2008年06月05日(木)  マタニティオレンジ297 Macで『たまアルバム』作り 

この1週間、仕事の合間に悪戦苦闘していたのがMacのiphotoという機能を使った『たまアルバム』作り。デザインを選び、雛形に好きな写真とコメントをはめ込むだけの作業なのだけど、Macらしいスマートゆえに不親切な説明に試行錯誤を迫られた。先日、Macユーザーの先輩である友人のセピー君が鎌倉で一緒に過ごした一日をアルバムにして贈ってくれたのだけど、今さらながらこんな面倒なことをよくやってくれたなあと頭が下がる。自分の子どものためじゃなかったら、途中で投げ出すところだった。それでも何とか要領を覚え、ダンナに書かせた「たまへの手紙」も入れ込み、無事完成。あとは製本されて届くのを待つばかり。

実は、たまの一才の誕生日に手づくりのアルバムを贈る計画はあった。スクラップブックに初挑戦するという意気込みは時間が経つうちにしぼみ、手づくりはやっぱり無理だと諦めたものの代案はなく、Macに乗り換えたのを機会に「これなら簡単に作れるかも」と思ったものの、エンジンがかかるまでに1か月、製作に1週間。2週間ほどでアルバムが届く頃には、たまは1才10か月。10か月も遅れ、もはや「2才の誕生日に1才の誕生日プレゼントを贈る」状態だけど、結婚式の写真の整理がまだのわたしにしては、仕事が早い。かわいいわが子のことだから、優先順位が上がったのだ。

すんなり進まなかった分、つまずくたびに「わたし、いま、親らしいことしてるぞ」という気持ちになれた。自分のことで手一杯で、保育園の先生にもお医者さんにも「お母さん、しっかりしてください」としかられっぱなし。定刻に登園すると拍手され、毎度のように忘れ物をし、今朝なんかジーンズのファスナーを閉め忘れていた。鏡を見るのを忘れるので、たまがふざけて貼り付けたシール(「会議」と書いてあった)をおでこの真ん中につけたままだった日も。考え事をしながらスナップボタンを留めて、肉(皮膚)を挟んでしまったことは数知れず。それでも「ママ、きー!」(ママ大好き)と抱きついてくれる娘に、少しは母親らしいことをしなくては。

2007年06月05日(火)  『風の絨毯』の中田金太さん逝く
2005年06月05日(日)  2人×2組の恋の映画『クローサー』
2004年06月05日(土)  『ジェニファ 涙石の恋』初日
2002年06月05日(水)  シンクロ週間


2008年06月04日(水)  死ぬということへの悪あがき

幼なじみのお父さんが亡くなられた。幼なじみからの電話を自宅で受け、いつも通り話した直後に倒れ、あっという間のまさに突然過ぎる死だったという。最後に会ってから十年ではきかないから記憶の中のおじさんはずいぶん若く、なおのこと驚いて呆然となった。知らせてくれたのは母親で、いつもは当たり前だと思っている母の声がなんだかありがたく思えた。自分の両親は元気でまだまだ長生きしてくれそうだとすっかり油断しているけれど、年齢の分だけ不意打ちに遭う確率は高くなる。だけど心積もりはまだしたくない。

わたしは昔から死というものを受け入れるのが下手で、今自分を囲んでいるメンバーがそのまま年を重ねて持ち上がっても欠けることはない、と意地を張って信じているようなところがある。自分も含めて全員がいつかは舞台を降りる宿命にあることを認めるのが怖くて、そのことを想像するだけで息苦しくなって思考停止してしまう。四年前に亡くなった幼なじみのヨシカは、留学先のベルリンに行ったままだと錯覚しているようなところがある。お墓を訪ねても、やっぱり実感はわかなくて、何かの冗談のように思えてしまう。

