2007年01月31日(水)  マタニティオレンジ68 左手に赤ちゃん右手にナン

先週の水曜日、千駄木のインド料理屋で、左手に赤ちゃん右手にナンという無理のある体勢でカレーに挑む女性客の姿があった。それはわたしなのだが、周囲のテーブルからの「なんだか大変そうだね」「待ち合わせの人が来なくて一人なのかしら」という同情やら疑惑やらの混じった視線に「はい、わかってます、無理あります」と心の中で答え、「片手でナンをちぎるのって難しい」と発見したり、そんなわたしから目をそらさず微笑みかけるインド人の店員さんの懐の広さに感激したりしながら、ぐずり寸前の娘のたまをあやしつつランチセットを平らげた。なんとかカレーを服に飛び散らさずに済んだと思ったら、爪の間に入り込んだカレーを見落としていた。その手でたまを抱っこしたものだから、ベビー服には明らかに誤解を招きそうな黄色いシミが点々……。

そこまでして食べたくなったのは、その一週間前、五反田の路上でインドカレーのランチboxを売っているおじさんに出会ったからだった。すでにランチを買い込んで友人宅へ向かうところだったのだけど、どんなカレーだろうと気になったので「いつもやってるんですか」と話しかけたら、すぐ近くのアロラ・インド料理学院のカレーなのだと言ってお店のハガキをくれた。学院ではイートインもやっている(前日までの完全予約制 平日11:00〜14:30)と言う。むかし隣の家にインド人一家が住んでいたという話をしたら、名前も聞かずに「ワタシ、その人、知ってる」とおじさん。「いやいや、三十年も昔のことだし、大阪だし」と答えたのだけど、こういうやりとりもインドっぽいなあとうれしくなった。4才で本場の味に出会ってインドカレー歴はかれこれ三十余年。出産後はスパイスで母乳の味が悪くなるという説もあり、ほどほどに控えていたのだけど、おじさんのせいでにわかにインドカレー熱がぶり返した。五反田の友人と「じゃあ今度そこ行こうよ」と約束したものの、それまで我慢できずに千駄木でフライングカレーを食したのだった。

で、今日は待ちに待ったアロラカレー当日。大人三人+赤ちゃん二人(五か月児と一か月半児)という顔ぶれで、マンションの一室にあるアロラ料理学院へ。そのリビングがイートイン会場になっていて、お店というより知り合いのおうちにお邪魔したようなアットホームな雰囲気。電話で赤ちゃん連れと伝えておいたところ、ベッド代わりのソファを用意してくれていた。部屋も貸切で、いざとなったらここで授乳できるわと思ったのだけど、たまはぐずらず、抱っこせずに最後まで転がしておけた。じっくり味わうのに十分な舌滞在時間を確保でき、フライングカレーの雪辱を果たすことができた。カレー2種類(エビとココナッツ、ほうれん草とマトン)に里芋のサブジ、揚げ物2週類、ナンとライスとデザート(いちごのマンゴーソースがけ)とチャイまでインドを満喫。これで1000円。

食事が終わる頃、学院創設者で料理研究家のレヌ・アロラさん(『美味しんぼ』24巻の『カレー勝負』の回に登場しているそう)が現れ、「主人に聞きました。大阪でインドの方の隣に住んでいたとか?」と話しかけてきた。先日のおじさんと今日も路上で会ったので、「これから食べに行きますよ」と伝えたのだが、おじさんは二週間前に会ったわたしのことをちゃんと覚えていたのだ。すごい記憶力なのか、よっぽど印象深かったのか。そのおじさんがアロラ先生のダンナさんなのだった。隣に住んでいたインド人一家の長女の結婚式に出席するためにデリーへ行ったんですよ、と話す。三日連続の披露宴に出てインド料理を食べ続けたこと、歌や踊りをお祝いに贈るインド式にならって「さくらさくら」に合わせて盆踊りといういかがわしい日本芸能を披露したことなどをアロラ先生は大喜びで聞いてくれた。「日本でインド料理を教えて三十年。このような出会いがうれしくて続けています」と言われ、カレー食べに来ただけなのに、と恐縮。「今度来るときは、今日と違うメニューにします。サモサもおいしいです」とのことなので、近いうちにサモサ目当てに再訪したいと思う。

