ケイケイの映画日記
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2006年12月30日(土) 「犬神家の一族」


多分今年の最終鑑賞作。噂にたがわず、もー、元の作品そのまんま。しかしそのまんまと言えるのは、あのセリフあのシーン、私が覚えているからなのだな。それは元作が傑作だという証明にもなるかと思います。筋が命のミステリーを、それでもそこそこ面白く見せてくれたのはさすが市川監督だと思います。ただ元作の高峰三枝子の松子を超えると言われる今回の松子・富司純子ですが、私は息子菊之助との共演シーンで、高峰版松子に思わぬ憐憫を感じてしまいました。

今回ストーリーは、みんな知っているので割愛(年末につき、ごめんね)。
&ネタバレです。

確かにオープニングの音楽を聞くと、わー懐かしい!となります。石坂・金田一も、流石に走る姿はドタドタですが、齢65歳と思えば立派な若々しさです。うちの旦那なんか53ですが、この何年も全力疾走なんかしていないはず。ちょっと顔に年齢特有のシミがありましたが、これはメイクかCGで処理して欲しかったかな?

私が一番楽しみにしていたのが、加藤武の「よーし、わかった!」です。最初の一発目は、さぁ言うぞ、もう言うぞとこっちが待っていると、少しためた後、「よーし、わかった!」が出て、思わず自分の顔がほころんだのがわかりました。元作の出演者である高峰三枝子、小沢栄太郎、岸田今日子など、鬼籍に入られた方も多い中、加藤武にはいついつまでもお元気でいて欲しいと思いました。

それなりに面白くは観たものの、元作を知っているものは懐かしさ以上の物はありません。キャスティングはちょっと待った!という感じも多いですし。まずは珠代役の松島奈々子はちょっとなぁ。元作の島田陽子は、当時は本当にこんな清楚で美しい人はいないと感じさせた人なので、「びっくりするほど美しい人ですよ」の言葉も、素直に肯けましたが、松島奈々子は時代の波に乗って飛躍した人で、決して美人ではなく、むしろ愛くるしいファニーフェイスです。松竹梅役の、富司純子・松阪慶子・万田久子の若かりし頃の方が、ずっと綺麗でした。デカ過ぎ&年が行き過ぎで、楚々とした守ってあげたい可憐さに欠けます。佐智のレイプ場面など、抱っこした池内万作が彼女が大きすぎて、はぁはぁ言ってるのがわかりましたが、それってあかんやん?

佐竹&小夜子は、元作は川口恒&川口晶の実の兄妹が演じ、役の上とは言いながら、「妊娠しているのよ」との小夜子のセリフはドキドキさせ、土俗的で猟奇的でインモラルな、この作品の雰囲気にマッチしていまいた。今回の池内万作&奥菜恵は、まぁそれなり。というか、私は池内万作はコメディが似合うと思うんですが。

はてさて、私が安全パイだと思っていた富司純子で違和感がありました。彼女の演技はこの作品にダメ出ししている人も絶賛で、私も手堅く見応えがある演技だとは思います。しかし元作の高峰三枝子には完全に負けていました。思うに話題作りのはずの、実の息子の菊之助を佐清に持ってきたのが、私にはダメでした。もちろんキクちゃんの演技にも文句あるんじゃありません。

今の富司純子は、絵に描いたような幸せな主婦のはず。娘盛りを渡世に賭けて、世の男性方を熱狂させているピーク時に、愛する男、それも難しい梨園のプリンスの元に嫁ぎ、あっさりスター女優の座を投げ出し、しばらくは夫を支え育児に勤しみ、立派な家庭を築き上げ、もう大丈夫という頃に女優復帰。その後の活躍の目覚しさは、年齢から考えれば立派なもので、夫もしっかり歌舞伎界の重鎮になり、美貌を引き継がせることが出来ず内心不憫に思っていたであろう娘も、精進の甲斐合って見事女優として開花、跡取り息子は他の家の跡取りたちのようなスキャンダルもなく、今回も立派に演技を披露してくれています。それもこれも彼女の頑張りがあったからで、それについては素直に尊敬出来るし、同じ主婦として憧れもします。でも犬神松子は、人から憧れられる人が演じちゃいけないんです。

犬神松子と言う人は、長女に生まれたため跡取り娘として暴君の父親が支配する家から出られず、母親とは幼い時引き離されたでしょう。夫はもうすでに亡くなり、頼りは一人息子の佐清だけのはず。竹子・梅子は婿養子を取るも、家からは離れ怨念の深い犬神家から離れ、自由に自分の家庭を築くことが許されたはずです。だから妹二人と松子は、苦しみの幹はいっしょでも、枝ぶりは全然違うのです。

