2007年12月28日(金)  『日本語は天才である』と2007年に読んだ本

読みたい読みたいと思っていた『日本語は天才である』をようやく読み、幸せな気持ちになった。わたしたちが日々当たり前のように使っている日本語が実はとんでもない天才であることを翻訳家である筆者の柳瀬尚紀氏が自らの経験を踏まえて証明してくれる。

縦書きにも横書きにもでき、ひらがなカタカナ漢字はもちろんのことアルファベットや記号も難なく取り込み、漢字は幾通りもの読み方ができる上に分解も合体もできる、これほど自由度が高く、それゆえ可能性を秘めた言語は他に見当たらないと言われてみれば、なるほどその通り。日本語は面白いなあと思ってはいたけれど、「天才」と言い切る発想はなかった。

だが、柳瀬氏の鮮やかな翻訳術の一端をのぞくと、「こんな離れ業ができるわが日本語は、天才以外の何物でもない!」と確信するに至る。柳瀬氏の語り口がまた美しく面白く味があり、「あなた、実は大当たりの宝くじを持っていますよ」と告げてくれたのがとびきりイイ男だった、みたいなトクした気分にさせられた。

読みかけている『鹿男あをによし』(万城目学)と『星新一 一○○一話を作った人』(最相葉月)は年をまたいでの読了となりそうで、『日本語は天才である』が今年最後に読んだ一冊となる見通しだが、一年を締めくくるのにふさわしい広がりと明るさをもたらしてくれる一冊となった。

読んだ本のタイトルと著者名を書き留めることを去年から始めたのだが、ざっと見たところ2007年に読んだ本は約100冊。出産以来、映画や演劇を観る機会は減ったが、その分、本は以前より読むようになった。仕事関係のものが2〜3割ほど。原作本だったり、関連本だったり、資料だったり。あとは自分の興味と趣味に任せて選んだ本。書評欄で気になった本に目をつけ、気に行った作家の本は続けて読む。

男どき 女どき』をはじめ向田邦子さんの本は十冊ほど読んだ。デビュー作『イッツ・オンリー・トーク』をはじめ絲山秋子さんの作品にもはまった。『倚りかからず』の茨木のり子さんの言葉の力に打ちのめされ、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(伊藤比呂美)にぶっとんだ。

今年最も衝撃を受けた一冊を問われたら、『とげ抜き〜』を選ぶ。はじめて読んだ瀬尾まい子さん、西加奈子さんの作品も好きになった。わたしは女流作家好みの傾向があるけれど、万城目学さんの『鴨川ホルモー』には大いに楽しませてもらった。藤井青銅さんの『ラジオな日々』も読んでいてわくわくし通しだった。

三島由紀夫、川端康成、太宰治の名作を読み返したり、かの有名な夏目漱石の『坊ちゃん』をはじめて読んだ年でもあった。現代の週刊誌に連載されていても違和感がなさそうな『三島由紀夫レター教室』のほどよい軽さと強烈な面白さはとくに印象に残った。

子育てにまつわる本も一割ほどを占めるだろうか。『パパは神様じゃない』(小林信彦)や『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(山田太一)など男の人が書いたもののほうが面白く読めた。母親ほどの責任とプレッシャーがない「いい加減さ」が肩の力の抜けた文章につながり、読んでいるほうも気が楽になる。

だっこやベビーカーの距離から子どもを見ていると、どうしても視野が狭まって窮屈になってしまうが、人の子育てを読むと、自分の子育てを少し引いて眺めることができる。書店では入手できないけれど、『おおらかがいっぱい 途上国を見てきた保育者からのメッセージ』(青年海外協力隊 幼児教育ネットワーク)は、世界という大きなところから子育てをとらえる目を見開かせてくれた。

読書と数えていいものやら、レシピ本が約一割。寒天クッキングとパン作りの本を手に取った。わたしの場合、レシピ本は真似て作るというより眺めてその味や香りを疑似体験するためにある。食べ物にまつわる味のあるエピソードが添えられていたりするとなお美味しい。