夏目漱石の小説だったか、亡くなった師匠の元へ駆けつけた弟子たち一人一人の様子を綴った短編があった。師匠との思い出を語る者、早すぎる死を悔やむ者、感謝を述べる者……悲しみとある種の興奮に包まれたその部屋で、「自分もいつかは死ぬのか」と静かに怯えている男がいて、この気持ちわかる、と思った。その後で、「だけど、その人もやっぱり死んでしまったんだなあ」と怖くなった。読んだのは二十年以上前、高校生の頃だと記憶しているけれど、死ぬことへのじたばた具合はその頃から改善されていない。子ども向けの絵本の奥付にある著者紹介を見て、「これを書いた人は、今はもういないんだ」と淋しくなったりする。わたしの場合、自分が消えることを恐れる気持ちが、形になるものを残したいという衝動をかき立て、書くことに向かわせているようにも思う。あの短編の著者も、そういう人だったのかもしれない。

2007年06月04日(月)  黒澤明映画『生きる』
2002年06月04日(火)  回文ぐるぐる「サッカー勝つさ」
2000年06月04日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2008年06月03日(火)  「夜は街より家にいたい」「予定はなるべく入れないで」という感覚

図書館の「今日返された本」コーナーで見つけた『40代のひとり暮らし』(岸本葉子)と目が合って、手に取った。「質感はだいじ」など、自分のこだわりについて綴った短いエッセイが40本ほど。子どもという同居人がふえて3人暮らしの身だけれど、あと2年で40代という同世代感からか、誰と暮らそうと自分の色に染めてしまう性格ゆえか、自分と重ねて読めるところが多かった。「愛のない(なくなった)人の分の家事労働ほど、負担に感じるものはない」なんて指摘にドキッとし、この負担が大きくなるとコンビ解消してひとり暮らしになるんだろうなあと想像する。とくに共感したのが、「夜は街より家にいたい」と「予定はなるべく入れないで」と題するエッセイ。20代の頃、一人で家で過ごす夜はもったいなく感じられたけれど、今は勝手知ったるわが家のくつろぎを贅沢だと思える。そして、20代はスケジュール帳を予定で埋めよう埋めようとしていたけれど、今はスケジュールの白い部分を守ろうとする。打ち合わせがなくなったとき、20代のわたしなら誰かを誘って穴を埋めたのだけれど、今は一人でゆっくりお茶を飲む時間ができたと考える。週の何日かは何にも予定がない日を確保しておきたいという著者の感覚に、わかるわかると膝を打ち、これが年を重ねて落ち着くってやつかしらと思った。余白を空しいと取るか、余裕と受け止めるか、やりたい放題を尽くして体力が落ちてきた三十代半ばあたりがその分岐点になるのだろうか。「でかけない度」と「予定あけとく度」が急に高まったのは、予測不能な幼子を抱えたせいかと思っていたけれど、40代突入の予兆的な変化だったのかもしれない。


2007年06月03日(日)  マタニティオレンジ127 0歳児時代は子どもより自分優先!?
2005年06月03日(金)  劇団浪漫狂『ピカレスクpp行進曲』
2003年06月03日(火)  海南鶏飯食堂(はいなんじーふぁんしょくどう)
2002年06月03日(月)  きる ふぇ ぼん
2000年06月03日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月03日(日)  4年2組日記 先生の家


2008年06月02日(月)  マタニティオレンジ296  「ママ いっぽん!」「もっかい もーむー」 

打ち合わせが長引いたので、ダンナの実家に預けている娘のたまをダンナが迎えに行ってくれた。「パパ!」と抱きついて甘えるたまにデレデレしつつ、「ママがいるときは、ママいっぽんのくせに」とダンナが言うと、すかさず「ママ いっぽん!」とすばらしい発音でリピート。その話を家に帰ったダンナがわたしに報告しているそばで、たまは「ママ いっぽん!」を連発。いつの間にか、人差し指を立てる「いっぽん」の仕草も加わったが、「パパ いっぽん!」「じいじ いっぽん!」「ばあば いっぽん!」と応用を効かせはじめた。「一本」の意味がわからず使っているところが子どもだなあ。

外国語を覚えるときにも勘違いはつきものだけど、たまが日本語を覚えていく過程にも思い違い、思い込みが現れるようになった。絵本を読んであげると、「もっかい もーむー」(もう一回読む)と言って、同じ本を何度も読んでほしがるのだけど、だっこをしても、おんぶをしても、すべり台であそんでも、「もっかい もーむー」。どうやら、たま語では「もむ」は「読む」にとどまらず、「do」を意味するらしい。自分が家に帰ったときに「かえいー」(お帰り)と言うのも微笑ましい。

