2008年10月28日(火)  シナトレ12 こじつけ解釈で発想を鍛える 

娘のたまと「テュリャテュリャテュリャテュリャテュリャテュリャリャ」とロシア民謡の『一週間の歌』を歌っていたら、「つまらない女」とダンナが言い放った。機嫌良く歌っている妻と娘のことではなく、歌の主人公のこと。ヒマすぎるにもほどがある。そんなヒマを自慢なんかして、つくづくつまらない女だと言う。

「違うよ。これは恋人にかまってほしい嘆きの歌だよ」と咄嗟に口から出た反論に自分で驚いた。子どもの頃はそんなこと考えなかったはずだけど、数十年ぶりに再会したら、歌の解釈が変わっていた。たしかに歌詞は能天気だけど、あの物悲しいメロディに乗せると、自虐を込めた恨み節のほうがしっくり来る。

テュリャテュリャを除いた『一週間の歌』の歌詞をつなげると、こうなる。

 日曜日に市場へ出かけ 糸と麻を買って来た
 月曜日にお風呂をたいて 火曜日はお風呂に入り
 
水曜日に友達が来て 木曜日は送っていった

 金曜日は糸巻きもせず 土曜日はおしゃべりばかり

 恋人よ これが私の 一週間の仕事です



彼女は彼のために何か手づくりするつもりで糸と麻を買ったのだけど、彼のことが気になって何も手につかない。ぼんやりしているうちに焚いたお風呂のことを忘れて日付が変わり、湯船の中でも想うのはあなたのことばかり。水曜に来て木曜に送っていった女友達は、そんな彼女の恋の相談につきあって泊まっていったのだ。金曜になっても糸巻きする気分にはなれず、土曜日はまた女友達に話を聞いてもらっている。あなたのせいで悶々として、そんな一週間なのよ……。子ども向けの歌詞では恋人は「ともだち」になっているけれど、呼びかける相手は「恋人」でなくっちゃ。

糸巻きからの発想で歌の主人公を女だと決めつけているけれど、男説も否定できない。糸と麻を買わされる男は、妻にこき使われている。子どもが多いので、月曜日に風呂をたいても全員入れ終えて自分が入るのは日付が変わってから。妻は怠け者で、友だちが泊まりに来ては家事をさぼり、金曜は糸巻きもせず、土曜はおしゃべりばかり。そんな妻とたくさんの子どもたちの相手をするのが、俺の一週間さと嘆いている。一週間ぶりに会った恋人に膝枕で耳掃除でもされながら愚痴を聞いてもらっているのかもしれない。

世間ではどんな解釈があるのかと気になって「一週間の歌」をネットで引いてみると、この歌について思うところある人の多いことがわかった。「『一週間の歌』のよう」に生きたいと憧れる人、生きる気力をなくした友人の生活を「『一週間の歌』のよう」と心配する人。ある人にとっては、スローライフ、ある人にとっては自堕落な生活の代名詞になっている。「『一週間の歌』の作者はマフィアの男で、市場で買った麻とは大麻のこと。金曜は黙秘したが、土曜に自白してしまった」という大胆な説もあった。この場合、歌いかける相手は共犯者になるから「ともだち」のほうがいいのかもしれないけど、恋人で共犯者というのも色っぽい。

視点を変える、発見する、こじつける、膨らませる。ひとつの歌を様々に解釈する頭の体操は、発想力を鍛えるトレーニングになる。脚本作りの打ち合わせの現場では投げられたボールを瞬時に打ち返す反射神経が試される。先日の『万葉ラブストーリー』イベントのトークで出された万葉集の歌を咄嗟に「女の子から男の子へのプロポーズの歌」と解釈したのも、日頃の筋トレが役立ったのだと思う。

「こじつけ力」は脚本家の身を助けるだけでなく、マスコミなどの入社試験の創造力テストでも役に立つ。わたしが受験した広告会社の入社試験の最終問題は、「『馬の耳に念仏』を自分なりに解釈して1000字で述べよ」というもの。競走馬の耳元で騎手が「負けたら馬刺にするぞ」と唱え続け、馬鹿力を出せて馬を勝たせたというホラ話が受けて、コピーライターとして採用された。