100冊とは別に読んだのが、読み聞かせ用の絵本。気に入ったものを繰り返し読んでいるとはいえ、贈られたり買ったりしたもの、図書館や保育園から借りたものを足し上げると50冊は下らないだろう。子どもの頃に心躍らせた本に再会したり、出会う機会を逃していたロングセラーをようやく知ったり。

子どもが夢中になるものは、親にも驚きを与えてくれる。五味太郎さん(『るるるるる』『ててててて』『ん・ん・ん・ん・ん』など)、三浦太郎さん(『くっついた』『なーらんだ』『わたしの』の三冊を順繰りに何度も読んだ)、二人の太郎の絵本にはまった。娘にはまだ早かったけれど、わたしがとくに気に入ったのは、『もりのてがみ』(片山令子 さく 片山健 え)。手紙が運んでくれる気持ちや季節がほれぼれするような絵と文章で描かれていて、何度も読み返した。

「どこへでも連れて行けて、どこへでも連れて行ってくれる」のが本のいいところ(カンヌ広告祭で出会って膝を打った英国の読書キャンペーンの名コピー)。あまり遠出ができなかった2007年、本のおかげで気持ちはあちこち旅することができた。2008年も本当に面白い本に当たりますように。

2006年12月28日(木)  切手になった映画
2004年12月28日(火)  英国旅行2日目 風呂と衣装と作家と演劇
2001年12月28日(金)  捨て身


2007年12月27日(木)  朝風呂・昼風呂

きっかけは必要に迫られたことだった。夜風呂は娘のたまを洗うのが優先で自分は後回し。目を離せないので、髪も洗えない。気がつくと髪を洗わずに週の半分が過ぎていたりして、打ち合わせの前に前夜の残り湯を追い焚きするようになったのが、朝風呂・昼風呂のはじまり。やってみると、髪を洗う以上の効能に気づいた。娘と一緒のときは温水プールのようなぬるめの湯に二人でつかるが、熱めの湯を独り占めすることがこの上ない贅沢に感じる。さらに、体の芯からぬくもると、血のめぐりが良くなり、今や持病となった肩凝りや腰痛が和らぐ。何よりの収穫は、頭が整理されること。ゆったりと湯船に体を沈めている究極のリラックス状態は、一人ブレストするにはもってこい。重力から解き放たれて発想が軽やかになり、思考の凝りがほぐされる。血管が集中している脳にも血行促進の恵みがもたらされるのだろうか。

以来、パソコンの前で煮詰まると、ひと風呂浴びることが増えた。うやむやになっている登場人物たちを風呂へ連れていき、湯舟に浮かべてみる。机の上とは違った動きをしてくれ、突破口となるアイデアが湯気の中にふと浮かんだりする。昔見たテレビで、暗算の天才という女の子が一題出題されるごとに逆上がりをしていたけれど、わたしにとっての朝風呂・昼風呂も効能半分、縁起担ぎ半分なところがある。

2006年12月27日(水)  ミヤケマイ展 在る晴れた日・One Fine Day・
2004年12月27日(月)  英国旅行1日目 VirginとBathと厚揚げ
2003年12月27日(土)  腐ったブドウ・熟成したワイン・腐ったワイン
2001年12月27日(木)  今がいちばん若い


2007年12月26日(水)  最近行った汚い場所

耳掃除をしているダンナが「耳垢がよく取れる」と言うので、「最近どっか汚い場所に行った?」と聞いたら、しばらく考えて、「うち」と答えが返ってきた。絶句した後にわたしも最近行った場所を思いめぐらせてみたが、わが家に勝てる汚れ具合の場所を思い出せなかった。それほど堂々たる汚れっぷりは一日にしてならず、ここのところの忙しさのしわ寄せが、洗ったもののまだ洗ってないものの区別がつかない衣類の地層や、必要な分だけ洗っては使うので底のほうに澱がたまりだしたキッチンシンクとなって現れている。しかし、慣れというのは恐ろしいもので、毎日少しずつ汚れていくと、案外自然と受け入れてしまい、その環境に適応していく。古新聞やボツ原稿が散乱した床で滑っては転ぶを繰り返していた娘のたまは、上手に紙切れを避けて歩くようになった。

