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2014年10月28日(火)
『チラシ:危険な噂』

コリアン・シネマ・ウィーク 2014『チラシ:危険な噂』@韓国文化院 ハンマダンホール

東京国際映画祭の提携企画。『新しき世界』のジュングことパク・ソンウンさんが出演しているとのことで観てきました。いやーおもろかった、いろんな意味で。

才能を見出だした女優の成功のため、独立事務所を設立し、奔走するマネジャー。徐々に認められ、大きな企画の映画主演も決まった矢先、根拠のないスキャンダル記事が裏業界紙“チラシ”によってばらまかれる。潔白を証明する機会を逃したまま女優は死に、マネジャーは記事を書いた人物への復讐を決意する。ところが謎を追ううちに、思いも寄らぬ証券街の闇が彼の前に立ちはだかる!

スピーディな展開にハラハラドキドキ、サスペンス的にも手札の出し方が上手で時間を忘れたわー。結末もある意味爽快。しかもなんか途中からコメディになるんですよね…コメディだよね……。マネジャーがチラシ発行元に接触して逃げられて、車を走って追いかけるんだけどその追いかけっぷりがあまりにも長く、そしてスピードが衰えない。だんだん「…ここ笑うとこじゃね?」て感じになってくる。んでチラシ編集部に乗り込んでみれば、そこのひとたちが結構いいひとたちなんですよ(笑)。だんだん「あっ笑っていいね!」と言う空気になってきて、結構やんややんやな客席となりました。指折るとこで「(イーッ!)」な声が漏れたりして。こういうの楽しい。

ツッコミとしては「法医学とは…」とか「殺し屋稼業とは…」とか。そしてマネジャーがあく迄一本気なマネジャーで女優と恋仲にならないとか、女性の登場人物に暴力をふるわない(その場面を映さない)とか、好感度をあげるいろんな気配りがあるなあと思いました。あと数十分毎にハイライトがあって退屈しないとか。TVドラマっぽいんだけど、これはこれで面白かった。

そして観終わってみれば、女優が信頼しているマネジャーに打ち明けられない秘密が必要だ。こういう設定にしよう! あそことあそこの設定は決まってるから、それにあてはまるのはこれだな! とかストーリーの構成の流れが見えてしまうんですが、そこは前述したように手札の出し順が上手いので楽しめました。マネジャーがなんであんなに走れるのんって疑問に「短距離走の選手だった」って出して来たとこには笑ったが。あっあと国会議事堂が沢山映った! 『テロ, ライブ』で覚えたことが役に立った!

マネジャー役のキム・ガンウさんは爽やかな好青年。25日の上映では舞台挨拶にいらしたそうで、あらお目に掛かりたかったわ。『新しき世界』のアニョアニョ理事(チャン・グァンさん:特別出演)も出てた〜。そして盗聴マニア役のひと、役者とは異質の愛嬌だったんだけど、本国ではミュージシャンとかDJで有名とかだったりするのかしらん…と調べてみたらちゃんと役者さんだった、コ・チャンソクさん。…って、『観相師』にも出てたのか、気付かなかったー! 達者! てか韓国映画観るようになってから輝国山人さんのサイトにすっごいお世話になってますよ…有難い……。

ソンウンさんの役は、表の顔はガードマン会社社長、裏の顔はボスの邪魔者を消すためには殺人も厭わない殺し屋…殺し屋なのか? と言う……。あの、ここもいろいろとツッコミどころが…だいたいマネジャーの不屈っぷりがすごい。何度ボコボコにしても諦めない。ちょっとソンウンさん(の役)ひいてなかった? 無表情の裏でやだもうこの子怖い! どうしよう!? って怯えていればいい。革のロングジャケット姿でイメージとしてはターミネーターだったのかな…しかしなんだかいいおべべを着せてもらったプーチンみたいでした。秋田犬とかと遊びそうな。ガードマン会社も偉い会長さんに資金出してもらって起業したんだよね〜なんだその愛人が小料理屋開きましたみたいな。おもろい。

ああ楽しかった〜歩いて新宿迄行こう、と会場を出てふと気付く。あの通りには、その昔アイドルが飛び降りたビルがあるのです。宮沢章夫が『トータル・リビング 1986-2011』で描いた、屋上の看板「クリナップ」は(新しいものに替えたのかも知れないが)今もある。彼女は「クリナップ」の「ッ」と「プ」の間から飛び降りた。夢を持ち、有名になりたいと日々がんばっていたけれど、誰にも打ち明けられない秘密があった。それが原因で死んでしまった。映画に出て来た女優の笑顔が思い出されてしょんぼりした。

韓国文化院初めて行きました。入館したらロビーの大きなモニターにシン・ハギュンさんが大映しになってたんだがなんだったんだろ、ドラマ? 『半神』のチラシも置いてあってニヤニヤ。



2014年10月26日(日)
『霊感少女ヒドミ』

ハイバイ『霊感少女ヒドミ』@アトリエヘリコプター

ゆるりと始まる上演中の諸注意に、前日観た吹越さんを思い出す。吹越さんが出演した『ヒッキー・ソトニデテミターノ』、よかったなあ。

ヒドミを観るのは二年振り。このときムーチョ村松さんが映像を引き受け、テクニカル面含め初演からヴァージョンアップしたと言うことだった。今回はそのヴァージョンアップ版を再演。キャストは平原テツ以外一新。劇場周辺の映像は、ちゃんとアトリエヘリコプター仕様になっていた。「エイリアンズ」の“公団”シーンは、勿論小竹向原。出演者も変わっているので、その辺りも撮りなおしている。プロジェクションマッピングもよい効果。所謂幽霊がいると言う演出として、ストーリーと分離せず機能している。

そうなのだ。やはりストーリーがすごいのだ、この作品は。勿論このストーリーにこの演出を施して上演する、と言うスタイルも見事なのだが、今回は改めてホンに衝撃を受けた。あの霊感バイオレンス恋愛模様が「エイリアンズ」を境にぐるりとひっくり返った途端、登場人物たちの「嫌われるのが怖い」と言う思いが露になり、その果てに覗き込む死はすぐにずぶりと脚を掴んでくる。何故ヒドミは自分の部屋に違和感があるのか、何故三郎はヒドミがいたらしい部屋にいるのか。その意味に気付いたとき、ヒドミが見たような気がした「電車の窓を開けて飛び降りた自分」は、果たして誰が「見た」のか、と言う鳥瞰の視点が現れる。岩井さんがツイートされていたこの方の感想が見事にストーリーの核心をついており、その読み解く力に脱帽。リンク張らせて頂きます。2012年公演の感想です。

・ハイバイ『霊感少女ヒドミ』 - 青春ゾンビ

この作品がハイバイのレパートリーとして繰り返し上演されているのは何故か。ハイバイの、岩井さんの世界が詰め込まれているからだ。

やっぱり岩井さんはすごい、そして恐ろしい。

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この三日で観た四本は、自分のなかではちょっとずつ繋がっている。偶然だけど面白い。異性愛者と同(両)性愛者の三角関係、殺人、死と生の境(彼岸と此岸)、シャム双生児、台詞を話すダンサー。舞台における映像の扱いの難しさと、それが見事にハマッた作品を観たときの、目から鱗の落ちっぷり。



2014年10月25日(土)
『ポリグラフ ―嘘発見器―』『半神』

『ポリグラフ ―嘘発見器―』@東京芸術劇場 シアターイースト

一昨年の初演がほんっと面白くて、「フランスに持っていければいいのに!」と書いていたら実現しましたがなー。しかもそのまま日本に持って帰って来て再演、願ったり叶ったり。キャスト、スタッフも変更なし、チーム・フキコシ/ポリグラフズ!