金田一は「あなたは財産を独り占めにするため、佐竹さん佐智さんを殺したんですね」と言いますが、それは違うと思います。戦争であんな顔になってしまい、財産も一円も相続出来なければ、佐清は妻を娶ることも出来ず、最悪路頭に迷うこともあるかも知れない、そう母親なら思って当たり前です。
珠代に選ばれる選ばれないは、佐竹・佐智より重みが全然違うのです。

今回もセリフにあった「お前が偽者だなんて、珠代の嘘だよね?」の松子のセリフには、高峰版松子には、母の必死の盲愛と執着、哀しさと甘さ、そして世界の誰より息子が大切、そんな思いの丈が、たったあれだけのセリフに感じられましたが、今回の松子にはそれがありませんでした。

思うに高峰三枝子も夫と別れ、女で一つで一人息子を育てた人です。その息子は確か品行に問題があり、警察沙汰を起こしたことがあったはず。「お前が偽者だなんて」は、「お前があんなことをしたなんて、嘘だよね?」の、高峰三枝子の気持ちが被さっていたのではないかと思います。真実はわかっているのに見たくない知りたくない、愚かで切ない母心です。

ミドルティーンだった当時の私が松子に理解を示し、自殺のシーンで泣いたのは、自分の全てを注いだ高峰三枝子の名演技が呼んだことだったんだと、今思います。今回富司純子は立派な演技をしているのに、幸せさが透けて見えてどうも感情移入出来ない松子でした。

キャスティングって大事なんですよね。元作を知らない方は、今回の松子で十分だったと思います。犬神松子を、どうぞひどい女だと思わないでね。

今年はこれで感想文は〆です。
皆様、お付き合いいただきありがとうございました。
どうぞ良いお年を。


2006年12月23日(土) 2006年年間ベスト10

今年も残すところ後一週間あまり。という事で私的年間ベスト10です。まだ「大奥」「鉄コン筋クリート」など観たい作品はありますが、ベスト10には入らないと思うので(予想)、今年観た85本の中から選ばせてもらいます。内訳は

邦画    30本
アメリカ  45本
韓国     4本
中国     2本
スペイン、イギリス、セネガル ロシア 各一本です。
鑑賞金額は58340円。一本単価689円。電車代16320円。
各映画館の一年間の会員金額・布施ラインシネマ1000円・テアトル梅田3000円・動物園前シネフェスタ1000円・梅田シネリーブル1000円。総合計80660円。電車代を入れた一本単価は、949円。
1000円割りました!やった! 

それではよろしくお付き合いお願い致します。では去年のようにアジア映画部門から。邦画と洋画で分けて選ばれる方がほとんどですが、この選び方はすごく選びやすくて楽です。まーね、正直ずるいのですが、ワタクシのキャラを生かした選別であるとお許しを。

アジア映画 

1  嫌われ松子の一生
2  明日の記憶
3  王の男 
4  紙屋悦子の青春
5  ゆれる
6  力道山
7  欲望
8  佐賀のがばいばあちゃん
9  グエムル
10 そうかもしれない

外国映画 

1  父親たちの星条旗 硫黄島からの手紙 
2  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
3  プルートで朝食を
4  カポーティ
5  ジャーヘッド
6  イカとクジラ
7  ロード・オブ・ウォー
8  母たちの村
9  スパングリッシュ
10 M;i; 

両方共通しての一番は硫黄島2作です。本当は一作づつあげるのが良いのかも知れませんが、やはり2作とも観て真価がわかる内容だと思いますので、同列にしました。もっと好きな作品はありますが、戦後60年以上経ち、日々戦争への恐怖、哀しさの気持ちが薄れ行く中、硫黄島を日米両方から描くという画期的な作品を、現在世界でNO.1監督であろうイーストウッドが撮った作品をリアルタイムで劇場を観られたという幸せ感で、1位にしました。

観た時は絶対今年のNO.1だ!と息巻いていた作品も、時間が経てば少しトーンダウンして、落ち着いて考えればずるずる下がった作品もあります。「フラガール」のような、観た方ほとんどが絶賛するような作品が洩れ、「それ、どちらさん?」と大方の方が思われる作品が残ったり、不思議ですね。こうしてみると、好きな映画とは完成度云々ではなく、自分の心にどれほど響いたか、反芻させてくれたか、ということだと思います。意識はしていませんが、性別、職業、年齢、経験、知力、美意識、背負ったものなど、私は己の全てを込めて観ているのだなぁと感じています。そうした鑑賞スタイルが、日常の細々を豊かに感じる目を育て、日々の生活にハリを持たせてくれていると思うと、本当に映画が好きで良かったなと思います。