2008年10月3日(金) シナトレ11 台詞の前後を考える
2008年5月7日(水) シナトレ10 ラジオドラマってどう書くの?
2008年04月27日(日) シナトレ9 ストーリーをおいしくする5つのコツ
2008年04月22日(火) シナトレ8 コンクールでチャンスをつかめ!
2007年10月27日(土) シナトレ7 紙コップの使い方100案
2006年11月07日(火) シナトレ6 『原作もの』の脚本レシピ
2006年03月02日(木) シナトレ5 プロデューサーと二人三脚
2005年11月01日(火) シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2005年10月12日(水) シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2005年07月27日(水) シナトレ2 頭の中にテープレコーダーを
2004年09月06日(月) シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?

2006年10月28日(土)  田邊のおじさまの還暦音楽祭


2008年10月27日(月)  青森りんご「あおり21」の悲しいニュース

金曜日だったか土曜日だったか、新聞を見て、えっそんなことがと絶句した。青森県が年に一千万円の予算をかけ、24年の年月をかけて開発した新種りんご「あおり21」の品種登録が、期限内に農水省に6000円の登録手数料を払い忘れたせいで取り消されたという。手数料を払い忘れたのはミスだけど、そのミスの代償に失った何億や何十年の大きさに呆然となり、こういう結果になるしかなかったのだろうかとやりきれない気持ちになった。自分たちの県のお金と人材を投入して開発した新種を、青森県は独占管理する権利はなくなった。

このニュースが入ったのがぎりぎりで記事を差し替える時間がなかったのか、日曜版には、あおり21の開発裏話を紹介する記事があり、よけいに哀しい気持ちになった。品種登録取り消しなんて結末を、誰も予想していなかったのだろう。まさか、そんなことがと思っていたからこそ招いてしまたともいえる。

どうしてこのニュースにこんなに胸を締めつけられるのだろうと考えて、企画がなくなるときの喪失感を重ねているせいではないかと思い当たった。時間をかけ、労力をかけて練った企画は、なくなるときはいともあっさりで、不条理な理由で打ち切られることも多い。誰を責めていいのかわからず、運が悪かったと諦め、時が慰めてくれるのを待つしかないことも珍しくない。これが世に出たらすごいぞ、面白いぞという未来を励みに苦労を重ねてきたのに、その未来が奪い去られた瞬間、それまでに積み上げてきた過去も否定される。企画が成立し、作品が完成しても、出資者が離れてしまったり、助成金を取り損ねたりという悲劇はある。『風の絨毯』は文化庁の助成金の審査に通ったのに、期日までにフォルムがイランから届かず、数千万を逃すことになった。

それでも24年間、数億円かけた企画が消えたという話はなかなか聞かない。かけた年月から考えると、携わった人の数も相当なものだろう。その一人一人の無念を、自分が味わった無念の何倍かに膨らませて想像し、悶々としてしまうのだった。

2007年10月27日(土)  シナトレ7 紙コップの使い方100案
2004年10月27日(水)  TakashimaKazuakiの服


2008年10月26日(日)  上野動物園で芸を仕入れる

年間パスポートを持っている上野動物園へ。4回行けば元が取れる計算で、たしか今回が4回目。入場券を買って入ると長居しないと損した気になるけれど、パスポートだと、ゾウだけ見に行く、ウサギだけ見に行く、と気軽にふらっと訪ねられるのがいい。

今日のお目当てはワニ。今まで場所を見落としていた爬虫類館が池之端門を入ったすぐ脇にあると知り、娘のたまが好きなワニを見せてあげようと思い立った。アクリルプールの縁の上までジャンプすることもあるらしいが、今日は水底に体を押しつけたまま動かず、ワニなのか流木なのかわからなかった。

