2007年01月10日(水)  マタニティオレンジ57 鏡っ子たまちゃんとダスキンちゃん

生後141日目の娘のたまと、新年初ベビービクス。スタジオの正面の壁は鏡張りになっているのだが、この鏡を見せるのが楽しみだった。たまは2か月半頃から鏡に興味を示しはじめ、3か月を過ぎると、鏡の中の自分に笑いかけるようになった。4か月半の今では、鏡に向かって「オウ」「アウ」と大きな身振りを交えて話しかける。鏡に映っているのが自分であるのか、別な赤ちゃんだと思っているのか、たまの頭の中はうかがい知れないけれど、わたしは「鏡っ子たまちゃん」と名づけ、出かける前に「鏡っ子たまちゃん、行ってきまーす。お留守番よろしくねー」と声をかけたり、外出先では「おや、鏡っ子たまちゃん、ここにもいるねー」と話しかけたりしている。鏡の中に住む、たまそっくりな女の子という設定。たまを抱いて百面相している鏡の中のママが面白くて笑っているのではという気もするが、一人で鏡の前に置いても、じーっと見入っている。その間に、ささっとお皿を洗ったり掃除機をかけたりできるので、鏡っ子たまちゃんはベビーシッターになる。

年末辺りから、スフィンクスのポーズで鏡に向き合わせると、肘を突き出し、鏡っ子たまちゃんに向かってハイハイの真似事を始めるようになった。少しでもお近づきになりたいという気持ちの表れだろうか。気持ちは前へ進んでいるけれど、手足の動きが伴わず、おなかを軸にして時計回りに回転する。だいたい十二時から三時までの90度ぐらいで力尽きるが、滑りがいいときは六時、九時と大きく回る。フローリングの床にこすりつけたおなかで拭き掃除をしてくれるので「ダスキンちゃん」と呼んでいるが、よだれがボタボタ落ちる後を追いかけて床を拭いているわたしも「ダスキンさん」になる。腕の支える力や足のけり出す力がつき、タイミングが合うようになると、ハイハイになるのだろう。おしりを落とし、おなかを床にこすりつけてのハイハイを「ズリバイ」、おしりを上げてのハイハイを「高バイ」と呼ぶらしい。

ハイハイを始めると見張っておくのが大変、「じっとしてた頃に戻りたいわ〜」となるらしいが、早く見てみたい気もする。まさに、「這えば立て、立てば歩めの親ごころ」(と昔から言うらしい)。大きな鏡だったら鏡っ子たまちゃんの吸引力も増すだろうか、というわけでベビービクスのスタジオの鏡に期待したのだった。ところが、鏡の前のたまはキョロキョロするものの鏡に向かって進もうとする気配なし。鏡が大きすぎて、他の赤ちゃんやママやいろんなものが映り込んでいるので、鏡っ子たまちゃんに集中できない様子だった。

2005年01月10日(月)  オペラシアターこんにゃく座『森は生きている』
2004年01月10日(土)  ラブリー「ニモ」!


2007年01月09日(火)  マタニティオレンジ56 男の人が歌う子守歌

出産祝いにとCDが贈られてきた。宮本益光さんというバリトン歌手が歌う子守歌を集めた『おやすみ』。「どうして男の歌手が日本語で歌った子守歌のCDがないのだろう」とギモンに思ったジャーナリストの江川紹子さんが「子守歌は子どもが歌う最初の音楽。だから本物を」と美しい曲ときれいな日本語と最高の演奏にこだわり、企画を実現させたのだという。名前は存じ上げていたものの江川さんの著作にはまだ触れたことがなかったが、ジャーナリストに要求される粘り強さや度胸や行動力が一枚のCDに結実し、子どもを授かったわたしの元に美しい贈り物となって姿を現した。

18曲の子守歌のうち、松本隆さんが日本語詞をつけたものが8曲。吟味された言葉がシューベルトやブラームスやドヴォルザークの調べにしっくりとしっとりと寄り添い、耳に心地よい。けれど、子どもに合わせた甘い味付けにはなっていないのが松本隆流。「愛はいつでもさすらうもの 一人から また別の人に」(『おやすみ』 作曲:シューベルト)、「誘惑と戦ったの 死ぬほど苦しんで」(『夢』 作曲:トスティ)といった歌詞が子守歌には斬新。『ねむの木の子守歌』は「作詞:皇后陛下」とあり、「高校時代のお作詞」だという。宮本益光さんの伸びやかな歌声に身をまかせ、言葉のひとつひとつを味わっていると、とても気持ちがいい。メロディと言葉が響きあい、ゆっくりと指先まで体をあたためてくれる。