リズム、テンポにより磨きがかかり、構成も解りやすくなっていたように思います。上演時間も若干短縮されていたような…あと太田さんが唄う曲が変わっていたかな。初演を観て展開を知っていると言うアドバンテージがあったので、余裕を持っていろんな要素を楽しめたこともよかった。今回は“洒落っ気”と“スウィート”を堪能。森山さんと野良猫の格闘に笑い、森山さんがクラブのトイレで聴く演歌にニヤニヤし。そうそうここ、初演観たあとどのシーンだったか失念していたので思い出せてよかった(笑)。コカインをキメ、クラブミュージックで激しく踊り、暴力に満ちたセックスをして、ひとりきりになったところでド演歌がかかるギャップがせつないんですよね……。

このシーンですが、クラブのフロア、トイレのなか、防音ドアの中と外、と、音が見事に再現されているところもすごい。ちゃんとクラブで鳴る音に聴こえる。このリアルさは、舞台ではなかなかお目(耳か)にかかれない。台詞がなく、なおかつ森山さんの身体に説得力があるからこそ成立するシーンだと思います。吹越さんの音の扱い方、むっちゃ好きだなー。選ぶ曲調も、音の響き方も、そのボリュームの扱いも。

幕切れの映像に、宣美でも印象的に使われているカリグラフィーフォントで“fin”と記すところも、おフランスですのよと言う吹越さんの毒と洒落っ気を感じました。

ちなみに野良猫のパートは、フキコシソロアクト「坊ちゃんとアルゼンチンババアがキッチンでダンス・ダンス・ダ〜ンス」ネタのノウハウが活かされています。ムーチョ村松さんのスタイリッシュかつリズミカルかつユーモラスな映像と、プロジェクションマッピングのアイディアも素晴らしい。しかし吹越さんがすごいのは、それらアイディアと身体性を密接に結びつける演出力と、具現化する身体能力だと思います。共演者にもそれは求められ、森山さんと太田さんが選ばれた。納得。

そして“スウィート”、吹越さんのロマンティストな面が現れるシーン。デイヴィッドとルーシーが初めてキスする流れの緩急や、フランソワとルーシーが友人の一線を越えるシーンの甘いこと。セックスシーンも結構踏み込んだ演出なのですが、演者の動きに照れや躊躇がないので、こちらも安心して彼らの“役”を観ることが出来る。エロティックなのにスタイリッシュ。前日の「出口なし」に続き、異性愛者と同(両)性愛者の三角関係を観る不思議。

開演前の諸注意、ご挨拶、カーテンコールでの三者三様が見られるのも楽しいです。飄々とした吹越さん、かわいらしさを見せる太田さん、緊張なのかキャラクターなのか、無口で通す森山さん。

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『半神』@東京芸術劇場 プレイハウス

あの名作を日本のプロダクション、韓国のキャストで。てらいなく名作と言ってしまいますが、やっぱ名作、名作だよ……。言葉が違う、イヤホンガイドに慣れない、そんな戸惑いを軽く飛び越えてタンゴのシーンでは涙が出るし、音を作ってやろうと言う台詞には涙が出る。そして霧笛を奏でるマリアの声は、言葉の理解を超えるもの。

初めてマリアに心を寄せて観たような気がする。シュラと離れて一年と24時間、その時間を生きたマリア。シュラのように賢く、ものごとを理解し、両親の愛を理解し、自分がどうなるかを知っているマリア。演じたチョン・ソンミンさんが素晴らしかった。美しさと愛情を一身に受ける無垢の十年と、そこに意識が宿った一年と24時間。表情が変わる、目が変わる、声の力が変わる。

オーディションで選ばれたと言うキャストは個性派揃い。遊眠社版、NODA・MAP版と観てきていますが、歴代いちばんいい身体の風呂太郎を観ました(笑)モムチャンの国だ〜。しかし全員がモムチャンでプロポーションがいい訳ではない。それぞれの時間を重ねたそれぞれ違う身体。その身体から発せられる力のある声、惹き付けられる表情。舞台の上で躍動する身体。この公演、当初は字幕上演と発表されていたところイヤホンガイド上演に変更になったんですよね。野田さんは出演者を“見て”ほしい、と思ったのでしょう。字幕に惑わされず、視覚を全部舞台上に使えたのはとてもよかった。

しかしイヤホンガイドはなかなか難しい…吹き替えではないので目の前の役者の声はバリバリに聴こえているし、ガイドの声は同時通訳調なので感情表現がないのです。ストーリー知ってるひとはいいけど初見のひとはちょっと大変だったかも。録音ではなくリアルタイムで台本を読んで(アドリブがあったら付加して)いたようで、タイミングはカッチリ合うんですけど、ときどきガイドの方が噛んだりする(笑)のはご愛嬌。

そして公演前のインタヴューで、野田さんが「『ひとりじゃないの』に替わるピッタリの歌を韓国の歌謡曲に見付けたんだ」と言っていたシーン。わーん歌詞の通訳がなかったよー。と言うか、歌が始まったとき一瞬何か言ったんですよねーガイド。でも音が被って聴き取れなかった。曲名と歌詞を知りたいよう。あと「火曜サスペンス別荘シリーズ」てとこ、明洞で上演したときどうしたんだろ(笑)。

客席と舞台上がお互いに拍手を送るカーテンコールも素敵でした。

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と言う訳で芸劇に入り浸りの一日。合間にごはんどころの新規開拓も出来てよかった。



2014年10月24日(金)
『DEDICATED 2014 OTHERS』

『DEDICATED 2014 OTHERS』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール

首藤康之の『DEDICATED』シリーズ、今回のテーマは“OTHERS”。R. L. スティーブンソン「ジキル&ハイド」(40分)、J. P. サルトル「出口なし」(50分)の二本立て。何故か二列目がとれてしまい、首藤さんの息遣いが聴こえる程近かった。如何にハードな身体表現かを思い知る。幕間20分休憩。

「ジキル&ハイド」はソロ、再演。部屋でひとり薬を調合し、訪問者に怯え、巨大な姿見に映った自分の姿を眺める。服を脱ぎ、性行為に耽溺し、再び服を着て部屋を整える。訪問者は幾度も現れる。ジキルとハイドと言う別人格は度々入れ替わる。苦悶と快楽の境界を行き来する人物のエロティシズム。