2005年01月31日(月)  婦人公論『あなたに親友はいますか』
2003年01月31日(金)  トップのシャツ着て職場の洗濯
2002年01月31日(木)  2002年1月のおきらくレシピ


2007年01月30日(火)  作り手の手の内、胸の内。

映画のDVDの特典にある制作者のコメンタリーを聴くのが好きだ。どんな思いでこの作品を作ったか、このシーンを撮ったか、作り手の思いを共有できると、作品がいっそう面白く愛しくなる。映画や演劇のパンフレットやチラシにある制作者の言葉を読むのも、同じ理由で好きだ。

先日ひさしぶりに舞台を観に行ったとき、移動中に読む本に選んだのが、劇作家の井上ひさしさんの『演劇ノート―エッセイの小径』だった。自身が戯曲を書いた舞台について、企画の背景や作品に込めた思い入れや苦労話などをテンポのいい文章で綴っていて、エッセイとして楽しめる上に、観ていないお芝居を垣間見つつ舞台裏までのぞかせてもらっている気持ちになれる。納得のいく本が上がらなければ初日をずれこませてしまうことで知られているが、「多方面に迷惑をかけるから間に合わせなければ」と「中途半端なものを出してはお客様に申し訳ない」の間で葛藤しながら、何とかして、どうだっというものを産みだそうとあがき苦しみ、頭を抱えたり抱えられたりしながら本を仕上げていく。その過程や事情をつつみ隠さず語っていて、この人はとても正直で真っ直ぐな人なのだろう。そして、自分はこういう意図でこの作品を作ったのだけれど、それがうまくいっているかどうか、決めるのはお客様だ、という姿勢が一貫している。幕が開くたびに審判を受ける思いで幕間から客席をうかがう。以前読んだアンデルセンの自伝にも、その緊張感と覚悟が書かれていた。作品を「世に出す」のではなく「世に問う」のだ、と作り手の意識のありようをあらためて示された思いがする。

作り手の舞台裏といえば、最近読んだ石田衣良さんの『てのひらの迷路』が大変面白かった。原稿用紙十枚という掌編の連載をまとめた短編集だが、各短編をどうやって発想したか、という手の内を明かした解説がそれぞれの掌編の前に収められている。作者のルックスとも相通ずるようにスマートで都会的にまとまった作品は単品でもおいしく味わえるのだけど、メイキング部分を読んでから本編に進むと、料理長の説明を聞いてから料理をいただくときのように、興味や親近感やありがたみがトッピングされて、いっそう味わい深い。私生活を下敷きにした掌編も多く、作者の手の内だけでなく人となりもうかがえる。あとがきで紹介された亡き母の苗字、石平からペンネームの由来を知った。

2002年01月30日(水)  ボケ


2007年01月29日(月)  マタニティオレンジ67 寝返り記念日

娘のたまが一か月成長するごとに毎月バースデーケーキを用意して、ささやかな誕生会を開いている。自分自身のことを振り返っても一才の誕生会でさえ覚えていないし、親がイベントほしさにやっているようなところはあるけれど、いつか、一年分12個のバースデーケーキの写真を眺めながら、たまが覚えていない誕生会のことを聞かせたいなあと思っている。

ご近所仲間と集まる掲示板で5/12才のケーキを披露したところ、「気になっていたんだけど、毎月お誕生日あるの?」という話題になり、「考えたら誕生日って別に年1回じゃなくてもいいですね。毎月でも毎週でも、思いついたら誕生日にしてもいいくらいですね」「思いついたら誕生日!というのはいいですね」といった声が寄せられた。記念日はたくさんあっていいと思う。誰にでも間違いなく新しい一日はめぐってくるけれど、同じように繰り返される毎日の中で、ブックマークしておきたい日が見つかるのは幸せなことだ。わたしは昔からサラダ記念日並みに何でも記念日にしてしまう傾向があったけれど、誕生日を毎月祝いたくなる子育て一年目の今は、毎日を記念日に指定しそうな勢い。今日は、たまが初めて寝返りをした日。

2006年01月29日(日)  空想組曲『白い部屋の嘘つきチェリー』
2003年01月29日(水)  清水厚さんと中島博孝さん
2002年01月29日(火)  年輪


