2008年07月07日(月)  この夏の目玉作品『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』

12日より公開(この夏の「目玉作品」!とのこと)の映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』を試写で観る。エグゼクティブプロデューサーの榎望さん、プロデューサーの石塚慶生さんは『子ぎつねヘレン』でお世話になったプロデューサー。コスプレ祭りのようなにぎやかさがこの作品の大きな魅力で、前作も楽しませてもらったが、レギュラー妖怪たちにスクリーンでまた会えるのがうれしい。前作で美しすぎると思った鬼太郎(ウエンツ瑛士)は自然になじんで、ねずみ男(大泉洋)はますます板についている感じ。新顔妖怪も続々。え、あの人が!とびっくりする豪華な顔ぶれが妖怪に扮している。演じるほうもお祭りを楽しんでいる様子。前作の輪入道やろくろ首のようなインパクト系よりビジュアル系がふえ、おどろおどろしさは減ったけれど、これなら恐がりの子どもも泣き出さないかも。

原作にないオリジナルストーリーを展開した脚本は、妖怪世界に詳しい沢村光彦さん。妖怪図書館で調べものをしたり、楽器を武器に戦ったり、ストーリーは大人っぽくなったが、ギャグは前作よりも濃くなり、ダジャレも連発。同じ原作、同じ監督(『犬と私の10の約束』の本木克英さん)でも脚本やヒロイン(今回は北乃きいさん)が変わると前作とはがらりと違った印象になるのが面白い。マンネリの心配ご無用で、第三弾、第四弾とシリーズを続けていけるかもしれない。

見逃せないのは、タイトルバックに登場する鬼太郎の誕生シーン。ここは監督がこだわった場面だそうで、墓場からハイハイで出てくるベビー鬼太郎が何ともかわいい。その姿を見守る目玉親父の親目線に共感して、目を細めて見入ってしまった。原作を読んでいないので鬼太郎の誕生が描かれているのかわからないのだけど、ベビー鬼太郎が主役のバージョンも観てみたい。シングルファーザーで体が極端に小さいというハンディを負った目玉親父の子育て奮闘記、そんな親父を助ける妖怪仲間コミュニティ、たくさんの目に見守られ、愛情を注がれ、心優しい男の子に育っていく鬼太郎。ある日、親父が危険にさらされたとき、まだ赤ん坊の鬼太郎が父親を救い、親子の絆が深まる。タイトルは『ベベベの鬼太郎』!?……などと妄想してしまった。

2007年07月07日(土)  マタニティオレンジ141 5人がかりで大阪子守
2005年07月07日(木)  串駒『蔵元を囲む会 天明(曙酒造) 七夕の宴』
2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日
2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月06日(日) 串駒 天明(曙酒造)七夕宵宮の会

酒呑みではないけれど、大塚にある『串駒』は、名前を思い出すと、無性に飲みに行きたくなるお店。ここで飲んだお酒がことごとく楽しかったから、またあの楽しいお酒を、と思ってしまうのだが、ご近所仲間で行った初回以降は、「利き酒の会」目当てに足を運んでいる。お酒の作り手を招いてお話をうかがいつつ、蔵出しの酒を飲み比べるという企画。妊娠出産子育てでしばらく遠ざかっていたけれど、3年ぶりに参加することにした。

コピーライター時代にバカーディやカルヴァドスといった洋酒のコピーを書いていたわたしは、お酒にまつわるうんちく話を聞くのが大好き。お酒の味はよくわからないけれど、誕生秘話や裏話に耳を傾けながら、ほほう、それがこのお酒ですか、と一杯やるのが実に楽しく、飲み比べ(利き酒)より物語(聞き酒)に酔う。利き酒の会で知ったお酒の名前をよその店で見つけたりすると、旧友に再会したようなうれしさを覚える。

今宵の『天明』(曙酒造)の会は2度目の参加。蔵元の鈴木夫妻と『天明』の名付け親である酒ジャーナリストの中野繁氏(話術も魔術も一級で、ペットボトルに百円玉を入れてみせた)を迎え、串駒の一階と二階、すぐ近所の支店『串駒房』の三会場を三人で巡回。ちなみに『天明』は「夜明け」という意味があり、曙酒造から連想しての命名とのこと。こんなうんちく話を名付け親本人から聞けるのがこの会の魅力。

「姫」と呼ばれている鈴木夫人の酒造りの説明は、明るく楽しくわかりやすい。「はい、お酒が入りました。普通は樽で寝かせます。でも、上から使う分を取って行くと、表面が空気に当たってしまいますよね。なので、うちは作ったら瓶詰めにして冷蔵庫で寝かすんです」。大きな冷蔵庫と膨大な電気代が必要で、「だから、うちはお金が貯まりませーん」。0〜3度で保存できる冷蔵庫がある酒店だけに卸しているので、都内でも買えるお店は少ないとか。