今年は春に手術をして、皆様には励ましまたご心配いただき、本当にありがとうございました。回復が悪く、私の生活から映画を観るということがなくなったらどうしよう?と思っていましたが、お陰さまで無事元通りの生活を送っております。来年も息災で家内安全、仕事も元気に通える一年であるよう、頑張りたいです。でないと、映画館も通えませんから。何か観られたら書くと思いますが、取り合えず今年の締めです。

今年一年ご贔屓いただき、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
どうぞ良いお年を!  
                 


2006年12月17日(日) 「王の男」


素晴らしい!劇場で10回は観たんじゃないかという予告編を観る度、待ち遠しかった作品です。若干ツメが甘いなと思う部分もありましたが、観ている間の胸の高鳴りやラストの爽快感は、在日を描いた「力道山」に感じた時とはまた別の、私はやはり韓国人なのだなと思わせてくれます。公開当時韓国では17週のロングランを続け、歴代観客動員の新記録を樹立した作品です。監督は巨匠でもなんでもない、イ・ジュンイク。それもすごい!

幼い頃より共に旅芸人として暮らすチャンセル(カム・ウソン)と女形のコンギル(イ・ジュンギ)は、一座の花形です。ある事件のため、二人は田舎町を出て、国一番の芸人になろうと都である漢陽にやってきます。漢陽は、暴君で知られる王ヨンサングン(チャン・ジニョン)の噂で持ちきりでした。キーセン上がりの王の愛妾ノクス(カン・ソンヨン)との話を絡め、面白おかしく大道芸を繰り広げる彼らは町で大評判に。それを聞きつけた王の重臣たちに捕らえられたチャンセルたちは、王の前で芸を披露し、王を笑わせたら許しを貰えることに。コンギルの妖艶さが気にいったこともあり、王は彼らの芸に笑いをもらします。王の言いつけで、宮廷で生活することになった一座ですが・・・。

まず大道芸が素晴らしい!サムルノリの音に合わせてのコントを絡めての綱渡りは大変躍動感があり、ウソンの張りがあって声量のある、少し高めの声にも聞き惚れます。ほとんどスタントなしで、ウソンとジュンギが演じていたそうですが、これはあっぱれ。色鮮やかな衣装を身にまとい、やはり華やかな色彩の街中や宮廷での芸の宴には、目を見張る物があります。

主要人物三人には、それぞれ見せ場も与えキャラ立ちも明確です。チャンセルとコンギルの関係は、京劇が舞台の「覇王別姫」の二人を彷彿させるものがあります。方や国の伝統芸能の継承、方や折々の時勢の風刺など、自分でネタを作る底辺の大道芸です。京劇ももちろん素晴らしいのですが、自分の四肢とおつむが全て飯の種という自由自在さを、チャンセルとコンギルから感じました。裸一貫で生き抜けるたくましさですね。兄弟のような、親友のような、あるいは男女の愛のような感情もあったのかも知れませんが、私は性的な匂いは感じず、兄弟的な縁の深さを感じました。

当時の旅芸人というと、最下層にあたると思います。しかしチャンセルは権力や金の力に屈することのない、気骨溢れた男です。誰にも縛られず、己の大切な人は何があっても守り、芸に関しては頑固なプライド見せるその様子は、失くす物のない人間の強さと自由さ、そして彼の闊達な人柄を表しています。演じるウソンはとにかく芸達者。男気溢れるチャンセルを、とても魅力的に演じています。

対する王は、常に名君の誉れ高かった父親と比べられ、幼い時に母と死に別れた(それも残酷な理由)ことが原因で、今でいうアダルトチルドレンのような人です。それに最高権力が加わるのですから、幼稚で暴力的なとんでもない男なのですが、その背景を知ると、彼に同情心が沸いてきます。権力者の孤独と不自由な立場は、最下層のチャンセルと皮肉な対比になっています。演じるジニョンは、暴君的に振舞う時の狂気、コンギルを知ってからの、幼い時分の愛を取り戻したいかのような病んだ部分を的確に演じ分け、秀逸です。

