2008年01月10日(木)  マタニティオレンジ219 「かわいい」が聞きたくて

保育園のお迎えのとき、「たまちゃん、やっぱり女の子ですねえ」と保育士さんがしみじみと言った。一歳上の教室に遊びに行ったときのこと、そこの女の子が三角巾を頭に巻いたのを保育士さんが「かわいい」とほめた。それを見たたまは、三角巾を探し出し、自分も頭に巻こうとしたという。あれを巻けばかわいいと言ってもらえると思い、真似しようとしたのだ。かわいいという言葉に反応するところが女の子ねと保育士さんは感心していた。

「かわいい」がほめ言葉ってことはちゃんとわかっていて、どうしたら言ってもらえるか考える。一歳児にも乙女心はあるんだなあとしみじみする。それにしても、何やってたって「かわいい」と言われて、人生でいちばん「かわいい」を頂戴する一歳児(わたしだって一歳の頃は言われたはずだ!)でさえ「かわいい」と言わせる努力を惜しまないのだから、ぼさぼさ頭とのびのびトレーナーで開き直っている母も見習わなくては。三十路女にだって乙女心はある。いや、今やすっかり言われることがなくなったからこそ「かわいい」を聞きたい気持ちは一歳児に負けてないのだけど、三角巾かぶったって、「かわいい」とはならないのが悲しいところ。

2007年01月10日(水)  マタニティオレンジ57 鏡っ子たまちゃんとダスキンちゃん
2005年01月10日(月)  オペラシアターこんにゃく座『森は生きている』
2004年01月10日(土)  ラブリー「ニモ」!


2008年01月09日(水)  マタニティオレンジ218 ミキハウスの服

とても気に入って、洗濯しては着せている長袖がある。人からもよく「どこの服?」と聞かれるのだが、「ミキハウス」と答えると意外がられる。MIKIHOUSEがでかでかと主張するトレーナーのイメージを持っている人は、筆記体のm.h.の刺繍のさりげなさに驚く。お祝いでもミキハウスの服をいただいたが、どれもかわいくて丈夫。とくに、おさがりで回ってきたものを見ると、何度洗濯してもへたらない頼もしさがよくわかる。

学生時代、就職活動でミキハウスを受けていた。広告業界志望だったのに、なぜ受けたのか動機は覚えていない。ファッションに興味はあったけれど、ここの服がとくに好きというわけではなかった。軽い気持ちで資料請求したのだろうか。一回目の試験でMIKIHOUSEのロゴが入った缶ペンケースが配られた。二回目がバインダー、三回目が水着と試験を一段階上がるごとにお土産がいいものになった。バインダーは今でも使っているけれどペンケースと水着は誰かにあげたのだったか。「ミキハウスって、ええ会社やで」と母親に言ったら「そら、あんたらが将来お客さんになるんやから」と笑われた。

他にペンをもらったような記憶もあるのだが、三回か四回の試験を経て社長面接となった。大会議室のロの字に組んだテーブルを女子学生二十人ぐらいが取り囲み、ロのてっぺんに社長の木村氏が座り、二つ質問をした。一つは忘れたけれど、もう一つは「いま読んでいる雑誌」で、わたしは「公募ガイド」と答えた。木村社長はリアカーを引いて売り歩いた時代から育ててきた会社への思い入れを語った。その会社を一緒に育てる人材を見つけるために時間をかけ、心をこめて面接している、その誠意と情熱が伝わってきた。

社長面接で内定が出たのだったか結論は持ち越されたのだったか。百貨店に入っているお店で実習する機会があり、わたしも出るはずだったのだが、広告会社の試験日とぶつかってしまった。電話ではなく本社に出向いて断りを入れたのは、木村社長が「男子学生は犬のようで、内定を断るときも誠意を見せてくれる。だが、女子学生は猫のようで、興味がよそに移った途端冷たくなる」と言ったことを覚えていたからだった。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を練習する実習生の声が届くテーブルで採用担当の女性と向き合い、ここまで自分を選んでくれたことへの感謝と、でも自分はやっぱり広告をつくる仕事がしたいことを告げた。「自分が行きたい道へ進むのがいちばん」と女性は笑顔で送り出してくれ、大好きなままミキハウスという会社にさよならをした。