自分たちが作りたいお酒を追求するために、長年勤めていた杜氏さんに辞めてもらい、試行錯誤しながら自分たちの手で『天明』を磨いているという鈴木夫妻。心からお酒を愛し、ひたむきに酒造りに取り組む姿勢に好感。毎年、田植えの季節には天明ファンが会津を訪れ、お酒に使われるお米を一緒に植えるのだそう。

『央』は、曙酒造から走って1分のところにある五の井酒店が、曙酒造が作った酒をアレンジして出しているお酒。鈴木夫人いわく、「五の井酒店のゴン太君がホースを引っ張っていって作っている」のだそう。このゴン太君が今日飲んだ7種類のお酒のコメントを書いたものが、さすが酒に日々向き合う人の言葉で、キレとコクがあって読ませる。大吟醸の五年熟成に寄せたコメントは「熟香と穏やかな吟香、崩れることなく残る線を旨味と優しさが包み込み、滑らかに喉へと誘います」とこちらも深い味わい。そのゴン太君が「皆様の審判をお待ちしています」とコメントした『央』の本生VS火入れは、挙手による人気投票の結果、火入れが2倍以上の差をつけて勝った。火入れというと直火にかけるイメージを持ってしまうけれど、実際には60度ぐらいで湯煎をすることらしい。それぐらいの温度で味に変化が現れるのが面白い。
1 天明 大吟醸 おり酒
2 天明 純米 亀の尾 本生
3 央 純米吟醸 黒ラベルK(中汲み澱絡み 無濾過本生原酒
4 天明 純米吟醸 山田錦(瓶火入れ瓶囲い) 
5 天明 純米吟醸大吟醸 おり酒
6 央 袋垂れ純米吟醸 白ラベルN 瓶火入(無濾過 瓶火入れ瓶囲い)
7 天明 大吟醸 無加圧 美山錦 五年熟成(無濾過 瓶火入れ瓶囲い)

一緒に参加したダンナとご近所仲間のT氏とともに通された小上がりのテーブルには、単身で参加の男性が三人と、おともだち待ちの男性が一人。一時間ほど遅れて到着したお友だちも男性で、八人のテーブルで女性はわたし一人という構成。皆さん本当に日本酒が好きなようで、話題はもっぱら「うまい酒が飲める店」。おともだち連れの二人組は高校時代の同級生で、共通の趣味である日本酒を求めてあちこち飲み歩いているそう。この二人が三十才で、あとの六人は四十才前後と、ほぼ同世代。お酒が進むにつれて年齢をばらし合い、職業を聞き出し、会ったばかりの互いのことが少しずつ見えて来る。

お酒をおいしくする会話や雰囲気はもちろんのこと、お酒を引き立てる肴も串駒は抜かりがない。誰が決めたのかはわからないけれど、「日本一の居酒屋」の呼び声も。とくに利き酒の会では蔵元の地元の名産をふんだんに使った献立を味わえる。今宵は天明の地元、会津の地の物尽くし。
い 会津産青物お浸しと油揚げ
ろ 福島産穴子と新牛蒡の煮付け
は 会津の豆腐屋さんの冷奴
に 枝豆入りさつま揚げと青唐万願寺
ほ 銀波藻(ギバサ=気仙沼産海藻)とトコロテン
へ 玉子と豚肉の煮付け
と 会津地物の胡瓜とトマト
ち 杜氏さん一本釣天然鮎 山椒煮
り 塩むすび(会津産こしひかり)と焼き茄子の味噌汁

この料理にはこのお酒が合いますね、などと批評しつつ、肴も酒も進む。裏の畑のもぎたてを洗ったばかりのような胡瓜とトマトの新鮮さには驚いた。こんなにみずみずしい野菜を食べるのは、いつぶりだろう。おまけで出された塩うにが、これまた臭みがまったくなくて濃厚な絶品。せっかくここまでと思っていたのに、酒が進んでしまうではないか。串駒は酒盗の宝庫。「醍醐味」の由来である「醍醐」の味を知ったのもこの店だった。

惜しむらくは、遅めのお昼にうどんの大盛りを食べてしまい、せっかくの御馳走を前に、いつもほど箸が進まなかったこと。うどんは根津にある『釜竹』で食べたのだけど、うどんと一緒に注文した「泉州の水茄子」と「季節野菜の天ぷら」のおいしさにも目を見張った。旬の野菜の力強さとやさしさがギュッと詰まっていて、大地の恵みをまるごと食べているという感覚。串駒といい釜竹といい、日本にはおいしいものがあるなあと唸らせてくれるお店が散歩圏内にあるのは、うれしい。

2004年07月06日(火)  拝啓トム・クルーズ様project
2003年07月06日(日)  池袋西武7階子ども服売場
2002年07月06日(土)  とんかつ茶漬け
2000年07月06日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年07月05日(土)  マタニティオレンジ309 ビデオより、輪になってあそぼ!

