2008年06月21日(土)  親目線で観た劇場版『相棒』

世間のブームからずいぶん遅れて、テレビシリーズ『相棒』に出会ったのは、去年の暮れ。『アテンションプリーズ スペシャル』の本作りの追い込みで深夜に帰宅したときに再放送していたのを偶然観て、一話で寝よう、二話で寝ようと見続けているうちに四話分観て明け方になった。10年ほど前にも同じようなことがあり、そのときはNHKで『Mr.ビーン』をまとめて放送していた。あれも年末だった気がする。

『相棒』再放送は、ゴールデンウィーク公開の映画版の予告も兼ねていて、シーズン6までどっさりあるテレビシリーズをじゃんじゃん再放送しつつ、映画の告知をし、古くからのファンやわたしのような新規ファンに動員をかけていたのだった。封切られた最初の週末にて丸の内TOEIに駆けつけたら「夜まで立ち見です」と言われ、機会を逃しているうちにひと月半あまり経ってしまったけれど、まだまだロングラン上映中。穴場を狙ってJR王子駅近くにある王子シネマへ行くと、場所柄か、上映8週目だからか、余裕で席に着けた。

映画本編は犯人からの犯行予告を読み解く鍵がチェスになっていて、よくぞこれだけチェスネタを捻ったものだと感心する。チェスを少しでもかじっていれば、より楽しめたと思う。東京ビッグシティマラソンが標的にされるところは、計測チップの使い方など、東京マラソン2008に出場した親近感から興味深く観た。世論という見えない暴力への挑戦は面白いが、数年前に実際に起きた出来事と重ねて観てしまうと、そのモデルに感情移入できるかどうかで作品への評価は分かれるだろう。個人的には、世間がなんと言おうとわが子を守りたいという親の心情に乗っかれた。

子どもは生まれた瞬間から自立に向かって歩み出すのに対し、親の人生は子どもが生まれることによって子ども中心に回り出し、手にかけた分だけ、親の中で子どもの存在感は増していく。子どもが成人しても自立しても、親はいつまでも親で、子どもの人生を背負い続け、世界を敵に回しても子を守り抜こうとする。その切なさを思った。そして、世間を騒がせた当事者の親や家族までが不特定多数からの攻撃にさらされるのは、日本以外の国でもあることなのだろうか、日本的な現象なのだろうか、などと考えた。子どもが生まれて以来、映画を観る目線が「子」から「親」へ変換したのを感じる。

親子といえば、一緒に観に行ったダンナが「ここ、もしかしたら……」と場内を見回し、「初めて映画を観に来た映画館かも」と言い出した。幼稚園の頃、『やさしいライオン』という作品を母親と弟とともに観に来たという。娘はTOHOシネマズのママズシアターで映画館デビューは果たしているけれど、自分が楽しむ作品という意味では、はじめての映画はこれからのお楽しみ。何十年も先に思い出せるような作品を見せてあげられるかなあとダンナの実家で留守番をしている娘の話をしながら帰り道についた。

2007年06月21日(木)  マタニティオレンジ133 おおらかがいっぱい
2005年06月21日(火)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学4日目
2002年06月21日(金)  JUDY AND MARY
1998年06月21日(日)  カンヌ98 2日目 ニース→エズ→カンヌ広告祭エントリー


2008年06月20日(金)  マタニティオレンジ301 太ももで豆腐うらごし

昨日、夕食の支度をしていたときのこと。待たせるとおなかが持たないと思い、「たま、これ食べててね」とごはんと豆腐を混ぜたものを先に与えた。ぎこちないながらもスプーンを操れるようになったので、たまがごはんと格闘している間におかずを作ろうという魂胆。テーブルに背を向けて包丁をトントンやっていると、たまはおとなしく食事をしてくれている。おとなしく……おとなしすぎやしないか? 不吉な予感に振り返った瞬間、目に飛び込んだ光景に唖然となった。ごはんと豆腐を小さな手でねちょねちょとこねたものを、ズボンを履いた太ももにこすりつけているのである。どういうきっかけではじめたのかわからないが、皿の中身は残り少なくなっていて、ピンクのズボンはセメントを塗りたくったように白くなり、顔や髪にも白いものがへばりつき、床には鳩の糞のごとく白い残骸が点々と落ちていた。