就職を決めた広告会社で配属されたチームは偶然にもミキハウスの広告を手がけていた。わたしのコピーは書いても書いても採用されず、プレゼン用のボード貼りを手伝ったり、撮影に使う小道具のケーキを注文したり、雑用ばかりだったけれど、うれしいつながりだった。それから十年あまり経って、母の予言通り、ミキハウスを贈ったり贈られたりする一人の母親になった。社長さん、お元気かな、と洗濯物を畳みながら思い出している。

2007年01月09日(火)  マタニティオレンジ56 男の人が歌う子守歌
2004年01月09日(金)  ヨシミン(井野上豊)
2002年01月09日(水)  見えなかったB


2008年01月08日(火)  整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです編

熱は治まり、内側からえぐられるようだった腰の痛みも和らいだ。喉の痛みが若干出てきたけれど、食欲もあるし、気力も回復。小学校の頃によくできた「熱の花」(という呼び方は一般的だろうか)が鼻の下に出現。高熱が出ると水ぶくれのようなものが現れる。昔は家に「熱の花」とマジックで書いたチューブの塗り薬があったけれど、今は何を塗ればいいのか分からず、とりあえず放置しておく。

後に残った持病の腰痛が軽く感じるものの整骨院へ。12月28日に行ったきりで、一週間以上も間が空いてしまった。「痛みがひどいあまりに熱が出たのかと思ったら逆で、熱のせいで痛みが出てました」と昨日一昨日の悲惨な状況を報告すると、「炎症は体の弱っている部分を攻撃するんです」と今日の担当のウキちゃん。そういえば、以前ウキちゃんのことを日記に書いたのが好評で、続編を希望する声もあるので、「ウキちゃん最近面白いこと言いました?」と聞いたら、「あたし最近面白いこと言ってませんよ」と真面目に答える。本人が面白いことを言っている自覚がないところにウキちゃんの面白さがあるのだったと思い出し、同じ質問を院長にぶつけてみると、「首都の話は聞きました?」と院長。

ある日、「あたし、首都得意なんですよ」と院長に勝負を挑んできたウキちゃん。早速、オーストラリアの首都を「シドニー」と答えた院長を鼻で笑い、「キャンベラ」と勝ち誇ったが、「シドニーはアメリカっすよ」とつけ加え、首都以外は弱いことが露呈。さらに、「じゃあアメリカの首都はどこなんだよ」と院長がムキになると「ニューヨーク」と自信満々に答え、首都はさほど強くはない、とくにアメリカは大いに弱いことが明らかに。「首都と言えば、俺の友人、ブラジルの首都をアマゾンって答えたんだよね」と院長が言うと、ウキちゃんは多少自信なさそうに「サルサじゃないですか」。「サルサって何?」と院長に突っ込まれ、「っぽいかなって」。ウキちゃん、それは首都じゃなくてイメージでしょう。「そうそう、わたしの友だちで、タイの首都のバンコクをバンという国と勘違いしてる子がいて、バン国に入ってからタイに入るって言ってた」と会社時代の同僚デザイナーのエピソードを話したら、「え? タイの首都ってフィリピンじゃないんですか」。小学校時代は首都暗記のエースだったというウキちゃん、キャンベラを知っていることしかわからなかった。

2007年11月6日 整骨院のウキちゃん

2007年01月08日(月)  マタニティオレンジ55 ランドセルの紳士
2006年01月08日(日)  『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』放送
2003年01月08日(水)  ベトナム料理
2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2008年01月07日(月)  両親元気で留守がいい

昨日からの熱が今朝は少し引いて38.4度。腰の痛みが激しく、陣痛を思い出す。陣痛のときに痛かった場所がハイライトされている感じ。熱が出た時の関節の痛みは歪みのある部分に集中するのだろうか。朝いちばんに娘のかかりつけの小児科で診てもらう。鼻に長い綿貌のようなものを突っ込んで待つこと約十分。インフルエンザではないとの判定が出てひと安心。とにかく腰が痛いと訴え、解熱鎮痛剤を処方してもらう。薬局に同じ保育園の親子がいて、「この子にうつされました」とお母さん。やはり親子でうつしあってしまうものなのか。今日一日娘のたまはダンナの実家で見てもらうことにした。