2007年01月28日(日)  マタニティオレンジ66 贅沢なお産

遠い昔の出来事のようだけど、昨年5月30日に興味深いドラマを観た。日テレのドラマコンプレックス枠で放送された『贅沢なお産』。仕事が楽しくて子どもなんて考えてもなかった水野真紀演じる女性誌編集長がまさかの妊娠。動揺の後に「せっかくなら楽しまなきゃ」と自分らしいお産を求めるストーリー。「自分が妊娠しちゃった手前、おいしいことっていうアドバルーンでも上げてなきゃやってられないんでしょ」と部下が突っ込む台詞は、自分のことを言い当てられたようで身につまされた。当時はまだ妊娠7か月。数か月後に親バカ街道を疾走することになるとは予想もしていなかった。

出産ドキュメンタリーや最新の出産事情の紹介もからめ、情報番組としても使える上出来な番組だった。「タイムリーだわ」と一妊婦として喜んでいたけれど、「ネタ収集中の妊婦脚本家としては、先越された!じゃないのか?」と突っ込む心の声もあった。

ダンナの母も見ていたので、放送翌日に感想を語り合ったのだが、開口一番「やっぱりドラマねー」とダンナ母。「出産なんて、あんなに苦しまないわよ」と勝ち誇ったように言った。
わたし「ドキュメンタリーの出産シーンも、大変そうでしたけど」
ダンナ母「あれも大げさにやってるのよ。カメラの前だから」
わたし「そんな演技する余裕はないでしょう」
ダンナ母「とにかく、わたしはあんなに苦しまなかった」
わたし「あまりの痛みに、忘れちゃったんじゃないですか?」
ダンナ母「ううん、でも苦しまなかった」
とダンナ母はあくまでもドラマに対抗意識を燃やし、わたしは「どんなに難産でも、お義母さんにはラクショーでしたって報告しよう」と覚悟したのだった。

そんなこともあって、読みたいと思っていた原作の『贅沢なお産』をようやく読む。漫画家の桜沢エリカさん自身の出産記。「36才での出産」「妊娠までは仕事中心の昼夜逆転生活」「子どもはいつか欲しいけど今じゃなくていいと思っていた」などなど自分と重なる部分が多い。桜沢さんは聖路加病院、育良クリニックを経て自宅出産を選んだのだけど、わたしの場合、妊娠を知って最初にネットで見つけて「良さそう」と思ったものの距離的に断念したのが、アクティブバースを提唱する育良クリニックだった。続いて聖路加を検討したのだけど、出産した友人の話から「高くても食事は普通だった」と聞いて考え直し、「食事のおいしい産院」を調べたら、家からほど近い助産院に行き着いた。結果的には、ここの「お産は自然なこと、楽しむもの」という構え方が性に合った。

洋服と同じで、値段よりブランドより「しっくりくる」ことが産院選びにはとても大切だと思う。その辺の感覚を桜沢さんは上手にすくい取って表現している。自宅出産と助産院という違いはあるけれど、「分娩台に乗るより、力を出しやすい自然な体勢で産みたい」「じっくり話を聞いて向き合って欲しい」という主張にも大いに共感。大きな病院では一時間待って五分診察というところもあると聞くけれど、わたしが産んだ助産院ではその逆。診察のたびに自信と勇気をもらって出産がどんどん楽しみになったし、自分のやりたいように産ませてもらえた。産院の都合に合わせるのではなく、出産する妊婦の希望にとことんつきあってくれる。「しっくり感」が満たされることが「贅沢なお産」なんだなあと自分のお産を振り返りながら思った。

出産してから関連本を読むと、自分の体験を比較材料にできて面白い。最近他に読んだのは『知っておきたい子育てのウソ・ホント50―最新赤ちゃん学が教える子育ての新常識(小西行郎)』。育児に関しては人によって言うことが実にまちまちなので、占いやおみくじと同じく、いいとこどりさせてもらっている。子どもにいいとされるものは世の中にあふれ、早期教育を急ぐ親も多いけれど、「子どもがいちばん必要としているのは、あなた」という言葉に納得。その一方で「子育ては母親だけが背負うものではない」に力づけられ、「かぐや姫と同じく、一人前になったら子どもは世の中に返す」にふむふむと思う。