子守話21 ぞうのせんたくやさん

ぞうがせんたくやさんをはじめました。
ながいはなに せんたくものをたくさん まきつけて
かわまではこんでくると
せんたくものをはなでつまんで
かわのみずで ざぶざぶ ざぶざぶ
がんこなよごれは みずにたたきつけて ばんばん ばんばん
よごれがおちたら ぶんぶんふって みずをきり
おひさまと かぜが よくあたる たかい きのうえに ひっかけて
せんたくものが よくかわいたら はなをじょうずにつかって おりたたみ
アイロンがわりに あしをどんとふみつけて しわをのばせば できあがり。
おおきなあしあとがついている シャツをみかけたら
それは ぞうのせんたくやさんが あらったしるし。

2007年06月02日(土)  『ベンディングマシンレッド』発進
2002年06月02日(日)  お宅訪問
2000年06月02日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月02日(土)  4年2組日記 バレーボール


2008年06月01日(日)  出張いまいまさこカフェ8杯目『企画という恋が終わるとき』

池袋シネマ振興会のフリーペーパーbukuに連載しているエッセイ『出張いまいまさこカフェ』の原稿を書く。6月下旬発行予定の次号で8杯目。3か月に一度の刊行だから、連載開始から24か月、2年になる。

8杯目のタイトルは『企画という恋が終わるとき』。恋愛のゴールが結婚だとしたら、企画のゴールは撮影、公開(放映)。テレビの場合、脚本家のところに話が来る頃には放映日やキャストなどが固まっている場合が多いので企画が流れることは少ないけれど、ホンづくりから出発する映画の場合は、もろもろの理由でゴールまでたどり着けないことが多い。わが本棚に並んだ脚本を眺めていると、熱い恋に落ちながら泣く泣く終止符を打った企画がコレクションのごとく居並び、よくこれだけボツになったものだ、と呆然としてしまう。過ぎ去った恋への懐古も込めて原稿を書いた。

ただならぬ失恋の数を見ても、企画という恋に関しては、わたしは恋多き女。「恋をして恋を得るのは一番目にすばらしいこと、恋をして恋を失うのは二番目にすばらしいこと」なんて格言があるけれど、恋をしたからには実らせたいもの。過ぎ去った恋も、いつか焼け木杭に火がついたりしないだろうか、と思ってしまう。

2007年06月01日(金)  「いしぶみ」という恋文
2005年06月01日(水)  映画『子ぎつねヘレン』撮影中
2004年06月01日(火)  歌人デビュー本『短歌があるじゃないか。』
2002年06月01日(土)  フリマ
2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2008年05月31日(土)  全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』

「ゆずり葉」という言葉をひさしぶりに聞いた。河井酔茗という人の書いた『ゆずり葉』という詩があり、そこに登場する言葉として記憶していたので、小学校の国語か道徳の時間に習って以来かもしれない。

まさにその詩をモチーフにし、『ゆずり葉』をタイトルにした映画が生まれようとしている。全日本ろうあ連盟が創立60周年を記念してつくる映画で、今夜、その「成功させる会」に参加してきた。

会場は、文京区シビックセンター最上階にあるスカイホール。会がはじまる少し前に足を踏み入れると、集まった百名を超えると思われる参加者たちが手話でおしゃべりに花を咲かせている。その、にぎやかなこと。大きな身振りと生き生きした表情から、会話の内容が楽しげであったり懐かしげであったりすることがうかがえる。

ああ、この言葉がわかったら、と思った。

今から遡ること四半世紀、中学校の必修クラブで手話を習い(松久先生というたしか理科の先生が教えてくれた)、アメリカの高校に留学したときには市民講座でAmerican Sign Languageを教わったわたしにとって、手話は言語のひとつであり、文化の一部だという認識がある。

なかなか再び手話を学ぶ機会がなかったのだけど、今夜は浴びるように生きた手話に触れられるチャンス。耳から入る情報と目から入る情報を同時に味わい、データベースに保存していった。