たったひと粒飲んだ薬が効いたのか、早い段階でしっかり休んだのが良かったのか、昼前に体調はぐんと良くなり、熱は一挙に6度台まで下がった。そういえば、たまが元旦の夜に熱を出し、夜中に「熱い!」とびっくりして、朝測ったら8度を超えていたのだけれど、その日のうちに平熱に戻った。子どもの体温は乱高下するなあと思ったのだが、わたしの体温も一日の間に3度近く変動したことになる。それにしても、お茶の温度が3度違ってもほとんど違いはわからないのに、人の体温は一度違うだけでも大違いなのは不思議。

昨夜眠っているときに家の電話が鳴ったことに気づいたのだけど、起きる気力がなくて放っておいたのが大阪の実家かもしれない、と思って電話した。新年始まって、まだ一度も話していない。ここ数年、両親は大阪の金剛山の山中にある旅館で年を越すのが習わしになっている。年越しコールをしそびれ、あっという間に一週間経っていた。電話してみると、昨日の電話は家からではなかったが、元気そのものの父が出て、母は遊びに出かけていると答えた。

今週は夫婦で沖縄へ行くと言う。「なんでか知ってる? 29800円やねん。飛行機代より安いやろ」と父。ピースボートの世界一周の旅はどうだったと聞くと「ハッピーアワーになると、ビールが半額の200円」という話ばかりする人だから、安いものには目がない。さらに月末には、今度は北へ飛んで札幌を訪ねるという。「これがな、偶然やねんけど29800円でな。会社は名鉄観光とJTBで別々やのに、通帳見たら、おんなじ値段やてびっくりしてなあ」ときわめて単純なことに無邪気に喜んでいる。格安ツアーを見ると「行かな損」という気持ちになり、思わず行ってしまうのだという。安いとはいえ二人で行くとなると結構な出費ではあるが、ちゃっかり元は取って帰ってくる。以前やはり格安ツアーで沖縄へ行ったときも「歌い放題で一晩500円のカラオケが良かった。しかもつまみもついてきた」「1000円の琉球グラスでつかみどりでようけ取れた」という話を夫婦でうれしそうにしていて、うちの両親は「元取り精神」という絆で結ばれているんだなあと感心したものだが、今回はどんなおトクな土産話を持ち帰ってくることやら。自分が体調を崩したこともあり、両親の健康が気になったのだけど、娘以上に若々しく過ごしているようで安心した。

2007年01月07日(日)  蓬莱の豚まん 日本一世界一551
2002年01月07日(月)  カレーライフ


2008年01月06日(日)  インフルエンザか?の発熱

朝から寒気と腰の痛みがひどくて、朝風呂をしてからパソコンに向かっていると、まだ寒い、痛い。昼風呂に入ってから熱を測ったら38.8度。驚いてダンナの実家に電話し、朝から預けていた娘のたまを夜まで預かってもらうことにし、布団をかぶって寝ることに。自分のあまりの熱さと背中から腰にかけての痛みで眠れない。「湯気の立つ家」を年始の目標に掲げた矢先に自分の体から湯気が立つことになろうとは。熱は9度を超え、夜になっても下がる気配を見せない。ネットで調べてみると「悪寒と関節痛があり、咳や鼻水が出ないのはインフルエンザの特長」とあり、まさに自分の症状にあてはまる。子どもにうつると重い後遺症が出る恐れがあるとも書いてある。うつらないとしても自分を構うのに精いっぱいで、とても子どもの面倒など見られないので、そのままダンナの実家に娘を泊めることになった。

「インフルエンザには乾燥は禁物」というくだりを見つけて、やはり加湿器を買っておくべきだったと反省。朝起きると喉が痛いと思う日が多く、加湿器がいるなと思っていたのだけれど。濡らしたバスタオルを窓辺に掛けておいたら、絞りが甘すぎて、ピちゃ、ピチャと一晩中雨漏りの音がした。

