよう。デザートは新宿タカノの雛祭りケーキ。ぼんぼり代わりにろうそくを左右に一本ずつ灯す。

締めくくりの今日は、ダンナの実家で雛祭り。ちらし寿司寿司の前で、桜餅の前で、ひなあられを持たせて、写真をたくさん撮った。2週間前から飾ってある雛壇の前でも記念撮影。いちばん下の段に飾ってある神輿が、ぜんまいを巻くと「明かりをつけましょぼんぼりに〜」が流れるオルゴールになっているのだが、この音楽が怖いらしく、たまがおびえてぐずる。たしかに「通りゃんせ」や「かごめかごめ」に通じる不気味さがある。雛人形は、ダンナの妹が生まれたときに買い求めたもので、8月22日生まれのたまと誕生日が2日違いの彼女が雛壇の前でお座りしている写真が残っている。ダンナ母はそれが昨日の出来事であるかのように「ちょこんとお座りしてね、かわいかったのよ」と懐かしむ。たまもちょっぴり不安定ながらお座りを決めた。わたしも数十年後、色あせた写真を見ながら昨日のことのように初節句の思い出を取り出すのだろうか。

2005年03月04日(金)  押忍、ひさしぶりの総会っす。
2002年03月04日(月)  感想

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