2006年10月22日(日)  マタニティオレンジ23 たま2/12才

8月22日生まれの長女たまの1/12才を祝ってから一か月。あっという間のような、それでいて長い時間だったような、夢中の一日一日を積み上げて濃密なひと月になったという感じ。一日ごとに爪が伸び、まつ毛が伸び、表情が豊かになり、「たま語」のボキャブラリーが増え、昨日できなかったことが今日はできている。少し前に覚えた指しゃぶりが気に入り(指をおもちゃにして遊んでいるらしく、これもひとつの成長なのだとか)、自分の指では飽き足らず、わたしの指を引き寄せて吸い付く。一か月検診で教わった肘で体を支えるうつぶせ(「スフィンクスのポーズ」と名づける)がさまになってきた。最初は数秒で崩れていたのに、今では景色の変わるのが面白いらしく、もう少しですわりそうな首をキョロキョロさせて辺りを見回す余裕もできた。鏡に映る自分を不思議そうに見つめる。自分だとわかっているのか、こいつは何だと思っているのか、まばたきもせずにじーっと見入っている。わたしの一年分をはるかに上回る進化と変化を、たまはこの一か月で見せてくれた。

2/12才誕生会のマンスリーゲストは広告会社時代の同僚だったG嬢とダンナのイトウ氏。助産院に入院中に見舞ってもらって以来、約2か月ぶりにたまと再会した二人、「大きくなったねえ」としきりに感心し、たくさん写真を撮ってくれる。子どもの成長を一緒に見守り、喜んでくれる友人の存在が、子育てをまた楽しくする。

毎日間近に成長を見つめ、驚いたり感動したりを繰り返しても、時間が経つと、「あのとき、どうしてたっけ」となるらしい。「ちゃんと育児日記をつけておけば……」と悔やむ子育ての先輩たちの声をよく聞く。わたしは携帯電話のカメラでちょこちょこと撮った写真に短いコメントを添えたフォト日記をつけている。ビデオは扱いに慣れてないこともあって、ようやく今日はじめて撮った。もっと早くから撮っておけばという気持ちもあるけれど、貴重な瞬間を記録するメディアは親の目や耳や心だっていい。ちょうど今読んでいる『父の目1000日 赤ちゃん新発見―カメラとペンで綴ったわが子の3年間』は世界中の子どもたちを撮ってきたカメラマンの田沼武能(たぬまたけよし)さんの育児記録。「生後○日目」のコメントが添えられた写真を追っていくと、レンズ越しにわが子を見つめる作者のまなざしも少しずつ父として成長していくのが感じられる。

2005年10月22日(土)  おばあちゃん99歳
2004年10月22日(金)  クリオネプロデュース『バット男』
2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!


2006年10月21日(土)  5本目の映画『天使の卵』初日

5作目の脚本長編映画となる『天使の卵』が本日より全国公開。脚本を書くようになってから作品のたびに思いがけない出会いやめぐり合いをプレゼントされているけれど、『てんたま』にはスタートから運命的なものを感じた。

プレス用パンフやbuku10号のエッセイにも書いたけれど、わたしが持っているたったひとつの小説家のサイン入り本が『天使の卵』原作者・村山由佳さんが1997年に出された『翼―cry for the moon』の初版本。新聞の読者プレゼントで当選したもので、「今井雅子様」とあて名が入っていたことに感激した。村山由佳ワールドの面白さを教えてくれたこの本はわたしのお気に入りの一冊になり、ときどき思い出しては読み返しているのだが、ひさしぶりにページを開いた数日後にプロデューサーから電話があり、「村山由佳さんの原作の映画化脚本を」と仕事が舞い込んだ。

原作の村山由佳と脚本の今井雅子。その二つの名前が9年前に同じページに刻まれていた偶然。ロケ地で村山さんご本人にお会いしたときにこのことを伝えたら、「わあ本当? 面白い!」と瞳を輝かせて喜んでくださった。飾らない人柄に、ますますファンになった。