浅い眠りの中で、やりかけの仕事が次々と夢に出てくる。別々の作品のシチュエーションや登場人物がまじりあって気持ち悪い。夢は欲望の充足、昼間やり残して気になっていたことが現れるとはまさにこのこと。新年早々仕事に追われる夢を見るほどの余裕のなさが体に無理をさせていたのかもしれない。体からの危険信号を素直に受け止め、休むことに徹することにする。

2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面
2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2008年01月05日(土)  2008年のわが家の目標:湯気の立つ家

元旦の朝、起きてきたダンナが言った。「何かあたたかい飲み物はないのか」。これから用意すると言ったわたしに、「常にこう、湯気の立つ家であってほしいんだな」。こうして「湯気の立つ家」が2008年のわが家の目標となった。

もともとわたしは毎朝カフェオレを飲むのだけれど、ダンナが起きだす頃には湯気の気配は消えている。ダンナが起きてくるのに合わせてやかんを火にかけ、ほらこれを見よと湯気を立てるようになった。ダンナはコーヒーを飲まないので、新年からはティーポットで二人分のお茶を入れている。いただきものの紅茶がたっぷりあるので、いろんなフレーバーを楽しめる。さらに、しばらく休んでいたパン作りを再開した。三日から三日連続焼いてみると、少しずつカンを取り戻して、うまく膨らむようになり、同じ分量の粉なのに出来上がりのパンの数がふえていく。三日は小麦粉:全粒粉を4:1ほどにし、四日はその逆の配合にし、五日は全粒粉の代わりにライ麦粉を混ぜた。焼きたてのパンからは湯気と一緒に香りが立ち上る。

わたしの好きなお茶やパンを用意すればもれなくついてくるものなので、「湯気の立つ家」は決して難しい目標ではない。あたたかくて穏やかな家庭の代名詞のようでもあり、これを心がければいい一年を送れそうな気がする。「埃の立たない家」というのもあるが、年始の誓いは否定形の入った引き算より前向きな足し算のほうがいい。「君は頭からはよく湯気を立てるけどね」とダンナ。そういう憎まれ口をたたかなきゃ湯気を立てないのに。

2007年01月05日(金)  佳夏のお墓参り
2005年01月05日(水)  英国旅行10日目 オクトパスと三越とママの会とフレンチ
2002年01月05日(土)  知ってるつもり


2008年01月04日(金)  マタニティオレンジ217 三枚目路線

保育園に新年初登園。暮れは29日が最終登園だったので、5日しか休んでいない。急性胃腸炎のときは6日休んだから、あっという間に感じた。娘のたまがいる0歳児クラスでは、今日登園したのはたま一人で、「保育士独り占め、お年玉ですね」と保育士さん。休みの間に変化はありましたかと聞かれ、「一緒に過ごす時間が長かったからか、よくしゃべるようになりました。意味はわかんないんですけど、ずーっとべらべら独り言を言ってます」と答えると、「流暢な喃(ナン)語ってやつですね」と的確なネーミング。たぶん、たまにとっては意味のあることをしゃべっていて、意味がわかったら楽しいだろうなあと思う。ちょうど外国語のような感じ。意味不明ながらも話しぶりに性格は現れる。たまのしゃべりっぷりを見ていると、わたしに負けない話好きである様子。株式の決算報告書

話すことが本当に楽しそうなので、話芸の道に進むのかもと将来を想像したりする。

携帯やリモコンや体温計を使った電話ごっこもお気に入り。「もしもし? 元気? たまちゃんに代わるね」と仮想の相手との電話をたまにつなぐと、べらべらとしゃべり、またわたしに受話器を戻す。話しながらちらちらとわたしの顔を見て反応をうかがったりもするのだが、「ふーん」と相槌を打ったり、「へええ」と感心したりすると、とても満足そう。とくに「ええっ」とのけぞると大喜びする。意味はわからなくても意思は通いあっている気がする。