お客さんがあれば焦って片付けるのだが、来客どころではない忙しさもあり、ますます家は荒れるがまま。ところが、わたしが仕事に出かける間、ダンナ母が家に来て、ダンナとともにたまを子守してくれることになった。「おかあさん、すごーくちらかってますけど、驚かないでくださいね」と電話で釘を差すと、「いつものことじゃない」と相手はよく状況をわかっている。とはいえ、せめてお皿ぐらいはと溜めに溜めた洗い物をやりかけたら時間切れとなり、ダンナに「続きよろしく」とまかせて家を出た。「続き」の中には、洗った食器をどけた後に現れるシンクの壁や底のヌメヌメの掃除も含めたつもりだったが、言われたことしかやらないダンナにそれを期待したのが間違っていた。

帰宅して、磨き上げたようにピカピカになったシンクに目を見張り、「まさかと思うけど、ここまでやってくれたの?」とダンナに聞くと、「まさかまさか。うちの母親があきれながらやってくれたよ」の返事。「汚れがこびりついた瓶とか、捨てればって言ってたよ。あれはひどいね。中でなんか飼ってるの? ボウフラとか?」とイヤミの攻撃に、「皿洗いはわたしの仕事って決まってるわけじゃないだろ!」と反撃。たしか一緒に住みはじめたときは、わたしが作ってダンナが洗う約束だったはずなのに、いつの間にかわたしが作って洗う人になっている。家路についたダンナ母に電話して「すみませんでした」とお礼とお詫びを伝えたら、「忙しいのはわかるけど、毎日ちょっとずつやればできるから。私だったら、きれいなほうが気持ちいいし」と普段は毒舌全開のダンナ母が珍しくわたしを気遣う口調で言ってくれた。同情を誘うほど悲惨に映ったのかもしれないし、あんな家に暮らす可愛い息子と孫を不憫に思ってしんみりしてしまったのかもしれないけれど、わたしも素直に「はい」と答えた。

大掃除の季節なのに毎日の掃除もままならない。開き直って掃除怠慢をネタに年賀状の見出しを「ネズミ大発生」にしたが、笑いごとではないよという突っ込みも聞こえてきそうだ。ちょうど読み終えた本が『いいかげんに片づけて美しく暮らす』。出産後の入院中にご近所仲間のキョウコちゃんが持ってきてくれた本で、作詞家の岩里祐穂の心地よい文章をするすると読んでいると、すっきりと片付いた部屋が目に浮かんでくる。わたしの家は白と茶色が基調とはいかないけれど、せめて自分のためにも家族のためにも美しくなくとも清潔な家で暮らしたい、来年こそはと思う。

とりあえず、今できることとして、「その日の洗いものはその日のうちに」を実行することにした。ここ三日ほど続けてみると、やはり気持ちがいい。それに、一回ごとの洗いものが楽になった。作業的にも気持ち的にも。毎日少しずつこなせばいいことを溜めるから、持ち越される作業量に比例して気が重くなり、効率が悪くなり、ますます片付かなくなるのだ。毎日つけるべき日記も、溜めに溜めてしまうと、どこから書いていいかわからなくなる。後で詳しく書くときのための備忘録として一行だけつけている日記はすでに50日分ほどになり、古い日付のものは記憶が薄れ、一行を手がかりにしても何も思い出せない日もある。その日の日記はその日のうちに。来年こそは!