戸田恵子さんとの出会いも、うれしいサプライズだった。主人公・歩太の母である幸恵役が戸田さんに決まり、わたしがロケにお邪魔する日が幸恵の切り盛りする小料理屋『けやき』の撮影日に重なったことから、「舞台『温水夫妻』を観て以来のファンです」と直接伝えることができた。目にも声にも力のある女優さんだが、お会いしてみて、内面から発して引きつける磁力のような強さを感じた。抱いていた印象よりも小柄な体が舞台やスクリーンやテレビで大きな存在感を発揮するのは、女優魂のスケールの成せる業なのかもしれない。

学生時代を過ごした京都がロケ地に選ばれたことにも、うれしいめぐり合わせを感じた。秋の京都はことのほか人を惹きつける。冨樫森監督はいかにも京都という場所を外し、京都でありながら京都京都していない絵を追求したが、匂い立つに秋の京都の色と空気は見事に焼き付けられ、美しい映像となった。

極め付きのめぐり合わせは、命。『子ぎつねヘレン』に続いて『天使の卵』も脚本を書きながら命について考えることが多かった。そのせいか、映画が撮影に入ると、わたしの中にも天使の卵が宿っていた。命はどこからやってくるのか、天からの手紙である卵に乗って降りてくるのではないか……脚本に込めた想いは実感となった。

いよいよ今日、てんたま公開。生後2か月のたまを連れて舞台挨拶を見学するのは遠慮して、だけど初日気分を味わいたくて、銀座松屋のてんたまパネル展(31日まで)へ。2階レディースフロアの一角で宣伝素材を流し、ところどころの柱に劇中のシーン写真と台詞を納めたパネルが貼り出され、秋冬の装いに囲まれてさりげなくてんたまの世界を紹介。買い物途中のお客さんが目を留めて立ち止まり、携帯カメラで写真を撮っていく。

春妃が卵について語るシーンのパネル前で、わが家のてんたまを抱いて記念撮影。光の加減で卵を持つ春妃の手が何かを発信しているように見えた。映画とは光と影でできているものだけど、絶望の中から生まれる希望に光を当てた映画『天使の卵』は、とくに光と影のコントラストを意識して作られている。スクリーンから発せられるその光と影が、受け止めた人とどう響きあうのか、楽しみでもあり、ドキドキする。観られた方はぜひ感想を聞かせてください。撮影に使われたシナリオ決定稿と今井雅子のコメントが掲載されている劇場パンフレットもどうぞよろしく。

この日記に埋め込んであるブログパーツはてんたまサイトから持ち帰ったもの。日記の下にあるパズルのピースをマウスでつかんで完成させると、劇中で使われる歩太の描いた絵が続けて二枚現れる。おためしあれ。
(※ブログパーツは映画公開終了とともに終了しています)

2005年10月21日(金)  小さな冷蔵庫 大きな冷蔵庫
2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕


2006年10月19日(木)  マタニティオレンジ22 めぐる命と有機野菜

愛知県新城市にある星農園から有機野菜がどっさり送られてきた。農園主の星洋輔さんは、一昨年の春に亡くなったわたしの幼なじみ・寺岡佳夏のいとこ。長女たまの誕生を知った佳夏のご両親がお祝いにと気をきかせてくれたのだった。子どもが生まれて以来、体にいいものを食べることには一層関心を持つようになったので、無農薬・無化学肥料の野菜はありがたい。

14種類の野菜の中にはツルムラサキ、壬生菜など普段食べないものも。あぶって味噌をつけて食べるだけでご馳走になる万願寺とうがらし、長〜い葉っぱの先までおいしく食べられる大根、空心菜は「アンチョビと炒めてもいい」というアドバイス通りにやってみたら、びっくりなおいしさ。にが瓜はゴーヤチャンプルにし、二十日大根は蒸してテンメンジャンをつけ、チンゲン菜はにんにくとオイスターソースで炒めた。どれも野菜の味がしっかりして、噛み締めると「自然をいただいている」気がする。はるばるついてきた赤ちゃん青虫君はベランダに放した。