保育園を休んでいる間にすっかりビデオっ子になってしまった娘のたまが、すきあらば「バーニー みたい! タビー みる!」と訴える。親の顔より英語を話すBarneyやTeletubbiesを見ていたいと言われては、こちらも複雑。ムキになって、「絵本読もうよ」「おうた歌おうよ」と誘いかけるのだけど、「バーニー みたい! タビー みる!」と、つれない態度。一緒に遊んでくれる親より、テレビの中で動いているだけのキャラクターのほうがいいのか……。

食事のときも、お風呂上がりも、「バーニー みたい! タビー みる!」。わたし一人のときは諦めてビデオをつけてしまうのだけど、ダンナは、「たま、バーニーは今日お休みだよ。土曜日だから、ねんねしてる」と説得を続ける。そんな手に乗るもんですか、と突っ込もうとしたら、「バーニー ねんね?」とたま。「そう、ねんね。だから、たまもねんねしよう」とダンナが言うと、すなおに「うん」と言ったのには驚いた。おとなしく寝てくれるかと思いきや、布団を敷くと、その上で走り回ったり、くるくる回ったり。でも、ビデオのことをすっかり忘れている様子にひと安心。「パパも! ママも!」と誘われて、わたしとダンナも一緒にくるくる。そのうち手を取り合って、輪になってぐるぐる回ったり、ひっくり返ったり、それが『かごめかごめ』に発展したり。ビデオもいいけど、体温が伝わる遊びの楽しさ、うれしさをわが子には覚えていてほしい。そのためには、親にじくり向き合うだけの余裕が必要になる。時間的にも気持ち的にも体力的にも。

2007年07月05日(木)  桃とお巡りさん事件
2003年07月05日(土)  柳生博さんと、Happiness is......
2000年07月05日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月04日(金)  マタニティオレンジ308 パパのせつない片想い

娘は父親の恋人になり、息子は母親の恋人になるという。わが家もご多分に漏れず、ダンナは娘のたまにデレデレ。ところが、娘は「ママいっぽん!」で、最近は起きている時間に帰宅しても「パパこわい」とわたしの後ろに隠れてしまう。週末にべったり一緒に過ごすと、少しは気をゆるしてもらえるのだけれど、好きな人第一位のママとの差は縮まらないどころか、2位はじいじ、3位はばあばで、保育園の男の子たちも間に入り、パパはランキング外。先日も絵本を読み聞かせていたら公園の絵が出てきたので、「公園、こんど行こうね」とダンナが話しかけたら、「じいじ!」とうれしそうに返事され、「パパと行くんじゃないのか……」とダンナはがっくり。お世話した分だけなつくというのは本当だなあと思っていたのだが、今朝テレビに映っている藤原竜也さんにたまが釘付けになっているのを見たダンナが、「パパとどっちが好き?」と聞いたら、しばらくパパとテレビを見比べて考えた後に、「こっち」とテレビを指差した。

昨年の保育園の運動会、パパとお遊戯をする演目で、他の子たちがパパに駆け寄って行ったのを尻目にたまだけが棒立ちというハプニングがあった。以来、ダンナは涙ぐましい努力で娘を振り向かせようとしているのだけど、どこか空回りで、高嶺の花の気を引こうとして道化を演じているような滑稽さがある。さっき、わたしの代わりにたまを寝かしつけてくれたときのこと。いつもわたしがするように、「どんな話がいい?」と子守話のリクエストを募ったら、いつものように「わあに ダンス」という答え。わたしが作ったダンスワニの話がたまのお気に入りなのだけど、その話を知らないダンナが語り出したのは、「わにがダンスをしたら、おなかがこすれて血が出てきました……」。これ以上聞いても無駄と思ったのか、たまはさっさと寝てしまった。

今夜の子守話は、そんなダンナが数日前に作った話。「バナナがいっぽんありましたの歌の応用じゃないの?」と突っ込んだら、「歌では飛んで行ってしまうけれど、この話は分け合うのがミソ」という答えだった。歌への親しみがあるのか、たまはこの話はふむふむと聞いていた。血が流れないのも、よろしい。

子守話23 バナナがいっぽん

バナナがいっぽん みちにおちていました。
たまちゃんが てをのばすと
はんたいがわから みみちゃんも てをのばしていました。
たまちゃんと みみちゃんは りょうがわから バナナをひっぱりました。
すると バナナは はんぶんに わかれました。
ふたりは なかよく はんぶんこしてたべました。

2007年07月04日(水)  肉じゃがと「お〜いお茶」とヘップバーン
2006年07月04日(火)  2年ぶりのお財布交代
2005年07月04日(月)  今井雅之さんの『The Winds of God〜零のかなたへ〜』
2003年07月04日(金)  ピザハット漫才「ハーブリッチと三種のトマト」
2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日
2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月03日(木)  マタニティオレンジ307 シール貼り放題!段ボールハウス 