「子どもはもちろん、大人たちの一日の締めくくりにも、ぴったりだと思う」と江川さんは記されているが、眠りにつく前に聞いていると、疲れが癒され、いい夢が見られそうな気持ちになる。一日中寝たり起きたりが仕事の赤ちゃんよりも、安らかで穏やかな眠りを求めているのは、お母さんのほうだったりする。子守歌を耳元で囁いて労ってくれるような気のきいたダンナさんはなかなかいないから、そういう意味でも男の人が歌う子守歌CDは重宝がられるかもしれない。お母さんがゆったりした気持ちになって体と心を休めることができたら、おいしい母乳が出て、それを飲んだ赤ちゃんはすやすやと眠れて、そのおかげでお母さんも安心して眠れる。

2004年01月09日(金)  ヨシミン(井野上豊)
2002年01月09日(水)  見えなかったB


2007年01月08日(月)  マタニティオレンジ55 ランドセルの紳士

娘のたまを抱いて自宅のマンションに帰宅すると、ランドセルを背負った男の子がインターホンを押し、「僕です」と家の人に言って玄関のオートロックを解除してもらっていた。開けたドアの向こうにいったん消えた男の子が、すぐに舞い戻ってくる。落し物でもしたのかなと思っていると、ドアをいっぱいまで開けて「どうぞ」と近づいてくるわたしを待つ。赤ちゃんを連れた住人が後ろから来るのに気づいて、咄嗟に引き返した様子。そうすることが当たり前というような迷いのない行動に惚れ惚れしてしまった。「困っている人を見かけたら手を貸しましょう」と日頃から教えられて身についているのだろうか。今度お母さんと一緒のところを見かけたら、息子さんの紳士ぶりを伝えたいと思う。そんな風にお母さんのことに思いを馳せるようになったのは、出産を体験してからの大きな変化のひとつ。

大丈夫ですか。気をつけてください。どうぞ。エレベーターの乗り降り、電車の中でもたくさんの人が気遣い、声をかけ、場所を譲ってくれる。親切や善意はいつでも取り出せるところに用意してあって、それを差し出す相手とタイミングを待っているだけなのだと気づかされる。妊婦や赤ちゃん連れというわかりやすい対象を見つけると、こぼれた水にハンカチが差し出されるように、さっとさりげなく手が差し伸べられる。以前は電車で席を譲られると、遠慮して「いいです」と断ってしまっていたのだが、そうすると相手は引っ込みがつかなくなった善意を持て余し、居心地が悪くなってしまう。だから最近はありがたく甘えさせてもらい、相手が先に電車を降りるときもこちらが先に降りるときも、あらためてお礼を言う。親切を受ける側の身のこなしも、慣れてくると、自然でスマートになる。

2006年01月08日(日)  『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』放送
2003年01月08日(水)  ベトナム料理
2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2007年01月07日(日)  蓬莱の豚まん 日本一世界一551

大阪に帰る楽しみのひとつが551蓬莱の豚まん。ふっくらもちもちの厚めの皮と重量感のある中華あんの組み合わせが絶妙。物心ついた頃から慣れ親しんだ味だけれど、直営店で手作りの出来立てを販売することにこだわり、大阪を中心にした関西圏外へは進出していない。家族や友人が上京する際のお土産にリクエストしては大量に買ってきてもらったのをラップに包んで冷凍し、一個ずつ蒸しては食べているのだけれど、ストックを食べ果たし、血中551濃度が下がってきた頃の帰省。降り立った伊丹空港のお店の行列に思わず並びそうになった。

実家に帰ると、電話でのリクエストに応えて母親が買っておいてあった。最寄駅前の泉北高島屋の地下にお店が入っている。3日に2個、4日に1個、5日にまた買いに行って2個、6日に1個。「よく毎日食べて飽きないねえ」と東京育ちのダンナが呆れるが、いくつ食べても幸せになれる。140円でこれだけ満たされる物を他に思いつかない。6日の夕方に中学校の同級生のハルちゃんが遊びに来ている間に、父がまた高島屋に出向いて東京への持ち帰り用を買ってきてくれた。「わたしも買ってこよかと思ったけど、かぶるかなあと思ってやめてん」と言うハルちゃんは、去年のバレンタインデーに限定販売のハート豚まんを送ってくれた。