コンギルはその美貌で同性をも魅了します。彼には妖艶さよりも母性を感じました。王が眠る時流した涙をぬぐう彼。王にはそんな人はいなかったのでしょう。愛妾のノクスは王の権力を愛しているわけで、王自身を愛しているのではなかったでしょう。王の涙など、見た事もなかったかも。最後まで王の行く末を案じる老重臣には、王に対する心からの忠誠心があったでしょうが、それもやはり王自身ではなく、その立場を重んじていたから。王の寂しさや辛さを察したのは、コンギルが初めてだったのだと思います。

自分も孤児同然だったはずのコンギルの母性的な与える愛は、どこから来たのでしょうか?コンギルとチャンセルが同室で眠る時、そっとチャンセルがコンギルに布団を掛け直します。その時そっと目を見開いたコンギルは、この暖かい心を、王にも感じて欲しいと願ったのではないでしょうか。コンギルをこのような優しい男に育てたのは、影になり日向になりコンギルと暮らしてきた、チャンセルだったように感じました。

チャンセルにその自覚はなかったはずで、一見チャンセルの方がコンギルへの思いが強いような印象ですが、チャンセル以上にコンギルにとっては、チャンセルはなくてはならない存在だったはず。それを随所に張り巡らせ演出が心憎いです。

少々ツメが甘いと感じたのは、王の造形です。あれでは少し精神に異常をきたした人のようです。そうではなく、まともな精神状態に描いていたら、彼の行いにもっと震え怯えた感覚が残るはずで、より狂気が感じられたでしょう。あの様子では仕方ないような、同情心が沸いてきて、重臣の方が悪く描かれていた気がします。主君に逆らう家来の無念さや辛さも描き、ただのわからずやではなく、本当の意味での冷酷無残な国王として描けば、もっとコンギルに執着した部分も盛り上がったと思います。とはいえ、これでも充分に満足していますが。

数奇な運命を辿るこの三人のラストは、やはり張りのあるチャンセルの大道芸の始まりを告げる声でスタートしました。この演出に、私も息を吹き返したようなコンギルと同じく、生命力を感じました。一世一代とも言える二人の芸に心躍らし、哀しい末路にも爽快感とカタルシスを感じさせました。もう一人、王の愛を取られ、あれこれ策略をめぐらせたノクスが、愛妾として男をとろかすプロとして、最後に見せた女の意地にもグッと来ました。彼女もまた高級娼婦のようなキーセンの出で、最下層の人。人品や格は出身層にあらじ、その心栄えに全て有りと言うことで。


2006年12月14日(木) 「硫黄島からの手紙」


昨日私の愛する布施ラインシネマで観て来ました。昨日はオープン10周年記念日ということで、大盤振る舞いのサービスがあり、この作品もガラガラだった「父親たちの星条旗」に比べ、超満員でした。しかし映画を観てそれも納得。今まで観たこともない日本を描いた戦争映画で、本当に本当に全て事実だったんだろうなと感じました。「父親たちの星条旗」の最後に書いた私の疑問にも、答えてもらった気がします。
 
1944年6月の太平洋戦争末期、戦局は悪化する一方の中、硫黄島に新しい指揮官・栗林中将(渡辺謙)が着任しました。アメリカ留学の経験もある栗林は、従来の精神論が幅をきかせる軍の様式を踏まえず、合理的な方法で軍をまとめようとします。それに疑念を持つ伊藤中尉(中村獅童)など反発する将校が多数の中、乗馬でオリンピックに出場経験のある西中佐(伊原剛志)だけは、栗林の良き理解者でした。そして西郷(二宮和也)たち、下級兵士も。栗林の戦術で善戦する日本軍でしたが、それも空しく終焉はそこまで見えていました。

「父親たちの星条旗」で当時の自国を辛辣に描いていたので、日本を描いても、辛辣とまでは行かなくても、それなりに厳しく描いているだろうと思っていましたが、あまりにも鮮明に当時の兵士達の心をすくい取っていたのには、びっくりしました。栗林中将が死を覚悟して、部下達に命懸けの命令を下す際、お馴染みの「天皇陛下、万歳!」を叫ぶのですが、今まで観た作品と全然感じが違うのです。

栗林はアメリカへ留学し、外から日本を観た人です。「太陽」の感想を読んで回っていたとき、70半ばの親御さんが、「天皇が人間だなんて、本当はみんな知っていた。知っていたけど黙っていただけ。」と話されたというのを読みました。栗林とて同じでしょう。国民の心を一つにするには、天皇に神となってもらい、お上の御為という求心力が必要だったのだと感じました。親米家で、争いを好まぬ彼の戦いぶりは、「玉砕するのではなく、ここで踏ん張れば本土にアメリカが渡るのを遅らせられる」と言う言葉と共に、本当の愛国心とはどういうものか、教えてもらったような気がします。