2006年01月28日(土)  映画関係者の『女正月』に初参加
2005年01月28日(金)  G-upプロデュース公演『ブレインズ』
2004年01月28日(水)  舞台『クレオパトラの鼻』(作・演出:上杉祥三)
2002年01月28日(月)  心意気


2007年01月27日(土)  マタニティオレンジ65 赤ちゃんの集客力

わが家は長年「客の寄りつかない家」だった。わたしが会社勤めしながら脚本を書いていたせいで、どうしても週末を執筆にあてなくてはならない事情もあり、客をもてなすどころかダンナの食事の支度さえもままならない。それ以前に家の片づけにも手が回らず、とても人をよべる状態ではなかった。それでも年に何人かは運良く(悪く)訪れる人があり、手料理らしきものを出したりしていたけれど、作り慣れてないのが見え見えのお粗末な出来栄えで、食べ始めた途端、皆が一斉に満腹を訴える有様。一度来た客は二度と戻って来ない、とさえ言われていた。

会社を辞めて週末に休む習慣ができてから、休眠状態だった家事機能が働くようになった。資料の雪崩がそのまま万年雪になっている床を片付けると、お客様が座れるぐらいのスペースはでき、おっかなびっくり飲み会などを開くようになった。それでも月にひと組ふた組来ればいいほうだったのだけど、昨夏に娘のたまが生まれてからは状況が一変。「赤ちゃん見せて」と週末ごとに誰かしらやって来る。普段親しくしている人もいれば、もう何年もやりとりしていない人もいて、新幹線や飛行機ではるばる来てくれる人までいる。定期的に人が来るので、部屋もそれなりに片付いた状態を保てるし、料理をする機会が増えたおかげでわたしの手際も少しずつ良くなってきた。こうなると「また来てね」の図式は作りやすく、わが家は「客の絶えない家」にめでたく昇格。赤ちゃんの集客力、おそるべし。

今日は会社時代のひとつ上の期のカワムラとワカが遊びに来てくれた。カワムラとは半年ぶりだけど、ワカとは5年ほど会っていない。たまが生まれてなかったら、会う機会を逃したままだったかもしれない。赤ちゃんは再会も運んできてくれる。

2005年01月27日(木)  石井万寿美さんとお茶
2004年01月27日(火)  映画『問題のない私たち』(脚本・監督:森岡利行)
2002年01月27日(日)  詩人


2007年01月26日(金)  ひと月遅れのクリスマスプレゼント

中学一年の夏休み、母に連れられた初めての海外旅行先は東西統一などまだ考えられなかった頃の東ドイツ。エルベ河を下る船の上で知り合った同い年の少女アンネットと住所を交換し、文通が始まった。切手も便箋も書かれている学校生活も、わたしが見知っているものとは違った。教科書にもほとんど載っていない国のことを手紙のたびに少しずつ知っていく興奮に夢中になった。外国の友達が一人いるだけで、目は自然と世界に向かって開かれる。アンネットのおかげで、わたしは櫃異様なものとして語学に親しむことができたし、日本とは違う生活や文化や人々をもっと知りたいという好奇心をかき立てられた。

「ペンフレンドは和製英語で、正しくは『ペンパル』です」と英語の時間に教わったが、ペンフレンドという言葉は今も生きている(死語ではない)のだろうか。地球の裏側へだって送信ボタンを押せばあっという間にメッセージを送れる時代になってしまたけれど、そんな便利さを知らない時代を知っていることを幸せに思う。いつ届くかわからないエアメールを心待ちにし、ポストにそれを見つけた瞬間「あった!」と小躍りし、ドキドキしながら封を開ける。あのときめきは、わたしの少女時代から青春時代のごちそうだった。