保育園を休んで4日目の娘のたまと、家にひきこもって過ごしている。冷蔵庫はすかすかだけど、すでに一度ぶり返した風邪がまたぶり返しそうなので、買い物にも行けない。れんこん、ごぼう、タマネギ、ネギ、大根菜などの乾燥野菜、切り干し大根、麩、ひじき、干しえび……家にあるだけの乾物を戻しまくり、天かすや青のりや粉チーズやらをふりかけ、何とかしのいでいる。なんとなく買い置きしておいた乾物がこれほど頼もしい存在だったとは。

ビデオ漬けは良くないので、他の遊びで一日を過ごす。絵本を読んだり、ひもを使ってつな引きしたり(オーエスのかけ声つき)、ぬいぐるみをおんぶしたり、大きな紙に絵を描いたり。いちばん間が持ったのは「シールぺた」ごっこ。ダンボールハウスの壁に、これまた家中にあるシールをかき集めて、貼りまくる。子ぎつねヘレンのPR用シールやらどらえもん切手についていたシールやらカレンダーの予定シールやら東京マラソンの参加記念シールやら通販の粗品のシールやら……。シールをうまく台紙からはがせないときは「いっこ とって」などと言う。

ダンボールハウスは以前は屋根つきだったのが、耐震強度に問題ありで、壁が折れ曲がって倒壊する癖がついてしまったので、置き方を変えてオープンエアにした。中には子ども一人が横になれるスペースがあり、娘の隠れ家になっている。外と交流(いないないばあしたり、こちょこちょしたり)できる窓や、引っ張って遊べる紐がついている。外壁はシール貼り場になるほか、おむつやタオルなんかを引っかけて洗濯物干しとしても使える。

夕方、外の空気が吸いたくなって、熱が下がり咳も治まったたまに「でかけよっか」と声をかけると、「こうえん いく」と返事。すべり台をひとりじめして遊んだので、今日の子守話はすべり台のお話。

子守話22 すべりだい だいすき

たまちゃんがこうえんにあそびにくると
だいすきな すべりだいがありません。
「もうしわけありません。すべりだいはただいまこうじちゅうです。
かわりにわたしが すべりだいになりましょう」と
こえをかけてきたのは ぞうさんでした。
ぞうさんは たまちゃんのからだをながいはなにまきつけて
おおきなせなかにのっけました。
くびのしわしわのかいだんをよじのぼって
たまちゃんがぞうのあたまのてっぺんまでくると
ぞうさんはおおきなみみをまえにそろえて てすりをつくってくれました。
たまちゃんは てすりにつかまって はなのてっぺんにこしをおろし
ながいはなのすべりだいを びゅーんとすべりおりました。
たまちゃんがすべりおりたいきおいに びっくりして
ぞうさんはおおきなくしゃみをしました。
かぜがふいて たまちゃんは すなばまでふきとばされました。

ぞうさんのすべりだいが きにいった たまちゃんは
つぎのひも こうえんにやってきました。
ぞうさんをさがして きょろきょろしていると
「もうしわけありません。すべりだいはただいまこうじちゅうです。
かわりにわたしが すべりだいになりましょう」と
きりんさんが こえをかけてきました。
ながいくびをかしげて かおをじめんにくっつけたすがたは
すべりだいそっくりです。
たまちゃんは きりんさんのほそいあしをするするとよじのぼり
しっぽにぶらさがって いきおいをつけて せなかにとびのりました。
そして ながいくびのすべりだいを いっきにすべりおりました。
あんまりはやかったので きりんさんのきいろいからだについた
ちゃいろいてんてんが つながって しましまにみえました。

たまちゃんは つぎのひも こうえんにいきました。
ぞうさんも きりんさんもいなくて きょろきょろしていると
「もうしわけありません。すべりだいはただいまこうじちゅうです。
かわりにわたしが すべりだいになりましょう」
と わにさんがこえをかけてきました。
わにさんのせなかは ながほそいけれど ぞうさんやきりんさんのように
きゅうなさかではありません。
ちょっとつまらないなと たまちゃんはおもいましたが
「さあさあ わたしのしっぽのさきに のってくださいな」
とわにさんにいわれて しっぽのさきに またがりました。
すると どうでしょう。
わにさんが さがだちをするみたいに ぐーんとしっぽをもちあげました。
そして たまちゃんが しっぽのさきから あたまのてっぺんまで
びゅーんとすべりおりるのにあわせて
わにさんは ぐにゃりとせなかをくねらせたので
たまちゃんは わにさんのせなかのうえで ぽーんぽーんと とびはねました。

