ケイケイの映画日記
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2006年09月08日(金) 「紙屋悦子の青春」

昨日シネフェスタで観て来ました。本当は明日からのラインシネマのモーニング上映で観ようと思っていましたが、三男がまだ短縮授業のため、観る予定だった「マッチポイント」と上映時間の都合で差し替えに。戦時下を描くと、声高に反戦を描いたり、きりきり胸が痛むほど涙を振り絞る描写が繰り返されたりしますが、この作品はそれらとは対照的に淡々と物語りは進みます。ですが心の底から戦争はいやだ、そう感じながら悦子と共に涙した私がいました。数々の名作を残した黒木和雄監督の遺作でもあります。

昭和20年春の鹿児島の片田舎。近くの駅に勤める紙屋悦子(原田知世)は戦災で両親を亡くしたばかりです。親代わりとなった兄(小林薫)と、学生時代から親友の兄嫁(本上まなみ)と三人、慎ましくも平穏に暮らしています。そんな悦子に縁談が持ち上がります。兄の後輩の航空隊少尉明石(松岡俊介)からの話で、相手は明石の友人永与少尉(永瀬正敏)です。明石に好意を抱いている悦子ですので、少し落胆はしますが、結局会うことにします。明石は出陣を前にして、親友に悦子を託したかったのです。

冒頭老夫婦になった悦子と永与の姿が映し出されますので、二人が夫婦になったことがわかります。なので今回もネタバレです。というか、上記の荒筋で全部なので、これからどうなる?のハラハラ感は一切有りません。モンペ姿や軍服、軍需工場の話が出てこなければ、本当にこれは戦時中なのかと思うほど、物語は静々淡々と進んで行きます。

そこが狙いなのでしょう。仕事で帰りの遅い悦子を待つ間に、先に夕食を囲む兄夫婦のたわいもない会話、言葉の行き違いでつい口げんかになってしまう様子、父母の思い出話、見合いに来る相手のために、心を込めて兄嫁と悦子が作るおはぎなど、庶民の平凡で善良な日常が描かれていました。しかしそこへ挿入される、軍需工場への長期出張のため別居せざるおえない兄夫婦、、恋心を胸に抱いたまま出征していく明石、親友の分まで生きて悦子を守りたい永与の様子に、空襲警報一つ鳴るわけではないのに、何も贅沢を望んでいるわけじゃない、ただ心穏やかに暮らしたい人々から、一瞬で全ての希望や幸せを奪ってしまうのが戦争なのだと、ひしひし伝わってくるのです。

悦子は謙虚で清楚で明朗、そして賢い女性です。悦子が親友をきちんと「姉さん」と呼ぶ様子は、控えめで相手を立てる性格を現していました。一抹の寂しさを覚えたはずなのに、永与とお見合いしたのも、明石の気持ちを汲んでのことでしょう。魅かれ合っていた明石とは、二人きりでデートもしたことはなかったと思います。そんな彼女ですから、明石が出陣の挨拶に来て帰った後、ひとり号泣する姿には堪らないものがありました。

飛行機乗りの明石とは、添えないであろうことは、悦子にもわかっていたでしょう。永与の「生きて帰って、明石の分まであなたを守る」との言葉と、「ずっとまっちょりますから」の悦子の言葉が深い印象を残します。明石が結びつけてくれた相手を受け入れ尊重することは、明石の遺志を守ることです。過酷な時代を受け入れながら流されず、明日に希望を持つ、とても良いシーンでした。こうやって多くの人々が、後ろを振り返らず数々の思いを胸に秘め、復興に尽力したのだと思うと、胸がいっぱいになりました。

悦子を演じる原田知世が素晴らしい。私が受けた悦子の印象は、特別のセリフも用意されていないのに、全て彼女のしぐさや表情から受け取ったものです。十代から主演映画をたくさん撮り、芸能界の垢に染まっても良いようなものなのに、40前で20歳過ぎくらいの悦子を演じて、何ら違和感のない透明感と瑞々しさで、本当に感激しました。

もうひとり印象的だったのが、兄嫁の本上まなみ。陽気で思ったことはすぐ口に出てしまう女性で、ちょっと気が利かないところもありますが、とても愛らしいです。しかし兄嫁らしく悦子を気遣う気持ち、愛嬌のある憎まれ口を利きながらも、夫を愛する様子がとてもわかりました。「お赤飯とらっきょ」は、一家の主婦とはそんなものです。どんな馬鹿馬鹿しくとも、それで家族が無事なら藁をもすがる気持ちになり、私だってやったでしょう。夫の帰郷がたった一日とわかり、「なら帰ってこんでも良かった」の言葉には、「数日いっしょに居られると楽しみにしていたのに」と共に「一日だけなら、私を気遣わず体を休めて欲しかった」の気持ちも含まれています。素直に「しんどいのに帰って来てくれてありがとう」の言葉は、若妻の時は意地が先に立って、なかなか出てこないものです。若い時の自分みたいで(あんなに美人じゃなかったが)、つい微笑んで見てしまいました。

そんな兄嫁の「もう戦争に負けてもよか・・・」というつぶやきは、社会としがらみのない主婦ならばこその本音なんだと、しみじみしました。本上まなみも、とても自然に兄嫁を演じて好演でした。

ひとつだけ苦言を呈せば、老いた悦子と永与には無理を感じました。日本には老名優がたくさんいます。このシーンは別の俳優でも良かったかと、個人的に思いました。

鹿児島の方言がとても暖かく耳障りが良かったです。当時の家屋の風通りがよくしっかりした佇まいなど、美術的にも見所がありました(美術監督は「父と暮せば」の木村威夫)。庭に咲く桜が、戦時中でも桜は咲くのだなぁと、当たり前なことを感じさせてくれます。辛く厳しい様で反戦を描くのではなく、ゆったりとした時間の流れの中、暖かい人の心の触れ合いと強さで反戦を浮かび上がらせた、とても日本的な美しい作品でした。


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