2006年11月09日(木)  マタニティオレンジ26 六本木ヒルズはベビー天国

今日は六本木ヒルズ六本木ヒルズのTOHOシネマズでママズクラブシアター。ヒルズのサイトを見てみると、子連れ歓迎の様子。せっかくだからついでにヒルズ探索をしてみよう、とビクス仲間のレイコさんと3か月のレミちゃん親子を誘ってGO。

森タワー2階のインフォメーションで無料貸し出しのベビーカーを借りる。たま&レミは初搭乗。わたしとレイコさんは「わあ、身軽でいいねー」と大はしゃぎ。ヒルズはバリアフリー動線をちゃんと考えた設計になっていて、エレベーターやスロープが完備。レストランの中もベビーカーですいすい。東京タワーが見えるテラス席でランチしながら「夢みたいだねー」としみじみ。

ヒルサイド地下2階のキッズルーム内にある授乳室は、天井が高くて開放感がある。おむつ替えスペースも広々、替えたらおむつゴミ箱にポイッ。ひねると調乳適温の50度のお湯が出る蛇口にも感激。哺乳瓶に粉ミルクを溶かし、いざ映画館へ。

映画は『7月24日通りのクリスマス』。大沢たかおさん、『子ぎつねヘレン』の矢島院長とは打って変わって、王子様キャラを好演。靴と足元の表情でヒロインの気持ちの変化を描いていくのがおしゃれ。パラパラ漫画やワインの小道具の使い方、くすりと笑える小ネタの数々、「うまいなあ」と思いながら観てしまう。脚本は『電車男』の金子ありささん。全編をクリスマスソングが彩る。そっか、もう来月か。ディズニーランド&シーでもクリスマスが始まっている。2週間後のママズクラブシアターは『プラダを着た悪魔』。前評判がとても高いので、これも観てみたい。

2005年11月09日(水)  『ブレーン・ストーミング・ティーン』がテレビドラマに
2003年11月09日(日)  小選挙区制いかがなものか
2002年11月09日(土)  大阪弁


2006年11月07日(火)  シナトレ6『原作もの』の脚本レシピ

シナリオ作家協会がやってるシナリオ講座の創作論講義で昼夜2時間ずつ話す。4月25日に「人生はネタの宝庫」をテーマに話して以来半年ぶりの2回目。今回は「『原作もの』の脚本レシピ」。今年放映あるいは公開された脚本作品5本のうち4本が原作もの(あと1本はサスペンスドラマ『ドクター・ヨシカの犯罪カルテ』)。原作といってもさまざまで、1月に放送されたドラマ『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』は、わたしの原作『ブレーン・ストーミング・ティーン』を脚本化。3月公開の『子ぎつねヘレン』はノンフィクション『子ぎつねヘレンがのこしたもの』、7月期に放送された深夜連続ドラマ『快感職人』は漫画、10月21日から公開中の『天使の卵』は『小説が原作。「まず、使いどころを見つける」「訴えたいメッセージを決め、そこから逆算して人物やエピソードを組み立てていく」といった方法論を料理にたとえ、「原作という素材の良さを活かし、おいしく食べられる映画やドラマに仕上げるのは、料理人である脚本家の腕の見せどころ」「同じ素材を使っても、調理法やスパイスの使い方で料理人の個性が出る」と話す。「原作を読んだら、なるべくすぐ第一印象をプロデューサーに伝え、熱を共有する」といった心構えも紹介。

脚本家をめざす人たちだけあって、皆さん熱心に聞き、質問も活発に出る。「原作が史実の場合、どうやって脚色すればいいか」「ドラマや映画での禁句は?」「気分が乗らない原作の場合は?」などなど。それぞれ「誰の視点で描くかによって、同じ歴史上の事実でも違ったドラマになる。繰り返し映像化されている忠臣蔵のように。キャラクターを肉付けすることでも、ドラマに深みが出る」「テレビは放送コードに引っかかる表現は使えない。映画も観客の反応や反響を考えて表現を吟味している」「苦手なジャンルでも、どこかに自分との接点がないか探る。せっかく声をかけてくれたプロデューサーに応えたいという気持ちもある。難しそうな素材ほど、うまい調理法が見つかると攻略感がある」といったことを答えた。わたしは勘違いからデビューして、出会いに恵まれて今も書き続けている。デビューするチャンスは誰にでもあるし、自分の脚本がカタチになる楽しさをぜひ味わってもらいたいと思う。

