ケイケイの映画日記
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2006年10月06日(金) 「カポーティ」

昨日観て来ました。題材が「冷血」を取材していた時のトルーマン・カポーティだと知った時から、観ようと決めていた作品。予告編のホフマンの喋り方を耳にした時から傑作の予感が大で、この秋一番観たかった作品です(二番目は『ブラック・ダリア』)。凍りつかされ、打ちのめされて、しかし人はやっぱり鬼ではないのだと、観終わった後無性に涙が出た作品です。今では事件を題材にしたノンフィクションノベルは、一つのジャンルですが、「冷血」はその第一作だそうです。本年度アカデミー賞主演男優賞作品。

人気作家のトルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、新聞に載ったカンザスでの一家四人惨殺事件に興味を持ちます。この事件を書きたいと思った彼は、幼馴染でやはり作家のネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)を伴い、取材に出かけます。使える手段は皆使って、犯人二人に直接話を聞けるまで漕ぎ着けたカポーティ。犯人の一人、ペリー・スミスと会談を重ねるようになり、ペリーの信頼を得るカポーティ。しかし作品完成までに、壮絶な時が彼らを待ち受けていました。今回ネタバレ気味です。

「冷血」に関しては原作は未読ですが、粗方の内容は雑学程度には知っていた私ですが、数年前にアメリカのテレビムービーだった作品をビデオで観ました。もう一人の犯人・ディックの役が、愛しのアンソニー・エドワーズだったので観たのですが、監督が「告発の行方」のジョナサン・カプランだったので、ちょっと期待しましたが、冗長な作品であまり強い印象も受けませんでした。この時のペリー役はエリック・ロバーツ。今回のペリーと被る部分のあるキャラクターでした。有名な映画版は未見ですが、「冷血」がどんなお話かは、とにかく知ってはいました。

予告編だけで私を魅了した、ホフマンのお芝居が素晴らしいです。カポーティは偏見が今よりずっと激しかっただろう当時でも、自分がゲイであることを隠しません。甘ったるい喋り方に毒のあるジョーク。文壇や社交界などの派手な場所が大好きで、そこでは輪の中心であることを望み、虚栄心の強さを隠そうともしない強烈なキャラクターです。こういった場面は、隠された孤独を表すように使われがちですが、彼の場合は、仇花のように思われている自分を、誇ってさえいるように思えます。ゲイであることで孤独を感じるヤワな神経では、「冷血」なんぞ書けやしない、その壮絶な作家の業がのちに明らかにされます。

作品を書き上げるため、自分のファンの刑事の妻に取り入り、ショックを受けている第一発見者の少女にも有無を言わさず面談を申し込む。犯人たちに会うために警察側に賄賂を渡すなど、なりふり構いません。良い弁護士をつけよう、そうすれば死刑は免れるかも知れないと、犯人に囁くカポーティ。それは彼らのためではなく、取材の時間を引き延ばし、より綿密な取材がしたいだけなのです。

予告編で「彼と僕は同じ家で育ったような気がする。彼が裏口から出て行って、僕が表から出て行ったのだ」というセリフを聞いて、同じような環境のペリーに感情移入したのかと思っていました。なるほど、二人とも母親の確かな愛情を受けて育ったとは言い難く、その辺は似ています。しかしそのことをカポーティが話したのは、ペリーの信頼を得る為だったのではと思います。表と裏、それは「芸術的才能」ではなかったか?若かりし頃から文壇でもてはやされ、才能を開花したカポーティ。一方、留置所で鉛筆一本で見事な絵を描くペリーは、殺人犯として牢獄の身です。彼がペリーにシンパシーを感じたとしたら、そこではないかと思いました。

当然自分たちに有利な内容だと思い込んでいるペリーは、作品の進み具合を気にし、タイトルを聞きます。タイトルは「冷血」。筆もどんどん進んでいるのに、ペリーにはほとんど書いていないで押し通します。何故なら、作品の山場である殺人時のお話を、ペリーから聞いていないから。ひょんなことからこのことが露見しますが、ペリーの怒りを買うも、これがきっかけで、何故彼らが残虐な殺人犯となったか、その時の心情が取材できました。

ここまでも息もつかせぬ展開で見せているのに、更なる追い討ちが。せっかく彼らの死刑で脱稿・出版の運びとなるはずなのに、控訴が認められ、死刑が延期になるのです。このままでは世紀の傑作となる作品は世に出せず、会いたい、弁護人を探して欲しいと頼むペリーを拒否するカポーティ。心から彼らの死を願うカポーティ。この事件の担当刑事(クリス・クーパー)に小説のタイトルを教えると、「それは事件のことか?それともあんたのことか?」と切り返されます。

これが小説家の業なのか?
ネットにこんな感想文を書いている私は、多分映画の次には、文章を書くということが好きなのでしょう。素人とプロの違いは、文章の上手い下手、お金をもらうため自分の信念を捨てて、悪魔に心を売って書くときもある、そういう認識でした。それは違ったのです。カポーティは悪魔に心を売るのではなく、自分が悪魔になる覚悟を持って書いているのです。どんなに筆が進んで、素晴らしい作品が仕上がっても、楽しいことなんかちっともないはず。楽しんで書くのは素人だけなんだ。納得出来るものが書けたらそれでいい、そういう自己満足じゃだめなんだ。自分の書いた作品から生み出される名声は、どんな快感や快楽にもきっと勝るのでしょう。遅々として進まない時間の経過は、私を心底戦慄させました。

そんな悪魔的なカポーティですが、皮肉にもペリーに請われ死刑の場の立ち会うと、「冷血」の大成功以降、小説が書けなくなってしまいます。創作から逃げた彼が求めたのは、麻薬にアルコール。カポーティのような才能あるひとでも、人はやはり悪魔にも鬼にもなれないのでしょう。彼の最大の理解者であるネル(あの「アラバマ物語」の作者)、パートナーのジャック(ブルース・グリーンウッド)も共に小説家ですが、彼らはこうした取材の果てのカポーティの姿が、多分予測出来たのではないかと思います。二人とも止めなかったのは、それを傑作と成す力を持つ小説家は、カポーティしかいないと思ったからでは?その事は作家冥利に尽きることだと、彼らは思っていたのかも知れません。役者が舞台に上で死にたいのと同じことなのでしょう。

事の成り行きが心配で、全てに上の空のカポーティに、「あなたが一番大切にしなくちゃいけないのは、ジャックよ」と語るネル。姉弟のようなキスのあと、彼女を見送るカポーティの丸くて狭い肩幅の背中は、まるで幼い子供でした。子供は分別なく見境なく、欲しいものは手に入れたがるもの。そして無邪気な笑顔で大人を虜にするのだ。大人であったカポーティは、虜にするものを残し自分は小説家として廃人となります。しかしネルやジャックは、その後も丸ごと全て、カポーティを受け入れてくれたのではないか?我がままで自我の強く破滅的、しかしこの上なく魅力的なカポーティに魅せられもした私は、この凍りつくようなお話に、暖かい体温を二人から感じたいのです。


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