2006年12月26日(火)  マタニティオレンジ49 アメリカのベビー服
2001年12月26日(水)  ロマン配合


2007年12月19日(水)  車内の電話に考えさせられたこと

ベビーカーを押してバスに乗り込んだら、愛想のいいおじさんが「危ないからこっちどうぞ」と席を譲り、座席にベビーカーを固定するのまで手伝ってくれた。ベビーカーの傍らに立つ格好になったおじさんと娘のたまをネタに話しながら揺られていると、おじさんの携帯に着信あり。「いまバスの中」と断ったが、相手に聞かれた質問にだけ手短に答えると、おじさんは電話を切った。それを待って、通路をはさんでわたしの向かいの席にいたご老人がおじさんの上着を引き、振り返らせた。「ダメだよ。バスの中で電話しちゃあ」と咎めの一言に、「かかってきちゃったんですよ」とおじさんが申し訳なさそうに首をすくめて答えると、「切っとけばいい」とご老人。「そうすればかかってこない」と続けた。巣鴨とげぬき地蔵界隈を走るバスでは、席を譲りあうのもマナーを注意しあうのもよくある光景である。

話はそこでけりがついたと思われたのだが、「切っときゃかかってこないんだよ」とご老人のお叱りは続いた。正論ではあるが、着信の音も話す声も控え目だったので、悪い人に当たったなあとおじさんに同情した。席を譲られた手前、こちらはおじさん派であり、ご老人のぼやきのほうがよっぽどボリュームが大きいではないか、と思ってしまう。タイミングよく「車内での通話はご遠慮ください」のアナウンスが流れると、「ほら放送でも言ってるじゃないか」とご老人は鬼の首を取ったようになった。

わたしのほうを向いているおじさんは、背中にぼやきがぶつけられるたびにちらちらとご老人を振り返るのだが、その顔つきはどんどん険しくなり、怒りの火薬が仕込まれているのは目に明らか。親切なおじさんには声をあらげてほしくない、と緊張した。かといって、「喧嘩買っちゃダメですよ」なんて下手に口をはさんだのがご老人の耳に入りでもしたら、火に油である。わたしにできることといえば、「ここに赤ちゃんがいますよ」が喧嘩の抑止力になることを願って、大げさにたまをあやすことぐらいだった。

マナーに疎いのも問題だけど、マナーにうるさいのも度を越すとはた迷惑になる。大切なのは同じバスに乗り合わせた他人を思いやり、譲り合う気持ちであり、その点では、贔屓を差し引いても、ご老人よりおじさんに軍配を上げたくなるのだが、マナーの物差しでは、携帯での通話が悪者であり、お小言は禁止されていない。壊れたレコードのように「切っとけばいい」をくどくどと繰り返すご老人に聞こえるように、「ご親切にありがとうございました。助かりました」とおじさんに告げてバスを降りた。

ご老人にとっては、おじさんが最初に「すみません」と謝らなかったのが不服だったのかもしれない。マナー違反そのものに目くじらを立てたのではなく、「俺の話をちゃんと聞け」という意思表示のようでもあった。それだけご老人のまわりでは、彼の話に耳を傾ける人がいないのかもしれない。最近、バスや電車の中でぼやくご老人を見かけることが増えたが、その口ぶりや顔つきから、ぼやいている瞬間だけではなく不満が日常化している印象を受ける。冷蔵庫の野菜が食べないと腐ってしまうように、誰にも聞き届けられない言葉が湿っぽくなったり嫌味臭くなってしまうのだろうか。気の毒でもあり、毒抜きが必要だと思うのだが、腐った野菜はなおさら食べる気がしなくなるように、腐った態度の人は忌み嫌われるという悪循環が起こる。あのご老人に何か声をかけたら、ぼやきが治まり、別な展開が生まれたかもしれないが、さわらぬ神に祟りなし、としか思えなかった。

車内の電話一件に、いろんなことを考えさせられた。

2002年12月19日(木)  クリスマス・ファンタジー2002
2001年12月19日(水)  害虫


2007年12月16日(日)  以心伝心クリスマスギフト

娘のたまの11/12才の誕生日を手作りのクッキーハウスで祝ってくれたミキさんから、「お届したいものがあるのですが、うかがっていいですか」と電話があった。ちょうど最近彼女のことを思い出す出来事があったので、以心伝心のようでうれしくなる。彼女が到着するまでの間、「さて、何を届けてくれるのだろう」とダンナと推理。「クリスマスバージョンのクッキーハウスでは」とわたし。まさにそのクッキーハウスのことで、彼女のことを思い出していたのだった。果たして、7月以来にわが家に現れたミキさんが紙袋から取り出したものは、わたしの予想通り。昨日、ダンナさんのお母さんと二人でこしらえた六軒(まるで建売住宅でした、とのこと)のうち貴重な一軒をわが家に分譲してくれたのだった。来週のクリスマスに解体イベントを楽しませてもらうことに。16/12才になって一段と破壊力を増したたまとクッキーハウスとの格闘も見ものだ。
2007年7月31日 マタニティオレンジ153 クッキーハウス解体イベント
2007年7月22日 マタニティオレンジ148 ダブルケーキに仰天!たま11/12才


