ケイケイの映画日記
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2006年08月03日(木) 「ゆれる」

大評判のこの作品、観て来ました。どこの上映館でも満員御礼、定員オーバーで追い返されることも多々ということで、レディースデーは避けたかったのですが、あいにく仕事が長引き、時間が間に合う作品がこれだけ。上映40分前にはリーブルに着きましたが、定員115人の劇場で、私が手渡されて整理番号は、何と162番!後から続々立ち見でも観たいというと人が押しかけていましたので、最終的には倍くらい入ったでしょうか?私は通路に正座したり三角座りして、2時間少々頑張りました。しかし足の痛さなど全く気にならない、張りつめた、しかし生暖かくも物悲しい空気がずっと持続する、素晴らしい作品でした。私は未見ですが、デビュー作「蛇イチゴ」の評価も高かった、女性監督西川美和の作品。

東京で写真家として成功している猛(オダギリジョー)は、母親の一周忌のため、久しぶりに帰省しました。故郷では温厚な兄稔(香川照之)が、偏屈な父(伊武雅刀)の後を継ぎ、家業のガソリンスタンドを父とともに経営していました。父親と確執のある猛の今回の帰省も、兄に勧められてのことでした。ガソリンスタンドで働く智恵子(真木よう子)は二人の幼馴染で、かつて猛の恋人でした。三人で近くの渓谷を訪れた時、吊り橋を稔と智恵子が二人で渡っていた時、智恵子が吊り橋から転落し、死亡します。智恵子の死は、事故なのか稔による殺人なのか?・・・。

サスペンスの要素もたっぷりの脚本が出色です。ひとつひとつのセリフ・状況が、その時の登場人物の心情をあますところなく描いている上、後で幾重にも重なり真実を暴露し、登場人物の心も掘り下げます。恐れ多くも黒澤明の「羅生門」を思い出したのですが、ちょっと褒めすぎかな?でもそれくらい、本当にびっくりするほど素晴らしいのです。脚本も監督の西川美和です。

二人は容姿・性格、何もかもが対象的です。風采は上がらないが、温厚誠実で親孝行な稔、親に反抗して家を飛び出し、今は成功し都会の水で洗われ垢抜けた猛。お互い久しぶりに再会に思いやりを見せるも、心に影が差しているのもわかります。昔の恋人であっても、今は兄が憎からず思っているはずの智恵子を、再会した日に抱いてしまう猛。稔は小さい頃から自分より父に気に入られる存在だったのでしょう。何でも長男が一番、弟は二番。兄は新品、弟はお古。そのことにコンプレックスを抱いていたとしたら、もしかして兄嫁になるかも知れない人は、俺のお下がりなんだよという、屈折した気持ちがあっての行為かもわかりません。人柄をともかく、それ以外の物は何もかも自分より眩しい弟に、智恵子と食事するようお金を渡す稔は、兄としての思いやりと同時に、俺が兄貴なんだぞ、お前には施す存在なのだとの、虚勢も見え隠れするのです。

ずっと映画を支配する、鬱蒼とした閉塞感は、田舎が舞台であるせいではなく、この兄弟が背負う「家」なのではないでしょうか?「家庭」ではなく「家」。父親の言いつけを守らず、兄といっしょに家業を継がなかった猛には、心の底で全てを兄に押し付け自分はしたい放題している後ろ暗さがあったはず。その上の世代の父と伯父は、本来なら長男の伯父が家業を継ぐべく存在であったはずなのに、弁護士となっている伯父は頭脳明晰な優秀な人だったのでしょう。父の、本当は自由の身分だった自分が、家に縛らているという感情は、鬱屈したものが家庭にも反映され、その中で兄弟が育ったというのは、想像に難くないです。稔が猛に語る、家にがんじがらめにされて、何もなくつまらない人生、それを彼は、父と共有していたのではないかと感じました。