親は子どもに喜ばれて道化になってみせるものだが、子どものほうも負けてなくて、たまは何かと笑わせてくれる。以前は偶然の失敗が微笑ましさを伴う笑いを誘っていたのだけれど、最近は自分から受けを狙っているのが見え見えのことをやる。年末の食事中に突然口と鼻の間にスプーンを挟んで「見て見て」と得意げな顔になったので、「保育園で覚えたのでしょうか」と連絡帳に書いたら「園では見たことがありません」の返事。自分であみ出したのだろうか。同じく食事中に椅子の上で立ち上がり、わたしをはらはらさせて喜ぶという悪趣味ないたずらもする。まともにとりあっては敵の思うつぼなので、あまり心配しないフリをするようにしたら、「これは受けないのだな」と悟ったのか、受け狙いではやらなくなった。

お笑いの基本といえば、かぶりもの。シーツやらブラウスやらワンピースやら、かぶれるものは何でもかぶる。靴下を狸の木の葉みたいに頭の上にちょこんとのっけたのにも笑ったが、クリアファイルをかぶったのを見たときは笑いが止まらなかった。あれをかぶるという発想をしたことがなかったけれど、かぶると頭のてっぺんがとんがり、左右に「たれ」が来て、頭巾のようになかなかサマになることを知った。そういえば、二辺が空いているあの形、耳まですっぽりの防寒帽にも似ている。

2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会
2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド


2008年01月03日(木)  マタニティオレンジ216 ついにはまった「おしりかじり虫」

年末にたまたまつけたNHKで「おしりかじり虫」の特集番組をやっていた。「みんなの詩」ではやっていたときにはまるで無関心だった娘のたまが食いつくように観ていたので、スクリーンに映写されたアニメを前に子どもたちが踊るというダンス場面を録画しておいたところ、テレビの前まで行ってテレビを指差した後、「おしりかじり虫〜」の振り付けと同じく自分のおしりをたたいて見せ、「ビデオでこれをかけて」と訴えるようになった。二種類のベビーサインを組み合わせたのは初のこと。必要に迫られるとこんなこともやってのける。

ビデオは二分ぐらいで終わってしまうので、そのたびに巻き戻し、再生を繰り返すのだが、何度かけても子どもは飽きることを知らない。エンドレステープを作りたくなる。画面の子どもたちはやすやすと踊っているけれど、一歳児には高度なようで、曲の最初から最後までおしりをたたいている。それでも少しずつ学習してきたようで、ときどき手をたたいたり、「かばとかばとでかばいあい」のところで左右に揺れたりするようになった。二小節ほど遅れてではあるが。とにかくこれをかけていれば機嫌がいい。ビデオをかけてないときも歌ってあげるとうれしそうにおしりをたたく。

念ずれば通ずなのか、上司の自宅で開かれた新年会にたまを連れて行ったダンナが「たまと行ったおかげですごくいいことがあったよ」とほくほく顔で帰って来た。その手には、おしりかじり虫のパペット。口の後ろに手を入れて、カプッとかじれるようになっている。上司宅でぐずりだしたたまをあやすために上司が取り出したらしく、「うちの子、今はまってるんです」とダンナが喜ぶと、「だったら持って行け」となったらしい。年末に観た番組によると、おしりかじり虫君はおいしいおしりをかじるために商売道具の歯を大事にしているらしい。パペットを使って、歯磨きをいやがるたまを歯磨き好きに仕向けられないものか。それができればますますおしりかじり虫サマサマなのだけど。

2007年01月03日(水)  マタニティオレンジ52 飛行機で大阪へ
2005年01月03日(月)  英国旅行8日目 妻・母・長女の家と財布とシーザー
2004年01月03日(土)  庚申塚の猿田彦神社
2002年01月03日(木)  留守番


2008年01月02日(水)  ベイビー・ジェーン・キャシャレル目当てでバーゲンへ

新年のバーゲンというものにあまり関心がない。のんびり過ごすお正月に混んでいるところへわざわざ出かけなくてもという思いがある。だけど今年、バーゲンへ行こうと思い立ったのは、大好きなブランド、ベイビー・ジェーン・キャシャレルが日本で買えなくなると聞いたから。贔屓にしているユニットの解散を知ってラストライブに駆けつけるような気持ちで、有楽町の丸井へ向かった。