難波の蓬莱本店の歳末くじで両親が当てたという「551いろはかるた」が実家に転がっていた。
【い】てるかな? ガラスの向こうで つくるひと
【ろ】んよりうまいチャーシューまん
【ば】れんたいん ハート豚まんで 彼ゲット
といった具合。よくもまあ自分とこの宣伝でいろは四十七文字分作ったもんだなあと感心するが、551好きには共感できるものが多く、ついニンマリしてしまう。
【お】みやげは おおさかめいぶつ 551
うん、これはわたしのことだ。
【ほ】うらいの豚まん 日本一世界一551
世界一は言いすぎ、と思わず突込みを入れるわたしも、「地球上でいちばん好きな食べ物は?」と聞かれたら、迷いなく「551の豚まん」と答えてしまう。551好きが遺伝したのか、生後4か月の娘・たまはお店のガラス越しに豚まんを丸める店員さんたちに釘付け。気づいた店員さんたちが面白がって豚まんをガラスに近づけて、鈴を振るようにぶらぶらさせて遊んでくれる。「買いましたよ〜」とガラスのこちら側で赤い紙袋を持ち上げて見せた。一年後には一緒に食べられるようになるのかな。

湯気の立つ豚まんを紙袋のまま持ち帰ったら、帰りの飛行機の中に豚まんのにおいが充満してしまった。父や母が上京するときはビニールで厳重に梱包してにおい封じをしていたけれど、友人たちは新幹線の駅や空港で買ってすぐ乗り込んでやってきていた。道中でにおいを撒き散らしてしまい、肩身の狭い思いをしたかもしれない。ごめんなさい。

2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱

2002年01月07日(月)  カレーライフ


2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面

今回の帰省の目玉は、娘のたまといとこ達との初対面。まずは三日にダンナの弟夫妻のところのハル君と顔合わせ。1才9か月になるハル君は、去年のゴールデンウィークぶりのわたしとダンナに慣れないのか、最初はもじもじ。一方、人見知りが始まっていないたまは、一目で美男子の従兄が気に入った様子。「大好き」光線を出して手を広げ、しなだれかかるようにハル君にぺたっと張り付き、ハル君がひしと抱きとめて、熱い抱擁となった。「わあ、しっかり抱きあってる!」と二組のパパママは大興奮。

慣れてくると、ハル君は余裕が出てきて、ママ仕込みの「チュー」を披露。ぎりぎりまで顔を近づけてから唇を突き出し、チュッというさりげなく爽やかなキス。スプーンの扱いもまだ覚束ないのにキスの腕前は大人顔負けというギャップが面白い。じいじやパパの粘っこいチュー攻撃には食傷気味のたまも、ハル君のキスにはうっとりご満悦。ハル君も受けているのがうれしいのか、たまのことを気に入ってくれたのか、チューを連発。いとこ同士なのに禁断の恋に落ちてしまうのでは、といらぬ心配をしてしまうほど、いい感じの二人になって、初めてのいとこ対面は大成功。

今日はわたしの妹・純子の一家が会いに来る。4才になるシュンスケ君と1才七か月になるトモヨちゃん。シュンスケ君は会う前から「雅子んとこのたまちゃん」に会うのを楽しみにしていてくれたのだけど、いざ目の前にすると恥ずかしいのか隠れてしまう。トモヨちゃんはママを取られまいと必死。純子がたまを抱き上げると、不満を露にし、たまを睨みつける。女の子同士のライバル心もあるのか、たまもトモヨちゃんには警戒モード。ハル君にはあんなに愛想をふりまいていたくせに。わたしと純子も仲のいい姉妹というよりは、喧嘩の絶えないライバルだったけれど、その関係がたまとトモヨちゃんにも受け継がれるのか。別れ際には少し打ち解けて、ぎこちないながらも無事抱き合ってくれてひと安心。

きょうだいと友人の間のような、いとこという存在。子どもの頃、年に何度か親戚同士で集まる機会にいとこと再会できるのが、とても楽しみだった。たまといとこ達も次に会うのが待ち遠しくなるような関係になってくれたらうれしい。