洋輔さんは有機野菜の研修を終え、今年三月に就農したばかりの駆け出しとのこと。添えられた手紙には「野菜がとれるようになって思うのは、佳夏に食べてほしかったということ。私が百姓をするといったらおもしろがってくれていました。今井さんに食べてもらうよう佳夏がつなげたような気がしています」とあった。その昔、隣同士だった佳夏の家と今井家は有機野菜の共同購入をしていた。『ノアの箱舟』という名前の会だった。当時のわたしは無農薬のありがたみにいまひとつピンと来ていなかったが、熱血少女の佳夏は教室でクラスメートを前に「食べものが体を作るねん! せやから健康な土を守らなアカンねん!」と熱く語っていた。佳夏が食べられなかった分もわたしが食べよう。そして、佳夏と同じ8月の終わりに生まれた女の子に栄養を注ぎ込もう。そんなことを考えていたら、命はめぐるんだなあとしみじみ思えた。人は死んだら土に返るというけれど、土はまた命を育む源になる。その恵みをいただいてわたしたちは生きていく。

2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

2005年10月19日(水)  新宿TOPS 2階→8階→4階
2003年10月19日(日)  100年前の日本語を聴く〜江戸東京日和
2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』


2006年10月17日(火)  マタニティオレンジ21 赤ちゃんと話したい

言葉には人一倍関心の強いわたし。知らない国に行くたび新しい外国語に手を出しているが、言葉が通じ、気持ちが通い合うのはたまらなく楽しい。今は目の前の新生児を眺めながら「何考えているんだろ」と頭の中、胸の内をのぞきたい好奇心を募らせている。

おしゃべり好きな母親に似たのか、娘のたまは助産院にいた頃には「アー」と声を出し、「今すぐにもしゃべり出すのでは!」とわたしを興奮させた。一か月ぐらい経つと、機嫌がいいときに「ゴエ〜」と喉を鳴らすような声を発するようになり、「ンゴエ〜」「ンゲー」「ゴケ〜」とバリエーションが広がっていった。

生後2〜3か月の赤ちゃんの発声を喃語と言うらしい。とくに意味はないのかもしれないけれど、意志がこもっているのは感じる。偶然意味のある言葉に聞こえることもあって、「クッパ マッコリー」(お、韓国料理ですか)、「プーアール アロエ〜」(健康志向だねえ)、「ブンゲー エンゲー」(芸術の秋だよねえ)、「ヤフー グー」(検索エンジンかい?)と突っ込みながら空耳ごっこを楽しんでいる。

一時期は「オッケー」を連発していて、いいタイミングでオッケーが出ると、会話が成立したようでうれしくなっていた。。「たま語」を解読できるようになれば、もっと面白いのだけど。

赤ちゃんの脳はめざましい勢いで世界を認識していくけれど、口や舌の動きがついていかず、発声に結びつかないのだという。そこで編み出されたのがベビーサイン。日本でも広まりつつあるらしいが、元はアメリカで発達したそう。英単語はとくに赤ちゃんには複雑なものが多い。アリゲーターと発音するのは高等でも、両手で口をパカッと開く仕草なら真似しやすい。図書館でベビーサインの本を借りてきた。

1)ベビーサイン まだ話せない赤ちゃんと話す方法(リンダ・アクレドロ/スーザングッドウィン原作 たきざわあき編訳 小澤エリサ・ヒライ絵)
2)世界一やさしいベビーサインの教えかた(直江千恵子)
3)日本版ベビーサイン(高祖常子)

ASL(American Sign Language)を基本にしたアメリカのベビーサインと日本の手話や身振りのいいとこどりをしたのが日本のベビーサインらしく、日米の手話をかじったわたしにはとっつきやすい。

全国のお母さんたちから寄せられた「うちの子のベビーサイン」を読むと、親子で自分たちだけのサインを発明するのもありなんだとわかる。早速真似て「おっぱい」(縦に並べた両手をギュッギュッと搾る)や「お散歩」(両腕を振ってウォーキング)のサインを使ってみる。「お風呂」のサインは載ってなかったので、手のひらで水面を叩く仕草にした。「赤ちゃんが使い始めるのは8か月頃からなので、親が使うのは生後6か月ぐらいからで十分」と本にはあるけれど、大きな動きが面白いのか、たまはわたしの手振りや表情をじっと注目し、返事代わりに豊かな表情を返してきた。

外国人相手でもジェスチャーを交えると通じやすい。やっぱりコミュニケーションは「伝えたい!」という気持ちが大事。

2002年10月17日(木)  Globe Trotter×ELEY KISIMOTOのスーツケース


2006年10月16日(月)  マタニティオレンジ20 ビバ!ウンチョス!