ミキさんが帰った後、ドイツのペンフレンド、アンネットから恒例の小包が届く。チョコレート、キャンドル、ぬいぐるみ、バッグ……ひとつひとつ包装を解くのが楽しい。「あ!」とわたしが歓声を上げたのは、水でお絵描きできるシート。水に反応して色が変わるが、乾くと元に戻り、シートからペンがはみ出しても、絨毯を汚さずにすむスグレモノ。10月にママ仲間のトモミさんちで見て、欲しくなったものの買いに行く機会がなく、今週大阪に帰った時にデパートで探したが見つからなかった。それがドイツから送られてきたので、開けてびっくり。ドイツ語どころか英語も覚束ない中学一年生のときに出会って意気投合して以来、四半世紀文通を続けている仲だから、これぐらいの以心伝心があっても不思議はないのかもしれない。

クリスマスは一年でいちばん好きな季節なのに、今年は締め切りに追われて掃除さえもままならない状態。二人の友人からのクリスマスギフトで、わが家のクリスマス指数が一挙に上昇。気のきいたカード(ミキさんのカードは操り人形サンタさん)もクリスマス気分を盛り上げてくれている。

2006年12月16日(土)  マタニティオレンジ43 作詞作曲兼ボーカル兼ダンサー
2002年12月16日(月)  シナリオ作家協会の忘年会
2001年12月16日(日)  こだま


2007年12月12日(水)  万葉LOVERSのつどい


審査員を務めたNHK奈良主催の脚本コンテスト「万葉ラブストーリー」募集。選ばれた佳作三本のドラマ完成を記念し、披露試写と授賞式をを兼ねたイベントが開かれた。9月の審査会ぶりに奈良へ。会場の奈良100年ホールの立派さに驚いていると、入口に受賞された女性三人の姿が。受賞の喜びが華やいだ空気となって伝わってくる。

ホールで軽く打ち合わせし、楽屋(初・今井雅子部屋が用意されていた!)でメイキング用インタビュー収録。一人でお弁当は淋しいので、アナウンサーの島田さん安井さんのいる控え室へ。審査員の万葉学者・上野誠先生や受賞の三人も加わり、開演前に打ち解けた雰囲気に。

二時開演。第一部の万葉トークショー。上野先生、島田アナ、安井アナと四人で「万葉・男心・女心」を語る。壇上から見ると、400人収容のホールが半分弱埋まってる感じ。万葉集の宣伝マンを自認する上野先生の軽妙で絶妙なリードで、あっという間に45分。歌の解説は先生におまかせし、わたしは脚本家の視点から自由に話をさせてもらった。感情が動いて歌が生まれ、歌がドラマを喚起し、詠み手の想いが読み手に受け継がれ、万葉の歌は現代を生きるわたしたちに受け渡された。息の長いリレーだ。その最終走者たちが新たなストーリーを紡ぎ、映像にしてしまった。1300年前の作者たちは時空を越えたコラボレーションに驚いているだろう。終盤、「別れ話の時に何を食べるか」という話題がいちばん盛り上がった。上野先生が「脚本を書くときには食べるものも想定するのか」と振ってくださったのだったか、「鍋はラブラブのときしか食べない」「嫌いな相手に鍋奉行されたら余計に腹が立つ」といった話になったが、わたしの意見は「無言の男女の間に煮えくりかえる鍋があれば、二人の気持ちを代弁できる」。夫婦なら、新婚旅行のときに食べたメニューでもいい。妻はよく覚えているが、夫は覚えていない、という心のずれを表現できる。