ワニが外れた代わりに、ゾウが大当たりで、身づくろいをするところを初めて見られた。長い柄のついたブラシのようなもので飼育員さんがゴシゴシ磨き、体についた土を払うのだが、ブラシでトントンと横腹をノックされたのを合図に、ゾウは足をぐにゃりと曲げてゴロリと巨体を横たえる。ズドーンと転がるのではなく、その場に静かに横になるなめらかな動き。ブラシでゴシゴシされる間は気持ち良さそうにしていて、終わるとまたノックを合図に足を踏ん張って立ち上がる。4000キロを越える塊が立ったり寝たり。それだけでも目が離せないのだけど、さらにお楽しみは続き、後ろ足をノックされると、片足ずつ上げて、足の裏をゴシゴシされる。その動きがまた何ともチャーミング。きれいになったところで、よくできましたとバナナのごほうび。バナナを差し出されると、長い鼻をひょいと持ち上げ、バナナにかぶりつく。鼻で食べるイメージがあったけれど、口で食べるのか。

一部始終を食い入るように見ていたたまは、家に帰るなり、「たまも ゾウさん やる!」。「ゾウさん、ゴシゴシしますよ」とわたしが呼びかけると、じゅうたんにゴロン。手でゴシゴシしてやり、「ゾウさん、きれいになりましたよ」と言うと、立ち上がる。「ゾウさん、あんよゴシゴシしますよ」と言うと、片足ずつ上げてゴシゴシ。「じゃあ最後にバナナ食べましょう。なんちゃって」と言うと、長い鼻に見立てた片手をひょいと上げて「なんちゃって」のポーズをしながらバナナを食べる真似。

今日は他に片足を上げてポーズする一発芸「フラミンゴ」を仕入れた。たまは持ち芸「バレリーナ」との合わせワザを思いつき、伸ばした足を上げた後に曲げて持ち上げ、「バレリーナ〜、フラミンゴ〜」。こうやったらもっと受けるのではと工夫する芸人根性は大したものだけど、人前に出ると固まってしまい、宝の持ちぐされ。舞台度胸がつけばコメディエンヌの才能が花開くのでは、と親バカなことを考えている。

2007年10月26日(金)  愛知工業大学で「つなげる」出前講義
2004年10月26日(火)  ジュアールティー1年分


2008年10月25日(土)  ひさしぶりにラジオドラマを書く

知人の中学生のお嬢さんが横浜で開かれた陸上の全国大会に出るというので、ダンナがたまを連れて見に行く。一人で過ごす休日は長くて、仕事がはかどった。今書いているのは、ひさしぶりのラジオドラマ。ラジオドラマで脚本家デビューしたからラジオが好きなのか、ラジオが好きだからラジオドラマでデビューしたのか、ラジオは書いていて無性に楽しい。

予定枚数をずいぶん越えてしまい、これをどう絞っていこうか悩むことになりそう。録ってからこぼれることがわかって削るのは辛いので、先に打てる手は打っておく。映像だったら絵を一枚入れて説明がつく場面を音だけの情報で表現しようとすると、工夫が必要になる。台詞のやりとりだと長くなるところをモノローグにしたり、遊びのシーンを削ったり、登場人物を減らしたり。あまり説明不足になるとリスナーが置いてけぼりになるので、さじ加減が難しい。

2004年10月25日(月)  ウェディングプランナー・みきさん
2002年10月25日(金)  木曜組曲


2008年10月24日(金)  掃除という名の大移動

京都時代の友人のトコロ君から出張のついでに泊めてほしいと連絡があり、急遽掃除大臣に任命され、朝から大掃除。ベランダの防水工事のためベランダからどけた大量の植木鉢が寝室を占拠していて、テレビ部屋を寝室にしているのだけど、客人トコロ君にテレビ部屋を明け渡すためには寝室から植木鉢をどかさなくてはならない。工事が終わったベランダへ荷物をUターンさせ、土やら砂やらを掃除機で吸い込み、寝室を回復。いったんはのっぺらぼうになったベランダは再びモノだらけに舞い戻った。客が来るたびに大慌てで大掃除をしているけれど、結局右のものを左に動かし、また戻しているだけで、家はまったく片付いていないという事実に愕然となる。