出産前に気がかりだったのは、オムツのことだった。友人が子どものオムツを替えている場面で「やってみる?」と声をかけられるたびに「今はやめとく」と遠慮してきた。果たして一日十回を超えるというオムツ替えに耐えられるだろうか……。だが、案ずるより生むが安し。生まれてきたわが子はウンチまでかわいいのだった。

記念すべき最初のオムツ替えは生後14時間後。「海苔の佃煮みたいなのが出ますよ」と助産師さんに言われた通り、真っ黒などろっとしたものがドバッ。母親のおなかの中で溜め込んでいるうちに熟成されるのだろうか。「胎便」と呼ぶらしい。「出ました!」と助産師さんに知らせに行くと、「おめでとう。口から肛門までつながってる証拠ですよ」と言われ、ありがたーい気持ちになる。

最初は真っ黒なウンチは、母乳を飲み始めると少しずつ茶色くなっていく。「そのうちカプチーノみたいなのが出ますよ」(なぜか食べものに例えるのが好きな助産師さん)と言われた数時間後、「出ました、カプチーノ! 抹茶ですけど」と報告すると、怪訝な顔をされる。カプチーノというのは色のことで形状のことではなかった(「噴射」される勢いで泡立つのだった)。このときは本当に抹茶のような鮮やかな緑だったのだけど、なぜこんな色になったのかは聞きそびれた。

出産前にメリーズのサンプルプレゼントに応募したらドーンと60枚パックが送られてきた。その心意気と使い心地を気に入り、今も愛用。オシッコが出るとラインの色が変わり、ウンチの流出防止ギャザーがあり、留めテープは何度でも貼り直せる。最初のうちはウンチブロックギャザーを立て忘れてウンチが飛び出したり、おへそがオムツに擦れて血まみれになったり(おへそが乾燥するまでは当たらないように避ける)、おなか回りがきつそうだと思って緩めたらヒップハングになって脱げかけたり。連日のオムツ特訓の成果で手際は良くなったけれど、替えてる最中にジャーだのブリだのされたり、替えたと思ったら汚されたりは日常茶飯事。それでも笑って許し、便秘で苦しんでいるときは「がんばれウンチョス」と応援し、たくさん出たら「トリニダードバコだねー」と喜ぶ、そんな自分を面白がっている。

何枚替えても苦にならないものの、ダンナにもたまには参加して欲しい。300枚替えた頃に、「まだ一枚も替えてないよね」と言ったら渋々一枚だけ参加。その後も及び腰だったけれど、小学五年生の女の子がうちに来てオムツ替えを手伝ってくれた日、自分から「やってみる」と言い出した。小学生にできるなら自分にもと自信を持ったらしい。それが400枚目の頃。さらに100枚ほど替えた頃、夜中にぼそぼそしゃべる声で目を覚ますと、隣でダンナがオムツを替えているではないか。わたしを起こさないよう小声で娘に話しかけながら。「ほうら、すっきりしましたねー。ギャザギャザもあるから安心しなさいよー」とわたしの口調をしっかり真似ている。知らん振りしているようで、ちゃんと見てたんだなあ。オムツの数だけママもパパも成長するのだ。ありがとう、その一枚でもう少し眠れますと心の中でお礼を言って、また眠りに落ちた。

心苦しいのはゴミのこと。オムツでずっしり重いゴミ袋を持ち上げると、一昨年訪ねたイギリスの動物園で見た「紙オムツが地球環境を破壊する」というメッセージを思い出す。布オムツでがんばっている妹は「慣れればそんなに大変じゃない」と言うけれど、今の育児生活からオムツを洗う時間とエネルギーを捻出するのは難しい。子どものためにきれいな地球を守りたい気持ちと、子どもがいても自分の時間を守りたい気持ちの引っ張り合い。オムツが取れるのは2才前後だという。これから先、一体何枚替えることになるのか。間もなく700枚。