手榴弾での自決シーンが出てきますが、これがもの凄い。こんな風にして自決したのかと思うと本当に胸が痛みました。ここでもお決まりの「靖国で会おう」が出てきますが、自決を否定しながら彼らの想いを尊ぶ演出に、イーストウッドのこの戦いに対する気持ちを見た気がします。

何やかやと上層部を陰で揶揄する西郷は最初から軍人ではなく、元は妻とパン屋を営んでいました。当たり前なのですが、伊藤などとは心構えが違います。今の時代から見ると、生き残ることに執着する西郷や憲兵というエリートから脱落した清水(加瀬亮)などは、感情移入出来る人物達ですが、当時も一心不乱にお国のために戦ったと思われがちな兵士たちですが、本当の姿は彼らのようだったのではないかと思わせます。

西が読んだアメリカ兵の手紙は、母親からの、ただひたすら息子の無事を祈る内容でした。そして「あなたの正義を貫きなさい」と。兵士たちが今まで鬼畜米兵と聞かされていた彼らが、自分たちと同じ血が流れていたことを知る時でした。栗林にしろ、西にしろ、世界を見渡しアメリカ人は鬼畜ではないとわかっている人たちも、戦わなければならない壮絶な虚しさ。これが戦争なのです。「父親たちの星条旗」の三人の姿でもわかるように、勝とうが負けようが人生を一変させ、一生逃れられない苦しみを与えるのが戦争だ、私がこの二作から感じたことは、これでした。

キャストは二宮和也が大評判で、なるほど好演でした。しかし「青の炎」を観ていた私には、これくらいは彼の実力かとも思います。渡辺謙も、同じく。中村獅童も、この作品では敵役のような強硬派の軍人を印象深く演じていますが、ますます歌舞伎は辞めて映画に専念した方がいいような感じが。私が感心したのは加瀬亮です。憲兵から脱落した者という難しい役ですが、教育と繊細な感受性の間で心揺れる清水を、とても上手く演じていて、私は彼が一番印象に残りました。

もう一つ嬉しかったのは、伊原剛志。彼は本人もカミングアウト済の、日本に帰化した在日韓国人です(ついでに、うちの息子達の中学の先輩)。歴史に残るこんな大作で、部下に「あなたに出会えて光栄でした」と言われる様な将校を彼が演じたことは、同じ出自の私には大変嬉しかったです。国境など軽がる越えたようなバロン西の雰囲気が良く出ていました。

私が疑問だった日米の「お国のために命を散らす」と「生きて返すと約束した」は、勝機があるのかないのか、本当は上の人達はわかっていたからではないか?と感じました。日露戦争や日清戦争でも同じ事を言ったのでしょうか?この辺は不勉強でわかりません。

栗林は息子の太郎、西郷は妻の花子、そして清水は母上と書き始めます。太郎と花子は、日本人全てということでしょう。そして名を呼ばれない母は、世界中どこでも名前など必要も無いほど、それぞれに大切な人、と言う意味なのでしょうか?


2006年12月08日(金) 「武士の一分」


ラインシネマ会員日(会員全作品千円)の金曜日に観て来ました。ヒットとは聞いていましたが、場内平日というのに、かなり埋っていました。良い意味で薄味の作品で、話題のキムタク主演というのでなければ、若い層はまず足を運ばない地味な筋です。もう少し醤油をたらしてくれても、というシーンもなきにしもあらずですが、要所要所を締めていたので、充分に楽しましてもらいました。

東北の小藩に仕える三村新之丞(木村拓哉)は、30石の下級武士ながら、美しい妻加世(壇れい)、父親の代からの下男徳平(笹野高史)と共に、平穏に暮らしていました。今のお毒見役の仕事がつまらない新之丞は、早くに退官して、子供達に剣術を教えるのが夢です。しかしお毒見の貝があたり、新之丞は一命を取り留めるものの、失明してしまいます。暮らし向きを気にする親戚に勧められ、上司の島田(坂東三津五郎)のところへ相談に行った加世は、石高の安泰と引き換えに島田に手篭めにされてしまいます。やがてそれは、新之丞の知るところとなり・・・。