第二部は授賞式。地元・奈良出身の井筒和幸監督が、駅前にたくさんあった映画館で映画をよく観た、など故郷の思い出話を披露。受賞三作品の脚本を手にした講評に、「あの丸めた持ち方、いかにも読み込んでる感じが出て、プロだなあ」と上野先生は感心。監督には畏れ多くて声をかけられなかったが、上野先生は「伊勢物語の筒井筒の井筒ですか」と話しかけられていた。わたしは自分がNHKのコンクール出身であることを話し、はじめて脚本が形になる感動を次の作品を生む力にしてほしいと励ましつつ、お手柔らかにと締めくくった。それほど受賞作のレベルは高く、わたしが応募したとしても選ばれた自信はない。それでも大賞が選出されなかったのは、傑出した一本がなかったから。ドラマ化しやすいまとまりのある脚本であったが、発想も想定内にまとまっていた感があった。

続く第三部でドラマの完成披露試写。昨夜まで作業していたそうだが、スケジュールや予算の制約を感じさせない良質のドラマにしあがっていた。これなら全国放送に堂々とかけられる(来年1月11日にメイキング、18日に本編を奈良地区で放送。その後、関西地区でも放送予定。さらに、できれば全国放送もしたいとのこと)。計算外だったのは奈良の秋の素晴らしさ。審査の段階では説得力に欠けると感じた場面が、映像になると、化けた。ロケーションについて勉強不足だったことを反省するとともに、絵になる奈良を再発見。上映後、再登壇した受賞者が脚本作りの秘話を披露。シナハンされていたり実体験に基づいていたり、血の通ったストーリーが産まれた背景を知ることができた。終焉後のふれあいミーティング(視聴者とNHKが意見交換をする場のことをこう呼ぶらしい)では、客席にいた応募者の一人から「負けて悔いなし」という声が寄せられた。脚本家、万葉集、奈良、それぞれの可能性に光を当てる万葉ラブストーリーコンテスト、次回実施も検討中とのこと。奈良名物として根づいてほしい。

大学の教育学部の同級生、高田君からの電話で舞い込んだ今回の仕事。上野先生の東京での仕事をマネージメントされているアシスタントリサーチャーさん(苗字は今井さん!)も大学時代の同級生。「同級生シリーズですね」と冗談を言い合ってたら、打ち上げのミニ寿司パーティの後、受賞者の一人、西村有加さんが「今井さんって高校、三国丘ですか」。なんと、高校三年のとき、隣のクラスにいたことが判明。言葉を交わしたことはなかったけれど、共通の友人がいて、なんとなく覚えていたとか。こんな偶然あるんやねえと一同驚き、まさしく同級生シリーズとなった。

2006年12月12日(火)  あっぱれ、『築城せよ。』!
2002年12月12日(木)  ヰタ・マキ公演『戦場がメリークリスマス』


2007年12月07日(金)  ドーナツ化現象

社会科で習ったドーナツ化現象。名前を聞くたびにドーナツが頭に浮かび、おなかがすいて困ったが、昨日紹介した似顔絵に描かれている通り、いまわたしの食生活にも「ドーナツ化現象」が起こっている。甘いものも油っこいものも好きだけど、もともとは揚げ菓子よりは焼き菓子派ではあった。それがここのところ仕事の重さに比例して、脳のブドウ糖渇望度が上がり、にわかにドーナツ消費量が激増。

打ち合わせ帰り、スタバに立ち寄ると、以前はスコーンだったのに、シュガードーナツを買い求めていたりする。駅まで徒歩移動する間に口のまわりを砂糖だらけにしながら頬張る。ブレストは脳が全力疾走しているような状態。体力消耗した脳に甘さがしみる。スタバのシュガードーナツは残念ながらぱっとしなかったが、ブドウ糖の緊急補給には役立った。