つぎのひ たまちゃんがこうえんにいくと
ぞうさんも きりんさんも わにさんもいませんでした。
そのかわり こうじちゅうだった すべりだいが できあがって
たくさんのこどもたちが あそんでいました。
すべりだいには ぞうさんと きりんさんと わにさんの えがかいてありました。
たまちゃんと すべりだいあそびをした
ぞうさんと きりんさんと わにさんに よくにていました。

2007年07月03日(火)  マタニティオレンジ140 七夕に願うこと
2005年07月03日(日)  親子2代でご近所仲間の会
2000年07月03日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年07月02日(水)  マタニティオレンジ306 雨の日も風邪の日もビデオ三昧

月曜日から娘のたまが風邪で熱を出し、保育園を休んでいる。その前の日曜日は雨だったし、ここのところ一日中家で娘とべったり過ごしている。絵本を読んだり、おもちゃのピアノを弾いたり、シールをぺたぺた貼ったり、ごはんを食べたり、それでもやっぱり間が持たず、締切も迫っていて、ビデオにお世話になっている。

ちょうど先週、おさがりのビデオが新着した。その数日前に「人生のすべてをエンタテインメントに!」をキャッチコピーに掲げている万能ライター(脚本、コピーに加えて本の出版も)の川上徹也さんと会ったとき、「子育てもエンタテイメントやねえ」という話で盛り上がった流れで、「うちの娘がバーニーというアメリカの恐竜キャラのビデオにはまってて」という話をすると、「ああ、うちの子も観てた」と川上さん。「バーニーの話をして乗ってきてくれた人は初めて!」と喜んだら、「うちにまだビデオあったかな。もう観ないし、あったらあげるよ」とうれしい申し出。『Barney's Night Before Christmas』とあわせて、『Here Come the Teletubbies』と『Sesame Street - The Great Numbers Game』の計3本を早速送ってくれたのだった。

バーニーのクリスマスビデオは、子どもたちとバーニーたちが家の飾りつけをしながら、「サンタはみんなの靴下をプレゼントでいっぱいにするけど、誰がサンタの靴下をいっぱいにしてくれるの?」という話になり、「じゃあ自分たちがやろう!」と盛り上がる。でも、すでに時はクリスマスイブ。今から北極点に向かっても間に合わない。そんなときの移動手段は「想像力」。スノードームのサンタの家に想いを馳せてひとっとび……というお話。すでに百回以上は観たサプライズ誕生会を題材にしたライブショー『Barney's Big Surprise Live on Stage』に比べると、出て来る子どもたちも少し年上で、内容も高度。だけど、娘のたまは食い入るように観ている。ぬいぐるみのバーニーや仲間たちが生きた恐竜キャラとして動き出すのは、子どもたちの想像力のなせるワザ。だから大人たちにはバーニーたちの姿は見えない。そのルールをたまは理解したらしく、大人が部屋に入って来てバーニーたちが消えると、「バーニーは?」と聞いてくる。

初めて観るテレタビーズにも興味津々。赤ちゃんの顔のついた太陽を指差して「あま」(たま)と呼ぶ。キャラクターが顔つきも動きもほんとに愛らしくて、大人が観てても癒される。セサミのビデオは数字のお勉強。内容も英語もちんぷんかんぷんだけど、自分が住んでいる階の「4」にだけは異様に反応する。

はからずも英語のビデオばかりになってしまったけれど、わたしのヒアリングの教材としてもちょうどいい。こんな風に小さい頃から英語に親しんでおくと、子どものヒアリング能力も身についたりするのだろうか。ところで、先日1才10か月になったたまが英語の歌を歌ってダンナ母を驚かせたエピソードを紹介したけれど、それがどうやら早とちりであることが判明。今日、電話口でたまが「さいた さいた チューリップの はなが」と熱唱したのを聞き終えたダンナ母が、「たまちゃん、すごいわね。まだ英語で歌ってる」と言ったのだった。うーむ、日本語に聞こえなかったか。そういえば、以前も「ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ」とたまが歌った後で、わたしが電話を代わって「たまは最近『ちょうちょ』をよく歌うんですよ」と告げると、「あら、今度聞かせて」とダンナ母が言ったことがあった。

話をビデオに戻して、日本語のビデオでは、『パコダテ人』の子役でこの春から中学生の前原星良ちゃんからのおさがりの『眠れぬ夜の小さなお話~ネコクンのお友だち』を繰り返し観ている。音楽は原由子さん、脚本は今をときめく作家の森絵都さんで、親子でほのぼのと楽しめるあたたかい世界。言葉がわかるにつれて内容の理解度が上がっていくたまを観察するのも面白い。最近はだいぶストーリーを追えるようになって、声を上げて笑ったりする。