最初の食事のシーンで、壇や笹野が江戸の人に成りきっているのに対し、キムタクがあまりにドラマのままなので、大丈夫かいな?と危惧してしまいましたが、彼なりに健闘。特に失明してから以降の演技は、大きく綺麗ですが鋭くはない彼の目が功を奏し、見えない目に哀しみを感じさせました。剣道をやっていたそうで、殺陣もまずまず。立ち回りの時間が短い気もしましたが、長くダラダラやるより、コンパクトにまとめた方が粗も見えず、文句はありません。何より初々しい若夫婦の風情はとてもよく出ており、このお話にはこれもポイントだと私は感じたので、良いキャスティングだと思いました。

妻役の壇れいは宝塚の娘役トップを務めた人だそうで、大変な美人で、楚々としたまろやかな美貌で時代劇にはぴったり。こういう役柄には清潔感が不可欠ですが、美しさに威圧感や華美なムードがないので、女性客も素直に彼女に同情出来ます。家事をする際など、何度も丸く安定感のあるお尻が映されましたが、それが生娘ではなく新妻なのだと感じさせ、爽やかなしっとりしたエロスがあり、効果的でした。

「武士の一分」とは、譲れないもの、という解釈で良いと思います。同じ武士でも新之丞と島田では違う「一分」のような気がします。新之丞が一分を果たそうと決意したのは、加世の出来事の真相を知ったから。それは武士としてのプライドより、妻を守ってやれなかった夫としての不甲斐無さにけじめをつけたい思いが強かったと感じました。対する島田の一分は、「恥」ではなかったかと思います。剣術の腕前に対して、部下の妻女にしでかしたことについて、武士として決して恥を露見させてはいけない、その思いが島田の一分を決意させたように思いました。

この作品には二度切腹が出てきます。私は個人的には、這いつくばっても生き抜く選択を描く作品が好きですが、この切腹がとても潔く感じ、決して無駄死にに感じません。死というものに美学を感じさせるのは、武士の切腹だけなのだなぁと、強く感じました。これも一分でしょうか?

皆さん書いておられますが、父の代から仕える徳平がとても良いです。主従関係はきちんと守りながら、幼くして父を亡くした新之丞には、優しい祖父のように接します。もしかして武士のプライドより人としてのプライドを重んじた新之丞に影響を与えたのは、武士でなかった徳平かも知れません。

質素ですが加世の作る心のこもった食卓は、藩主の豪華な食事より数段おいしそうでした。徳平の作るまずい食事も、加世の存在の大きさを感じさせます。うだる暑さ、大雨、美しい蛍の光り、吹きすさぶ風、つがいの小鳥。自然に逆らわず沿うような暮らしぶりは、失明した新之丞も自分の運命を呪わず、きっと受け入れて暮らすようになってくれる、そう感じさせました。ラストの夫婦の抱擁は、とても心が温かくなり、素直にたくさん泣けました。立派な夫の一分だと思いました。

以下ネタバレ










新之丞は、徳平に加世を探らせたことが悪かったのかと自問自答しますが、私があれで良かったと思います。露見しなければ、あのままずるずる関係が続いていたでしょうし、人の口にあれこれ上れば、島田は加世を石高のために身を投げ出した売女と言うでしょうし、加世は自害したでしょう。加世の復讐のため、自分の命も投げ打つ覚悟だった新之丞の気迫が、島田に武士の一分を思い出させ、事は露見せずに済んだと思います。そして加世が無事家に戻れたのも、事が露見しなかったというのが、大事なポイントだったと思います。人生はタイミングが大事ということで。


2006年12月05日(火) 「イカとクジラ」

昨日観て来ました。タイトルから想像しにくいシニカルなホームドラマ風のコメディで、大変丹念に登場人物の心を掘り下げていて、好き嫌いは別として、全ての登場人物を理解出来る作りが好感が持てます。後半からは子供達の心を思い、ずっと胸が締め付けられていました。監督・脚本はノア・バームバック。女優のジェニファー・ジェーソン・リーの夫です。

1986年のブルックリン。父バーナード(ジェフ。ダニエルズ)は昔は新進気鋭、しかし今は落ちぶれた作家で、大学講師をしています。母ジョーン(ローラ・リニー)もまた作家で、近くニューヨーカ誌に華々しくデビューの運びの新進作家です。父親びいきの16歳のウォルター(ジェニー・アイゼンバーグ)と、母びいきのフランク(オーウェン・クライン)ですが、何年かの険悪な時間を過ぎ、両親は離婚。兄弟は共同監護という名目で、週の半分づつを両親の元で交替で暮らすことになります。行ったり来たりの生活にストレスを感じた彼らは、やがて問題行動を起こすことになります。