小野寺修二の構成・演出らしいユーモラスなパートもあり、ナルシス宜しく快楽に耽る主人公がはたと我に返り、直立不動のポーズから真顔で下着の裾をピッと素早く直したりする。客席から笑いが漏れ、ここで若干緊張がほぐれる。部屋を掃除する振付では、ぞうきん掛けをするようなファニーな仕草もある。しかしここが落とし穴、下着姿でぞうきん掛けをすると、全身の筋肉の隆起が露になりとても美しいのだ。笑いつつ、首藤さんの身体に見惚れると言うややこしい状況に陥る(笑)。

鏡を見詰める首藤さんの背中と、鏡のなかの首藤さんの表情。実体はどちらかなどと考えてしまう程、人間は曖昧なもの。そこに美を感じる倒錯。

「出口なし」は中村恩恵、りょうとのトリオ。首藤さんと中村さんは台詞、りょうさんはダンス。越境は挑戦とも言え、ダンサーのふたりは時折台詞が不明瞭になり、女優のダンスは若干余韻が浅い。しかしそれらはたいした問題ではないと思わせられる。台詞劇は初めてと言う中村さん、実際自分も彼女の声を聴いたのは初めてだったのだが、これがなんとも魅了される声の持ち主。少女を思わせるような、ふわりとしたとてもかわいらしい声。りょうさんの声は凛とした力があり、言葉に芯がある。首藤さんは響く深みのある声。三人それぞれの個性があり、魅力的な声だ。この声を鳴らし、響かせているのも各々の身体。その鍛え抜かれ、磨き抜かれた身体の美しいこと! 身体性とは何かを強く感じさせる刺激的な作品になっていた。

ひとを死に追いやり、自身も死の世界にいるらしい三人がある部屋に閉じ込められている。窓も姿見もない、ドアは開かない。どれだけの時間が過ぎたか判らないその部屋で、三人は少しずつ出自を明かし、お互いを誘惑し、お互いを地獄へ招こうとする。「姿見もない」と言うのは台詞も出てくる言葉だ。この部屋で自身を映し出すのはほかのふたり。つまり他者になる。

男性に依存しようと迫る、幼さを残す女性と、その女性をものにしようとする女性。りょうさんは台詞の推進力を発揮し、蓮っ葉な言葉をのびやかに操る。首藤さんと中村さんは男女の絡み合いを洗練されたエロスで表現する。ピンヒールを響かせ、深いスリットが入ったロングタイトスカートで歩くりょうさん、デコルテが映えるトップスとフレアチュチュの中村さん。動きのひとつひとつから目が離せない美しさ。その動きは繊細な音を発し、衣擦れ、息遣い、そのどれもが聴き逃せない。「他者は地獄だ」の言葉は、“OTHERS”の存在を受け入れる過程を表すようにも映る。吊るされた11本のネオン管は、登場人物たちの戸惑いに共振するかのようにときには揺れ、ときにはノイズとともに明滅する。

構成・演出は白井晃。『Lost Memory Theatre』に続き、白井さんの美意識を堪能。登場人物の謎が徐々に徐々に明かされていくミステリ的構成も、芝居からダンス、そして芝居と言う流れのテンポもとてもよく、終始惹き付けられる。

初日の緊張感含め、スリリングでセクシュアルな舞台でした。いやーよかった、平日無理矢理行ってよかった。走った走った(笑)。

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・公演直前インタビュー:首藤康之、「DEDICATED 2014 OTHERS」 の『出口なし』(白井晃演出)と『ジキル&ハイド』(小野寺修二演出)を語る|Dance Cube -チャコット webマガジン:インタビュー&レポート



2014年10月23日(木)
『オトナの銀英伝ナイト Part2〜ヴァーチャル・ヒストリー「銀河英雄伝説」の世界〜ジークフリード・キルヒアイス』

『オトナの銀英伝ナイト Part2〜ヴァーチャル・ヒストリー「銀河英雄伝説」の世界〜ジークフリード・キルヒアイス』@SARAVAH Tokyo

三月に行われた『Part1』から半年ちょっと、第二回にしてキルヒアイスですよ…ぎゃー。早いっちゃ早いが、原作での退場も早いひとだったからさもありなん。会場はスズカツさんのホーム? サラヴァにお引っ越し。

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原作:田中芳樹
脚本・演出:鈴木勝秀
出演:陰山泰、石橋祐
ギター:大嶋吾郎
コーラス:久保田陽子
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トークショー:田中芳樹×鈴木勝秀(MC:安達裕章)
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んふふふ、今回のモチーフとキャストが発表されたとき、個人的にはニギャー! てなったんですよね。石橋さん。『ノーホエア・ウーマン』のときの機転が印象に残っていたのです。そんで『ゼロ・グラビティ』を観たばかりの頃だったので、宇宙に行くとかトラブルに直面したときは石橋さんについて行こうと思った訳です。宇宙行かないし。トラブルに直面したときそこに石橋さんはいないし。判ってる、判ってるわよ…とにかくゼログラのコワルスキーくらいたよりになるわ! と思ったんですよ……そんな彼が出ると言うことは! キルヒアイスでしょう、キルヒアイスは彼でしょう! と訳の判らない期待を胸に出掛けて行ったんですね。あれだけ登場人物が多い作品で読み手はふたりしかいないのだから、どっちがどの役! と期待するのもヘンな話です。

果たしてキルヒアイスの台詞第一声を石橋さんが発したときには心のなかでガッツポースしましたよね……。しかし面白いのは、オーベルシュタインの台詞も石橋さんが担当したことです。ラインハルトの台詞を陰山さんが担当していたので、彼がラインハルトとして話す場合、対話の相手はもうひとりの石橋さんしかいない訳ですが、それにしても。

いやー誰のせいでとかそういうのは言っても仕方がないし要因って沢山あるものだけど、でもさあラインハルトがキルヒアイスを遠ざけたのってオーベルシュタインの進言からだもんねー! と言いたくなるねー! いやオーベルシュタインがいなくても、あの状態が続く訳はないと思っていますけども、納得していますけども。今となってはオーベルシュタインってあのニヒルな感じとかいぬ飼ってるとかのイメージだけが残っていて、こういうひとだってのを忘れかけてた(…)そうだった、おまえはそういうやつだったよ! おまえー! おまえー! まざまざと思い出したわ。つらしま。まあそんなこんなでニヤニヤブルブルし乍ら聴いておりました。特にラインハルトとキルヒアイスのキャッキャウフフのパートはつらかったね! ニヤニヤが抑えきれなくて!