これが「食べ物で遊ぶ」ってやつだろうか。それとも、何か不満でもあるのだろうか。延長保育でいつもより一時間長く保育園に預けたので、淋しかったとか? ごはんと豆腐に混ぜたあのちりめんじゃこ、小海老入りで高かったのに……などといろいろ考えをめぐらせつつ、あまりのことに、しかることも忘れて、しばらく呆然と見てしまった。たまはすさまじい集中力で太ももをこすり、わたしが見ていることにも気づかない。

ようやく顔を上げて目が合ったので、「たま、ダメでしょう。食べ物をおもちゃにしたら。たまが食べるために用意したんだよ。ごめんなさいしなさい」と言うと、「メンメン」と人を食ったような「ごめんなさい」が返ってきた。片付けようにもどこから手をつけていいかわからない有様で、床に這いつくばって白い点々を回収しながら、もうこりごりと思ったのに、たまは今朝再びごはんと豆腐が食卓に上ったのを見て、「昨日あそんだやつ!」とでも訴えるように、うれしそうに太ももをこする仕草をして見せた。まったく反省してない! 「魔の2歳児」まで、あと2か月。

2005年06月20日(月)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学3日目
2004年06月20日(日)  日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
1998年06月20日(土)  カンヌ98 1日目 はじめてのカンヌ広告祭へ 


2008年06月19日(木)  「第2回万葉ラブストーリー」受賞作発表

第1回に続けて審査員を務めた「第2回万葉ラブストーリー」募集の受賞作が発表された。受賞した脚本3本は奈良ロケを行い、各10分のドラマとなって今秋お披露目される予定。賞を授けるだけで終わる脚本コンクールも多い中で、形にして世に送り出すところまでやるのが、このコンクールの魅力。受賞者にとっては、賞金以上に作品化が何よりのご褒美になると思う。昨年は、授賞式を兼ねたイベントで完成試写の後、NHKの奈良ローカルと関西ローカルに次いで全国放送された。

10年前はコンクールに応募して、中間報告や結果発表に一喜一憂していたのが審査される側から審査する側に回ったので、審査しながら、「わたしの作品もこんな風に選ばれたのかな、落とされたのかな」と想像してしまう。たくさんの応募作の中から審査を勝ち上がり、受賞を勝ち取るには、他の作品の中から「わたしはここよ」と訴えかけるような、きらりと光る何かがなくてはならない。書き手のひらめきはもちろん、時の運のようなものもあると思う。審査員の構成が変われば、選ばれる作品だって変わってくるだろうし、めぐりあわせの要素も大きい。よく受賞の言葉で「もう書くのをやめようかと思っていたけれど、これからも書き続ける勇気と自信をもらった」といったコメントを見かけるけれど、わたしもコンクールの受賞に力づけられながら書き続けてきた。実力という必然に加えて、運という偶然をも味方につけた受賞者の三人の皆さん、おめでとうございます。

2007年06月19日(火)  父イマセン、ピースボートに乗る。
2005年06月19日(日)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学2日目
2004年06月19日(土)  既刊本 出会ったときが 新刊本
2003年06月19日(木)  真夜中のアイスクリーム


2008年06月18日(水)  堺名産 小島屋の『けし餅』

東京から持って行くのは、ベルンのミルフィーユ、大阪から持ち帰るのは、551の蓬莱の豚まんと、むか新の『むらしぐれ』と、小島屋のけし餅。というのがこの頃のお土産の定番になりつつあり、今回の大阪帰省もこのパターンだった。

けし餅は、小豆のこしあんを餅皮で包んだものにけしの実をまぶしたもので、けしの香ばしさがたまらない。日経新聞の「日経プラスワン」の「もらってうれしいお土産」ランキングで上位に選ばれていたのを、「これ、いつも雅子が買ってくるやつ」とダンナ父がうれしそうに見つけてくれたが、どこにでもあるようでないものらしい。

ときどき食べると、「うむ、やはりおいしい」と唸らされるそのけし餅を、月曜日から食べ続けている。月曜日に予定されていた打ち合わせが延期になり、お土産に買ってきた10個入りが行き場をなくしてしまったのだ。独自の製法ゆえに和菓子にしては日持ちがするのだけれど、それでも次回打ち合わせまでは持たないし、日に日に風味も落ちるだろうから早めに食べたほうがいい。そう思って箱を開け、手をつけると、困ったことに一つ二つではおさまらない。むしろ加速がつく感じで、「いかんいかん、一気に食べるものではない」といさめつつ今日まで持たせたのだけれど、3日間で一箱平らげてしまった。今日は続けて四個食べたのだけれど、四個目でもおいしさは衰えず、さすが堺名産。ケーキバイキングで鳴らした自分の胃袋が案外衰えていないことも確認したのだった。