去年研修科で教えた生徒さんが二人聞きにきてくれ、研修科の有志からという出産祝いを受け取る。布の人形とボールで遊べるボーリング。三週間に一度、半年だけの講座だったけれど、今でも「先生」と慕ってくれるのがとてもうれしい。

昼と夜の部の間に空いた3時間は、お茶して過ごす。4月の講義のときに見つけた「ピルエットカフェ&バー」と8月に見つけた「ファンソンカフェ」をハシゴ。出産後はじめて、2か月半ぶりのカフェめぐり。


2006年11月03日(金)  マタニティオレンジ25 国産車か外車か

国産車か外車か、この数週間頭を悩ませていた。と言っても、ベビーカーの話。「外車は憧れだけど、重いのよねえ」「使い勝手を研究しているのは国産車よ」という先輩ママたちの声から、ベビーカーにも国産車と外車があるんだと知る。国産車はアップリカコンビが両巨頭。外車の筆頭、英国車のマクラーレン(Maclaren)はとくに都心部で人気が高いそうで、ご近所ママの観察によると「文京区のマクラーレン率は8割を超えてる」とか。鬼の角みたいなハンドルが目印。同じく英国車のシルバークロスも鬼角ハンドル。英国車といえば鬼角らしい。

さらにベビーカーには新生児から寝かせて使えるA型と、おすわりが安定する7か月頃からのB型に大分される。A型でも2才頃まで使えるが、B型はA型に比べて軽くて小回りが利くので、成長に合わせてAからBに切り替える人が多いとか(「二台目」と呼ばれる)。数か月A型をレンタルしてB型を買おうかと検討するが、レンタルのベビーカーはことごとくデザインが地味。定価5万を超えるものはレンタル料金もひと月で1万円を超えるので、だったらやっぱり買おうとなる。

ピンク地に白と水色のバブルというポップなデザインに一目惚れしたマクラーレンの「クエストモード2006 ピンクフルール」は3か月から使えるとのこと。気持ちは傾くが、6.1キロという重さと背面押しのみがネックに。赤ちゃんが小さいうちは、顔を見ながら押せる対面式がいい。

背面でも対面でも押せて、かわいい色づかいものが充実しているアップリカのA型を調べ尽くし、シャーベットオレンジの色が気に入ったWなMINIアイTOアイWサーモI690に決定。amazonで69000円が19800円に。amazonでベビーカーが買えるとは。4.7キロという軽さも魅力。ベビーザらスとアップリカが共同開発しているビーセレブ(Be Celeb)のデザインにも惹かれたけど、6キロ越えの重さに断念。ちなみに先輩ママによると、「対面で使えるのは、あっという間よ。体を乗り出せるようになったら、ママの顔なんかより景色を見たがるから」とのこと。ベビーカー到着は一週間後。試乗せずに買ってしまったけど、乗り心地はどうだろう。

2005年11月03日(木)  柴田さん、旅立つ。


2006年11月02日(木)  ハートの鍛え方

月刊誌『第三文明』のインタビューを受ける。テーマは「ハートの集め方」ではなくて「ハートの鍛え方」。ハートコレクションが撮影小道具として活躍。

2年前、『ブレーン・ストーミング・ティーン』を出版したとき、著者インタビューをしていただいた。一晩で読了し、「面白い!」と気に入ってくださった編集長の平木滋さんとはしばらくご無沙汰になり、新作の案内も出せずにいたのだが、封切り直後の『天使の卵』を偶然観てわたしの名前を見つけ、驚いてメールをくださった。映画館にあったフリーペーパーのbukuを手に取ると、そこにもわたしのエッセイを発見。折りしも第一回のタイトルは「脚本家はつなげるのが仕事」。「これも何かの縁ですね」という話になり、「じゃあ次号のインタビューで再会しましょう」となった。カメラマンの内藤恵美さん、ライターの岡尾一郎さんも2年前の取材の顔ぶれ。懐かしく、打ち解けた雰囲気で話ができた。