2004年10月16日(土)  SolberryのハートTシャツ
2002年10月16日(水)  カンヌ国際広告祭


2006年10月15日(日)  マタニティオレンジ19 おでかけが楽しくなるだっこひも

わたしが子どもの頃は本当に「紐」で負ぶわれていたけれど、いまどきの(いや、ずいぶん前から?)「だっこひも」はヒモといいつつヒモの姿をしていない。どちらかというとリュックかナップサックのよう。各社からいろんな形のものが出ているのだけど、ママ先輩である妹におさがりでもらっただっこひもは、赤ちゃんの成長に合わせて5通りの使い方ができるのが売り。でも、わたしには複雑すぎて、どこに自分の頭をつっこみ、どこから赤ちゃんの手足を出せばいいのか、頭も紐もこんがらがる。デザインは地味だけど使い方は凝っている一代目に代わり、その逆の二代目を探すことになった。

「かわいい だっこひも」で検索してヒットしたサイトをめぐること数時間、ようやくKISSというオンラインショップで扱っているオーストラリアのだっこひも、Baba Slings(ババスリング)を発見。日本のものにはない色使いに一目惚れ。早速イエローの花柄を注文するとタッチの差で売り切れ。諦めきれずに新作チェックを続けていたら、最初にふられた花柄よりさらにヴィヴィッドなスカイブルー×花柄パイピングが登場。今度は無事購入できた。実物を見ずに注文したので使い勝手が心配だったけれど、ベルトの長さを調節すれば、あとはタスキがげして赤ちゃんを入れるだけ。装着に手こずる間にぐずられることもなく、おでかけがぐんとスムースになった。ハンモックに揺られるような格好が心地いいのかすぐに寝てくれるし、起きているときは淵から顔をのぞかせてゴキゲン。わたしも小さくなって揺られてみたい。赤ちゃんはただでさえモテモテだけど、ババスリングでだっこしていると吸引力がさらにアップ。視線も人も寄ってくる。

2004年10月15日(金)  広告労協の女性会議
2003年10月15日(水)  このごろの「悲しいとき」


2006年10月12日(木)  マタニティオレンジ18 デニーズにデビュー

昨日のママ&ベビーヨガに続いて、今日はアフタービクスのクラスに参加。産後の引き締めに重点を置き、バランスを取るポーズや筋トレを取り入れたエアロビクス。赤ちゃんたちは鏡の前にマットを敷いて転がしておく。音がうるさいからか寝ないのだけど、踊っているママを見たり、鏡に映る自分の姿を興味深そうに眺めたり、ごきげんに過ごしてくれる。うちのたまも一時間のクラスの終盤まで泣かずに持ちこたえてくれたので、ひさびさに気持ちよくいい汗をかけた。

「おなかすいたねー」「話もしたいねー」と昨日4時間話しこんだマタニティビクス時代からの仲間のレイコさんとデニーズへ。昼間のデニーズといえばママ天国。だけどさすがに新生児連れはいない。いきなりギャーと泣き出されたものの哺乳瓶&粉ミルクを用意してなかったので、母乳工場直送ミルクの出番。おむつ替え用防水シートを美容院のスモック状態でかぶって目隠しにし、授乳タイム。奥まったボックス席で他のお客さんがまわりにいないのが幸いだったけど、ランチと一緒に冒険気分を味わう。ちなみにトイレにはおむつ替え台があったけれど、そこへ行くには喫煙席を通らなくてはならなかった。ママ&ベビーフレンドリーなデニーズだってこの環境。赤ちゃんを連れての外食は無謀? 

そういえば、ひと足先にママになった友人はママ仲間とカラオケボックスでランチをすると言っていた。人目を気にせず授乳とおむつ替えができて、昼間は安い。「でも、赤ちゃんにカラオケの大音量は刺激的では?」と聞いたら、「しゃべるのに大忙しで、歌っているヒマはないわよ」。いまひとつピンとくるアイデアが出てこない政府の少子化対策、ベビー連れママがゆったり食事やお茶を楽しめるスペースを作るとか、そういうお店を支援するのはどうだろう。

2005年10月12日(水)  シナトレ3 盾となり剣となる言葉の力
2003年10月12日(日)  脚本家・勝目貴久氏を悼む
2002年10月12日(土)  『銀のくじゃく』『隣のベッド』『心は孤独なアトム』