砂糖と油の合わせ技で、ドーナツには中毒性がある。この一か月で通常の年間消費量にあたるドーナツを胃に納めた気がするが、以前は目につかなかったドーナツが目に飛び込み、誘いかけてくる。先日、近所の豆腐屋に豆乳おからドーナツなるものがあることを知ってしまった。五個入りパックを買い求め、どれどれと一つ口にしてみれば、外はしっとり、中はさっくり。気がつくと、パックが空になっていた。この部屋にはわたしの他に誰もいないが、だとすればここに存在したドーナツ五個はわたし一人で平らげたのかとしばし呆然となった。母乳育児中とはいえ、さすがにカロリー超過である。

プランタン銀座のmielドーナツも気になるが、行列がつくドーナツでなくても、ドーナツなら何でも来い、という万能受付体制になっている。今日の朝刊で「あ、ドーナツ!」と目に飛び込んだのは、朝青龍の稽古姿だった。インクが乗りすぎて肌がこんがりおいしそうな色になっているものの、お相撲さんを食べものと間違えるなんて! 思考回路の大事なところが抜け落ちてドーナツ化しているのでは、と心配。

2006年12月07日(木)  マタニティオレンジ39 税金の元を取る
2005年12月07日(水)  『陽気なギャングが地球を回す』試写
2004年12月07日(火)  俳優座劇場『十二人の怒れる男たち』
2003年12月07日(日)  どうにも止まらぬ『剣客商売』


2007年12月06日(木)  似顔絵を描く

はじめて「絵を描く」仕事が舞い込んだ。作品に添えるプロフィール画像も「イラスト可」とのことだったので、せっかくだからこちらも絵を描くことにした。絵を描くこと自体ひさしぶりだったけれど、自画像を描くのなんて、高校生時代ぶりだ。


いくつかスケッチしてダンナに見せたところ、「美化していないところは、自分をよくわかっている」と一応ほめ言葉らしいものをもらえた。黄色×オレンジの服を着せ、右手にマグカップ、左手におやつを持たせた。パソコンに向かっていないときは、お茶と甘いもので両手がふさがっていることが多い。最近はまっているおやつは、ドーナツとベーグル。どちらも穴があいている。

描いた絵をデジカメで撮ったのだが、撮る角度によって丸顔になったり面長になったり、頭でっかちになったり足長になったり、がらりと印象が変わるのが面白い。

2006年12月06日(水)  マタニティオレンジ38 悪いおっぱい
2005年12月06日(火)  戸田恵子さんの『歌わせたい男たち』
2003年12月06日(土)  万歩計日和


2007年11月26日(月) マタニティオレンジ208 たむけんパーティで宴会場デビュー

友人で民主党衆議院議員のたむけんこと田村けんじがはじめてのパーティを開催。たむけん夫人で友人であるフリーアナウンサーの田村あゆちに声をかけてもらい、会場のANAインターコンチネンタルホテル(旧全日空ホテル)へベビーカーを押して出かける。溜池山王駅から続く長いスロープの先に待ち受けていたのはエスカレーターかと思いきや階段。ベビーカーをかつぐ羽目に。

「衆議院議員田村謙治君と日本の明日を拓く会」というものものしく、それらしい名前のタイトル。少々遅刻となったが、鳩山由紀夫幹事長の乾杯にすべりこみセーフ。ベビーカーを預け、戸口近くで人垣越しにナマ鳩山氏を眺めていると、乾杯が終わるなり飛び出すように会場を後にする人々が戸口へ押し寄せてきた。たまはマンガのようにバタンと押し倒されたが、さすがホテルの床はふかふかのじゅうたん、衝撃をしっかり受け止めたと見えて平気な顔だった。

政治家のパーティなるものに出席するのは、はじめて。皆さん、上等な服を着て、会話も洗練されていて、上流階級の人々といった雰囲気。普段着で子連れで場違いだなあと恐縮しつつ、しっかり食べ物をお皿にとって食べていると、蝶ネクタイのウェイター氏が「お子様にジュースはいかがですか」と声をかけてくれたり、ベビーチェアを運んできてくれたり。ホテルってすばらしい。たむけん夫妻と共通の友人たちとも再会できて、「ひさしぶり!」と近況を報告しあう。子どもがいると会話のきっかけになるし、一人になっても間が持つことを発見。たまは、生まれてはじめてのホテルの宴会場に大興奮。じゅうたんを敷き詰めた広いロビーを芝生感覚で走り回り、金屏風でかくれんぼをし、贅沢な空間は格好の遊び場に。帰るときにはだだをこねるほどだった。