ビデオをおとなしく観てくれていると、家事も仕事もはかどって助かるけれど、依存しすぎるのは考えもの。最近読んだゲーム依存についての新聞記事に、「ゲームの世界は想像力を働かせなくても楽しめるようにお膳立てされている」といったことが書かれていたけれど、ビデオに慣れてしまうと、絵本を読んで話をふくらませることが億劫になる。ビデオに子どもを預けるのではなく、ビデオを会話のきっかけにして子どもと楽しむ余裕が必要なんだろうな。雨の日も風邪の日も。

2007年07月02日(月)  マタニティオレンジ139 マジシャン・タマチョス
2006年07月02日(日)  メイク・ア・ウィッシュの大野さん
2005年07月02日(土)  今日はハートを飾る日
2004年07月02日(金)  劇団←女主人から最も離れて座る公演『Kyo-Iku?』


2008年07月01日(火)  マタニティオレンジ305 トイレトレーニングは「まだ!」

幼児教材のダイレクトメールいわく、そろそろトイレトレーニングを始める時期らしい。便座に置く子ども用の便座(補助便座と呼ぶらしい)をネットで調べ、amazonでポッティス補助便座を購入。キャラクターが主張していないすっきりしたデザインと、「足を閉じて座れる」ところが決め手。たしかに閉じたほうが用を足しやすいし、大人用便座への移行もスムーズにいきそう。届いた実物は、日本製(リッチェル製)ながら北欧テイスト。使うたびに便座に重ねてはめるのだけど、白地に明るい黄緑のアクセントがわがトイレットの色合いにうまくなじんで、違和感がない。

娘のたまに見せると、「おまる!」と興奮。お、たまも気に入ってくれたか。初めて座ったらいきなり上手にできましたという成功談も聞くし、もしかしたら今日早速……と気の早い期待を膨らませつつ、「座ってみる?」と聞くと、「まだ!」の返事。まだ出ない、という意味なのか、トイレトレーニングはまだ早いという意味なのか。自分は座ろうとしないけれど、興味がないわけではなくて、「ママ おまる」とわたしに座らせようとする。まだと言いつつ出てしまったときに座らせて、おしりを洗ってみた。「ビデ」にすると、ちょうどおしりに届いて、シャワーを浴びさせる手間が省けてこりゃ便利。と喜んだら、水の勢いが強すぎたのか、「こわい〜」と泣き出してしまった。その後、折を見て「座ってみる?」と聞くのだけど、いつも返事は「まだ!」。かわいいおまるはトイレの床で待ちぼうけ中。

トイレトレーニング開始はまだ先のことになりそうだけど、梱包材代わりに丸めて入っていた大きなわら半紙がお絵描きシートとして活躍。たまは色鉛筆を走らせつつ、わたしにあれ描いてこれ描いてとリクエストする。ゾゾ(ぞう)とわにとコッコ(ひよこ)とたまを素早く描くことにかけては、ずいぶん腕が上がった。今日の子守話は、ぞうの話。

子守話21 ぞうのせんたくやさん

ぞうがせんたくやさんをはじめました。
ながいはなに せんたくものをたくさん まきつけて
かわまではこんでくると
せんたくものをはなでつまんで
かわのみずで ざぶざぶ ざぶざぶ
がんこなよごれは みずにたたきつけて ばんばん ばんばん
よごれがおちたら ぶんぶんふって みずをきり
おひさまと かぜが よくあたる たかい きのうえに ひっかけて
せんたくものが よくかわいたら はなをじょうずにつかって おりたたみ
アイロンがわりに あしをどんとふみつけて しわをのばせば できあがり。
おおきなあしあとがついている シャツをみかけたら
それは ぞうのせんたくやさんが あらったしるし。

2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました
2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2008年06月30日(月)  『蘇る玉虫厨子』洞爺湖サミットへ!

わたしを大興奮させた平成プロジェクト制作のドキュメンタリー映画『蘇る玉虫厨子』のその後。名古屋での劇場公開が連日超満員で、日に日に人が増え、劇場側からの要望で7月12日から8月1日まで名演小劇場にて1日3回上映のアンコールロードショーが決定。さらに8月30日から9月12日までは静岡のシネギャラリーにて上映。北海道、金沢、高山でも上映を予定しているとのこと。さらに、「洞爺湖サミットで英語版("The Jewel Beetle Shrine Resurrected")公式上映」のニュース。6月末まで法隆寺の秘宝殿で展示されていた「平成の玉虫厨子」も洞爺湖サミットのゲストハウス・ゼロエミッションハウスにて展示されるそう。これを記念して東京での追加上映会が決定……という興奮づくしな案内メールがプロデューサーの益田祐美子さんから届いた。