2007年06月18日(月)  マタニティオレンジ132 たま300日
2005年06月18日(土)  『子ぎつねヘレン』あっという間の見学1日目
2000年06月18日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月17日(火)  マタニティオレンジ301 苦心作のアルバムが届いて、「おひまい」

Macで苦労して作った「たまアルバム」が届く。表紙は一歳のバースデーケーキ。早速、「これ、なあに?」と興味津々のたま。「これはね、たまのお誕生日の絵本だよ」とページを開いて読み聞かせると、生まれたばかりの自分が体重計に乗せられている写真を指差し、「あま!」(たま)と興奮。ちゃんと自分だとわかっている。1/12才の誕生日。たまは小さかったね。2/12才の誕生日。たまはケーキの前ですやすや寝てたね……。途中までふむふむと見ていたたまは、半分ほどまで来たところで、「おひまい」(おしまい)とアルバムを閉じてしまった。わたしがつい見入ってしまって読み聞かせがお留守になり、つまらなくなったらしい。「たま、これからがいいとこなんだけど」「おひまい」。親の心、子知らず。

2005年06月17日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ地網走は歓迎ムード
2000年06月17日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月16日(月)  「SKIPシティ Dシネマ映画祭」で審査員やります

はじめて映画祭の審査員を務めることになった。『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さんから「今井さんも一度会っているトヤマさんって男の人から連絡が行くから」と電話があり、トヤマさんからの電話で「知人がスタッフをやっている映画祭の審査員をお願いしたいとのことで、連絡先を伝えていいですか」と言われ、事務局の木村さんという女性にたどり着いて正式な依頼となった。木村さんとわたしが同い年であることが、二人とも生年月日を携帯メールアドレスにしていることから発覚。わたし以外に生年まで入れている人に初めて会った。同世代の親しみも加わり、初対面から話は弾んで、よろこんで受けさせていただいた。

映画祭の名はSKIPシティ国際Dシネマ映画祭(7/19〜27)。不勉強で知らなかったのだが、SKIPシティとは埼玉県川口市の広大な土地を舞台に、埼玉県が中心になって進められている「中小企業の振興と次世代映像産業の導入・集積並びに国際競争力を備えた人材育成」の一大プロジェクト。映画祭もその一環として開催されているそう。

先週11日に都内で記者発表があり、わたしを含め長編コンペティション部門の5人の国際審査員が発表された。審査委員長はオーストリアのプロデューサー、審査委員は韓国の監督、アルゼンチンの撮影監督、日本のプロデューサー(甘本ノリオ氏)、日本の脚本家(わたし)という構成。長編国際コンペティション部門はグランプリの賞金が1000万円! 「長編映画制作3本以下 70分以上のデジタル作品」の募集に、今年は75以上の国と地域から693本の応募があり、12本のノミネート作品に絞られたという。一週間で12本の長編を見て審査をする、ずいぶんハードなスケジュールになりそうだけど、はじめての経験、どんな出会いが待ち受けているか楽しみ。会期中は足しげく埼玉に通うことになると思うので、映画祭を見に来る皆さん、見かけたら声をかけてくださいね。

2007年06月16日(土)  お宅の近くまでうかがいますの法則
2005年06月16日(木)  Hidden Detailのチョコ名刺
2002年06月16日(日)  一人暮らしをしていた町・鷺沼
2000年06月16日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月15日(日)  マタニティオレンジ300 3か月でこんなに変わる 

小石川植物園で保育園のクラス会。3月下旬に同じ場所で開いたのだけど、たった3か月でずいぶん変わるなあと驚いた。親べったり率がぐんと減って、子ども同士で走り回ったりボール遊びやしゃぼん玉遊びをしたり。転がっているボールを以前は独り占めしておしまいdったのが、誰かに投げたり転がしたりするようになっている。しゃぼん玉は一才児だけではうまく飛ばせないのだけど、お兄ちゃんお姉ちゃんに手伝ってもらってフーッと吹いている。きらきらのしゃぼん玉は、植物園の緑によく映えて、子どもも大人も見とれてしまう。「一緒にやる」ということを覚えてきたんだなあ。好奇心が旺盛で、人がやっていることを真似したい時期だから、輪の中に入っていこうとするのかもしれない。