ニヤニヤしつつも真面目な話をちょっとすると(説得力ない)、今回石橋さんのコンディションがちょっと危うかったようで、噛んだり読み間違い、つんのめる箇所が結構ありました。専門用語や外来語等、馴染みの薄い単語が多いもんね。滑り出しはよかったんだけど、途中かなり危なかった。バレーボールみたいなもんで、一度リズムが失われると焦って次々ミスが出る。チームメイトもそれに引っ張られてしまう。ヒヤヒヤする場面が増えて、「が、がんばれ……」と思って観てしまったところもありました。でも終盤は持ち直して、あの声で「宇宙を手にお入れください」て聴けたからいいです! この場面、涙ぐむ方が結構いらっしゃいました。私もかなり危なかった…と言いつつラインハルトが「いやだ」つったところではニヤニヤした……(俗)。

選曲はスズカツさんらしいポピュラーミュージックから。「星に願いを(When You Wish Upon A Star)」や「あなたがここにいてほしい(Wish You Were Here)」「君の友だち(You've Got a Friend)」のカヴァーを大嶋さんと久保田さんのデュオで。効果音等もふたりが担当。途中席を立った陰山さんがピアノを弾き、セッションする場面も(ここはインプロだったのかな?)。所謂「名曲」ばかりですが、大嶋さんのアレンジにはノイズや不協和音が加わっており、物語中の悲壮や逡巡と言った陰の部分が表現されていました。で、「Wish You Were Here」って“Did they get you to trade your heroes for ghosts?”てフレーズがあるのなー。スズカツさんの作品では何度か使われている馴染み深い曲ですが、今回そこにうわっとなった。あと客入れで「バードランドの子守唄」がかかってた気がするがどうだったか。

しかし憶えてるもんだなー。今回主に使われた二巻ってあんまり読み返していないんですよ。だってつらいじゃん! それ言ったら八巻も九巻もそうだけどな…(ここでどのキャラクターに肩入れしていたかが窺えますな)なのに台詞とかするする思い出せて。あっ我が友! 我が友な! Mein Freundな! とかね。逆にうっわそうだった、となったのはキルヒアイスが21歳だったこと。当時はそんな気にならなかったんだよ、十代の頃に読んだし、歳上の大人のお兄さんて感じで……。今21って聴くと、えっまだ大学も出てないくらいじゃん? コンビニでバイトしてアイスボックスに入った画像アップして炎上しちゃうような年頃じゃん? てなる。この若さで、あの思慮深さ。ラインハルトの青さは年齢に合致してる感じがするけどキルヒアイスてなんなの……と改めて思いました。そんなふたりの言葉を語るのは、彼らの親世代の陰山さんと石橋さん。ラインハルトもキルヒアイスも、読み手の年齢を迎えることはなかったのだなと思う。クロニクルを読む、と言う設定とともに、このレイヤーはイメージを拡げる効果になっていました。

ラインハルトとキルヒアイスの年齢についてはアフタートークでも話題になりました。以下書いていいかなと判断したとこだけおぼえがき。記憶で起こしているので細かいニュアンス等そのままではありません。

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あ:キルヒアイスは誰からも愛されたと言うか、物語中ヤンはじめ同盟側からも一目置かれていたし、読者も、同盟ファンだけどキルヒアイスはいいと言う方が多いんですよ。どういう狙いでこのキャラクターをつくったのでしょう
た:いつも対になるキャラクターを配置するんです。キルヒアイスはこどものときはラインハルト、軍人になってからはオーベルシュタインと対になる

す:21歳ってホント若い…何故この年齢に設定したんでしょう? そしてキルヒアイスには自己犠牲欲と言うか、貢献欲を感じます
た:今年、ノーベル平和賞を受賞したのは17歳ですし
(ここ「ああ〜」てなちいさな声があちこちからあがってました)
た:若いからこその自己犠牲欲とかってありますよね。理想が高く向こう見ず、と言うか。自己犠牲の精神と言うものについては決して手放しで肯定出来ませんし、今も考え続け、答は出ていません
す:なんでこんなことで? こんなことに? と言うことに命を捧げてしまうひとについて考えてしまうんです
た:まあでも、キルヒアイスがあれだけ尽くしたのは、隣のおねえさんが綺麗だったから(爆笑)
あ:そこですか!

あ:それにしてもなんであんな早くに退場させたんですか。最初から決めていたんですか?
た:まあ、生き延びても22歳。最初から決めていました。キルヒアイスにたられば、「もし彼が生きていたら」はない。歴史を変えるには隣のおねえさんが綺麗じゃなかったとかにしないと(爆笑)…まあでもね、キルヒアイスは小さい頃…まだ自我が確立していない年頃にあこがれの綺麗なおねえさんからお願いされて、姉弟を神格化してしまったのでしょう
あ:キルヒアイスとアンネローゼは純愛だったんでしょうか
す:そう! そこ、下世話な話かも知れないけど気になるんです
た:キルヒアイスは純愛ですね
(えっえっアンネローゼはどうなの)

あ:しかし長生きしていたら誰からも愛される、では済まなかったでしょうね。戦略的に非道な決断を下すことも出て来たでしょうし。ラインハルトもラインハルトで、「俺と姉だけに優しくいればいい」とか言って…なにさまかと(笑)
た:ラインハルトさまです(爆笑)
あ:だいたい…あの、ここにいらっしゃるのは全巻読破されてる方ばかりでしょうから言っちゃいますけど、最後の方でラインハルトがアンネローゼに「キルヒアイスをお返しします」って言うじゃないですか。いつ迄借りてたんだと(爆笑)
す:随分長い(笑)
あ:随分長いサービス残業ですよね
た:キルヒアイスもやっと成仏出来たんですね(爆笑)
あ:宗教観が入り乱れてますけども(笑)
す:興味深かったのは、こんな壮大な宇宙の話なのに、個人の話に集約されるところなんです。ラインハルトはキルヒアイスに「宇宙を手にお入れください」と言われたことがモチベーションになってる

す:赤毛とか黄金色の髪とかアイスブルーの瞳とか、ヴィジュアルに訴える表現が多いですね
(そうそう、ヘテロクロミアとか蜂蜜色とかなー!)
た:この作品を書くにあたって、形容詞の勉強を沢山しました(ふわふわ)
す:私も結構もう長く生きてますけど、初めて見る単語もあって…何て読むの? アクセントは? って出演者からも質問されたりして。でも、とても文章のリズムがいいんです。舞台で翻訳ものをやるとき、意味だけを重要視して訳したものを口に出して言うと言いづらかったり、リズムが悪かったりする。それで上演台本にする際、リズムがよいものに書き換えたりすることもあるんです。演劇だと動きも入るので、その動きに合った言葉にしたり。でも、銀英伝は原作の文章のリズムがよくて、全く書き換える必要がない。リーディングにとても向いているとも言えます。ご自分で書いたものを口に出して読んだりされます?
た:自分で書いたものは全て、必ず一度は音読します
(おお…と感嘆の声があちこちから)
す:前回音楽にボザノヴァを使ったんですけど、ボザノヴァってタンタタンタンターン♪(ワンノートサンバ的なあれね)って同じフレーズを延々やってたりするんですよ。それが気持ちよくて、聴いてたらあんまり気持ちよくてすーっと意識が遠のいちゃったりするんですけど、それに近い

す:今回「You've Got a Friend」とかいい感じの曲を使いましたが、最後大嶋くんが頼んでもいない(笑)ギャーンってギターを入れて来た。ラインハルトとキルヒアイスの美しい友情、の筈が、美しいだけではない不穏な空気で終わった。こういうところ、大嶋くんのすごいところだと思います