急いで片付けたのに、山手線の終電でやってきたトコロ君が現れたのは一時前。わたしは10年ぶり、ダンナは5年ぶりぐらいの再会で、積もる話で夜更かしする。

2004年10月24日(日)  『月刊 加藤夏希』DVD
2002年10月24日(木)  JSAを読んで考える 北と南 東と西


2008年10月23日(木)  生パスタみたいな絶品ラーメン『麺工房 山久』

ラーメン屋へはめったに行かないのだけど、去年近所に出来た『麺工房 山久』(>>>食べログ)の塩ラーメンを初めて食べたとき、おおこれは!と目を見張った。ほうれん草をねりこんだちぢれ麺にトマトがトッピングしてあり、スープは脂っこいしつこさがなくさらっとしていて、味が上品にまとまっている。麺は手打ちなのか、ラーメンというよりパスタ感覚。オリーブオイルやトマトソースにからめたらよく合いそう。

店内は小洒落た和食ダイニング風で、女性一人でも気後れせずに入れる雰囲気。テレビで紹介されてあっという間に行列店になるのではと思ったのだけど、一年経っても開店当時ののどかさは変わらず、最近立て続けに2度行ったら、いずれも客はまばらだった。子連れでも落ち着いて食べられるのはありがたいけれど、ラーメンにサービスの小ライスがついて650円というお値段でやっていけるのかと心配になってしまう。「ここ、もっと流行ってもいいのにね」とほうれん草麺をすすりながら言うと、「声がでかい。店の人に聞こえる」とダンナにしかられた。「なんで? お店を応援してるんだよ」と言い返したが、「まるで今ダメみたいじゃないか」と言う。だって、味の割に明らかにガラガラなのは事実ではないか。このおいしさが埋もれたまま店が閉まってしまうのはしのびないので、日記で紹介することにした。文京区本駒込、白山界隈にお越しの際はぜひ旧白山通り沿い、東洋大学の目の前の山久でラーメンを。

2005年10月23日(日)  ついに早稲田松竹で『インファナル・アフェア』
2004年10月23日(土)  SLに乗ったり地震に遭ったり
2000年10月23日(月)  パコダテ人P面日記 誕生秘話


2008年10月22日(水)  あまえんぼジュークボックス、たま2才2か月。

娘のたまが通う保育園の「保育参加」なるものを体験し、保育士さんに混じって子どもたちと午前の数時間を過ごした。近所まで、てくてく散歩についていく。わたしはたまと手をつなぎ、3人の保育士さんが箱乗りバギーと自分たちの手で8人の子どもたちを運ぶ。行きは良い良いだけど、帰りはみんなぐずって、歩きたがらない。たまも立ち止まり、「おんぶ」とせがむ。たまをおんぶしながら、重い、背中が痛いと音を上げそうになっていたら、保育士さんは、おんぶにだっこに手を引いて、一人で3人を相手していた。そのたくましさに頭が下がる。

たまは、今日で2才2か月。あいかわらずあまえたで、おっぱいが大好きで、おむつが外れる気配はない。だけど、事後報告で「チッコ」(大きいの)「もれてる」(小さいの)と教えてくれるようになり、おまるにも嫌がらずに座るようになった。

おっぱいが欲しくなると、「とんとん、はいってるかー」と呼びかけてくる。「入ってるよ」と答えると、「いってみろう」のかけ声とともに吸いつく。「いってみよう、だよ」と何度教えても「いってみろう」になるのがおかしい。おっぱいを飲みながら、長袖の袖口に自分の手を入れて来る。恋人のコートのポケットに手を忍ばせて甘える、そんな感じ。袖口もわたしもデレデレと伸びる。

したいこと、したくないことを言葉で伝えてくれるようになり、意思疎通のストレスはずいぶんなくなった。いちご柄の半袖を着せようとして、「いちご、さむい」と言ってくれると、じゃあ長袖にしようね、となる。