会う人ことに「玉虫」をすすめているわたしとしては、ぜひ案内せねば、と思っているところに、大阪に住む母から夕刻届いた手紙は、これまた玉虫の話題。27日に法隆寺へ玉虫厨子を見に行った報告が綴られていた。母がバス停で一緒になった白ブラウスの女性は名古屋から。小学校の頃に呼んだ玉虫厨子の話が印象深く、映画があると聞いて初日に見に行き、職人さんたちの舞台挨拶も聞き、どうしても展示期間の6月中にと駆けつけられたのだとか。秘宝殿まで来てみると、黒ブラウスの女性が一人で見に来ていて、彼女も名古屋で映画を観てたことがわかり、白ブラウスと黒ブラウスのお二人は映画と目の前の玉虫厨子を重ねて鑑賞。そこに夫婦らしき二人が現れ、またもや「映画を観て名古屋から」。名古屋組は母が一巡して戻ってきてもまだ映画話に花を咲かせていたという。これだけ人を動かしてしまう映画をぜひ観たい、と母は興味をそそられたようだった。そういえば、一緒に映画を観たアサミちゃんとわたしも相次いで法隆寺へ向かった。1300年の時を越えて平成職人が飛鳥職人と魂の対話をする『蘇る玉虫厨子』は、余韻のスケールも桁が違う。洞爺湖サミットのゲストの目を見開かせるインパクトは十分にある。登場する職人の技と心意気も、蘇った玉虫厨子の見事な出来映えも、私財を投じた中田金太さんの生き方も、この貴重な出来事を映画という形に残そうとした益田さんも、三國連太郎さんの語りの味わいも、記録に感動を織り込んだ乾弘明監督の演出も、この一本の映画には日本の宝が詰まっている。

『蘇る玉虫厨子』洞爺湖サミット公式上映決定 記念上映会

上映日時 7月2日(水)
1回目:開場15:00/上映開始15:30(上映時間64分)
2回目:開場18:30/上映開始19:00(上映時間64分)
会費:1000円
会場:文化シャッター BXホール
 文京区西片1-17-3 TEL:03-5844-7700
 都営地下鉄三田線春日駅A6出口から徒歩3分>>>地図


2008年06月12日(木)  中田金太さんの置き土産『玉虫厨子』と対面
2008年03月27日(木) ブラボー!『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』

日本の宝といえば、益田さんの紹介で親しくさせていただいている素敵な素敵な田邊のおじさま、田邊勉さんが応援されている下垣真希さんの東京でのリサイタルの案内が、これまた申し合わせたように今日届いた。田邊さんにぜひにとすすめられ、歌と語りと人柄に聞き惚れたのが3年前(>>>2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』)。歌うように語り、語るように歌う、その声にゆたかな包容力とたしかな説得力があり、聴いていると心がほどけていく。この人が歌うほど、世の中が平和になって行きそうな気がする。

平和のリサイタル2008 『命の賛歌』
2008年8月3日(日) 14時開演(13時半開場)
浜離宮朝日ホール(大江戸線築地市場A2出口すぐ)
5000円(全指定席) 2000円(当日学生)
下垣真希(歌・語り)
ジャー・パンファン(二胡)
崎山弥生(ヴァイオリン)
北川美晃(ピアノ)
お申込み・お問合せ クレッシェンド企画 0120-208314

2006年06月30日(金)  中国語版『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』
2002年06月30日(日)  FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝
2001年06月30日(土)  2001年6月のおきらくレシピ
2000年06月30日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年06月29日(日)  マタニティオレンジ304 「たらちねの母」と「たらちねの女」

国文学者の中西進さんが新聞に「たらちねの母」と「たらちねの女」のことを書かれている記事を面白く読んだ。豊乳の美女が体型が崩れるのを恐れて授乳を怠った結果、乳腺炎と思われる症状に苦しんだ逸話がはるか昔の書物に残っているという話を引き合いに出し、乳の形を優先させて「女」として生きるか、乳の中身を役立てて「母」として生きるかが論じられている。

「たらちね」には無縁だったわたしは、妊娠出産で「たらちね」を体験したのだが、飲ませなければ泣き止まないし、こっちも乳腺炎で泣きを見るので、「たらちねの女」になる選択肢はなかった。わたしのオリジナル体型を知る人は、「お!」という反応を見せてくれたけれど、「たらちね」のおかげでモテることはなかった。やはり美女とセットでなくてはダメか。


わが「たらちね」はずいぶんしょんぼりしてきたけれど、娘のたまは二才を前にしても卒乳の気配を見せず、いまだに「たらちねの母」を引退できない。どこで覚えたのか、自分で編み出したのか、ボールをシャツの中に入れて「おっぱい!」とおどけていたたまは、最近ではぬいぐるみに授乳するようになった。だっこもさまになり、「たらちねの母」になりきっている。

2007年06月29日(金)  マタニティオレンジ137 おっぱいより朝ごはん
2002年06月29日(土)  パコダテ人大阪初日
2000年06月29日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年06月28日(土)  読んで満腹『おとなの味』(平松洋子)