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前日(10月22日)62歳の誕生日を迎えたとのことで、田中先生へのバースデーソングとケーキのプレゼントでお開きとなりました。「昨年誕生日を迎えて悲しかったことがふたつあります。ひとつは長年親しくしていた連城三紀彦さんが亡くなられたこと、もうひとつは(『宇宙戦艦ヤマト』の)沖田艦長が歳下になってしまったこと」だそうです(しんみり微笑)。



2014年10月19日(日)
『忘れな草』

カンパニー・フィリップ・ジャンティ『忘れな草』@PARCO劇場

初演はフィリップ・ジャンティ作品を観た二本目で、なんで猿? と混乱したことを憶えています(笑)。なんでも半分くらいは改訂されたとのこと。ノルウェーのヴェルダール演劇学校でワークショップを開催した際、学生たちのレヴェルの高さにすっかり魅了されたジャンティが、教材として使ったこの作品を彼らとともに改めて上演しようと決断したとのこと。昨年観た『動かぬ旅人』も改訂再演でしたが、こうやって変化し続け、更新されていく作品を観続けていける嬉しさよ。そしてレパートリーシアターとしてのPARCO劇場に感謝。

魅力的な声を持つメンバーの資質を活かそうと、台詞が増え、歌う場面も。台詞のいくつかは日本語で。白い雪の美しさ、しんとした夜。ジャンティとメアリー・アンダーウッドに、ノルウェーの土地とひとたちが与えた影響は大きかったようです。カンパニーの現在が映し出されます。自分そっくりの人形を操る演者たち。動きは精巧で、人間なのか人形なのか瞬時には判断出来ない。人形は死体のようにも見え、それを抱える演者は自らの死に対峙しているようにも見える。生と死の境が曖昧になる。やはり猿は登場し、ひとをからかったりときの移ろいを嘆き悲しんだりしている。若いカンパニーのしなやかな身体、躍動感が美しい。

あと水って初演のときあんなに使ったっけなあ。前の席にはとんできたかもね。結構笑えるシーンも増えていて、軽やかな印象になりました。夢か現か、記憶収拾人の旅は続く。

そうそう、今回席がA列でとても視界がよくて嬉しかった…ここ、実質四列目なんですよね。で、四列目から前列との段差がつく。Y〜Z(二〜三列目)だと前の席のひとの頭に隠れてしまい、視界がかなり狭くなるのです。どこだと確実にA列以降がとれるのだろうか…一時期twitter先行でY〜Zがやたらとれたことがあったんですが、一概には言えないですねえ。

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終演後はスペシャルレクチャー トーク。ツアーマネジャーのクレールと、出演者二名(男女ひとりずつ名前失念)、男優さんの人形も一緒に椅子に座って出席。以下おぼえがき(記憶で起こしているのでそのままではありません)。

・演者が扱う人形は15kg(!)作品を演じる前に、まず人形操作の訓練をする。動きを滑らかに違和感のないように…八時間もやってるともう腕はぶるぶる、へとへとになる(笑)本人から型をとった、世界に一体しかない人形

・途中出てくるスノーボールも操作が大変。全身をすっぽり入れて、うさぎ跳びの要領で移動します。あっと言う間に汗びっしょりになります
・ツアーも始まって何度も使っているので、ボールのなかからは僕のいいにおいがしています(笑)
・頭も入れると方向感覚が全くなくなる。劇場によって舞台の大きさが違うので、リハのとき何回でんぐりがえりをすれば指定の場所に行けるのか憶えておく。でも一度その回数を忘れちゃったことがあって、どうしよう? とでんぐりがえり続けて舞台袖にハケちゃったことがある(笑)
・(司会の方)さっきスタッフがでんぐりがえりに挑戦してましたが、すぐギブアップしてました。真っ暗だし狭いしで、今自分がどちらの方を向いているかも、どのくらいの距離を動いたかも判らなくなるそうです

・台本と言われるものはなく、フィリップが提案したシーンのイメージをもとに演者が即興で動き、それをビデオに撮ったものをフィリップが家に持ち帰って観て、これを採用しよう、こう構成しよう提案する。それを何度も繰り返す。お互いの意見を交換しあい、アイディアを取り入れて作って行く



2014年10月17日(金)
『透視図』

維新派『透視図』@中之島GATE サウスピア

維新派、地元大阪で十年振りの野外公演! 待望ですわー。近年観た維新派の公演は『ろじ式〜とおくから、呼び声が、きこえる〜』『風景画 ―東京・池袋』の二作。そのうち屋台村はあったが屋内だったのは『ろじ式』、野外だったけど屋台村がなかったのは『風景画』。そして『風景画』は気軽に行ける場所だったので、維新派を本気の野外で観るのは初めてです。ホームで観られたと言うことも嬉しかった。

『レミング』『石のような水』『十九歳のジェイコブ』と、ここ一年維新派以外の松本雄吉演出作品を立て続けに観ていたので、なんらかのフィードバックをこちらが勝手に期待してしまっている部分はあったと思う。それにしてもここ迄ストーリーが表出しているものは初めて観た。現象として観ると言ういつもの姿勢に、ストーリーを追う、探すと言う作業が加わる。以下ネタバレあります。

大阪の街を訪れ、荷物をかっぱらわれた少女ヒツジ(服装といい、荷物の形状といい、それはまるで戦災孤児のように見えた)に、少年がガイドを申し出る。ふたりは大阪のさまざまな場所、さまざまな時間を巡る。ガタロと名乗る少年は大阪の街と歴史について語り、ヒツジはこの街に移り住んだ祖母と、この街に生まれ育った母の話を始める。沖縄、朝鮮と言った大阪の文化を形成した地名が語られ、その一方で酉島、桜島と言った大阪独自の地名も語られる。“桜島”は鹿児島のことかと一瞬混乱する。自分は宮崎出身なので、桜島と言えばまず鹿児島が浮かぶのだ。しばらくしてそれは大阪のことだと気付き、そういえば松本さんの故郷は熊本だったなと思い出す。ヒツジとガタロの対話を縫うように、少女、男、女、少年たちが舞台上を通過して行く。そのときどきの服を着て、そのときどきの家財を運び、そのときどきの風景をまとい、歩く、走る、跳ぶ。ジグザグに走る。言葉がリズムによって彩られていく。

今作も決してストーリー主導ではない。わたし(=ヒツジ)の家族が暮らした街。わたしが今いるこの街。『ろじ式』の“路地”、中上健次の“路地”。『レミング』の母親。“泥の河”ってああそうか、この川(安治川)は宮本輝のあの河なのか。『小指の思い出』の走る少年たち、繰り返される言葉と動作。開演前に見掛けた、『小指〜』に出演していた山中崇さん。水都大阪、その歴史、その地形。目の前に繰り広げられると音と光景から、さまざまな記憶が引き出される。パレードのように彼らは観客の前を通り過ぎていく。