インタビューのやりとりはブレストのようでもある。質問を投げられると、普段使っていない頭の中の引き出しをかき回し、答えを見つけ出す。「どんなときに落ち込みますか」「どうやって立ち直りますか」。答えながら、「へーえ、わたしはこんな風に感じているのか」とあらためて気づいたりする。わたしはけっこう傷つきやすいし、落ち込むときはドーンと落ち込むけれど、立ち直るのも早い。別れや喪失を嘆くより、出会えた喜びに目を向けるようにしている。失敗を笑いのネタにする関西人気質と、作品のネタにしてやろうという脚本家根性にも救われている。無理に耐えたり強引に跳ねのけるのではなく、いったん受け止めて、しなやかに折り合いをつけるのがいい。悲しみや辛さの質量は事実として変わらないけれど、気の持ちようで重みをやわらげることはできる。

2005年11月02日(水)  ウーマンリブVol.9『七人の恋人』
2003年11月02日(日)  ロンドン映画祭にも風じゅーの風!
2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会


2006年10月31日(火)  マタニティオレンジ24 体重貯金

母親学級のとき「生後1か月以内に新生児訪問にうかがいます」と言われていたのに来ないなあと思い、資料の束を探っていたら、区の保健課あてのピンクの紙が出て来た。出生届を出せば区役所から保健関係の文書が次々と送られてきたのだが、なぜか新生児訪問の申請は別。「もう2か月なんですが、今からでも来てもらえますか」と書き添えてピンクの紙を投函すると、「大丈夫です。うかがいますよ」と電話があり、今日保健師さんが訪問。ハンドバッグに入る体重計(赤ちゃんをのっける布とバネばかりがセットになっている)で軽量。たまは生後70日で5150グラムになった。その後、一時間ほどゆっくりお話を聞いていただく。保育園について相談。

郵便局で、たま名義の口座を開設し、今日の体重分を入金。これから体重を量るたびに入金していけば、日付と体重の記録が残る。体重が増えれば貯金も増えるのもなんだかうれしい。生まれたときから始めておけばよかった。窓口のお姉さんに学資保険をすすめられる。契約者が死亡した場合、その後の保険料は振り込み不要となり、せめて学資は残してやれる。わたしは長生きする気まんまんだけど、保険のことは考えないと。

2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。
2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家


2006年10月29日(日)  おいしい国、日本。


ご近所仲間の会はY家が転勤のため一昨年ロンドンに引っ越したので、東京支部とロンドン支部に分かれているのだが、Y氏が出張で東京に来ることになった。昨年夏の一時帰国以来、一年ぶりの再会。どうやって歓迎しようかと東京支部で相談の結果、「『ザ・日本』でいきましょう」となる。会場となったK邸はおでんとロール寿司と具沢山の味噌汁でおもてなし。わが家は手巻き寿司を提案し、ダンナの小学校時代の同級生てっちゃんがやっている魚屋さんで刺身を調達。魚河岸が休みの日曜日だけど少しでも新鮮な魚を食べられるようにと、てっちゃんは朝早く魚をさばいて配達してくれた。Y氏の飲み仲間だったT氏は日本酒を、M嬢は博多出張土産の明太子に加え、Y氏が以前「あんこが食べたい」とメールに書いていたことから和菓子を用意。どれもおいしかったけれど、ひさしぶりの日本の幸尽くしにほころぶY氏の顔が何よりのごちそうだった。

海外で暮らした人は、日本への愛着が増す傾向があるらしい。望郷の気持ちも手伝うのだろうけれど、日本を離れてみて初めて日本の良さに気づくのも大きいと思う。わたしの場合、食べものにそれを見出している。一年間のアメリカ留学から帰国して慣れ親しんだ味をひさしぶりに口にしたとき、体中の細胞がバンザイしている気がした。この味が自分を育ててきたんだということを体で思い出して、日本に帰ってきたんだなあと実感し、ああ日本人だなあとうれしくなった。最近「愛国心」をめぐる議論が活発だけれど、日本をおいしくいただく精神も愛国心なんじゃないかなと思う。自分を育んだ食べものを愛することは、その食べものを育んだ土地や歴史や季節や人々を慈しむ気持ちにつながる。

2005年10月29日(土)  お茶→シュウマイ→お茶 6時間プレ同窓会
2003年10月29日(水)  日米合作映画『Jenifa』完成試写
2002年10月29日(火)  『風の絨毯』ワールドプレミア