刀で斬りつける仕草は「斬新」、旗を振る仕草は「応援」。首を軽くつまむような「幸せ」、こめかみに人差し指を当てる「思う」、両手で時計の文字盤と針を表現する「とき」などは、記憶の底に残っている。

体で覚えた知識は記憶に定着しやすいというけれど、四半世紀のブランクを経ても五十音とアルファベットは指が勝手に動いた。

手のひらを自分のほうに向け、体の前で両手を揺らすように上下させる動きが、「映画」。これもたしか「テレビ」として習った覚えがある。テレビは小さめ、映画は大きめに手を動かすのだとか。「映画」の動きに「書く」仕草を続けると、「映画脚本」となる。

アメリカ留学時代、生徒数千人を超えるマンモス校には数十人の聾者が学んでいて、他の生徒と同じ教室で手話通訳とともに授業を受けていた。彼らが集う部屋にはタイプライターで打ったものが電送されるというメールの先駆けのような機械があった。

それが1987年のこと。

「君の唇は読みにくい」と笑いながら、わたしの拙い英語に誰よりも辛抱強くつきあってくれたのは、彼らだった。

日本に帰ってからは聾者と知り合う機会すらなく、昨年保育園の役員会で一緒になった山岸さん(パン好きで、パン教室を開くほどの腕前)が、最初の友人となった。山岸さんの幼なじみの早瀬久美さんの夫の憲太郎さんが脚本・監督を務める映画ということで、今夜の会に声をかけてもらったのだった。



ともに聾者の早瀬久美さん、憲太郎さん夫妻には、人を引きつける圧倒的な魅力があり、きびきびした手話とよく動く表情にもそれは現れている。夫婦そろってこんなにも目が輝いているカップルは、結婚式以外ではなかなか見かけない。映画という夢があるからなのか、ありあまる好奇心と行動力ゆえに映画に首を突っ込んだのか。

久美さんは聴覚障害者初の薬剤師免許取得第一号となった人だという。会の司会進行も務めていたが、彼女の手話は力強くて表現力豊かで、このバイタリティで道を切り拓いてきたんだなあと想像した。動くだけで元気と勇気の粉をふりまくような早瀬夫妻。この人たちに会えば、どんな映画を見せてくれるのか、無関心ではいられなくなる。

初監督作品で、脚本を書くのも初めてという憲太郎さんは、連盟の理事の友人である漫画家の山本おさむさんに師事を仰ぎ、脚本を練ったという。プロット段階から関わったという山本さんの「脚本づくりは宝さがしのようなもの」という言葉に共感。プロットにある宝物を見つけては肉付けする作業を繰り返し、準備稿が仕上がった。

これからオーディションを経て、今秋撮影、来年6月から全国四百か所を目標に上映をしていく予定だという。ロケ地は古い町並みが残っている本郷、谷中、根津、千駄木エリアとのことで、わたしの散歩圏。ろうあ連盟がはじめてつくる映画が地元で撮影されることにも縁を感じる。聾者親子のかけあいでロケ地を案内するビデオも楽しかった。

全日本ろうあ連盟が映画をつくる意義についても語られた。活字ではなく幅広い人たちが共有できる映像で、聾者の想いを形にし、届けたい。折しも連盟は60周年。人間で言えば還暦を迎え、映画という赤ちゃんに連盟の想いを託すことになった。

連盟理事長で製作委員会委員長でもある安藤豊喜さんは、連盟が歩んできた60年を「聾者が置かれていた谷間から引き上げるたたかい」だったと語った。今日では考えられない苦労や屈辱を跳ね返しながら、ひとつひとつの権利や約束を勝ち取ってきたのだろう。その運動の歩みそのものが、ゆずり葉になっている。

より生きやすい社会を子らにゆずり渡すことを願い、懸命に生きた親たち、そして、そのまた親たち。そんな『ゆずり葉』の生き様が映画に描かれることを期待し、一人でも多くの人に届く作品になればと思う。

ロケ地にもなる文京区の成澤区長(「文京区長」の手話が受けた)をはじめ、出席者のスピーチはそれぞれ味があり、映画についている応援団のたのもしさが伝わってきた。もちろん、想いはあっても「資金」がなくては映画の完成は難しくなる。けれど、一人一人の想いが合わさり、うねりとなったとき、映画づくりに必要なもの(お金はもちろん物や人も)を吸い寄せる力が生まれることも事実。