冒頭二手に分かれてのテニスのシーンで、容赦なくママ・弟チームをコテンパンにする父ちゃんの姿で、この父ちゃんがどんな人か、現在の家庭の雰囲気など、全部わかるようになっています。昔はこんなしょうもない勝負にムキになるところに、ママも少年ぽさを見出して嬉しかったんだろうなぁと、こわーい顔したママを観て思いました。

この父ちゃんが、ほんとーーーーーにダメで。自分が学位を持っていることや、知識や教養豊富なことを鼻にかけ、小説が売れないのは、難解過ぎて下々の者にはわからんのだとか。その割には内面は俗っぽ過ぎるほど俗っぽく、浮気を繰り返す女房を追い出すことも出来ない小心者です。空虚な中身のない話、文学などを織り込んでは、まだまだ世間知らずな長男の尊敬を集めています。でもホントに子供を思えば、母親が他の男と寝た話なんぞ、息子にはしないぞ。子供を味方につけたい母親がやる手ではないか。おー、女々しい。

ママの方も、鬱憤晴らしにあの男この男と浮気を繰り返すのは感心しません。それも息子の友達のパパなんて、信じられん・・・。だいたい母親が浮気してショックが大きいのは絶対男の子の方です。しかしちょっと彼女が理解も出来るのです。虚勢を張って仕事を選んでいる夫は、まずは自分第一で家族は二の次三の次でしょう。出会った頃の何でも知っていて尊敬できる人ではなくなっているのですね。でも愛のない浮気は虚しさが残るだけだと、ちゃんと学習もしているし、何より彼女がニューヨーカー誌に発表出来るまでの作家になったのは、こういう虚しさや結婚生活での心の傷を肥やしにして、乗り越えたからでしょう。その辺が頭でっかちで成長しないパパとは違うのです。

しかし両方とも「大人になりきれない親」であることには、変わりはありません。自分たちの都合で子供たちを振り回し、まだまだ親の加護が必要な子供を突き放すかと思えば、執拗に追い掛け回したり。でも観ていて共感は出来なくてもこの人達の気持ちが理解出来るのです。

私も心当たりがあるからです。大きくなった長男を観るママの眼差しは、幼い子を見る目なのです。成長した息子を見ているようで、幼い時の彼らを見ているのです。幼い子供ほど、親に生きる希望と力を与える物はありません。だからいつまでも幼い時分が忘れられないのです。それが高じて反作用する時もあるのです。こんなに愛しているのだからいいじゃない、私がいなければこの子たちは生きられないのだと、子供の気持ちを尊重せずに、口応えして反発する息子達の気持ちが、この親たちにはわからない。

子供にとっては、親は絶対的な存在です。親の離婚という試練を乗り越えて行く様子を、4歳の差を上手く使ってそれぞれに、異性や性を絡めて、親への慕情を効果的に使い描いています。

ダニエルズは、若い時はなんていうことのない俳優でしたが、この作品のパパは秀逸。ジェフ・ブリッジスみたいでした(褒めている)。演技派リニーは私が今一番好きな女優ですが、ほとんどノーメイクで崩壊家庭の主婦をさりげなく熱演。家族の修復を懇願する夫に対して、家庭とは妻と子供が二個イチであるのが当然と思っている夫と、夫と子供は別モノだと思う妻との深い溝を、一瞬の爆笑とその後の様子で表現でしていて、震えが来ました。

息子達二人も好感度大。実は弟の方が世間に長けて大人な兄弟なのですが、父の影響を受け頭でっかちで繊細、本当は誰よりママが好きな兄をアイゼンバーグが好演しています。弟を演じるクラインは、あのケビンク・ラインとフィービー・ケイツの息子です。ビール飲んだり奇行に走り、ちょっと変態っぽいこともするのですが、本当に可愛くて、まだまだ子供なのだと観ていて愛しさが募ります。

子供にとって親とはある年齢まで、何でも出来て守ってくれて、自分の世界の中心にデンと座っているものです。その絶対的だった親の弱さを見たり、バカさ加減を知る時、子供は幻滅した後、寂しく悲しく落胆するものです。そしてその時がお互い親離れ子離れの時なのです。父との別居の際母の頼りなさと世間知らずの数々を思い知った私は、何故こんなに頼りない自分を知らず子供を巻き込んだのかと憤慨した後、こんな頼りないのに、一生懸命私と妹を育てるのは、どんなに心細かったことだろうと受けいれた時が、私の本当の親離れでした。ラスト、母と観た「イカとクジラ」を食い入るように見つめるウォルターは、子供を振り回しながら依存する親たちの愛だけを受け入れ、きっと親を乗り越えていくことでしょう。