2006年10月28日(土)  田邊のおじさまの還暦音楽祭

株式会社ピッドコーポレーションの田邊勉社長にあてるメールの書き出しは、「すてきなすてきな田邊のおじさま」。「すてきな」おじさまはけっこういるけど、二乗となるとなかなかいない。自分のお店に友人たちを集め、自身が出演するライブをやり、家族からプレゼントされたPapasの赤が眩しいジャケットを着こなし、友人一同から贈られたこれまたPapasのクロコダイル革の靴もばっちり似合い、「ちなみに12月売り1月号の雑誌に掲載されるPapasの広告に娘と出ます」なんてさらりと言い、「今日の日を迎えられたのは妻のおかげ」と連れ添った年数分の34本の真っ赤な薔薇を贈る、そんなこんなをダンディにスマートにこなしてしまうのが、すてきなすてきなおじさま流60歳。

会場のシーボニアメンズクラブは、魔女田さんこと益田祐美子さんとの合同誕生会(>>>2005年2月23日)で田邊さんと知り合った場所。魔女田さんからの「田邊さんのお店でドンちゃん騒ぎするから来てね」という軽いお誘いを真に受けて普段着で乗り込んだら、ドレスアップした紳士淑女が集まり、還暦祝いだけあって平均年齢も高めで、なんだか浮いている気が……。ひえーっと焦りつつ何人かに話しかけると「益田さんの紹介で田邊さんと知り合った」という人が続々。魔女田さんの吸引力+攪拌力には万能掃除機もびっくり。田邊さんがわたしをステージに呼んで紹介してくださったおかげで、「『子ぎつねヘレン』観ました」「『天使の卵』観に行きますよ」などと声をかけてくださる方が現れ、ほっとする。

司会の三山宣美さんがアドリブ上手で「もしかして関西人では」と思って声をかけると、当たり。京都から上京してきて年も同じだとわかり、意気投合。二人で並んでライブを聞いていると、後ろの席からイキとノリのいいおばちゃん・西本光子さんが話しかけてきて、またもや関西のにおいを感じると、やはり京都出身。しかも光子さんは合同誕生会のときにピアノを弾いていた西本梨江さんのお母様だとわかり、「わたし、梨江さんのこと日記に書きましたよー」なんて言って、ますます盛り上がる。梨江さんはドビュッシーの花火を披露。11/8に横浜みなとみらいホールで行われる「FAOテレフードチャリティーコンサート2006『大地の詩』シルクロードの風」に出演(尺八:藤原道山 コントラバス:前田芳彰 パーカッション:平子久江 琴:みやざきみえこ 賛助出演:タナーコミュニティー・アンサンブル)とのこと。「宣伝してくださいねー!」と光子さん。

田邊さんは以前音楽関係の仕事をされていたので、プロの歌手や演奏家から歌や演奏のプレゼントも。友人にも音楽をやっている方が多く、バラエティに富んだレパートリーで祝福。フラダンスやタップダンスもまじり、音楽祭のような華やかさ、にぎやかさ。「音楽は、システムではなく、好きという気持ちで広めていくべき」と田邊さんは挨拶で語っていたけれど、音楽が好きでたまらないという皆さんの気持ちが伝わってきて、とても楽しかった。わたしが叩けるものといえばパソコンぐらいだけど、好きだから書くんだという気持ちを大切にしたいなあと思った。

気がつくとパーティは四時間に及び、もう帰らなくちゃの時間。シンデレラが魔法使いのおばあさんに言い含められたにも関わらず十二時の鐘を聞いてしまったように、楽しいパーティは時間を忘れさせる。たまと二人で初めての留守番をしたダンナは、大泣きされて焦りながら粉ミルクを調合して寝かしつけてくれていた。感謝。還暦のときにはわたしから薔薇を贈ろう。生クリームたっぷりケーキのせいか、心が弾んだせいか、今夜はびっくりするほど母乳がよく出た。そういえば、乳牛に音楽を聴かせている牧場があったっけ。


2006年10月22日(日)  マタニティオレンジ23 たま2/12才

8月22日生まれの長女たまの1/12才を祝ってから一か月。あっという間のような、それでいて長い時間だったような、夢中の一日一日を積み上げて濃密なひと月になったという感じ。一日ごとに爪が伸び、まつ毛が伸び、表情が豊かになり、「たま語」のボキャブラリーが増え、昨日できなかったことが今日はできている。少し前に覚えた指しゃぶりが気に入り(指をおもちゃにして遊んでいるらしく、これもひとつの成長なのだとか)、自分の指では飽き足らず、わたしの指を引き寄せて吸い付く。一か月検診で教わった肘で体を支えるうつぶせ(「スフィンクスのポーズ」と名づける)がさまになってきた。最初は数秒で崩れていたのに、今では景色の変わるのが面白いらしく、もう少しですわりそうな首をキョロキョロさせて辺りを見回す余裕もできた。鏡に映る自分を不思議そうに見つめる。自分だとわかっているのか、こいつは何だと思っているのか、まばたきもせずにじーっと見入っている。わたしの一年分をはるかに上回る進化と変化を、たまはこの一か月で見せてくれた。

