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2007年07月06日(金)
『THE BEE』日本ヴァージョン

NODA・MAP番外公演『THE BEE』日本ヴァージョン@シアタートラム

ネタバレしてます、未見の方はご注意を。

二度と観たくない、と言うくらいヘヴィーな作品だった。70分で疲労困憊、絶望的な気分で涙も出ない。しかし、観てよかった。野田さんがここ数作書き続けている、「報復の応酬」「暴力の連鎖」が恐ろしいレヴェルで作品として成立している。アート・イズ・レジスタンスってこういうことなんじゃないか。

普遍と現在と。原作は筒井康隆の『毟りあい』。書かれたのは1976年。30年以上前に発表された作品には、変わることのない人間の暴力性と、今の時代にジャストな、予測の恐怖心から生じる心理的拘束が描かれている。人間は冷静に狂気を操れる生き物だ。そして、それに慣れる。女は服にアイロンをかけ、食事を作り、夜になると股を開き、男は食事の後にまな板の上でこどもの指を切り、封筒に入れて外の人間に手渡す。これが日常になる。やがてこどもは動かなくなるが、まだ女の指があるし、男の指も残っている。女は殺されないが為に一連の動作を繰り返しているように見えるが、その生活が続くうちに、生きている理由すらも解らなくなっている。そして、その家は文字通り紙くずになって姿を消す。今頃あちらの家も、同じようになっているだろう。

ストーリーは本当にヘヴィーで、もう観たくないのだが、カンパニーの素晴らしい仕事っぷりはまた観たい…。装置は吊るされた大きな紙1枚。小道具は鉛筆や箸、紙筒等。紙を切ったり破ったりして、その場に合わせた状況をみるみる造り上げる。それは舞台上の役者(野田さん以外は皆複数の役を演じる)が全て行う。前半のスピード、リズム感は圧倒的。紙筒に野球帽を被せたものをこどもと設定して演技を始めた時には笑いが起こったが、あるタイミングで近藤さんと入れ替わる。ここが絶妙。あちこちから感嘆のため息が漏れていた。

こう書くと、所謂“仕掛け”こそが全てになりそうだが、そこは野田さんを筆頭に、全員身体が切れる少数精鋭。段取りも多い進行だが、全員の存在感が恐ろしい程に舞台上に立ち上がっている。こどもをいたわる秋山さん、こども、の近藤さん(あのイカツい近藤さんが見事に6歳になる!)、加害者と被害者の逆転に次ぐ逆転に翻弄される警部の浅野さん(この浅野さんがラスト、あの家を紙で包んでしまう役割を担当していると言うのも考えるだにシニカルで恐ろしい)、冷徹なビジネスマンとして、指を送りつける取引を提案する野田さん。最初に送られて来たこどもの指を大事そうに鞄に入れる井戸の背中。その後の“紙くずの家”を想像すると今でも手が震える。

少人数のプロダクション、観客の想像力を信用している抽象の装置、美術と演技プラン。野田さんの“巨大”さを再認識。テアトル・ド・コンプリシテからの影響と思われるが、ある時期を境に映像を使った演出を多用するようになった。この効果も抜群。

ロンドンヴァージョンはキャストも演出も全く違うとのこと。こちらでは女(小古呂の妻)を野田さん、男(井戸)をキャサリン・ハンターが演じる。観るのが怖い、でも楽しみ。

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■それにしても
劇中使われていた日本語ヴァージョンの「剣の舞」が頭から離れません(尾藤イサオさんの歌だそうで)。たすけて

■それにしても
先月の『NO MAN'S LAND』と言い、一昨日観た『少女とガソリン』と言い、こういう作品が立て続けに上演されている今の時代と言うものを考えるにつけ(以下略)
「話せばわかる、か?」を改めて噛み締めている

■それにしても
野田さんどっちのヴァージョンにも出ずっぱり…しかも1日2公演。70分の作品だけど、消耗度は相当な筈。た、タフ……