今夜の会には、すでに熱い波が立ちはじめていた。その滴を持ち帰り、冷めないうちに日記に記したつもりだが、読んだ方に熱が伝わり、映画『ゆずり葉』を応援する波がひろがることを願っている。


2005年05月31日(火)  G-up presents vol.3『Deep Forest』
2002年05月31日(金)  ワールドカップ
2001年05月31日(木)  2001年5月のおきらくレシピ
1979年05月31日(木)  4年2組日記 先生ずるい


2008年05月30日(金)  相続税も所得税もかからない財産

茨木のり子さんの詩集『寸志』を読み、またまた言葉の力に圧倒された。「思うに 言葉の保管所は お互いがお互いに他人のこころのなか」(『花ゲリラ』)などとふんわりやさしい言葉遣いなのに胸にずしずしと響いてくる質量と存在感がある。茨木さんが大学で化学を専攻されていたことは、以前読んだ詩集に記されていたプロフィールで知った。「元素どもの化けるさまには なぜかしらけっぱなし (中略) 言偏に寺のほうへと さまよい出て (中略) 言葉の化けるさま三十年」(『言葉の化学』)とあるが、この人の詩は、言葉が化学変化を起こす面白さをしみじみと味わわせてくれる。

「どこかで 赤ん坊が発声練習をしている」ではじまる表題作の『寸志』は、子育て中の娘が言葉を獲得するさまに興味津々の今のわたしには、とくに響いた。「相続税も払わずに ごくずんべらと我がものにした」「わたしの語彙がいま何千語なのか 何万語なのか計算できないほどなのに どこからも所得税はかかってこない」母国語というものに「しみじみ御礼を言いたいが なすすべもなく せめて手づくりのお歳暮でも贈るつもりで 年に何回かは 詩らしきものを書かなくちゃ」とある。ちょうどこの一週間は間もなく2歳になる娘の語録や、娘に子守唄代わりに聞かせている物語をまとめたりしていて、自分の母国語の面白さと豊かさをあらためて感じていたところ。つきあえばつきあうほど味わい深く、飽きることのない日本語という宝物を自由に使えるありがたさ。この特権を大いに楽しみ、喜び、宝の持ちぐされにしないことが、何よりの御礼になるだろう。「私の祖国と呼べるものは日本語」という詩人石垣りんさんの名言も引用されていて、その感覚にも共鳴する。

母国語の相続、獲得には相続税も所得税もかからないけれど、わたしの場合、その言葉を元手に所得を得ているわけで、寸志を贈るつもりがお返しのほうが大きくなっている状態。そこから所得税を支払っているし、将来著作権を家族に譲る折には相続税も発生することになろうから、その税金がまわりまわって母国語への恩返しに役立つことがあれば帳尻が合う。

2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり
2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2008年05月29日(木)  マタニティオレンジ295 「うちの子、ここがかわいい」保護者会

保育園にてクラス別保護者会。先生方と父兄が交流と情報交換を図るもので、13時半からという早めの時間にほぼ全員が出席。会社勤めの人たちは、早退したり休んだりして駆けつけているわけで、大変だ。わたしが会社勤めを続けたまま子どもを育てているとしたら、保護者会のために休むのは難しい気がする。

0歳児クラスからの持ち上がり組と今年からクラスに加わった人たちがいるので、自己紹介を兼ねて「うちの子、ここがかわいい」自慢をする。「おばけが出るよ」とママにおどかされたのを真似して、ママを驚かせ、「こわいよ〜」と泣き真似をしたママの名演技にだまされて「だいじょうぶ。おばけいっちゃったよ」と慰める男の子。同じ1歳児クラスでもそんなに話せるのか、とびっくり。お姉ちゃんとママが喧嘩していると仲裁に入る男の子。おもちゃをひとつひとつつぶさに点検してから遊ぶ慎重派学者肌の男の子。内弁慶で家ではお山の大将なのに外では引っ込み思案で人ごみをみるだけで泣き出してしまう男の子。お笑い番組の芸を片っ端から真似する女の子。まだ2歳前後でも一人一人個性の差がくっきり出ているのが面白い。