2006年10月11日(水)  マタニティオレンジ17 再開&再会

マタニティビクス&ヨガでは気の合うママ仲間に恵まれた。妊娠期間を踊って過ごそうという発想からして相通ずるものがある。体を動かしたり人と会ったりするのが好きな人たちなので、大イベントの出産が終わり、育児に慣れ始めると、「体なまっちゃったよ〜」「出かけたくてうずうず〜」とメールが飛び交い、「いつから再開する?」の話題に。マタニティビクス&ヨガをやってる教室では産後のクラスもあり、そちらは一か月検診で経過順調であれば参加できる。

わたしは産後50日目の今日、再開することに。ママ仲間との再会を喜び合い、お互いの赤ちゃんを紹介。たまがおなかの中にいたときに60回通ったので、「ただいまだよ」と言うと、デジャヴなのか気のせいなのか、たまは懐かしそうな顔で鏡張りの部屋を見渡した。

今日はママ&ベビーヨガのクラス。まずは赤ちゃんを抱いて皆さんにご挨拶してから、赤ちゃんをマットに寝かせてマッサージ。ママの柔軟と骨盤のゆがみを整えるポーズを行いながら、赤ちゃんも柔軟とポーズ。ママの腕をブランコ代わりにして赤ちゃんをぶら下げ、前後左右に揺らす「蝶のポーズ」(股関節を鍛える動きらしい)や、うつぶせにした赤ちゃんの胃腸をてのひらでおさえながら空を飛ばせるポーズ(片方の腕で脇の下を支え、もう一方の腕を股の間にはさんでがっちりガード)など、新生児からけっこうダイナミックな動き。「え、こんなに大胆なことして大丈夫?」とおっかなびっくり、でも赤ちゃんたちはごきげん。空飛ぶポーズは夕方のぐずり泣きに効果大ということで早速帰って試してみたら、ぴたりと泣き止んだ。

教室の後はお弁当を買って、近所に住んでいるママのお宅へ。出産武勇伝を語り合い、母乳、おむつ、ダンナ、じいじばあばの「こっちはこうだけど、そっちはどう?」話をしていたら、あっという間に4時間。話していて気づいたのは、ときどき単語が出てこなくなること。軽い失語症のような状態。赤ちゃんと二人きりの時間が長いと言葉が失われていくのかな、気をつけなきゃねと話す。ママたちが積もる話に花を咲かせる間、赤ちゃんたちは座布団を布団代わりにお昼寝。「ちょっと前までみんなおなかの中にいたのに、今こうして並んでいるなんて不思議だね」「寝相にも個性が出てるね」とのぞきこみ、写真を撮っていると、同時に泣き出し、おっぱいタイム。起きている時間は手を差し伸べあったりして、赤ちゃん同士交信しているよう。「わたしたちだけじゃなくて、赤ちゃんもコミュニケーションを求めてるよね」とうなずきあう。ママたちに似たのかも。

2005年10月11日(火)  ユーロスペースで映画ハシゴ
2003年10月11日(土)  わたしを刺激してください


2006年10月09日(月)  北海道・東川町名物

映画『子ぎつねヘレン』の原作『子ぎつねヘレンがのこしたもの』の著者・竹田津実先生と、先生がお住まいの北海道・東川町特別対策室長の山森敏晴さん、『風の絨毯』プロデューサーの益田祐美子さん、益田さんの二作目『平成職人の挑戦』監督の乾弘明さんと会食。竹田津先生と乾監督はドキュメンタリー番組の制作でニュージーランドに同行した仲であり、わたしと乾監督は去年の益田さんとわたしの合同誕生会で知り合い、さらに益田さんが先日、東川町長の松岡市郎さんと「祭」をテーマに対談したことから一挙に「東川町 竹田津先生 益田さん 乾監督 今井」がつながった。お金集めと人脈作りはお手のものの魔女田さん、竹田津先生ともあっさりつながってしまったが、「相手を気持ちよくさせてお金を出させる名人」同士、早速意気投合。二人が組んだら、映画製作は怖いものなし!?