主役のたむけんと夫人のあゆちは、挨拶に追われる合間に話す時間を作ってくれた。夫妻に会うのは、2002年の夏に財務省を辞めたたむけんが選挙に出ることになったとき、キャッチコピーを相談されて以来。「たむら」という苗字と韻を踏んだ「たむらのちから」というフレーズを提案した。現在はほとんど使われていないようだけれど、「あのときはお世話になって」と今でも言ってくれるのはありがたい。もともと気づかいのこまやかな夫妻なのだけれど、たむけんが政治家になり、夫婦そろってますます気配りに磨きがかかった印象を受けた。気疲れもするだろうし、気持ちが休まるひまもないのではと想像するけれど、ひさしぶりに会ったたむけんとあゆちは、数年間の空白を感じさせないほど若々しく、とてもはつらつとして見えた。目をきらきらさせて「これから」を語るたむけんは、使命感と意気込みが爽やかな緊張感となってみなぎり、政治家にはあまり期待していないわたしにも、「この人は何かやってくれそうだぞ」と思わせてくれた。「たむけん、子育てしやすい社会を頼むね」とお願いすると、「日本は、まだまだだよね」とたむけん。おしゃまでかわいい女の子、ももちゃんのパパでもあるたむけん。子どもへの思いやりや父親の視点を政治に取りこんでほしい。

2006年11月26日(日)  マタニティオレンジ33 百年前の赤ちゃん
2002年11月26日(火)  健康法


2007年11月24日(土)  マタニティオレンジ206 はじめて手をつないで散歩

娘のたまが歩き始めたのは、ちょうど1歳のときだから8月22日。日に日に足取りはしっかりしてきたのだけれど、靴をはくのをいやがり、歩くのはもっぱら室内だった。保育園の先生に「靴をはいてくれないんですよ」と相談したら、「みんながはいているのを見たら、はきたがると思いますから靴を持ってきてください」と言われたのが10月の初旬。言われた通り、散歩の時間に同じクラスのお友達が靴をはくのを見て、たまはすんなり靴をはき、外歩きの一歩を踏み出した。

以来、ダンナ父が子守りをするときに手をつないで散歩するようになり、「今日は小学校まで歩いた」「郵便局まで往復したぞ」と報告を聞いては、「そんなに歩けるようになったのか」と驚いたり感心したりうらやましがったりしていた。休日は天気が悪かったり、いざ出かけようと思う頃には日が暮れて寒くなっていたり、たまが風邪気味だったりで、わたしとダンナがよちよち歩きのたまと出かける機会はなかなかなかった。

ようやく今日、散歩日和のお天気と早起きとたまの体調がうまくそろって、「たまと散歩がてら図書館に寄ってベーグルを買いに行こうよ」となった。わたしとダンナでたまの右手と左手をつないで歩く。わたしもダンナも小柄ではあるけれど、さすがに一歳児をはさめば真ん中はがくんと引っ込んで、Vの字というかUの字というか凹の字というか、「親子」な形になる。これをやってみたかったんだ、と得意げになったけれど、たまは十メートルも進まないうちに立ち止まって動かなくなり、両手を伸ばして「だっこ」のおねだり。ベビーカーを持ってこなかったので。だっこで歩くのはきついのだけれど、下ろしても歩こうとしてくれない。「じいじは郵便局まで歩いたって言ってたけど、ほんとかねえ」「僕たちとは歩いてくれなかったって聞いたら、じいじは勝ち誇るね」などとダンナとぼやきつつ、「重い。だっこ替われ」と押しつけあいながらの長い散歩となった。

2006年11月24日(金)  マタニティオレンジ32 「手で舐める」ベビーマッサージ
2002年11月24日(日)  TAMA CINEMA FORUM

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