毎年12月の初めにドイツから届くプレゼントの小包で、クリスマスの季節が近づいてくるのを知る。だけど、去年は恒例の小包が来ないうちにクリスマスを過ぎ、年を越してしまった。毎年大いに遅刻するわたしからのプレゼントは年明けにドイツに到着したらしく、「ダンケ・シェーン」連発の礼状が届いたのだが、そこには「わたしからのプレゼントも届いた?」と綴られている。どうやらアンネットは例年通りプレゼントを発送していて、とっくにマサコに届いているはずなのに、礼を言って来ないのでおかしいぞと思っている様子。途中で荷物が迷子になったのだろうか、と心配になっていたら、今日到着。どこで寄り道していたんだろう。正月気分が抜けたと思ったらクリスマスが来たようで、これはこれでうれしい。包み紙をひとつずつ解き、プレゼントと対面。チョコレートやキャンドルにまじってベビー服がいろいろ。明るいピンクとイエローの色使いが楽しい。

出会った中学生の頃、互いが親になる頃までやりとりが続くなんて想像していなかったけれど、数えてみたら25回目のクリスマス、もう四半世紀が過ぎていたのだ。文通10周年のときにアンネットへの手紙という形で書いた作文が「夢の旅」を募集するコンクールで入賞した。その中でわたしはアンネットと互いの国を行き来する形で再会する夢を綴った。その後、わたしはドイツのアンネットを二度訪ねたけれど、アンネットはまだ日本に来たことがないので、夢は片道だけ実現したことになる。いつか日本への旅行を贈らなきゃ、とクリスマスプレゼントが届くたびに夢のもう片方を思い出す。

>>>いまいまさこカフェ言葉集 「再会旅行」

2006年01月26日(木)  李秀賢君を偲ぶ会と映画『あなたを忘れない』
2002年01月26日(土)  オヨヨ城


2007年01月25日(木)  ラジオドラマを作りましょう

自分のサイト(いまいまさこカフェ)を持っていて便利だなあと思うのは、わたしのことを見つけてもらいやすいこと。何年も連絡の取れなかった同級生、名刺交換したきりの映画関係者、パーティで盛り上がったきりの人などが名前で検索して探し出してくれる。会ったことない人のアンテナに引っかかって声をかけてもらうこともある。

昨年末、静岡の上村さんという方からメールをもらった。一時期わたしと同じ広告会社で働いていたことがあるが、面識はないという。会社にいたのもわたしが脚本家デビューする前だけど、宣伝会議賞という広告コピーの賞を取ったことを覚えていて、その後『ブレーン・ストーミング・ティーン』も読んでいる。さらに、今の会社でラジオ局に交通事故撲滅の標語を提案しようと思ってネット検索をしたら、はるか昔、学生時代のわたしが書いて入賞した標語(交通事故多発のため涙が不足しております。涙の節約にご協力してください)を見つけた。そういうわけで、今回ラジオ局にミニ枠ドラマを売り込もうと思い立ったときに「そういえば」と再度思い出し、連絡をくれたという次第だった。こういう「縁がありますねえ」という出会いは、いい形で作品につながる予感を秘めている。直接話したほうがいいですから東京へ行きますよと言ってくれ、今日会うことになった。

昨日はプロフィールをまとめたり、これまで手がけたラジオドラマをダビングしたり。こういうことやるのもひさぶりだなあと新鮮な気持ちになりながら、ちゃんと録音できているか確認しつつ、何年も前に書いた作品を聴く。じっと耳を傾けなくては取り残されてしまうラジオの時間は濃密で深く、ひとつひとつの言葉の浸透度が高い。ラジオに耳を澄ますことは心を澄ますことだと思う。脚本家デビューのきっかけになった『雪だるまの詩』を書いたのは98年だったっけ。主人公は三十才手前の若い夫婦で、夫は医療ミスによる後遺症で記憶の蓄積ができない。生まれた子どもの顔も覚えられないわけだから、夫は子どもを持つことを恐れる。この作品を書いたとき、わたしは結婚もしていなかったのだけど、夫もいて、子どもまでいる今あらためて聴くと、気丈に夫を支える妻の痛みがひりひりと伝わって、放送当時よりも涙を誘われた。「最初に書くものが、いちばん訴えたいもの」と言われたりするが、「生きるとは、出会った人の中に思い出を残すこと」というメッセージは、今もわたしが強く感じていることだ。