フードジャーナリストの平松洋子さんが書かれた『おとなの味』を読む。「わたしの味」にはじまり「締めくくりの味」まで、「味」でまとめた65タイトルのエッセイ。「もうしわけない味」「奢った味」「男の味 女の味」「匂いの味」……。目移りしてしまうお品書きのように、簡潔だけれど想像力をかきたてるメニューが並んでいる。この人の書いたものを読むのは初めてだったけれど、食べることが本当に好きで、食べることと生きることがしっかり結びついている人という印象を受けた。おいしいものを食べると幸せな気持ちになるけれど、平松さんが綴るおいしいものの話を読むと、彼女の中に広がった幸せまでお裾分けされたような気分を味わえる。食べものの描写が活き活きと感覚に訴えるというのもあるけれど、平松さんの文章が、わたしの中にある幸せな食べもの体験を呼び起こすからなのだ、と気づいた。ある食べものを口に含んだとき、その味や香りと結びついた記憶が呼び覚まされる。それと同じことを、この本に書かれた「味」たちがやってくれたのだった。

娘の十一才の誕生日に、平松さんはお気に入りのレストランへ連れて行った。「贅沢を味わわせてやろうというのではない。かけがえのない贈りものを手渡してやりたかった。それも『もの』や『かたち』ではなく、精神の血肉を育てる真に豊かな味」。そう考えて導いた答えが、その店の味だった。そこで口にした生まれてはじめてのひと皿の味を娘は「わたしのたからもの」だと言い、「その夜着ていた服も履いていた靴も、座った席も、流れていた空気も、忘れられないという」。大人の椅子にぴんと背筋を伸ばして掛けている十一才の女の子を思い浮かべつつ、「忘れられない味」に出会った十二才の夏を思い出した。

その味は、初めての海外旅行で訪れた東ドイツのレストランで食べたコースのランチ。
ハンバーグステーキ以上の西洋料理を口にしたことがなかった中学一年生には、出てくるひと皿ひと皿が目新しく、口に運べば、未知なる味わいに陶然となり、この世にこんなおいしいものがあったのかと目を見張った。ところが、最後のデザートに出たパフェの生クリームに、あろうことかハエが着地した。わたしも焦ったけれど、ドイツのハエも焦ったようで、足をばたつかせるほどにクリームがからみついて体が沈んでいった。結局そのパフェを食べたのだったか、あきらめたのだったか。デザートのアクシデントも含めて忘れがたい食事となったその店の内装やテーブルの形や自分が座った場所まで、四半世紀以上前のことなのに、妙にありありと覚えている。味の記憶は思い出と強く結びつき、そのとき見た風景ごと保存されるのだ。

東ドイツにわたしと妹を連れて行ったとき、母は親戚から借金をしたと聞く。スーパーでは値引きシールのついたものを狙うくせに、外食や旅行には思い切ったお金の使い方をした。その大胆なメリハリのおかげで、わたしには「上等な味」や「めずらしい味」の記憶がたくさん残っている。そして、季節行事や誕生日などの祝い事に食事をからめてエンターテイメントにすることにも、今井家は積極的だった。父の厄よけに大量のぜんざいを作り、道行く人を呼び止めて食べてもらった(関西の風習らしい)日、漬け物がぜんざいの甘みを引き立てることを覚えた。

「雅子ちゃん、一年に晩ご飯は365回しかないから、一食一食を大切にしなさい」
大学一年生のときに下宿した家のダンナさんにそう言われたことも、本を読んでいて思い出した。何を食べるか、誰と食べるか、その一食一食があなたという人間を作るんだよと教えられた。同じ頃、大阪に帰省した折に母は「つきあいの金はけちったらあかん」と言われた。その結果、エンゲル係数の高い学生になったが、おいしいものを求めて京都の町を自転車で走り回り、出会ったあの味この味が学生時代の思い出を彩っている。

就職した広告会社には、わたし以上に食べることが好きな人が集まっていた。脚本の仕事をはじめ、知り合いがふえると、おいしいもの情報網が広がった。年齢とともに舌は肥えていく一方、高級店の一流の味でなくても、気の利いた会話があれば食事はごちそうになることを覚えた。

「すっかり忘れていること。忘れていることさえ気づかなかったこと。うっかり記憶の外に放り投げられていること。じつは、それらもまた、ひとりひとりを支えている。いやむしろ、覚えていること、知っていることなんかほんのわずかなのだ。知っていることに比べたら」というくだりが本文中にある。その「記憶の外」にあるもののいくつかをたぐり寄せ、あれをもう一度食べたいなあと舌なめずりしたり、一緒に食べた人の顔をひさしぶりに思い出したりし、自分がいかに食べものの幸せな記憶を持っているかということに気づいた。親に贈られた味。人生の先輩に教わった味。好きな人と見つけた味。わたしをつくってくれた、たくさんの味に感謝。

2006年06月28日(水)  ロナウジーニョとロナウドは別人?
2002年06月28日(金)  シンデレラが出会った魔女の靴

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