途中ガタロは男に刺される。ガタロはなんともないように起き上がる。ヒツジとの対話は続き、さっきの出来事は幻だったのだろうと思う。現代の大阪…都会ではそういうことが起こっているのだろう、これはガタロのデモンストレーションなのだろうと。いくつかのシーンの後、テレビの医療ドラマからサンプリングしたかのような音声が差し込まれたときも、その意味に気付くことが出来なかった。しばらくしてもう一度、その続きの音声が聴こえてくる。そのとき初めて、ガタロが当事者であったことが判る。「誰でもよかった」は今ではよく聴く台詞だが、前日まさに犯人がそう言った事件が起こっていた。寒さだけでなく、指先が冷たくなる。水の匂いが強くなっていることに気付く。大阪湾の潮位と関係あるのか? と思った瞬間、背後から大きな音がする。16面の正方形に分割された舞台の間に、大量の水が流れ込む。都市開発により隠された水路が、地上に戻って来たかのように。時折鳴っていた時報がまた聴こえてくる。終演が近付いている。

ヒツジとガタロは離れた舞台にいる。少年少女たちは助走を付けてジャンプする、水を越えて走って行く。水位はみるみる高くなる。ふたりは彼岸と此岸で離ればなれになってしまったかのように見える。しかしやがて彼らは舞台を降り、少女、男、女、少年たちとともに飛沫を上げて水を走る。

川を見つけて 川べり歩こ
川を見つけて 川と走ろ
川べり歩こ  川べり走ろ
海まで行こう 海まで走ろ

現在に生きるものが描く時間と土地の透視図は、二時間で消える。彼らの背後にはビル街の夜景。寒さだけでなく、身体が震える。寒さだけでなく、涙が溢れる。彼らを見送り、拍手を送る。

立ち去り難く屋台村をうろうろし、ぶらぶら帰る。次ここに来ても、この風景はないんだなあ。観ることが出来て本当によかった。旅団は次に現れるのはどこだろう、いつだろう。やっぱりいつかは離島での公演も観たい。

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その他。

・それにしても ま じ で さ む か っ た
・最初は別にどうってことないんだけど、一時間過ぎた辺りから冷気が装備の隙間に入り込んでくる感じ。川辺からの風と水の冷気の底力ですよ
・近く(つっても十数メートルは離れてる)の照明が灯っただけでもあったかいし、花火があがったあとの火薬の匂いすらあったかく感じる程じゃよ
・事前にサさんと諒さんに様子を教えてもらったので防寒対策が出来た。有難うございました!

・幕切れ(カーテンコール)後、舞台の向こうに船が出ていった。演出かと思っていたがそうじゃない日もあったそうで、偶然?
・と言えば「午後四時の〜」あたりで、川べりにいたらしい鳥がすっごい鳴き出して面白かった(笑)

・道に迷ったもんで(何故! 地図によって! 目印のトヨタが載ってたり載ってなかったりするの!)予定より会場に着くのが遅れたんだけど、サーカス(綱渡り)は屋台村オープン直後だったのか終演後遅くだったのか。終演後一時間以上はうろうろしてたんだけど観られなかったよう
・この日はプロ野球CS阪神×巨人三戦目。終演後の屋台村でラジオ流してるとこがあって、「タイガース奇跡の大逆転! 日本シリーズに王手!」と実況しててやんややんや。嗚呼、大阪(微笑)
・演奏で出演の内橋さん、屋台村にも「ブティックうちはし」を出店されてました

・屋台村で食べたもの書いとこー。こんなにかいとか言うなや、朝から何も食べてなかったんだよ! どれも200〜350円程でリーズナブル、そして美味しかったー。つーかバターからあげ! もうネーミングからして惹かれますわよ…寒かったし……
-開演前
 スパムおむすび
 山芋ミルクスープ
 ココア(ほんのりラム入り)
-終演後
 揚げピザ
 オニオンスープ
 バターからあげ塩にんにく味

・Twilog date-141018
・Twilog date-141019
旅のあれこれ画像もちょこっと。ホテルでAICファンの方に遭ったり王子動物園でまぬるねこやパンダを観られたり、よい旅になりました。行けてよかった

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・過去の大阪への挽歌、維新派の舞台始まる - ニュース(News) | 関西を24時間遊べるウェブマガジン『Lmaga.jp』

・水都・大阪の記憶描く「維新派」新作の野外劇:日本経済新聞

・ガタロのおじさん|酔桃亭だより
“ガタロ”について調べていたとき見付かった、とあるエピソード

・大阪の「キタ」「ミナミ」ってどんな都市?|All About
キタとミナミについて初めて意識しまして…いやー知らなかった、お恥ずかしい。
今回の借景、舞台の向こうに見えていた高層ビル街は“キタ”だそうです



2014年10月13日(月)
『テロ, ライブ』『WORLD BEAT 2014』

『テロ, ライブ』@シネマート六本木 スクリーン2

前売り買って特典のノートも貰っていたのに観たのは今と言う…やっと観られた〜ららら〜(唄う)ハジョッシー! ハジョッシー!(叫ぶ)

いやホント観られてよかったわ…そして今回も頼りになる沼先輩方、twitterのTLでいろいろ読ませて頂いていたのでヒイー! となるとこいっぱい。ありがたやありがたや。勿論予備知識なくても楽しめる非常にエキサイティングな作品でしたが、あの建物が国会議事堂だと言うことを知っているのと知らないのでは、幕切れの印象がかなり変わりますね。本国のひとたちだとそこらへんすぐ判るのでしょうが、外国人が観ても気付かないよ…ホワイトハウスみたいな、いかにもって建物じゃなかったし! 本当にさりげなく映るし! このへんはパンフレット等で補足すればよかったのにと思ったりもしました。

なんかもー公開から随分経ってるしひとの感想読んでまわってああ! ああ、ああ! とのたうちまわり終わったので自分の感想を書く気力など。と言うことでメモ的なものを。

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・ハラハラドキドキやがて悲しき
・ハジョッシハジョッシ言ってますが本当の名前はハ・ジョンウです
・カメラに向かって喋り続けるキャスター役。出ずっぱり、ひとり芝居の時間が長い。表情のちょっとした変化、視線の動き、声の調子、これで98分引っ張ります
・それを追うカメラのスピード感も素晴らしい
・で、ハジョッシ声がいいー! 美声ー! この声好っきー!
・そうですチョン・チャンタイプの声です。倍音出てそうな
・電話の声への疑念、犯人が明かされたときのやりきれなさな…ううう(泣)
・いやーしかしTVキャスターて激務よの…神経すり減るわ。寿命縮むわ

・Noye(博)/곤(@umksr)さんとあいはら(@ai_harari)さんのやりとり
すっごくすっごく参考になりました。あいはらさんのツイートはいろんなためになることが書いてありますよー特にハジョッシ情報

・『방송사고내 귀에 도청장치사건』(放送事故「耳に盗聴装置があります」)
上記のやりとりで紹介されていた映像


・『ポップコーン』ベン・エルトン
視聴率のためならエンヤコラ、個人的な参考図書。舞台化され日本では勝村政信さんが犯人を演じました

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『WORLD BEAT 2014〜ジプシー・オリエンタル・エクスプレス!!』@めぐろパーシモンホール 大ホール