「昨日聴き返して、ラジオ書きたい気分が高まっているんですよ」「じゃあぜひやりましょう」と上村さんとの顔合わせは、アイデア出しに発展し、早速企画書をまとめて提案しましょうとなる。ラジオはNHKしかやったことがないけれど、民放の場合はスポンサーを探さなくてはならない。先は長いけれど、最初の一歩はいい感じ。こんな風に真っ白な状態で企画について好き勝手に言っているときは、いちばん気楽で楽しい。打ち合わせ場所は丸の内丸善のビルOAZO1階のタント・マリー。カマンベールチーズケーキ人気の火付け役になった店らしい。「フルムタンベール」というブルーチーズのチーズケーキを初めて食べたのだけど、これまた前途を祝福するような絶品だった。

2004年01月25日(日)  サンタさん17年ぶりの入浴
2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統


2007年01月24日(水)  マタニティオレンジ64 離乳食教室

税金の元を取るチャンスとばかり、区の広報で見つけた離乳食教室に申し込んで参加した。昨年8月に生まれた赤ちゃん8人とそのママがテーブルを囲み、栄養士さんの説明を聞きながら、用意された離乳食を試食。妊娠中に受けたマタニティクッキング教室は調理実習形式だったが、今回は赤ちゃんを抱いているので、受身の形。まずは、野菜をコトコト煮たスープを試食(試飲?)。調味料を一切使わない、やさしいうまみだけが舌に広がる。いろんな種類の野菜を使うほど、味に奥行きが出ます、と栄養士さん。昆布だしや鰹だしの味も同様に素材で勝負。甘みと辛味は生きるのに必要な味なので放っておいても覚えてくれるが、苦味や酸味といった複雑な味は教えてあげる必要があるらしい。最初にあまり甘すぎるものや辛すぎるものを与えると、刺激のないものをおいしいと思えなくなり、味覚が鈍感になってしまう恐れがあるという。人生の楽しみの半分は食事にある、というぐらい食べることが好きなわたしは、微妙で繊細な味の違いのわかる子に育てたいと思っている。

続いて、おかゆを試食。米粒は各自スプーンですりつぶす。離乳食初期のゴックン期はヨーグルト状と言われるぐらいドロドロにしたほうがいいとのこと。粒が大きいものを平気で食べても、丸飲みしているだけの場合がある。飲み込ませるのではなく、食べさせることが大切。スプーンを上あごに押し付けるのではなく、下唇の上にのせて、赤ちゃんが舌を動かすのを待ちましょう、と栄養士さん。

野菜スープを取った野菜をすりつぶして、野菜のマッシュを作る。代表格はポテトだけど、今日はかぼちゃのマッシュ作り。一人ひとかけら配られたかぼちゃをスプーンでつぶす。固いようなら野菜スープでのばしてもいい。離乳食を始めてひと月ぐらいしたら、タンパク質を足していく。豆腐や白身魚がよく使われるが、きな粉でもいいんですよとアドバイス。かぼちゃにきな粉をかけたら、あらこおばしくて食欲がそそられる。すりごまをかけてもおいしいかもと思ったが、ごまは油分が多いので、離乳食初期はひかえましょうとのこと。

合間に裏技やアドバイスが紹介される。始めるときの時間帯は朝が良い(日中のほうが消化がいいし、アレルギーなど何かあったときに医者に診せやすい)。メニューは毎日変える必要はなく、同じものを何日か続けて良い。ドロドロのものから粒々のものに上げるタイミングの目安は、赤ちゃんが舌を前後ではなく左右に動かせるようになること。りんご果汁はすりおろしたのを茶漉しで漉して2〜3倍に薄める。おかゆは炊飯器におかゆ用の小さな耐熱容器を入れて(米に対して水7〜8倍)大人用のごはんと一緒に炊く。キャベツなどの葉っぱはスープから取り出してくるくる巻いてスティック状に凍らせ、おろし金で下ろすと細かくしやすい。片栗粉やコーンスターチでとろみをつけると入りやすい。味噌は底に沈むので、味噌汁のうわずみは早い段階からあげられる、などなど。赤ちゃんたちもあまりぐずらず、神妙に聞いていた。

最後に、離乳食と一緒に作って手間を省ける大人用メニューということで、キャベツとワカメとプチトマトの胡麻和えとポテトサラダを試食。どちらも野菜スープで使う野菜を活用。授乳中はいいおっぱいを出そうとして母親も食事に気を遣うので、断乳・卒乳した途端体調を悪くする人が多い、という話は興味深い。