わたしは、「かわいいかわいいと持ち上げすぎたせいで調子に乗り、かわいいという言葉を聞くと自分のことだと自惚れる」という話をしたが、これだと「うちの子、ここがかわいい」ではなく、「うちの子、自分がかわいと思い込んでいる」話で、趣旨とずれているではないか。他に「突っ込みを期待する受け狙い性格」の例として、「ボールをシャツの中に入れて『おっぱい』とおどける」話、世話焼きエピソードとして昨夜の夕食の話を披露した。ウィンナーを食べているときに、おいしいねと声をかけたら、口の中から取り出したウィンナーをわたしの口に放り込み、「おいしい」のベビーサインでわたしのほっぺたをペタペタ。ミンチ状態のウィンナーを噛みしめ、ビンタ(力加減を知らないので軽く叩けない)を浴びながら、おいしさを独り占めするんじゃなくて分かち合いたい、そんな気持ちが芽生えたんだなあと愛おしくなった。

「このクラスの子たちがとってもかわいいのは、かわいいかわいいと思われているからなんですね」と保育士さんたち。たしかに、同じクラスの子どもたちを見ていると、愛されているんだなあと思う。「みなさんがわが子自慢をしたので、私は園自慢をします」と四月に着任した新園長先生。「ひとつ、子どもたちがかわいい。ふたつ、お父さんお母さんがすばらしい。みっつ、職員がやさしい」とほめて一同を照れさせた。自分が関わる相手を愛しく思える、そんな人たちが集まって、園のいい雰囲気を作っている。

フリートークでは、「家事と仕事の育児、どうやりくりしてる?」で盛り上がる。「洗濯物は畳まない」「でも、山を掘るのは大変」という話になり、わたしは最近実践している「ざっくり分類して箱に放り込む」術を紹介。大量にあるのに、なかなか目指すものが見つからずに手を焼いていた子ども服を「シャツ」「ズボン」「つなぎ」の3箱に分けただけで、探す手間がずいぶん省けるようになった。

今夜の子守話は、娘から毎夜リクエストされる「わぁに」の話。昨日の話にもわにが登場したけれど、わにが主役の話は『わにのばす』以来。「わぁに ぞぞ」(わにとぞうの話)も催促されているので、たまの好きな動物1、2位がダブル主役の話も考えなくては。20話とまとまった数になったので、昨日のたま語銀行に続き、いまいまさこカフェ内に子守話ページを開くことにする。
子守話20 わにのだんす

おどることがだいすきなわにが
みちばたで だんすをはじめました。
あしをどんどん しっぽをばんばん
じめんをちからづよく うちならしたり
しっぽを みぎへひだりへ ぶんぶんふりまわしたり。

  わにのだんすは どんどんだんす
  わにのだんすは ばんばんだんす
  わにのだんすは ぶんぶんだんす

なかまのわにたちが あつまってきて いいぞいいぞとはやしたて
おどっているわににむかって きらきらひかる おかねをなげました。
そのおかねで だんすわには きらきらひかる せびろをかいました。

せびろをきたわには おおきなまちにでて
ばすていのまえで だんすをはじめました。

  わにのだんすは きらきらだんす
  わにのだんすは くらくらだんす
  わにのだんすは ぐらぐらだんす

ばすをまっていた わにたちは よろこんで
せびろのぽけっとに おかねをたくさんほうりこみました。
そのおかねで だんすわには おおきなぼうしをかいました。

おおきなぼうしをかぶり せびろをきたわには
ばすにのって でんしゃのえきへいき だんすをはじめました。

  わにのだんすは いきいきだんす
  わにのだんすは うきうきだんす
  わにのだんすは どきどきだんす

いろんなまちからあつまってきたわにたちが はくしゅかっさい。
おおきなぼうしは あっというまに おかねでいっぱいになりました。
そのおかねで だんすわには でんしゃにのって しゅうてんまでいきました。

しゅうてんで でんしゃをおりたのは だんすわにだけでした。
そこには わにのこどもたちだけがくらすむらがありました。
みんなだんすがだいすきで だんすわにをとりかこんでおどりだしました。