言葉の発達と反比例するようにガブリ癖も治まってきてひと安心していたら、今週は二人のお友だちを引っかいてしまった。引っ張られた、おもちゃが欲しかったなど、たまなりに事情はあるようだけど、咄嗟のときは言葉より手が出てしまう。悪いことだと本人はわかっていて、「○○ちゃんに、ごめんねする」と自分からしおらしく謝りに行き、「ごめんね」、「いいよ」、握手で仲直り。我慢はまだ身についていないけれど、言葉で歩み寄ることを覚えつつある。

耳で覚えた歌をどんどん覚えて口ずさむ、その成長も目覚ましい。ポニョやらきらきら星やら、一人で機嫌良く歌っている。「すいかのめいさんち〜」に続けて「ゆ〜きやこんこ」と季節感は度外視。YouTubeで見つけた「ううあ」の歌を気に入り、次から次へと持ち歌にしている。UAと童謡というキャスティングの妙はもちろん美術や衣装もオシャレで、わたしもはまってしまった。恩恵を被りつつ思うのだけど、YouTubeは著作権保持者には脅威だ。今に映画まるごと上げられるようになったら、脚本家も二次使用料を取りっぱぐれてしまう。

2007年10月22日(月)  マタニティオレンジ197 たま14/12か月
2006年10月22日(日)  マタニティオレンジ23 たま2/12才
2005年10月22日(土)  おばあちゃん99歳
2004年10月22日(金)  クリオネプロデュース『バット男』
2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!


2008年10月21日(火)  満を持して『ザ・マジックアワー』 

面白いよと何人にすすめられたかわからない『ザ・マジックアワー』をついに新文芸座でつかまえる。ちょうど今、三谷幸喜さんのエッセイ『オンリー・ミー―私だけを』を読んでいて抱腹絶倒中で、血中三谷ワールド値が急上昇しているところ。『ザ・マジックアワー』を観るには打ってつけのタイミングなのでは、とおめでたい気持ちで客席へ。映画が始まり、妻夫木聡演じる若い男がヤクザの親分の愛人を寝取り、命を助けてもらう代わりに伝説の殺し屋を連れて来いと命じられる。期限は5日で、日めくりカレンダーがめくられていく絵になる。その日付が10月17日、18日、19日と読めた。もしかしたら一日ぐらい誤差があるのかもしれないのだけど、咄嗟に「期日の5日目は10月21日、今日のことではないか」と思って、今日これを観ることが運命づけられていたんだと一人で舞い上がった。

内容のほうは、三谷作品らしい笑いに声を上げて笑わせてもらいつつ、ちりばめられた伏線が見事に結実したラストがすがすがしくて、「いいもの見せてもらったー」という深い満足感があった。町並みはセットで時代設定もどこか現実離れしていて、芝居がかった物語なのに、「くたばってたまるか」と映画の中の時間を必死に生きている登場人物たちの人生には真実味があった。CMの端役をやりながらもう一度「マジックアワー」の好機を狙っているかつての名スターが、佐藤浩市演じる売れない役者に心意気を語った後、出番を知らせに来たスタッフに名前ではなく「おじいちゃん」と呼ばれる場面が強く印象に残った。エッセイ『オンリー・ミー』には脚本家として売れ始めた頃の三谷さんのドタバタ、ジタバタが詰まっているのだけど、その実体験があるから、ドタバタ、ジタバタと生きることのおかしみとかなしみをこの上なく愛おしく描けるのだろう。そう納得した。

2006年10月21日(土)  5本目の映画『天使の卵』初日
2005年10月21日(金)  小さな冷蔵庫 大きな冷蔵庫
2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕


2008年10月20日(月)  「袖すり合う」か「袖ふり合う」か

竹内まりあが歌う朝ドラ『だんだん』の主題歌を聞きながら、「袖ふり合うって聞こえるけど、袖すり合うじゃないの?」とダンナが言った。「すり合うじゃなくて、ふり合うだよ」と答えると、「ふり合うってどういう状況?」と聞いてくる。「だから、袖を振ってるんじゃないの? 振り袖っていうじゃない」と答えたのだけど、考えてみると、袖をぶんぶん振り合っている二人というのもおかしな図だ。