東川町からのお土産に、地元産の素材で作った米粉のシフォンケーキと豆乳プリン(ともに「ゝ月庵」の製品。母乳によさそう!)と町の資料をいただく。「写真の町」を謳う東川町の名物は、写真甲子園。年に一度の大会は高校生写真部員たちの憧れの的で、この大会に出場するために一年を費やす部もあるとかで、甲子園球場顔負けの汗と涙のドラマが毎年ドラマが生まれているとのこと。写真家でもある竹田津先生は審査員の一人で、「子どもたちが短期間に成長する姿がすばらしい」と熱く語り、「人間というのは進化する生物なんですな」と力説。人間を「生物」としてとらえる先生の話はスケールが大きくて、聞いていると自分も自然の一部なんだと思えて、おおらかな気持ちになれる。今も北海道のあちこちで開かれる『子ぎつねヘレン』上映会に引っ張り出されては講演をされているそう。魔女田さんに「先生のお話、いつまでも聞いていたい」と言わしめた竹田津先生こそ東川町名物かもしれない。

2004年10月09日(土)  G-up第1回公演『金魚鉢の中で』


2006年10月07日(土)  マタニティオレンジ16 おっぱい出張所

ママズクラブシアター1回目は哺乳瓶を忘れてしまい、母乳工場直送ミルクを送り込んで、たまを泣き止ませた。映画館でおっぱいを出す日が来ようとは我ながらびっくりだけど、泣いてる子を黙らせるほうが先決なのだった。出産した途端、おっぱいはバストではなく食糧庫となる。ミルク内蔵哺乳瓶を体にくっつけている感じ。でも、この感覚は万人には理解されないだろう。わたしだって、出産前は目の前で授乳を始められるとドギマギした。ママズクラブシアター2回目の一昨日は、哺乳瓶を持参。人前では、やはりこちらのほうがスマート。

外出先で粉ミルクをあげるときは、1)湯冷ましの入った魔法瓶 2)煮沸消毒済み哺乳瓶 3)缶からラップに移して包んだ1回分の粉ミルクの3点セットを持って行ってたのだけど、「湯冷ましを入れた哺乳瓶を保温ケースに入れればかさばらない」「ミルクは湿気やすいので、1回分ずつ分包したタイプが便利」とママ仲間情報。

ところで、「うちの子はおっぱいでなきゃダメ」「哺乳瓶をイヤがる」「粉ミルクの味が嫌い」という声をよく聞く。落ち着いてきた生後2か月頃に、さあ預けて出かけようと思ったら、哺乳瓶&粉ミルクを受け付けないので預けられないというケースが多く、「早いうちに慣れさせたほうがいいよ」と先輩ママたちにアドバイスされていた。ところが、助産院では「1か月までは哺乳瓶は我慢して」という指導。哺乳瓶の乳首はラクに吸えるので、赤ちゃんが変な吸い方を覚えるというのがその理由。母乳に湯冷ましを足して飲ませるときは、コップで飲ませるように哺乳瓶の縁に口をつけて飲み込ませていた(新生児からこの飲み方ができることにはびっくり)。間を取って、わたしは生後3週間になると哺乳瓶で母乳を飲ませて感触を教え、生後1か月から粉ミルクの味を覚えさせた。違いがわかっているのかいないのか、たまは母乳工場のミルクも哺乳瓶のミルクもゴクゴクと夢中で飲んでいる。

打ち合わせなどで預けるときの他、自宅にお客さんが来たときも哺乳瓶の出番。粉ミルクは腹持ちがいいのでよく寝てくれる。その間にゆっくり会話と食事とひさしぶりのお酒を楽しむ。母乳100%にこだわると、母親の行動範囲はかなり限られるし、それがストレスにもなる。ときどき本社工場を休ませて出張所にお願いする気持ちで粉ミルク&哺乳瓶に頼ると、母乳の安定供給にもつながるように思う。

乳首といえば、友人のサトちゃんユキちゃん夫妻の紹介で知り合ったニューヨーク在住の台湾人芸術家・林世宝(りんせいほう)さんのクリスマスLOVEツリープロジェクトは、母と子をつなぐ愛の形、哺乳瓶やしおゃぶりの乳首でクリスマスツリーを作るという発想がユニーク。「材料を集めるところから制作活動は始まっている」と言う林さん、これまでにもペニー硬貨や使用済みのペンでオブジェを作ってきたが、今回寄せられた乳首はなんと20万個(内訳は米国約10万、台湾・中国・香港約8万、日本2万強)! クリスマスの完成に向けて、現在福岡にてツリーに変身中。その模様はブログで見られる。

2005年10月07日(金)  国民行事アンケート「国勢調査」の行方

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