  わにのだんすは ぐるぐるだんす
  わにのだんすは ずるずるだんす
  わにのだんすは ぶるぶるだんす

こどもわには おかねをもっていなかったので
だんすわには しゅうてんのえきから でんしゃにのらずにかえりました。

  わにのだんすは またまただんす
  わにのだんすは まだまだだんす
  わにのだんすは だだだだだんす

あんまりたのしかったので おどりながらかえっていくと
だんすわにの おおきなぼうしと せびろのぽけっとは
いつのまにか おかねで ずっしりおもくなりました。

そのおかねで だんすわには ぴあのをかって
わにのこどもたちのむらにおくりました。
またいっしょにおどりましょうと てがみをけんばんのうえにのせておきました。

2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ
2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2008年05月28日(水)  マタニティオレンジ294 たま語銀行オープン

昨日は打ち合わせがあり、ダンナの実家に預けていた娘のたまを迎えに行くのが9時頃になった。そのせいか、夜中に起きだし、「バーニー み!」とビデオを観たいとせがんだり、「の!」と絵本『わたしの』を読めとせがんだり、「じじ かく」とペンを握りしめたり、元気スイッチが入ってしまった。わたしがトイレに行くとついてきて、トイレットペーパーを引っ張ったり、水を何度も流したり、花瓶をひっくり返したり。わが家のトイレには、たまの大好きな花とハートとにぎやかな色があふれ、押せば応じてくれるウォッシュレットのボタンまであり、たまにとってはワンダーランド。

壁に貼ってある自分の写真を見るのも好きで、写真と自分をかわるがわる指差しては「ここ」(わたしの写真ね!)と主張するのだが、昨夜は「あま」と言った。「タッチ」も「ママ」も言えるのに、いつまで経っても「たま」と言わないのが不思議だったのだけど、はじめて自分の名前の発音を試みた。ずいぶん言葉の再現能力が発達してきたようで、「パパこわいって逃げたらパパ悲しむから、パパ好きって言おうね」と教えたら、だっこの仕草とともに「パパ きー」。ひと晩で二つも新しい言葉が口から出て来た。

新しく言葉を獲得するとき、ためこんだ言葉が突然堰を切ってあふれだす瞬間がある。わたしがアメリカ留学したとき、一か月後ぐらいにそれが訪れた。端から埋まっていったパズルが、空白が少なくなるにつれて加速度的につながるようなことが、頭の中の言語回路にも起こるのだろうか。今のたまも、そんな時期を迎えているように思う。わたしにとって、言葉は、この世で最も興味があるもの。とれたての娘語録を書き留めておかない手はない。これから一気にふえると思われるたま語を、それを初めて口にした状況も含めて記録することにし、いまいまさこカフェ内にたま語銀行を開設。利息が利息を呼んで言葉貯蓄がふえていくさまを観察したい。

もうひとつ、まとめようとしているのが、今日で19話目になる「子守話」。もっと未完成なものや中途半端なものを含めると倍ほどの話が生まれているけれど、ようやく20話に手が届くところまで来た。19話目は、おつきさまに手が届く話。たまは「おつきさま」は言えないけれど、『はらぺこあおむし』の絵本を見て、「おつきさまどこ?」と聞くと指差す。文京区から贈られた『おつきさまこんばんは』も大好き。大人から見ると絵が暗い気がするのだけど、何度でも読んでとせがむ。

子守話19 おつきさま つかまえた

つきあかりのしたに あつまった どうぶつたちが
よぞらをみあげて いいました
もっと おつきさまのちかくに いきたいね
そしたら おつきさまを つかまえられるかな

でも おつきさまは はるかとおい そらのうえ
ぞうがはなをのばしても まだまだとおい
ぞうのはなのうえに きりんがのって くびをのばしても まだまだとおい
きりんのあたまのうえに わにがさかだちしても まだまだとおい
わにのしっぽのうえに さるがのって てをのばしても まだまだとおい
さるのてのうえに うさぎがのって みみをのばしても まだまだとおい
うさぎのみみのうえに ねずみがのって てをのばしても まだとどかない