抱かれたことで一気に昔に戻れたかに錯覚した智恵子は、猛にいっしょに東京を連れて行ってとねだります。まだ若く美しいのに、妙に老けた彼女が背負っていたものは、母親との二人暮しだったでしょう。そのため猛が東京に出るときの誘いを断ったのだと、私は思いました。母を一人に出来なかった、なのに母はあっさり再婚し、自分と離れて再婚相手とその連れ子と暮らしている。しかも女の子。母に裏切られた感情が、彼女をくすませていると感じました。しかし彼女が背負っていたものは、家ではなく家庭だったのでしょう。だから母さえいなければ、あっさり故郷など捨てられるのです。

「嫌われ松子の一生」の感想で、「縁は切っても血は切れない」と書きましたが、女は家庭から逃れられないことがあっても、家から逃れることは出来るのです。しかし男は、例えどんなに自分の家が嫌いでも、逃げられない辛さがあるのだと思います。奇しくも「松子」でもそれを体現した弟を演じていたのは、香川照之でした。

稔に有利な裁判になるように奔走する猛は、今までの不義理や後ろ暗さを一気に挽回しようとするかのように見えます。それは稔のいう「殺人者の弟になるのがいやなのだろう」という気持ちではなく、真実兄を慕う気持ちがあるように思えました。弟が兄の気持ちに寄り添うようになると、今度は見た事もない、自分に対する憎悪に包まれた兄の姿が現れる。私の育った家は、複雑かつ家庭のあちこちに地雷が埋められているような家で、私も二人の兄がおり、この感覚は理解出来ました。

猛が母の残した8ミリを独りで観ていると、自分は記憶になかったあの渓谷で、家族が楽しく遊ぶ姿がありました。兄は自分をかばい、大嫌いな父は自分たちと楽しそうにおどけている。ガソリンの臭いに詰まった家に、死ぬまで押し込められていたと思っていた母は、この上なく美しい笑顔見せている。人の記憶は、その後にあったことで印象も変わり、観方も変わるのだと感じました。自分が証言したあの事実は、自分が兄への疑心暗鬼で作り上げたものなのではないか?その後に挿入される稔の腕の引っ掻き傷は、確かに事件当初もありました。

そして同じように育ったはずの兄弟でも、立場によって微妙に親に対する見方が違うのです。8ミリの風景を全て覚えていた稔は、辛さだけではなかった母、未だに二層式の洗濯機を使い、家政婦も頼まなかった吝嗇な父にも、自分たち兄弟へのしっかりした愛情を感じていたはずです。知恵子の母に渡したお金が、父親の稔への愛情を感じさせました。それが一層彼を家から離れがたくしたはずです。

家を背負った男を支えるのは、やはり女の仕事なのだと、母の撮った8ミリに涙を流す猛を見て思いました。稔にとっては、その支えは智恵子だったのでしょう。それを奪ったのが弟の猛だったことが悲劇でした。弟でなければ、あの事件は起こっていなかったと思いました。

法廷で思いもよらない証言をする猛ですが、そのことは本当の意味で、稔を家から解放したのではないでしょうか?涙ながらに「兄ちゃん!家に帰ろう!」と絶叫する猛に向けた、ラストの兄らしい暖かい稔の笑顔に、そう感じました。兄弟の「ゆれる」感情を、時には露悪的に、時には情緒深く最後の最後まで見せてくれた傑作でした。主役二人は素晴らしい演技で、きっと数多い彼等の代表作の中でも、ピカイチの作品になるかと思います。そして女性の西川監督が、姉妹ではなく兄弟の心のひだを、ここまで丹念に撮れるのかと驚愕。「蛇イチゴ」もビデオで是非観ようと思いました。

上映していたリーブルの近くの会社に長男が勤めています。スカイビルを出て、パソコンの前で製図しているはずの長男のいるビルを見ながら、晩ご飯の用意がなければ、このまま息子を待って、梅田でいっしょに二人だけでご飯を食べて帰りたいなと、ふと思いました。母親と二人で食事なんて、息子はいやかな?


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