人の真似といえば、ピクニックシートのまわりに脱ぎ置かれたパパやママの靴を履こうとする子が続出。ママのスニーカーよりパパの革靴が人気。アンディ・ウォーホルの絵にあるような格好で、足を引きずりながら歩くさまがおかしかった。

それにしても、子どもたちの身につけているものといい、持ち物といい、おもちゃといい、アンパンマンつき率の高いこと! これだけ子どもの心をとらえる秘密は何なのだろう。家では教えていないのに、たまもやっぱり「アンマン」が大好き。

2007年06月15日(金)  マタニティオレンジ131 映画『それでも生きる子どもたちへ』を観て
2005年06月15日(水)  『秘すれば花』『ストーリーテラーズ』
2002年06月15日(土)  『アクアリウムの夜』収録
2000年06月15日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月14日(土)  高校生だった三人が母になって

関西空港から東京へ帰る前に、高校時代の友人テルちゃんの家を訪ねる。わたしが留学して一年留年した後の学年の同級生で、同じクラスになったことはなかったけれど、体操部で一緒だった。『アテンションプリーズ スペシャル』放送の案内をメールしたとき、「今度大阪帰ってくるとき教えてね」と返信があり、「じゃあ6月に帰るから、そのときに会おう」となったのだった。体育祭の応援団で意気投合したユミちゃんにも声をかけ、5年前の高校卒業15周年の学年同窓会ぶりの再会となった。

テルちゃん、ユミちゃん、わたしを結びつけたのは、「おいしいもの好き」という共通点。応援団関係で仲良くなった食いしんぼの男の子四人を合わせた男女七人で、「グルメの会」というそのものずばりなネーミングの食べ歩き仲間を結成して、地元堺やちょっと足を伸ばしてミナミ(難波)のおいしいものを食べ歩いた。男の子も含めて全員が1リットルパフェを平らげられるほどの甘いもの好きでもあった。和菓子処の『かん袋』でしか食べられない「くるみ餅」のかき氷を食べに自転車を走らせたり、今はなくなってしまったレストラン『菊一堂』のコース料理を学校帰りに制服姿で食べたり、一年の半分ほどをイタリア旅行に費やす夫妻の手づくりピザの店を訪ねたり、『自由軒』のカレーの後に法善寺横町の『夫婦善哉』という「織田作之助」コースを楽しんだり。お小遣いの少ない高校生にしては、贅沢なことをしていた。7人のうち誰が抜けたのだったか、2チームに分かれて高校生クイズの予選に挑戦して、第一問で敗れたのもいい思い出。夏の暑い日に文化祭の演劇で使った衣装で仮装し、わたしは紫のロングドレスを着ていた。ユミちゃんとは3年のときに同じクラスになったのだけど、クラスでの出来事よりも、どこで何を食べたということばかり思い出してしまう。食べ物の記憶って、強い。

5年前の同窓会の前に3人が集まったのはユミちゃんの結婚式で、わたしは『ぱこだて人』の脚本の授賞式を終えて函館の映画祭から向かった。99年のことだから、9年前になる。同窓会は人がいっぱいだったし、結婚式は主役を独り占めできなかったし、3人でじっくりと話すのは、思い出せないぐらい久しぶりのことなのだった。5年会わないうちに、テルちゃんは二児の母になり、ユミちゃんとわたしも一児の母になり、第二世代の4人の娘が加わっての3人娘ミニ同窓会となった。3人集まると気分は高校生の頃に戻ってしまうのだけど、目の前には子どもたちがいて、なんだか不思議。思い出話と子育て話が混じり合い、ブランクはあっという間に埋まって、先週も会ってたような気持ちになる。