2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2007年01月05日(金)  佳夏のお墓参り

隣の家に住んでいた幼なじみの寺岡佳夏が2004年春に亡くなって、間もなく三年。彼女が最期の数年を研究で過ごした地ベルリンには、四季の花が植わっているお墓があるが、故郷の大阪にも昨年春にご両親がお墓を建てた。子どもの頃によく遊びに行ったサイクルスポーツセンターのすぐ近く、金剛の山並みを望む高台に立つお墓には、ひまわりの絵が刻まれている。8月生まれの佳夏を太陽やひまわりに例える人は多い。豪快にお酒を飲んだ彼女が天国でも喉を潤せるように、気を利かせた誰かからお酒を差し入れしてある。よく見ると、花を活ける器もビアマグだ。一緒にお酒を飲む機会はあまりなくて、わたしには佳夏=酒豪のイメージはなかった。知らんかったわ、あんた、お酒強かってんなあ。

佳夏のことを日記に書いたのを見つけて、彼女と交流のあった人たちからときどき連絡が舞い込む。いずれも訃報を聞きつけて驚き、情報を求めているうちにわたしの日記にたどり着いた方々だった。自分の知る佳夏がいかに魅力的な人物で、自分に多大な影響を与えたかを、会ったこともないわたしに語り聞かせてくれたことも共通していた。日本一おしゃべりな幼なじみの佳夏には、出会った人をも多弁にしてしまう力があった。わたしには初めて聞くエピソード、わたしの知らない佳夏を教えられ、死んでしまってから出会い直すような不思議な感覚を味わった。「あんなにすばらしい女性に会ったことはない」と言う男性もいれば、「彼女に生きる力をもらった」と言う女性もいた。そんな佳夏と子ども時代にこれでもかというぐらい遊べたことを幸せに思いつつ、大人になってからをもっと知りたかったわ、お酒も一緒に飲みたかったわとひまわりの石に語りかける。

誰よりも生命力にあふれていた佳夏がわたしより先にいなくなることは、まったく予想外だった。それから二年して、佳夏と同じ夏生まれの女の子を授かることもまた想像していなかった。ほんま、子どもを抱いてあんたのお墓参りするとは思わんかったわ。相変わらず、佳夏が死んでしまったことに涙はこぼれない。涙のかわりに、ひまわりの石に桶いっぱいの水をかけた。

2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

2005年01月05日(水)  英国旅行10日目 オクトパスと三越とママの会とフレンチ
2002年01月05日(土)  知ってるつもり


2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会

娘のたまを連れての初めての里帰りは、堺の実家に昨日から三泊して六日に東京に帰る日程。昨日はダンナの弟一家に会い、その近所に住む友人と夕方から会った。大移動の上にはじめて会う人ばかりで興奮し、さらにお風呂も布団もいつもなじんでいるものとは違って落ち着かないのか、夜になってたまは珍しく大泣き。寝付くまでに三十分ほど泣き続けた。大人ペースで予定を入れてしまうと、大人以上に疲れやすくて繊細な赤ちゃんは参ってしまう。反省。と言いつつ、今日は昼の部と夕方の部で友人が遊びに来たのだが、たまは一晩寝て大阪の家の雰囲気に慣れたのか、しっかり昼寝をしてくれて、昨日のようにぐずることはなかった。

昼は広告会社時代にコピーライターとデザイナーで組んで仕事をしていたミキがダンナのサクちゃんと7才の息子のコウヘイ君と遊びに来る。ミキはわたしが会社勤めをした十余年でいちばん親しくなった友人で、週末も一緒に遊んでいたので、一週間に十食ぐらいを共にしていた。サクちゃんは、わたしの大学の応援団の同期。ミキの家に泊まった翌日にサクちゃんと応援団仲間の芝居を観に行く約束をしていて、予定がないなら一緒に来る?とミキを連れて行ったら二人が意気投合したのだった。学生時代の男友達と社会人時代の女友達が結婚して、二人を足して二で割ったような顔の男の子がいるというのは、なんとも不思議な感じ。ポーカーフェイスでクールな印象のサクちゃんがたまをあやす姿も学生時代には想像もつかなかったことで、時の流れはいろんなことを変えるなあとしみじみする。