2/12才誕生会のマンスリーゲストは広告会社時代の同僚だったG嬢とダンナのイトウ氏。助産院に入院中に見舞ってもらって以来、約2か月ぶりにたまと再会した二人、「大きくなったねえ」としきりに感心し、たくさん写真を撮ってくれる。子どもの成長を一緒に見守り、喜んでくれる友人の存在が、子育てをまた楽しくする。

毎日間近に成長を見つめ、驚いたり感動したりを繰り返しても、時間が経つと、「あのとき、どうしてたっけ」となるらしい。「ちゃんと育児日記をつけておけば……」と悔やむ子育ての先輩たちの声をよく聞く。わたしは携帯電話のカメラでちょこちょこと撮った写真に短いコメントを添えたフォト日記をつけている。ビデオは扱いに慣れてないこともあって、ようやく今日はじめて撮った。もっと早くから撮っておけばという気持ちもあるけれど、貴重な瞬間を記録するメディアは親の目や耳や心だっていい。ちょうど今読んでいる『父の目1000日 赤ちゃん新発見―カメラとペンで綴ったわが子の3年間』は世界中の子どもたちを撮ってきたカメラマンの田沼武能(たぬまたけよし)さんの育児記録。「生後○日目」のコメントが添えられた写真を追っていくと、レンズ越しにわが子を見つめる作者のまなざしも少しずつ父として成長していくのが感じられる。

2005年10月22日(土)  おばあちゃん99歳
2004年10月22日(金)  クリオネプロデュース『バット男』
2002年10月22日(火)  大阪では5人に1人が自転車に『さすべえ』!


2006年10月21日(土)  5本目の映画『天使の卵』初日

5作目の脚本長編映画となる『天使の卵』が本日より全国公開。脚本を書くようになってから作品のたびに思いがけない出会いやめぐり合いをプレゼントされているけれど、『てんたま』にはスタートから運命的なものを感じた。

プレス用パンフやbuku10号のエッセイにも書いたけれど、わたしが持っているたったひとつの小説家のサイン入り本が『天使の卵』原作者・村山由佳さんが1997年に出された『翼―cry for the moon』の初版本。新聞の読者プレゼントで当選したもので、「今井雅子様」とあて名が入っていたことに感激した。村山由佳ワールドの面白さを教えてくれたこの本はわたしのお気に入りの一冊になり、ときどき思い出しては読み返しているのだが、ひさしぶりにページを開いた数日後にプロデューサーから電話があり、「村山由佳さんの原作の映画化脚本を」と仕事が舞い込んだ。

原作の村山由佳と脚本の今井雅子。その二つの名前が9年前に同じページに刻まれていた偶然。ロケ地で村山さんご本人にお会いしたときにこのことを伝えたら、「わあ本当? 面白い!」と瞳を輝かせて喜んでくださった。飾らない人柄に、ますますファンになった。

戸田恵子さんとの出会いも、うれしいサプライズだった。主人公・歩太の母である幸恵役が戸田さんに決まり、わたしがロケにお邪魔する日が幸恵の切り盛りする小料理屋『けやき』の撮影日に重なったことから、「舞台『温水夫妻』を観て以来のファンです」と直接伝えることができた。目にも声にも力のある女優さんだが、お会いしてみて、内面から発して引きつける磁力のような強さを感じた。抱いていた印象よりも小柄な体が舞台やスクリーンやテレビで大きな存在感を発揮するのは、女優魂のスケールの成せる業なのかもしれない。

学生時代を過ごした京都がロケ地に選ばれたことにも、うれしいめぐり合わせを感じた。秋の京都はことのほか人を惹きつける。冨樫森監督はいかにも京都という場所を外し、京都でありながら京都京都していない絵を追求したが、匂い立つに秋の京都の色と空気は見事に焼き付けられ、美しい映像となった。