○I○Iのロゴは元旦の日付みたいなので、正月に行くのはふさわしいかも。加えて、はじめて行く有楽町店にも興味があった。いつも東銀座への乗り換えで日比谷は通るのだけれど、降り立つのは久しぶり。地下通路を通り、JR有楽町駅の出口を抜けると、おおっ、景色が一変。まばゆい有楽町イトシア(その一部が丸井らしい)がでーんと構えている。吸い込まれる人々と入れ違いに紙袋を抱えた人々が出て行く。久々のバーゲンの熱気! おめあてのベイビー・ジェーン・キャシャレルはとくに混み合っている。さあ買うぞ、と気合を入れて乗り込んだのだけれど、今季は紺やグレーなどの落ち着いた色が中心で、わたしが出会って惚れ込んだ年のようなヴィヴィッドなオレンジやピンクは見当たらない。秋に新宿店を訪ねた時も手ぶらで帰ったのだけれど、今日もまた、これという出会いがなかった。もうすぐここの服が手に入らなくなるという飢餓感から、30分ほどかけて店内の棚という棚を見て回ったのだけれど。

代わりに隣にあるfranche lippeeというお店を知る。絵本の挿絵のようなかわいいプリント地のワンピースやチュニックが充実。鹿プリントのものもあり、万葉ラブストーリーで縁ができた奈良での仕事がふえたときの衣装にどうかしらんと取らぬ狸(鹿?)の皮算用をしたが、無難な茶色いタートルネックを30%オフで買った。ひかえめなフリルとアクセントのくるみボタンがついているのが気に入った。

2007年01月02日(火)  新年の掘り出し物『クリスマスの笑顔』
2005年01月02日(日)  英国旅行7日目 生家と古城とリモニー・スニケット
2004年01月02日(金)  金持ちよりも人持ち
2002年01月02日(水)  パワーの源


2008年01月01日(火)  マタニティオレンジ215 おせちの食べっぷりに成長を感じる

ダンナの実家にて、おとそとおせちで新年の挨拶。ダンナ母が作ったおせちを、ダンナ妹が塗りのお盆に見栄え良く盛り付けた。「最近は買って済ませる家が多いけど、私は作っちゃうの」が自慢のダンナ母。近所に住んでいるのだから、おふくろの味を教わりがてら手伝いに行くべきなのだけれど、毎年、年の瀬はばたばたしていて、「手伝いましょうか」と言う頃には「もう出来上がったわよ」と言われる。去年の年末はとくに忙しかったけれど、ダンナ母も諦めたのか、手伝いに来るのとも聞かれなかった。ダンナ妹によると、「うちには嫁はいないって言ってたよ」とのことなので、今年こそは嫁らしい年末を過ごそう、と年の始めに誓いを立てる。

去年のお正月はまだ離乳食もはじまっていなくて、娘のたまはおせちを眺めるだけだった。一年経ち、今年がおせちのお食い初め。歯もぎっしり生え、蓮根も牛蒡もガリガリと上手に噛む。魚もはんぺんも好きなのだが、予想通り、初めてのかまぼこも喜んで食べた。ダンナ父の親友で一昨年亡くなった柴田さんがお気に入りだったという大阪の黒豆を気に入ったのを見て、ダンナ父が顔をほころばせた。来年はもっと食べられるようになるのだろう。今は怖くて食べさせられない雑煮のおもちも来年か再来年には食べられるようになるのだろう。年に一度のおせちに食べっぷり観察の楽しみが加わると、ひと味違ったものになる。

2007年01月01日(月)  マタニティオレンジ51 赤ちゃんのいるお正月
2006年01月01日(日)  いいことありそな初日の出
2005年01月01日(土)  英国旅行6日目 嵐とプリンと美女と野獣
2003年01月01日(水)  2003年の初仕事
2002年01月01日(火)  幸先
1999年01月01日(金)  テスト

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