夕方からは中学校時代のソフトボール部で一緒だったヨシキョー、タカ、オカサンが遊びに来る、ヨシキョーは小学6年生の女の子、4年生の男の子、昨年8月に生まれたリュウセイ君を連れて登場。リュウセイ君はたまに興味しんしんで、小さな手を伸ばし、積極的にアプローチ。たまは相手にされないときは「構ってくれ光線」を発するのに、言い寄られる立場になると、そっぽを向いて指を吸ったりして高飛車な態度。「オウ、オウ」と呼びかけるリュウセイ君は、「なんだよー、その態度」と訴えているようにも見える。そんな0歳児を並べて眺めながら、「親子で同級生っておもろいねえ」と話す。子連れで昔話に花を咲かせている未来の自分なんて、中学生の頃は想像もしなかった。たまはどんな中学生になって、何部に入って、どんな友達と出会うんだろう。振り返りたくなるような日々になるといいなと思う。

2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド


2007年01月03日(水)  マタニティオレンジ52 飛行機で大阪へ

実家の大阪へ娘のたまを連れて初めての里帰り。さて新幹線にしようか、飛行機にしようか。赤ちゃん連れだと地面を走っているほうが安心な気もするけど、先日新幹線で東京と大阪を往復したママが「二時間半は長かった。ぐずる子どもを抱いて一両目から歩き続けたわ」と言うのを聞き、飛行機に決定。飛行機ならぐずっても一時間の我慢。特割で買えたので、料金も新幹線とほぼ同じ。赤ちゃん同伴と告げると、行きは中央四列席の通路側の二席、帰りは窓側二列席を用意してくれる。

飛行機の選択は正解。羽田空港の出発ロビーにも伊丹空港の到着ロビーにもベビー休憩室があり、おむつ替えと授乳ができて大助かり。羽田空港内には14か所の授乳室があるそう。授乳はいざとなれば機内でもできないことはないけれど、これだけ充実しているのはありがたい。ANAの機内誌によると、トイレでおむつ替えができる機種も導入されているとのこと。

離陸のときの耳ツーンや上空での揺れ、着陸のときの振動でぐずるのではと心配したけれど、たまは初体験の機内の雰囲気に怖さよりも物珍しさを感じた様子。もらったおもちゃのリストバンドを噛み噛みしながら、ごきげんだった。ずっと同じ姿勢で飽きたのか、着陸二十分前頃からぐずぐず言いはじめたが、高い高いなどをして気を紛らわせる。高い高いが大好きなたま、本当に空を飛ぶのも楽しかったのかもしれない。

2005年01月03日(月)  英国旅行8日目 妻・母・長女の家と財布とシーザー
2004年01月03日(土)  庚申塚の猿田彦神社
2002年01月03日(木)  留守番


2007年01月02日(火)  新年の掘り出し物『クリスマスの笑顔』

去年のクリスマスの頃、「あれはどこにしまったっけ」と古いファイルの掘り出し大会をやった。あれというのはずいぶん前に見つけた「クリスマスの笑顔」について書かれた英語の詩。コピーライター時代に「Smile」に関する言葉を集める作業の中で見つけたもので、とても気に入ったので出典を調べたところ、何十年も前にニューヨークの老舗デパートが出したクリスマス広告のコピーらしいことがわかった。原文をファイルにしまっておいたはずなのだが見つからず、そのままクリスマスは終わり、年を越した。

昨日いまいまさこカフェに「2002年6月25日の日記に書かれているSnuggleという詩をホームページで紹介したい」と書き込みがあった。自分でも忘れていたのだけれど、留学時代のホストマザーから送られた詩に訳をつけて紹介していたのだった。

日記を掘り返してみると、他にもFriends(何日かに分けて紹介)、HEAVEN'S VERY SPECIAL CHILD(天国の特別な子ども)、If I had my child to raise over again(もしも、もう一度子育てができるなら)といった英語詩に再会する。

それで、懸案のSmileの詩を思い出し、発掘作業を再開。無事、"The Value of a Smile at Christmas "を掘り出すことができた。出典はDale Carnegieの本"How To Win Friends Influence People"となっているが、カーネギーさんはこの詩を掲載した本の著者で、コピーライターは別だろうか。広告といえば「うちの店員は笑顔が自慢」という直球アプローチになりがちだが、普遍的な笑顔のすばらしさ(わが子の笑顔に癒される今、とくに共感)を説いた上でお客様の笑顔を持ち上げるコピーワークが秀逸。

2006年から持ち越した宿題を仕上げるきっかけをくれた大阪の英語教師・小沢先生に感謝。偶然わたしの日記にたどり着かれたようだが、わたしの弟の勤務する高校の先生という面白いめぐりあわせに、思わずスマイル。

The Value of a Smile at Christmas

It costs nothing, but creates much.
It enriches those who receive, without impoverishing those who give.
It happens in a flash and the memory of it sometimes lasts forever.