「離乳食は5か月頃から」というのが一般的なようだけど、わたしが出産した助産院では「なるべく遅らせて。少なくとも6か月以降」という方針。赤ちゃんの胃腸は未発達だからというのがその理由。離乳食は一度始めたらずっと続けなくちゃいけないし、わたしもできることなら引き伸ばしたい。だけど、遅らせすぎると好き嫌いする子になるという話も聞くし、大人が食べるのを見て欲しがったら始めようと思う。今のところ、たまは何となく欲しそうではあるけれど、まだおっぱいがあれば幸せという感じ。

2004年01月24日(土)  映画『LAST SAMURAI』
2002年01月24日(木)  主婦モード


2007年01月23日(火)  マタニティオレンジ63 晴れた日の小石川界隈散歩

天気が悪いと出不精になり、天気がいいと家の日当たりがいいのをこれ幸いと絨毯のひだまりで一日過ごす。外出する理由がないとついつい引きこもってしまい、二日三日家から一歩も出ないこともある。一才を過ぎて歩きだすようになると散歩をせがむようになるらしいが、五か月のたまは家でゴロゴロしていてもごきげんだ。でも、心地よい刺激は与えてあげたほうがいいんだろうなあと思う。外に出れば風に当たり、野良猫に出くわし、道行く人に声をかけられ、ベビーカーやだっこの赤ちゃんとすれ違う。歩いているだけでも、赤ちゃんにはちょっとした冒険気分を味わえる。

今日は目覚めたときから気持ちいい日射し。こりゃお散歩日和だわとご近所のキョウコちゃんと1才5か月のまゆたんをお誘いし、ベビーカーでお出かけする。せっかくだから小石川植物園に行こうか、と歩きながら話はまとまり、だったらついでにタンタローバでお昼はどう、賛成、となる。植物園へはベビーカーを押しながら歩いて三十分ほど、そこからさらに十分ほど歩いた播磨坂という雰囲気のある坂の上にわたしたちのお気に入りのトラットリアがある。

植物園は趣味の写真撮影にいそしむ中高年の方々やベビーカーを押したママやバアバがちらほら。桜の時期には混みあうが、今は花が咲いていない季節なので、わたしたちが目指した日本庭園の辺りは貸しきり状態になっていた。自分の足で歩くのが楽しくてしょうがないまゆたんは、ベビーカーから下ろしてと訴え、降りるとずんずんと小高い丘を登っていく。カモが泳ぐ池の上をサギ(?)やスズメ(?)が飛び交い、木立ではカラスと猫がのどかに遊んでいる。実に平和。入場料は330円だけど、年間パスポートってないのかな、と言うと、三万円で永久会員になれるらしいよ、とキョウコちゃん。元取るのは難しいかなあ、もっと近所だったらいいよねえ、などとわたしたちの会話ものんびり。(後で調べてみると、「小石川植物園後援会」なるものがあり、その終身会費が3万円らしい。会員になると無料で入園できるということだろうか)

まわりに誰もいないので、ベンチで授乳。人目をはばかる必要がないときも、授乳ケープはあったかいので便利。まゆたんは遊び疲れて、たまはおなかが膨れて、二人の姫たちはすやすや眠ってしまう。母たちがゆっくり食事できるようにという粋なはからい、ありがたく頂戴する。一時過ぎのタンタローバはランチタイムの混雑が一段落し、ベビーカーのスペースを空けてもらえる。味のレベルはかなり高いのだけれど子連れには敷居の低い、ありがたいお店。

出産前に行ったきりだったけれど、ひさしぶりに食べてみて、あらためてその実力に感服。前菜、パスタ、メインを豪快に盛ったひと皿にデザートとコーヒーがついて1500円。メインはあじさい鳥のソテー。パスタは渡り蟹とタコのトマトソース。どっしりしたソーセージ、カプレーぜ、オムレツ、生ハム、魚介のマリネなどなど、あれもこれも欲張りたいわたしを黙らせる品数。火の通し具合といい味付けといい、ひとつひとつが絶妙に仕上げられ、ガツンとおいしいイタリアン。とくに最近は、置くとぐずるたまを脇に抱きかかえながら食事することが多く、ゆっくり味わって食事するひまがなかったので、この時間は貴重だわあとキョウコちゃんとしみじみ感激する。「食事って、舌での滞在時間が大事なんだよね」とキョウコちゃん。舌をするっと通り抜けて胃に流し込むだけでは、味わったことにはならない。滞在時間が短いと何も残らないのは旅行と同じ。