新明快国語辞典で「袖」を引くと、【袖触(ふ)り合うも多生の縁】だとわかった。「見も知らぬ旅人同士が同じ木の下に一時いこい宿るのも、決して偶然ではなく、この世に生まれる以前からの深いつながりによるものだ」とある。触れ合いの「ふり」だったのかと納得すると同時に、「他生」は俗用で「多生」が正しいのだと知る。「袖振り合うも他生の縁」と二箇所も間違って覚えていた。昔、脚本家の大先輩の荒井晴彦氏の名前を「新井春彦」と日記に書いてしまい、前田哲監督から「半分間違っていますよ」と指摘されたのといい勝負。

……と書いたら、「竹内まりあではなく、まりやです」と読者から指摘があった。これは思い違いではなくうっかりミス。この手の間違いを知らず知らずふりまいているんだろうなあ。そういえば、最近経済ニュースなどで「レバレッジを効かせる」という表現をよく聞く。leverはテコだから、leverageはテコ入れ。覚えたダンナが早速「ベバレッジを効かせる」と使っていたが、beverageはジュースなどの飲み物である。アルコールが入ってないから効かせるのも難しい。

2005年10月20日(木)  神保町めぐり


2008年10月19日(日)  おにくぼくじょう! マザー牧場2日目

娘のたまが昨夜「おにくぼくじょう」と命名したマザー牧場にご近所仲間のK家と泊まり、朝7時前に目覚める。高原の朝は爽やか。朝食前に牛を見に行く。有刺鉄線のすぐ向こう側で牛がのんびり草を食んでいる。朝ご飯のために牛舎に戻って行くところも見られた。入れ違いに、かわいい子牛たちが放牧場に行進してくる。


和食をチョイスした朝食はごはんと味噌汁と干物と海苔。食後の飲み物に選んだ牛乳のコクは、さすが牧場。こうでなくっちゃ。

大自然の中で、子どもたちも伸び伸び。たまとK家のマユタンは、木の枝を手に地面を彫ったり木の幹をツンツンしたり。バランスを崩したたまが草の坂道をトトトとつんのめるように下り、数メートル下の平らになったところでこけて止まるというハプニングもあった。多少のスリルは味わって、たくましく育ってほしい。
牛牧場へ引き返し、乳搾り体験。子どもの頃にやったことがあったような、ないような。おっぱい党のたまはおじけづいて手を引っ込め、おっぱいのことならまかせなさいのわたしは、思いのほか苦戦。ジャージー牛牧場通いで慣れているマユタンはバツグンの指使いでジャージャー搾り、飼育員さんをうならせた。

パパたちが娘たちを馬に乗せ、たまは馬乗りを初体験。メリーゴーランドといい馬といい、乗ることが好きなようで、「おうまのったねー」と後々言い続ける。

初めての馬に続いて、山頂で初めてのソフトクリームを体験(クリームよりもコーンに感激)し、ドーム型施設で羊ショーを鑑賞。これが掘り出し物で、オヤジギャグを連発するニュージーランド人の羊使いが十数種の羊を紹介したり、毛刈りをしたり。一心不乱に餌を食べ続ける羊たちの姿は微笑ましく、会場を走り回った牧羊犬が一気に羊たちの背中の上を駆け去ったのは迫力があった。子羊たちに会場から名乗り出た子どもたちがミルクをあげる場面では、哺乳瓶を飲み込まんばかりの子羊たちの旺盛な食欲にびっくり。最後はステージに上がってふれあいタイム。

トラクターバスに揺られて麓へ下り、豚を見て、ヤギを見て、羊の大行進を見て(牧羊犬に追われてイワシの大群のごとく羊がぐるぐる)、わたしとたまは巨大迷路も体験。おなかいっぱい遊んで、初めてのおにくぼくじょうを後にした。

2007年10月19日(金)  インテリアデザイン『DAYS』のマツエ
2006年10月19日(木)  マタニティオレンジ22 めぐる命と有機野菜
2005年10月19日(水)  新宿TOPS 2階→8階→4階
2003年10月19日(日)  100年前の日本語を聴く〜江戸東京日和
2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』

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