None are so rich they can get along without it,
and none are so poor but are richer for its benefits.
It creates happiness in the home, fosters good will in a business,
and is the countersign of friends.
It is rest to the weary, daylight to the discouraged, sunshine to the sad, and Nature's best antidote for trouble.

Yet it cannot be bought, begged, borrowed, or stolen,
for it is something that is no earthly good to anybody till it is given away.
And if in the last-minute rush of Christmas buying some of our salespeople should be too tired to give you a smile,
may we ask you to leave one of yours?
For nobody needs a smile so much as those who have none left to give!

価値あるクリスマスの笑顔

元手はかからないけれど、もたらすものは大きい。
受け取った者は豊かになるけれど、与えた者は損をしない。
一瞬の出来事だけれど、いつまでも記憶に残ることもある。

どんなに金持ちでも、これがなければ生きていけない。
どんなに貧しくても、これがあれば豊かになれる。
家庭には幸福をもたらし、ビジネスでは善意を育み、
友達同士の合言葉になる。
疲れた者には安らぎとなり、落ち込んだ者には光となり、
悲しむ者には太陽に、悩める者には何より効く天然の解毒剤になる。
けれど、お金では買えない、無理強いもできない、
借りることも盗むこともできない。
それは、差し出されてこそ価値があるものだから。

クリスマスセールの追い込みで疲れきった店員のなかに
笑顔を忘れた者がおりましたら、
恐れ入りますが、お客様の笑顔を頂戴したく思います。
笑顔を使い果たした者ほど、笑顔を求めているのですから。

From Dale Carnegie's book: "How To Win Friends Influence People"
訳:今井雅子

2005年01月02日(日)  英国旅行7日目 生家と古城とリモニー・スニケット
2004年01月02日(金)  金持ちよりも人持ち
2002年01月02日(水)  パワーの源


2007年01月01日(月)  マタニティオレンジ51 赤ちゃんのいるお正月

娘のたまと初めて一緒に迎えるお正月。わたしの実家、大阪の今井家の正月は年々カジュアル化が進んでいるが、東京のダンナの実家では、日本らしいお正月を味わえる。まずはお屠蘇でご挨拶。松に見立てた昆布、竹に見立てたするめ、梅干し、松竹梅のおめでたさを口に含み、お屠蘇の杯にひと口つけて、「あけましておめでとうございます」と一同に恭しく頭を下げる。これを一人ずつ順にやる。生後4か月のたまも小さな手に昆布をのせてもらい、口に運ぶ真似。と、いきなり舌を出して昆布をペロペロ。刺激に驚くかと思ったら、にっこり笑って上機嫌。「お、喜んでる」「よろコンブだ」「ビデオビデオ!」と大人たちも大喜び。お食い初めの鯛の塩味も気に入っていたし、この子は酒飲みになるかもしれないねと笑いあう。赤ちゃんがいると、ハレの日がいっそうおめでたくなる。

挨拶を済ませると、おせち料理とお雑煮。お宮参りのときに明治神宮でいただいたお食い初め用の盆と汁椀に、たまの分も盛り付ける。お雑煮は「器が小さいから赤ちゃんサイズに切りましょう」と人参もゴボウもお餅も小さくする。大人用と並べると、ミニチュアのようなかわいらしさ。でも、単独で写真に撮ると、比較材料がなくて、なんだか普通になってしまって残念。離乳食さえ初めていないたまはもちろん見てるだけ。「あなたは母乳の分もあるから、どんどん食べていいのよ」と乗せられ、たまの分は責任持ってわたしが平らげる。来年は、たまも歯が生え揃い、一緒に食べられるだろうか。

2006年01月01日(日)  いいことありそな初日の出
2005年01月01日(土)  英国旅行6日目 嵐とプリンと美女と野獣
2003年01月01日(水)  2003年の初仕事
2002年01月01日(火)  幸先
1999年01月01日(金)  テスト

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