さーかすみたいに そらへそらへのびた どうぶつたち
よかぜにゆれて ゆらりゆらり やじろべえ
いちばんうえの ねずみが はるかかなたの じめんをゆびさした
あっ あんなところにおつきさま
いけのなかに まんまるきれいなおつきさま
ねずみにうさぎがひっぱられて うさぎにさるがひっぱられて
さるにわにがひっぱられて わににきりんがひっぱられて
きりんにぞうがひっぱられて
いちれつにつながった どうぶつたち ざぶんと いけにとびこんだ

ほら こんなにちかくに おつきさま
ぞうときりんとわにとさるとうさぎとねずみは
ぐるりとわになって てをつないで おつきさまをつかまえた

2007年05月28日(月)  高田さんからの招待状
2005年05月28日(土)  このごろの通販ショッピング
2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式
1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2008年05月27日(火)  マタニティオレンジ293 聴診器ごっことマススクリーニング

保育園に娘のたまを迎えにいくと、シャツをパッとまくり、現れた白いおなかをしきりと指差して「ここよ、ここよ」と訴える。「おもちゃの聴診器を当てて、もしもししたんですよ」と保育士さん。お医者さんではもしもし(=診察)をいやがるくせに、遊びだとうれしいらしい。

わが家に聴診器の代わりになるものはなかったかと見回し、吸盤のついたひよこの歯ブラシホルダーが目に留まる。耳に当てることはできないけれど、おなかにペタッと吸いつく感触は近い。早速、たまのおなかに当ててみると、あたしがママを診るのよ、とヒヨコ吸盤聴診器を奪い、わたしのシャツをめくって診察。認め印にみたいにポンポンとせわしなく押すので「もっとゆっくり診てくださーい」とお願いすると、じっくりと押し当て、神妙な顔つきに。今度はお医者さん交代とばかりに自分のシャツをまくって診察をせがむ。そのラリーが延々と続き、よく飽きないものだと感心した。

4月は二度も発熱に見舞われたたまは、5月は一日も休まず保育園へ行っていて、小児科にはひと月以上行ってない。聴診器を当てるのが遊びだけで済んでいることのありがたさを思う。平和と同じく健康も、それが続くと、「ある」子とに対して鈍感になってしまうけれど、平和も健康も、たくさんの人に支えられ、偶然や幸運に助けられて実現する「ありがたい」ものなのだ。

ちょうど先日、大学時代の友人の妹まーちゃんから「大阪府で新生児のマススクリーニングが有料になるかもしれない」という話を聞いた。マススクリーニングとは先天性代謝異常等の検査のことらしく、早期に異常を発見し、対処を急ぐことで重症化を防ぐ効果があるのだという。初めて聞く言葉だと思ったのだけど、生まれて数日後に足の裏から採血するという検査方法を聞いて、ああ、あれがそうだったかと思い出した。結果が異常なしだったこともあって、記憶にひっかかってなかったのだ。

けれど、検査で異常が見つかっていたら、その検査は忘れられないものになっていたわけで、まーちゃんの友人のお子さんが、そのケースなのだった。今でも治療は続いているけれど、早期発見ができたおかげで、体への負担は最小限に食い止められたという。このマススクリーニングは今のところ四十七都道府県で無料で実施されているのだが、大阪府の「事業廃止案」が通れば、全国で唯一「任意の有償検査」となってしまうことも初めて知った。同じことを新聞記事で目にしても通り過ぎていたかもしれないけれど、友だちの友だちの話となると他人事ではなくなる。

健康で何の異常もなくても、小さくて弱い赤ちゃんを育てるのは気苦労がつきまとう。便秘で泣き止まないだけで休日外来に駆け込んだ身としては、そのときに覚えた不安や焦りを数十倍に膨らませて、まーちゃんのお友だちママの闘いとがんばりを想像してみる。だけど、先天性異常を携えて生まれたことは不運であっても、早めに見つけられたのは幸運だった。それを得られたのは、検査が無料だったことが大きい。「お金がかかりますが、どうしますか」と聞かれたら、気づく機会を逃す人が出てくるだろう。だから、まーちゃんのお友だちは自らの体験をふまえて「有料にしないで」と切実な声を上げている。御堂筋パレードのイルミネーションもいいけれど、ちいさな命を輝かせることのほうが大切だ。

2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』
2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに

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