3人ともあいかわらずおいしいものが好きで、甘いものも大好きで、食べるとますますおしゃべりになるところも変わってない。テルちゃんのいとこがやっているという近所のパン屋さんのフィナンシェを夢中で頬張り、「このお店、今度連れて行って!」と話す。昨年末に建てたばかりという自慢の新居をくまなく案内してもらい、北欧インテリアが好きという共通点も見つかって、「わたしたちって、やっぱり気が合うんだ!」と再発見。離れていても、会えばあっという間にあの頃に戻れる同級生がいる幸せを味わい、娘たちもそんな友だちに恵まれるといいな、娘たち同士もいい友だちになれるといいなと思った。

2007年06月14日(木)  『坊ちゃん』衝撃の結末
2002年06月14日(金)  タクシー


2008年06月13日(金)  マタニティオレンジ299 おもちゃ電車→たま駅長→いちご電車


数週間前、「いちご電車」というタイトルの浮かれたメールが届いた。ご近所仲間で鉄道ファンのT氏がはるばる和歌山に出かけ、いちご尽くしの電車に乗っている実況を四十代とは思えない無邪気さで送ってきてくれたのだった。さらに一時間後には「おもちゃ電車」というメールが画像つきで届いた。「いちご電車」「おもちゃ電車」はJR和歌山駅から延びている和歌山電鉄貴志川線という私鉄ローカル線の車両で、終点の貴志駅にはニュースですっかりなじみになった猫の「たま駅長」がいるというではないか。たま駅長のことは気になっていて、わが娘・たまと会わせたいと思っていた。ちょうど関西行きを控えていたので、T氏からのメールが後押しとなって「わたしも行こう!」と決めたのだった。

たまと父イマセンとともに阪和線紀州路快速で終点和歌山へ向かい、T氏のアドバイス通り一日乗車券(650円)を買って乗り込んだのは、おもちゃ電車(愛称OMODEN)。おもちゃが並ぶ棚にはアンパンマン! たまは早速駆け寄り、興味しんしん。木のつり革も積み木みたいで愛らしい。


10台あるガチャガチャは本物。たまはお金を入れずにハンドルをガチャガチャ。


床は木で、座席にはチェックの座布団。あたたかみがあって、絵本に出てくる子ども部屋みたい。ねずみ(MOUSE)、うさぎ(RABBIT)、犬(DOG)の形の背もたれには、さりげなく「M」「R」「D」とイニシャルがあしらわれている。「おもちゃ電車」という名前からデパートの屋上のようなにぎにぎしさを想像したのだけど、甘くなりすぎない大人っぽいテイストに感心。中吊りなどの印刷物のデザインも洒落ていて、アイデアだけでなくクリエイティブのセンスも光っている。

終点の貴志駅で降りると、駅長帽をかぶったたま駅長がお出迎え。駅長室には、もう2匹の猫がいて、こちらは「助役」とのこと。人間の駅員はおらず、猫のみという無人・有猫駅。たま駅長、帽子が重いのか、すぐに落としてしまうのだけど、帽子がないとただの猫になってしまう。うちのたまとの対面は、お互い関心なさそうで、そっぽを向いたツーショットしか撮れなかった。

駅舎にはつばめの巣があり、親鳥がかいがいしく子どもたちに餌を運ぶ姿が乗客を和ませていたのだが、その巣の真下で、父はいつの間にか買ってきたたこ焼きを一人で頬張っていた。ほんと、この人の頭の中は食べることでいっぱいで、ある意味1才児のたま以上に子どもっぽい。

帰りは普通車両で大山遊園駅まで行き、下車して散歩。本当は交通公園まで行きたかったのだけど、たまが両替機で遊びたがり、百円玉を二枚両替したところで「他の人の分がなくなるからやめようね」と言った途端に床に転がって泣き出したので、手前で降りた。池をのぞむ広々した公園(これが遊園?)があり、そこのすべり台で遊ぶうちに機嫌は直った。


大山遊園からでいちご電車を待ち受け、乗り込む。保育園でいちご組のたまは、「ご!」を連発しながら車両のあちこちに配されたいちごを指差し、おもちゃ電車以上に興奮。


座席と座布団は、どこか懐かしさを感じさせるいちご柄生地。小さなテーブルもあり、地元の高校生がお昼ごはんを頬張っていた。「何もないのが魅力です」とT氏は語っていたけれど、窓の外ののどかな風景がかわいい電車とよく合っていた。乗り物の形の色とりどりの遊具がひしめく交通公園で下車してたまを遊ばせたかったけれど、「和歌山まで行ってお昼食べよう」と父が言うので、終点和歌山まで乗り続けるうちに、たまは眠りに落ちた。