2006年12月02日(土) 「007 カジノロワイヤル」

映画の日の昨日観て来ました。火曜日に予約した時は、「只今予約はございませんので、お好きなお席をお選び下さい」と言われて、やっぱりボンド交替は痛かったのかと思いきや、蓋を開ければ場内超満員。前評判通り面白かったでーす。画像はニューボンド@ダニエル・クレイグ。なかなかタキシード姿も決まってますよね。でも裸になるともっとすごいんですよ(わははははは)。そういえば、初代のショーン・コネリーも胸毛いっぱいのマッチョな体を披露していましたね。

MI6の諜報部員として、「007」としての称号を与えられたジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)。初仕事は世界中のテロリストに資金を与えているル・シッフル(マッツ・ミケルセン)に接触し、資金源を壊滅させることです。株で大損を食らったシッフルは、巨額の金を賭けるポーカーの大会を開きます。ボンドに課せられた使命は、その大会の勝者になること。無鉄砲で何をしでかすかわからないボンドに、上司のM(ジュディ・デンチ)は、財務省のヴェスパー・リンド(エヴァ・グリーン)をお目付け役として同行させます。

この作品は、いわゆる「007 ビギニング」です。ですので、時代が遡って描かれるのかと思っていましたが、パソコンも携帯も出てきて、Mも女性。時代はそのまま現代に移行でした。

冒頭大アクションが繰り広げられ、これが圧巻。追いかける相手(黒人)が身体能力抜群で、スタントか何かを生業にしている人だろうと思うのですが、陸上選手+体操選手+中国雑技団という感じで、すんごいです。身体能力で言えばやっぱ白人は不利だよなぁと思いつつ観ていると、今回のボンド氏、若さと根性と無鉄砲さで、相手を追い詰め走る様は、あっ、ターミネーター!という感じの執念です。まだ30代後半のクレイグに交替したのは、この演出だけでも値打ちがあります。

「007」と言えば荒唐無稽なアイテムを使ったり、ボンドの小粋なユーモアが随所に出てきますが、今回はそういうのはなし。ひたすら生身のアクションでハードボイルドな一徹さが素敵です。華を添えるボンドガールとの道行きも、今回は正真正銘ボンドが相手に惚れるのが新鮮です。ビギニングという題材を使って、上手く今までの007からの流れから方向転換しています。

メインのカジノでのポーカーの勝負は、私がポーカーをあまり知らないので置き去りにされ、緊迫感が伝わりにくくそれが残念でした。(「麻雀放浪記」も麻雀のシーンで同じことを思った)。なるほど、ポーカーフェイスの語源だからして、運だけじゃ勝てないのだなというのは、よくわかりました。

無手勝流でわが道を行くニューボンド氏、誰かに似ているなぁと思っていたら、思い出した、スティーブ・マックィーン!


二人とも金髪で端整ではないけど強い印象の顔、洗練されてはいないけど、労働者階級っぽい男くささが魅力的。それを生かしての(?)あの拷問シーンはびっくりしました。いや私は女なので想像だけですが、あれは殿方は戦慄するでしょう。男性の拷問にあんなのがあるなんて、知りませんでした。若さと肉体美を誇るニューボンドならではか?ただしマックィーンに比べ、クレイグにちょっぴり欠けるのは、俳優&男としての華でしょうか?でも初登板でこれくらいの出来なら、申し分ないです。

007といえばボンドガールと敵役。今回のボンドガールのエヴァ・グリーンは、これまた今までのボンドガールと比べ、お色気は少々小粒でしたが、エレガントで知性的で私は良かったです。でももっと良かったのは、マッツ・ミケルセン。

タイプです(おほほほほ)。「シザーハンズ」のエドワードのメイクが似合いそうな人です。デンマークでは国民的俳優だそうで、この作品のような冷たく残酷な悪党役は珍しいのだと思います。あー、やっぱり「幸せな孤独」観たら良かった。不倫するお医者さんの役だそうな。

お正月映画らしい華やかな娯楽作に仕上がっています。今までの007ファンの方も安心してどうぞ。なんですね、私がクレイグのボンドに拒否反応を示したのは、単に男の趣味だった模様(ブロスナンはめっちゃタイプ)。なので今回のボンド氏のラブシーンには、いや〜ん、ウフン、と萌えるもんはなかったです。次作もクレイグで製作決定だそうで、次は今回より洗練された、華のある男ぶりを見せてくれるんでしょうか?期待しています。



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