タンタローバから播磨坂を少し下ったところには、マリアージュというパティスリーがある。ここはケーキの見映えも味もパッケージもセンスがよくて、近所にあったら自宅用におつかい用にと毎日でも買いに行きたいお店。お茶請けのシュークリームと明日のパンを買う。

帰り道は大回りして、白山に昨年オープンしたイタリアンのVolo Cosiを見て行く。うまい、すばらしい、最高、とあちこちから絶賛の声を聞き、とても気になるお店。予約を取りにくい店になっているという。ここは子連れは難しいかなあ。住宅街に注ぐ日射しは三時を過ぎてもあたたかく、ベビーカーのほどよい揺れも手伝って、たまは眠り続け、帰宅してからもすやすや。泣き鬼のいぬ間にティータイム。マリアージュのシュークリームはしばらく余韻に浸ってしまうほどおいしかった。

2006年01月23日(月)  いまいまさこカフェブログOPEN
2005年01月23日(日)  中国禅密気功の師曰く
2004年01月23日(金)  今日はシナリオの日
2002年01月23日(水)  ラッキーピエロ


2007年01月22日(月)  「気持ちはわかる」間違い集

娘のたまは今日で5か月。ダンナが「そろそろ流動食だねえ」と言い出した。確かに似ているが、離乳食だよ。流動食はまだ始めたくない。でも、気持ちはわかる。彼の頭の中で何かが起きているのか、先日は「コーヒー豆のミケランジェロ」と言っていた。キリマンジャロとミケランジェロ。後半4文字が酷似しているし、これも気持ちはわかる。

「最近ニフティに入った」と言う友人。なんでわざわざプロバイダー名を告げるのかなと思ったら、ミクシィだった。わたしも「すだれをひょいと上げて、居酒屋に入ったら……」。よく考えたら、すだれじゃなくて暖簾だ。気持ちはわかる間違いというのはそこらじゅうにあふれているけど、「ほんとはこう言いたいんだよね」と察して、みんなやさしく流しあっている。

ご近所仲間のT氏が上野広小路にあるABABのエレベーターで仕入れた面白い画像を送ってくれた。「ABABは従業員に優しいお店です」のコメントつき。T氏は一人しか乗っていないエレベーターの中で爆笑したが、わたしも画像を見た瞬間大笑い。これも気持ちはわかるけど、誰も突っ込まないのだろうか。プレートを作った人、受け取った人、取り付けた人、毎日乗り降りしている人、皆がやさしく流している結果、このプレートが生き残っているのだとしたら、すごい。

VOW本(『宝島』の名物投稿コーナーの内容をまとめた『VOW王国 ニッポンの誤植』など)を愛読するわたしは、ここまで堂々とやってくれると「あっぱれ!」とうれしくなってしまうのだが、ダンナは「どうして放置してるんだろうね」と首を傾げる。わたしの日記に誤植を見つけては「物書きとしての品位を疑う」と厳しく指摘する人なので、間違いを見ると正したくなるのだろう。ちなみにわたしは「ABAB」を「エービーエービー」と読んで、「アブアブだよ」と速攻で訂正された(「流動食」のくせに!)。そういえば、昔日記で紹介した「ローマの一番よい三流のホテル」は、その突っ込みどころ満載な日本語訳ゆえに興味をそそられたのだが、当のHOTEL TURNER ROMEとしてはお茶目路線を狙っていたわけではないらしく、愛すべき日本語サイトは現在閉鎖されてしまっている。

気持ちはわかる間違い、わたしは大好きなので、過去の日記にもたびたび登場。
2004年10月06日(水)  ローマの一番よい三流のホテル
2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』
2004年5月26日(水) ニヤニヤ本『言いまつがい』
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会

2006年01月22日(日)  センター入試・英語に挑戦
2005年01月22日(土)  変わらない毎日。変わらない大統領。
2002年01月22日(火)  夢

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