2007年06月13日(水)  「事実は小説より奇なり」な映画『主人公は僕だった』
2005年06月13日(月)  『猟奇的な彼女』と『ペイ・フォワード』
2004年06月13日(日)  映画『ヒバクシャ 世界の終わりに』


2008年06月12日(木)  中田金太さんの置き土産『玉虫厨子』と対面

映画を見るとロケ地を訪れたくなる。千三百年前の飛鳥の時代に造られた法隆寺の国宝「玉虫厨子」に平成の職人たちが挑むドキュメンタリー映画『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』(>>>2008年03月27日(木)の日記)に酔ったわたしとアサミちゃんは、「実物の玉虫厨子を見ねば!」となった。中田金太さんが私財を投じて平成職人に腕をふるわせて再現された「玉虫厨子」と、さらに遊び心を加えた「平成版・玉虫厨子」が6月いっぱいまで法隆寺の秘宝展で公開されているという。再現版は法隆寺に奉納されたのだけど、平成版は秘宝展が終わると高山のまつりミュージアムで展示されることになっている。二台を並べて見られるのは最初で最後のチャンスかもしれない。先週アサミちゃんはダンナさんとともに奈良を訪ね、「見て来たよ〜。良かったぁ」と伝えてきた。ちょうど大阪に帰省する機会を得たわたしも今日、奈良へ向かった。

JRの法隆寺駅から法隆寺まで歩いて20分。拝観券売り場を求めて広い境内をさ迷い、秘宝展が行われている秘宝殿へ直接行けば良いと教えられ、たどり着くまでにさらに10分。駆け足での鑑賞となり、飛鳥時代版の本家(こちらも並べて展示されているのを期待していたら、本堂に置かれているとのこと)を拝む時間はなかったけれど、金太さんの置き土産二台に対面することができた。

ちょうど小学校の遠足の団体と鉢合わせ、「これやこれ! 玉虫!」と担任らしき女の先生が興奮した声で指差すと、「どれどれ?」と元気のいい小学生がガラスケースの前に集まってきた。これがこないだやってた玉虫のん?」と先生に聞いている。授業で取り上げたのだろうか。映画に出ていた金太さんや職人の話も紹介されたのだろうか。再現版よりも色鮮やかな平成版に人気は集中し、「これ、玉虫の羽なん?」「すげー」「すごすぎ」と心からの感嘆の声が上がる。この光景、金太さんに見せたかった。「造るより遺すことのほうが難しい」と話していた金太さん。あなたが遺してくれたものは、平成の子どもたちに、この国の美しく力強い財産をしっかり伝えていますよ。

玉虫厨子と背中合わせに置かれているのは釈迦如来像。「仏さん、皿乗ってんで」「食べられるん?」「かもな」と子どもたち。玉虫厨子の蒔絵の原案になったお釈迦様の絵を前にした女の子は、「虎のこどもがおなか空かせてて、身投げして食べさせたってんて」「私やったらせえへんなあ」などと話している。 近頃の子どもたちはゲームばっかりして感動したり感激したりする力が弱っているのではと心配していたのだけど、展示物を見て感じたことを口にする子どもたちの言葉は生き生きとしていて、好もしかった。

NHK奈良の「万葉ラブストーリー募集」が縁で、子ども時代に親しんだ奈良にまた足を運ぶ機会ができたのだけど、京都とはまた違った古都の魅力があって、小旅行気分を楽しんでいる。奈良公園には鹿がわがもの顔で歩いていて、『鹿男あおによし』を思い出した。明日香村も訪ねたいし、古い町並みが残っているという「今井町」も気になる。

近鉄奈良近くの商店街を歩いていて、奈良遷都キャラクターの「まんとくん」「せんとくん」が並んでいるシャッターを発見。公式キャラの「せんとくん」が発表された後に自主提案の形で開発され、ネット投票で選ばれたのが「まんとくん」という経緯を新聞記事で読んだばかり。強烈キャラの兄と愛されキャラの弟という感じであまりにキャラが違うので、こんな風に並んで「どっちが好き?」と話題を提供するのもいいかもしれない。

2007年06月12日(火)  想像力という酵母が働くとき
2005年06月12日(日)  惜しい映画『フォーガットン』

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