ハシゴ。ファンファーレ・チォカリーア(ルーマニア)、クイーン・ハリシュ(インド)、ババズーラ(トルコ)。早くから開いていた会場では、ロビーでCD、グッズの他に屋台的な食べものや呑みもの(先月のペンギンカフェのときにはなかったものが!・笑)、ダンス用品やアクセサリーを売っている。楽器も売ってた(ステージで使用後売りますって・笑)。ミニ演奏会もやってました。ロビーが広いとこはいいね! 特にこんな雨の日はね! 開演前にはステージにバラカンさんが登場、スライド映像を見せ乍らバンド紹介をしてくださる。

トップバッターはババズーラ、超サイケ! 日本人ベリーダンサー、ノーラさんが妖しくステージを彩ります…と思っていたら、後半は腹踊りを披露。まあベリーダンスも腹踊りの要素がありますが、顔を描いた肌色ストッキングを着て出て来た(この時点で自前の顔も隠してる)ので照明当たる迄おろっとなりましたわ…乳首の部分が目になってるんで、あれ、トップレス? それとも毛皮族仕様(飾りニプレス)? と思ってな(笑)。これがかわいいの! いやん盛り上がったわ。

休憩後まずはクイーン・ハリシュ、ちょう男ットコ前の女形ダンサーです。ちょう美人なんだけど骨太な感じで踊りもしなやかと同時に力強い。あひる口がかわいい。頭に大きな(1.5mくらいある)壺を載せて登場(ラジャスタンダンス?)、あっと言う間に場を掴む。高速回転、そしてプロフィールにもあった超高速膝立て旋回ダンス! 身体が浮いてるみたい! 盛り上がる盛り上がる。やーこれすごかったよ、また観たいよー。アンコールで出て来たときまたやってくれないかなと思ったけどやってくれなかったわ。膝に負担かかりそうだし、決めワザだからそんな簡単には見せられないですよね。

さてファンファーレ・チォカリーアですよ。『アンダーグラウンド』の音楽で一気に認知された、あの超高速ジプシーブラス。観るのは2005年の『彩の国ワールド・ミュージック・フェス』以来。この翌年に最年長のおっちゃんが亡くなったんだよね…今最年長の方も、もう七十代くらいではないかな。大太鼓のおっちゃんがなんだか終始つらそうでちょっと心配になったり。基本旅バンドだから体調には気を付けてね。

パワフル、とはまた違って終始軽やか。でもすごいエネルギッシュ。ジプシーブラスマナーの「Born to be wild」や「007のテーマ」とかちょう格好よかった。「Born to be wild」なんてリズムが全然違ううえにメロディもなまっているから、サビが来る迄何の曲かわからなかったくらい。サビが来ても節まわしが独特なので一緒に唄えないね! 笑顔で手を叩き続けるね! 伝承曲の数々は当然むちゃアガる。掌が、指がもうパンパンです。しかもねなんか巧くなってた、前より(笑)。

ふと考える。東欧のちいさな村(彼らのドキュメンタリー映画『炎のジプシー・ブラス』のサブタイトルは「地図にない村から」だ)に暮らし、結婚式や葬式で演奏していた彼らをヘンリー・エルンストが“発見”したのは1996年。メンバーが固定されていき、バンドとしてアルバムデビューしたのは1998年。ルーマニア革命によりチャウシェスク独裁が終結したのは1989年のクリスマスだ。チャウシェスク夫妻が処刑された映像は、メディアに“処刑〜遺体検分”が公開された最後だと記憶している。今ではそんな映像は(日本では)TVには流れない。“発見”迄の七年間、経済破綻下のルーマニアで不況に苦しんでいた彼ら。「自由は手に入れた。次は幸福を手に入れる番だ」。

ドサまわりマインドがときに哀愁を生む。でもそれは、本人たちにとっては日常であり、あたりまえのことなのだろう。感傷なんてこちらが勝手に抱くものだ。音楽はいつでもそこにある。今はこの方が最年長かな、tpのラドゥさんのソロ。音が細くはなっているけれどすごく“唄う”ラッパ。素敵でした。

アンコール後、演奏し乍ら客席へと降りてくるメンバー。通路を練り歩いて投げ銭ターイム! 観客が群がってしまって右往左往、どっちに行けばいいか迷ってる(笑)。おでこに千円札を張り付け、帽子にお金を集め、そのままロビーへ。プランクトンの社長さん(確か)がステージに誘導しようとしていたけどそのまま出て行ってしまったよ…そのまま皆ロビーでうろうろ(笑)。終演後はバンドはサイン会、ハリシュさんはヘナタトゥー実演。メンバーと立ち話をしているひとがいたり、写真撮影してるひとがいたり。立ち去り難いお祭りでした。

ハジョッシの美声も堪能したしいろんな国のいろんな音、文化を楽しんだ一日だったわー。台風が近付いていたので急いで帰宅、ごうごうの風音を聴き乍ら眠りにつきました。

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・ファンファーレ・チォカリーア 来日公演|Fanfare Ciocărlia|PLANKTON プランクトン

・<フジロック’14>沸かせたジプシー・バンド=ファンファーレ・チォカリーアのマネージャーに彼らの魅力を聞く | Qetic

・ファンファーレ・チォカリーア - CDJournal
「結婚式で演奏していました。そのときABBAの〈マネー・マネー・マネー〉をやってくれとリクエストがきてできなかったら話にならない。どんな曲でもぼくらなりのスタイルで演奏できますよ」



2014年10月11日(土)
『ジュリアス・シーザー』

『ジュリアス・シーザー』@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

「ブルータス、おまえもか!」を初めて生で聴けた感動な! アガるわ! そしてちょうエモ合戦なのに台詞が通る通る。演者のすごさな……。ブルータス=阿部寛、キャシアス=吉田鋼太郎、シーザー=横田栄司、アントニー=藤原竜也の、言葉を伝えるスキルがとにかくすごい。

前述の名台詞はよく知られているのに上演の機会はそう多くない。この彩の国シェイクスピアシリーズでも、これだけ後の上演になったと言うことからも判断出来るように、ん〜? と言う部分が少なくはない作品です。しかしそういうものでも演出と役者の力で見せきれるものですね…とそこにまず感心しました。通路使いが多くてしょっちゅう役者さんたちが近くを通ったんですが、メイクがいつにも増して厚塗りのようにも感じた。横田さんも藤原くんも元の人相が曖昧になるくらいの塗りっぷりで、もう「お芝居として大仰に見せます!」てメッセージすら感じるくらいでした。それが功を奏していたようにも思います。演説シーンといい言い争いのシーンといい寝た子を起こす勢いと言うか…実際となりのおばあさん、上演中三分の二いや五分の四は寝てらっしゃったんですが(…)鋼太郎さんが今回よく使った(意識的でしょう)大袈裟な芝居のところでは起きてらっしゃいました。