極め付きのめぐり合わせは、命。『子ぎつねヘレン』に続いて『天使の卵』も脚本を書きながら命について考えることが多かった。そのせいか、映画が撮影に入ると、わたしの中にも天使の卵が宿っていた。命はどこからやってくるのか、天からの手紙である卵に乗って降りてくるのではないか……脚本に込めた想いは実感となった。

いよいよ今日、てんたま公開。生後2か月のたまを連れて舞台挨拶を見学するのは遠慮して、だけど初日気分を味わいたくて、銀座松屋のてんたまパネル展(31日まで)へ。2階レディースフロアの一角で宣伝素材を流し、ところどころの柱に劇中のシーン写真と台詞を納めたパネルが貼り出され、秋冬の装いに囲まれてさりげなくてんたまの世界を紹介。買い物途中のお客さんが目を留めて立ち止まり、携帯カメラで写真を撮っていく。

春妃が卵について語るシーンのパネル前で、わが家のてんたまを抱いて記念撮影。光の加減で卵を持つ春妃の手が何かを発信しているように見えた。映画とは光と影でできているものだけど、絶望の中から生まれる希望に光を当てた映画『天使の卵』は、とくに光と影のコントラストを意識して作られている。スクリーンから発せられるその光と影が、受け止めた人とどう響きあうのか、楽しみでもあり、ドキドキする。観られた方はぜひ感想を聞かせてください。撮影に使われたシナリオ決定稿と今井雅子のコメントが掲載されている劇場パンフレットもどうぞよろしく。

この日記に埋め込んであるブログパーツはてんたまサイトから持ち帰ったもの。日記の下にあるパズルのピースをマウスでつかんで完成させると、劇中で使われる歩太の描いた絵が続けて二枚現れる。おためしあれ。
(※ブログパーツは映画公開終了とともに終了しています)

2005年10月21日(金)  小さな冷蔵庫 大きな冷蔵庫
2002年10月21日(月)  アウシュビッツの爪痕


2006年10月19日(木)  マタニティオレンジ22 めぐる命と有機野菜

愛知県新城市にある星農園から有機野菜がどっさり送られてきた。農園主の星洋輔さんは、一昨年の春に亡くなったわたしの幼なじみ・寺岡佳夏のいとこ。長女たまの誕生を知った佳夏のご両親がお祝いにと気をきかせてくれたのだった。子どもが生まれて以来、体にいいものを食べることには一層関心を持つようになったので、無農薬・無化学肥料の野菜はありがたい。

14種類の野菜の中にはツルムラサキ、壬生菜など普段食べないものも。あぶって味噌をつけて食べるだけでご馳走になる万願寺とうがらし、長〜い葉っぱの先までおいしく食べられる大根、空心菜は「アンチョビと炒めてもいい」というアドバイス通りにやってみたら、びっくりなおいしさ。にが瓜はゴーヤチャンプルにし、二十日大根は蒸してテンメンジャンをつけ、チンゲン菜はにんにくとオイスターソースで炒めた。どれも野菜の味がしっかりして、噛み締めると「自然をいただいている」気がする。はるばるついてきた赤ちゃん青虫君はベランダに放した。

洋輔さんは有機野菜の研修を終え、今年三月に就農したばかりの駆け出しとのこと。添えられた手紙には「野菜がとれるようになって思うのは、佳夏に食べてほしかったということ。私が百姓をするといったらおもしろがってくれていました。今井さんに食べてもらうよう佳夏がつなげたような気がしています」とあった。その昔、隣同士だった佳夏の家と今井家は有機野菜の共同購入をしていた。『ノアの箱舟』という名前の会だった。当時のわたしは無農薬のありがたみにいまひとつピンと来ていなかったが、熱血少女の佳夏は教室でクラスメートを前に「食べものが体を作るねん! せやから健康な土を守らなアカンねん!」と熱く語っていた。佳夏が食べられなかった分もわたしが食べよう。そして、佳夏と同じ8月の終わりに生まれた女の子に栄養を注ぎ込もう。そんなことを考えていたら、命はめぐるんだなあとしみじみ思えた。人は死んだら土に返るというけれど、土はまた命を育む源になる。その恵みをいただいてわたしたちは生きていく。

2004年6月20日 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

2005年10月19日(水)  新宿TOPS 2階→8階→4階
2003年10月19日(日)  100年前の日本語を聴く〜江戸東京日和
2002年10月19日(土)  カラダで観る映画『WILD NIGHTS』

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