そうなんですよ、鋼太郎さんがノリにノッてて。結構な悲劇なのに鋼太郎さんのとこだけ笑いが出たりしてたよ……舞台あらしギリギリ。ここで笑わしにかかるか? と感じる箇所も個人的には多々あり、で、まあ、正直に言うと退いてしまって(いや私鋼太郎さんのことすごく好きですし、彼が出演した他作品ではこんなこと思ったことないんですよ…)「悲劇における笑いの使い方」について考え乍ら観てしまった。しかしお客を楽しませようと言う意気はとても感じましたし、実際観客の関心を惹き付けていたと思います。あとやっぱり散々笑わせておいてもキメるところはキメる。あれだけぶつかりあったブルータスとキャシアスの、今生の別のシーン。これ迄の激情は何だったの? と感じる程実に淡白なのですが、ここに到る迄の情交が濃かったからこそ、全てが過ぎ去ったのだと感じさせる別れはキます。

そして過剰なキャシアスがいることで、ブルータスの揺れや思慮深さとのコントラストがハッキリする。パンフレットによると阿部さんは蜷川さんに「声が小さい!」と怒られたそうですが(笑)、その大きくない声こそがブルータスの人物像を明確にし、観客がその心情を探るキーにもなっていました。小さくてもしっかり台詞が通る、伝わるところもよかった。

阿部さんと言えば、彼が出ていたからとか、セットが大階段だったからと言うだけではないと思うけど、あのエモさと言い、男性同士の愛憎(二幕目中盤のあれとか痴話喧嘩にしか見えん)と言い、二反田さんの階段落ちと言い、つかこうへい…を連想したのは意外な収穫でした。気になって帰宅後つかさんとシェイクスピア作品について検索してみたら、松岡正剛『千夜千冊』の『リア王』がヒット。興味深く読みました。つかさんが『ジュリアス・シーザー』についてどう思っていたか知りたいなあ。そしてつかさんが今も生きていて、今回の演出観たらどう思ったかな。観てもらいたかったな。

・600夜『リア王』ウィリアム・シェイクスピア|松岡正剛の千夜千冊

そうそう、セットの大階段なんですが、役者の立ち位置によってその上下関係や、今どちらが優位に立っているかが視覚化される非常に機能性のあるセットでした。三分割した真ん中の階段を取っ払い、そこでブルータスとキャシアスがいい争うシーンも、両サイドの高い階段により閉塞感、行き詰まり感がありよかった。出演者の膝にとても負担のかかりそうなセットなので(また階段ひとつひとつの段差がかなりあるんだ。その方が駆け上がるとき見映えするものね)、皆怪我なく千秋楽を迎えられますように。そして二反田さん、千秋楽迄ご無事で……!

あと訳が絶妙だったように思う。シーザーの口調とかちょうかわいい、「シーザーは出掛けない(もん)!」と、語尾に「もん!」が聴こえるような…クマモンか(笑)。横田さんの声がまたよくてな。藤原くんの「運命の女神は上機嫌だ!」て台詞も響いたわー。楽しゅうございました(あれ、悲劇なのに? とまた考える)。



2014年10月05日(日)
『小指の思い出』

『小指の思い出』@東京芸術劇場 プレイハウス

雨のなか地下連絡通路から芸劇に入り、そのままシアターイースト/ウエストの入場口を探してしまう。違った、今日の公演はプレイハウスだった。マームとジプシーの藤田貴大が、初めて手掛ける中劇場の演出作品。

いやはやよがっだ…よかったって言うかすごかった……帰り道一緒に行った友人との会話がはずまないはずまない。『業音』観たあとのあの状態になったわ……。考えてみれば『小指の思い出』も『業音』も車に撥ねられる話で、子殺しの話だ。藤田さんの演出により、野田秀樹の戯曲のダークサイド、残酷性が露になった。『小指〜』はグランギニョルでもあったのだ。親(保護者)が死んでしまったらどうしようと言う恐怖感。眠ると二度と目覚めないのではないかと暗闇に目を見開く子供時代。大きな声が正しいとされる社会。

そもそも野田さんの書くものは残酷だった。最初にこれら人間の残酷性をハッキリと演出にも反映させたのは『オイル』だったように記憶している。タイトルにも象徴されているが、『21世紀を憂える戯曲集』に収録されている『オイル』や『ロープ』『THE BEE』と言った作品に、直截な表現が目立つ。しかし考えてみれば、『贋作・桜の森の満開の下』は夜長姫の嗜虐性が際立つものだった。『二万七千光年の旅』は人食を巡る物語だ。演出の美しさに惑わされ、それを「意識せざるを得ない」と言うモードで観劇することがなかった。

自動車と言う具体的なセットはあるものの抽象性の強い美術や、それらが最初布で覆われているところは野田演出を意識したのかなと思った。舞台両端にある高台は『走れメルス』を思い出した。記号かと思われた言葉や情景から複数の意味を浮上させるリフレイン、肉体を酷使する演者たちと言う特徴も共通点ではある。そしてどちらもテンポがいい。

そんな場から発せられ、いちばん心に響いた言葉は「こだまより速く、ひかりより速いのはいのり」。そして「こだまより遅いもの、それはのろい」。初演時ひかりより速い新幹線はなかった。こだま、ひかり、ときて次に速いものは、と言う問いに当時の野田さんはこの言葉を書いた。それを今舞台上で聴けたことに感謝したい。

ときにスピードが言葉をおいていってしまいそうなところもあった。それをひしと繋ぎ止めたのが松重豊、流石の牽引力。自在に言葉を操るスキル、それらを相対する役者、観客、音楽に差し出していくリズム感のよさ。佇まいも、滑らかな動きも、なんと魅力的なことか。あの長身からゆらりと伸ばされた右手の小指、その指紋がほどけて凧糸になっていく光景が見えるようだった…いや冗談抜きで。心眼を喚起させてくれる役者。スズキタカユキによる衣裳も素敵。スキニーなパンツ、脚の長さと細さにクラクラ。

飴屋法水と青柳いづみの二人一役(と言っても、そもそもは野田さんがひとりで母/聖子/子供/魔女と言う複数の役を演じていたのだ)も、グランギニョルを連想した所以だ。人形芝居のグランギニョル。どちらも容れ物になることが出来る。身体を他人に一切預けることに恐怖感はないのだろうか…と思わせられてしまう。宮崎吐夢は、ラウドな狂乱の場面から観客を現実に引き戻す術に長けていた。マーム組では正月と六月を演じた川崎ゆり子、伊東茄那が印象的。衣裳も相俟って双子のよう。このふたりで『半神』を観てみたいななんてことも思った。

どうなるかなといちばん期待していたと同時に不安でもあった「解像度が劇場のサイズに合うか」も楽々クリア。青葉市子、Kan Sano、山本達久のトリオによる音楽も空間を色鮮やかに満たしてくれる。開場〜開演の間に会場に漂う音もよかった。サントラCDがあったので買ったけど、聴いたら作品のダークさにとりこまれてしまいそうで怖くもある。音楽単体はとても優しくメロディアスだったのだが。この日寝る前、歯みがきするのが怖かった。眠るのが怖かった。近付く台風、雨の音のおかげで眠ることが出来た。

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よだん。パーマかけた飴屋さんを観られたのもよかったわ(笑)

よだん2。はみがき粉って洗ってもなかなか落ちないよね…衣裳が白く汚れているひとがいるのはそのせいでしょうか、とれないんでしょうか。日が経つにつれ白い部分が増えてくんでしょうか…って、それが狙いだったらすみません……